2012年11月30日

モンセラットで心洗われ、モンセラットで心慌てて

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カタルーニャ一帯の中でも最も高く険しいモンセラットの山の中腹、標高725メートルの地に、実に壮大な修道院が建っています。最初に建てられたのは11世紀のことでした。

その始まりは880年、羊飼いが山の洞窟で見つけた「黒いマリア像」でした。以来、この地は巡礼者たちの聖地となり、マリア像は、今でもバシリカ(教会堂)の祭壇上部に、祈る者たちを見下ろすような形で置かれています。巡礼者でなくとも脇の通路から階段を上ってマリア像の前に立つことができます。とだえることのない行列は少しずつ動きながら、人々を黒いマリア像へと運びます。ここから眺める階下の教会堂は圧巻です。

正式に参拝するには、宇宙の象徴の玉を支えるマリア像の右手に接吻をし、もう一方の手で、永遠の命を授けてくれる幼な子イエスに我が身を捧げる身振りをしなければならないのだそうです。

モンセラットで「黒いマリア像」と並んで知られているのは、14世紀から続く少年聖歌隊です。約50名の少年たちが特別な音楽教育を授けられ、毎日2回、午後1時と7時10分に聖歌を歌います。

私たちはタイミングよく1時に教会堂の椅子に座り、白いガウンを着た少年たちが登場し、よく澄んだ高い声と一糸乱れぬハーモニーでグレゴリア聖歌を歌い、またきちんと並んで退場するまでの場に居合わせることができました。月並みな言葉で言えば、心の澱(おり)が洗い流されたようでした。
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たかだか725メートルと言えども震えるほどに寒く、夏場には開いているであろうカフェの扉も閉まり、展望台へと向かうケーブルカーも運休です。ブルブルと震えながら駐車場まで下ったところで、思いもかけないアクシデントが起きました。
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迷いながらバルセロナの町を抜けて、ひたすら高速を走り、クネクネと続く山道を登ってやっとたどり着き、さて帰ろうかという段になって、どうしても車のエンジンがかからないのです。朝、借りたばかりのレンタカーです。慣れていないとは言え、何かが明らかにおかしいのです。変な音までします。

一時は途方に暮れましたが、二人そろってオロオロしたところで仕方がありません。夫はヘルプを求めるために再び山道を上り、私は車の中でわけもわからぬスペイン語の操車マニュアルを、勘を頼りに読み続けることとなりました。結果、、、、、

かれこれ2時間もたった頃に、大きな黄色い車が上って来て、整備服の男性が下り立ちました。メカ音痴の我々が息を吞んで見つめる中、動かぬ車のボンネットを開けて、、、、箱のようなものを持ってきて、、、、
とにかくあっという間に直ったのです!
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最悪の場合は、私たちの車を引っ張ってあのヘアピンカーブの坂道を下りなければならなかった彼もホッ、私たちもホッ、ということで一件落着し、冷や汗をかきながらの2時間の後は、寄り道を諦めてまっすぐバルセロナに帰ることになりました。そして、無事に戻った夕食のテーブルで、こんな会話がなされることになりました。

「モンセラットは『カタルーニャの聖地』と言われるだけあって、全てが素晴らしかった。けれども、何年かたって最初に思い出すのは、動かない車に慌てた時のことかもしれないね。旅と言うのは、トラブルのあったものほど懐かしい思い出になるものだから。」

そして、私たちの数々のトラブルの思い出たちが、ひとつ、またひとつと、楽しくなぞられることとなったのでした。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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11月28日(水):バルセロナ最古のレストラン「7つの扉」
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 04:17| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月29日

Short Short Spain 1

朝のお散歩
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By 池澤ショーエンバウム直美
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2012年11月28日

タラゴナとの出逢い

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こちらに来てから初めての雨となりました。
そういえば小学生、それとも中学生でしたでしょうか、社会科で習いました。
「地中海性気候とは、冬は温暖で雨が多く、夏は高温で乾燥する気候のこと。」と。

と言ったって、雨慣れしている私たちにとっては、「えっ、これでも雨が多いの?」と言いたいぐらいのものです。かつて住んでいたギリシャなどは、年間300日は晴れていると言われるほどのお天気でしたから、冬にたまたま雨でも降ろうものなら、「ああ、雨ですねえ。」などと、長らく赴任中の日本の御仁が遠い目をしてうっとりと言ったものでした。

雨だから美しい土地と、雨ですら美しい土地があります。
タラゴナは雨ですら美しい町でした。

そこは、紀元前3世紀にローマ人によって築かれた町。
今ではひっそりとした小さな町ですが、当時はイベリア半島で最大の都市として栄えていたといいます。その面影が町の至る所に残っています。

紀元前に築かれた城壁も、その後のローマ時代の長官の屋敷も、アンフィシアターと呼ばれる円形競技場も。。。。。とりわけ仰々しく歴史を押し付けるわけでもなく、観光客の喧騒があるわけでもなく、本当にさりげなく町のたたずまいに溶け込んでいるのです。そして、それがまた、そぼ降る雨によく似合っていたのです。ごく平凡なタラゴナの駅に小さな失望と共に下り立った時には予想もしなかったことでした。

地中海を背景にしたアンフィシアターは、何と孤高の気高さを見せていたことでしょう。人っ子一人いないその円形の競技場が、ローマ時代にはゲームとしての戦いの場所であったことを思えば、その寂寞とした美しさがとりわけ胸に染み入ります。戦士と猛獣、そして戦士同士の戦いが、どちらかが血にまみれて命尽きるまで続けられたのです。後にキリスト教の司祭も処刑されたと言うその場所は、いくら耳を澄ませても聞こえてくるのは地中海の波音と、棕櫚の葉をそよがす風の音、そしてバルセロナとバレンシアを結ぶ電車が線路の上を走る音、そして雨音でした。

「タラゴナ」は紀元前のローマ人たちにならって、「タラコ」とも呼ばれます。ついくすりと笑いそうになりますが、こんな町があることはスペインに来るまででは知りませんでした。夫の後をくっついて出かけただけでしたのに、土地の精霊に見初められてしまったかのように、私たちはこの町を後にする前から、次に再び訪れる時のことを話し始めました。アンフィシアターを見下ろす高台に建つ「インペリアル・タラコ・ホテル」の下見までして。

こうした思いもかけぬ出会いがまた、旅の醍醐味のひとつです。

ホテルから駅までのだらだら坂を下る途中、傘の向こうの西の空が橙色に色づき始めました。明日は雨も止んで良い日になりそうです。タラゴナはまた別の美しさを見せるのでしょう。
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タラゴナまたはタラコへは、バルセロナから電車で1時間から1時間半。途中で止まる駅の数によって時間も値段も違います。ここの大聖堂についても書きたいのですが、またの機会とさせていただきます。

By 池澤ショーエンバウム直美

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11月27日(火):芸術ディスプレー@バルセロナの市場


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2012年11月27日

マドリッドからバルセロナへのAVE体験

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マドリッドのアトーチャ駅を出発する新幹線に乗るためには、前もって切符を買っておくほうが安全ですし、余裕を持って駅に着くこともだいじです。なぜなら、切符の購入には番号札を取って順番を待たねばなりませんし、いざ乗車するには、まるで飛行機に搭乗するかのように、行列して荷物のX線検査を受けねばならないからです。

午前10時半、私たちが乗ったバルセロナ行きの「AVE」と呼ばれる新幹線は、専用の線路を時速300キロで走ります。全席が指定席です。と言ってもガラガラでしたが(笑)。

出発して間もなくすると、制服を着たにこやかな女性が、音楽と映画を楽しむためのイヤホンを配ってくれます。次に暖かいおしぼりとメニューが渡され、選択した飲み物が運ばれ、軽食を載せたトレイが目の前のテーブルに置かれます。

たとえば飲み物ならば、ビールが2種類、白ワインが3種類、赤ワインが3種類、ブランディーやウィスキーなどの酒類が10種類、ソフトドリンクが14種類という品揃えです。
軽食トレイの上には、サンドイッチとカップケーキ、そしてコーヒーまたは紅茶が
載っています。

荷物検査と言い、乗車後のサービスと言い、一瞬、飛行機に乗ってしまったのかしら、と錯覚を起こすぐらいです。

時速300キロの列車は、灌木しか生えていないような荒野をひたすら走ります。時折、視界が広がり地平線が見える時もあれば、線路の両側に断層を見せながら、こんもりと盛り上がった切通しの間を走り抜ける時もあります。期待していたオリーブの林もなければ、オレンジやレモンの果樹園もなく、山羊や羊の姿もありません。スペインというのが実は大変大きな国であるのを実感する時です。

列車は11時45分、初めての駅「サラゴザ」に止まりました。そしてまた超特急で走り始めます。ようやく村らしきものが見え、ぶどう畑やオリーブ畑が見え始めたのはマドリッドを発って2時間もたった頃でしょうか。

次に止まったのは午後1時15分、終点のバルセロナでした。
駅に下り立ったとたん、ふっと吸い込んだ空気に海の香りがしました。
ヒートテックのインナーを着てきたことを後悔するぐらいの暖かさです。
こうして、長い歴史と独自の文化に彩られた地中海の町での、私たちの暮らしが始まりました。

荷を解いたホテルの部屋のバルコニーは、まるでパーティーができそうなぐらいの広さです。プラタナスの並木が美しい旧市街の目抜き通り、ランブラス通りに面して、斜め向かいには、ゆがんだ曲線が織りなす不思議な建物、世界遺産にも登録されたガウディ―のカサ・ミラが見えます。もともとは、実業家の依頼により建設された高級アパートでしたが、今では入場料を取って見学者を招き入れている数多くのガウディ―作品のひとつです。
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午後6時、町の気温を示す表示板は「18℃」。
バルコニーでビールを飲めるぐらいの季節になんとか間に合いました。
海は見えませんが、ランブラス通りのずっと先に地中海があることがわかっています。
それだけでも気持ちが軽やかになるのですから不思議なものです。

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By 池澤ショーエンバウム直美


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11月27日(火):ウサギも山羊もトリッパも
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:25| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月26日

大道芸人たちの町

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昼日中になれば町がまた賑わい始めます、ランチタイムの2時を過ぎる頃には、広場や大通りを、たくさんの人たちが実に楽しそうに歩きます。この「実に楽しそうに」というのは、かつて暮らしていたギリシャでも、この数年しばしば足を運んできたイタリアでもそうでした。マドリッドは内陸にありますからこんな言い方は妥当でないかもしれませんが、大雑把にくくれば、この「実に楽しそうに」というのが「地中海型マインド」のひとつではないかとも思えます。

「実に楽しそうに」歩く人たちの間には、たくさんの大道芸人たちもいます。一人だったり二人組だったりと形はいろいろですけれど、それぞれに趣向をこらした彼らの芸には度肝を抜かれることがしばしばです。

からだ中を金色に塗って微塵たりとも動かぬ像は、その芸に敬意を表した誰かが硬貨やお札を置いた時にだけ、目の動きで感謝を表します。

どうしてこんな姿勢を保っていられるのかと思うぐらいに不自然に傾いたままの人もいます。その隣では、フラメンコダンサーが美しく止まっています。あまりの見事さにお皿の中にお金を入れれば、その音を合図にくるりと180度向きを変えて、また不動の姿勢に戻りました。

どこからどう見てもからだと首が離れている人もいますし、大きな顔の下に小さなからだが続く、まるで不思議の国のアリスに出て来るような赤ん坊もいます。持っているコインを全部投げ入れたら、「キキキッ〜!」と人の声とも思えぬ奇妙きてれつな赤ちゃん言葉でお礼を言われた上に、投げキッスをされました。

絞首台のように生首が並んだ箱もあります。いったい彼らのからだはどこに隠れているというのでしょう。

インド人の修行僧のような若い男性の二人組は、一人が支える1本の棒の上でもう一人が座禅を組むというありえない姿です。まるで作り物の人形かと思えば、手のひらにお金を置いたとたんに、もう一方の手が動きます。

これら全てがリモコン操作の人形でも、機械仕掛けの人形でもなく、生身の人間たちなのです。

かと思えば、オペレッタが始まる前の劇場の入り口には、よく通る声でオペラの曲を歌い続ける初老の男性が立っていました。足元には帽子が置かれています。人々は眉をひそめるわけでも、さりとて拍手を送るわけでもなく、ごく自然の情景としてそれを受け容れています。お金を入れる人もいれば、素通りする人もいます。こうした「あっけらかんさ」もまた地中海的です。
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今や4人にひとりが失業とまで言われるほど経済的に逼迫したスペインですが、地中海的「実に楽しそうに」と「あっけらかんさ」がある限り、何とか乗り切っていけるのではないか、そんな気もします。

昨日、時速300キロの特急列車AVEで、マドリッドからバルセロナに移りました。
今日、ゴシック地区に出かけたら、カテドラル前で、大きな羽を前に天使になる途中の女性を見かけました。銀色の顔に、銀色のかつらを載せて鏡を見ているところです。できあがったが最後、彼女もまたピタリとも動かぬ天使像になるのでしょう。
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By池澤ショーエンバウム直美


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11月24日(土):オリーブ、オリーブ、またオリーブ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:46| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月24日

言葉はわからなくても〜サルスエラ国立劇場のオペレッタ

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昨日23日は、「サルスエラ」と呼ばれるスペイン風オペレッタ「El Juramento」の初日でした。スペイン語はまるでわかりません。それでも、視覚と想像力で補いながら歌を聞くのもまた一興。それに、王立劇場と並んでマドリッドを代表すると言われる「サルスエラ国立劇場」は、私たちのホテルから歩いて行けます。

昼間のうちにチケットを買って、8時の開演間近に再び足を運べば、すでに外も内も華やかな賑わいを見せています。ミラノのスカラ座のような大きさも、圧倒的な重厚さもありませんけれど、案内されて席につけば、背筋がピンと伸びて、開幕前のあの緊張感がやってきます。

舞台に向かって右側と左側のボックス席には、タキシードを着た男性が、肩を出したドレスの女性をエスコートする姿も見られれば、家族連れの姿もあります。子供たちまでが大人の場で舞台を見るというのも、ミラノやウィーンでよく見られた光景です。
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フォーマルな装いの女性たちはやはり黒が多く、肩や腕や胸元を上品に露出させています。かと思えば、ジーンズにブーツの若者たちもいますし、ごくふつうの服装の人たちもいます。そんな自由さがまた、この町の魅力なのでしょう。

オペレッタ「El Juramento」は3幕、時間にして約3時間。歌もせりふもスペイン語ですが、歌の部分にだけスペイン語の字幕が出ます。と言ったって、耳で聞くのもわからなければ、字幕だって理解できません。でも、どうやらマリアという一人の美しい女性を巡る男たちの物語だということぐらいはわかりますし、その衣装や、工夫された演出、オーケストラの奏でる音楽と、歌手たちの朗々たる歌声だけでも心は躍ります。時に、まるでカルメンでも出てきそうな、いかにもスペインらしいメロディーが流れたりもします。

舞台は白と黒だけの単純な装置ですし、衣装もまた全て白と黒だけです。けれども、3箇所だけ、鮮やかな赤が登場する場面がありました。最初の赤は、幕が上がる前に、透けた幕の向こうで一本道を歩いてくる少女の赤いカーディガンです。手から離れてしまった凧を追う少女の服装は、この作品の時代には全くそぐわぬ現代の姿です。

二番目は、戦場から傷痍の男たちが持ち帰った大きな赤い旗でした。
そして最後は、幕が閉じて、次にまた幕が上がり、登場人物全員が並ぶ間にいつの間にか立っていた、あの赤いカーディガンの少女です。少女の手には今度はしっかりと凧糸が握られていました。見事な演出です。

1858年、この作品が書かれた時代には、短いスカートの赤いカーディガンの少女は登場しなかったことでしょう。

ちなみに、「La Zarzuela」は、「誓い」という意味だそうです。
三角関係も落ち着いて、最後には恋人同士が愛を誓いあうからなのでしょうか。
言葉は皆目わからなくとも、そんな風に想像力を働かせながらの、十分に楽しい3時間でした。

By池澤ショーエンバウム直美


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11月23日(金):突然現れたキャンディーの国

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:09| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月23日

マドリッドの長い夜

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今は金曜日の朝7時半。ホテルの部屋の大きな窓から見下ろす広場はまだ真っ暗です。時折、人がよぎり、車が走り、ほとんど乗客も乗っていないようなガラガラバスが広場をまわります。

同じ暗さでも、7時間前の真夜中には、道は人であふれていました。ずらりと並ぶレストランやバルからも賑やかな声があふれ出します。ここでは、時間の流れ方が全く違います。そして、いくら新入りとは言え、私たちもそれに合わせなければこの町と一緒に暮らしていけません。

「11時ね、そろそろ食事に出ましょうか。」

これは一昨日の夜、長年マドリッドに住む旧友の家で、おしゃべりに花を咲かせた後で、彼女が言った言葉です。

昨夜もそうでした。ヘミングウェイもよく顔を出したという「セントラル」のウィンドウに見つけた「Ben Sidran Quartet」ライブの案内に惹かれて、開始時間の9時ちょっと前に行ってみれば、すでにして店内は満席です。ウェイティングの列に加わって何とか隅っこに座ることのできた私たちはラッキーでした。ピアノ、サックス、ベースとパーカッションで熟成された大人のジャズを奏でる、このアメリカのカルテットはなかなかのものでしたから。

いつまでも残る余韻の中で、私たちが賑わう広場を下って行ったのはやはり11時でした。セビリアの西、ポルトガルとの境で獲れるという白エビ料理が人気のレストランに入れば、あちこちのテーブルで、人々が長い夜を楽しんでいます。平日だろうが休日だろうが関係なしに、夜は長いのでしょうか。

卓越した技巧で私たちをうならせたピアニストが、昨夜のライブで言いました。
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We don’t walk through time.
Time walks through us.
Expect all the gifts that time brings.

僕たちが時間の中を歩いて行くんじゃない。
時間が僕たちの中を歩いて行くんだ。
時間がもたらしてくれる贈り物を楽しもうじゃないか。

8時、ようやくうっすらと外が明るくなり始めました。

By池澤ショーエンバウム直美


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11月23日(金):突然現れたキャンディーの国
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:53| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月22日

マドリッドの秋〜また来ればいいのだから

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一夜明けて、まず足を向けたのはプラド美術館です。美術館というのはけっこう疲れるもので、お馴染みの絵の前にたたずんだりしながら、一つの部屋から次の部屋へといくつもの部屋を回るうちに、時間はどんどんと流れ、流れる時間に比例して足腰も目もくたびれていきます。

スペイン王室のコレクションを中心に、およそ200年前に開館したというこの美術館の所蔵点数は今では3万点を超えると言います。とうてい全部の部屋を訪れることはできず、「また来ればいいのだから」という言い訳と共にそこを後にしたのは、かれこれ4時間もたった頃でしょうか。

プラドの周りも、そこからつながるレディーロ公園もまた、先日過ごした日光のように、柔らかな晩秋の光を浴びて、美しい紅葉のなごりを見せていました。けれども、木の種類が違えば、織りなす色合いも違います。ワシントンの紅葉とも、日光の紅葉ともまたちがう、黄色味の多いマドリッドの秋でした。

もう随分昔のこと、私たちは歩き始めるようになったギリシャ生まれの娘を連れて、ギリシャ人たちとの団体旅行で、ここスペインにやってきました。カタコトのギリシャ語を話す小さな子は、賑やかな彼らの中でたちまち人気者となりました。大勢でぞろぞろと歩く時にはいつも「ギネストラベル」の旗を持って、ガイドのお兄さんと一緒に先導役になりました。集合時間になれば、大きな声で「ギネ〜ス!」と叫ぶのも、小さなガイドさんの役目でした。

アテネからバルセロナへ、そしてセルヴィア、グラナダ、コルドバを回って最後にやってきたのがこのマドリッドの町、そしてプラド美術館でした。ほかのみんなが大急ぎで見てまわる間、私は美術館の前で、離乳食のような瓶から小さな口にスプーンを運び続けていました。食の細い娘に何とか食べさせようと一生懸命だったのです。そんな光景が、娘のキャッキャッという笑い声と一緒に、今、一枚の絵のように浮かび上がります。

「いつかまた来ればいいのだから」とスプーンを持って、プラドの入り口の向こう側の世界を憧れと共に思い描く、若い母親でした。好きな物を好きなだけ見ることができる今よりも、それは幸せな時代だったかもしれません。

By池澤ショーエンバウム直美


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11月22日(木):初日からシエスタ(お昼寝)文化

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:35| Comment(0) | スペインライフ

2012年11月21日

巡り巡る季節の中でフランクフルト空港より

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「昼夜の温度差、程よい湿度と陽光が色を磨く」というのは、日本を発つ前々日の天声人語の言葉です。紅葉は山海の恵みにも似て、はしり、さかり、なごりの各段を踏むと言いますが、私たちが先週末に訪れた日光の山は、そんな三段跳びにたとえれば、「なごり」でしたでしょう。

それでも晩秋の冷気の中で、木々に、大地に散りばめられた色は十分に美しく、何があろうと、まるで何もなかったかのように巡り巡る季節の前では、風の一吹きにも揺らぐ私たちの心がやけに寄る辺なく思えます。

早朝に発ってフランクフルトに来ました。日本時間からマイナス14時間のアメリカ東海岸時間へ、そこからまた日本時間へ、そして今度はマイナス8時間のヨーロッパ時間へと、短い間の移動の連続は、私の体内時間を混乱させたまま、上手に眠れない夜が続きます。もともとの天然ボケに年がら年中の時差ボケが加わって、何だかフワフワと漂っているようです。

けれども、たぶんそのうち、マイナス+マイナス=大きなマイナス ではなくて、マイナス×マイナス=+ に転じる日だって来るかもしれません(笑)。

フランクフルト空港の、人影もまばらな薄暗いA1ターミナルで、マドリッド行きの飛行機を待っています。待ち時間は約3時間。それだって良い方です。スペインの首都に行くにも、ギリシャの首都に行くにも、日本からは直行便がありません。どこかの空港で乗り換えなければならないのですが、その分、目的地に到着するまでの無駄な時間が多くなります。ギリシャに飛ぶのに、ミラノ空港で7時間待たされたこともありました。

しばらくはスペインです。
再び日本に戻る頃には、紅葉のなごりも過ぎて、季節はすっかり冬になっていることでしょう。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月19日(月):うっすらピンクのサーモンムース
11月20日(火):簡単?めんどう?サーモンムース


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2012年11月18日

同じ日、同じ場所に再び集えたこと

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みんなで50代の忙しさにかまけているうちに、あれよあれよと年月ばかりが過ぎていき、だいぶ間があいてしまった大学の同窓会がようやく開かれたのは、11月11日のことでした。幹事たちがどうせなら覚えやすいようにと選んだこの日付、当初は11月11日11時だったのですが、遠方からくる級友たちのことを思い、最後の11が12になりました。

もともとが少人数の小さな大学です。私たち英文科は他の学科に比べればまだしも大きい方でしたが、それでもたったの30名です。うち一人は台湾からの留学生でしたし、一人は留年をして下のクラスにやってきた年上の人でした。

すでに2名は亡くなりましたし、一人は国際結婚をしてドイツに、もう一人はカリフォルニア住まいです。1が4つ並んだその日に、長いテーブルを囲んだのは14名でした。

不思議なもので、いかに年月がたっていようとも、一目で誰かはわかります。仮に一瞬とまどったとしても、一声聞きさえすればすぐさまあの時代に舞い戻り、今の名前などおかまいなしに旧姓で呼び合います。

シニアの人たちにパソコンを教えている人も
ウォーキングのNPOを立ち上げた人も
プロの翻訳家として活躍している人も
翻訳会社を作ってしまった人も
大学の先生も
予備校の先生も
家裁の調停員も
36年の教員生活にピリオドを打って庭仕事を楽しむ人も
俳句を始めた人も
「老後っぽい生活をしています」、と冗談交じりで語る人も
「子供の母でない、主人の妻でない生活を楽しんでいます」、と明るく言う人も。

14人14様ですけれど、笑顔とユーモアの後にはみんな苦労がありました。いえ、今だってまだ終わったわけではありません。家族の病気、自分の病気、親の介護や子供との確執、仕事の問題だってあります。でも、まっすぐの優等生だったあの頃よりは、みんなずっと素敵になりました。成績を気にすることもなく、人と点数を比較されることもなく、みんな一番、自分は自分です。

友が言いました。

「本当に大変な状況にあったならここには来られない。自分が恥ずかしかったらみんなには会えないし、会費が払えなかったらここには来られない。いろいろ考えれば、同じ日、同じ場所に再び集えたということは、とてもありがたいこと、いかに恵まれたことだろうかと思う。」

本当にそう思います。
みんなで突っ張り合っていた学生時代もそれなりに楽しいものでしたけれど、同じ時代を生きてきた友との間に漂う何とも言えぬ愛おしさは、また格別です。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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11月18日(日):一串150円の焼き椎茸と季節外れのかき氷

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2012年11月16日

銀河鉄道から流れ星へと〜銀座のショーウィンドウ

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「ショーウィンドウとは?」という問いに、和光のデザイン部長の武蔵さんはこうお答えになりました。

「展示や陳列のディスプレーだけではなく、ショーウィンドウとはストリートシアターです。町の床の間であり、おもてなし空間であり、都市の中の小宇宙。それがたとえひとつひとつの店の顔であっても、連なれば町独自の表情になります。そして、銀座こそがショーウィンドウのメッカです。」

「たとえば、ロンドンのハロッズには67ものウィンドウがあり、ひとつひとつにその番号が付けられています。ショーウィンドウの前には柵があり、人々はそれを見るために柵の手前で足を止め、しばしの時を過ごし、また別の番号へと移動します。」
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銀座の町には今現在239のショーウィンドウがあると言います。それは世相を反映するかのように顔を変えます。たとえば、物は少なくインパクトは強くという時代から、1980年には華やかさやエンターテインメント系のディスプレーになり、1990年になるとエコを念頭においた社会的なものが多く見られるようになります。

和光ひとつをとってみても、漢字1語によって表されるテーマは、時代とともに変遷しています。育、顔、清、巡、謎、幹、影、甘、掴、戯、紋、共、展、多、咲、有、繁、、膨、答、待、兆、鍵、実、、、、、、

ところで、同じ中央通りに面して、和光と並ぶ銀座のシンボルとも言うのが、ミキモトのショーウィンドウです。ここは、和光とは対照的に、ガラスの向こう側ではなくこちら側、開かれた外気の中でディスプレーされます。

今年もまた、大きなモミの木が3千個ものLEDライトをつけて、銀座の町を照らしています。10日に点灯式が行われたというこのクリスマスツリーは、今年で35本目。12月25日のクリスマスまで道行く人々の足を止めた後には、例年のように、公募で選ばれた公共施設に寄贈されます。輸送や植樹にかかる全ての費用はミキモトが負担をします。

今年のクリスマスツリーには、まるで流れ星のように、大きな真珠のネックレスが走っていました。根元にはこんな言葉が書かれています。

「『こころを贈る』
 『1年間ありがとう』『来年も元気で』『あの時はごめんなさい』『いつも思っています』、、、、この季節、贈りたいのは自分の素直な気持ち。その思いはキラキラと宝石のように輝いています。大切な人へまっすぐ届きますように。真心や笑顔、優しい時間という、かけがえのない贈りもので世界中が満たされますように。そんな願いを込めてミキモトは今年も煌めきます。」

銀河鉄道から真珠の流れ星へと、今年もまた、銀座に優しい時間が流れます。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月14日(水):東京タワーの足元の「とうふ屋うかい」で同窓会
11月15日(木):「とうふ屋うかい」のお献立 竹
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 02:26| Comment(0) | 銀座

2012年11月14日

銀河鉄道と双子の女性〜和光のショーウィンドウ

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帰って来たら、ちょっとの間に、ここもまた、深まる秋でした。大学前の銀杏並木はまだ緑の葉をつけてはいるものの、まっすぐに伸びた桜並木を歩けば、足元にはかさこそと赤や黄色の葉が音を立て、見上げればそこここに秋色が映ります。

こんな美しい季節には走り足など全く似合わないのに、私は様々な用事や約束事に奔走しています。またすぐに旅立たねばなりません。

中央区の講座「銀座学」を受講しました。「ショーウィンドウが彩る銀座」というタイトルは、この時期まさにタイムリー、そして和光デザイン部部長の武蔵淳さんのお話も、時差ボケなどすっ飛ぶぐらいに面白く、ぐいぐいと惹き付けられるものでした。

寄り道をしないで帰るつもりでしたのに、外へ出れば夜とは言え、コートもいらないほどの暖かさ。アメリカで買ってきたばかりのショートブーツの履き心地があまりに心地よいことも手伝って、築地から勝手知ったる銀座の町を歩いてみたくなりました。学んだことを実際に目で確かめてもみたかったのです。

今宵学んだことはたくさんあります。

銀座4丁目の交差点に建つ銀座のシンボルともいうべき和光には、中央通りに面して間口8メートルのショーウィンドウがあります。そして、古い歴史を持つ時計塔と同じく、このウィンドウもまた銀座のシンボルです。

教えていただいたショーウインドウのコンセプトや、銀座の町におけるショーウィンドウの役割、和光が辿って来たショーウィンドウの歴史等、私だけの中に留めておくにはあまりにもったいないことがたくさんあります。けれども、明日はまた早起きして出かけねばならぬ身、今夜は、まずお伝えしたいところだけで終わります。

明日になれば、和光のウィンドウには銀河鉄道が走り、その後ろにも足元にも天の川がかかり、双子の女たちは、ひとりは棍棒、ひとりはハープを持ち、道行く人たちに何かを訴えようとしていることでしょう。予定ではあと4時間、14日の午前5時には完成しているはずです。

年に8回変わるというショーウインドウの今回のテーマは、武蔵さんによれば、双子座の二人と銀河鉄道が表す「つながりの世界観」です。

「僕はこれから現場に戻ります。そのためには明日の朝5時まで体力を持たせなければなりません。銀座は目の肥えた方々が集まる町、気を抜くことは許されません。」

という最後の言葉と共に足早に講演会場を後にした武蔵さんの、なんと爽やかな後姿だったことでしょう。

写真は、午後8時45分のショーウィンドウです。7時に閉店してから翌朝の開店時間までに全ての作業を終わらせて、何事もなかったかのようにお客様をお迎えしなければなりません。この時間もまだ作業のまっただ中でしょう。
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銀座はやっぱり特別な町です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月12日(月):ちょっと気が早いクリスマスのお皿たち
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:30| Comment(0) | 銀座

2012年11月12日

たった一つの出会いから〜エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーの物語

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ひとつの言葉が別の言葉へと繋がって
ひとつの思い出は別の思い出へと繋がります。
まるで連歌のように。

サンドラ・デイ・オコナーというアメリカの「傑出した女性」について書いている途中で、私の頭の中を何回かよぎったのは、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレー(Edona St.Vincent Millay)という詩人のことでした。彼女もまた、ある意味で「傑出した女性」でした。

9月の初め、私たちはメイン州バーハーバーから、いくつもの小さな町や村を抜けて海沿いに南へと走りました。最後の目的地はロックランドでした。

1892年、ロックランドの貧しい家庭で、エドナという女の子の赤ん坊が生まれました。父親は漁師でしたし、母親は洗濯屋でした。小さなエドナは成長して、女性詩人として初めてのピュリッツァー賞の受賞者、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーとなりました。今ではその名前を知る人も少ないでしょうが、20世紀前半には最も人気のある詩人のひとりだったと言います。

これは、その昔、エドナの妹がウェイトレスとしてアルバイトをしていたカムデンのホテルのロビーです。いつしか姉のエドナも妹を手伝って、ホテルのお客様のおもてなしをするようになりました。まだ16、17歳、高校生の頃でしょう。彼女は、ピアノを弾き、自分の書いた詩を読みました。
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そこには、暑さから逃れて夏を過ごすニューヨークやボストンの富裕層たちが滞在していました。その中のひとり、ニューヨークから来ていたお金持ちの婦人が、エドナの詩に心を打たれ、驚くような申し出をしたのです。

「私が学費と生活費の全てを出すから、あなたは好きな大学で勉強をしなさい。」

これは、大学で学ぶことなど考えられもしなかった境遇のエドナにとっては、まさに夢のような話でした。エドナは名門、Wasser大学を選び、そこで最高の教育を受ける機会に恵まれます。そして後に社会に影響を与えることになるようなたくさんの人たちに出会います。卒業後は故郷に戻らずグリニッジヴィレッジで暮らすようになった彼女の才能はますます輝き、多くの詩を発表します。

初めて会った少女の才能を信じて、無償の助けを申し出たこのご婦人がいなければ、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーという詩人は存在しなかったことでしょう。夫がぽつりと言いました。

「No one would do that today.」

今でも、高校生の彼女が自作の詩を読んだ小さなホテルの部屋は、「エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーの部屋」として保存されています。彼女が弾いたピアノに誰でも触れることができ,そこで育まれた芸術と夢と善意が、100年たった今でも部屋の中に漂います。
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これは、その壁にかけられた、215行にも及ぶ彼女の代表的な詩「Renascence」の最初の4行です。
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All I could see from where I stood
Was three long mountains and a wood;
I turned and looked the other way,
And saw three islands in a bay.

私がそこから見ることができたのは
連なる3つの山々と森
振り返れば
湾に浮かぶ3つの島

カムデンの町の小さな古本屋で、偶然にもエドナの詩集を何冊か見つけました。今ではなかなか買うことができない本です。そして、何とその1冊は初版でした。そして別の1冊には表紙を開けると様々な字体のたくさんの名前が書かれていました。おそらく、結婚や出産などのお祝いに、友人たちが連名で誰かにプレゼントをしたものなのでしょう。
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こうして、我が家の本棚には、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーという、今ではあまり思い出す人もいなくなってしまった女流詩人の詩集が5冊も並ぶことになりました。もう少し余裕ができたら、毎日少しずつでも読んでみたい、、、私のウィッシュリストの新項目です。

By 池澤ショーエンバウム直美

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11月11日(日):鳩とオリーブのランチョンマットに一目惚れ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:49| Comment(0) | 本、映画、コンサートなど

2012年11月10日

アメリカで最初の女性最高裁判事 サンドラ・デイ・オコナーという女性

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(1)、(2)に引き続いて第三弾は、セレモニーの後に開廷されたアメリカ最大のケーブルテレビ運営会社、コムキャストの価格設定をめぐる口頭弁論の模様などを書くつもりでしたのに、傍聴席に見つけたある女性が気になって調べているうちに、あまりに面白くて夢中になってしまいました。ということで、本日は予定外の差し込みです。

彼女の名前は「Sandra Day O’Connor(サンドラ・デイ・オコナー)」、アメリカ人ならおよそ誰でもが知る、合衆国最高裁判所で最初の女性判事です。そして、引退をした判事たちの中で、存命する3人のひとりです。51歳から75歳までの24年間、名判事として多くの案件を手がけたオコナーは、現在82歳です。

傍聴席にいたその女性はテキサスで生まれ、スタンフォード大学で経済学を学んだ後、同大学のロースクールに移り、卒業後はスタンフォードの「Law Review」の編集長をしていました。若い時の彼女が美しかったように、齢82歳の彼女もまた凛とした存在感を放っています。

オコナーは1952年、22歳で結婚、3人の息子に恵まれます。結婚後もアリゾナ州の弁護士として活躍し、1981年7月にレーガン大統領により最高裁女性判事第一号に指名されました。彼女についてのWikiには7月6日のレーガン大統領の日記が公開されています。
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"Called Judge O’Connor and told her she was my nominee for supreme court. Already the talk is starting and from my supporters, Right to Left people say she is pro abortion. She says abortion is personally repugnant to her. I think she’ll make a good justice."

(オコナー判事を呼んで最高裁判所判事に指名したことを告げた。私の支持者たちは、彼女は妊娠中絶に賛成していると言う。彼女は個人的には中絶は嫌いだと言っている。私は彼女が公平な判断のできる人だろうと思う。)

つまり、「法の上では認めるけれど、個人的には好ましいと思わない」という彼女の姿勢が、大統領をして公私をわきまえた判断のできる人だと思わせたのでしょう。

その7年後、オコナーは乳癌の手術をすることになります。以来、2006年に公職を引退するまでのおよそ17年間を、病の再発への不安を抱えながら任務を果たします。引退を決めて、時の大統領ブッシュに直筆で手紙を書いたのは2005年7月1日のことでした。
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「親愛なるブッシュ大統領へ
私の後継者の指名が確認され次第、現職を引退したいという私の決意についてお知らせします。」

7月19日、ブッシュ大統領がオコナーの後継者として指名したのは、現在のチーフジャッジ(長官)であるジョン・ロバーツでした。これをオコナーは釣りの旅から帰る車の中のラジオで聞いたと言います。そしてそれを最高の選択だと思う反面、後任判事が女性でないことに失望も覚えます。

ところが、ここでちょっとしたハプニングが起こりました。現職にあったチーフジャッジが急死したのです。ブッシュの筋書きが狂い、後任になるはずだったロバーツは、亡くなった長官の後釜に据えられ、新たにサミュエル・アリートがオコナーの後任として指名されました。

そんな経緯を経て2006年にオコナーが引退をした時、夫はすでにアルツハイマーを患っており、ほどなくして2009年に死去しました。

オコナーは語ります。「私が病気にならなければもっと長く、おそらく残る生涯の全てを最高裁の判事として勤め上げたことでしょう。道半ばでの引退は遺憾でしたが、おかげで夫の最後の時間を一緒に過ごすことができました。」

オコナーは、ご主人が亡くなった年に、オバマ大統領よりアメリカで最も名誉あるとされれる「Presidential Medal of Freedom」を授けられました。
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現在、82歳のオコナーは旅を楽しみ、家族と過ごし、最高裁判所の歴史を執筆し、ロックフェラー財団の理事をし、そして時としてあの日のように、以前とは別の場所から裁判を傍聴しています。

その心に去来するのはどんな思いなのでしょう。
アメリカが生んだ傑出した女性のひとりです。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月10日(土):どうしたものでしょうかねえ、ペカンパイ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:25| Comment(2) | アメリカライフ

2012年11月09日

最後に思い出すのは〜アメリカ最高裁判所日記(2)

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アメリカ合衆国の最高裁判所には9名のジャッジ(判事)がいます。意外だったのは、あの壮大な建物に9名しかいないということでした。しかも彼らには定年というものがなく終身制です。つまり、大統領に指名され、最高裁判所判事に任命された時から、在任中に死亡したり、犯罪を犯したりしない限り、自らが引退を決めるまではずっとその職にあるのです。

別の面から言えば、最高裁の判事になりたい人にとっては、かなりの狭き門ということになります。空席ができない限りは機会がないのですから。

もし引退したとしても、65歳以上の年齢に在職年数を足したものが80を満たせば「シニア・ステイタス」と呼ばれる特別な資格が付与されて、現役時と同額の報酬と共に、秘書やロークラークを雇う権利が与えられるというのですから、それがどんなに特別なポストであるかがわかります。

現在は9名のうち3名が女性です。
年齢は54歳から81歳、在任期間は5年から29年です。
法廷では、期間の短い判事から順に、こちらから見て左側の椅子に座ります。
一番左の2名を指名したのはオバマ大統領ですし、一番右の2名を指名したのはレーガン大統領でした。

先の「シニア・ステイタス」のルールに照らしてみれば、現職の9名中5名の判事が、すでに「シニア・ステイタス」、つまり生涯保障を受ける権利を有しています。

それだけではありません、いえそれだからでしょうか。
「Your Presidents」の本の隣に「Your Supreme Court Judges」などという本が並ぶぐらいに、それは名誉ある職業のようです。
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さて私たち、総勢6名は、法廷での承認式が行われる前に、いくつもの検問といくつものドアを通って、まるで大奥のような一角の大きなオフィスに通されました。そこがクラレンス・トーマス判事のセクレタリーとクラークの執務室、そしてそこから内扉で続いているのが判事の部屋でした。
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9名のうち唯一のアフリカ系黒人であるトーマス判事は、私たちの1人1人と握手を交わし、大きな体によく似合う大きな声で豪快に笑う方でした。主役のジェシカばかりでなく、スポンサーにもゲストにも言葉をかけ、時に共通の知り合いの近況などで盛り上がったりするかと思えば、私たちのちょっとしたユーモアに大笑いし、また自分で言った言葉にも大笑いをしながら、私たちの緊張をほどきます。

「いいねえ、今日は。みんなで一緒に写真を撮らないか。
 あ、そうか、ここはカメラの持ち込み禁止だったね。ワハハハ。」

「東京から? どのくらいのフライトタイムなの?」

「はい、行きと帰りで多少違いますけれど、14時間ぐらいです。おかげで映画を4本も楽しむことができます。」

「4本も! そりゃいい、ワハハハ。」

こんな具合です。もちろんその端々に最高裁バーメンバーとしてデビューをする若い弁護士に向けてのメッセージをさりげなくはさみます。

フレンドリーなのは判事のお人柄だけではありません。そのオフィスの様子もそうでした。大きな机の上には十字架とキリストの像が置かれ、右側の書架にはぎっしりと法律の本、その上にはリンカーンの胸像、左側の書架にはたくさんのフットボール。その楕円形のボールの表面にはいくつものサインが書かれています。おそらくトーマス判事は学生時代にはフットボールの選手だったのでしょう。そしてボールを取り巻くように並んでいるのが、何枚ものご家族の写真なのです。しかもこんな大きなラベルまで貼ってあります。
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私たちが座るソファーの前のテーブルにはロリーポップ(棒つきキャンディー)のバスケット。アメリカに9名しかいない名誉ある最高裁判事の部屋が、そんなセッティングなのです。「トーマス判事!」ではなく、思わず「クラレンス!」と呼びかけたくなるような。

最後まで笑い声を絶やさなかった判事は、私たちを廊下に出て見送ってくれました。そして、その30分後には、法廷の檀上に黒い法衣を着た厳粛な姿で登場しました。

判事のオフィスのプレートに刻まれていた文字が強く心に残っています。最後に思い出すのは敵の言葉ではなく、友人の沈黙、、、、、、、キング牧師の言葉です。

In the ends we will remember not the words of our enemies,
but the silence of our friends.


By 池澤ショーエンバウム直美

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11月8日(木):アラバルデロ〜スペイン政府も一押しのレストラン?(前篇)
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 00:33| Comment(0) | アメリカライフ