2012年11月16日

銀河鉄道から流れ星へと〜銀座のショーウィンドウ

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「ショーウィンドウとは?」という問いに、和光のデザイン部長の武蔵さんはこうお答えになりました。

「展示や陳列のディスプレーだけではなく、ショーウィンドウとはストリートシアターです。町の床の間であり、おもてなし空間であり、都市の中の小宇宙。それがたとえひとつひとつの店の顔であっても、連なれば町独自の表情になります。そして、銀座こそがショーウィンドウのメッカです。」

「たとえば、ロンドンのハロッズには67ものウィンドウがあり、ひとつひとつにその番号が付けられています。ショーウィンドウの前には柵があり、人々はそれを見るために柵の手前で足を止め、しばしの時を過ごし、また別の番号へと移動します。」
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銀座の町には今現在239のショーウィンドウがあると言います。それは世相を反映するかのように顔を変えます。たとえば、物は少なくインパクトは強くという時代から、1980年には華やかさやエンターテインメント系のディスプレーになり、1990年になるとエコを念頭においた社会的なものが多く見られるようになります。

和光ひとつをとってみても、漢字1語によって表されるテーマは、時代とともに変遷しています。育、顔、清、巡、謎、幹、影、甘、掴、戯、紋、共、展、多、咲、有、繁、、膨、答、待、兆、鍵、実、、、、、、

ところで、同じ中央通りに面して、和光と並ぶ銀座のシンボルとも言うのが、ミキモトのショーウィンドウです。ここは、和光とは対照的に、ガラスの向こう側ではなくこちら側、開かれた外気の中でディスプレーされます。

今年もまた、大きなモミの木が3千個ものLEDライトをつけて、銀座の町を照らしています。10日に点灯式が行われたというこのクリスマスツリーは、今年で35本目。12月25日のクリスマスまで道行く人々の足を止めた後には、例年のように、公募で選ばれた公共施設に寄贈されます。輸送や植樹にかかる全ての費用はミキモトが負担をします。

今年のクリスマスツリーには、まるで流れ星のように、大きな真珠のネックレスが走っていました。根元にはこんな言葉が書かれています。

「『こころを贈る』
 『1年間ありがとう』『来年も元気で』『あの時はごめんなさい』『いつも思っています』、、、、この季節、贈りたいのは自分の素直な気持ち。その思いはキラキラと宝石のように輝いています。大切な人へまっすぐ届きますように。真心や笑顔、優しい時間という、かけがえのない贈りもので世界中が満たされますように。そんな願いを込めてミキモトは今年も煌めきます。」

銀河鉄道から真珠の流れ星へと、今年もまた、銀座に優しい時間が流れます。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月14日(水):東京タワーの足元の「とうふ屋うかい」で同窓会
11月15日(木):「とうふ屋うかい」のお献立 竹
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2012年11月14日

銀河鉄道と双子の女性〜和光のショーウィンドウ

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帰って来たら、ちょっとの間に、ここもまた、深まる秋でした。大学前の銀杏並木はまだ緑の葉をつけてはいるものの、まっすぐに伸びた桜並木を歩けば、足元にはかさこそと赤や黄色の葉が音を立て、見上げればそこここに秋色が映ります。

こんな美しい季節には走り足など全く似合わないのに、私は様々な用事や約束事に奔走しています。またすぐに旅立たねばなりません。

中央区の講座「銀座学」を受講しました。「ショーウィンドウが彩る銀座」というタイトルは、この時期まさにタイムリー、そして和光デザイン部部長の武蔵淳さんのお話も、時差ボケなどすっ飛ぶぐらいに面白く、ぐいぐいと惹き付けられるものでした。

寄り道をしないで帰るつもりでしたのに、外へ出れば夜とは言え、コートもいらないほどの暖かさ。アメリカで買ってきたばかりのショートブーツの履き心地があまりに心地よいことも手伝って、築地から勝手知ったる銀座の町を歩いてみたくなりました。学んだことを実際に目で確かめてもみたかったのです。

今宵学んだことはたくさんあります。

銀座4丁目の交差点に建つ銀座のシンボルともいうべき和光には、中央通りに面して間口8メートルのショーウィンドウがあります。そして、古い歴史を持つ時計塔と同じく、このウィンドウもまた銀座のシンボルです。

教えていただいたショーウインドウのコンセプトや、銀座の町におけるショーウィンドウの役割、和光が辿って来たショーウィンドウの歴史等、私だけの中に留めておくにはあまりにもったいないことがたくさんあります。けれども、明日はまた早起きして出かけねばならぬ身、今夜は、まずお伝えしたいところだけで終わります。

明日になれば、和光のウィンドウには銀河鉄道が走り、その後ろにも足元にも天の川がかかり、双子の女たちは、ひとりは棍棒、ひとりはハープを持ち、道行く人たちに何かを訴えようとしていることでしょう。予定ではあと4時間、14日の午前5時には完成しているはずです。

年に8回変わるというショーウインドウの今回のテーマは、武蔵さんによれば、双子座の二人と銀河鉄道が表す「つながりの世界観」です。

「僕はこれから現場に戻ります。そのためには明日の朝5時まで体力を持たせなければなりません。銀座は目の肥えた方々が集まる町、気を抜くことは許されません。」

という最後の言葉と共に足早に講演会場を後にした武蔵さんの、なんと爽やかな後姿だったことでしょう。

写真は、午後8時45分のショーウィンドウです。7時に閉店してから翌朝の開店時間までに全ての作業を終わらせて、何事もなかったかのようにお客様をお迎えしなければなりません。この時間もまだ作業のまっただ中でしょう。
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銀座はやっぱり特別な町です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月12日(月):ちょっと気が早いクリスマスのお皿たち
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2012年10月11日

受け継がれた「銀座学」

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昨晩受講したのは、中央区民カレッジの「銀座学〜発信し続けるまち銀座〜」の第二回目でした。今回の「銀座学」は、「銀座で活躍する方をお招きして、最先端のIT技術や仕掛けられる様々なイベント、まちを彩るショーウインドウにスポットをあて、銀座の魅力を探ります。」がコンセプトです。
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全五回のテーマは、
第一回:銀座のまちづくり〜その歩みと現在〜
第二回:東京ユビキタス計画・銀座
第三回:銀座を舞台にイベント発信
第四回:ショーウインドウが彩る銀座
第五回:銀座らしい百貨店目指して

私は中央区民ではありませんけれど、銀座で仕事をしていた時代に区との連携講座などを開催していたご縁で、気持ちの上でかなりの部分が中央区民です(笑)。しかも、「銀座学」というのは、そもそもが私たち、恵泉銀座センターが始めた講座だったのです。

第一回目は、2006年9月、講師にお招きしたのは、銀座の長老、「ギンザのサエグサ」の三枝進社長でした。その後、途中で「新銀座学」と名前を変え、時に「大銀座学」などという大花火を打ち上げたりしながらも、私たちは3年間で、銀座老舗の社長や店主の皆様19名を講師として、ご自身の貴重な経験を通して、銀座の過去、現在、未来を、そして皆様の人生哲学を語っていただきました。
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実に面白い企画でした。この講義は録音され、原稿に起こされ「新銀座学」という1冊の本として出版されました。
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最後の講義が終わってセンターの扉が閉められ、しばらくたった頃、中央区から連絡がありました。

「池澤さんが企画していた『銀座学』ですが、私たちが同じ名前で引き継いでもいいでしょうか。」

いいも悪いもありません。いったん終わってしまった流れがまた動き始めるかもしれないのです。誰が反対を致しましょう。

そんな次第で、今や「銀座学」は中央区に引き継がれ、新しい視点で斬新な試みがなされています。今回の全5回を全部覗いて見たくとも、可能なのは3回だけ。それでも、教室のはじっこで、拝聴させていただけるのなら、企画人いえ種まき人冥利につきるというものです。

昨日の講義は、国土交通省と東京都の間で2006年に始められた「東京ユビキタス計画・銀座」についてのものでした。2012年現在、銀座には千か所以上も、スマホをかざせばその場所の情報が取れる箇所があります。また、スマホ向けアプリ「ココシル銀座」は、4千店舗以上の銀座の情報を、日本語、英語、中国語、韓国語で提供しています。
いつの間にかここまで時代に対応する努力をしていたのです。

「銀座学」もまた、私たちの手元を離れ、新たな息吹のもと、時代と共に発展しています。
銀座はやはりだんトツに面白く、魅力的な町です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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10月10日(水):お蕎麦の行く末 そして日本酒との邂逅
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2011年10月19日

銀座吉水閉店〜女将のヒッピー力

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 銀座3丁目に、たった11室ながら、大いなるこだわりを持って存在していた旅館がありました。そこそこのホームページはあるものの、宣伝広告費は一切なし。それでも、人づてに口から口へと伝わって、一昨年の9月には、テレグラフィック紙の「東京ホテルトップ5」の第二位にランクインしてしまいました。なんとマンダリンオリエンタルとリッツカールトンの間に挟まれての二位です。

 それが「銀座吉水」です。そして今の今まで、私は吉水がまだ銀座のあの場所に、あの竹がかぶる引き戸と共に存在していると思っていたのです。アメリカから来日する友人のために予約をしようと、そのホームページを見て、まさかの知らせを見つけるまでは。

 「誠に突然ではございますが、銀座吉水は平成23年6月30日をもちまして閉店することとなりました。」

 もしかしたら新聞などでも報道されていて、私ばかりが知らなかっただけなのかもしれませんが、信じられない思いばかりが先にたちます。

 2006年からの4年間、私は銀座の真ん中で仕事をしていました。今はなき「恵泉銀座センター」のコンサルタントとして、社会人のための講座の企画と運営に当たっていたのです。今思えば、随分面白い講座をたくさん開講できました。「まさかこんな方が?」と思えるような方々にも講師としておいでいただくことができました。中でも「銀座学」という講座は秀逸でした。講師は、地元銀座の老舗の社長さん方や店主の方々だったのですから。

 この講座の第14回目、2009年1月にお話をしてくださったのが、「銀座吉水」の女将、中川誼美さんでした。そして、全16回の講義を1冊の本として出版することになった時、ただ一人「NO」を唱えたのが中川さんでした。それは、「そうした形で表に出たくない」という、中川さんなりのこだわりでした。その結果、「新銀座学」(さんこう社、2009年12月)というユニークな本は、中川さん以外の15名の方々の講演集となりました。

 けれども、中川さんの講義は深く記憶に留まるものでしたし、その後も何度かお会いするにつけ、女将のこだわりには、誰にも邪魔されぬ太い筋が一本通っているのがわかりました。

 吉水の小さな客室には、冷蔵庫もテレビも電話もありませんでした。けれども、あの時だってマドンナの食事トレーナーが宿泊していましたし、ノーベル賞の受賞者だのアラブの大富豪なども常連さんでした。

「私たちはいっさい世話を焼かないんです。あえて何にも置いてません。自分で自分に付加価値をつけない限りは何にもないのと同じです。」

「ウチには白いお砂糖も白い粉も味の素も電子レンジもありません。でも、使っている素材は北から南まで私自身が走り回って見つけたものだけです。全部、作った人の顔を知っています。今でも、2〜3日で1500キロを走るなんてざらですよ。人様に乗せてもらうよりは自分でハンドルを握ってすっ飛ばしたほうが何倍も楽しいですからね。」

「結婚してすぐに住んだウッドストックが私の原点。私はヒッピーなの。」

 そんな女将の閉店の挨拶にはこんなことが書かれています。

「先日の東日本大震災直後の東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響を受けて、主たる顧客層のヨーロッパからの訪日外国人が激減したこと、そして今後も予想される事故の影響を考慮し、閉店という苦慮の決意を致しました。」

「東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて直ちに全ての予約がキャンセルとなり、その後は稼働率10%以下の日々が続きました。それは、私達が信じていた日本の技術力の高さと安全さが実際は無力に近く、一瞬で世界を恐怖に陥れてしまった瞬間を目の当たりにし、一企業経営者として考え方を改めさせられた日々でもありました。」

「銀座吉水」中川誼美女将こだわりのプロテストです。
 そしていまだに女将の中で生きている見事なまでの「ヒッピー力」です。
 大変残念ですが、拍手を送るしかありません。

By 池澤ショーエンバウム直美


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今週のグローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
10月16日(日):軍配はナポリタンにあり
10月17日(月):日曜日のピクニックランチ
10月18日(火):ティロピタキアでピクニック?
10月19日(水):インディアナでインディアン
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2010年11月16日

GINZA プレイバック

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 一年前の今頃は、毎日銀座に足を運び、仕事をしていました。季節の移ろいを、日々、「銀座」  という場所で感じていました。

 中央通りのミキモトの正面玄関の前には、その前の年も、前の前の年も、見あげるような大きなクリスマスツリーが飾られ、11月ともなればそこに三千個ものランプが灯されて、道行く人たちの足を止め、心を華やかに浮き立たせました。

 午前中、京橋で仕事を終えての帰り道、開放感にいざなわれて、突然銀座を歩きたくなりました。そこには、4年もの間見慣れた懐かしい光景が、変わらずに待っていてくれました。今年は先週の土曜日に点灯式が行われたようです。1976年以来、これで33本目。変わらずにいることは、もしかしたら、新しく変わり続けること以上に大きな力を必要とすることかもしれません。

 群馬県の嬬恋村から根がついたままで運び込まれた、この、高さ10メートルもの樅の木の樹齢は、約40〜50年といいます。これから12月25日のクリスマスの日まで、この木は銀座の街を彩り続け、道行く人たちの頬を光で染めた後、東京近郊のどこかの施設の庭の土に植えられて、今度はそこでさらなる樹齢を重ねます。

 銀座には、新しいものと古いものが、節度を持って混在しています。
 人で賑わうユニクロの前では、ゆっくりと、ゆっくりと、まるで時が止まったかのように、高野山のお坊様が托鉢を持ち、静かに経を唱えながら歩いています。動と静が、やはりまた、節度を持って共存しています。銀座はやっぱり素敵な町です。
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11月17日(水)予告:新漬けオリーブいよいよ登場
11月16日(火):生vsグリルの野菜対決

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2010年07月07日

雨の「七夕涼みビア・パーティー」

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「まあるい月が美しく輝く夜でした。天の川を渡って、織姫と彦星は1年ぶりの逢瀬を叶えたことでしょう。わし座のアルタイルと、こと座のベガ、二つの星を隔てる距離は16万光年と言います。1光年と言えば、光が1年かかって進む距離。その光の速さと言ったら、たしか1秒間に地球を7周り半。そんなことを小学校の理科の授業で習ったことを思い出しながら、織姫と彦星の遠距離恋愛の苦労について思いをめぐらしています。」

 という書き出しで始まったちょうど1年前のこの日のブログ、ということは、昨年は、恋人たちの再会に、月が明るく天の川を照らしてくれていたのでしょう。

 今年は夕方から振り出した雨が、降ったり止んだりを繰り返しながらも、結局は止むことがありませんでした。いったん川を渡りかけた二人は、何度も振り返りながら、それぞれの岸辺に戻って行ったことでしょう。

 そんな雨の七夕に、銀座の真中のビルの屋上庭園で 「七夕涼み ビア・パーティー」 が開かれました。

「昼間はヒートアイランドの銀座も、陽が落ちて街に吹き抜ける風は、格別の心地よさです。織姫with彦星が出会うごとく、銀座の星空を仰いでのんびりすごす銀座屋上BARタイム。お時間等は以下の通りです。お越しを心よりお待ち申し上げております。」

 ところが、せっかくの粋な招待状の筋書きがちょっと外れてしまいました。初めのうちはグラス片手に、大きなスクリーンに映し出される銀座の美しい映像を楽しみながら、和気藹々と、ネオンの間を吹き抜ける涼風を楽しんでいたのですが、、、、、

 ポツポツと降り始めた雨から守るためにPCやプロジェクターに覆いをかぶせ、お着物のお客様が濡れないように傘をさしかけながらの、屋上BARタイムとなってしまいました。

 それでも、開け広げたドアから入り込む夜風と、BGMの雨音のおかげで、室内に移った後も、気分はまだまだ屋上BAR。銀座に縁のある方々15名のこじんまりとしたパーティーでしたが、顔なじみの方々にもお会いできたばかりか、新たな出会いもたくさんあって、楽しい大人の宴となりました。

 銀座はやっぱり不思議な町です。
 ひとたび縁を結んだ者は、そこに帰るといつでも心が躍ります。

 そして、銀座はやっぱり大人の町です。
 ひとたび声をかければ、遊び心ある大人たちがすぐに集まります。

 所変わって我が家でも、週末に、大人たちが集まって、三日遅れの七夕遊びをします。
 昼間、ワインが2ケース届きました。
 一人1本なんて、いかに何でも多すぎるとは思いますけれど、七夕ですもの、織姫と彦星とカササギと、天の川の星たちのために、ちょっと気張ってしまいました(笑)。

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7月7日(水):アメリカTOFU事情
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2010年01月12日

目に見えないものなら?〜天賞堂事件雑感

g_p01.jpg 傘をさしたのはいったい何日ぶりだったでしょうか。冷たい雨の振る連休明けとなりました。予定していた仕事がキャンセルになって、どこかでホッとしたのも正直なところです。ぬくぬくと暖かい仕事部屋にとじこもって一日を過ごしました。

 「壁に穴 銀座で時計盗 高級品200点 3億円被害」
 こんな物騒な見出しの記事が朝刊に載ったのは、三が日もまだあけやらぬ3日のことでした。銀座という文字に引かれて読んでみればなんと 「天賞堂」 さんのことではありませんか。

 前日の午前中に、ビルの壁に開けられた穴から窃盗団が侵入し、地下一階のケースから高級腕時計が盗まれたという記事は皆様もよくご存知のことでしょう。そして、実行犯と見られる男3人が香港で逮捕されたという、その後の顛末についても。

 天賞堂の五代目社長、新本秀章社長にはご縁をいただいて、随分とお世話になりました。今はなき恵泉銀座センターで、銀座老舗の社長さん方を講師に迎えてお話を聞く 「銀座学」 という講座を始めた時、第6回目に来ていただいたのが新本社長でした。2007年4月のことでした。物静かにひとつひとつ言葉を選びながらお話しになられる新本社長だからこそ、その言葉のいくつかが今でも深く心に残っています。

 その4ヶ月後に、またしても新本社長のお話をうかがう機会がありました。私がインタビュアーをつとめていたフジサンケイビジネスアイ紙の連載記事にご登場いただいたのです。

 そして、つい一月前、私も編集委員の一人として出版に携わった 「新銀座学」 という本でも、13名の銀座を代表する方々の5番目に、新本社長がお話をされています。

 新本社長が語る天賞堂の創業以来の歴史、天賞堂の将来は、新本さん自身の銀座への思いと一緒に、「新銀座学 」で読み知ることができます。ですからここでは触れません。

 けれども、何度もお会いしてお話をお聞きする中で、特に私が感動した言葉を少しだけお伝えしたいと思います。とても新本さんらしくて、私の大好きな言葉です。

「しいて言えば、人間の生き方や、人生、本質などに興味があります。目に見えないものに興味があると言うのでしょうか。小学校4、5年生の時には、虫が大好きで自然科学にとても興味がありましたが、中学に入る頃にはすっかり忘れてしまいました。でも、またここ10年ほどで、自然科学に対する気持ちが復活しています。」

「今後、人間はどうなっていくのだろうか?ということに興味があるんです。人間の持つDNAの進化と科学の進化の速度の違いに関しては、素人の私でも科学は進みすぎていると感じます。人間の幸せに結びついていないと。『徳の起源〜他人をおもいやる遺伝子』 という本があります。私の愛読書です。人間の社会は単なる弱肉強食ではなく、他人や社会に良いことをすれば結局自分に戻ってくるということを、この本から学びました。」

 高級時計や宝石、鉄道模型と言う 「形」 のある物を扱うプロフェッショナルな方が、「目に見えないものに興味がある」 とさらりとおっしゃる、、、、、とても素敵です。

 そしてもうひとつ、こんな淡々とした仕事感も私は大好きです。

「私が今仕事をしているのは、ひとつは義務感です。130年続いたこの店を私の代で辞めてしまうのは、非常にもったいないと思いますし、100人足らずですが社員を雇用する義務があるとも思っています。リレー競争のランナーの気持ちと一緒で、自分に課せられた責任はできれば果たしたいという義務感を、かなりのプレッシャーとしてもっています。」

 天賞堂さんの時計は買えなくても、新本ファンの一人である私です。今回の事件には心を痛めて成り行きを見守っていました。たぶん次にお会いしたら、社長はいつもの哲学者風な面持ちでこんな風におっしゃるかもしれません。

「目に見えないものなら盗られずにすんだのに。」
 
(新銀座学:さんこう社発行)
(インタビューのWEB版:http://afresh.business-i.jp/taidan/2007/08/post_3c68.html
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2009年12月12日

Commencement〜卒業は始まり

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 昨日が今日のように晴れた日だったら、、、、、
 会場までの間を荷物を持って行き来するのも、ずっと楽だったのに、、、、、
 お客様だって冷たい雨に濡れずにすんだのに、、、、、

 昨日夕方から、銀座の一角で、恵泉銀座センターの 「お別れ会&出版記念会」 が開かれました。70名近い皆様が雨の中、足をお運びくださいました。これまでセンターで講座を開講してくださった講師の方々、新参者のの私たちを心よく迎え入れ、困った時にはいつも助けてくださった銀座の皆様、中央区役所の皆様、、、、、広島平和文化センター理事長のリーパーさんまで来てくださって、、、、、リーパーさんについてはどこかできちんと書かねばなりません。原爆が投下されたまさに広島で、平和への道を世界中に訴え続けているアメリカ人です。素敵な方です。

 予算も限られた私たちにできるおもてなしは、スタッフ全員が自らの手と足を使うことでした。メグミさんは果物を買い込み、自宅の台所で皮を剥き、四角に切り、大きな容器に入れて運んできました。カズコさんは片手に傘、片手に大きなポインセチアの鉢を提げて来ました。ジュンコさんは家にある紙コップや容器をたくさん持ってきてくれました。モッテさんは仕事帰りに百均に飛び込んで、割り箸や楊枝やナプキンを買い込んでくれました。キョウコさんは少しでも安くておいしそうなサンドイッチとお寿司のデリバリーを見つけて手配をしてくれました。そして私は、下北沢の鶏肉屋に3キロもの唐揚を頼み、車内で立ち上る匂いにたじろぎながら会場に運び入れ、家から持って行ったホームメードソースで和えました。まさに手づくりパーティーでした。

 雨の日のパーティーの定番切り出し文句と言えば、「雨降って地固まる」 でしょう。けれども、扉を閉めるための集まりには決してふさわしいとは言えません。次に浮かんだ言葉は、「やらずの雨」 でした。こちらならば、たくさんの思いを残しながら扉を閉める私たちの心にセンチメンタルに響きます。そしてさらに口をついて出てきたのは、「April showers bring May flowers.」 と言う英語の美しい諺でした。「『4月の雨は5月の花を咲かせる。』、銀座に降り注ぐ12月の雨はきっといつかどこかで花を咲かせてくれるでしょう。」 そんなことを司会の冒頭で皆様に語らせていただきました。

 本当に暖かく、本当に優しい笑いに包まれた、本当に素敵なパーティーでした。ゲストの皆様からのいたわりと感謝のお言葉に涙ぐみそうになる時もありました。仲間たちも、お客様の間で立ち働きながら、同じ思いでいたことでしょう。

 最後はこんな言葉で締めくくらせていただきました。

「今日は私たちにとって記念すべき卒業式の日です。英語では卒業式をCommencement=始まり と言います。私たちは、この3年半の経験と出会いを糧に、それぞれ新しい道を歩み始めます。ありがとうございました。」

 深々と頭を下げたすぐ後から、誰かのすすり泣きが聞こえてきました。後ろにいるのは私の大好きな仲間たちだということもわかっています。「みんな、駄目駄目、まだ泣いちゃ駄目。」 と心の中で叫びながら、私もしばらく顔を上げることができませんでした。

 手に手に、私たちの感謝の言葉が書かれたカードと、出版されたばかりの 「新銀座学」 の本が入った紙袋を下げて、来た時と同じような大雨の中を、お客様はお帰りになりました。

 私たちは会場のゴミを全ていくつもの大きな袋に入れ、たくさんの空瓶やまだ中身が残っている瓶や、残った本や資料、食べ物、容器、花などの全てをいくつもの箱に入れ、全員一緒にガランとした会場を後にしました。

 ダンボール箱をかかえる私たちは傘をさすこともできません。オフィスまで戻るたかだか5分の道とは言え、雨はからだ中を冷たくぬらします。そんな中でも文句ひとつ言うでもなく、自らが一番重い荷物を持とうとし、自分はささなくとも同僚の頭に傘をかかげようとし、黙々と夜の松屋通りを一列に並んで歩く仲間たちの行進の最後尾につきながら、押さえていた涙があふれ出てきました。

 失うことが悲しいのは、働く場ではありません。
 悲しいのは、もうこの大好きな仲間たちと一緒に働けなくなることです。

 まだ本当の終わりまで10日間。たぶんどこかで、本気で、私たちは肩を抱き合って泣くことでしょう。その涙が、「Commencement=新しい希望への始まり」 であることを祈っています。
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2009年11月25日

銀座に現れたオリーブの精

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 ああ、このオリーブを見に来てくださったんですね。お時間があるならちょっとだけ私の話を聞いてくださいませんか?まあ、どうぞそこにお座りください。

 あれは3年前の秋のことでした。藤城清治さんの影絵展を見にこられたお客様たちがいっせいに帰られて、急に静かになったんです。気がつけば、ほら、そこのカウンターの所に後ろ向きに座っているご婦人がいたんです。お年のほどはわかりませんでしたけれど、髪をアップにした首筋から、そこはかとなく気品がにじみ出ているお方でした。その時、オリーブの木には緑色の実が8個なっていました。そのご婦人たら、コーヒーに手もつけずに、じっとオリーブの木を見てるんです。

 なんだか気になって、私、思い切って声をおかけしてみたんです。そうしたら、あなた、私の方を振り返るでもなく、じっとオリーブの木に目をやったままでこうおっしゃったんです。

「これは 『ミッション』 ね。一目見た時からわかったわ。わたくし、もう随分長い間、オリーブのお仕事をしていますの。」

 私、びっくりしました。だって、このカフェに何となくオリーブの木が欲しいと思って届けてもらった木だったんですもの。それが 「ミッション」 という種類だったなんて、葉っぱの裏に隠れているラベルを見て初めて知ったんですよ。それなのに、そのご婦人たら。。。。

 「今度あなたにオリーブの木の育て方をお教えしましょうね。」 と言いながら、そのご婦人が私の方を振り返って、私、本当に息もつけなくなるぐらいびっくりしました。今思い出しても、何だか背筋がぞくっとします。とてもとてもお綺麗で上品な方なのですけれど、もうお顔中に深い皺が刻まれていて。。。。。お年の見当もつきませんでした。あんなに皺の多い顔というものは、私、あの時初めて見ました。

 「またいつか来ますわ。」 とおっしゃって、立ち上がって8粒のオリーブの実を愛おしそうに撫でると、結局は口もおつけにならなかったコーヒーのお勘定をなさいました。そして私がお釣りを用意している間に、風のように、本当に風のようにいなくなってしまわれたのです。私、釣銭を持ってて追いかけてみましたけれど、もうどこにもお姿は見えませんでした。

 ほら、オリーブの木って室内には向きませんでしょう?結局はあの後、枯れてしまったんです。あのご婦人も二度とおいでになることはありませんでした。笑わないでくださいます?私、思うんです。あの方、オリーブの木の精だったのではないかって。。。。。

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 これは、今日、カフェの店長の牧さんからお聞きした話をもとに、私がちょっぴり小説風にまとめたものです。「4階のカフェに黒い実をつけたオリーブの木がいけてあるわよ。」 と教えられて、飛んで行ってみたら、中央通りに面した窓のカウンターに、ガラスの花瓶にさされた美しいオリーブの枝がありました。

 カフェの秋定さんが、家で小さなオリーブの苗を育て始めたのが、今年になって白い小花を咲かせたというのです。秋定さんは、まさかと思いながらも、刷毛を使って一生懸命受粉をさせてみました。するといつしか小さな緑の実がなり、それが次第に大きく膨らんで、黒い実となりました。今、銀座4丁目の教文館カフェの窓際のカウンターの上に置かれているのは、そのオリーブの枝なのです。そして、偶然にもそれもまた、「ミッション」 でした。

 98%は地中海諸国で栽培されているオリーブの木ですが、最近では日本でも鑑賞用に簡単に手に入るようになりました。私の家の玄関前の鉢にも、小さなオリーブが植えられています。オリーブは長寿の木です。ギリシャ最南端の島、クレタ島のマルガリテス地区には、樹齢2500年もの木があります。

 クレタに滞在していた今年の3月、人っ子一人いない草原の中に、こんな大きなオリーブの木を見つけました。石の遺跡が一本の木を二つに分けてしまっています。幹の幅は3.25メートル、枝葉を広げた幅はなんと10メートルを越し、高さは8メートル近くにも及ぶ巨木でした。木の前に、こんな立て札が立っていました。

「クレタ島ゴルディナの1600年前のオリーブの木」

 銀座に風のように現れて、また風のように消えてしまったご婦人は、千年以上もの間、生き続けてきた「オリーブの精」だったに違いない。牧さんと私は、今、本当にそう信じています。
 
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2009年11月12日

「意志」 と 「継続」 という2つの力

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 9月から毎月開講してきた中央区と恵泉銀座センターとの連携講座 「大銀座学」 が、本日最終回を迎えました。初回は資生堂の福原義春名誉会長、先月がシャネルのリシャール・コラス社長、そして今日11月の回がミキモトの森田則行社長という豪華な顔ぶれは、まさに 「大」 という冠にふさわしい講座となりました。

 実はまさか実現するとは思っていなかったものでした。「ま、駄目もとでやってみましょうか。」 という中央区の藤岡さんとのやり取りに端を発したこの企画、今日も二人で、「何だか大ボラ吹いているうちにここまで来ちゃいましたねえ。吹き続けたのがよかったんですかねえ。」 と顔を見合わせてクスリと笑い合いました。企画から交渉、当日の司会までを無事終了した今、つくづく、たまにはホラも吹いてみるもんだ、と思っています。

 森田社長は、銀座とミキモトをテーマに、本店のディスプレーの話に始まって、真珠王・御木本幸吉のこと、ミキモトの歴史、日本の文化とジュエリーの歴史、ミキモトのこだわり、などを、温厚なお人柄がにじみ出るような優しい語り口でお話しくださいました。

 いくつもの心に響く素敵なお話がありました。創業者の幸吉さんは、各国の国賓を三重県志摩の別荘によくご招待していたそうです。太平洋を臨む窓を開けて、「ウチには素晴らしい絵がある。」 とおっしゃりながらよく海を見ていらしたとのこと。かたわらにはラジオ、テーブルの上には山高帽と地球儀。志摩の海の向こうに広がる大きな世界をご覧になっていたのでしょう。

 中央通りに面したミキモト本店の、入り口左側にある 「ガーデンプラザ」 と呼ばれる一角は、四季折々のディスプレーで道行く人たちを楽しませてくれます。今は大きな本物の樅の木が植えられ、赤白3千個ものイルミネーションが銀座を照らしています。春には桜が、夏には風鈴が鳴り、秋にはコスモスの花が揺れます。これも、こよなく自然を愛した幸吉さんの心を汲む自然との共生のメッセージだそうです。

 森田社長と控え室でお話をしていた時にとても素敵なことをお聞きしました。今年の8月、東大の協力で美しい古代蓮が花開いた時には、なんと毎日ミツバチが飛んできていたというのです。「たぶんアソコからでしょうね。」 「ええ、たぶんアソコでしょう。」と、銀座を知る者なら阿吽の呼吸で口にします。銀座のビルの屋上でミツバチを飼い、蜂蜜を採集している人たちがいるのです。

 数千個の貝の中にわずか1個か2個しか見つけられない真珠を人間の手で作り出すために、生命財産を注ぎ込んで没頭した人、三木本幸吉が、半円真珠の養殖に成功したのは35歳の時でした。そしてその5年後には、「商売をするなら銀座で」 と描き続けてきた夢を実現させています。9年後には完璧な真円真珠を発明。93歳まで泳いでいたという幸吉が亡くなったのは1954年、96歳のことでした。

 正規の教育としては、幼い頃に近くの寺子屋で読み書き、算数の初歩を習ったにすぎないという幸吉は、研究を支える学力を、強く不屈な意志の力で身につけました。ココ・シャネルもそうでした。田舎の孤児院で育ち、キャバレーで歌いながら生計を立て、仕立て屋の奥でスカートの裾を縫う日々の中で、ココは意志の力で人生を変えました。

 「世界中の女性を真珠で飾りたい!」という幸吉と、「窮屈で大仰なファッショから女性を解放したい!」というココ。二人に共通していたのは継続する意志の力です。

 そんな彼らの足元にも及びませんが、今回の 「大銀座学」 を実現させることができたのも、藤岡さんと私が、継続して大ボラを吹き続けていたからかもしれません。

 どうやら成功へのキーワードは「意志」と「継続」の2つのようです。
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2009年11月08日

銀座のクリスマスに流れる時間

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 昨日、銀座中央通り、「ミキモト」の大きなクリスマスツリーに灯がともりました。道行く人たちがみな足を止めて、3千個のランプに彩られた樅の木を見上げ、歩道はカメラを構えた人たちで大賑わいです。銀座の風物詩とも言える、遠く運ばれてきたミキモトのツリーも今年で32本目。クリスマスまでの間、たくさんの人たちの心にポッと灯を灯し続けたあとは、また、土に戻されます。昨年はどこかの小学校の庭に植えられた、とお聞きしました。

向かい側の「三越」の正面の壁にも大きなツリーが輝き、松屋通りの「教文館」の入り口にはこんなクリスマスがやってきました。

 北京での仕事を終えて東京に立ち寄ったアトランタの友人を案内し、夜の銀座を歩きました。建て替える前の最終公演を控えた歌舞伎座の前にはこんな日めくりが見られました。32本目のクリスマスツリーも、歌舞伎座も、私たちも、みんな同じ時間の流れの中にいます。

 日曜日の今日は午前中から仕事です。「オリーブオイルの起源と神話、歴史」についての講義をしなければなりません。これまで雑然とためこんできた知識を、この際、少しでも整理をしようと、かなり一生懸命、手元の本に再び目を通し、レジュメを作り始めましたが、古代、中世は何とか走り終えたものの、現代がまだ手付かずです。かなり焦っている朝ですが、かくなるうえは覚悟を決めて、出陣しなければなりません。

 大学の入学試験に向かう電車の中で、紀元前から始めた世界史の勉強が、どうしても現代史にまで行き着かずに、不安と焦りに駆られて、必死で教科書の最後のページを開いていたことを思い出します。結局、試験に現代史は出ずに救われたものの、あの時のあの時間は心の奥底にトラウマとなって、いまだに夢に出てきます。

 今日の電車の中でもまた似たような光景が繰り広げられるのでしょうか。「歴史は繰り返す」などという言葉が頭のすみをかすめながら、流れている同じ時間に苦笑している朝です。

「女神の食卓」セミナーのご案内です。
http://www.platies.co.jp/ikezawa/news/images/seminar_1.pdf
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2009年10月23日

銀座の隠れたボヘミア

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 銀座は柔らかな秋の日差しによく似合う大人の街です。どうしても行きたくなった所があって、仕事の合間に「ひとり銀ブラ」をしてきました。

 10月16日のジャパンタイムズに、大きくこんな記事が載っていたのです。外国人の読者を念頭に置いた記事が、銀座をどのようにとらえているか、それも面白いのですが、紹介されている場所にも興味が湧きます。この建物、一度知り合いに中を案内しもらったことがあるのですが、小さな部屋へと続く薄暗い階段やエレベーターは、まさに別世界へのタイムトリップでした。

 ちょっと記事を日本語でまとめてみましょう。

 『日本で最も土地の値段の高い場所、銀座には、いまや洒落た新しいビルの中に華やかなブランドショップが立ち並んでいます。そんな銀座に、ある特別な森があります。隠れたモンマルトルと言ってもいいかもしれません。アールデコ調の古い建物は、芸術愛好家たちを惹きつけ、ビル内にはデザイン会社、アンティークショップ、建築事務所の小さなオフィスと、20のギャラリーが入居しています。それが、みすぼらしく、暗い、7階建てレンガの奥野ビルです。

 このビルは1932年に現オーナーの祖父によって建てられました。「全部で69室。今でも空くのを待って入居希望者の長い列ができています。」

「ここは本当にユニークです。銀座のど真ん中にありながら、まっったく異なるマインドセットを持っています。」 とはあるギャラリーの経営者。「みんなマイペースでやってます。開ける時間もまちまちですから、全員が顔を合わせることもありません。けれども、何かを作るために一緒になって働いているという連帯感が住人の中にあります。」
 
 オーナーの奥野氏は芸術にはほとんど興味がなく、ギャラリーにはめったに足を踏み入れることもないと言います。けれども、こんなことを言っています。「ここは特別な場所です。この場所を取り壊すことなどできません。こんなビルが銀座に残っているのもいいではないですか。」と。』

 400年の歴史を誇る銀座の街は、今や外資のブランドショップがあちこちに見られるようになりました。と同時に、その対極にあるようなマツキヨやユニクロのようなチェーンストアも登場しています。あちこちに建築中のビルがあり、途中で工事が止まってしまっている所もあります。それでも銀座は銀座。素敵な街です。そしてそんな素敵な街に、奥野ビルのような建物がいまだに残っているのもまた素敵です。

 奥野ビルは松屋裏、中央通りから2ブロック入った通りにあります。通りに面した小さな部屋は、思い思いの緑や花で飾られている窓も多く、本当に、ジャパンタイムズ言うところの「Ginza’s hidden Bohemia」(銀座の隠れたボヘミア)のようです。玄関前には柘榴の木が植えられ、近寄ってっみればこんな実がなっていました。これでも銀座のど真ん中です!

        <ボヘミア=因習にとらわれない人々の住む社会>
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2009年07月11日

銀座の人情

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 銀座の松屋通りを有楽町駅を背にまっすぐ進み、昭和通りを通り越してしばらく行った所に、 「紗古夢堂」 という素敵な名前の時計屋さんがあります。店構えもその名にふさわしく、どこか昭和の古き良き時代を彷彿とさせます。ここまで来ると、いくら4丁目とは言え、華やかな銀座のイメージから一転して下町の風情が漂います。

 3年前のお誕生日に大切な人からプレゼントされた時計の留め金が壊れてしまったのは、5月も末のことでした。 「馬鹿になる」 というのでしょうか、パチンと留まるべきはずの小さな部分がかみ合わなくなってしまったのです。一体型とやらで、その部分だけ取り替えればいいと言う物でもないらしく、大きなデパートの時計売り場へ駆け込んでも、はたまた大きな時計屋さんに持っていっても、 「これはちょっと無理ですね。」 と、どこからも匙を投げられました。

 あきらめてカバンの内ポケットにしまったままにしていたところ、中央区役所での仕事の打ち合わせの帰り道に、たまたまある店の前を通りかかりました。それが 「修理工房 紗古夢堂」 でした。駄目で元々と店に入り、おずおずと壊れた時計を見せると、作業服を着たオジサンが店の隅の工房から出てきて、しばしの間点検した後で、こう言って私の時計を受け取りました。 「やってみましょう。できるかどうかはわかりませんが。」  そして預かり証を書くでもなく、小さな紙切れを差し出して、 「できたら連絡します。電話番号と名前を書いておいてください。」
完全信用取引です。

 半月たちました。何の連絡もありません。変なところで気の弱い私は、電話をして様子を聞くのも催促するようで憚られて、次にまた通りかかったのを幸い、店に入ってみました。
「あのお、いつぞや時計をお預けした者ですが。」
 もしここで、 「いやあ、そんな物、お預かりしていませんよ。」 と言われたって、預けたことを証明する証拠もないのです。ところが、驚いたことには我が耳を疑うようなこんな答が返ってきました。

 「すみませんねえ。なかなか難しくて。もし修理できなかったら、同じぐらいの新しい時計に取り替えていただいてもいいですか?」

 そしてまた半月たったある日、私の携帯にこんなメッセージが残っていたのです。
 「お預かりした時計が直りました。いつでも取りにいらしてください。」

 もうこの時点で、私はたとえ何万円と言われようとお支払いをする覚悟でした。時計は新しく金色の備品が付けられて見事に直っていました。留め金の開け閉めを丁寧に説明してくれた後に、 「壊れたらまたいつでもお持ちください。」 と生まれ変わった時計を私の手に渡します。 「おいくらでしょうか?」 とお財布を取り出すと、 「いえ、結構です。」 「いえ、いけません。こんなにお手間をかけたのですから、せめて部品代だけでも取ってください。」 「いえ、大したことじゃありませんから結構です。」

 こんな押し問答が続き、結局は私が負けました。信じられないままにオフィスに戻ってことの顛末を話すと、同僚のカズコさんが、また心を動かす話をしてくれました。

 風呂敷の講座でのこと。ワインの瓶を包む練習をするのにどうしても本数が足りません。カズコさんが機転と度胸で駆け込んだのは、創業113年の洋食屋の老舗「煉瓦亭」。
「すみません、空瓶があったらいただきたいのですが。」 と言うと、マスターが、 「あいにく空瓶はないねえ。これ持ってっていいよ。」 と言って差し出したのは、さる高級ワインだったというのです。受け取り証を書かせるでもなく、名前を聞くでもなく。カズコさんは大事に大事にお借りしたワインの瓶をかかえてオフィスに戻り、講座が終わるやいなや、また恐る恐る胸に抱いたワインをお返しにあがったのでした。

 さて私の腕に時計が戻ってきてから3日後、地元名物の菓子折を持って、改めて時計屋さんに御礼の挨拶にお寄りすると、オジサンが深々と頭を下げられ、 「ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」 

 このご時勢、こんな店があり、こんな職人さんやマスターがいるのです。銀座はやはり400年の歴史を誇る粋な人情の町です。
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2009年03月04日

お雛祭りの夢宵桜パーティー

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 お雛祭りの昨日、 「夢宵桜パーティー」 と題する30人ほどの集まりがありました。主催者は我が友人、共催者は私、場所は銀座。古い雑居ビルの5階テラスを一足早く桜で飾って夜桜見物を楽しもうという粋な催しでした。いくら暖冬とは言え、花見にはまだ早すぎます。ところが、今や大事なパートナーとなった山形の農家の方々が、一生懸命暖めて花開かせた100本もの桜の枝を、宅急便のトラックに乗せて、私たちのために届けてくれたのです。

 当初の計画はこんなものでした。星空の下、コンクリートの上に赤い毛氈を敷き詰め、テラスの周りにぐるりと咲き競う桜の花を愛でながら、お花見弁当を広げ杯を傾ける。。。。。ところが、我々の力の及ばぬところで番狂わせが起こり、計画をまるごと変更せざるを得なくなってしまいました。天気予報が 「雨または雪」 という託宣をもたらしたのです。

 さてさてどうしたものだろうか、と頭を悩ませていると、お隣組の人たちが次々と助けの手を差し伸べてくれました。

 「予約は入っていないから、ウチをお貸ししますよ。お花見らしい食事を作りましょう。」 と同じビルの2階の紫香楽の女将さん。
 重い器をたくさん運び上がり、雨の中で濡れながらテラスを桜の庭にしてくれた恵泉銀座センターの仲間たちは、赤い布を縫い合わせて大きな毛氈も作ってくれました。
 「どうせならライトアップしましょうよ。」 と特別なスポットライトを運んできてくれた文祥堂さん。
 「寒くなるでしょうから。」と電気ストーブをお店から運んで来てくれたアステリーさん。
 「空いている部屋を着替えでもクロークにでも自由に使ってください。」 とビル管理のアーバンシップさん。
 「こんな時は主催者の方は食べる時間がないから。」 と素敵な着物姿で特製弁当を持ってさし入れに来てくれた伊勢由の若女将。
 「桜だけでは寂しいかもしれませんから。」 と両手がまわらないぐらいに大きなバラのアレンジメントを送り届けてくださった山形のフェニックスさん。  などなどなど。

そんな皆さんの暖かい気持が形になって、食事の後は、雪降る銀座の桜の庭で、片手にグラス、片手に傘を持ちながら、皆でウットリとライトアップされた夜桜を鑑賞しました。もともとが一声かければこんな集まりにすっとんでくるぐらいの酔狂なヤカラですから、傘をさしての花見さえ、それはそれで風情もひとしお、と楽しんでしまえたのでした。

 銀座は粋が似合う街、隣組の人情が残る街です。忙しい大人たちがこんな風に集まって一時の風雅を楽しむにもぴったりの街。それ以前に、こんな不景気な時代に、たかが大人のたわいもないお遊びのために、仕事の枠を越えてみんなが一生懸命になるなんて、すごく素敵!
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2009年02月20日

トツトツ率直熱意型 無戦略の勝利

nl.JPGP2190517.JPG 誰にも向き不向きはあるし、好き嫌いもあります。 「好きこそ物の上手なれ」 という言葉もある一方で、 「下手の横好き」 という言葉もあるぐらいですから、 「向き不向き」 と 「好き嫌い」 の相関関係は順列組み合わせの数だけあり得ます。昨日の私は、否が応でも 「向いていないX 好きではない」 を体感することとなりました。

 午前10時、実働部隊のメンバーが5名集まって、配布資料を整え、各自の持ち場を決め、 「桜花を銀座で咲かせてみませんか?」 プロジェクトのご案内に繰り出しました。私の担当は晴海通りの数寄屋橋から三原橋までの片側です。お店を一軒ずつ訪問する、いわゆる「飛び込み営業」なのですが、すでに面識のある店長や社長がいる店ばかりとは限りません。講演や司会でしたらたとえ何千人を前にしたって平気の平左なのに何としたことでしょう、小さな店ひとつ入るのもドキドキと心臓が高鳴ります。池澤という人間を全く知らない人から見たら単なる胡散臭いセールウーマンが入ってきた、ぐらいに思われるのだろうな、などという邪念が足を引っ張ります。実際、けんもほろろの対応をされたことも一店や二店ではありません。

 変な所で気の弱い私は、和菓子屋さんに入るのにまずはイチゴ大福を買ってみたり、ファーマシーに入るのに歯磨きを買ってみたり、店の前を行きつ戻りつしてみたり。こんなことでは営業マンの風上にもおけません。途中で心底めげて、突然方向転換をして三越デパートの屋上に逃げ込みました。だだっぴろい人気のない屋上の陽だまりの中のベンチにすわって缶コーヒーなどを飲みながらしょぼくれる様はまるで失業中の中年女性。屋上の一角にある出世地蔵尊様にお賽銭をあげたりしながら、 「ああ、もう下界に下りたくない。このままここでヌクヌクとしていたい。」 と一人呟くさまもまさに世をはかなむ中年女性の体たらく。

 とは言え残る勇気を振り絞って下界に下り、いちおう予定のお店を全部まわりきりました。再び全員が集合して各自報告を始めるうちに、早くもファックスが何件かの桜の注文を受け始めました。それらのほとんどが大分から手伝いに来てくれたクミコさんとヒジリさんがまわってくれた店からのものでした。決して饒舌ではなく、むしろどちらかと言えば初めは 「この方々に銀座でセールストークができるのかしら?」 と心配になったぐらいの2人だったのですが、聞いてみれば、 「大分から来て銀座は生れて2回目です。」 「よくわからないのですが、とにかく何かお手伝いをしたくて飛んできました。よろしくお願いします!」 と持ち前の明るさと元気と率直さで語ってきた様子。 「そりゃ大変だね。」 とお茶をご馳走しててくれた所もあったりで、立て板に水の戦略型銀座チームは、トツトツ率直熱意型の大分チームに完全に負けました。無戦略の勝利です。
 


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2009年02月18日

桜として生れたからには

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 1本の桜を生かすために剪定されて捨てられる枝がたくさんあります。光を充分に届けるために切らねばならない枝や、人や車の通行に邪魔になる枝、電線などにかかって危険な枝たちです。
それらゴミとして捨てられる運命にある枝を拾い集め、ムロの中で1ヶ月の間暖めてあげれば、再び小さな蕾を持ち、次第に薄い色が宿り、花を咲かせるのです。いったんは捨てられた桜の枝たちは、ムロの中で気長に花を咲かせる日を待ち続けます。

 桜として生れたからには、冬の寒さの中でひたすら育んできた堅い蕾を春と共にほころばせ、薄桃色の花を咲かせ、人々から愛でてもらいたいと願うことでしょう。山形の農家の人たちが取り組んでいるそんなプロジェクトに心動かされ、相棒と2人、無謀にも 「銀座で桜を咲かせてください!」 という呼びかけを始めることになってしまいました。その現場を見るために、日曜日に山形まで行ってきたのでした。

 「今年は雪が少なくて水不足が心配です。」 という土地の方が言うように、例年ならば真っ白に覆われている大地の土肌が見えています。それでもこの日は午後から雪が降り出し手足のかじかむ日となりました。そんな中で、切り落とされた桜の枝が集められ、ムロに運ばれ、長さを整えられていきます。屋根と壁で覆っただけの簡易宿舎のようなムロの中は、ストーブが置かれているとは言え、震えるような寒さです。ずらりと並んだ作業台に次々と桜の枝が運ばれ、静寂の中でパチッ、パチッというハサミの音だけが響き渡ります。

 今、私たちの呼びかけが銀座の人たちに届き始めています。 「三越」 さんが創業祭に1000本の桜を飾ってくださることになりました。銀座4丁目の交差点の 「ドトール」 さんも桜で覆われることでしょう。着物の 「もとじ」 さんのウインドーは桜の庭になります。 「ホテル西洋銀座」 さんのロビーにもたくさんの桜が咲くでしょう。4丁目の 「宝童稲荷」 さんでは桜祭が開催されるかもしれません。

 ひとつのムロの中には10万本の桜の枝が眠っています。それが4つで40万本。日の目を見なかった枝たちは再びゴミに戻ります。私たちのできることなど大海の中の小さな渦かもしれませんが、それでも何もしないで感動だけしているわけにはいきません。明日、私と相棒と山形からの助っ人3人が手分けをして、銀座中の300店をまわり桜の心を伝えます。

 「高齢化とともに農地が余り農業がどんどんと衰退してきました。でもこの景気の悪さでいったんは農業を離れた若い人たちが戻ってくるようになったのです。そうした青年たちにも仕事の機会を創らなければなりません。」 と深刻な顔で語るチーフの高橋さんの顔が、 「本当ですか!この枝が銀座で咲くんですか!!」 と、まるで満開の桜のように輝きました。

 「世のため、人のため」 などとは口が裂けても言いたくありません。私が今、眠りを削ってまでこんな余分なことに首をつっこんでいるのは、ただただあの子たちを人の目の中で咲かせてあげたいからだけなのです。もしこんな桜を愛でてくださるならば、10本2800円でご自宅にでも会社にでもお届けします。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2009年01月28日

何にもないことを提供するヒッピー力

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「銀座吉水」の女将、中川誼美さんの90分にわたる軽妙洒脱でユーモア満載のお話の中で、何度となく繰り返されたメッセージは、「ちょっと前の日本の暮しに!」でした。

 そこそこのホームページはあるものの広告宣伝費は一切なし。人づてに口から口へと伝わって、とうとう昨年9月、イギリス、テレグラフ紙の「東京のホテルトップ5」で第二位の座に輝いてしまいました。マンダリンオリエンタルとリッツカールトンに挟まれての堂々の栄冠に当の女将もビックリ仰天。

 ルイ・ヴィトンの2009年版東京シティーガイドでも銀座のホテルとして取り上げられたのは、ホテル西洋銀座と吉水だけ。今現在もマドンナの食事トレーナーが滞在中とのこと。普通の外国のお客さまだとばかり思っていたら、ノーベル平和賞の受賞者の方だったり、アラブの大富豪の方だったりしたことも………

 一番大きな部屋でも宿泊料人一人1万7千円という、冷蔵庫もテレビも電話もない銀座の小さな旅館の何がそれほどまでに人を惹きつけ高い評価を得ているのでしょうか。女将は言います。

「私たちはお世話をやかないんです。あえて何にも置いていません。自分で自分に付加価値をつけない限りは何にもないのと同じです。」
「ウチには白いお砂糖も白い粉も味の素も電子レンジもありません。でも、使っている素材は北から南まで私自身が走り回って見つけたものだけ。全部作った人の顔が浮かびます。今でも2,3日で1500キロ走るなてざらですよ。乗せてもらうよりも自分でハンドル握ってすっ飛ばした方が何倍も楽しいですからね。」

 小柄な女将のこんな行動力と、「何にもないこと」を提供すると言いながらも、溢れる物と便利さに溺れて私たちが忘れてしまった「何か」をきちんと提供する姿勢が、お客様をして「ただいま!」と帰ってくる場所にさせているのでしょう。「ALWAYS三丁目の夕日」の世界は銀座3丁目の小さな場所にあります。

 「結婚してすぐに住んだウッドストックが私の原点。私はヒッピーなの。」
 原点=価値観をこんな風に形にしてしまえるなんて、何てなんてナンテすごいことでしょう。帰りの電車の中でひたすら私自身の原点について考えていたら、下りる駅を通り越して一つ先まで行ってしまいました。

 P.S. 申し遅れました。私が企画をしている恵泉銀座センターの「銀座学」という講座の第14回目が昨日開催されました。不定期ですが、銀座で仕事をしている店主や経営者の方々を毎回講師にお迎えしています。自分で言うのもおこがましいのですが、なかなか面白い催しです。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2009年01月23日

粋とはずばり地味であること

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 昨日の夕方、銀座の名旅館「吉水」で、銀座で商いをする専門店・料亭店主、銀座にゆかりの皆様によるちょっと面白い集まりがありました。限定15名のこの会に顔をお見せになったのは、銀座のサエグサの三枝社長、松崎煎餅の松崎社長、教文館の渡部社長、天賞堂の新本社長、もとじの泉社長、久兵衛の今田店主等、銀座の顔とも言うべき方々。

 1761年に生まれ、商人でありながら天才的町人作家として銀座の礎を築き、「33の顔を持つ伊達男」として才気あふれる55年の人生を送った山東京伝の研究会が発足したのです。発起人は三枝社長、仕掛人プロデューサーは私のビジネスパートナーでもある岩田里栄子さん。

 会は特別講師に江戸文化研究の第一人者、法政大学大学院教授の田中優子先生を迎え、「山東京伝・江戸っ子意識の誕生」と題するご講話で始まりました。そして、吉水の中川女将が素材に徹底的にこだわり、腕によりをかけたお食事付きの懇親会へと続いてお開きとなりました。

 美貌の誉れ高き田中先生のお話は、まだまだ先を聞きたいと誰もが思うほどに興味深く、学ぶことの多いものでした。中でも面白かったのは「江戸っ子」の定義と「粋の条件」!さて、江戸っ子の5つの条件とは何だったでしょうか。それは、1に「江戸、もっと言えば江戸城の近くで生まれ育ったこと」、2に「金離れがよく物事に執着しないこと」、3に「育ちがいいこと」、4に「日本橋を見て育ったこと」、そして最後に「いきとはりを本領とすること」だそうです。3の「育ちがいい」ということは、つまり裕福な家に育って生活に不自由をしないという意味。ですから、いくら江戸城の近くで生まれ、日本橋を見て育ち、金離れのいいイナセな魚屋の若い衆でも、3のバリアをクリアしないことには本来の「江戸っ子だぁい!」とは一線を引いてしまうのが悲しいところ。

 それでは、粋とはいかに?田中先生いわく、粋(いき)とはずばり地味であること。身にまとうものは黒が基本で、許されるのはネズミ色、茶色、せいぜい藍色ぐらいまで。黒をどう着こなすかが粋人に試される条件だったと言うことです。

「面白い!」と身を乗り出しながら、ハッと我が身を振り返りました。どちらかと言えば南国的、ラテン的な明るく華やかな色や模様の好きな私です。娘たちからは、「熱帯魚みたいな服、いいかげんに卒業しなさい!」と叱られ、黒の服ばかりをプレゼントされています。しかし、幸いなるかな、昨日は虫の知らせでしょうか、仕立てのいい黒の半袖ワンピースに新品の白のジャケット、アクセサリーはミキモトの真珠とイアリングだけ、といういでたちで会に臨みました。
粋に着こなせていたかどうかは別にして、とにかく色の関門と地味の関門は通過したと、ほっと胸をなでおろしたのは言うまでもありません。かくいう田中先生は、藍色とネズミ色が混じったような色のお着物をシックに着こなすお見事な粋姿でした。

 銀座で仕事を始めてまだたったの3年、そんな新参者をこうした素晴らしい遊び心の会の末席に加えていただけたことをとてもありがたく思います。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2008年12月22日

銀座に桜が!

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東京時間ではすでに夜の7時半、銀座のあちこちで桜が咲き始めたことでしょう。
 
銀座を舞台にお散歩術やイベントなどを展開しているグループが、山形県鶴岡市のエコプロジェクトチームと一緒に銀座を桜で飾る計画を立てました。もともとは、剪定されて人の目に触れずに片づけられていく運命の桜の枝でした。それが試行錯誤の後に室内で蕾を持たせることに成功し、今日、2千本の啓翁桜が、山形から一足早い春を銀座に届けてくれることとなったのです。中心となったのはTRA3プロジェクトの岩田理栄子さん。私の仕事の良きパートナーでもあります。

前々からイスタンブール行きが決まっていたために、当日の実戦部隊には加わることができませんでしたが、仲間たちの「銀座に桜を!」の思いはずっと肌で感じていました。それだけに、百貨店さんが表玄関に飾ってくださったり、老舗のお店が店内の一番目立つ場所に飾ってくださったり、はたまたギャラリーが特別スペースを設けてくださったり、という話を聞くたびに、私も嬉しくてなりません。

2千本の桜は、「年末に銀座に桜を配達するなんて何て素敵なんでしょう!」という銀座三丁目の旅館「銀座吉水」さんが、保管から配達そして回収までを手伝ってくださることとなりました。

ルイヴィトンの「2009年シティーガイド」に銀座を代表する宿として、ホテル西洋銀座と一緒に紹介されているこの旅館は、無駄を出さない、ゴミを出さないエコロジーライフをモットーにしています。女将のアイディアで、咲きおわった桜は再び回収されて薪になり、様々な用途に再利用されることにもなりました。暮れの銀座を彩った桜の灰で染めた着物や、薪で燻した燻製など、銀座桜ブランドが登場する日も来るかもしれません。

日本中に銀座と名の付くところは600箇所もあるそうです。私の生まれ故郷横須賀にも「三笠銀座」という通りがありました。たくさんの人たちの志が、新しい年を迎えようとする本家銀座の街に素敵な何かをもたらそうとしています。

これを書いている途中で、私が仕事をしている恵泉銀座センターから、『桜が届きました!』という報告と一緒に、写真が送られてきました。どうか私が帰る時まで花を散らせないでいてくれますように。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2017年10月23日

「意志」と「継続」の2つの力

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 9月から毎月開講してきた中央区と恵泉銀座センターとの連携講座 「大銀座学」 が、本日最終回を迎えました。初回は資生堂の福原義春名誉会長、先月がシャネルのリシャール・コラス社長、そして今日11月の回がミキモトの森田則行社長という豪華な顔ぶれは、まさに「大」という冠にふさわしい講座となりました。

 実はまさか実現するとは思っていなかったものでした。「ま、駄目もとでやってみましょうか。」 という中央区の藤岡さんとのやり取りに端を発したこの企画、今日も二人で、「何だか大ボラ吹いているうちにここまで来ちゃいましたねえ。吹き続けたのがよかったんですかねえ。」 と顔を見合わせてクスリと笑い合いました。企画から交渉、当日の司会までを無事終了した今、つくづく、たまにはホラも吹いてみるもんだ、と思っています。

 森田社長は、銀座とミキモトをテーマに、本店のディスプレーの話に始まって、真珠王・御木本幸吉のこと、ミキモトの歴史、日本の文化とジュエリーの歴史、ミキモトのこだわり、などを、温厚なお人柄がにじみ出るような優しい語り口でお話しくださいました。

 いくつもの心に響く素敵なお話がありました。創業者の幸吉さんは、各国の国賓を三重県志摩の別荘によくご招待していたそうです。太平洋を臨む窓を開けて、「ウチには素晴らしい絵がある。」 とおっしゃりながらよく海を見ていらしたとのこと。かたわらにはラジオ、テーブルの上には山高帽と地球儀。志摩の海の向こうに広がる大きな世界をご覧になっていたのでしょう。

 中央通りに面したミキモト本店の、入り口左側にある 「ガーデンプラザ」 と呼ばれる一角は、四季折々のディスプレーで道行く人たちを楽しませてくれます。今は大きな本物の樅の木が植えられ、赤白3千個ものイルミネーションが銀座を照らしています。春には桜が、夏には風鈴が鳴り、秋にはコスモスの花が揺れます。これも、こよなく自然を愛した幸吉さんの心を汲む自然との共生のメッセージだそうです。

 森田社長と控え室でお話をしていた時にとても素敵なことをお聞きしました。今年の8月、東大の協力で美しい古代蓮が花開いた時には、なんと毎日ミツバチが飛んできていたというのです。「たぶんアソコからでしょうね。」 「ええ、たぶんアソコでしょう。」 と、銀座を知る者なら阿吽の呼吸で口にします。銀座のビルの屋上でミツバチを飼い、蜂蜜を採集している人たちがいるのです。

 数千個の貝の中にわずか1個か2個しか見つけられない真珠を人間の手で作り出すために、生命財産を注ぎ込んで没頭した人、三木本幸吉が、半円真珠の養殖に成功したのは35歳の時でした。そしてその5年後には、「商売をするなら銀座で」 と描き続けてきた夢を実現させています。9年後には完璧な真円真珠を発明。93歳まで泳いでいたという幸吉が亡くなったのは1954年、96歳のことでした。

 正規の教育としては、幼い頃に近くの寺子屋で読み書き、算数の初歩を習ったにすぎないという幸吉は、研究を支える学力を、強く不屈な意志の力で身につけました。ココ・シャネルもそうでした。田舎の孤児院で育ち、キャバレーで歌いながら生計を立て、仕立て屋の奥でスカートの裾を縫う日々の中で、ココは意志の力で人生を変えました。

 「世界中の女性を真珠で飾りたい!」 という幸吉と、「窮屈で大仰なファッショから女性を解放したい!」 というココ。二人に共通していたのは継続する意志の力です。 

 そんな彼らの足元にも及びませんが、今回の 「大銀座学」 を実現できたのも、藤岡さんと私が、継続して大ボラを吹き続けていたからかもしれません。

 どうやら成功へのキーワードは「意志」と「継続」の二つのようです。

By 池澤ショーエンバウム直美
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座