2009年02月08日

突撃レポート〜本場トルコ風呂

 やっと到達した日曜日、『開くと何か面白い情報が得られるブログっていいよね。』 という友人の言葉に単純に刺激されて、今日はちょっと面白い突撃レポートです。もっともこんな情報がお役に立つかどうかは全くわかりませんが(笑)。

 昨年12月に半月ほど居座ったイスタンブール滞在記から漏れているものがまだまだたくさんあります。その一つがトルコ風呂体験です。日本でトルコ風呂と言えば、その昔は殿方のための何やら良からぬ場所として知られていました。けれども「ハマム」 と呼ばれる本来のトルコ風呂はきわめて健全なお風呂屋さん。裸でおしゃべりを楽しむ浮世風呂でもあります。

 本当は土地の人たちと一緒に浮世風呂体験ができれば最高だったのでしょうが、地元のレストランに行くのと違って、言葉もわからずに衣服を脱ぐのはさすがに勇気が必要です。観光客向けに街中でペラペラの三つ折ちらしなどを配っている所もありますが、それでさえ同性の仲間たちで集団になってでも行かない限りは一人では行きにくい。とは言え一度は本家本元のトルコ風呂体験をしたかった私は、たまたま滞在していたホテルの地下に見つけたハマムに飛び込みました。さあて、ここからが突撃レポートの始まりです。

@まず入り口で大きな黄色いタオルを渡されます。 
Aロッカールームで衣服を脱ぎます。(本来は裸にタオルを巻くのですが、やはり抵抗があります。なるべく水着を着用することをお勧めします。女性は絶対にセパレーツタイプの水着にしてください。私はワンピース水着でしたので後でとんでもないことになりました。)
B10分間サウナに入って毛穴を開かせます。(10分ぐらいでは全然汗も出ませんでしたが。)
C湯気がもうもうのハマムの大理石の上に腹ばいになります。(他に人もいる混浴状態です。)
Dザザーッと熱い湯を5〜6パイかけられます。(最初は飛び上がりそうに熱いのが、しばらくすると快感に変わります。)
E裏の垢すり
Fザザーッを数回  
G表の垢すり  
Hザザーッを数回

 ここらへんで羞恥の極致に達します。垢すりをしてもらうためにはワンピース水着は邪魔になります。「ああ、セパレーツタイプの水着だったら」 と後悔しても、もうまな板の上の鯉状態。覚悟を決めて目を固く閉じます。

I表も裏も全身フワフワの泡で包まれます。
J泡の中でマッサージ  
K寝たままザザーッ 座ってザザーッ 立たされて頭からザザーッ
L10分間お休み

 この後にオプションでオイルマッサージに移るのですが、通された所はほの暗い照明とほのかな香りが何やら怪しい雰囲気の個室です。「ソフト オア ハード?」 と聞かれたので、「ミディアム」 と答えると、もう一度「ソフト オア ハード?」 と聞かれ、仕方なくハードと答えてしまいました。どうもミディアムという曖昧なものはないらしいのです。マッサージはビバルディの「四季」 と共に始まり、あまりの心地よさにウトウトとした後の目覚めは「G線上のアリア」 でした。トルコ音楽の方がずっといいのに、と思っても、これはこれで世界各国から集まるお客様への彼らのサービスなのでしょう。

 「どうだった?」 と聞かれて「うん、まあまあ」。
 「女の人だったんでしょ?」 と聞かれて「うん、もちろん」

 実はこれ、家庭の平和のための苦し紛れの大嘘です。昨今、垢すり・マッサージを生業とする「ケセジ」(三助さん)への女性のなり手が少なく、どこのハマムも男手で切り盛りせざるを得なくなりました。私が体験したトルコ風呂のケセジさんも若い男性でした。

 トルコへ行ってハマム体験をしたい方、もう一度言います。くれぐれも水着をお忘れなく。女性は絶対にビキニかセパレーツにしてください。でないと私のように、二度とホテルの地下には恥ずかしくて足を踏み入れられなくなります。そして、どこかであのケセジさんに会ったらどうしようかと、ビクビクしながら歩くことになります。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2009年01月09日

スーパーマーケット文化論

P1010263.JPGP1010262.JPG  日本以外の国に旅行したり滞在したりしていて、絶対お勧めの面白い場所と言えば、何て言ってもスーパーマーケットです。およそどんな小さな町にでも一つ二つはあるでしょう。昔行き来していた私の心の故郷、ミクロネシアのポンペイ島にだってAMBROS(アンブロシュ)という大きな(でも棚の上はガランとした)スーパーがありました。アテネに住んでいた時は、週に一度の移動型青空マーケットでカート一杯に買い込んだ食材を補うのに、ALFA BETA(アルファベータ)というスーパーに行っていました。

 ワシントンDCに定期的に滞在するようになって、本家本元であるアメリカのスーパーマーケットに行くのをワクワクと楽しみにしていたら、我が家の周りを見渡しても何と1軒も見つかりません。みんなどこへ買い物に行くのだろうと隣人たちに聞いてみたら、「すぐそこにGIANTがあるわよ。」との答。ところがそこが日本とアメリカとの距離感覚の違いです。「すぐそこ」って言ったって、まずは地下の駐車場に下りて車にエンジンをかけ、そこから10分走らなければいけません。「いちいちそんなことしてられるか!私は日本にいる時みたいに駅を下りて家に帰るまでの間にちょこっと立ち寄って夕飯の買い物をしたいんだ!」と憤然としていたら、怒りと願いが通じたのか、3年前に駅前に「WHOLE FOOD」という、これぞ夢に見た通りのアメリカ風スーパーマーケットができました。以来、私は1週間分の食料を買いだめすることもなく、毎日毎日、なんだかんだと理由をつけては、WHOLE FOODに遊びに行くのが日課となりました。

 スーパーの楽しみは、日本には絶対にない食材や、あっても形や大きさや値段が全く違うものを発見することです。何が売れていて、何を売ろうとしているか、はちょっとしたマーケティング調査です。大きな店だったら、それこそ博物館のように一日いたって見るものはたくさんあります。大げさですが、スーパーマーケットこそはその国、その町の文化の縮図と言ってよいかもしれません。

 ということでイスタンブールでももちろんスーパーに行きました。露天商を含め小さな店が無数にあるこの町ではスーパーの存在は控え目ですし、それほど豊富な品揃えがあるわけでもありません。それでも面白い物をたくさん見つけて買い込んでしまいました。小さな個人の店ですとそうそうは長居するわけには行きませんし、声をかけられたりして面倒なこともあります。スーパーはそんな点でもゆっくりできます。

 買い込んできたのはインスタント食材です。クノールのスープやキョフテ(トルコ風ハンバーグ)の素をたくさん。クノールと言えば世界的なスープブランドですが、トルコにはトルコのクノールスープがたくさんありました。表も裏も全部トルコ語ですから勘で行くしかないのですが、それこそが面白い!たぶん買ってきたのはレンズ豆のスープ、チリスープ、ヨーグルトスープ、、、、あとは不明。(笑)日本のクノールにも、北海道とろ〜りポタージュ、それいけ!アンパンマンスープ、やまいもとオクラのスープなんていうのがありますから、トルコにだってきっとそうしたご当地ソング的なものがあるのでしょう。

 とは言え、キョフテの作り方に困っていたら、投資銀行に働く娘から吉報。
「隣で働いている同僚がトルコ人だよ。作り方英語に訳してもらってあげる。」ということで、
1) Mix the 500g ground meat with the mixture and 2/3 cup water using your hands.
(500グラムの挽肉とキョフテミックスと水3分の2カップを手で混ぜ合わせる。)
2) 3) 4)………という具合にレシピが届きました。

 というわけで本日の池澤家の夕食はキョフテです。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月31日

今はただ「ありがとう」

 さっきまで積もる前に消えていく雪の町を歩いていたのに。。。。
 さっきまで凍えた手を、チャイのはいった小さな薄いガラスの器で温めていたのに。。。。。
 さっきまえ何ひとつわからない言葉をBGMに聞いていたのに。。。

 ガラガラのトルコ航空の4つの席を占領して毛布にくるまって寝ている間に、飛行機はカスピ海を越え、カザキスタンを越え、モンゴルと中国を渡って日本海へと向かっていました。そして予定と寸分も違わぬ時刻に成田空港に下り立ちました。

 ゴールドのイアリングの片方をどこかで落としてしまいました。気づいた時には右の耳が裸でした。
 現金とクレジットカードとバンクカードの入ったお財布を、ブルーモスクの前の有料トイレの棚に置いたまま出てきてしまいました。あっと思って引き返した時にはもう姿はありませんでした。
 最後に買い込んだ1キロのひよこ豆と1キロのバルガー(粗びき小麦で作る穀物食。KISIRというサラダに使います。)、ようやく探し当てたローズウォーターとローズコロンの瓶が5本も入った重い袋を、空港まで送ってもらう車の中に置いてきてしまいました。電話をしたら、「待ってて、すぐに戻るから。」という運転手のエムレ。でも人ごみの中でどうしてもおたがいを見つけることができないままに出発の時間になってしまいました。

 なくした物はたくさんあります。でもそれらはあえてまた行くための心残り。完璧な完了形で終わるよりも、思いが残った方がいいのです。それに、失った物よりはるかにたくさんの物を得ることができたのですから。

 また新しい日々が始まります。もっと正確に言えば、また本来の日々が始まります。そして思い出のたくさんつまった2008年があと45分で終わろうとしています。今は思うことが多すぎて、たった一つの言葉しか言うことができません。「ありがとう。」

 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月30日

イスタンブール最後の朝に

PC230233.JPGPC300188.JPG 長いつもりのイスタンブールもいよいよ最後の朝を迎えることとなりました。結局最後の最後まで暗いうちに目が覚めてしまう習慣から抜け出すことができませんでした。毎朝、バルコニーに出て冷たい風の中で目覚ましのコーヒーを飲みながら、ライトアップされたモスクの尖塔を仰ぎ見て、今自分がいる場所を確認していました。色々な所を歩き、色々なことを体験し、いまだ消化しきれないほどにたくさんのことを心の中のフォルダーにしまいこみました。
 インターネットが時折不通になっては、突然日本との繋がりが途絶えてしまったように不安になったりもしましたが、何とか、こうしてブログも書き続けることもできましたし、必要な仕事も継続させることができました。フォルダーの中味は、きっとこれからの私を様々な場で助けてくれることになるはずです。
 先日アテネへの電話でひとしきりおしゃべりをした友人のカティアに、トルコ料理のレッスンのことを話したら、「ナオミ、知ってるんでしょうね。トルコ料理はギリシャ料理が元なのよ。なんたって連中はギリシャ人のコックを奴隷にした時にみ〜な盗んだんだから。」という物騒なコメントがすかさず返ってきましたが、だからこそただの観光客ではない立場で、今の時代に生きるトルコ料理を学んでみたかったのです。最後のレッスンを終えた昨日、師匠のハリル・グルデミールシェフが、大きな体で私をギュッと抱きしめて、感激家の私をウルウルとさせた後で、自分がかぶっていた帽子にサインをして私にかぶせてくれました。大事な宝物がまた一つ増えました。
 数々の思い出は、時がたつほどに切なく思い出されることでしょう。与えられたいくつかの課題は日本に戻ってからも考え続けることでしょう。この町の魅力は、元気でいる限り、きっと何度も私とパートナーを引き寄せることになるでしょう。
 その何度かのうちの一つは、どうしても娘を連れて来たい!アテネで生まれ、最初の誕生日を迎えてしばらくした頃に、折りたたみ式の乳母車から眺めたこの町を、彼女にもう一度見せてあげたいのです。私と同じようにきっとこの町の虜になることでしょう。その時には、この同じホテルの、この同じ部屋に滞在し、一日中一緒にこの迷路のような町を歩き回るつもりです。
 日本への便は17時50分。15時15分にホテルを出れば充分でしょう。アジア側のウスキュダルまで船で渡るぐらいの時間はありそうです。ここにしかない食材も買い込まなければなりません。なんたってお正月は、娘たち家族や客人のために、早速トルコ料理に腕を奮うことになりそうですから。
 

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月29日

ボスフォラス海峡〜海に囲まれた幸せ

PC280112.JPGPC280125.JPGPC280131.JPG イスロマニアという言葉があることを教えてくれたのは最初のパートナーでした。【Island+Mania=島のように海で囲まれている所にいると文句なく幸せになってしまう種族のこと。】彼はもう卒業してしまったかもしれませんが、私はいまだにイスロマニアです。もしかしたら祖先は魚だったのかしらと思うほどに、海の近くにいれば幸せになります。からだが水に触れている感触も大好きです。
 ですから今日はとても幸せな日だったのです。冷たい小雨の降る日でしたけれど、エミノニュという旧市街の港町から細長いボスポラス海峡を北へ北へと30キロ近くも船で上って、黒海の入口まで行ったのですから。左にヨーロッパ大陸、右にアジア大陸、2つの大地の狭間を船は縫うようにして進んでいきます。当然、右を見ても左を見ても前を見ても後を見ても海、海、海。
気づけば船とはまさに「動く島」。イスロマニアがご機嫌になるのも当たり前の状況です。
 10時35分に港を出た船は群れなすカモメと一緒にゆっくりと進んで行きます。1時間後には最初の港、カンルジャに着きます。ここはオスマン帝国の時代からヨーグルトの産地として知られた所。5分の停泊時間の間に乗り込んできた青年が船内にヨーグルトを売り歩きます。そして左右にたくさんの見所を見せながら、船はヨーロッパ側、アジア側とジグザグに停泊をしながら、黒海に向けて進みます。イスタンブールを出てから2時間、5つめに止まったのが終点のアナドル・カヴァウ。黒海の入口です。
 乗客は全員ここで下り、それぞれの目的地へと散って行きます。城砦まで登れば黒海のパノラマが広がります。私たちは夕方のイスタンブール行きの船が出るまでの間を、海に面したレストランで、黒海から海峡を、海峡から黒海へと行き来する船を見ながら、捕れたばかりの魚料理に心身共に満たされながら、ゆっくりと流れる時間の中をたゆたっていました。
 日本の仕事仲間たちがようやく年末年始の休暇に入ってくれて、私もようやく肩の荷が下りたような気がします。遊びや観光の旅ではないと言い訳しながらも、やっぱりどこかで後ろめたかったのですもの。それゆえに本日のイスロマニアは、とりわけリラックスして海に囲まれたのでした。
 船がイスタンブールに戻り着く頃、町には既に夕闇が訪れていました。
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月28日

冒険者たちのロマン〜オリエントへ

PC280079.JPGPC230242.JPGPC230245.JPG 
 
 ホテルから鉄道のスィルケジ駅までは私の足でも歩いて5分です。何と言うことのない表玄関ですが、実はこの駅こそが、パリからからバルカン諸国を通り抜け、ひたすら走り続けたオリエント急行の終着駅なのです。今ならパリ〜イスタンブール間は飛行機で一っ飛びですが、1883年、オリエント急行が走り始めた時代には6日もかかったと言います。しかも、バルカンの山々を抜ける途中で大雪のために足止めを食うことなども多かったことが、アガサ・クリスティーをして「オリエント急行殺人事件」を書かせるきっかけともなったのでしょう。
 当時イスタンブール(コンスタンティノープル)はオスマン帝国の首都でした。そして、サルタン、サルタンの親衛隊とも言うべきエリート集団の軍楽隊、ハーレムなどがかもし出すエキゾチシズムは、媚薬のようにヨーロッパの富裕な層の人たちを惹き付けました。イスタンブールこそが「オリエント」であったのです。
 正確に言えば、その先にもオリエントは広がっていたのですが、日本や中国は遠すぎましたし、インドも香港も英国領でしたから、憧れの対象とはなり得ませんでした。
 オリエントのエキゾチックな雰囲気を求める旅人たちは、まずはパリのGare de Lyon駅で列車に乗り込む前に、食堂車の形をしたトランブルー(ブルートレイン)レストランのシャンデリアの輝く下で、エレガントでゴージャスな食事を味わった後、長旅に発ったと言います。

 さて、ここまでが今朝の朝食のテーブルで、知識の宝庫の連れ合いから聞きだしたことの抄訳です。「ねえ、どうしてそんな大変な思いをしてオリエントへ向かったのかしら?」と言う素朴な私の質問に、間髪を入れず返ってきた答が、「冒険のためだよ。働かなくてもよい階級の人たちの冒険というロマンだよ。」というものでありました。長旅の後にイスタンブールに到着した冒険者たちは、スィルコジ駅構内に今も残る「Orient Express Restaurant」で一休みしてから、金角湾を船で越えて、向こう岸のペラパレスホテルに1月も2月も滞在したと言います。ちなみにこのホテルは今は改装中で宿泊することはできませんが、現存しミニ冒険者たちのオアシスとなっています。

 オリエント急行は30年近く前に歴史を担ってきた場を退きましたが、スピードの時代に生きる私たちの胸をもキュンとさせるものを持っています。私たちがレストランでゆっくりとワイングラスを傾ける間に、今夜もまた目の前のホームから、何の飾りもないごく普通の列車が走り出しました。夜の10時にイスタンブールを出発した電車は明日の同じ頃にはベオグラードに着き、それから又11時間半後にはウイーンに到着します。
 えんえん35時間もの旅の間、飛行機ではなくあえてこの長旅を選んだ乗客たちは何に思いを馳せるのでしょうか。その昔、瀟洒なオリエント急行の車内でロマンの地を夢見た冒険者たちに我が身をなぞらえることもあるのでしょうか。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月26日

やっぱりクリスマスは素敵です!

Christmas special menu.JPGPC250006.JPG 
 パラパラと英語の雑誌をめくっていたら、Christanbul (Christmas+Istanbul)という見出しの記事がようやく1ページ。それもイスタンブールに滞在する外国人記者の寂しいクリスマスを語ったものです。それほどにここではクリスマス色はありません。当たり前ですよね、国民の99%がイスラム教徒なのですもの。かたや、クリスチャンでなくたって国民的な祭日のようにクリスマスを祝う日本のような国もあります。

 でもいいのです。仕事仲間の桧田仁先生のブログにもこんなことが書いてありました。

 「日本はクリスチャンの方が主流の国家ではありませんから、クリスマスという行事はどこか商業的なものに踊らされている感はありますが、それはそれとして。。小さい子供なら、サンタさんからのプレゼント欲しさにお手伝いや約束事を守る事に頑張ります。た大人達は子供達の頑張る姿を見守ったり、家族の事を考えてプレゼント選びをしたりと、あらためて家族に目を向ける一つの機会として、私は個人的に良い行事だと思っています。」

 そう、クリスマスとは大切な人たちをいつも以上に思う時。本来が照れ屋の私たち日本人が、愛する人たちへの思いを形にするためにも、クリスマスは必要なのです。

 メールで、電話で、たくさんの「メリークリスマス」をいただきました。そして私もたくさんの「メリークリスマス」を届けました。ママになって7ヶ月の二女からは、こんなメールが届きました。

「うちにもサンタさんが来ました!青いザウルスに乗ってきたようです。そしてこれが今日のスペシャルクリスマス離乳食。トマトのハートと、コーンのスターと、パンの雪。味は昆布&かつおだし。もちろんオール手作り。どうせチンしてぐちゃぐちゃになるんだけど、かわいいよね〜。」

 小さな息子に愛を込めて作った離乳食を、クリスマスの朝にベビーシッターさんに託して、娘は朝早く多忙な職場に出かけていったのでしょう。娘の愛がシッターさんを通じて、さらに大きな愛となって届けられたことでしょう。
 
 やっぱりクリスマスって素敵だな、と思います。

 イスタンブールのクリスマスは珍しくお日様が顔を覗かせ、私の部屋のバルコニーからマルマラ海が見えました。夜はわが師ハリルシェフが腕を奮うレストランで、愛する人たちのことを一人一人語り合いながら、2人ひっそりとクリスマスを祝いました。やっぱりクリスマスって素敵だな、と思います。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月25日

予期せぬできごと〜飛んでいったトロイの夢

PC180106.JPG 昔々トロイという所にパリスという王子がおりました。王子はあろうことかギリシャのスパルタの王様のそれはそれは美しいヘレネという奥さんに一目ぼれをしてしまい、ヘレネを略奪してしまいました。怒った王はトロイに対して宣戦布告をし、10年もの間、戦争が続きました。これがギリシャ最古最大の叙事詩「イリアス」に描かれたトロイ戦争です。
 不滅のトロイを陥落させるためにギリシャ軍の大将オディッセウスが講じたのは、巨大な木馬の中に兵士を隠してトロイに捧げることでした。油断したトロイ軍は木馬に潜んでいたギリシャ兵に負け、絶世の美女ヘレネは再び夫のもとに戻ったのです。めでたし、めでたし。

 トロイはとても不便な所にあります。公共の交通機関には頼れないため、前々から車の手配をし、8時に出発をすることになっていました。イスタンブールから西に西にと走り、フェリーでアジア側に渡り、エーゲ海沿いを南下すれば5時間から6時間後には着いているはずでした。ところが、思いもかけないことが起きました。雪が降り出し、アジア側に渡るフェリーの運航が中止となってしまったのです。引き返すか、急遽別の場所に矛先を転じるかの決断が迫られました。結果、私たちはトロイを背にして、ブルサというオスマン帝国最初の首都として栄えた町を選びました。雪に煙る道を4時間半ほど走ってブルサに到着したのが午後1時半。歩き回るには降りしきる雪の中の町は危険すぎました。おまけに靴の中に雪がしみて、感覚がなくなるぐらいに冷たくなりました。早々に引き上げて、もう一つの賭けに出ました。
 地図によれば、イスタンブールへの帰路の途中に、イズニックという小さな美しい町があるはずなのです。ここに来てから私の心を魅了し続けているタイル、古くからイスラム寺院の壁を飾り、ハレムの女たちの部屋を飾ってきた色鮮やかなタイルは、イズニックで作られたものでした。私たちはイズニックを目指してどこまでも続くオリーブの森の中を走り続けました。
 歴史の舞台ともなった古都イズニックは、ローマ、ビザンチン時代の城壁がしっかりと残る静かな町でした。向こう岸に雪をいだいた山々が神々しいほどに映るイズミック湖のほとりに凍えながら立っているうちに、「そうか、すべてがしくまれたことだったんだ!」という不思議な感慨が襲ってきました。
 いつもながらのイージーゴーイングと言えないわけでもありませんが、諦めが早い性格も時には役立つものです。雪が降らなかったら予定通りにトロイへと行き、この町に来ることはなかったでしょう。トロイへの夢はひょんなことから飛んでいってしまいましたが、「いつか必ず」と思えばまた待つ楽しみも増えたというものです。
イスタンブールに戻ったのはもう真夜中に近い頃でした。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月24日

失われたオスマン帝国の料理を求めて

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こちらに来て1週間、町の概要がなんとかつかめてきました。ここらへんからが面白くなるのです。日毎に町に馴染んでいくこの感覚は、お仕着せの急ぎ足の団体旅行では決して味わえない贅沢です。

イスタンブールは長さ30キロのボスポラス海峡でヨーロッパ側とアジア側に別れています。そして、ヨーロッパ側がまた、金角湾(ゴールデンホーン)と呼ばれる細長い湾で旧市街と新市街に分断されているのです。起伏に富んだこの町は、どんなに歩いても飽きると言うことがありません。東京ではハイヒールで過ごす私も、外に出る時は専らウォーキングシューズです。

旧市街の西、カーリエに息を飲むほどに素晴らしいレストランがあります。英語のガイドブックには太鼓判つきで載っているのですが、なぜか手元の日本語のガイドブックにはありません。

通常、昼ご飯は食べないのを習慣にしている我々が、今日ばかりはそんな習慣を破って、カーリエ博物館でたっぷりと13世紀〜14世紀の見事なモザイク画を鑑賞した後、この「ASITANE」とレストランでランチタイムを過ごしました。何がどう素晴らしいのかは、美しいメニューの最初の頁に書かれた言葉を読んでいただければわかるでしょう。

「オスマン帝国下での料理人たちは、その料理のレシピを決して外にはもらさないことを誓いとしていました。実際、450年もの間に残されたレシピはほんの数えるほどしかありませんでした。私たちは、トプカピ宮殿を始めとする三大宮殿の書庫に眠っていた書物や当時の外交官たちの記録などから研究を続けた結果、ようやく、失われたオスマン帝国の料理を再現し皆様に召し上がっていただけるまでになりました。メニューにある料理はできる限り当時の材料と料理法で作られています。どうぞ壮大な歴史の中でしばしの時をお過ごしください。」

詳しくはまたの機会にお話しできたらと思いますが、とにかく素晴らしい料理でした。店の雰囲気もマナーも最上級のものでした。ヒヨコ豆入りのピラフが立ち食いで60円で食べられる町にしたら、お値段も最上級だったかもしれませんが、それだけの価値はあるというものです。

「僕が30年前にここに来た時にはこんなレストランはなかったよ。」
「もしあったらやっぱりここで食べてたと思う?」
「いや、あの頃はそんなお金はなかった。君が32年前に来た時はどうだった?」
「とってもこんなことができる余裕はなかったわ。」
「年を取るのも乙なもんだね。」

こんな会話に続いて、最後に店を出る時の連れ合いの言葉がふるっていました。
「We’re coming back again.」
味にうるさい人がふだんはまず口にしない言葉です。
よほど「年を取る」ことを気に入ったのでしょう(笑)。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月21日

女神の240円エステ

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 最近ではどこでも便利な器具があって、簡単にフレッシュジュースを搾ってもらえるようになりました。目の前でオレンジやレモンを二つに切って、ポンと入れてはギュッと押す、これを繰返すうちに下のコップが一杯になります。何しろ目の前で作ってもらうのですから、嘘偽りのない果汁100%の天然ジュースです。
 旅の間はついつい食べ過ぎてしまって後ろめたい気持でいるものですから、グイっと飲み干すジュースが「健康的!」感をもたらしてくれて嬉しいのです。ソレントでもグイっ、ポンペイでもグイっ、ナポリでもグイっ、アテネでもグイっ………オレンジがたわわに実る所ならどこででも毎日「ぐい飲み」をしてきました。
 今年の3月に1週間ばかりギリシャのケルキラ(コルフ)島にいた時などは、さらに進化したジュースメーカーがブレックファストのテーブルの上に置かれていたがために、私も連れ合いも朝からグイグイとグラスを重ねていました。
 これは実に優れものの機械でした。籠に積まれた山のようなオレンジを、透明なチューブにポトンポトン落としていけば、オレンジが回転していく間にジュースができるという仕組みです。テニスの練習場にあるような次々と球が出てくる機械を思い出しながら、面白くて次から次へとオレンジボールを投げ入れました。
 さて、ここイスタンブールではそんなコルフにもなかった素晴らしいジュースがあります。石榴(ざくろ)です。どこの店ででも、オレンジの籠の隣に並ぶ大きな石榴の山を指差せば、オジサンが目の前で2つ割にした石榴をギュッっと絞ってくれて、見る見るうちにコップが真紅の液体で一杯になります。
 元々がお隣の国、ペルシャ(現在のイラン)が原産だという石榴、しかも冬に実がなるということですから、12月のイスタンブールを石榴の赤が彩っても不思議はありません。日本ではあまり目にしない石榴のジュースですが、その甘酸っぱさと見た目の美しさは後を引きます。おまけに、石榴には数々のビタミンやミネラルのほかに、女性ホルモンであるエストロゲンに似た成分がたっぷりと含まれていて女性の機能を改善するのにも美肌を作るのにも効果があると聞けば、ほうってはおけません。
 大きな石榴3つからコップにたっぷりと絞られた女神のネクター、これが一杯わずか4リラ(240円)です。飲み始めて3日ですが、気のせいでしょうか、何だか肌が滑らかになり透明感も出てきたような気がします。滞在中はせっせと240円エステを続けます!
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月20日

2つの本家本元

PC200155.JPG トルコの食文化は、地理的にも歴史的にも深い繋がりのあるギリシャと驚くほどたくさんの類似点を持っています。街のあちこちの屋台で売られている大きな指輪のようなパン、シミットは、名前こそ違えど、クルーリというギリシャ人大好物の胡麻パンと同じです。
 グルグルとまわって炙られる挽肉の柱は、注文すればオジサンやオニイサンが外側から薄く削ぎ取ってくれます。これがドネル・ケバブと呼ばれるちょっと小腹が空いた時のトルコ料理の定番ですが、何を隠そうこれこそギリシャのギロです。薄く焼かれたピタというパンの中にたくさんの野菜やヨーグルトと一緒にはさんでもらえば、アテネに住んでいた時にいつも歩きながら食べていたあのギロメピタとなります。
 その他にもこれでもか、と思うぐらいに同じ料理がたくさんあるのですが、おかしなことに、というか何だか可愛らしくなるぐらいに、それぞれが「自分たちこそ本家本元」と思っています。粉ごと煮出して小さなカップで上澄みを飲むコーヒーは、つい間違って「トルココーヒー」と注文しようものなら、ギリシャ人から思いっきり嫌な顔をされます。
 ナルニア国物語の中で魔女が少年にご褒美として使う固めの求肥のような甘いお菓子「ターキッシュディライト」(トルコの喜び)は、ギリシャではルクミ、ここではロクムと呼ばれています。今私のいるホテルでも、外から帰れば、きれいに整えられたベッドの上に、小さな蓋付きの器に入ったルクムが先ず目に入ります。この「ギリシャの」伝統菓子が、なぜに英語で「ターキッシュ」と呼ばれるようになってしまったのかは、ギリシャ人にとっては未だに釈然としないことの一つです。
 もう一つだけ。水を入れるとミルクのように濁るウゾと言うアニスの香のお酒は、ギリシャの男たちにとっては、仕事を終えて家へ帰る途中に一杯ひっかけるのが何より楽しみなものです。トルコでは同じものがラクと呼ばれて、やはり仕事帰りにチビチビとやられています。
 ギリシャに3年住み、その後も10年近くギリシャ人と一緒に仕事をしてきた身としては、トルコ人に対する彼らのツッパリをいやがおうにも知らされてきました。かたやこちらでも、つい「この料理、ギリシャと同じですね。」などと言おうものなら何やらイヤーな雰囲気になって、会話が進まなくなってしまうことを知りました。
 PC200151.JPG昨日の料理レッスンは、キシルという挽き割り小麦と野菜のオードブル、そしてクズカブルマという牛肉のシチューでしたが、「あっ、これ、ギリシャの○○と似てる!」などとは口が裂けても言わずに、私が一生懸命シェフの特訓に臨んだことは言うまでもありません。
 

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2008年12月19日

ナオミ式ギリギリ30分パッキング

 出発の前日に遅くまで一緒に仕事をしていた人が、さすがに心配そうに、「もう荷造りは終わっているんですよねえ。」と顔を覗き込んできました。「いいえ、まだです。明日の朝早く起きてやりますから大丈夫です。」と言うと、半ばあきれた顔で、「さすが慣れている人は違いますねえ。」と褒められて(?)しまいました。
 几帳面にコツコツとすることのできない時には奥の手があります。私のように奥の手しか使ったことのない者にとっては、自ら公認の「表の手」と言った方が正確かもしれません(笑)。「便利な情報が手に入れられるブログっていいよね。」という友人の言葉を思い出して、今日はイスタンブールから「奥の手荷造り法」についてお話しします。

@ 出発1週間前に、使用するスーツケースを出してきて、邪魔にならない場所に置きます。
【私たちの日常生活は1週間単位で動いているからです。】

A 毎日、気づいた物をどんどんとスーツケースの上に積み上げます。判断力は必要ありません。使うかもしれないと思う物はどんどんと積み上げます。PCに向かっている最中でも、食事の途中でも、気づいたらちょっと中断してスーツケースまで一往復します。
【毎週1度月曜日に使うものだったら、使ったらすぐにスーツケースの上に移動させます。】

B いよいよと思う時が来たら、仕方がない、スーツケースの前にペタンと座ります。早い便なら前日の深夜、午後以降の便なら当日の早朝で充分です。

C スーツケースの上に置かれた物を、大雑把にグループ分けして周辺に小山を作ります。その時に明らかにいらない物はのけておきます。

D ここで初めてスーツケースを開けて、どんどんと詰めるだけ。アクセサリーや靴などはこの段階で洋服に合わせて選んで、同じくどんどんと詰めていきます。

E 当日ギリギリまで使う化粧品などは使ったそばからポーチや袋にどんどん入れて最後に隙間に押し込みます。PCや仕事の書類はラストモーメント組です。

 いかがですか?なんだか料理のレシピみたいですね(笑)。最後の最後で強火で「どんどん」やるだけですから、かなり楽ちんでしょう?基本のコンセプトは極めてシンプル。その1:何がなくたって何とかなるさ。 その2:おおよその物は成田空港でも、現地でも買えるさ。 その3:もったいないと思わずに「気づいてよかった」と思うべし。 ということで、私は今回もまた空港のショップで2本足のCタイププラグを買ってしまいました。家に帰れば売るほどありますのに。でもホント、気づいて良かった!
 広いトプカピ宮殿の部屋を一つ一つ訪れ、贅をこらした展示品を見ていたらどっと疲れが出てきました。ヘナヘナと座り込みたくなった時、うまい具合に小さなコーラン部屋に迷い込みました。宮殿内に響き渡るように、一人の男性が、何の装飾もない大理石の部屋の小さなブースの中でコーランを朗唱し続けています。ペタリと床に腰を下ろして独特なリズムとピッチの中に身を委ねていたら、あまりに豪華な物、栄華の跡を見てしまった後の疲れがヒタヒタを癒されていく気がしました。
 今日はいよいよ伝統的なトルコ料理を学ぶクッキングコースの初日です。

HELP! :たくさん載せたい写真があるのにアップロードできません。今ホテルの部屋から無線LANで繋いでいますが、全体に不安定で重く、何をするにも時間がかかります。写真の容量を縮小すれば載せられるようになるのでしょうか?どうやって縮小するのでしょうか?または他に解決法がありましたら、ぜひ教えてください。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2008年12月18日

夢の架け橋を渡って

 東関東自動車道を走っている途中、突然鼻歌を歌いたくなるほどの開放感に包まれました。
 トルコ航空の機内カラーは私の大好きな明るい水色、まさにトルコブルー、トルコ石の色です。出発前の何日かは、よくもまあダウンしなかったかと思えるぐらいに、年内の諸々の処理に追われていました。新聞もろくに読めませんでしたので、トルコブルーの椅子に腰をすえるやいなや、ここぞとばかりに、朝日、読売、毎日、日経と立て続けに読み始めました。
 どうもその間に眠ってしまったようです。ハッと目醒めて、「ここはどこ?銀座線?小田急線?乗り過ごしてしまったのかしら?会合に遅刻してやしないかしら?あの仕事はどこまでやったんだったかしら?」と、あの東京での日々にタイムスリップして焦り始めました。しかし、そんな途方もない貧乏性の錯覚から本当に目醒めた時に、えもいわれぬ至福の瞬間が待っていました。自分がいるのは飛行機の中、しかもすでに離陸して、成層圏に向かって機首を上げているところだと認識するやいなや、それこそ本当に本当に幸せな開放感がおとずれてきたのです。
 長い飛行時間は、いつも私の最高のリラックスタイムです。その昔、単純に飛行機が好きでたまらなかったためにJALに就職したぐらいです。閉所恐怖症の癖に、飛行機の中ばかりは全く苦にならないのもおかしなもの。眠るのも自由、食べるのも自由、お酒を飲むのも自由、本を読むのも、映画を見るのも自由、何に思いを巡らすのも自由。そこで過ごす時間は、これまで属していた現実世界から、次に身を置く現実世界への、夢の架け橋です。どちらにも属さない不思議な時間です。そんなどっちつかずの不思議タイムに、実は素敵なアイディアがたくさん湧いてきたりします。あわただしい時間を過ごすのも、「なあんだ、飛行機に乗るためだったんだ」などと気付くとおかしくなってしまいます。
 今はイスタンブール時間で明け方の6時、朗々とコーランが流れてきました。広いバルコニーに出てみたら、真っ暗な街の向こうにライトアップされたブルーモスクの尖塔が幻想的に輝いていました。32年ぶりの街に雨が降り出したようです。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:16| Comment(1) | TrackBack(0) | トルコ