2011年04月17日

コキ蛙君の受難

 
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 昨日一日中降り続いた雨は、夕方になって強い風を伴い始めました。夕飯の買い物に出てみれば、道のあちこちに骨が折れて変形した傘が捨てられています。傘をさすことをあきらめた持ち主が置いていったのでしょう。水溜りには吹き飛ばされた帽子まで見られます。メリー・ポピンズのように傘ごと吹き飛ばされそうになって、私も傘を閉じて歩きました。

 一夜あけた今日は柔らかな日差しにあふれた暖かな朝です。PCの後の若草色の壁に小さな虹がたくさん揺ら揺らと揺れています。写真を撮ろうとカメラを向ければ、虹たちが逃げていきます。そんな追いかけっこを繰り返しているうちに、はたと気づきました。小さな虹は、私が着ているセーターの胸のラインストーンの反射だったということに。ラインストーンが虹を作るなんて、何ていう素敵なお日様マジックでしょう。

 部屋の窓から春が見えます。めったに開けることのない分厚い窓を力いっぱい曳いてみれば、ガラスの向こうにはこんなにたくさんの音があったのかと驚くぐらいに色々な音が待っています。車の音、クラクション、ガタゴトとニューヨーク行きのアムトラックが線路を走る音、飛行機が飛ぶ音、犬の鳴き声、鳥のさえずり、ラケットに当たるボールの音、子供たちの歓声、、、、、人も動物も今日を生きています。

 プエルト・リコで夜になると聞こえてきたのは、初めて聞く不思議な音でした。甲高く澄んだ声で、「コキッー、コキッー、、、、」といつまでも続くのです。もしも♪に当てはめるとしたら、2オクターブぐらい上の「ソレッー!」と言った感じでしょうか。もちろん「ソレッー↓」ではなくて、「ソレーッ↑」です。

 これがプエルト・リコのあちこちに生息し、この国のアイドルともなっている「コキ蛙(Coqui)」の鳴き声だと知ったのは2日後のことでした。レストランで食事中に聞こえてきた「コキッー」の声に、オーナーのヴィクトリアに聞いてみれば、目を細めるようにして、「ねっ、可愛いでしょう?あれが『私たちの』のコキ蛙なの。」と言いながら、私の手をとって廊下の大きな鉢の所まで連れていきました。

「この中にコキがいるのよ。だいたいこのくらいの大きさかしら。」と、指を広げたのは3センチぐらいでしょうか。コキ君は、我々のかしましさなどどこ吹く風で、「コキッー、コキッー、、、」を熱唱し続けています。聞くところによれば、この蛙は水かきがないために、ほとんど泳がずに繁みの中や木の上で生活をするとのこと。

 「美しい」「愛らしい」「可愛い」と言われる鳴き声は、CDにもなっています。買ってきたCDを先ほどからかけているのですが、まあ驚いたことに45分もずっと「コキッー、コキッー、、、、」が続くだけ(笑)。申し訳なさそうに最後の5分だけが熱帯雨林の水音と鳥のさえずりです。けれども、この最後の5分でさえエンディングは「コキッー、コキッー、、、、」です。

 45分も聞き続けて、波音のように心が癒されるかと言えば、そういうわけでもありません(笑)。ずっと聞いていたいと思ったのはむしろ、熱帯雨林に水が流れる音でした。とはいえ、国鳥ならぬ国蛙であるコキ君は、色々な形でこの国のお土産品になっています。わが家の冷蔵庫に、洗濯物のレシートを止めてあるのもコキの栓抜きマグネット。ビールの栓を開けるのにサン・ファンのスーパーで買った栓抜きです。

 面白いもので、ちょっと調べてみたら、植木鉢に入っていたらしいコキがプエルトリコからハワイ島に上陸し、瞬く間に繁殖し、今では騒音公害を引き起こしているらしいのです。同じコキ君の鳴き声が、ハワイ島では「うるさい」と嫌われて、「ハワイの不動産価値を下げ観光業界が頭を悩めている。」とまで言われているとは!あげくのはてには、2006年にはハワイ州政府がコキを法的に害虫として正式登録をして、さまざまな方法で「害虫駆除」を始めたというではありませんか!長旅の末にようやく安住の地を見つけたコキ君にとっては、たまったものではありません。

 美しいと言えば美しいし、
 愛らしいと言えば愛らしいし、
 可愛いと言えば実に可愛い、、、、、、
 
 うるさいと言えばうるさいし、
 耳につくと言えば耳につくし、
 騒音だと言えば騒音かもしれない、、、、、

 全く人間っていうのは不思議なものであり、勝手なものです。
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4月18日(月)予告:ビールの浪漫と物語
4月19日(火)予告:Au Bon Painで宝探し
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2011年04月15日

ごちゃ混ぜも統一も

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 昨日まだ朝が明けぬうちにタクシーに乗り、がらんとした道を走り続け、サン・ファンの空港からボルティモアへと飛び立ちました。アメリカの首都ワシントンには3つの空港があります。これは「東京には成田と羽田の2つの空港があります。」という矛盾した言葉と同じで、「ワシントンに行くには3つの空港があります。」と言うのがより正しい表現でしょう。

 日本からの直行便が着くのは一番大きなダレス空港ですし、私たちの住むキングストリートの駅から2つ隣りにあるのがロナルド・レーガン空港です。こちらは国内線のみ。そして、もう一つが今回のプエルト・リコとの往復に使ったボルティモア空港です。ここは国内便と、近隣諸国への国際便が離発着します。

 プエルト・リコはまさに近隣諸国です。飛行時間は行きが3時間半、帰りが4時間。とういうことは、成田からグアムまでほとんど同じということに気づきました。さらに気づけば、この南下は他にも随分似たところがあるような気がします。この突然の気づきを書いてみたくなり、別のテーマで書くはずだったテーマを急遽路線変更します(笑)。

 その前にちょっと言い訳を。帰りの機内で突然鼻水が出始め、クシャミが止まらなくなりました。しかも左鼻だけです。ただでさえ熱帯の地から乗り込んだ機内は寒く、毛布もない小さな飛行機です。ラックからコートを取り出そうと立ち上がった途端にコーヒーをひっくり返し、上も下もコーヒーまみれ。からだはますます冷たくなるし、突然の花粉症なのか風邪なのかもわからぬままに、くしゃみをし続けていました。

 家に戻ってからもおさまらないので、非常用の鼻炎薬を飲みました。ところが忘れてました、これ、ものすごく眠くなるのです。おまけに前の晩に3時間しか眠っていなかったことも重なってうっかりウトウトと、、、、知らない間に過ぎていってしまった時間にあわてましたけれど仕方がありません。夕食の支度やら後かたづけやらでブログの更新をあきらめました。一晩たった今でもまだクシャミ。熱帯花粉症なんていったい全体あるのでしょうか(笑)。

 さて話を戻します。グアムもプエルト・リコも熱帯ゾーン、一年中泳げる常夏の島です。
大きさで言えばプエルト・リコは鹿児島県、グアムは淡路島と同じぐらいです。政治的な位置づけで言えば、プエルト・リコはアメリカ合衆国のコモンウェルス(自治領)であり、グアムは準州。それがいったいどう違うの?という疑問はさておいて、大雑把に言えば、アメリカと緊密な関係にあることは事実です。けれども、両島とも大統領選挙への参政権はなく、公選によって選ばれた知事が内政を執行しています。

 初めてグアムに行ったのは1969年の春、まだ1ドルが360円に固定され、外貨持ち出し制限があった時代です。今はなきパンナムことパンアメリカン航空が唯一運航をしていました。私たちはグアムの空港のベンチで夜を明かし、翌朝トラック島へと飛びました。グアムが周辺の島々への交通の拠点であるならば、プエルト・リコも小さなカリブ海の島々への拠点と言えるかもしれません。そこは広大な大洋へと繋がっています。

 以来ミクロネシアの島々を訪れる際に何度もグアムに下り立ちましたが、ここしばらくは寂しいことにそんな機会もありません。けれども私の古い思い出の中に残っているグアムは、南の島でありながらアメリカであり、けれどもいまだにスペインの色を残す場所です。島のはずれの村々の、色とりどりな建物が忘れられません。グアムもプエルト・リコもスペイン人に発見され、長らくスペインの植民地でした。

 プエルト・リコの家々はまるで絵の具箱のように、さまざまな色に彩られています。面白いことに同じ色が並ぶことはありません。ピンクの隣りがミントグリーンで、その隣がライトブルー、次は紫になったりローズ色になったり明るい黄色になったりで、そんなごちゃ混ぜの色彩が、眩しい陽射しにぴったりなのです。けれどもその雑然さは、白いフレームという共通項で不思議な調和を見せながら、スペイン時代のコロニアル(植民地)スタイルが今でも継承されています。

 帰ってまず感じたのは、陽射しと色彩の違いでした。ここでは私たちが住む建物も、向かいのホテルもオフィスも、まるでどれがどれだわからないぐらいに同じ色調で統一されているのです。色彩の豊穣と統一、そのどちらをも美しいと思えるほどに、私も年を取りました。

 ちょっと離れていただけなのに春が随分進みました。テニスコートに向かう道には無数のタンポポが咲き、裏庭の八重桜が満開になりました。常夏の国も素敵なら、四季のある国もやっぱり素敵です。

 クシャミの数だけ思考も散って、散漫な文章になりました。
 それにしてもこの鼻水とクシャミ、何とかならないものでしょうか。
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4月14日(木):波音ヒーリング付き三色チップス
4月15日(金):サン・ファンのNYC
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2011年04月13日

羨望と望郷の熱帯雨林へ

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 それにしても「熱帯」という言葉はどうしてこれほどまでに人を魅了するのでしょう。いえ、「私を魅了する」と言うべきでしょう。そんな習性は若い頃からのもののようで、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」などという難解な古い本を、初めはただそのタイトルだけにひかれて読み始めたのは、大学に入って間もない頃でした。

 そんな「熱帯」という二文字に、さらに別の二文字がつけば、その魔力はますます強まって、憧憬と望郷で私をがんじがらめにします。それが「Rain Forest」であり「熱帯雨林」です。

 絵画の知識や鑑識眼はなくとも、きわめて個人的な好みはあります。そんな尺度で言えば、ルソーが描いた一連の「熱帯雨林」ものはいつまで見ていても見飽きることがありません。ワシントンのナショナルギャラリーには何度足を運んだことでしょうか。そこには、「熱帯雨林の猿」という絵が所蔵されているのです。「赤道のジャングル」もあります。

 同じように単純な理由から、ゴーギャンの絵と、彼の生涯にも心惹かれます。国家予算の見直しの中で、国が運営するスミソニアンの美術館をしばらく閉館する、などという突拍子もない案が出て、先週はワシントニアンたちを怒らせましたけれど、幸いなことに美術館はこれまで通り人々に開放されることになりました。プエルト・リコから戻ったら、すぐに「ゴーギャン展」に行きます。

 そもそも熱帯とは、単に地理的な括りです。北回帰線から南回帰線までの間の帯状の区域です。その真ん中に赤道があります。具体的には北緯23度26分22秒から南緯23度26分22秒までの間。

 そこは日射量が多いために一年中高温となり、上昇気流が多量の雨をもたらし、その下に熱帯雨林が作られます。豊かな雨は地を潤し、動植物を育て、また空に昇り、また雨となって戻ってきます。自然の変異がない限り、そして人間が何らかの方法でこれを壊そうとしない限り、この連鎖は永遠に続くはずです。

 昨日、プエルト・リコの首都、サン・ファンから43キロほど南東にある「El Yunque」に行きました。ここはアメリカがその生態系を管理する唯一の熱帯雨林です。2万8千エーカーですから約113平方キロメートル。森の中をコンクリートの道が通っていて、入り口で入場料を払えば、中の「レインフォレストセンター」で、お勉強のための映画を見ることもできますし、カフェで青バナナのフライも食べられます。ギフトショップでは用意のいいことに、ひとつ6ドルの使い捨て雨よけポンチョまで売られています。

 舗装された道は、滝やら展望塔だのの観光スポットを用意して、熱帯雨林の奥まで私たちを運んでくれます。車では入れないトレイルもあり、車を置いた人たちが20分の初心者コースや2時間の中級者コースなどで熱帯雨林体験ができるようにもなっています。

 熱帯雨林への回帰は、私にとってはそれはそれは嬉しいことでした。でも、こんなに至れり尽くせりでは、まるでテーマパークの中を走っているようにしか思えないのです。いくら保護をするための管理でも、これはやっぱり本来の「熱帯雨林」ではないような気がします。自然の善意を信じて手付かずのままにしておかなければいけないように思うのです。もちろん車で通り抜けたりしてはなりません。

 などと複雑な面持ちでいたとは言え、そこはやはり熱帯雨林です。突然の豪雨がからだをビショビショにしたかと思えば、すぐにまた熱い太陽が照り付けます。雨に打たれた後の緑の、何と言う躍動的な美しさでしょうか。

 懐かしい仲間たちにたくさん出会うことができました。タロイモ、キャッサバ、ブレッドフルーツ(パンの実)、バナナの林、、、、、名前も知らないたくさんの懐かしい植物たち。
滝のほとりに群生していたのは、確かにジンジャーでした。花をつけ、花が開けば、辺り一帯をクラクラとする香りで満たすことでしょう。

 雨が降り、全てを湿らせ、土を潤し、木々を育て、虫やけものたちの生を運び、
 空に帰り、暗い森に光を届け、また雨となって降り落ちる、、、、、

 何て素敵な連鎖でしょうか。
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4月12日(火):始まりはピナコラーダで
4月13日(水):ただ青いだけでロマンチックな青バナナ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:13| Comment(0) | プエルトリコ

2011年04月12日

魚になれなかったカリブ海

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 ここプエルト・リコは、ぼぼそのまま南へ下っただけあって、ワシントンとは同じタイムゾーン、日本との時差はマイナス13時間です。どこにいても私の頭の中にはいつもふたつの時計がまわっています。たとえて言えば、右側の頭は日本時間、左側の頭は現地時間。携帯メールなどは、右側の頭でしっかり考えて出さないと、変な時間に届いて迷惑をかけることになります。それでも時々混乱して大ドジをします。

 マイナス13時間の場合は比較的簡単。日本とは昼夜が入れ替わったようなものですから。こんなロマンチックなことだってありえます(笑)。

男:「外を見てごらん。太陽が昇りだしたよ。オレンジ色の光が木々を染め出した。何て素敵な一日の始まりだろう。」
女:「ええ、見てるわ。なんて美しいんでしょう。茜色の空がだんだんと暗くなっていくの。何て素敵な一日の終わりなのかしら。」
男:「僕たちは今同じ太陽を見てるんだね。昇る太陽と沈む太陽を。」
女:「ええ、地球は動いているの、今こうしている一瞬も。私たちが息をしているように。」

最近一番混乱したのはシアトルとバンクーバーでした。途中からサマータイムに切り替わったりもして、マイナス17時間と言うのは、数字に弱い私の頭ではどうやっても上手に体感できずに、指ばかり折っていました。

 さて、こうしている今、右側時間は火曜日の夜で、左側時間は火曜日の早朝です。日本の家族や友人から、こんなメールが届いています。

「今日は朝一から千葉震度3、昼と何回か結構ゆれました。阪神大地震の時は9ケ月も続いたそうです。地震も暴れるだけ暴なければ気が済まないのでしょうかね。大事に至らなければよいかなと開きなおりですかね。震災地の事をかんがえると忍耐あるのみです。一緒に河口湖に行く時までには治まってくれるといいですね。」

「今日もね、朝8時過ぎと、午後2時過ぎに大きな余震が2回。朝のは千葉沖で、午後のはまた福島で震度6弱。もう揺れにも慣れてきたけど、感じるのが嫌だから地震警報が鳴り響くたびにフロア中をうろついてるわ。一体なにが起こっているのか・・・原発レベルは7に引き上げられたし。大丈夫と思うべきなのか、過大評価をして恐れるべきなのか、、、、」

「朝8時過ぎ又少し大きく揺れました。お部屋にいると地震か眩暈か解らなくなります。母はあれ以来眩暈がなおらず、医者に行ったら、同じような患者さんがたくさんいたそうです。後遺症ですね。部屋から見える公園の桜が満開です。早く揺れない日を待ちます。」

 昨日、午前中に予定の仕事を終えて、午後、海へ行きました。太陽がサラサラの砂を熱く照らし、心地よい風が椰子の葉を揺らし、十分に暖められた海は優しく私たちを受け容れてくれます。トルコ石色の水面はしばらく行くと突然、紺碧に変わります。そこまで行けばからだがひんやりとして、きっと魚になれるはず。

 暖かい水の中で、波が来るごとにフワリフワリと漂いながら、紺碧の水面へと泳ぎ始めた途端に大きな波がやってきました。うまく乗れずに水を飲みました。せっかく進んだ私のからだがまた岸に戻されます。その時襲ってきた何とも言えない恐怖の心をいったいどう表したらいいのでしょう。まるでからだが硬直したように感じました。こんなことは初めてのことでした。私は急いで向きを変え、あとはひたすら岸に向かって手足を動かし続けました。

 これもまた後遺症なのでしょうか。

 サン・ファンの町にはたくさんの色があふれています。建物も、花々も、人々が着るものも。そんな色彩の豊穣が、底抜けに明るい空と、快適な暑さに何とぴったり合っていることでしょう。静かな午前中が、だんだんと活気付いていき、午後になれば町のあちこちで誰かが音楽を奏で始めます。叩く人もいれば、かきならす人も、歌う人もいて、時には踊る人もいます。

 今日は車を借りて島をまわります。
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4月12日(火):始まりはピナコラーダで
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:24| Comment(1) | プエルトリコ

2011年04月11日

いったいあなたってやつは、、、、、プエルトリコ最初の朝に

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 ワシントンのバルティモア空港から南へ南へと3時間半、サン・ファンに着きました。ここはアメリカの自治領、コモンウェルスと呼ばれるプエルトリコの首都です。コモンウェルスと言っても、そんなものは一切もたない国の人間からしてみればいったい何のことやらわかりません。とは言え、どうやらそれは大変特別なものであるようです。

 まずここの住民はアメリカの市民権を持ち、アメリカ合衆国にある種の形で所属をしながら、、、、たとえば出入国に際して、私はパスポートが要るのに夫は必要ありません、、、、、アメリカへの納税義務はありません。その代わり、大統領選挙の投票権もありません。義務もなければ権利もないわけです。ここにはここの知事がいて議会があります。公用語はスペイン語です。

「コモンウェルスになってからもう60年近く立つのに、こんな中途半端な形のままで快適なんだろうか。」
「次はきっとアメリカの51番目の州になるよ。」
 
 などと言われながら、実際、長い間、アメリカ合衆国への州になることを希望する「州昇格派」と、現状維持の「自治派」と、独り立ちして歩き出すことを唱える「完全独立派」が論争を繰り返してきました。アメリカの51番目の州昇格を巡る最後の住民投票が行われたのは今から13年前、1998年のことでした。

 そんな政治的な迷いをかかえながらも、プエルトリコというカリブ海のこの島は、あざやかな色彩に彩られる美しい地です。気候は、私が長い間肌で覚えてきたあの南の島々にも似て、1年を通してほぼ同じ気温の熱帯海洋性気候です。たとえば今日から先1週間の最高気温は28度です。春も夏も秋も冬もなく、あるのは雨期と乾期。4月〜11月の雨期には湿度、気温とも高い蒸し暑い日が続くとは言っても、貿易風がいい具合に爽やかさをもたらしてくれるのは、あの熱帯の島々も同じでした。気をきかしたホテルが部屋の冷房をつけっぱなしにしてくれましたが、元を止めてもらいました。冷房は全く必要ありません、少なくとも私には。観音開きのよろい窓を開ければ、まぶしい日の光が飛び込んでくるのと一緒に、優しい風が吹き渡ります。

 時々雨が降ります。これも「私の島たち」のスコールと同じです。
 昨夜も気持ちの良い星空の下で食事をしていたら、いきなり大雨が振り出しました。パラソルの位置を動かして食事を続けていたら、案の定10分もたたないうちにカラリと止みました。

 こんな心地よい気候の所にパスポートも持たずに移動できるとあって、アメリカの友人たちの中には、この島にヴィラを借りて、冬は毎年この島で過ごすという人たちもいます。

 さてそんな熱帯の島で迎えた最初の朝に、PCを立ち上げたとたん飛び込んできたのは、スカイプでの娘の一言でした。「来たァ!」

 いったい何事かと思えば、11日午後5時16分頃に、また大きな地震が起きたというではありませんか。その後、立て続けに友人たちから連絡が入り、続く余震の状況を知りました。ここではワシントンの自宅と違ってすぐにテレビの前に飛んで行きNHKに見入ることもできませんから、しばらくは家族や友人たちからの報と、ネットで得られる情報だけが頼りです。

 ここまでみんなで一生懸命歩いてきたと言うのに、自然はどうしてこんな悪戯をし続けるのでしょうか。美しい花を咲かせ、高い青空に光り輝く雲を浮かべ、豊かな葉を茂らせ、優しく木々を揺らし、トルコ石色のおだやかな海に招くのも同じ自然だとしたら、私たちはもうその気まぐれな力に翻弄されることしかできないのでしょうか。

 今日この日は私の大切な娘のお誕生日。これを書いている途中でたった今、21時4分、「また揺れてる!」と言う娘の言葉。娘をこの日に授けてくれたのも自然なら、こうして今もなお人々を不安な夜の中に置いているのも自然。いったいあなたってやつは、、、、、
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4月11日(月):ビールとポテチ、ポテチとワイン、、、、、
4月12日(火)予定:始まりはピナコラーダで
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:44| Comment(0) | プエルトリコ

2011年04月10日

南へ 海へ、、、

 こちらは日曜日の午前7時。ようやく外がうっすらと明るくなってきました。早起きして荷づくりを終えました。これから初めての地へ飛びます。カリブ海の島、プエルトリコです。キューバやジャマイカなどが並ぶアンティル諸島の一番東。海をへだてて西のお隣はドミニカ共和国とハイチです。

 いくつか取材をしたいことがあります。

 その理由は何であれ、私にとって、「南+海」という組み合わせは、心身の状態に化学変化を起こさせるには最適の「触媒」です。5日間、この気温28度の島に身を置いて、これからのことをきちんと前向きに考え、元気になって戻ってきます。

 何度も読み返している本があります。村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイです。その中にこんな箇所が出てきます。

 「たくさんの水を日常的に目にするのは、人間にとって大事な意味を持つ好意なのかもしれない。まあ『人間にとって』というのはいささかオーバーかもしれないが、でも僕にとってはとりあえず大事なことであるような気がする。しばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かを少しずつ失い続けているような気持ちになる。それは音楽の大好きな人が、何かの事情で長期間音楽から遠ざけられているときに感じる気持ちと、多少似ているかもしれない。僕が海岸のすぐ近くで生まれて育ったということも、いくらか関係しているかもしれない。」

 この時期、また不謹慎とか自粛とかの言葉が飛んできそうですが、私は再びしっかりと歩き出すために、春樹さんが旅行バッグの中にいつもランニング・シューズを入れるように、水着を隅っこにおしこんで、「少しずつ失い続けているような気がする何か」を取り戻しに旅立ちます。

 時間になりました。また、プエルトリコからお便りします。

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4月4日(月):DCのど真ん中で日本の味に!
4月5日(火):「我が儘」ではなく「Wagamama」という和食世界
4月6日(水):Edamame?
4月7日(木):ワシントンにアテネの町が!
4月8日(金):ポークのキウィソース〜フュージョン万歳!
4月9日(土):フラリぷらぷらタイ料理
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:26| Comment(0) | プエルトリコ