2012年07月21日

フェタとオリーブがギリシャを救う!

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折しも、「ギリシャとギリシャ観光の近況報告」の会が開催された七夕の日、「International Herald Tribune紙」の経済欄に、こんな見出しの記事が載りました。

「Feta and olives could save Greece」
(フェタとオリーブがギリシャを救う)

別ページに続く記事にもまたこんな見出しがついています。

「Greece could rescue itself by doing familiar things」

つまり、経済を建て直すには手元を見ろ、手持ちの物、馴染みの物に目を向けろ、という論調の記事です。難しい経済のことはわかりませんが、この二つの物というのが、大見出しに掲げられたフェタとオリーブでした。

「押さえつけたバネは、押さえつける力が強いほど、早く跳ね返る」というギリシャのエコノミストの言葉を引用して、「あなた方には少なくとも二つの素晴らしい天然資源があるではないか!」と呼びかけます。

フェタと呼ばれる真っ白な山羊のチーズは、初めは癖のある匂いや味が気になりましたが、ギリシャで暮らす間にすっかり馴染んで、その後はどこに住もうが冷蔵庫の常備品となりました。小さな娘たちも、フェタを使ったパイやオムレツやサラダを、まさかそれがギリシャの物とは知らずに、ごく当たり前の家庭料理として食べていました。

ギリシャを引き上げることになった時、日本人男性と結婚して東京に住むギリシャ女性のマリアからこんな手紙をもらいました。「すみません、フェタをできるだけたくさん買ってきてもらえませんでしょうか。」

黒い鞄の隙間に白いフェタをぎゅうぎゅうと詰めて帰ったら、どうにもこうにもフェタの匂いが消えなくてまいりました。鞄を洗ってしばらく天日干しにしましたけれど、その後もこの鞄を使う度にそこはかとなくフェタの香りがするのです。

今や、フェタはグローバルな人気商品です。最近では、およそどこの国でもフェタを使った料理に出会いますし、スーパーでもその姿を見つけることができます。ところが記事によれば、昨今では、ギリシャ独自の製品というよりはEUに委託統治されたかのような扱い方をされていると言うのです。

もうひとつのオリーブについても、手厳しくギリシャの現状が解説されています。イタリアやスペインが、小さなオリーブオイル生産者を統合しては世界的な競争力をつけていくのに反して、世界で最良のオリーブを収穫しているはずのギリシャは、相も変わらず昔のやり方を細々と継承していると言うのです。

フェタとオリーブオイルはいまだに我が家の常備品の筆頭項目。「EUに牛耳られようが、細々とだろうが、いいではありませんか、こんなに良い物を作っているのだから堂々としていれば」などと言う素人考えはこの際忘れて、やはりこの二つの物に檜舞台に上がってもらい、経済を建て直してもらうのがいいのかもしれません。

ギリシャのフェタもオリーブオイルも、今ではちょっとしたスーパーで簡単に手に入るようになりましたけれど、1980年代にはまだまだ難攻不落のアイテムでした。ギリシャ商務省の日本オフィスで仕事をしていた時代に、どれだけ日本市場に導入しようと努力をしたかしれません。結局、私が奉職していた間に実現することはできませんでした。

ところで、昨夜、フェタとトマトと玉子を使った料理を作ろうと思ったら、常備品のはずのフェタがありません。あわてて、夕飯前のお散歩に出る夫に「フェタを買ってきて」と頼んだら、二つも買ってきました。隣り合ったもう一つのスーパーに行けば、別メーカーの安いものを売っているのに、、、、このお料理、一袋の半分もあれば十分なのに、、、、などと心の中で思いましたが、ま、いいでしょう。確かにギリシャ支援の一環かもしれませんから。

「ナオミ、二つで足りる? (足りますとも。足り過ぎるぐらいです。)
 30%引きで売ってたよ。30%を支援募金にできればいいのにね。(なるほど)
 でも、買うこと自体が小さな支援かもしれない。(はい、そう思います。)」
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                     By 池澤ショーエンバウム直美

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7月21日(土): みんな勉強@空港のエアラインラウンジ

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2012年07月20日

底力で乗り切ってください、ギリシャ

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今日、証券会社の知人に会ったら、やっぱり出てきました。もうだいぶ慣れっこになってはきましたけれど、やっぱりグサリと来るものです。心のどこかで「申し訳ない」とまで感じてしまうのは、いかに自分がいまだにギリシャから母離れ、あるいは子離れしていないか、ということでしょうか。

「ギリシャのせいで相場がこんなになっちゃって、、、、、」

7月7日、七夕の夜、「ギリシャとギリシャ観光の近況報告」と題する内輪の集まりがありました。ギリシャ各地を視察して帰ってきたばかりの、政府観光局のマネージャーが実際に目で見、耳で聞き、肌で感じた旬の話を聞く会です。集まったのはいつもの仲間たち、みなある学会のメンバーです。観光にも、旅にも、食にも好奇心と知識欲満開で、「旅と食文化研究会」という分科会を立ち上げています。ギリシャに端を発したと言われるヨーロッパの金融危機に誰もがみな心を痛めています。

たしかに、緊縮財政や増税を余儀なくされるギリシャでは、一昨年から去年にかけてたび重なるストライキ等が客離れを招き、観光産業全体に打撃を与えました。実際、今年の海外からの訪問者は4割減との予測が出ているそうで、いったんは予約したお客様からのキャンセルなども相次いでいると聞けば、ギリシャファンの我々としてはますます心が痛みます。

報告によれば、今年3月のドイツにおける調査では、「ドイツ人観光客が好む行く先」では、ギリシャがベスト10から外れてしまいました。ちなみに1位はスペインです。

日本の旅行代理店にいたっては、8割がたが「ギリシャは危険な国」と見ているというのですから悲しくなります。けれども、実際にそうなのでしょうか。私たちが手に汗握る中、アテネ市内の様子が映され、島々や田舎の映像が続きます。その風景は変わりません。

「アテネは経済危機の影響があって人は少なめでしたけれど、田舎や島は全く変わっていませんでした。今まで通りのギリシャ人たちが、今まで通りに暮らし、今まで通りに外からのお客を迎えていました。サントリニ島などはむしろ人が多かったように見受けられました。」

「『葡萄色に富む豊かな島』クレタでは、観光客は泳ぎながら雪山を見上げ、バモスという小さな村では27軒の民家が一丸となって彼らを迎え入れていました。」

美しいスライドショーと彼の話に、緊張していた私たちの心もだんだんと緩んできて、最後には、「ほかの写真も見せてくれませんか?」とお願いする始末。私自身もいつの間にか、こんな事態になる前の、あの幸せで平和な国の思い出の中に戻って行きました。

報告の最後は、こんなに素敵な言葉でした。

「僕は勉強で10年、仕事で10年ギリシャに居ましたけれど、こんなにギリシャのことを知らなかったのか!と愕然としました。まだまだ勉強をしなければと、心を新たにしました。いい旅でした。そしてやはりギリシャはいい所です。」

ところで、この日は、織姫と彦星の天の川での逢瀬が気になる小雨模様。
「天の川」と言えば、英語では「Milky Way」、または「Galaxy」ですが、実はこれ、元はギリシャ語です。ギリシャ語で「牛乳(ミルク)」のことを「γαλα=gala=ガラ」と言います。天の川は「ガラクシアス」です。ということは、英語の「Galaxy」も「Milky Way」も、ギリシャ語の「ガラ」(ミルクの意)から来ているわけです。こんな風に、ギリシャという国は、私たちの言葉や文化に大きな影響を与えてきました。

ここはもう、長い歴史を潜り抜けてきた底力で、頑張って乗り越えてもらわねばなりません。
夜空を見上げ、星座にギリシャ神話を重ねる度にそう願います。
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                       By 池澤ショーエンバウム直美


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7月20日(金): ウナギと玉子でウナオムライス? ウナ玉チャーハン?
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:41| Comment(0) | ギリシャライフ

2012年05月17日

Exciting! な「線文字B」の発見

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何かの答えを見つけるために読み始めたわけでもないし、心の痛みを和らげたくて開いたわけでもない書物から、思いもかけぬ発見や、まさかの繋がり、啓示にも似た優しい言葉に出会うことがあります。そんな瞬間を何に例えたらいいでしょう。叫びたいような、押し黙りたいような、飛び上がりたいような、固まりたいような、笑いたいような、泣きたいような。

たとえば、、、、、

2009年3月に、私は、クレタ島のレシムノンという小さな町の、そのまたはずれの村にただ一つのレストランで食事をしていました。その日はたまたま私の誕生日で、それは友人のアナスタシアからのお祝いの夕餉でした。

エレニとその息子ヤニスのレストランは、暗い山道をくねくねと走った所にありました。あたり一面、建物の影もありません。お客も私たち三人だけ。樽からデカンタに移されたワインが運ばれ、珍しい料理の数々が並び、私はいつものように、それらにレンズを向けていました。

その中に1枚、こんな写真が混じっていたのです。

石の壁にかかる青く塗られた板に書かれた、いくつもの不思議なもの。
絵というよりは、何かの記号、あるいは象形文字のようです。
心にひっかかりを残したままに、はや3年が過ぎました。

それがつい先日、驚いたことには、何の気なしに読み始めた本の中で、それに出会ってしまったのです。最初はわが目を疑い、次にそれが紛れもなく私がとらえた写真の中の記号と同じものだと知った時には、殻がパチンと割れて、光が外から差しんできたように感じました。光をたどれば、遠く広い世界に行けそうな予感だってしたのです。

それは、紀元前1400年頃に、クノッソス宮殿の粘土板に描かれた記号、いえ文字だったのです。

西洋で最古の文明と言われるミノア文明で、記号または文字らしきものとして見られるものには2つのタイプがありました。それが線文字A(Linear A)と、線文字B(Linear B)と呼ばれるものです。どちらも解読は不可能と思われていましたが、線文字Bの方は、クノッソスの発掘から53年たった1953年に、イギリスの建築家と言語学者により、ギリシャ語の基礎をなすものとして解読されました。

カメラの中に偶然残っていた、クレタの鄙びた村のレストランの壁に書かれていたのは、

「小麦、大麦、オリーブの木、小麦粉、オリーブオイル、ワイン」

を意味する紀元前の文字だったのです。小麦も大麦も、オリーブの木も小麦粉も、オリーブオイルもワインも、何千年を隔てて今なお、私たちの食生活の根幹をなすもの。そんなことを伝えるために、彼らはレストランの壁を線文字Bで飾ったのでしょうか。

こうした発見も、こうした繋がりも、こうした出会いも、ともすれば、かみ合うこともなくすれちがってしまうもの。「線文字Bの発見」は、まさにExciting! でした。

By 池澤ショーエンバウム直美



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5月17日(木): クレタ島への旅〜クレタの食文化
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:40| Comment(2) | ギリシャライフ

2012年01月25日

オリーブの木とテオの訃報

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 すぐに手術をしてしばらく入院するか、骨がくっつくまでの間をギプスと一緒に暮らすかという、どちらにしても決して楽ではない選択を目の前に置かれて病院から戻って来たら、私の部屋の前にオリーブの木。

 仕事に出かける前に、私がこの木をこよなく愛していることを知る夫が、どこかで見つけて買ってきてくれたのでしょう。

 何年か前、「オリーブの海(イ サラサ ティス エリエス)」と言う小さな木札が立った小道を通り抜けたことがあります。アポロンの神託で知られたデルフィを下って、海沿いに車を走らせている途中でした。その名の通り、オリーブの木が、寄せ来る波のようにどこまでも連なる「海」でした。地中海の眩しい太陽も届かぬ薄暗い細道は、あまりに幻想的で、ギリシャ映画の巨匠と呼ばれるテオ・アンゲロプロスの、曇り空に覆われた一連の映画を思わせました。

 痛みも忘れてそんなことを思い出していたら、今しがたテオの訃報が届きました。
 何と新作映画の撮影中に交通事故で亡くなったとか。76歳でした。

 彼の作品の多くは、時に退屈ともいえる言葉少ない長編映画でしたが、なんとも言えぬ美しいまでの哀しさに溢れていました。初めて見たのは「旅芸人の記録」。当時住んでいたアテネのアパートの隣にあった「エリゼ」という名の小さな映画館だったと思います。1975年でした。

 私は今、彼の代表作のひとつである「永遠と一日(ミア シオニオティタ ケ ミア メラ)」のサウンドトラックをかけながら追想に耽っています。それにしても、この映画の中で繰り返し流れるテーマ曲の、何と美しく、何と哀しいことでしょう。

 もう一度会いたい人でした。

(ものすごく時間がかりましたが、何とかここまで左手で書けました!)

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1月23日(月): 大切な人に食べてもらいたいチャウダー
  グローバルキッチンはしばらく閉店します。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:11| Comment(2) | ギリシャライフ

2010年04月05日

繰り返しを数え、覚えることによって

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 この週末に、たくさんの人たちに愛でられた桜の花々が、今日は朝からシトシト降る雨と一緒に、まだ散るには早い花びらを降らせ始めました。私の小さな庭も少しずつ塗れた花弁で覆われていきます。

 昨日は復活祭(イースター)。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」 と決められているこの特別な日は、月の満ち欠けとともに、毎年動いていく 「移動祝祭日」 です。どの暦を使うかによって、祭の日も異なります。

 昨年は1週間、一作年は1月以上も開きがあった西方教会と東方教会の復活祭ですが、今年はぴったり同じ日に重なりました。私たちのお花見と同じように、東の人も西の人もみんな同じ日に復活祭の祝いの時を過ごせたなんて、なんだか嬉しくなりますね。

 キリストの復活を祝うこの宗教行事は、私が住んでいたギリシャでは 「パスハ」 と呼ばれ、クリスマスと並ぶビッグイベントです。そして、この二つは、私たちのような 「よそ者」 にとっては、実に寂しい時でもあります。仕事もお休みになって、友人たちがみな故郷に帰ってしまうからです。

 ギリシャ政府観光局のページを引用させていただきながら、古い記憶を呼び覚ましてみれば、、、、

 聖木曜日には、茹でた卵に色をつけて、パスハのための特別なパンを焼き、
 聖金曜日の夜は、花で飾られた棺を先頭に、ギリシャ正教のお髭のお坊様と一緒に茶色いロウソクを持って街を練り歩き、
 聖土曜日の夜は、白いロウソクを手に教会に集まって、キリスト復活の瞬間、つまり日曜日の午前0時を待ちながら、大晦日のカウントダウンのように、その時が来るのを数え、
 いよいよその瞬間が来たら、『クリストス アネスティ』 (キリストは復活せり) と言いながら、お坊様からいただいた火を、次から次へと自分たちのロウソクに点していきます。

 花火が打ち上げられ、教会の鐘が鳴り渡る中、人々はともされたロウソクの火を消さないように大事に家まで持ち帰ります。そして、ススで戸口の上に十字の印をつけ、家族の平安を祈ります。

 深夜のお腹を満たすのは、羊の内臓とお米を煮込んでレモンで味付けをした 「マギリッツァ」 というスープです。

 そうした一連の行事に続いて迎えた復活祭当日の日曜日は、粛々とした気分を打ち破るかのように、どこもかしこも大騒ぎ!何たって 「復活」 なんですから(笑)。

 庭先では丸のままで串刺しにされた羊が火の上でグルグルと炙られて、人々は飲んで食べて、歌って踊ります。そして赤く染めたイースターエッグを割ります。

 日本に戻ってからのギリシャ大使館時代は、決まって誰かが言い出して、誰かの庭や、キャンプ場で、グルグル羊を焼きました。

 去年銀座で受講していた古谷圭一先生の 「科学技術とキリスト教」 という講座で、先生がこんなことをおっしゃいました。他の難しいことはみんな忘れてしまっても、この言葉だけはなぜか鮮明に記憶に残っています(笑)。

「古代の人にとって決まったことが起きるということはとても大切なんです。
 繰り返しを数え、覚えることによって、自分たちの寿命がわかっていくんです。
 1年に1回ずつ繰り返される同じことを、何回迎えたかによって、残された年がわかります。」

 私たちが、満開の桜を見上げ、様々な過去の思い出を心によぎらせて、またハラハラと散っていく桜吹雪の中で、「ああ、いったいあと何回こんな美しい光景の中に立つことができるのだろうか?」という思いにもどこか似ています。

 クレタ島の友、アナスタシアからこんな美しいカードが届きました。ギリシャでは今日の月曜日も休日です。アナスタシアの大きな古い石の家の、レモンの木に覆われたあの庭では、焼いた羊の匂いが漂う中、今日もまた、たくさんの人たちが集まっては、春を迎える復活の喜びに打ち興じていることでしょう。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年04月04日

ヘビー級のホスピタリティー

P3270003.JPGP3270004.JPG クレタでは色々な人にインタビューをしました。その一人に、日本人へのメッセージをたずねたら、こんな言葉が返ってきました。

 「どんな国もそれぞれの歴史を持っている中で、ギリシャと日本に共通しているのは、どちらも長い歴史を持っているということだ。テクノロジーがどんなに進んでも、私たちは花を愛し、自然を愛し、そして 『フィロクセニア』 という同じものを持っている。」

 この 「フィロクセニア」 という言葉はギリシャを理解する上での一つのキーワードとなります。 「フィロ」 は友達、 「クセニア」 は外の人、つまり旅人や外国人を意味する言葉。となれば 「フィロクセニア」 とは、 「外から来た人を友として迎えもてなす」 ということになります。ホスピタリティーに近い言葉です。 「フィロクセニア」 という名のホテルもギリシャ各地で見られます。

 たしかに、都市から離れれば離れるほど、いまだにこの古き良き習慣が残っています。見ず知らずの人でも、いえ、見ず知らずの人だからこそ、自分の家に迎え入れ、果物のシロップ漬けと冷たいお水で歓待してくれる場面も珍しいことではありません。

 毎日島をグルグルと回っている間に、この 「フィロクセニア」 が私のカバンをものすごい勢いで重くし始めました。ヘビー級第一位は何と言ってもオリーブオイルの缶。次に、瓶詰めの自家製オリーブに同じく瓶詰めの葡萄の葉っぱ。クレタ人がギリシャ中で一番寿命が長いのは、オリーブオイルの摂取量がダントツに多いという信頼すべき筋の調査結果などを聞くと、これはもう、たとえどんなに重くとも持って帰って舐めてみないわけには行きません。葡萄の葉っぱに至っては超貴重品。これがなくては葉っぱでお米をまいた 「ドルマダキア」 を作ることもできません。昨年、日本で葡萄を育てている知人に頼み込んで、葉っぱをもらってきましたが、どんなに煮ても柔らかくならず、見かけはそっくりでも、とても噛み切れない「ドルマダキア」が出来上がってしまい、泣く泣く捨てた覚えがあります。

 行く先々で、 「これ、持っていきな」 「あ、あ、ありがとうございます!」 を繰り返していたら、とうとう写真のような有様になってしまいました。困ったのはミカンでした。山間の村で2匹の山羊にリードをつけて散歩させていた面白いお爺さんと出会ったので、写真を撮らせてもらうついでにおしゃべりをしていたら、 「いつ帰るんだい?」 「明日です。」 と答えるやいなや、 「あんた、これ、ちょっと持ってなさい。なんならそこらへん散歩しておいで。」 と山羊の首にかけられたリードを渡されてしまいました。山羊と一緒に待つこと10分、戻ってきたお爺さんは、山羊連れの私に、 「これ持っていきな」 と、山から採ってきたミカンをどさりとくれたのです。

 困りました。オリーブオイルや瓶詰めならどんなに重くったって持っていけますけれど、ナマ物は持ち込み禁止です。かくなる上は、食べてしまうしかないと、ホテルの部屋で必死に食べました。昔、小学校のクラスメイトが、ミカンを食べ過ぎて手と顔が黄色くなった話などを思い出しながらも、山羊お爺さんの 「フィロクセニア」 に応えるには食べるしかありません。それに、マンダリノスと呼ばれるこの小さなミカンは、種こそ多いものの、実に香り高く、実に美味なのです。それでも決して食べきれる量ではなく、これまた泣く泣くホテルのメードさんにあげてきました。

 ミカン以外の重い重い 「フィロクセニア」 は、腰を痛めるのではないかという心配を何とかクリアして、無事、東京の我が家の台所に並べられました。重い重い 「フィロクセニア」 は、羽毛布団のように軽い軽い暖かさとなって心の中にしまわれました。これなら現物を食べてしまった後にだってちゃぁんと残ります。

By 池澤ショーエンバウム直美
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ちょっと寄り道 一言ギリシャF
ちょっとギリシャ語を話すと、みんな仰け反るぐらいにびっくりするのはなぜ?

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2009年03月24日

「来ればぁ〜? 住めばぁ〜?」 で開かれたわが人生

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 いよいよギリシャ最後の朝となりました。外がうっすらと明るくなり始めた中、荷造りをしながらこれを書いています。もうじき国内便でアテネまで飛び、飛行機を乗り継いで東京へと向かいます。ギリシャと日本の間には直行便のないのが痛いところ。途中、ヨーロッパのどこかの空港で乗り継ぎをするためにやたら時間がかかります。今回はミュンヘンです。

 まだまだ書き足りないことがたくさん残っているのですが、やはり、閉めはそもそものこの国とのご縁にいたしましょう。なぜギリシャ?

 大学を卒業してすぐに就職したのが日本航空でした。大きな会社ならたいていは社員のための福利厚生ベネフィットが用意されています。日本航空の場合も、保養所などの施設に加えて、ポイントをためれば無料、あるいはかなり割安に自社機も他社機も乗れるという、私にとっては涙が出るほど嬉しい特典がありました。この特典は本人ばかりか一親等にまで適用されましたから、私と当時の連れ合いはしょっちゅう世界地図を広げては旅の計画を練っていました。そんな中で、なんとなく 「ギリシャに行こう!」 と思い立ちました。ヨーロッパでありながらどことなく田舎っぽいところや、それにもかかわらず実は他のどの国も敵わない壮大な歴史を持っていること、そして、たまたま連れ合いがコルフ島を舞台にした楽しい小説を翻訳していたことも、「なんとなく」の裏にありました。

 それが1973年のことです。ところが、憧れのコルフで旅を満喫していたところに思いがけないアクシデントが起こってしまったのです。泳いでいる最中に私が大怪我をしてしまいました。これについてはいまだに謎なのですが、とにかく左足の親指の頭が、鋭利な刃物でスパッと切られたように削がれてしまいました。何とかアテネまで戻り、車椅子で飛行機に乗りこむ羽目となりました。その時、私の車椅子を押してくれたおしゃべりなギリシャ女性がアダでした。

 ある時、アダが日本航空の研修で東京にやってきました。私たちは彼女をあちこちに案内しました。鎌倉に行った時でしょうか。 「いいなあ、ギリシャ。もう一回行きたいなあ。あんな所に住めたらなあ。」 という何気ない私たちの言葉に、アダが即座に言いました。

 「来ればぁ〜? 住めばぁ〜?」

 その一言がすべての始まりでした。私たちは無謀にも新婚所帯の荷物を全部友人たちに譲り渡し、親たちがあきれるのも厭わずに、ギリシャ行きの片道切符を手にしてしまったのです。おまけに当時の私は何と身重の身でした。それを安定期に入るまで待って飛行機に乗りました。最初に覚えた言葉は、「痛い」 「水が飲みたい」 「医者に連れてって」 の3つでした。

 5ヶ月後にはアテネで長女が生まれ、私たち家族は至福の時間を過ごしました。貧乏はしていましたが、今、わが人生を振り返る時、あの2年半が一番裕福な時間だったようにすら思います。長い長い休暇のようなものでした。

 以来、私とギリシャとの長い付き合いが始まりました。アダは今でも無二の親友です。会えば、毎日ああだこうだとしゃべっては一緒に日を送っていたあの時代に即座に戻ります。

 あの時、アダの 「来ればぁ〜? 住めばぁ〜?」 がなければ、またそれにすぐに反応してしまう私たちのセンサーがなければ、今の私はあり得なかったでしょう。そして、ふと、あの時のコルフ島での大怪我は、もしかしたら私たちをギリシャに呼び寄せるために、ゼウス神がたくらんだ悪戯だったのかな?とも思います。

 外がだいぶ明るくなってきました。さあ、急いで荷造りに戻りましょう。
 ありがとう、アダ。 ありがとう、ゼウス様。 また帰ってきます。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月23日

水栽培ポータブルジョブ

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 東京では平年より7日も早く、21日に桜が開花したそうですね。 「銀座で桜を咲かせましょ♪〜銀桜祭〜」 プロジェクトで一生懸命動きまわりながら、結果を見届けることもできずにアタフタと東京を後にしてしまいました。東京マラソンに合わせて企画されたこのお祭も、剪定されて捨てられてしまう桜の枝をもう一度よみがえらせたいという山形の農家の方々の思いと、それを銀座で咲かせたい!という東京の仲間たちの熱意が重なって、大きな動きとなりました。祭に居合せることができなかったことはとても残念ですけれど、東京に戻る頃には我が家の庭の桜もきっと美しく花開いていることでしょう。

 今日もよく走りました。日曜日には仕事をしたくないという無言の総意で、朝一番の会議も早く終わり、すぐにそのまま車を西に走らせました。山登りは苦手な私が、山奥のミノア文明の遺跡の塀を乗り越えててっぺんまで上ってしまったり、ゼウスが生まれたという洞窟見たさに息を切らしながら石づたいに平野を見下ろす高みまで上り続けたりという慣れない冒険もしました。

 山間や海辺のたくさんの小さな町や村を訪ねました。休憩のためにネオポリという内陸の小さな町のカフェで太陽をいっぱいに浴び、絞りたてのオレンジジュースを飲んでいた時のことです。隣には黒いスーツにネクタイ、洒落たストライプのマフラーを首にかけ、帽子をかぶった正装の中年男性と、黒いドレスに黒いストッキング、黒い靴の女性たちが、長いお髭のギリシャ正教の神父様を囲んで談笑しています。みな手に手に花を持っています。そうです、今日は日曜日! 気合を入れた正装で祈りをすませて来た人たちなのでしょう。

 Tシャツ一枚でも汗ばむほどの陽気です。心地よい風に木々の葉がサワサワと音を立て、遠くからは山羊の鳴き声が聞こえます。このままフーっと眠ってしまえたらどんなに幸せだろうと思いながら、私は頭の働きを休止して暖かい日差しの中にたゆたっていました。

 教会の鐘の音が正午を告げると、「イネ ゾデカ イ オラ!」(12時になったわ!) という老婦人の一声に、黒い正装の集団が神父様と一緒に席を立ち始めました。そして互いに抱擁を交わし、それぞれの場所に戻っていきました。

 私の悪い癖があります。どこに行っても、どこに居ても、 「もしここに住んだとしたら?」という仮定法で色々と想像をしてしまうのです。 「もし私がこのネオポリという町に住んでいて、もし私がお昼に自分の家に戻り、もし私が。。。。。。。。」 とたくさんの 「もし」 を繰り返します。旅はいつも、いつか自分が暮らすかもしれない地を探すようなものです。たくさんの 「もし」 の答によっては、本当に私はいつかその地で暮し始めるかもしれません。

 生まれながらに、私は一つの場所に根を生やすことはできないのかもしれません。どこかに居なければできないことをするのではなく、どこに居てもできることを探し続けています。私たちは日常的に、 「将来の居場所」 を話します。昨夜のちょっと気取ったレストランでも、土地のワインを飲みながら、 「クレタに暮らすとしたらどの町にする?」 「3月と4月をテサロニキ(北部のギリシャ第二の都市)に暮らして、日本に戻り、また夏をギリシャで暮らすというのはどう?」 などと途方もない会話が飛び出しました。 「そうしたら僕は○○をするけれど、君は何をする?」

 ここで夢話が一瞬にして厳しい現実となりました。そうです、いったい私はそこで何をしたらいいのでしょう? ネオポリのカフェで 「ああ、このままお昼寝してしまいたいなあ」 などと能天気に思っている場合ではありません。どこに居てもできることのためは、まだまだ精進が必要です。私は心ひそかにそれを「ポータブルジョブ」と呼んできました。ポータブルジョブを目指して、60代の自分の生き方を真剣に考える時がやってきました。種はすでに心に宿っています。それを一生懸命に育て、土に根を生やさずとも、どこにでも持ち運べる水栽培の器に根を張らせ、芽を出させ、茎を伸ばし、蕾を持たせ、花を咲かせなければなりません。

「水栽培ポータブルジョブ」、うん、我ながらなかなかいいネーミングです(笑)。水はどこにだってありますから。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月22日

哲学者たちの冬

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 3月のギリシャは観光客の姿もまばらで閑散としています。アテネですらちょっと中心部を離れれば静かな春に出会えます。島に渡ればなおさらのこと、レストランでもカフェでも、ギリシャ語以外の言葉が聞こえることはめったにありません。人っ子一人いない遺跡を独り占めすることだってできます。数年前の夏に行列をして中に入ったクノッソスの遺跡も、見渡す限り我々のほかには誰もいませんでした。ホテルもレンタカーも、3月はまだ冬値段、夏場に比べたら格安です。

「三月といっしょに春がやってきた。島中に花があふれ、その香りがあふれ、若葉が風にはためいた。この島の春はなにひとつだし惜しみしない。」 (ジェラルド・ダレル 『虫とけものと家族たち』)

 こんな3月は絶対にお勧めです。この1〜2日で、小さなアネモネが野山にいっせいに咲き始めました。

 けれども問題もあります。去年の3月のコルフ島でもそうでした。そしてここクレタでも日々同じ問題に遭遇しています。町から離れるに従って、村々が眠り始めるのです。賑わいを見せる季節への準備を始めるには3月はまだ早いのでしょう。ホテルも店も閉まっている所ばかり。お腹が空いても食べる場所もありませんし、何かを買いたくても買う場所もありません。時々、村の人たちが日がな一日、コーヒーやお酒を飲んだり、おしゃべりをしたり、バックギャモンの木盤をはさんでサイコロを振って時間をつぶす小さな店を見つけては、 「カリメーラ サス!」 (おはようございます!)、 「カリスペラ サス!」 (こんばんは! )などと愛嬌を振りまいては仲間に入れてもらい、飲み物にありついています。

 博物館や遺跡などもたいていは2時か3時に閉まります。途中何ヶ所か寄り道をしてようやくたどり着いた昨日のハニアの考古学博物館もそうでした。切符を買おうとすると、
「もう閉館。明日来て」 → 「でも今日中にイラクリオンに帰らなければならないんです。」 →「じゃ、しょうがない、特別に入れてあげよう。でも5分だけだよ。」 

 今日のアギオスニコラオス近郊の小さな教会でもそうでした。山道を揺られて到着したのが1時50分。教会の扉は頑丈なカンヌキがかかっていてびくともしません。扉の前には 「拝観時間 9時〜2時まで」 と言う小さな貼紙が! まだ2時前なのにと思いながらもあきらめて帰りかけると、通りかかった村人が、 「あんたがた、入りたいんだろ。ここを下りて左に曲がったところに切符を売る場所があるから行ってみな。」 → 「切符ください。」 → 「もう閉まったから明日来て。」 → 「でも今日中にイラクリオンに帰らなければならないんです。どうしてもフレスコ画を見たいんです。」 → 「じゃ、しょうがない、特別に見せてあげよう。でも5分だけだよ。」 とまたしてもデジャビュのような出来事が繰り返されました。もっともギリシャ人の5分は10分にも15分にもなるのですが。

 いったい、2時または3時に仕事を終えた人たちは、その後の長い時間に何をして一日を過ごすのでしょう。
 いったい、夏の間だけ店を開けている人たちは、長い長い冬の間は何をして過ごすのでしょう。
 高速道路を走れば、道の両脇には椅子にすわって日差しを浴びながら、朝採ったばかりのオレンジが売れるのを一日中待っている村人たちがいます。いったい何台の車が走りを止めて、一袋たった百円、二百円のオレンジを買うのでしょうか。
 
 退屈を知ってしまった私たちには決してできない過ごし方でしょう。アクセクと走り回っているわが身から見ると、一日を、一週間を、一ヶ月を、一年を、そんな風に暮らせる人たちが、まるで偉大な哲学者のようにすら思えてきます。

 1月に東京で、江戸文化の専門家、田中優子先生にお会いしてお話を聞いて以来、ずっと私の心の中にひっかかっている「あこがれ」があります。せっかくなだめて眠らせていたのに、困ったことにそれが今、ここクレタ島でムクムクと起き出してしまいました。

「江戸の人たちは太陽があるうちしか働きませんでした。蝋燭は高かったので、遊郭などの一部の場所でしか使われませんでした。」
 
 クレタはギリシャで一番大きい島、そして地中海の島々の中でも5番目に大きい島です。毎日、エリアを決めて300〜500キロぐらいを走りまわっていますが、1週間もたつというのにまだまだ未踏の地がたくさんあります。大学での仕事を早々にすませたら、今日も一日、哲学者のようにいろいろ考えながら、太陽のあるうちにひたすら走り回りましょう。 
 
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2009年03月21日

アナスタシアの午後の宴(うたげ)

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 アナスタシアの石の家は、クレタ島の2つの玄関口、イラクリオンとハニアのちょうど中間、エーゲ海に面したレシムノンの町から25キロほど南下した小さな村にあります。アナスタシアの父親は、島に車を走らせるための道路設計技師でした。

「幼い頃、森を分け入り、父親についてまわったの。父は自動車のための大きな道路を作るために。私は森の中の小さな道を見つけるために。」

 小さな少女は森を歩きながら、匂い、触覚、視覚、聴覚、時には味覚という五感を育てていきました。そして、川から、木から、土から、空から、石ころからさえも、たくさんのことを学びました。

「それが今の私の原点なんだと思う。姿は見えなくとも、島に豊富に育つさまざまな種類の香草(ハーブ)の匂いを嗅ぎ分けられるようになったし、 『人間はこの世界ほんの一部に過ぎないんだ!』 ということがわかったのだから。」

 大学で古代ギリシャの歌を勉強したアナスタシアは、卒業後、高校の教師となり、生徒たちに自分が信じる大切なものを伝えてきました。そして、8年前、偶然にも見つけ出した廃屋を購入し、教室で教えていた時のように、若い世代にクレタの文化を伝え始めました。アナスタシアの石の家は、1750年に建てられた典型的な田舎家です。細部には紀元前のミノア文明の様式すら残されています。アナスタシアの学校では、村の男たち、女たちがみんな先生になります。 「5人いれば5通りのピタ(ギリシャのパイ)の作り方があるのだから。」 と言います。

 2日間、アナスタシアの 「学校」 に入門しました。森から採ってきた春の野草を茹で、村の 「先生」 が挽いた小麦粉をこね、触覚と嗅覚と視覚だけを頼りに、ホルトピタと呼ばれる野草のパイを作りました。できあがったパイは熱々のうちに、春の光に満ちた中庭のテーブルの上に並べられます。硬いパンを水で柔らかくもどし、トマトとオリーブオイルを乗せたダコスもできあがりました。飲み物は庭から摘んできたハーブを入れた冷たい水と、地酒のラキ。アルバニアから出稼ぎに来ている庭職人のペトロも加わって、アナスタシアの午後の宴(うたげ)が始まります。

 時間がゆっくりと流れていきます。ラキの酔いがゆっくりとからだ中をまわります。ずっとずっと昔、まるでミノア文明の時代からの知り合いのように打ち解けて、心がフワフワと浮かび始めます。光と風が渡ります。「人間はこの世界のほんの一部なのよ!」 というアナスタシアの言葉が染み入ります。こんな素敵な 「学校」 がここ、クレタの田舎にあります。
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2009年03月20日

1+1= 3 のマジック

Image087.jpgThomas (.jpg 旅ほど相性が試されるものはありません。一泊二日ぐらいのものなら楽しく過ごせても、長旅となると、時間の使い方から始まって、どこへ行くか、何をするか、何を食べるか、に至るまで、毎日が相性テストのようなものです。1+1がゼロにもなるし、1にも2にも3にもなります。一頃話題になっていた成田離婚などは、まさに1+1=0 のなすワザでしょう。

 1+1を3にするにはいくつかの条件をクリアしなければなりません。まずは前提条件として、長い間一緒にいてもお互いイライラとしない関係でなければなりません。相手に良い所だけを見せようとする緊張し過ぎた関係でもいけませんし、かと言って髪にカーラーを巻いたまま一緒に眠るような弛緩した関係でもいけません。そして、お金の使い方と時間の使い方の尺度が限りなく似ていなくてはいけません。

Q1: 旅をするなら一箇所にじっくり滞在したいですか?それともどうせ行くなら一泊ずつでもできるだけたくさんの所をまわりたいですか?   

Q2: ガソリンを入れるのに、列に並んででもリッター当り5円安いスタンドまで行って給油しますか?それとも多少は高くても並ばずにすぐに給油できるところに行きますか?

 どちらの答が正しいわけでもありません。ただ、同じ答の人でなければ、たぶん一緒に旅をしているうちにイライラが高じてくるでしょう。幸い私たちの場合は、Q1ならば 「一箇所じっくり滞在」 、Q2ならば 「並ばずにすぐに給油」 という同じ答を選びます。加えて言えば、好奇心の方向も、冒険心の方向も、大雑把さも、限りなく似ています。

 実は遭難をするかと思いました。ゼウスがかくまわれていたという洞窟にどうしても行ってみたかったのです。ゼウスと言えばギリシャの神々の中でも最高権力を誇る天空の神、クロノスとレアーの子供です。父クロノスは、自分の子供に支配権を奪われるのではないかという不安から、生まれた子供を次々に飲み込んでしまいました。ところが、ゼウスが生まれた時、母クロノスは、産着に包んだ石をゼウスと偽り、夫に飲み込ませ、ゼウスをクレタの山の洞窟にかくまって羊飼いに育てさせたのです。好奇心と冒険心においては似たもの同士の我々です。せっかくクレタに来たからには、観光客など見向きもしないこの洞窟に何としてでも行ってみたかったのでした。

 地図を見ながらひたすら車を走らせるうちに、あろうことか道はどんどんと細くなり、どんどんと空に近づきます。いつしか左は絶壁、右は雪壁。けれども、車の幅ギリギリの山道でユーターンなどできるはずもなく、ひたすら前へと進むことしかできません。春の世界から、人っ子一人、羊一匹すらいない荒涼とした冬の世界に入ってしまいました。先ほどまで20度をさしていた車の温度計が3度にまで下がっています。

 携帯電話は圏外、仮に立ち往生してしまってもどうやって助けを呼んだらいいのでしょう。おまけにデジカメのバッテリーはなくなって我々の最後の?状況を記録することすらできません。ここらへんで普通ならかなりパニックになるところなのですが、連れ合いと来たら、「こりゃすごい!」とまるでディズニーランドのビッグサンダーマウンテンに乗っているかのよう。そして私と来たら、「大丈夫よ、水とチョコレートがあるわ。」

 結局、「進むしかないよね、じゃ進もう!」 ということでおたがいいつものように軽口などたたきながらとうとう山の頂近くまで上り、ゼウス様がお育ちになった洞窟に手を合わせ、ようやくユーターンできる場所を見つけて、同じ雪道を戻ったのでした。 「帰りは楽だよね、だってどこが危険な場所かぜーんぶ知ってるもん。」 「そうだ、そうだ!」

 無事、イラクリオンに戻りついて、実は二人とも心の中ではかなり焦っていたことを知りました。そして言うことには、

「こんな馬鹿なこと、一人だったらしようとも思わなかったし、できもしなかった。」
「1+1=3?」
「Exactly! 1+1が3になったよ。」

 カメラが電池切れのため、仕方なく携帯で取った薄らぼんやり写真を載せます。いやあ、すごい経験でした! でもこういうことが団体旅行では決して味わえない旅の醍醐味なんですよね。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月19日

「いいんじゃない?」のお誕生日後日談

 せっかくテクノロジーとは無縁の田舎暮らしという贅沢をしてきたのに、イラクリオンに戻るやいなや、喉の渇きを潤すようにすぐにパソコンを繋いでしまうのが悲しいところ。でも、嬉しいかな、お誕生日祝いのメッセージがたくさん届いていました。自分以外の誰かが、自分の生まれた特別な日を覚えていてくれるなんて、とってもとっても幸せなことです。私も大切な人たちのお誕生日を忘れないように、手帳を開いてもう一度復唱しました。

 上の娘からはバラの写真を添えたお祝いの言葉と一緒に、「日本に戻ってきたら、改めてお祝いのご飯会しましょうね。」 という嬉しいお誘い。ありがとう!

 下の娘からは彼女のブログでメッセージを公開。思わず笑って、その後に涙。親馬鹿を承知で、ちょっとご紹介させていただきます。


 「こんな私のママですが、彼女がいたからこそ今の私があります。
 私を6週間から保育園に預け、ずっと仕事をしてきたママ
 50代で会社を辞めて、自分で起業したママ
 毎日必ず絞りたてのオレンジジュースを作ってくれたママ
 私が風邪をひくと、なぜかオレンジジュースに蓮を入れるママ
 とても幸せな再婚をして、第二の人生を満喫しているママ
 私はいつもいつもママの背中を追いかけます
 いつの日かママのような女性に、母親になれるように。

 お誕生日おめでとう!
 お財布落とさないように気をつけてね」

大丈夫ですよ。今回はまだ落としていませんから(笑)。
みんな、ありがとう!!!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月18日

ブラボー!と叫びたくなる朝

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 お誕生日の朝をクレタ島の田舎家で迎えています。日本とはマイナス7時間の時差がありますし、パソコンは持ってきたものの、インターネットに繋ぐなど望むべくもない「最高の」環境です。イラクリオンのホテルに戻って、これをブログに載せる頃には、私の特別な日、3月17日は日本では既に過ぎてしまっていることでしょう。

 イラクリオンの町から、あえて海沿いの国道を避けて、小さな村々を結んでクネクネと曲がる山道を走ることにしました。山羊たちが道をゆっくりと横切る邪魔をしないように何度も車を止め、オリーブの林を抜け、頭上が白い雪で覆われたイダ山を仰ぎ見ながら、2時間後にたどり着いた所は、1750年に立てられた伝統的な石の家です。小さな門を入れば柔らかな春の光に満ちた大きな中庭があり、レモンの木が黄金に輝く実をたわわに実らせ、バラが咲き、鳥が啼いています。中庭を抜けて母屋に進めば、外の光になれた目が、花やハーブやレースで美しく整えられた居間の様子を映し出す迄には少しばかり時間がかかります。

 趣を異にする7つの客室には、アンティークの寝台と家具のそれぞれに、アナスタシアのお祖母ちゃんの手刺繍が施された清潔で美しい布がかけられています。とは言え、文明の恩恵に浴しすぎてきた身には、ぬるま湯のシャワーしかない石の部屋は暗くて寒くて、決して快適とはいえません。食事が終わって眠るまでの時間、 「せめてインターネットでもつながれば。。。。。。 」と身をもてあまし始めて広いバルコニーに出てみたら、まあ、何と言う世界!! ひたすら真っ暗な大きな空間が広がっていました。森から届くフクロウの声以外には何の音も聞こえてこない静寂の世界の中で空を見上げたら、目を疑うような星、星、星。。。。。。あ、あそこにオリオン座! 北斗七星! カシオペア座! こんなに星があるなんて、星がこんなに光るものだなんて、久しく忘れていたことでした。

 寒くて暗い部屋で、毛布をクルクル巻いて古い寝台の上に横たわった眠りは、不思議なことにこの何週間かで一番の熟睡をもたらしてくれました。そして今、私は、ひとつ年をとったことの重さと、毎年世界のどこかで自分らしくお誕生日を迎えられるありがたさを噛み締めながら、自然の恵みにあふれた朝の食卓に下りていくところです。窯からパンの焼きあがった匂いが漂ってきます。

 77歳になった吉武輝子さん(作家・評論家)の口癖は、「70代、80代は人生の旬」だそうです。そして年を重ねるということは、「変な社会的制約から解き放たれて得をしていく。どんどん楽しくなり、だんだん自分らしくなっていく感じです。」とのこと。

 吉武さんに比べたらまだまだ若輩の青二才。それでも確かに、いろいろな物から解き放たれて、だんだん自分らしくなっていくこの感じに「ブラボー!」と叫びたくなるお誕生日の朝です。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月16日

できるかなぁ、大丈夫、 Whoelse can do?

C2.JPGKNgs^1.JPG どこまでが海で、どこからが空かもわからないような青色の世界を飛び続けて、国内線の小さな飛行機は45分の後に、クレタ島の玄関、イラクリオン空港に到着しました。さあ、いよいよ今回の旅の真髄が始まります。

 まずはイラクリオンの街をぐるぐると歩き回り、お散歩中のワンちゃんがクンクンと匂いを嗅ぐように、この島の、この街の空気をつかみます。あちこちに小さなプラティア(広場)があり、島の人たちが春の空気の中で長い時間を過ごしています。散歩の途中でカフェに立ち寄れば、注文もしていないのに、

「あんた方、運がいいよ。これはねえ、ガラトピタって言うこの島独特のお菓子さ。お祖母ちゃんのそのまたお祖母ちゃん、そのまたそのまたお祖母ちゃんからずっと伝わってきたものをウチの女房が今朝作ったんだよ。ふだんは店にも出さないんだけれど、今日は結婚式があってね。」

 と、手入れの行き届いた口ひげのいかにもクレタ人らしいマスターが、お菓子を運んできてくれます。 「ん?クレタ料理の研究に来た?そりゃいい。いつでもウチにおいで。女房と一緒に台所で作ればいいさ。」 と、あやうくヘッドハンティングをされそうになります。

 たしかに今回の旅の目的のひとつはクレタ島独特の料理の取材にあるのです。ギリシャ中で一番長寿なクレタ人たちの秘密が、料理の中にも、本土とはちょっと違う気質の中にも、暮らし方の中にも隠されているように思います。心身ともに美しく年を重ねるためのアンチエージングを考える年代になって、ずっと心にひっかかっていたのが、歴史の上でも、神話の世界でもダントツに我々を魅了してきたクレタという土地であり、クレタの人たちのことでした。まだ漠然としていますが、何とかこの旅を通じてたくさんのヒントを見つけてきたいと考えています。そしてそれを1冊の本にできたらと願っています。

 今日からレンタカーで、全長250キロにもわたるギリシャ最大の島、クレタをまわります。小さな村の小さなタベルナ (レストラン) をできるだけたくさん訪れ、たくさんの人たちの話に耳を傾けたいと思います。手始めの今日は、イラクリオンから車で1時間半の村にあるKouriton Houseのアナスタシアさんを訪ねます。クレタ文化と伝統を守り続ける活動を続けながら、古い田舎家をホテルにし、博物館まで作ってしまいました。この田舎家に一泊し、アナスタシア先生にみっちりと教えをいただくことになっています。

 できるかなぁ、本当にできるかなぁ、目下、出発前のホテルの部屋のバルコニーからエーゲ海を見ながら、ちょっと気弱になっています。たまたまギリシャ語が話せ、たまたまギリシャに住んでいたことがあり、たまたま長年ギリシャ人と仕事をしてきて、たまたまギリシャがこんなに好きで、たまたま古代ギリシャ学者でもあるパートナーがいるというのにこんなに怖気づくなんて。。。。。

 「大丈夫、大丈夫、きっとできる。 Whoelse can do? 私以外の誰にできる?」 と自分を勇気づけるためのお守りのような言葉を唱えながら、私は今、私のミッション(使命)にも似たパッション(情熱)に向かって進んで行こうとしています。



posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月15日

これもギリシャ、あれもギリシャ

?`.JPGCq.JPG 冬は雨が多いのが地中海性気候の特徴でも、ことギリシャに関しては、年間300日が晴と言われるぐらいです。今日も朝からコートがいらないぐらいの陽気に誘われて、路線バスにガタガタと揺られながらマラソンまで行ってみようと思い立ちました。

 マラソンはその名の通りマラソン発祥の地。紀元前490年のペルシャ戦争の激戦地です。バスを降りて、山羊や羊や鳥たちの鳴き声を聞きながら、花々が彩り始めた野原の中をひたすら歩くこと約1時間。ここに、この時期はめったに人も訪れぬ小さなマラソン美術館があります。貸しきり状態で歴史の流れに思いを馳せた後は、さすがに同じ道を歩いて戻るほどの気力もなく、タクシーを呼んで、一番近い海辺の村に連れて行ってもらいました。アテネからちょっと遠出をしただけなのに、こんなに美しい海が広がっているなんて、やはりこの国はすべてが人生を楽しむためにできているような気すらします。海岸に沿って獲りたての魚を食べさせるレストランがいくつか並んでいます。

 夏にはお客でいっぱいになる砂の上のテーブルは、太陽と潮の匂いを愛する気の早い人たちによってすでに占められ始めています。私たちも心地よい海風を受けながら、きわめてギリシャ的なシンプルランチで休憩を取ることにしました。トマトとキュウリを切っただけのサラダ、ズッキーニのフライ、黒オリーブの実、キャベツのサラダ、カラマラキア(イカのフライ)、そして樽からデカンタに注がれた白ワインと赤ワイン。

 どこからか 「日曜はだめよ」 (Never on Sunday)のメロディーが聞こえてきたと思ったら、アコーディオンとギターとタンバリンの3人組が、テーブルからテーブルへとまわって来ました。そのうち一人また一人と食事客がからだを揺らしながら手拍子と共に一緒に歌い始め、そして、一人また一人と椅子から立ち上がって踊り始めました。懐かしい曲のオンパレードに、太陽の下のワイン効果があいまって、やたらノスタルジックな思いに酔っていたら、とうとう踊りの輪からお声がかかってしまいました。

 「エラーテ ヤポネーザ! ナ ホレヴメ マジ!」 (そこの日本人、一緒に踊りましょう!)
 というわけで、私は彼らと肩を組んでギリシャのダンスを踊るという、2日目にしてますますギリシャ風暮しとなりました。

 アテネに戻って、夜の10時に始まったのは、ライトアップされたアクロポリスの光景に息を飲むようなレストランでのディナー。我々がホスト・ホステスとなり数人の方々をご招待したのです。昼間とはうって変わって正装をし、微笑みと気配りでホステスの役目を担います。メニューはヌーベルキュイジーヌのギリシャ版とも言うべき、やたら上品でやたら美しく、やたら量の少ないものばかり。有名シェフが腕によりをかけて作り上げた自慢の作品だけあって、それはそれで感嘆するものではありましたけれど、 「エラーテ ヤポネーザ!」 の海風と太陽の中でのぶった切り、てんこ盛りの料理こそが、私の愛するギリシャ料理だとあらためて実感しました。

 昼の支払いはワインも入れて2人で30ユーロ(約4千円)。
 夜はメーンディッシュの気取った料理が一皿30ユーロ。4本のワインを含めたら合計は息も止まるような数字。

 これもギリシャ。あれもギリシャ。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ

2009年03月14日

すでにしてギリシャ風暮し

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 深夜のアテネ空港でパートナーと再会し、親友ギオルゴスの車で街中のホテルに無事到着しました。凄腕にしてやたらに顔の広い弁護士ギオルゴスの、いつもピカピカに磨き上げられている車がどうしたことか埃だらけです。聞くのも憚られていたら、彼のほうから先に口火が切られました。
 「きれいにしておくと襲撃に合うんだ。だからわざと汚くしてる。」
 たしかにこの平和な街が、昨年から物騒な動きに包まれていて、街の真ん中で若者たちと警官との小競り合いが今でも繰り返されています。

 目覚めてカーテンを開けたら、外はすっかり春の光に包まれていました。3月のギリシャは大好きです。観光シーズンにさしかかる前の静けさの中で、アニクシ(春)が一度にやってきます。アニクシは 「開く」 という意味。まさにそんな言葉がピッタリです。人々はどことなくソワソワと浮き足だって、一日を目一杯に楽しみ始めます。

 私の第一日目も盛りだくさんで始まりました。テサロニキ大学教授のリアとの朝食、35年来の大親友アダとのランチ、元駐日ギリシャ大使で今はラフカディォ・ハーンの研究家、大好きなヴァシス夫妻とのディナー。この間にあちこちと動き回っては美術館に入り込んだり、あっちの店、こっちの店の顔見知りたちに挨拶をしたり。。。。朝御飯の約束ならば8時、夕御飯の約束ならば21時のこの町の一日は本当に長いのです。夜の夜中の公園で子供たちが走り回って遊んでいる光景などは日常茶飯事。一日を御昼寝で半分に切って、2日分を楽しんでしまうというのがギリシャ風暮らしなのです。

 どこの角を曲がれば何があるか、この道をまっすぐ行けばどこにつながるか、そんなことがわかる町が世界のどこかにあるのは本当にいいものです。ざわめきの中から聞こえてくる言葉が意味をなして耳に届く場所があるのは本当にいいものです。春の日差しを浴びてそんな場所を歩いていると、心の形が変わっていくのがわかります。あんなに突っ張っていたのに、トゲトゲが取れて、なんだかフワフワと柔らかくなって行きます。「これが本来の自分だ!」 「やっと自分に戻った!」 とさえ思えてきて、ザワザワと開放感が湧いてきます。だから旅は止まらない、やめられない、のです。
 
 ギリシャ人の口癖。
 「ミ ピラージ!」 (たとえ自分が手をすべらせてコップを壊した時も『気にしない!』)
 「アフティ イネ イ ゾイ!」 (思うようにいかない時にため息ひとつの後で、『これが人生さ!』

 ギリシャ風暮し、いかがですか? その昔、私がなぜギリシャで暮すことになったのか、についてもいつかお話ししましょうね。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシャライフ