2013年01月24日

浅草の神社で出会った麦藁蛇

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ごぞんじ、仲見世を抜けたところにあるのがいつも賑わいを見せる浅草寺。観音様をまつる都内最古のお寺です。そしてそのすぐ右隣に建つのが浅草富士浅間神社です。実は、こんな所に小さな神社があるなん、恥ずかしながらついこの間まで知りませんでした。

友に連れられ行ってみれば、周囲はお隣りの人ごみとは比べようもなくひっそりとしています。それが浅草富士浅間神社です。

「表には出ていないけれど、頼めば麦藁蛇(むぎわらじゃ)を出してくれるらしいよ。」

たしかに表に面した台の上にあるのはいわゆるお守りやお札だけで、「麦藁蛇」らしきものは見当たりません。「あのお、、、」とおずおずと切り出せば、巫女さんが人数分の袋を奥から出してきてくれました。

麦藁蛇、1000円です。ぽっこり膨らんだ袋の中に入っていたのは、縦16センチ、横10センチほどの実に素朴なお守りでした。Tの字を逆さにした縦軸に、編んだ藁が蔦のようにからまっています。これが麦藁蛇なのでしょう。そう言われればなるほど、くねくねと登っていく蛇に見えないわけでもありません。

袋の中には「いわれ」の説明も入っています。面白いのでそのままご紹介してみます。

「江戸時代の草紙『江戸塵拾』において『寛永の頃、駒込の喜八という者が、ふと是を作って富士浅間神社の祭礼の位置で売った所、多くの人が珍しげに買って帰り家の中に飾った。その年の七月に疫病が流行ったが、是を飾った家の人は一切病気にならず、その後誰もが祭礼の際に是を求めた。』とあり、そうしたことから江戸中の浅間神社が麦藁蛇を御守として頒布するようになったと伝えられています。

 当浅草富士浅間神社に於いても昭和初期頃までは境内において植木市の風物として頒布されていましたが、いつの間にかその形を見ることはなくなりました。」

さて、この次が面白い所。

「そもそも蛇という生き物は古来日本において水神である龍の使い(仮の姿)であると考えられ、水による疫病や水害などの災難から守ってくれると信仰されています。また別の意味では厄除けや雷除け、火防せの蛇として信仰もあります。

 水は人間の生活に決して欠かせない命の源であり、蛇をモチーフにした麦藁蛇を水道の蛇口や水回りに祀ることにより、水による災難から守られ、日々の生活を無事安泰に過ごせるとされています。」

 そしてどうなったかと言いますと、

「この度、この失われかけた風習・文化を保守し後世に継承していくことを目的として、麦藁蛇を浅草富士浅間神社の御守として再現する運びとなりました。」

 巳年の今年に私たちの目の前に現れたのは、そんな大きなお役目を担う小さな蛇さんだったわけです。

それにしても面白いもので、「あなたってまるで蛇のような人ね。」などと言われて喜ぶ人はまずいないと思います。英語でも「snake」と言えば陰険な人、冷酷な人を暗示します。それなのに、出るところに出ればこうして御守としてあがめられるのですから。

同じことは、蛇が仕える水神様、「龍」についてだって言えるでしょう。

昨年9月にワシントンの小さなミュージアム「Textile Museum」で開催されていたのは、様々国や地域の織物に織り込まれた龍の姿をテーマにした特別展でした。ある所では力のシンボルとして崇められているかと思えば、ある所では悪をもたらす忌むべき魔の使いとして退治され、、、、、

蛇社会も龍社会も、なんだか私たち人間社会によく似た気がしないでもありませんね(笑)。

 http://blog.platies.co.jp/article/58445352.html 
(「小さな、でも素敵な『Textile Museum』 2012/9/23)

By 池澤ショーエンバウム直美


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グローバルキッチンメニュー
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1月23日(水):スパイスワンダーランドへの旅〜シナモン、オレガノ、ベイリーフ
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2012年02月04日

春を待つ立春の朝に

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 豆まきもしなければ、恵方巻きも食べずに終わってしまった節分でしたのに、明るい光に溢れる立春の朝がやってきました。巡り来る春には似合わぬ追い払われた鬼たちは、また闇の底へと戻って行ったのでしょうか。

 このところ働きすぎた左手が小さな悲鳴を上げ始めました。今日は、左手さんを休ませるために、3年前のこの日に書いたことを引っ張り出して、ちょっと手直しして貼り付けます。「春は名のみの寒の底だが、地中に森に、幾万幾億の芽が時を待つ(昨日の朝日新聞「天声人語」より)」立春の日の思いは、3年前も今も変わりません。

 これを読むと、4年前、2008年の立春は雪景色だったようです。

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今日は立春。暦の上では春になりました。1年前の朝は、前日に降り積もった大雪でどこもかしこも真っ白だったことを思い出します。庭のパンジーも雪に覆われて、春を待つ気持もひとしおでした。今年の東京は雪がちらつくこともなく、まだまだ冷たい風にコートの襟を立てる日があるものの、春への道のりを順調に歩いているかのように感じさせます。

一時借り住まいをしていた郊外の家は、広大な大学キャンパスの林の中に建っていました。ある立春の朝、庭に2つの新しい土の山を発見しました。何だろう?と首をひねっているうちに、口をついて出てきたのが、「イーニー ミーニー マイニー モー」 という魔法のような言葉。マザーグースというイギリスの童謡集に出てくるモグラ3姉妹の末っ子の歌です。

「Eeny, Meeny, Miney, Mo」 (イーニー ミーニー マイニー モー) というタイトルは、魔法使いサリーの「マハリク マハリタ ヤンバラヤンヤンヤン」と同じように、呟くだけで楽しくなります。末っ子モグラのイーニーが、マイニー姉さんとミーニー姉さんに止められるのも聞かずに地上へ大旅行をし、覗き見た春の光と風に感動し、興奮しながら報告に戻って来るという可愛らしいお話です。こんもりとした新しい土の山は、お茶目なモグラの子供の大冒険の後だったに違いありません。

朝のコーヒータイムにこんな思い出話をしていたら、家人が、子供の頃に母親からよく聞いたという話をしてくれました。冬の間は土の下で眠っているグランドホッグという小さな茶色い動物が、2月2日の朝に目覚めて、モグラのイーニーのようにソワソワと地上の世界を覗きに行きます。晴れていれば自分の影に驚いて、冬眠していた穴の中に再び引きこもってしまいます。こうなると冬はまだ続きます。もしも曇り空や雨空で影に驚くこともなければ、グランドホッグは悠々と外の世界を散歩し始め、春はじきにやってきます。

ほのぼのとしたグランドホッグ君の春占いです。ちなみに2月2日は「Groundhog Day」と呼ばれているとのこと。所変われど、時変われど、春を待つ気持は同じです。
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 今年の立春は、家の中までたっぷりと光が差し込んで、あっちもこっちも影だらけ。こんな美しい影ならば、グランドホッグ君だって驚きもせずに、日溜りでお昼寝をしてくれるはずです。

 春が始まりました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:49| Comment(0) | 日本ライフ

2011年08月08日

時代は変わる〜海と一緒のウエディング

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私をこの世に送ってくれた父も母も、もうそこにはいませんけれど、故郷へ続く道はいつだって、私をいろいろな思い出で満たし、心を弾ませたり、しっとりさせたりします。今でも私は、生まれ育った三浦半島が大好きです。ぐるりと海に囲まれているのに、中に入れば緑の森が広がります。

第三京浜から横浜横須賀道路へと走り、逗子インターで下り、逗葉新道へと入り、葉山国際村の緑の中を抜けていけば、海に面した134号線に出ます。昨日、ここの、海を見晴らす高台の「葉山テラス」で、結婚式がありました。生まれた時から何度も何度もこの手で抱いて、手をつないでは歩いた甥っ子の結婚式です。小さな時から穏やかで優しかった子は、そのまま、人の心がよくわかる優しい青年になりました。

大学生になれば、アルバイトで得たお金で、「ばばちゃん、ご飯食べに行こうか。」などと、亡くなった母をよく食事に連れ出しました。母の記憶が曖昧になってからも、孫の写真はいつもベッドの上に貼られていました。

青年は、子どもの頃からの夢を叶えて、小学校の先生となりました。それは誰一人として意外に思わぬほどに、彼らしい選択でした。

式は海に向かった外の席で行われました。眩しいほどにたくましくなった青年は、美しい花嫁がバージンロードを歩いて来るのを、光り輝く太陽の下で待っています。誓いの言葉、新郎新婦のキス、フラワーシャワー、広く高い空へと放たれる風船、、、、私の娘たちと孫、そして夫も一緒に、祝福の時を共に分かち合います。

新郎と新婦はすでに昨年の8月に結婚をしました。けれども事情があって、1年間もこの日を待っていたのです。結婚をする前から、この場所で式をあげる日を夢見ていたと言います。結婚生活を送るようになってからは、この日のお客様への感謝のためにと、新婦は1年間もピアノ曲を練習してきました。そして長いベールのまま、私たちの前で華麗にグランドピアノを響かせてくれました。

純白のクリームで丁寧に覆われた大きなウェディングケーキは、3時間をかけて新婦のサトミさんが作りました。そしてそこに私たちが一人ずつ、苺をのせたり、梨やパイナップルをのせたりしながら、みんなで仕上げていきました。

食事の後、暮れ始めた大きなバルコニーに出た私たちに、そんなケーキを切り分けてくれたのは、いつの間にか帽子をかぶりコックさんに変身をしたショウタと、真っ白いエプロンが初々しいサトミさんでした。

ダンサーへの道を歩んでいるショウタの妹が、踊りました。
長いことやっているサトミさんの弟が、サックスを吹きました。

最後に、生まれた時から今に至るまでの、それぞれの写真が大きく壁に映し出された中に、小さな私の娘を見つけました。30年近く前の写真です。私の娘たちは、弟分のショウタとよく一緒に遊んでいたのです。

お開きに、新郎の父親、つまり私の義弟が思いを語りました。ふだんは無口な彼がこんなにたくさん話すのを聞いたのは、これまでで初めてのことでした。その中でこんな言葉が引き合いに出されました。学生時代に音楽バンドでよく歌っていたという、ボブ・ディランの『The Times They Are a-Changin’』(時代は変わる)の一節です。

Your sons and your daughters
Are beyond your command

いろいろな解釈があるでしょうが、私は勝手にこんな風に考えています。そしてたぶんそれが義弟の言いたいことではなかったかとも思うのです。

「息子だって娘だって、じきに俺たちの手の届かない所にいくものさ。」

娘たちと孫と夫を全員乗せて、暗くなってから葉山を出発したものの、ナビの電池が切れていることがわかり、帰りはさんざんな目にあいましたが、それでもやはり素晴らしい一日でした。

こうして、時代は確かに変わっていきます。

By 池澤ショーエンバウム直美




しばらくはこのバナーを置かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。何せ人手不足です。司会も私が勤めさせていただきます。
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8月2日(火):自宅がお鮨屋さんに早変わり その1
8月5日(金):大将、その大トロ握ってくれる?〜自宅が鮨屋に2

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:07| Comment(0) | 日本ライフ

2011年02月07日

江戸っ子ストーリー

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 年々日本にいられる時間が削られていくのに反比例して、日本が、そして東京が、ますます好きになっていきます。今や私にとって、ここは世界で一番面白い所。こんなことに気づくまでに、随分と時間がかかってしまいました。

 近づいてくる春を思わせる今日、明るい陽射しを浴びながら友と築地を歩きました。洗練された大人の町、銀座のすぐ隣なのに、ここはビルの合間に木造の古い家屋が残る町です。今日の目的地は、昭和9年から続いているという鰻屋さん。狭い路地には洗濯物が干され、暖簾をくぐって引き戸を開けた先は、4人がけのテーブルが2つと、6人がけのカウンターだけという小さな空間。

 でもここが、実にエキサイティングなワンダーランドなのです。カウンターの端っこに座れば、すぐ目の前にべらんめえのおやじさんと、ちゃきちゃきのお姉さん(本当の姉弟です。)と、客人たちとの掛け合いが展開されて、小さな店内がまるで井戸端会議のようになります。東京の歴史、江戸っ子ストーリーです。ちょっと採録。

「この間、20年ぶりにテレビに出たらさあ、もう大変よ。遠くから来たお客さんたちが行列。『アド街ック天国』てやつ。そしたらさ、古くからのお客さんたちが入れなくなって離れちゃってね。これでつぶれた店もあるってんだから、やっぱりテレビなんてものは出ないほうがいいよ。うちももう金輪際出ないよ。」

「オレはさあ、5人兄弟(姉妹)の末っ子なのよ。上下が男で真ん中が女。マグロ問屋だったり、寿司屋だったり、みんな結局食い物だね。オレ、実は就職決まってたのに親父にこう言われてね、『おまえが入らなければ、ほかの人が入れる。』『おまえみたいに我が儘な築地のセガレが勤まるわけがない。』」

「親父には叶わないね。正月には京都でお茶屋さんあげて、騒いで、帰ってからは使用人にお年玉。」

「お客さんに『どこかいい寿司屋ない?』なんて聞かれてもさあ、そんなこと答えられないよね、。甘いのが好きな人もいれば酸っぱいのが好きな人もいるからね。それにさ、ここらへんの寿司屋はみんな小学校の同級生なのよ、どこが一番なんて言えるわけないよな。テリー伊藤も同級生よ。」

 時々、お姉さんの合の手が入ります。

「うちの兄弟姉妹はみんな鰻が焼けるわよ。鰻の裂き方だけは、いくら教えても駄目な人は駄目。鰻だけは外でおいしいの食べたほうがいいわよ。何たって修行してる人たちが作るんだからね。」

 ウンチク傾けるだけあって、本当においしい鰻でした。このお店、お昼に開店して、鰻がなくなったら閉店。夜は事実上閉店です。不夜城の東京でこんな粋な商売をもう70年以上も続けているなんて、いいですよねえ、、、、、

 姉さんが言います。「ベチャベチャおしゃべりして長居をする客には言いたくなるよ、『しゃべらずにさっさと食べろ』って」

 と言うわけで、2700円の「臣」、思う存分堪能して、余韻に浸りたい所を早々に退散いたしました。外に出たら、路地では猫が日向ぼっこをし、「もらった石楠花(しゃくなげ)なんだけどねえ、去年は咲かなかったのよ。」と言いながら、如雨露で水をやっているおばさん。路地を抜けたら、さび付いたトタン壁の向こうに超モダンな高層ビル。

 やっぱり東京って面白い!
 お店の名は「丸静」。もちろんHPなんてありません。
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2月8日(火)予定:「Oli」のカプチーノは双子アザラシとウサギと?
2月7日(月):「Oli」で堪能 オリーブオイル
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | 日本ライフ

2010年12月29日

東京日常の始まり

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 今年も残すところあと2日の今日、超過料金の大荷物で東京に帰ってきました。
 イタリアとの時差は8時間。こちらは夜の11時半ですが、あちらはまだ今日の午後3時半です。

 「そんなに行ったり来たりしていて、時差ぼけとかはないの?」
 と、よく聞かれますけれど、あるような、ないような、ふだんからボケているような(笑)。
 でも、たぶん「ない」と言う方が近いかもしれません。

 コツがあります。とにかく眠かろうがなんだろうが、帰ってきたらすぐに日本の時間に合わせて生活をしてしまうことです。荷物を片付けて、スーツケースとキャリーバッグ、加えて旅行カバンを目に見えない所に早々と隠して、余韻にもひたらず、何食わぬ顔で日常生活を始めることです。

 今日も出かけました。空っぽの冷蔵庫に入れるものを買出しに、そしてPCデポにプリンターのインクを買いに、ご近所へお土産を届けに、預けてあったものを取りに友人の家へ、、、、、
これで本当は泳いでしまえばさらにいいのですが、行きつけのプールは年末でお休みでした。その分、ビールを飲みながら、撮りだめしておいた「竜馬」を1回分見ました。

 本当はかなり寝不足で、かなり疲れているのですが、こうして無理やり「東京日常」に心身をおいています。明日からの日々を生きるための方策です。旅暮らしの余韻には、ここでの生活にランディングできてから、思いっきり浸ります。

 それにしてもそろそろ限界です。
 日付が変わる前に眠りたい(のですが)、、、、、

 若い頃は、旅先から日本に戻るのがいやで、飛行機に乗ったあたりから「帰国ブルー」が始まったものでしたが、最近では何だか嬉しくて嬉しくてたまりません。年とともにだんだんと、この国が好きになってきました。東京暮らしの面白さがわかるようになりました。明日からしばらくは「東京日常」と思うと、鼻歌の1つも歌いたくなります。ここは私のチャージ場所であり、メンテナンスの場所です。そして大切な家族や友人たちと過ごす場であり、仕事の場です。

 おやすみなさい。
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12月29日(水):私たちのクリスマスディナー
12月30日(木)(予告):5つ星ホテルのレストラン
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:50| Comment(0) | 日本ライフ

2010年11月13日

帰りました、つながってます!

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 行きよりも明らかに重くなった荷物を引きずって、帰ってきました。
 どうせすぐに戻る身、服も靴も化粧品も、2台のPCのうち1台も置いてきたのですけれど、代わりにぎっしりと詰まっているのは、ポレンタという重いトウモロコシの粉や、ポルチーニや、オリーブオイルやバルサミコの瓶などの食材がたくさん。加えて向こうで買ったたくさんの本と、家族や友人たちへの贈り物。

 ミラノの空港でちょっと面白いことがありました。手荷物検査のX線でカバンの一つが引っかかってしまったのです。

「セニョーラ、ちょっと開けてもいいですか?」

と、かなり不審な顔つきで言われ、手袋をした手で上から下までガサゴソと念入りに調べられ、検査官がカバンの奥底から取り出した袋を頭上にかかげ、「ポレンタ!」 と一言。

 これにはまわりの人たちも大爆笑。ポレンタと言うのは北イタリアではその昔、貧乏人の主食であったトウモロコシの粉なのです。40分もお湯の中でかきまわしながら煮て、お腹にたまるお粥を作ります。

 なぜにそんなものを3袋もカバンの中に忍ばせていたかと言えば、今月のグローバルキッチンのメニューの一つがポレンタだから。30人分ものポレンタが必要だったのです。皆さんに笑われただけで幸い没収されずにすみました(笑)。

 1人残してきた夫には申し訳ないのですが、今回ばかりは日本に帰ってきたのが嬉しくてたまりません。旅ならまだしも、いちおうは 「暮し」 でした。世界中どこにいようが 「暮し」 である以上は、日常生活からくるストレスがあります。日本の日常生活の中でなら、ごく簡単に解決できることでも、初めての地、しかも言葉のわからない地では難儀なアクシデントです。今から思えば、よくもまあ、その昔、身重のからだでギリシャ暮しなどを始めたものです。若さというものは、とてつもないパワーを持っているものだということが、つくづく身にしみました。

 私の日常はインターネットの上に成り立っています。どこにいようが、それさえきちんと繋がっていれば、今回のような不安もなく、ストレスだってもっともっと小さかったことでしょう。けれども、それが突然わけのわからない理由で絶たれてみれば、大げさに言えば、私は世界の動きを知ることもできなくなってしまいました。イタリア語の新聞もテレビも理解ができません。英字新聞を買うには、わざわざ地下鉄に乗らなければなりません。

 世界の動きや日本の動きだけではありません。家族の様子も、友の様子も皆目わからなくなってしまったのです。7時間、途中から8時間になった日本との時差は、私が朝目覚める朝には日本はもう午後です。帯状疱疹の痛みですぐには起き上がれなくても、手を伸ばしてPCさえベッドに持ち込めば、私は朝一番に娘たちのブログを開き安心し、メールの受発信を済ませ、おおかたのことは処理をすることができました。それからおもむろに、夫がベッドに運んでくれたコーヒーを飲みながら、友たちのブログを読んでは笑ったり、力をもらったり、一緒に悲しんだりしていたのです。

 そういうことが一切できなくなってしまったとしたら、それは不安やストレス以外のいったい何でしょう。せっせと書いた原稿や書類を送ることもできないのです。随分皆様にご迷惑もおかけしてしまいました。よっぽどの時には、PCを持ってホテルのロビーに忍び込んだり、町中のネットポイントを探し当てたりして難をしのぎましたけれど、それとて、この私のPCはコードがなければすぐに画面が薄暗くなってしまうのです。

 いったん手に入れた既得権を手放すことに人が抵抗を示すように、いったん知ってしまった世界はもう後戻りができません。ぶうぶうと文句を言い、不運を嘆きながら、そのうちに「はめられた!」と、気づきます。

 私が仕事を始めた頃は、テレックスという6つ穴の開いた長いテープを使って世界と交信していました。会社の特定の場所にテレックスの機械があってその前でなければ仕事ができませんでした。書類は何枚ものカーボン紙をはさんでタイプライターで打ちました。と言っても、これは英語だけで、日本語のタイプは専門のタイピストしか扱うことができませんでした。

 そのうちファックスが導入され、コンピュータの時代になり、今ではごぞんじの通りです。
 ある特定の場所でしかできなかった時代から、いつでも、どこでも、何でも、誰でもが当然のようにネットワークに繋がっている 「ユビキタス」 という時代になってしまいました。

 その便利さ、簡易さにこんなに縛られて、どこに行っても完全にオフなどありえなくなってしまい、結局は繋がらなければオタオタとする、肝っ玉のすわらない私のような依存人間が生まれてしまうのです。

 困ったものです、などと言いながら、私はさっきからずっとPCで繋がりまくっています。こんな環境に戻ってきたのが嬉しくて、しばらくは眠る気にもなれません。

 帰ってみたら、並木の桜も庭の桜もすっかり秋色に染まっていました。
 例のアレはいまだにキリキリ。リバデルガルダで発症しヴェローナへ、ミラノからまたアオスタヘ、そしてまたミラノ経由で東京へと、とうとうここまで連れてきてしまいました(笑)。
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グローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku (土日閉店)
11月12日(金)予告:苦肉の策の日本食ディナー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 00:16| Comment(0) | 日本ライフ

2010年08月12日

寝不足&オオボケの木曜日の朝

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 東に向かう時は時間が逆戻りするのに、西へ帰る時には、きちんとその分、早送りになります。

 あげく何が何だかわからなくなって、わからないままに、それなりに体内時間が調整されていきます。幸いなことに、いわゆる時差ぼけにはあまり悩まされずに、すぐに移動した地での生活を始められる方ですが、昨夜はやっぱり深夜に目が覚めてしまいました。

 ちょっと復習をしてみれば、日本時間の火曜日の夜6時にワシントンで起きて、途中の機内で少しばかり居眠りはしたものの、東京で横になって眠りに就いたのは昨夜12時。つまり、30時間起きていたことになります。それならそれで、起きていた分長く眠れるだろうと思いきや、そうはいかないのが辛いところ。 3時間で目が覚めました。それもかなりはっきりと。

 なのに寝ぼけました。自分が居るのが、つい昨日までいた家だとばかり思っていたのです。お昼寝から覚めて一瞬、「おや、ここはどこだろう?」 と思うのと似た感じです。

 かくして始まった8月12日、寝不足&オオボケの木曜日の朝です。

 写真は昨日の夕方の空です。
 いつものように成田から車に乗って、いつものようにレインボーブリッジにさしかかる頃に渋滞となりました。運転しながら暮れなずむ空の写真が撮れたのも、渋滞のおかげです(笑)。今あらためて眺めてみれば、橋ひとつ渡る迄にこんなに時間が流れていたのかということがわかります。

 空を見るのが大好きです。朝の空も、真昼の空も、夜の空も。
 そこに浮かぶ雲を見るのも大好きです。春の雲も、夏の雲も、秋の雲も、冬の雲も。
 町の真ん中であろうと、大海原であろうと、山の頂であろうと。
 晴れていようが、曇りだろうが、嵐だろうが。

 嬉しい時も、悲しい時も、空を見てきたような気がします。
 これからもきっと。
 そうして時に運ばれていくのだろうと思います。
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グローバルキッチンお品書き 
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8月13日(木): 今お気に入り! マウイ島のビール
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:17| Comment(0) | 日本ライフ

2009年12月29日

今日はお城も大掃除

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 松山の町は美しい朝焼けで始まりました。飛行機が飛ぶまでの時間に、ロープウェイで松山城まで上ってみることにしました。切符売り場で、はかま姿のマドンナが、申し訳なさそうに言いました。「今日はお城が大掃除の日なので中には入れないんですよ。」

 登ってみたら、まだ朝の9時前だというのに、確かに箒を持った集団があちこちに見られます。中学生らしいジャージ姿の子どもたちから、だいぶご年配の方々までが、手に手に竹箒を持ってグループごとに分かれています。その間で、テレビ局のクルーらしい人たちが大きなカメラを肩にかついでいます。

 リーダーの1人らしいオジサンが私たちのところに近づいてきて言いました。

「すみませんねえ、1年のうちで、お休みは今日だけなんですよ。毎年12月29日にこうしてボランティアの人たちを集めてお城の大掃除をするんです。天守閣のスス払いもやるもんですから、テレビの人たちも来ていて。。。。。。せっかく来ていただいたのに本当に申し訳ありませんねえ。」

 いえいえ、とんでもありません。年に一度の特別な行事に居合わせたんですから、むしろ運が良かったぐらいです。だって、天守閣に登るのなら、残りの364日のどこかに来ればすむことですけれど、大掃除はたった一日だけなんですから。宝くじに当ったようなものではありませんか。

 お城はすっかりきれいになって、お正月を待っています。
 私も明日は大掃除。

 ところで空港行きのリムジンバスで大恥をかきました。終点の松山空港で大荷物と一緒に降りようとする時、先に立って二人分の乗車賃を払おうとした夫に、ワンマンバスの運転士さんがしきりに何かを言っています。聞き耳を立てた私、繰り返される 「ドコカラデスカ?」 という言葉に、お助けウーマンよろしく彼に代わって叫んでしまいました。「アメリカからです!」

 車内は大爆笑。「大街道からです。」 と、乗った場所を申告しなければいけなかったのでした(笑)。

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先週のグローバルキッチンお品書き
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月曜日:真打登場〜ムサカ
火曜日:美味なるアバウト〜酢力のお漬物
水曜日:カオニヤ マムアン〜カズコさんのマンゴーデザート
木曜日:ポットラックパーティの面白さ
金曜日:タイの台所〜セムヌア
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2009年12月28日

内子と道後のゆったり、ふらふら、フワフワ時間

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 2009年もあと3日となってしまいました。思い返せば何だか駆け足ばかりしていたような年でした。とりわけ、この12月は足元ばかり見ながら、せかせかと急ぎ足で歩いてばかりいたような気がします。今、最後の最後になって、ようやくゆっくりと歩き始めました。

 松山の2日目。JR松山駅から予讃線の特急で内子という古い町へ行きました。小さな駅に下り立てば、狭い通りの両側に、伝統的な民家やお店、歴史の重みをいだいた重要文化財の建物などがひっそりと並んでいます。そんな町並みを歩くのに、急ぎ足は似合いません。時間を気にせず、ゆったり、ふらふらと歩けば、心もそれに合わせてスポンジケーキのようにフワフワしてきます。

 フワフワの心でいると、ふだんは見過ごしてしまうものがたくさん見えてきます。嬉しくってますますキョロキョロしていると、ますます素敵なものが見つかります。そんな時には、通りすがりの見知らぬ人も、知り合いのように微笑んでくれます。

 1時間に1本の特急で再び松山に戻り、その足で、今度は路面電車に乗って、終点の道後温泉まで足を伸ばしました。道後温泉本館の入り口で400円を払って、冷えたからだを「神の湯」で暖めながら、地元のおばあちゃん達の裸のおしゃべりを聞いていれば、心もからだもますます溶けていくのがわかります。湯上りの「道後ビール」に、ヌクヌクと溶けた心身がますます喜びます。

 「こんな時間のために頑張って来たんだな。」「今年一年頑張ってきたご褒美かな?」と思うと、何だかもう少し頑張れるような気がしてきました。やっぱり旅は素敵です。たとえ、明日、再び日常生活に舞い戻ってしまうとしても、この四国での日々があるのとないのとでは大違いです。

 嬉しいことや、ありがたいことや、美しいものや、優しいものは、私の大切な貯金です。しかもこの貯金、この不況のご時勢だって、その気になればけっこう増えていきます。銀行や郵便局に預けている貯金はほとんどなくったって、何だかんだのありがたい配当にいつも助けられています。
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2009年12月27日

「繋がり」の2009年

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 お日様がキラキラと水面に揺れ、目の前一杯に水平線が広がる桂浜で午前中を過ごした後、高速バスに乗り、ここ松山にやってきました。心をこんなに伸びやかにしてくれたのは、広大な太平洋のせいばかりではありません。

 高知では南国の人情に触れるたくさんの出会いがありました。もともとが南人間の私が、高知モードに切り替わるのにはさして時間はかかりません。このご縁をとりもってくれた貴子さんが、「高知の仲間は、激しいですけど。。。。暖かいです。」 「あまりの熱さに嫌気さしていません?」 と気遣いメールを届けてくれましたが、私はその激しさ(笑)、暖かさ、熱さがピタリと肌に馴染んで、ふとした縁で出会った初めての人たちが、まるで旧知の友のように懐かしく、嬉しく、海のように心を伸びやかにしてくれました。

 昨夜7時に 「花まぐろ」 という鮪料理のお店に11人もの人が集まって、「トーマス博士と直美先生を囲む会」 を開いてくれました。これが、噂の 「土佐のお客」。遠方からの客人を囲んで、自分たちも目一杯楽しんでしまおう、という素敵な風習です。さされた杯は、さしかえさねばなりません。「瀧嵐」 をさしつさされつしているうちに、みんなのテンションが一緒に盛り上がっていきます。新鮮な鮪料理の数々と、土佐の人たちの陽気な饒舌と、するりと喉元を過ぎるお酒に、もう何に笑い転げているのかもわからぬぐらいになってしまいました。

 そもそもの発端は、11月に貴子さんが高知空港からかけてきてくれた1本の電話でした。高知でも圧倒的な人気を誇るキャリアカウンセラーの小島貴子さんは、大を思いっきりたくさんつけたいぐらいに大好きな自慢の友であり、尊敬する仕事人です。一仕事を終えて東京に帰る前にたまたま電話をくれた時、まあ、なんと言う偶然でしょうか、私たちはまさにその前日、高知旅行のプランを立てたばかりだったのです。

 そんな偶然が、「小島組」 の一の子分のニノミヤ姐さんに引き継がれ、私の昨日の高知学園短大でのキャリア講演へと繋がりました。昨夜の 「土佐のお客」 大宴会は、名目こそ 「トーマス博士と直美先生を囲む会」 ではありましたけれど、実は 「小島組」 の集会でもありました。(笑)

 今年のアメリカ版流行語大賞(Oxford Word of the Year)は、「Unfriend」 という言葉に決まりました。「友達をやめる」 とか、「絆を切る」 と言うような意味合いの言葉です。ネットで簡単に繋がる時代だからこその言葉なのでしょう。

 けれども、2009年の言葉として「ナオミ版流行語大賞」に挙げられるのはこの言葉です。

 「繋がる」

 1つの暖かい繋がりからどんどんと輪が広がっていく、そんな2009年でした。しかも 「繋がり」 は現在完了形ではなく、明らかに 「現在進行形」 として泉の水を湧かせ続けています。そして、「繋がり」への感謝の気持ちを持ち続けていれば、それはきっと 「未来形」 へと繋がっていくのではないか、と思うのです。何て嬉しいことでしょうか。

 結局、予定していた足摺岬も四万十川もあきらめることとなりましたが、何かを残しておくことも次への繋がりです。別れ際にニノミヤ姐さんが言いました。

「次は足摺岬に一泊しましょう!」
「今度は鯨も見に行きましょう!」
「貴子先生も呼び出して、3人で飲んだくれましょうか。めちゃめちゃ楽しいでしょうねえ。」
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2009年12月24日

性懲りもなくまた〜高知最初の夜

PC242215.JPG 今日はこんな話題ではなく、昨日のナイスパーティーの模様ですとか、意気揚々と高知のことを書くはずだったのですが、、、、、、、、どこからか、「えっ、また?性懲りもなくゥ」 とあきれた声が聞こえてきそうです。

 その昔仕事場だった羽田空港とは、つくづく最近は相性が悪いようです。あの悪夢のような不手際がいったいいつのことだったかしらと、手元の手帳を繰ってみれば、2月15日の日曜日。その朝、私は仕事の相棒と雪の山形へと飛び立つはずでした。

 ところが、ちょっとしたアクシデントがあって、早朝のコネクションがうまくいかず、次々と予定の電車を逃してしまったのです。あげく、息せき切って空港にたどりついたのは、すでに搭乗扉が閉まった後となってしまいました。

 いつまでも来ない私ををギリギリまで待っていた相棒と、山形空港で出迎えてくれるはずの仕事仲間、そして、すでにしっかりと組まれていた午前中の予定を思うと、能天気な私もさすがに目の前が真っ暗になりました。けれども、どんなに懇願してみようが、いったん閉じられた扉は開きやしません。新幹線で行くことも考えたのですが、結局は次の飛行機を待つほうが早いことがわかり、3時間以上もの時間を空港のラウンジの椅子の上で過ごしたのでした。

 あの時の身も縮むような思いがトラウマとなって、今回は車で行くことにしました。いくら短期の国内旅行だとは言え、人前で講演をしたり、土地の名士の方々とお会いする場があると聞けば、ジーンズで通すわけにもいきません。スーツと靴、仕事の資料、お世話になるたくさんの方々へのおみやげなどを揃えたら、ちょっとした海外旅行なみの荷物となってしまいました。車で行こうと思い立ったのはそんな背景もあったのです。

 さあて、車を置きっぱなしにする駐車場にナビをあわせ、ラジオから流れてくるクリスマスソングとスイスイ走る高速にいい気持ちになっていたところに、とんだ災難が舞い込みました。高速を下りてしばらくしたところで、見渡す限りのトラックの海の中にはまってしまったのです。まさに、「Stuck」という言葉そのものの大渋滞でした。

 この1〜2週間はとりわけ忙しかったのも事実です。でも、それにしたって、もう少し予習をして、この時期の交通状況について把握しておくべきでした。とにかく抜け出そうと、必死で側道に出てみれば、私の憐れな古いナビはもうどうしてよいかわからなくなって、ひたすら「リルートを開始します。」を繰り返します。走れば走るほど目的地までの走行距離が増えていきます。飛行機が飛び立つ時間は刻一刻と迫ります。まさに悪夢でした。

 結局、11時40分の飛行機には間に合いませんでした。でも、決して最悪ではなかったのです。事故にも遭いませんでしたし、15時の便には空席がありました。そして、予定外の3時間をまたもやあの懐かしい「エアポートラウンジ」の椅子に身を沈めながら、ビールと読書三昧の贅沢時間を過ごせたのですから。高知空港で待っていてくれるはずのニノミヤさんは、カラカラと笑いながら、「いいですよー、じゃ、4時半に迎えに行きますから。」と言ってくれましたし、すでに支払い済みのホテル代を無駄にしなくてもすみましたし、、、、、、、私って何て運がいいんでしょう!

 こんな風に 「決して最悪ではなかった」 などと言いながら、実はかなり最悪瀬戸際だったにもかかわらず、良いことをたくさん挙げ連ねては、「私って何て運がいいんでしょう!」 などと言っている我が身はつくづく大雑把で楽観的な人間だと思います。でも、だからこそ、いつだって本当の最悪の事態にはならずにすんでいるようにも思うのです。

 同行の夫が、なじるでもなく、一言ポツリといいました。助手席にすわって私と同じようにハラハラドキドキしながら、情報もろくに取らず、判断もお粗末だった私のリスク管理のなさにつくづく呆れていたことでしょうに。

「今度行く時は電車にしよう。」
 救われました。

 色々ありましたが、飛行機に乗ってしまえばしめたもの。「こちら」 の世界から 「あちら」 の世界への移動はいつだって心が弾みます。かくして高知最初の夜が始まりました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2009年12月08日

白昼の東京プチ旅行

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 空気の冷ややかさはさすがに冬ですけれど、明るくおだやかな日差しをまとって歩けば、足取りも軽くなります。たとえ仕事であろうが、私用であろうが、野暮用であろうが、気分はすっかりプチ旅行。
 
 夕方から始まる会議の前に寄らねばならないところが2箇所。
 第一のスポットは世田谷区役所そばのオフィス。いつもは車で往復するのが、今日は第二スポットへのルートを考えて直前まで迷ったあげく、初めて電車で行ってみることにしました。

 ふだんは乗らない小田急線の各駅停車に乗り、豪徳寺で下りてちょっと歩けば、そこは世田谷線の山下駅です。「えっ!これが駅?」 と思えるような小さな駅は、東京23区内にいることを忘れさせます。

 切符売り場も改札口もありません。小さなホームで待っていれば2両編成のオモチャのような電車がやってきます。

 電車はガタゴトと家々の間を走ります。洗濯物が干してある軒下や、山茶花が咲く垣根のすぐ横をガタゴトと走ります。商店街では、おじいさんとおばあさんが立ち話をし、店のガラス戸を濡れ雑巾でゴシゴシとこすっている白い三角巾のおばさんがいます。お兄さんは手書きで書いたセールのポスターを持って梯子に乗り、その下では親方らしき人が、指で指図をしています。まるで 「もう少し上、それじゃ上過ぎだよ。」 などという声が聞こえてきそうです。

 ゆっくり走る電車の窓からは、ゆっくりと色々なものが見えてきます。
 ゆったりとした心の窓からは、ふだんは見えなかったものが見えてきます。

 ところで、私、大失敗をしました。目的の駅に電車が止まり、ついいつもの癖でそのまま開いた扉から出てしまったのです。ガタゴトとホームを後にする電車を見ながら気が付きました。
「あっ、お金払ってなかった!」

 よくよく見れば、小さくなっていく車両の一番後ろに若い女性の車掌さんの姿が見えました。誰一人咎めもしませんでしたけれど、きっと下りる時には車掌さんにお金を払うことになっていたのでしょう。

 小さなお店が立ち並ぶポカポカ道を歩きながら考えました。そして、とりあえずは仕事を済ませ、また同じ世田谷線に乗った時にこう謝ってみることにしました。「先ほどは失礼しました。お金を払わずに下りてしまいました。」 そして、往復2回分の乗車賃をお支払いしようと思いました。

 やってみました。そうしたら、今度は若い青年車掌さんがこう言いました。

「あっ、結構ですよ。前の分は体験乗車だと思ってください。ご乗車ありがとうございます。」

 東京もなかなかやります。素敵な白昼の東京プチ旅行でした。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2009年09月24日

グローバル社会の 『枡(ます)コミュニケーション』

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 小学校の頃から通信簿の 「体育」 だけはどう頑張っても平均以下。からだが小さい上に根が不器用なものですから、ドッジボールではいつもひたすら球に当らないように逃げまくり。走れば走るでどん尻。今でこそ 「半水棲動物」 などと称して暇さえあれば泳いでいますが、その昔、いえ、つい20年前までは泳ぐこともできませんでした。そのうち親もあきらめて、「おまえは運動が駄目なんだから、その分、勉強してなさい!」(泣)

 こうして大人になってからも、苦手意識はしっかりと心の中に根を下ろし、たとえゴルフのお誘いなどがあったとしても、「いえ、私は。。。。」 と体よくお断りしています。あげくは、新聞もスポーツ欄はすっ飛ばして読むようになってしまいました。いけないことです。

 よりにもよってそんな私のところに、大相撲秋場所枡席観戦のご招待が舞い込みました。勝ち負けがはっきりしているお相撲ならば私でもわかるかもしれないという安易な気持ちに加えて、未体験の日本文化に触れるのもいいだろうと、シルバーウイーク最終日の昨日、未踏の地たる国技館へと足を運ぶことになりました。

 「僕たちは午前中から行ってますけれど、お二人は中入り後からご覧になったらいかがですか?3時半頃来てくだされば入り口までチケットを持ってお迎えにあがりますから。」

 「中入り後」 などという専門用語(笑)もよくわからぬまま、両国の駅に下り立てば、迎えてくれるのは色とりどりのノボリ旗。ここらへんから100%素人でもさすがにウキウキしてきます。入り口を抜けた先の通路の両側には、紙袋を山積みにした小さなお店がズラリと並んでいます。「お茶屋さんですよ。」 と言われ、「これがお茶屋さん!」 と呟く様は恥ずかしながら本当に素人そのもの。

 通された枡席は、4人が座るにはかなり小さなスペース。場内ははるか上の方まで見渡す限りの人です。いつの間にやら夢中になって、相撲通の友の真似して声張り上げて応援してみたり、前の席のご婦人の 「あみにしきぃ! 良かったよぉ!」 などと言う叫び声にホンワカと心なごんだり、左隣りの桝席のすっかり酔っ払ったおじいさんの 「アホ!モンゴルなんかに負けるな!しっかりしろ!」 などというナショナリズムむき出しの掛け声にあきれてしまったり。。。。

 江戸時代の初め頃から歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋で普及し始めたという桝席、当時は、早朝から日没まで一日がかりの娯楽だったということです。

 なるほど、単なる観劇や観戦には収まらぬ「娯楽」という言葉が実に身に染みる体験でした。約1.5メートル四方の小さな囲いの中で、4人の大人がビールを飲み、焼き鳥をほお張り、枝豆をつまみ、お煎餅をかじりながら、声張り上げたり、拍手喝采をしたりしながら共に過ごした時間は、浮世の憂さも、仕事のストレスも完全に忘れさせてくれました。招待主にして相方は、弁護士さんと眼科医さんの素敵なご夫婦。けれども、最初から最後までおたがい仕事の話は一切せずに、目の前の力士たちの奮戦ぶりに、子どものようにキャアキャアと打ち興じておりました。

 結びの一番、白鵬と魁皇の対戦が終わって、お弁当やお煎餅の入ったお土産袋をいただいて薄暗がりの外の世界に出た時には、もともと親しかった4人組の距離がますます縮まったように思えました。マスコミならぬ 「枡コミ」 の威力です。

 一夜あけて、朝刊のスポーツ欄の 「琴欧 ばったり3敗目」 という大見出しの横に、把瑠都(ばると)にはたかれて土俵に手を着く寸前の琴欧州の写真が掲載されていました。「そうそう、そうだったのよね。」 と前日の熱狂を思い出しながら、昨日まではすっ飛ばしていた面の文字を追いました。どうやら遅ればせながら新世界が開き始めたようです。

 それにしても驚きました。いただいた 「大相撲9月場所」 というパンフレットを見ていたら、何と写真付で紹介されている70人の力士のうち、外国人力士が20人もいるではないですか! 「国際」 を柱にしている大学だって、これほどの留学生率を誇るところはまずないはず。もしかしたら、今やお相撲こそが一番のグローバル社会?
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2009年09月06日

TOKYO MAGIC〜お神楽からサルディニアへ

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 8月にお誕生日を迎えてひとつ年を取ったはずの我が相棒は、相も変わらぬ、それどころか、いよよ華やぐ好奇心でいっぱいです。おかげで、対する私の世界も広がっていきます。

 仕事の後の夕食の席では、決まったように新聞の切り抜きやら、メモ書きなどを持参して、「こんなものをやってるよ。」 「こんな所があるよ。」 → 「行ってみようよ。」 → 「そうね、行ってみましょうか。」 の定番の流れで私をその気にさせます。もちろん、私が、「ねえねえ、こんなものやってるわよ。」 「こんな素敵な所があるわよ。」 と口火を切って、相手をその気にさせる逆バージョンもあります。かくして、週末に、いえ、時には平日ですら、その気になった2人が好奇心に駆られて町へと繰り出します。

 好奇心の領域と度合いがある程度重なっていて、双方に同じぐらいの乗りの良さがある、ということが、楽しい共同生活のカナメではないかと思います。 「こんなものが!」 「こんな所が!」 の発見に対して、 「あ、そう。」 とシラッとして噛み合わなかったり、 「どうぞご勝手に。」 と突き放したりしてしまえば、寂しい生活となります。周りを見回すと結構いるもんです、そんな自立し過ぎたカップルが(笑)。

 一昨日の夜、相棒がヒラヒラと持ってきたのは、北沢八幡神社のお神楽と、渋谷のサルディニア料理レストラン、代々木公園のスリランカフェスティバルが紹介された金曜日のジャパンタイムズの記事でした。

 かくして昨日の土曜日は、日が落ち始めて涼風も心地よい夕方から、北沢八幡神社へと足を向けました。下北沢は気さくで楽しい下町。お祭でなくたって人が一杯です。神社の方角がわからずウロウロしていると、買い物籠を持った老婦人が、

 「ご一緒しましょうか、私もそっちの方に行きますから。」 に始まって、ご婦人のユックリ歩調に合わせておしゃべりをしながら歩いて行くことになりました。その間の短いおしゃべりで、色々なことを聞かせていただきました。14年前にくも膜下出血で倒れたこと、以後朝晩のお買い物に出て歩くようにしていること、2人の息子さんが出て行った後の広いお宅で暮らしていること、私の母と同じ年であること、普通の生活ができるようになったことをどんなに有難く思っているかということ。。。。。

 別れ際に、 「どうぞおからだを大切に。いつまでもお元気でいてくださいね。」 とお礼の言葉に付け添えたら、私のからだを細い腕で抱いて、 「ありがとう、あなたもね。でも、何て嬉しいこと。地元のお祭にあなた方のような人たちがわざわざ来てくれるなんて。」

 「下北沢下町風人情」 の一幕に触れて、遠くから風に乗って届くお囃子の音にひときわ足取りも浮き立ちました。

 お祭はいつだって心踊ります。次第に暗くなっていく神社の境内に置かれた折り畳み椅子に座って、ラムネなど飲みながらお神楽を楽しむうちには、浮世の憂さなど忘れます。相棒は日本人ではないだけに、より一層こうした日本文化が面白くてたまらない様子です。そんな彼の好奇心のおかげで、私も、一人なら見過ごしたり、通り過ぎてしまう事にも、足を留めることができます。そしてそれが今まで気付かなかった面白大発見だったりもするのです。

 人ごみを抜けて駅へと戻り、お神楽の後はサルディニアレストランへ。サルディニアと言えば、イタリア20州の中の一つ。地中海でシチリアの次に大きな島です。島のワインを飲んで、島のオリーブオイルをなめて、他では見たことのない思いきりローカルな料理を頼んで、ヒタヒタと幸せな気持ちに満たされていきます。同じく幸せそうな相棒がこんな言葉を呟きます。

 「KAGURAから30分で、僕たちは今SARDINIA。東京って言うのはつくづくマジックシティーだねえ。本当にエキサイティングだ!」

 私たちの心がけ一つ、行動一つで、町はマジックショーのように私たちを楽しませてくれます。
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2009年08月28日

東京だってまだまだ、地球だってまだまだ

P8280501.JPGP8280492.JPGP8280490.JPG アメリカ大陸の東岸から大移動をしてまだ3日目というのに、 「あの日々は夢だったのかしら」 と思うぐらいに、とっぷりと東京人になってしまいました。この町でも、毎日いろいろ面白いことがあり、毎日いろいろ素敵なものを発見しています。

 昨日、ヒロタの広野社長の名言、 「犬も歩けば棒に当る。歩きまわってください。やってるうちに出会います。当ります。」 をご紹介しましたが、同じように、何かを楽しそうにやっている人のところには人が集まってくるように思います。素敵なものを発見できるようになると、次々と素敵なものが目に飛び込んできます。

 昨晩、仕事帰りのネイルサロンで、ネイリストのタマキさんが、 「高校時代からの親友と何だかギクシャクし始めちゃって。もう随分会ってないし、会いたくなくなっちゃったんですよね。」 と私の爪をきれいに整えながらポツリ。 「会っても愚痴や人の悪口ばかりだし、何だかだんだんこっちの気持ちまでダウンしてきちゃうし。やっぱり人って、ニコニコしている人の方に行っちゃうじゃないですか。」 とまたポツリ。これなんかも同じことだと思います。

 今日も人が集まりました。一昨日から銀座で開催している絵本展で、 「環境紙芝居」 という試みをやってみたのです。児童環境教育研究会代表で、 「えっちゃんとシロのぼうけん」 「シロクマのおやこ」 の絵本作者でもある澤光春さんが、今日も子どもたちに、シロクマの親子の紙芝居を通して、優しい言葉で地球温暖化を語ります。 「このままでいったら、君たちが大人になった頃にはシロクマさんがいなくなってしまうかもしれないんだよ。じゃあ、今、何をしたらいいと思う?」

 小さい頃に教えてもらったことや、刷り込まれたことの記憶、ドキッとした体験、そんなことは大人になってもずっと心の底に残ったまま、思わぬところで私たち大人の思考や行動に影響を与えることがあります。

 たとえば。。。。。。。。
 私の義妹は、銭湯で父親に、あやまって湯船の中に落とされてしまいました。以来、大人になっても水アレルギーに悩んでいます(笑)。
 私の妹は、姉の私が持つ爪きりがすべって指を切られてしまいました。以来、いまだに私が爪きりを持つと青ざめます(笑)。
 私の娘は、富士山を望むペンションで、自分の背丈よりも大きな犬にとびつかれました。そばにいながらすぐに助けてくれなかった親をいまだに恨んでいます(笑)。
 白菜の漬物が大好物だった私は、母が大工さんに出すために用意していた漬物を全部食べてしまいました。ひどく怒られて、以来、白菜の漬物を前にすると緊張しています(笑)。

 かくかくしかじか、笑いですませられるものばかりならいいのですが、大人たちの間違った刷り込みや知識は、大人になった子どもたちをも縛ってしまいます。逆に、子どもの頃から、いなくなってしまうかもしれないシロクマの親子に気づいた子どもたちは、そうではない子どもたちとは違う大人になって行くでしょう。今すぐに何かが起こり、何かが変わるわけではなくとも、澤さんたちのような、地道で継続した活動はきっと何かを変えていくはずです。

 朝の銀座通りで素敵な発見をしました。パンの木村家さんの前に置かれた鉢植えの花で蝶々が遊んでいました。向かい側に目を転じたら、三越の前で高野山から来た托鉢の若いお坊さんが携帯電話を手に天を仰いでいました。東京はまだまだ蝶が飛び、まだまだ素敵なワンダーランドです。地球だってそのはずです。
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2009年07月22日

クーミュニケーション クーミュニティー

P7120019.JPGP7140043.JPG 移動祝祭日のように、クルクル尻尾の黒い天使がやってきます。黒だぬきちゃん、と呼ばれたり、黒なすびちゃんと呼ばれたり、時には黒豚ちゃん、と呼ばれたりしている8歳の黒パグ、クーちゃんです。こうしている今も、私がキーボードを打つ手首に顎を乗せて、かなりの揺れも何のその、安らかな寝息、いえ、イビキをかいています。この子がいる間はできる限り、在宅仕事に切り替えたくなってしまうほど、ぞっこんです。

 朝と夜のお散歩は黒だぬきちゃんの晴れ舞台です。 「クーちゃん、いつ来たの?」 と遠くの方から駆け寄ってくれる人、 「クーちゃん、元気だった?」 と座り込んで話しかけてくれる人、 「クーちゃん、いい子だねえ。」 とニコニコと頭を撫でてくれる人。

 ゆっくり歩くそんなお散歩タイムは、私にとっても思索の時間だったり、発見の時間だったりします。そして近隣の人たちとの素敵なコミュニケーションタイム、コミュニティータイムでもあります。たとえおたがい名前は知らなくとも、 「クーちゃんのママ」 であり、 「ヒメちゃんのママ」 であり、 「ハニーちゃんのパパ」 であり、 「ジャック君のおじいちゃん」 です。 

 「あらクーちゃん!」 と今朝一番に声をかけてくれたのは、よくよく見ればヒメちゃんのママ。1月ほど前にお会いした時からすっかり面変わりしてしまって、ヒメちゃんさえ連れていなければ一瞬誰だかわからないほどでした。 「随分お痩せになりましたね。」 と言うと、 「ええ、7キロも痩せてしまいました。どうも手が痺れるのでお医者様に行ったら、パーキンソン病だということで。左半分が思うように動かなくなってしまって。。。。でも、この子のおかげで毎日こうしてリハビリしてます。」 と明るく笑って、片足を引きずるようにしてゆっくりゆっくりヒメちゃんと歩いて行きました。

 遠くから 「クーちゃん!」 と名前を呼んでくれたのは、ハニーちゃんのパパです。右手でいかにもリードを持っているような手つきをしながら歩いてくるのですが、不思議なことにいつも手の先にいるハニーちゃんがいません。 「お久し振り!ハニーちゃん元気ですか?」 と言うと、 「実はねアイツ、亡くなっちゃったのよ。4月30日に。29日に仕事から戻っていつものように一緒に眠って、翌朝見たら廊下で死んでたの。ま、癌だって言われてたから覚悟はしてたんだけどねえ、前の日まで一緒に散歩していてさ、あんまり急だったもんだから。今でもついこうして毎朝、ハニーと散歩した道、歩いてるんですよ。」 と涙目になりながら、クーのからだ中を愛おしそうに撫でました。

 そして今度は夜のお散歩でのこと。おじさんが一人でやっている花屋さんの前を通る時、クーはいつでも石段を一つ上がって、店の中に挨拶に入ります。そして花を切ったり、花束を作ったりしているおじさんの後からワンと一声。 「コラ、びっくりするじゃないの、クーちゃんでしょ! 久し振りねえ。」 そしてこんなおまけが続きました。 「ねえ、クーちゃん、このバラ、ママに飾ってもらいなさい。ちょっと開きすぎちゃってるけどさ、女の子なんだからバラ、好きでしょ?」 というわけで、右手にクーのリードをひき、左手にたくさんの薄いオレンジ色のバラをかかえてのお散歩となりました。

 クルクル尻尾の黒い天使がプレゼントしてくれるこんな素敵な交流を、私はひそかに、 「クーミュニケーション」 と呼び、黒い天使が広げてくれるこんな優しい人の輪を、 「クーミュニティ」 と呼んでいます。

 黒なすびちゃん、ありがとう。

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2009年07月19日

素敵なつながりの朝

[.JPGP7190095.JPG 昨日書いた 「荒唐無稽なギリシャの神々の広場」 へ、askaさんからこんな素敵なコメントをいただきました。ありがとうございます。

 「ずっと読ませていただいているのですが、なんと魅力的な講座でしょう(笑)!アテネ五輪時、毎日新聞でギリシャ料理を紹介する直美さんに驚き(美しい!)、ヨミウリオンラインでのレシピ通りにうちでも作りました♪ズッキーニとなすのティガニタとジャジキ、タラモサラダ、あと別レシピを探してムサカ。レッチーナを取り寄せ(にんにくとオリーブオイルにすごくよく合うのですねー)、親の上京時にギリシャ産のフェタをたくさん買って来てもらい、メラメラ燃える柔道観戦♪「野村ー、谷ー、おめでとう〜、ありがとう〜!(涙)」と、おかげ様でとても楽しめました、酔ってワイングラス割っちゃうくらい(笑)。今回、チーズケーキが大変気になりました。本になってもネット上でもいいです。よければレシピをまた教えてくださ〜い!」

 レシピ、教えますとも!えーっ、簡単でございます。いつもながらのナオミライクな手抜きです。クリームチーズを使ったごく普通のレアチーズケーキをギリシャ風にするべく、ヨーグルトを1カップぐらい加えてみました。そして固まったケーキの上から、オレンジの絞り汁と砂糖を煮立てて作ったシロップをまわしかければ、何だか、突然変異を起こして、アメリカンチーズケーキもギリシャ風チーズケーキとあいなります。(笑)

 さて、今朝はいつもの朝とは大違い。目覚めるやいなやバタバタと階段を上がって、めったにテレビを見ない私が、今か今かとテレビの前でリモコンを握り締めていました。7時からのNHK教育テレビに歌人の松村由利子さんが出演するという情報を我が親友がメールで教えてくれたのです。

 「ここ数年、短歌に興味を持っているのですが、日曜朝7時からのNHK短歌を欠かさず見たり、いつぞや直美さんにご紹介いただいた本を読んで以来、大ファンとなった松村由利子さんのブログを覗いたりしています。で、19日の上記の番組のゲストとして松村さんが出演するそうです。ご興味があればと思い、これを打っています。」

 当時、毎日新聞の記者だった松村さんと初めてお会いしたのは、まさにギリシャオリンピックの夏でした。ご一緒に原宿のギリシャ料理の店で食事をしながら、ギリシャ料理についての楽しい取材を受けました。その後、また、男女雇用機会均等法の特集でインタビュー記事を書いていただきました。取材が終わって近くのタイ料理のレストランで昼食を食べながら、最後に彼女がまっすぐに私を見つめて言いました。2006年初春のことでした。 「池澤さん、これが新聞記者としての私の最後の仕事です。」 そして私に一冊の本をくれました。そこで私は初めて彼女が歌人でもあることを知りました。それが 「鳥女」 という松村さんの2冊目の作品でした。帰りの電車の中でページをめくり始めたら、中ほどまで来たところでどうにも押さえきれなくなり、せつなくて、せつなくて、人目も憚らず泣きました。

「これからは東京を離れ、歌人として生きていくつもりです。私のライフワークである与謝野晶子を仕上げるためにも。」

 あの時、凛としてこう語った松村さんは、今年2月、「与謝野晶子」を出版しました。テレビで見る松村由利子さんは、優しくたおやかで、もの静かな気品に満ち、あの時、新聞社の中をパンツ姿で颯爽と歩き、キビキビした雰囲気を身にまとっていた方とは別人のように見えました。番組の最後で 「与謝野晶子」 のご本が紹介された時、 「とうとうやったのですね、由利子さん!」 と、
何だかとても嬉しくて、誇らしくて、またちょっとばかり涙が出てきてしまいました。

 不思議な気がします。何かがどこかでつながっている感じです。
テレビを消して仕事部屋に戻り、askaさんからのメッセージを見つけました。Askaさん、あなたが言う、 「アテネ五輪時、毎日新聞でギリシャ料理を紹介する直美さん」 と言うのは、それこそ松村由利子さんが書いてくださった記事なのですよ。

 やさしきは地上最後の恐竜が凍えつつ見た雪片の白 (松村由利子 「鳥女」より)

 私が大好きな歌です。今でも口にするたびに、3年前に電車の中で初めて読んだあの時と同じ思いに心揺さぶられます。

 PS. 夕方のにわか雨の後、空にこんなくっきりとした虹がかかっていました。素敵な朝は素敵な夕につながりました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2009年07月14日

ちょっと、そこのお若いの、苦労は買ってでもするものですよ!

P7140061.JPGP9130374.JPG 昨年より5日も早く、関東甲信の梅雨明けが報じられました。明日からは一途真夏日へと向かうのでしょうか。

 仕事に向かうギューギュー詰めの朝の車内で、若い男の子2人と女の子1人のおしゃべりが耳のすぐそばから聞こえてきました。

「今、何やってるの、バイトぉ。」
「スタバとエクセの掛け持ち。スタバが厳しくてさぁ、大変。」
「まじっすかぁ?オレなんか、コンビニ、まじ楽っすよぉ。こんな楽してお金もらっちゃってヤバイっすょ。」
「わかる、わかる。オレもさぁ、もうフリーターでいいやって感じ。」
「えっ、まじぃ?私もコンビニにしようかな。」

 やれやれ、困ったもんだと思いながらも、 「あんた達、今そんなに楽してたら先がどうなると思ってるのよ。苦労しなさい、苦労を!」 とお説教の一つも垂れたいところを、ぐっと我慢して聞いていました。

 「厳しくってさぁ」 のスタバことスターバックスコーヒーには接客のマニュアルがないことで知られています。お辞儀の仕方も挨拶も自発的判断だそう。だからこそ逆に 「厳しくってさぁ」 に繋がるのかもしれません。確かに、マニュアル通りにやっている方が楽に決まってます。

 そんなスタバは今年の3月末の時点で日本国内に854店舗。今やちょっとした町では必ずあの緑のロゴを見かけるようになりました。その第1号が1996年夏に開店した銀座、松屋通りの店でした。言わば、ここから日本のカフェブームが巻き起こったわけです。実はこのスタバ史に残る店とは深い深い縁があります。

 私が仕事をしているオフィスは同じ松屋通りにあります。銀座と言うのは実に面白い町で、通りごとに会があり活動をしています。並木通りには並木通り会、金春通りには金春通り会、そしてそれら全てをまとめているのが銀座通連合会と言った具合。お隣さん同士の連帯も強く、月に1度、松屋通り会の面々が松屋の前に集まっては、一緒になって通りの掃除をしています。つい先日も、11時に召集がかかり、箒と塵取りを渡されて30分間、松屋通りの清掃を行いました。ほとんどゴミもなく、たまにあるのは落ち葉やタバコの吸殻ぐらい。それでもみんな通りのあちらこちらへと散ってはせっせと箒を動かします。そんな労働の対価として配られるのが、お仲間の第1号店で好きなものを頼んでいい、と言う 「スタバ券」 です。ふだんはお財布とにらめっこをしながら、 「ドリップコーヒーのS !」 などと言っているのが、勢い、 「抹茶 クリーム フラペチーノの一番大きいヤツ!」 などと叫んでしまっています。

 あちこち旅をしていて、だいたいはその国、その土地にしかない店に入ることにしていますが、疲れてくるとついスタバに飛び込んでしまいます。スタバはまさにユニバーサルカルチャー。クレタ島の店も、イスタンブールの店も、一歩中に入れば全く同じ雰囲気です。本を読みながらウトウトお昼寝でもして目覚めたら、 「あれ、私、銀座にいるんだっけ。」 というぐらい。

 そうそう、大学に入ってアメリカ文学の授業で読まされたのは、 「Call me Ishmael.」 で始まる長い長い135章にもわたるメルヴィルの 「白鯨」 (Moby Dick) でした。とうてい原文で理解できるわけもなく、日本語訳された文庫本を脇に必死になって読みましたが、それでも難しかった。けれども、理解できないながらも 「ああ、これがアメリカ文学だ!」 という雰囲気に酔いました。そして、一生懸命背伸びをして、エイハブ船長と一等航海士スターバックをテーマに小論文を書きました。この小説からスタバが命名される将来など誰が予測をしたでしょう。

 ちょっと、そこのお若いの、若いうちの苦労は買ってでもするものですよ。わからなくても、とにかくやってみるものですよ。
 「もうフリーターでいいやって感じ。」 などと楽をしてはいけません!
 この私だって、もう一度、あの時わからなかったあの本を再び読んでみよう!と決心したんですからネ。

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2009年07月04日

思い立ったが適齢期〜さあて私は何を習い始めましょう?

P7040748.JPGP7040753.JPG 今週末は、花売り娘のように花をかかえて、お世話になっている方や友人たちの展覧会や舞台を見てまわることに決めました。まず手始めは国立新美術館へと足を向けて、香取琴水先生率いる国際墨画会の東京展です。広い廊下に面したカフェの窓から緑の木々が揺れる国立新美術館は、歩いているだけでいつもウキウキとしてきます。 「国際」 と言う名の通り、日本ばかりでなく、アジア、ヨーロッパ、アフリカ諸国から出展された150点近い作品が広い部屋を飾ります。墨画という括りの中でも、描かれた題材にお国振りが表れていてとても面白いのです。色あざやかな南国の花々や果物もあれば、木登りパンダも、アフリカの地図だってあります。

 次に向かったのは神保町の小さな画廊でした。何と日本航空時代の同僚にして37年もの親友、ユカリさんが、七宝絵画作家としてデビューしたのです。七宝暦40数年のベテラン作家のお母様の個展にはこれまで何回も行っています。私の仕事部屋にはお母様から結婚のお祝いにいただいたカラーの花の七宝画が飾られています。それがまあ、ユカリさんたらいつの間にお母様に弟子入りをしていたのでしょう。なんだかんだと言ってはもう一人のJAL仲間のエツコさんとの3人で、何十年もの間、数え切れないぐらい会っては、計り知れないほどたくさん、過去を語り、現在を語り、未来を語ってきました。それなのにまあ、ユカリさんたら。。。。。。。

 「いったいいつからやっていたの?」
 「ウフフ、5年前から。」
 「こんなにたくさんの作品、いったいどこで?」
 「ウフフ、札幌に帰るたびに。」

 ひとつひとつにユカリさんのみずみずしい感性が表れている作品を前にして、特にこの数年は仕事に家庭にとたくさんの悩みをかかえながらも、いつだってヒマワリのように明るく笑っていたユカリさんの謎が解けた気がしました。

 「一番の自慢の作品はどれ?」 と聞いたら、すかさず、 「これ!」 と指差したのは、大きなヒマワリの絵でした。

 思い立ったが適齢期。我が友の快挙に拍手を贈りながら、さあて私は何を習い始めましょうか、と、心躍らせる夜です。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本ライフ

2017年08月23日

帰ってきました、つながってます!

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 行きよりも明らかに重くなった荷物を引きずって、帰ってきました。
 どうせすぐに戻る身、服も靴も化粧品も、2台のPCのうち1台も置いてきたのですけれど、代わりにぎっしりと詰まっているのは、ポレンタという重いトウモロコシの粉や、ポルチーニや、オリーブオイルやバルサミコの瓶などの食材がたくさん。加えて向こうで買ったたくさんの本と、家族や友人たちへの贈り物。

 ミラノの空港でちょっと面白いことがありました。手荷物検査のX線でカバンの一つが引っかかってしまったのです。

「セニョーラ、ちょっと開けてもいいですか?」

と、かなり不審な顔つきで言われ、手袋をした手で上から下までガサゴソと念入りに調べられ、検査官がカバンの奥底から取り出した袋を頭上にかかげ、「ポレンタ!」 と一言。

 これにはまわりの人たちも大爆笑。ポレンタと言うのは北イタリアではその昔、貧乏人の主食であったトウモロコシの粉なのです。40分もお湯の中でかきまわしながら煮て、お腹にたまるお粥を作ります。

 なぜにそんなものを3袋もカバンの中に忍ばせていたかと言えば、今月のグローバルキッチンのメニューの一つがポレンタだから。30人分ものポレンタが必要だったのです。皆さんに笑われただけで幸い没収されずにすみました(笑)。

 1人残してきた夫には申し訳ないのですが、今回ばかりは日本に帰ってきたのが嬉しくてたまりません。旅ならまだしも、いちおうは 「暮し」 でした。世界中どこにいようが 「暮し」 である以上は、日常生活からくるストレスがあります。日本の日常生活の中でなら、ごく簡単に解決できることでも、初めての地、しかも言葉のわからない地では難儀なアクシデントです。今から思えば、よくもまあ、その昔、身重のからだでギリシャ暮しなどを始めたものです。若さというものは、とてつもないパワーを持っているものだということが、つくづく身にしみました。

 私の日常はインターネットの上に成り立っています。どこにいようが、それさえきちんと繋がっていれば、今回のような不安もなく、ストレスだってもっともっと小さかったことでしょう。けれども、それが突然わけのわからない理由で絶たれてみれば、大げさに言えば、私は世界の動きを知ることもできなくなってしまいました。イタリア語の新聞もテレビも理解ができません。英字新聞を買うには、わざわざ地下鉄に乗らなければなりません。

 世界の動きや日本の動きだけではありません。家族の様子も、友の様子も皆目わからなくなってしまったのです。7時間、途中から8時間になった日本との時差は、私が朝目覚める朝には日本はもう午後です。帯状疱疹の痛みですぐには起き上がれなくても、手を伸ばしてPCさえベッドに持ち込めば、私は朝一番に娘たちのブログを開き安心し、メールの受発信を済ませ、おおかたのことは処理をすることができました。それからおもむろに、夫がベッドに運んでくれたコーヒーを飲みながら、友たちのブログを読んでは笑ったり、力をもらったり、一緒に悲しんだりしていたのです。

 そういうことが一切できなくなってしまったとしたら、それは不安やストレス以外のいったい何でしょう。せっせと書いた原稿や書類を送ることもできないのです。随分皆様にご迷惑もおかけしてしまいました。よっぽどの時には、PCを持ってホテルのロビーに忍び込んだり、町中のネットポイントを探し当てたりして難をしのぎましたけれど、それとて、この私のPCはコードがなければすぐに画面が薄暗くなってしまうのです。

 いったん手に入れた既得権を手放すことに人が抵抗を示すように、いったん知ってしまった世界はもう後戻りができません。ぶうぶうと文句を言い、不運を嘆きながら、そのうちに「はめられた!」と、気づきます。

 私が仕事を始めた頃は、テレックスという6つ穴の開いた長いテープを使って世界と交信していました。会社の特定の場所にテレックスの機械があってその前でなければ仕事ができませんでした。書類は何枚ものカーボン紙をはさんでタイプライターで打ちました。と言っても、これは英語だけで、日本語のタイプは専門のタイピストしか扱うことができませんでした。

 そのうちファックスが導入され、コンピュータの時代になり、今ではごぞんじの通りです。
 ある特定の場所でしかできなかった時代から、いつでも、どこでも、何でも、誰でもが当然のようにネットワークに繋がっている 「ユビキタス」 という時代になってしまいました。

 その便利さ、簡易さにこんなに縛られて、どこに行っても完全にオフなどありえなくなってしまい、結局は繋がらなければオタオタとする、肝っ玉のすわらない私のような依存人間が生まれてしまうのです。

 困ったものです、などと言いながら、私はさっきからずっとPCで繋がりまくっています。こんな環境に戻ってきたのが嬉しくて、しばらくは眠る気にもなれません。

 帰ってみたら、並木の桜も庭の桜もすっかり秋色に染まっていました。
 例のアレはいまだにキリキリ。リバデルガルダで発症しヴェローナへ、ミラノからまたアオスタヘ、そしてまたミラノ経由で東京へと、とうとうここまで連れてきてしまいました(笑)。
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グローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku (土日閉店)
11月12日(金)予告:苦肉の策の日本食ディナー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:45| Comment(0) | 日本ライフ