2012年10月31日

良きパブリックスピーカーになるためには

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昨日のワシントンポスト紙の「仕事特集」ページの冒頭は、就職面接ばかりでなく、その後の仕事そのものにも必要とされる「パブリックスピーキング」のスキルについての記事でした。

「パブリックスピーキング」とは、人前で、そして多くの場合は公的な場で複数の人たちを相手に話をすることです。どんなに中味があっても、それを効果的に表現するスキルがなくては的確に伝わらないというのは、欧米ではごく当たり前の考え方。

「パブリックスピーキング」の基本は中等教育の中で教えられますし、それを訓練する専門の人たちもいます。夫もカレッジで学んだと言いますし、たしか娘のカナダの高校でもそうした授業があったと思います。私が長年働いていた東京のリベラル・アーツの大学でも、「パブリックスピーキング」のスキルは体系的、実践的に教えられていました。

その源流は古代ギリシャにまで遡ります。あの時代、あの国には、「orator(オラター)」と呼ばれる専門的なパブリックスピーカーがいました。彼らはみな「sophists(ソフィスト)」とよばれる師のもとで、「パブリックスピーキング」についての訓練を受けた人たちでした。おおかたは裕福な家の出で、人前で話すスキルを学んでからは、町の集会で理路整然と、しかも相手の共感を勝ち取るような方法で政治的な演説をしました。

さて本題に移りましょう。くだんの記事ですが、人前で話すことの多いハイレベルのエグゼクティブの多くが、自分には「パブリックスピーキング」のスキルがあると勘違いをしているとの耳の痛い指摘に始まり、4つの知恵を手短かに読む者に与えています。かいつまんでご紹介します。

Vary your tone: 声のトーンに強弱や、高低、緩急と言った変化をつけること。

Speech patterns: 話し方の癖に気づくこと。歌うように話したり、センテンスの最後が消え入るようだったり、疑問形や質問で問いかける文が多すぎたりはしていませんか?

Inflection: キーワードは何か。それを聞き手の心に刻み込むこと。そのためにはその言葉が出て来るたびに、声を大きくしたり、高さを変えたり、スピードを緩めたり、と言ったアクセントをつけること。

Nonverbal: 身振り手振りを効果的に使うこと。演台をこぶしで叩いたり、聴衆に向かってからだを傾けたり、姿勢を変えたり、笑顔になったり。最良の自己点検は、あなたのスピーチの録画を音を消して見ることです。

なにも今さら、と言った節がないわけでもありませんが、パブリックスピーキング文化圏の人にこうして箇条書きで諭されると、フムフムと改めて納得してしまいます。

最後の結論がまた面白いのです。

「The key is to remember every enagement may be the first time (and only time) your audience is hearing your message. 」
(大事なのは、相手があなたのメッセージを初めて、そしてその時だけ聞く人たちであることを忘れないこと。)

続けて、今、最後の佳境を迎えている大統領選での候補者たちのスピーチを暗示しながらこう締めくくっています。これもまたなかなかの「パブリックスピーキング」スキルです。ただし無声ですが(笑)。

「The effective communicators give their stump speeches like they’re saying their points for the first time every time. 」
(有能な伝達者というものは、遊説の場でも、大事なことを、毎回まるで初めてのように語る。)

ニューヨークで多大な被害をもたらした大型ハリケーン「サンディ」は、ここワシントンでは昨夜(29日)午後9時頃にピークを迎えました。うなり声をあげて風が吹き、雨が大きな音を立てて窓ガラスを叩きます。暗い空に何度も稲妻が走り、数回ほど瞬間的な停電が起きたものの、幸い大事に至ることはありませんでした。一夜明けた今日、空はどんよりと曇ってはいますが、雨も風もありません。犬たちが濡れた地面で遊び始めました。夫はいつものように朝のジョギングに行きました。けれども、まだ電車(メトロ)は走っていません。町の機能の復旧までにはまだもう少しかかるでしょう。

今朝のワシントンポスト紙の本紙では、全20頁のうち第一面を含む9ページがサンディについてのものでした。
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オーランドでの遊説ラリーを取りやめてホワイトハウスに戻ったオバマ大統領の写真も掲載されています。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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10月30日(月):女二人の隠れ家ダイニングバー体験
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2012年08月27日

口は災いのもと とは言えど、、、、、

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いつものように駅前にずらりと並んだボックスから「EXPRESS」紙を取り出して、小脇に抱えてメトロに飛び乗ったのが5日前。車内で読もうと思ったら、ページをめくる間もなく目に入ってきたのが、一面いっぱいの「時の人」、いえ、「口は災いのもとの人」の写真でした。

眉根を寄せたその顔の口の部分には大きな赤いテープが十文字に貼られています。そして、十文字の中心には共和党のシンボルマークの象さんがペタリ。

日本でも話題になったのではないかと思いますが、共和党のトッド・エイキン下院議員です。事の発端は、8月19日のテレビインタビューでの、例の「legitimate rape」発言です。「legitimate」とは、法にかなったとか、正当な、というような意味。まあまあ、エイキンさん、legitimateとrapeなどという、まるで相容れない2つの単語を並べて口にするとは、、、、、*

以来、共和党のお仲間たちは、女性支援者層の怒りを鎮めようと弁明に必死になる一方で、くだんの発言の翌日すぐさまこんなコメントを出した民主党のオバマ大統領の人気が再び盛り返しています。

“Rape is rape. What I think these comments do underscore is why we shouldn’t have a bunch of politicians, a majority of whom are men, making health-care decisions on behalf of women.”
(レイプはレイプだ。このような発言からもわかるように、大半が男性の政治家たちが、女性を代表してヘルスケアに関する決定をしてもいいものだろうか。)

ぽろりと滑り出た言葉は、いかに悔やんでも元には戻りません。しかも、私たちは、別にエイキン氏に限らずとも、ついつい饒舌になったり、調子に乗ったりして、不用意な言葉を口にしてしまうもの。そして後からひどい自己嫌悪に陥るもの。そんな経験の一つや二つ、おそらく誰にでもあるのではないでしょうか。

私は口は堅いのがとりえ、などと思ってはいても、そんな失敗をするたびにひどく落ち込んできました。もう自分の口に赤い十文字テープを張り付けたいぐらいに。

ひと月ちょっと前にも、かなり気の滅入ることがありました。噂のたぐいがリレーのように口から口へと伝わって、さてその火種は?と言う時に、「もしかしたら誰かに話した?」

いえ、断じて身に覚えはありません。第一その頃は日本にもいなかったし、、、、などと反芻しながら、「でももしかして、自分の知らない所で自分が?」などと支離滅裂な自己嫌悪。

何があれほど辛かったのだろうと霧が晴れた今にしてわかるのは、まず第一に、もし本当にそんなことを言ったのだとしたら、そんな自分を消し去ってしまいたいほどの恥ずかしさ、第二に相手の信頼を失うことの痛み、だったのではないかということです。

規模も影響力も比較にはなりませんが、もしかしたら今のエイキン氏の思いもそんなところかもしれません。

とは言え、「なぜあの時言わなかったのだろう」と悔やむのもまた人の常。
どんな事情があったにせよ、なぜ飛んで行って手を握り、肩を抱き、共に泣き、思いを言葉にしなかったのだろうと、13年近く悔やみ続けてきた思いもあります。

人であるということも、なかなかどうして難しいものです。

*「legitimateなrapeであれば、女性のからだには望まぬ妊娠を防ぐ機能があるため妊娠しない。」というもの。
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                           By 池澤ショーエンバウム直美

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8月26日(土): お手軽、お気軽、マイウェイの美術館ランチ
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2011年10月29日

ことばのバリアフリーを目ざして

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 学園祭日和の週末となりました。
 この大学とこんなに深い関係を持つようになり、学園祭のメインイベントの公開シンポジウムでパネリストをやることになろうとは、どうして予測ができたでしょう。つい波に乗ってしまったら、着いた先がこんな面白い所だったというのが率直な思いです。

 シンポジウムのタイトルは「ことばのバリアフリーを目ざして〜高度なコミュニケーション能力を福祉教育に活かす〜」です。長らく関わっていたプロジェクトの目的地でもあり、私の任務の終了地点でもあります。けれども、卒業が始まり(Commencement)であるのと同じように、ひとまず終点に着いたこのプロジェクトは、おそらくここからまた新たな課題と共に次の発展段階に入るのでしょう。

 ことが進行している間は、自身に緘口令を敷いていましたが、公開シンポジウムが開催されて、その概要が公けに発表されたのですから、私もそろそろ口を開いてもいいでしょう。

 記憶を遡ってみれば、2009年の8月に、今にして思えば事の発端ともいえる1通のメールが届きました。差出人は、この大学の斉藤くるみ教授でした。そして、そこにはこんな質問が書かれていました。

「コミュニケーションを測る方法にはどんなものがありますか?」

 何度かの交信の後、翌年の1月半ばになって今度は、「文部科学省のGP(優れた取り組み)プログラムとして、基礎的なコミュニケーション力を測る問題を作りたいので手伝ってもらえないでしょうか。」という打診がありました。

 私自身が、この大学の「日本語でも英語でもない。手話で学ぶ教養がここにある。」という姿勢に感銘を受けていましたし、斉藤先生が日頃から口にしておられる「手話は弱者のための言語ではない。障害はひとつの文化であり、手話はその文化の中の言語であり、世界にたくさん存在する少数言語のひとつに過ぎない。」という考え方に、感動にも似た共感を持っていましたから、何らかの形で活動に関わることができるのは、とても嬉しいことでした。

 とはいえ、歩き始めてみれば、それはなかなかの茨の道でした。私たちはまず、コミュニケーション力を測るための筆記試験の問題作りからとりかからねばなりませんでした。何度も何度も試行錯誤をくり返した後で、127問に落ち着いたのは昨年の夏のことです。

 筆記試験が一通り完成した後に待っていたのは、その実践篇でした。学生たちとの面談を通して、彼らのコミュニケーション力を数値化する方策を練り出し、良い例と悪い例がきわだつようなDVDの製作に入りました。

 今日のシンポジウムでも、二人の手話通訳がすべての音声言語を通訳しました。それが、ふつうの通訳と違うのは、音声から音声への通訳ではなく、音声から手話への通訳であるだけのことでした。そう思えるほどに、ここでは障害は、異なる世代の人たちや、外国人が持つ文化と同じように尊重されるべき文化であるのです。そして、その間に存在するバリアを越える技術を身につけなければならないのも、全く同じことなのです。

 さらに私が学んだことは、社会福祉の現場には、従来のコミュニケーションだけでは説明できないコミュニケーションがたくさんあるということでした。たとえば、おたがいに全く関係のないことを言っていながらも、楽しくおしゃべりが続いている認知症の高齢者のコミュニケーションもあります。何にも話さなくともただそばに居てあげるだけで成り立つコミュニケーションもあります。

 シンポジウムを終えて外に出てみれば、秋晴れの下のキャンパスはお祭です。模擬店が並び、車椅子の人も、そうではない人も、お年寄りも、若者も、みんな一緒に祭を楽しんでいます。優しさと共に、同じ場に共に居ること、それだけだって、もしかしたら素敵なコミュニケーションなのかもしれません。

 たくさんの学びを与えられた仕事でした。
 申し遅れました。この素晴らしい取り組みをしているのは「日本社会事業大学」です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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10月23日(日):秋はやっぱり外テラス@ワシントン
10月24日(月):やっぱりこれが一番?娘の料理@TOKYO
10月25日(火):デラックス家庭科調理室@TOKYO
10月26日(水):シニアカレッジの2品@TOKYO
10月28日(金):引き寄せの法則〜飲むお酢@TOKYO
10月29日(土):マダム・リーのお料理サロンは太陽がいっぱい@TOKYO
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2011年09月15日

場違い&勘違いで気づいた我がアイデンティティー

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 始まりは9月7日づけ、ワシントンポスト紙で見つけた小さな小さな「お知らせ」でした。

 日本のように朝刊・夕刊を郵便受けに配達してもらうなどという習慣は一般的ではないこの国で、わが家の新聞入手法は夫の朝ランです。東京暮らしでは一度もしたことがないのに、なぜかここではよほどの雨でも降っていない限り、夫は短パンにスニーカー姿で、小銭をポケットに入れ、メトロの駅まで走ります。「ハシッテキマス。」と日本語で言ってから。

 走ると言ったって、たかだか10分もかからないところに駅があるのですから、たいして運動になっているとも思えませんが、もちろん本人にはおだててこう言っています。

「毎日の運動が大切ですものねえ。You are great! 行ってらっしゃい!」

 夫はそんなおだてに乗って、ますます勢いつけて走り始め、ポケットの小銭で毎朝新聞を買ってきます。駅には、日本のキオスクのようなものは全くありませんけれど、新聞だけは、お金を入れれば開く無人ボックスで買えるのです。出勤途中の人たちがみなこうして新聞をかかえてメトロに乗ります。

 買ってくるのは、Washington Post と、Herald Tribune。シャワーを浴びて、サンルームに陣取って、買ってきた新聞を広げるのが日課です。そして、必要な記事は容赦なく破いて切り取ってしまいます。

 結果、私のところにまわってくる頃には、時によってはビリビリ、ボロボロの新聞ですけれど、幸いなことに、夫が興味を示す領域の記事は、私には全く興味がありません。第一、読んだってちんぷんかんぷんです。あるいは、私が関心を持つ記事は、「えっ、そんな記事があった?」などと言うくらい、ほとんど彼の目には留まりません。ということで何とか共存しながら、それぞれの知識を蓄え、情報を取得しています。

 冒頭の小さな記事は、「ケイジャン料理」のお知らせ。ニューオーリンズ出身の著名シェフがケイジャン料理のデモンストレーションをするというのです。もっと詳しく知ろうとHPにアクセスし、心ひかれてすぐにエントリーしてしまいました。48ドルで講習とディナーとニューオーリンズのビールが含まれています。

 ここらへんで私の頭の中にできあがっていた構図は、エプロンをつけた女たちがレシピを見ながら、包丁をもち、鍋をまわし、料理を盛り付ける姿。その間をシェフがまわって教えていくという形。まるで私の「グローバルキッチン」。

 ところが迷いに迷ってやっとたどりついたそのレストランで繰り広げられていたのは、想像もしなかったものでした。思い込みってなんておそろしいのでしょう。私はしっかりバッグにエプロンを入れて行ったのに、そこでは誰ひとりエプロンなんてつけていやしません。しかも男と女のカップルがたくさん。

 胸に名札をつけて、「どこでも好きなところにおすわりください。」と言われて、まわりを見回せば、もう見事に白人ばかり。しかも、この料理サロンの常連さん達らしく、「ハイ、元気だった?」などとあちこちでおしゃべりに花を咲かせているのです。

 ポチポチと空席があったって、私はいったいどこにすわったらいいのでしょう。こんな小さな知らない日本女性なんて、まったく存在感もなにもあったもんではありません。
うろうろ、おどおどとしていたら、遠くに東洋人らしい女性がいるのを見つけました。しかもお相手はアメリカ人。ラッキーなことには4人がけテーブルの、彼らの前にはまだ空きがあります。

 自分でも気づかぬうちに、私の足はそのテーブルに向かい、「May I sit here?」

 というわけで、前のお二人と話し始めることになりました。とても71歳には見えぬ彼女はタイの方で、ここワシントン郊外でタイ料理のレストランを開いています。そして定期的にタイ料理の教室も開いています。「Iron Chef」(料理の鉄人)にも出たことがあるとか。いかにも人のよさそうなご主人の方は元外交官。中国、タイ、ラオス、ベトナムを歴任してきました。今は現役ではありませんが、それでもまだアメリカ政府の仕事で海外を訪れています。

 などなど、なかなか良い出会いだったのですが、、、、、

 面白いものですね。知らないところで、全く知らない人たちの中で、身の置き場もなくなった時に、ふーっと吸い寄せられるように足を向けたのが、東洋人の顔をした方のところ。もっと分析してみれば、アメリカ人のご主人を持っている東洋人の女性。

 本能的に私は自分の属性を感じ、アイデンティティに曳かれていったわけ。

 もうこれで、先日のジュディスの質問の答が出たようなものです(笑)。

「目の前にアメリカ人のグループと、イタリア人のグループと、ガーナ人のグループと、エジプト人のグループと、スイス人のグループと、インド人のグループと、中国人のグループと、日本人のグループがいて、だあれも知らなかったとしたら、ナオミ、どのグループに入る?」

 ちなみにこの話を夫にしたら、彼が言いました。

「僕ならきっと日本人のグループに入るよ。」

本当かしら。いまや日本語能力は完全に3歳4ヶ月の孫息子に先を越されてしまったというのに、、、、、、

 あ、この催し、シェフが目の前で説明つきでデモンストレーションする料理を、みんなで食べるだけでした。運ばれてくるお料理をただすわって食べるだけ。エプロンつけて、包丁握る気で行ったのに(笑)。この会のメンバーたちは、こうしていろいろなレストランで定期的に集まっては、食を楽しんでいるとのこと。場違い&勘違いでした。
                             By 池澤ショーエンバウム直美

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今週のグローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
9月11日(日):オバマバーガー?
9月12日(月):巨大マッシュルーム登場!
9月13日(火):つい寄ってしまうDCヌードル
9月14日(水):DCヌードルvs讃岐うどん
9月15日(木):ジュディーの食卓

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2011年09月14日

ホウレンソウはやっぱりビタミンたっぷり

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 なかなかできなかった「ホウレンソウ話」ですけれど、「明日はいよいよですか?」などと期待されるほどのものではないんです(笑)。最近あった嬉しいことを、ただちょっと書きたかっただけ。

@こちらで受けたアキコさんからのメールには、「会社で人手が必要になりました。どなたか英語かフランス語のできる良い方をごぞんじないでしょうか。」。これを受けてすぐに、アキコさんの了解を得て、地道に誠実に人材紹介のお仕事を続けているサチコさんにお繋ぎしました。

 すると双方から次々に連絡が。

「仲介ありがとうございました。ご人脈に感謝です。お手数をおかけしました。目下サチコさんからの電話待ちです。」(アキコ)
「本日、アキコさんと電話でお話しできました。ありがとうございました。」(サチコ)

A「嬉しい報告」と題したユキコさんからのメールが届いたのは、ほんの数日前でした。4月に社会人になったばかりのお嬢さんがかかえる職場での問題をお聞きして以来、共に心を痛めながらも励ましのメッセージを送り続けてきました。そんなひどいことはあってはならない!と、憤慨をしていたからです。

 メールには、「母親など無力ですねえ。ただ一緒に怒ったり、悩んだりするだけで・・・
見守るしかありませんでした。」と言う素直な母の気持ちと共に、急展開で問題が解決するにいたった経緯と、安堵の気持ちが書かれていました。

Bこちらへ来る直前に、フミコさんをある出版社の社長さんにご紹介しました。フミコさんには、モリオさんと一緒に出版を企画している本がありました。お話を聞けば、内容もしっかりしていますし、熱意も十分にあります。そんなフミコさんから次のような報告が届いたのは、ご紹介して間もない頃でした。

「本日、モリオさんと一緒にご紹介いただいた出版社に行ってきました。とても丁寧に接してくださりモリオさんも喜んでおりました。来年3月を目安に出版となりそうです。」

Cこちらはノリコさんです。「先日お会いしたヨウコさんから、あの時話題に上ったご本とクッキーとカードが届きました。息子たちは大喜びです。」

 そして、敬愛する大先輩のアコさんからまで、「今夕、スミコさんとユミコさんと3人でお食事をする約束をしました。」という嬉しいお知らせ。三人とも偶然に私のグローバルキッチンでお知り合いになった方々です。

 人と人を繋げていく喜び。輪がひろがっていく嬉しさ。しかも良き人同士の。
 自分の役割はそこまで、とは思っていても、こうしてご報告をいただけば、喜びもなおさらです。動き始めた流れがどうか良い方向へと向かうようにと、遠くから祈ります。

 たとえ「ホウレンソウ」という言葉にひそかにウンザリはしていても、やっぱり「ホウレンソウ」にはコミュニケーションビタミンがたっぷり。
                          By 池澤ショーエンバウム直美

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2011年07月30日

化学変化をする言葉

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「化学変化」と「物理変化」の違い覚えてます?
いちおう覚えてはいるつもりでも、念のため辞書をひいてみたら、やっぱり記憶していた通りでした。

「化学変化」とは、物質が原始の結合を組み替えて別の物質に変わること
「物理変化」とは、物資の成分は変化せずに、温度、密度などの状態が変化すること。

最近、どちらの変化かしら?と思わず考えてしまうようなことが何度か重なりました。

ケース1:若いお嬢さんのピアニストのライブでのこと、帰り道でたまたまご一緒になったご婦人に言いました。「いいコンサートでしたねえ。でも彼女はまだまだこの先大きく伸びそうですね。」

それが何日かたったあとに、とあるところからまわりまわってこんな情報が飛び込んできたのです。「母が言ってました。○○さんは全然才能がないって。ナオミさんもそう言っていたそうです。」唖然として笑っちゃいました。

ケース2:古い友人が泊まりに来た時に、たまたま亡くなった母の思いで話になって、母の形見の指輪をお見せしました。母が気に入っていた大きなアレキサンドリアです。友がすかさず聞きました。「いくらぐらいするのかしら?」。だいたいにしてそんなこと聞くほうがおかしいのですが。宝石のことなど何にもわからないお馬鹿な私がついつい答えてしまいました。「さあ、2万円だか20万円だか、200万円だか、、、、わからないわ。そんなこと、どうだっていいんじゃない?。」

まわりまわって、とあるところから今度はこんな情報が飛び込んできました。「ナオミさんって、お母様から200万円もする指輪を形見にもらったって自慢してるんですって。」と、当の彼女が言ったとか、言わないとか。これもまた、唖然として笑っちゃいます。

化学も物理も苦手だった私が一生懸命頭をめぐらすに、ケース1の場合もケース2の場合も、物理変化ではなくて化学変化のような気がします。だって、全然そんなこと思ってもいやしませんし、言った覚えもないんですもの。

こうして言葉と言う生物(なまもの)は、時として容易に化学変化または物理変化を起こします。ですから、特に最近の私は、「ダレダレさんがこう言って。」の類はほとん気にせずに、自分の耳で聞き、自分の目でみたことを信じることにしています。そしてもちろん、「ダレダレさんがあなたのことをこう言っていたわよ。」などという言葉も、不用意には口にしないようにしています。

ただし例外はあります。その人を心底信頼している場合には、疑わずにきちんと耳を傾けます。悪口や妬みや愚痴ではなく、良いことを褒め湛えていた場合には、粉飾せずにそのまま相手に伝えます。

化学変化、物理変化を得意とする話し手は、往々にして、「ダレダレさんが、、、、」を引き合いに出します。化学変化にしろ物理変化にしろ、話し手の深層心理が触媒として作用しているようで、それを名探偵シャーロック・ホームズばりに推理するのもなかなか楽しい作業です。第一、そう思えば腹も立たないでしょう?

先週、庭師さんたちに桜の木を剪定してもらったついでに、庭に生い茂っていた雑草や、枯れてしまった木も抜いてもらったら、あまり殺風景な庭になってしまいました。以来、毎日少しずつ色を加えています。今日は深紅と黄色のハイビスカス、そしてブルーサルビアと、ピンクのマンデビラを植えてみました。ハイビスカスは夫の担当です。これだけでも随分気持ちが華やぎます。こちらは素敵な化学変化、いえ物理変化です。


しばらくはこのバナーを置かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。何せ人手不足です。司会も私が勤めさせていただきます。
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7月30日(土):こんな冷やし中華っていかが?
7月31日(日)予告:本場香港の飲茶ランチ 
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2011年05月19日

明日が来るからつらいことも〜ノックダウンコミュニケーション

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 留守の間にたまった新聞の山を前に、フーッとため息をつきながらも、中も開かずに古紙回収にまわすのもはばかられて、毎日少しずつ過ぎた日に戻ってはページを開いています。これはこれで、起承転結の結から遡る面白さ、あるいは近未来を予言する占い師になったかのような不思議な気分になれるのですが、山を減らすもはなかなか大変な仕事です。なんたって、まずは日々運ばれて来る新しい新聞から読まねばならないのですから。

 今日電車の中で開いていたのは5月10日の新聞。精神科医の香山リカさんがこんなことを言っていました。こうした掘り出し物が埋まっているのですから、やっぱり無下に捨てられるものではありません。

「これまで2度、被災地に出向き、現地の人たちと言葉を交わしました。ひとりひとりが胸の中にそれぞれの悲しみ、苦しみ、今後の課題を抱えていました。その人たちに、『さあ、心をひとつにして復興ですよ。』などと言ってよいものかどうか。抱えている問題も人それぞれなら、立ち直りのペースも同じようにバラバラであるはずです。

 まだとても元気が出ない。歩き出したのに再び悲しみが襲ってきた。やる気はあるが、体がついて行かない。それはこくあたりまえのことです。一斉に立ち上がる必要はないし、復興への歩みもそれぞれのペースでいい。」

 本当にその通りだと思います。「さあ、心をひとつにして」と言われたって、それができる心でないから辛いのです。家族を失い、将来の希望も失った心は粉々に割れてしまって、そのかけらを拾い集めることすら難しいでしょう。

 同じようなことをアメリカに居た時にどこかで目にしました。励ましのつもりで口にする「大丈夫です。絶対に明日はやってきます。」と言う言葉が、どんなに絶望に上塗りをするか。むしろ明日がやってくるからつらいのです。

 安定した仕事を自ら辞してフリーになって歩き始めた頃の自分を思い出します。被災地の方々の絶望に比べたら、比較することなど本当に申し訳ないぐらいの小さなものなのですが、一時、失望に打ちのめされたことがありました。意気揚々と初めの一歩を踏み出したはずなのに、何をやってもうまく行かない。こんなはずじゃなかった、いったいどうすればよいのだろう、と悶々としながら眠りに就く日々が続きました。

 そんな時には決まって思ったものです。
「ああ、このまま眠って朝が来なければいい。朝が来るからつらいんだ。」と。

 「さあ、心をひとつにして」も、「大丈夫です。絶対に明日はやってきます。」も、想像力の問題です。
「こういう言葉をかけたら、今、目の前にいる人はいったいどう感じるだろうか。」、それを全く考えずに、みんな同じとばかりに十把ひとからげの安易な決まり文句を口にするよりは、何にも言わずにただ黙って相手の背をさすったり、手を握っていたりするほうがずっといい場合だって多々あります。あるいは、明日には触れずに、「とにかく今日一日を生きましょう。」と言ったほうがどんなに良いかしれません。

 想像力の欠如は時として、私たちの日常生活の中ですら、容易に相手をノックダウンします。たとえば、会えば必ずと言っていいほど、挨拶がわりにこう言う友達がいます。

「大丈夫ウ?何だかすごく疲れてるみたいよ。」
 
 出会いがしらにそう言われれば、言われた方は、「あら私疲れているのかしら。」と心配になり、「そんなに疲れて見えるのかしら。」と気持ちが落ち込みます。逆にもし、一見心配そうにしながら、相手に先制攻撃をかけるならこれほど適した言葉もありません。

 本当に友が疲れているようで心配だったら、別れ際に言うべきです。
「からだに気をつけてね。疲れすぎないようにね。」とさりげなく。

 最初に言う友とはだんだん会いたくなくなります。誰だって自分の気持ちを凹ませたくありませんから。逆に、最後に言ってくれる友にはまた会いたくなります。自分のことを心配してくれているのがわかるからです。

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5月16日(月):コキの鳴く夜
5月17日(火):なつかしのカリビアンスパイス
5月18日(水):ペンタゴンで禅?
5月19日(木)予定:私のお気楽ランチ
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2011年05月18日

これでお開き〜Reflectiveコミュニケーション

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 ちょっとしたきっかけでコミュニケーションについて書き出したら、どうしましょ、終わらない、止まらない状態で、3回続いて4回目。このままいったら本が1冊できそうです(笑)。

 とりあえずこのテーマについてはいったんお開き。「Guiltyコミュニケーション」、「Expressive コミュニケーション」、「Non-guiltyコミュニケーション」と続いてきたシリーズの最後は「Reflectiveコミュニケーション」です。

「Guiltyコミュニケーション」が相手を後ろめたく感じさせるものならば、気づかずに相手を辟易させているコミュニケーションもあります。なぜ気づかないかと言えば、優しい相手に恵まれてしまったから。

 心ある大人ならば、仮に内心では「ああ、またあの話か」、「ああ、また始まったか」とウンザリしていても、一生懸命話す相手を「guilty」にさせたくはありません。おおかたの場合はニコニコとしたり、一緒に悲しい顔をしたりしながら聞いています。あるいは、聞いているように見せかけて、全然別のことを考えていたりします。触れて欲しくないことを根掘り葉掘りと聞かれれば、小さなため息はついても、いちおう失礼のないように答えなければなりません。

 我が娘たちのように、「ママ、その話もう何度も聞いた!」とか、「くどい!」とか、「そんな話聞きたくないよ!」などと言う本音は口にしてくれませんし、こちらの質問に無愛想にダンマリを決め込むこともありません(笑)。

 最近とみに記憶力が乏しくなった私は、「前にお話ししたことがあったかもしれませんが」などと言って、それとなく相手の反応をうかがってから話を進めることが多くなりました。

 「くどい」「長い」については、なるべくそうならないように気をつけています。どんな良い話も長くなりすぎればウンチクの独壇場のようになり、キャッチボールができなくなります。

 難しいのはその話題が適切なものかどうかの判断です。たとえば、どの程度プライベートな話をしていいのか、どの程度昔の話をしていいのか、どの程度質問をしていいのか、、、、、
ここで効を奏するのが「Reflective コミュニケーション」というわけです。

 この名前、さっき桜並木を歩いて思いついたばかりの新造語、例のごとく私の勝手な命名です。「反射コミュニケーション」としてもよかったのですが、英語が続きましたので、何となく行きがかり上こんな名前になりました(笑)。

 相手が家族の話をすれば、家族の話もOKということ。
 相手が昔の仕事の話をすれば、こちらもOKということ。
 相手が質問を繰り返せば、こちらも同じようにしていいということ。
 そうでなければ、話したくても控えること。

 ね、簡単じゃありません?こうしてまずは相手の様子を見ながら、それに反射させるようにしていけばいいのです。そうすれば、ビジネスランチの場で周りが困っているにも関わらず、「息子がね」とか、「ワイフが言うんだけど」とか、「この間家族でどこそこへ行った時にね」などという話をしなくてすむのです。

 逆に、みんながそうした話で盛り上がっているならば、自分も堂々とエントリー。

 とは言え、難しいもんですよね、相手を後ろめたくもさせず、ウンザリともさせず、心地よくさせるコミュニケーションって。ま、総括として一言で言えば、場を読む力と、「こんなことを言ったら相手はこう感じるだろうな。」という想像力、そして相手の心を聴く力。
これはもう、親子だろうが夫婦だろうが友人だろうが、仕事の場であろうがみんな同じ。

 かく言う私もいまだ失敗と反省の繰り返しです(泣)。

 午前中に税理士さんをお訪ねし、決算を済ませてから、80年続く洋食屋さんでいつものランチタイム。家族の話も仕事の話も、おたがい公私入り混ぜて楽しく語り合い、共に同じぐらいの量の質問をし合う楽しいひと時となりました。今にも雨が降りそうな空の下で町を歩けば、懐かしい時代に戻ってしまったようです。

「福助せんべ以」の看板
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家の間に挟まれたお寺さん
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柳の向こうに見えるのは「婦人倶楽部」の看板です。なんと、「女のよろこび、、、妻のしあわせ」
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「美容室&かつら」はシャッターを下ろしたまま
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ほうきがずらりと並んで下がっている店には、「ゴム長靴」、「ねずみ取り」、「蝿帳あります」、「蝿取りリボン」、「雨合羽あります」、、、、、
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どこからどう見ても普通には着られないドレスが吊るされた店、しかも恐ろしく安値
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そして見事に古い家を彩る美しい白薔薇
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その向こうにJRがガタゴト走って行きます。
森の向こうは上野公園

 東京って大好き!

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5月16日(月):コキの鳴く夜
5月17日(火):なつかしのカリビアンスパイス
5月18日(水)予告:ペンタゴンで禅?

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2011年05月17日

関心コミュニケーション&さすがのNon-guiltyコミュニケーション

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 ピアノとバイオリンのデュオを組む若い男女と、マネジャーの方1人をお迎えして4人で囲む打ち合わせのテーブルは、ちょうどお昼時。ワシントンと東京で行ったり来たりのメールの後での、初めての顔合わせです。

「すみません、なかなか時間の調整ができなくて、12時に駅で待ち合わせをしてからうかがっていいでしょうか。2時半までには出なくてはなりませんのでよろしくお願いします。」

 と、言ってきたのは、この春、ボストンのバークリー音楽大学を卒業したばかりのタイチ君。「お昼はどうするのかしら?」と思いながらも、それを聞いたら若い彼らはきっと遠慮してこう言うことでしょう。

「あ、いえ、おかまいなく。適当にやりますから。」

 とは言え、どう考えたって、打ち合わせが終わって次のリハーサルに駆けつける間にお昼ご飯を食べる時間があるはずもありません。我々大人なら多少の空きっ腹には我慢できるとしても、若い彼らにはきついでしょう。

 そこで、昨日、一昨日と書いてきた「Guiltyコミュニケーション」を早速実践することにしました。

「簡単なお昼ご飯を作ってお待ちしています。作るのも食べてもらうのも私の楽しみですので、よければお付き合いいただけますでしょうか?」

 和やかに進むランチミーティングの途中で、時々話題がそれます。けれども、それもまたアイスブレーキング。氷が解けるように、本題へ戻った時間がますます和やかになって
効率よく進みます。

「あのお、お料理の写真撮ってもいいでしょうか。」とは、バイオリンのお譲さん。
「このシチュー、どうして酸っぱいんですか?この酸っぱさがおいしいです。」とは、ピアノの青年。

 ただ黙々と食べてもらうよりは、こうして質問と言う形で関心を表してもらえば料理人は嬉しくなります。「ああ、作ってよかった。喜んでもらえてよかった。」と、思えるからです。これは「guiltyコミュニケーション」の逆のもの。何と名づけましょうか、「non-guiltyコミュニケーション」?それとも「関心コミュニケーション」?

 あ、もちろん質問攻めはいけません。けっこういるんですよね、本人は気づかずに、質問を連続して、こちらをほとほとウンザリさせる人たちも。「あれ、もしかして私そうかしら?」と不安になった方がいらっしゃるかもしれないと、明日はちょっとばかり役立つスキルをお伝えいたしますね。

 さて、予定外に続いてしまった「コミュニケーション考」ですが、たった今、こんなメールのやりとりがありました。みごとな「non-guiltyコミュニケーション」です。

 この1週間、私たちが取り組んでいたことの一つは、今週末に撮影されるコミュニケーションビデオのシナリオ作り。良い例を2つ、悪い例を2つ書かなければなりません。その半分が就職やキャリア関連のもの、残りの半分がアカデミックなもの、つまり教授の研究室での場面でした。

 就職やキャリアについては我々のフィールドですからさして苦労なく作れますが、アカデミックなものについては、いくら想像力と創造力を駆使しても限界があります。現場を知らないのですから。さてどうしたものかと悩んでいたら、このプロジェクトのリーダーの超多忙な先生が土曜日の夜に言いました。

「私が書きましょうか、よくわかっているから。」

 実は、心の底でそれを望みながらも、我々の立場ではお願いをすることはできません。それを、こんな具合にサラリと言ってくれる「場の読み方」。「場の読み方」、これも、いえこれこそがコミュニケーションの極意中の極意です。

 忙しいスケジュールの中でいったいいつおやりになったのでしょう。先生は、臨場感あふれる7ページものシナリオを作って、つい先ほど送ってくださいました。申し訳なさいっぱいでguiltyに思って、「本来は我々がやるべきものを、先生にお願いしてしまうことになり申し訳ありません。いただいたシナリオは素晴らしいものでした。ありがとうございました。」とお礼のメールをお出ししたら、すぐにこんなお返事が届きました。

「実はですね〜、ストーリーを考えまして、セリフは娘に書いてもらいました(笑)。実は娘は作家でして、たいした賞ではございませんが受賞したりもしています。」

 たった2行のこの言葉で、どんなにこちらの気持ちが軽くなったでしょうか。しかも、そのほのぼのとした母娘ぶりに、心もポッと暖かくなります。

 さすがのコミュニケーション力です!

 ところで写真のリス君、アメリカを発つ直前にマサチューセッツのマウント・ホリオーク大学構内で出会いました。なぜか二人(?)でしばし見つめ合い。これも立派なノンバーバルコミュニケーション。

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2011年05月16日

Expressive(表現)コミュニケーション

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 およそ予想だにしなかったことが、こんな爽やかな5月の、しかも日曜日に起こりました。とんでもない失態、いえ、とてつもない快挙?

 しっかり目覚まし時計を6時間後にセットしたはずなのに、目が覚めて時計を見たら午後の2時!!何と12時間以上もたっぷり寝ていたことになります。同じ年頃の仲間が集まれば、たいてい、「若い頃は昼まで寝ていたことがあったけど、もうできないよね、そんなこと。」とか、「最近は目覚まし時計も必要ないぐらいに、朝5時になるとパチッと目が覚めちゃって」だの、、、、こんな時の結論は、いつだって、「年のせいかしらねえ。」

「年だから」とか、「年のせい」だとか、「年甲斐もなく」などという枕詞が好きでないのと同様に、ことさら若ぶるのも嫌い。要するに「別にどうだっていいんじゃない。人それぞれ違うんだから」ってな具合のいつものアバウト思考。

 それでも確かに、近年は良くも悪くも何時に寝ても、だいたい同じ時間に目が覚めるようになりました。それなのに、いったいどうしたと言うのでしょう。からだのメカニズムが狂ってしまったのでしょうか。いえいえ、たぶん、、、、、

 1週間前の日曜日にワシントンから戻ってからというもの、実はかなりの睡眠不足でした。眠ろうと思っても頭がなかなか休まらず、平均したらたぶん2〜3時間ぐらいの睡眠でやってきたように思います。実際、友との合宿生活で、ついつい深夜まで仕事をしてしまったり、おしゃべりが終えられなかったりで、友が休んだ後からガタガタとブログを書いたり、アメリカの友から急ぎで頼まれた翻訳などをやっていれば、時間は面白いほどに過ぎていきます。

 けれども、昨日書いたように、コミュニケーションの基本のひとつは、相手を「guilty」にさせないこと。「私、寝不足」「ちょっと忙しくて」などとは口が裂けても言いたくありません。「ごめん、もっと早く切り上げればよかったね。」などと言われ様なものなら、後ろめたさはますばかり。こちらの勝手な事情ですもの。

 というわけで、少々頑張りすぎました。昨日、請け負った仕事の山場が超えたとたんに気が緩んでこの体たらくです。やっぱり、言いたくないけど年のせい?と、同時に、こうも思います。「こんなに眠る力がまだあるなんて若い証拠かしら」って(笑)。

 さてさて、昨日の「Guiltyコミュニケーション」に続いて、今日もまたコミュニケーション考です。

 相手を後ろめたくさせないことが、押さえたコミュニケーションなら、その逆に押さえてはいけないコミュニケーションもあります。人呼んで、いえいえ私が勝手に呼んでいるだけですが(笑)、「Expressive コミュニケーション」です。

 つまり、良い思いは恥ずかしがったり、面倒がらずに、どんどんと表現すること。お世辞を言えというのではありません。嬉しければ嬉しい、楽しければ楽しい、幸せなら幸せ、相手をだいじに思っているならその気持ちを、愛しているならその愛を、素直に表現することです。

 これは、「秘するが花」、「言わなくたってわかるでしょう?」、「阿吽の呼吸」、「男は黙って〜〜」のような美しい慎みの文化を受け継いできた私たち日本人にとってはけっこう苦手なことです。「表現しなければなかったも同じ」というような欧米文化で育った人たちのようにはいきません。

 ギリシャ人と働いていた時には、私がじっと黙って何かを考えていると、決まって同僚たちが言いました。「ティ スケプテセ?」(何考えてるの?)

 今だってそうです。一緒に食事をしながら、私が黙ったままでいると、必ず夫が言います。「What are you thinking?」

「いいじゃあないの、人が何を考えていようが。」と、思いながらも、「Nothing particularly.」(別に何も)などと答えようものなら、大変です。「ナオミ、僕が何か気に障ったことした?」「ひとりで心配事かかえてないで話して」とか、、、(笑)。仕方なく私は適当に、「ああ、あのね、そろそろお醤油がなくなるなあ、って考えてたの。」などと、訳のわからぬことをとにかく口にしています。これもまた、相手を「guilty」にさせないための苦し紛れのコミュニケーションです(笑)。

 二つの異なる文化の間で暮すようになって、そのどちらの良さも悪さもだんだんとわかってきました。そして思うのです。どうせ中途半端な暮しなら、両方から「いいとこ取り」しちゃうのも悪くはないんじゃない?と。

 日本へと発つ日の朝、せっせと荷造りをしている私の部屋のドアのすき間からなにやら見慣れぬ封筒がさしこまれているのに気づきました。まるでチェックアウトの早朝に、ホテルの部屋にさしこまれている請求書のようです。

 何だろうと手に取れば、封筒にはものすごくアブストラクトな漢字で書かれた私の名前。中を開ければ「FOR MY WIFE」と書かれたカード。中味の言葉はさすがに気恥ずかしくて(日本文化です)書けませんが、気に入ったフレーズをひとつだけご紹介すれば(アメリカ文化です)、

From the lucky man
who could never say it enough---
I love you
and I’m glad we’re in this life
together

 これぞまさしく「表現コミュニケーション」です。やっぱりこんな文化も大事です。

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5月11日(金):友のパワーブレックファースト
5月12日(土):私のスープオペラ
5月16日(月)予告:コキの鳴く夜

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2011年05月15日

ヒヤヒヤドキリのコミュニケーション

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 朝早く、東京郊外へ向かって車を走らせていたら、ラジオから流れてきたのは男性DJのこんな言葉。

「五月晴れの素晴らしい週末ですね。皆さん、今日は何日和でしょうか? バーベキュー日和? サイクリング日和? ガーデニング日和? 皆さんの『○○日和』を教えてください!」

 確かに若葉薫る眩しい土曜日。それなのに私は一日中「仕事日和」です。10人の学生たちへのコミュニケーション・カウンセリングがありました。磨けば玉になる子もいれば、すでにして玉の輝きを見せている子もいます。同じような素晴らしい素質を持っていても、それをどのように伝えられるか、あるいは伝えられないか、を左右するのがコミュニケーション力です。

 ニューハンプシャーへと発つ前に、ようやく予定が合ってDCの真ん中でランチをしたのは、ワシントンの大学で仕事をするジェーンです。彼女はコミュニケーションの分野でドクターを取ったバリバリのカウンセラー。学生たちの前では威厳のある彼女も、女同士のたわいのないおしゃべりの場では、ごくごく普通の女性です。そんな彼女が言いました。

「この間、あるご夫婦のお宅にパーティーに呼ばれたのよ。私、メイシーで買ったポプリのバスケットを持っていったらね、こう言われちゃった。『あら、私、同じものを持ってるわ、ほら見て。2つあってもしょうがないからいらないわ。これ、あなたの家で使って。』」

「渡すはずだったポプリをそのまま持って帰ったらね、今度は学生から真夜中にこんなメール。『先生、レポートを送ります。かなり疲れました。眠いです。』」

「翌朝大学に行ったら約束の相手から電話が入って、『ジェーン、30分ほど遅れます。あなたに言われた資料をそろえるのは大変でした。』。私ね、何だか自分がみんなに迷惑をかけたように思えて、正直ちょっとへこんだ(笑)。」

 その後、私たちは「コミュニケーションの難しさ」について、しばしおしゃべりをしました。そして、専門家のジェーンがこんな結論を出しました。

「相手をguiltyにさせるのって、やっぱりよくないよね。」

 この「guilty」という言葉、実に言いえて妙。ニュアンスは多少違いますが、大雑把に日本語に置き換えてみれば「後ろめたい感じ」とでもなるでしょうか。

 「じゃ、ジェーンだったらどうする?」と聞いたら、

「う〜ん、私だったら『同じ物がもうひとつ増えて嬉しいわ。』とでも言ってひとまず受け取るだろうな。『かなり疲れました。眠いです。』とか、『あなたに言われた資料を、、、、』とかは言わないと思う。余計なことだから。」

 実は私もそう思います。そして私が最近目にしたこんな例を彼女に話しました。

 アメリカに発つ直前、突然の震災にもかかわらず何とか予定通りに行程を終えたプロジェクト会議の最後で、リーダーが、「お疲れ様でした!これ皆さんに飾っていただけたらと思って。」と、可愛らしい花の鉢を全員に差し出しました。

 一瞬、「今いただいても留守中に枯れてしまうかもしれない」と思いながらも、そんな心遣いが嬉しくて、「ありがとうございます。」と喜んでいただきました。(大丈夫、この可憐な花はちゃんと家族に世話を頼みましたので、いまでもきれいに咲いています。)

 ところが、いつもは心配りあふれるカオルさんが、たぶん疲れていたのでしょうか、ふだんの彼女らしくもなく、

「いりません。今、わが家の庭には花がたくさん咲いてますから!」と一言。

 この言葉に私は内心ヒヤヒヤドキリ。コミュニケーションツールのひとつである「アイコンタクト」で必死にカオルさんに、「お願い、そのままいただいて。いらなかったら後で私がもらうから。」と語りかけたのですが、パワー不足。

 プレゼントの主はいったん伸ばした手をそのまま引っ込めてよいものやら一瞬とまどいを見せた後に、ニコリと笑って、「そうですか、じゃ、私の家に飾りましょう。」

 いやはや難しいものです。けれども、もしごくシンプルなテクニックがあるとしたら、やっぱりジェーンの言うように、「相手をguiltyにさせない。」と言うことが、心地よいコミュニケーションのひとつだと思うのです。

 こんなことって実はけっこう日常茶飯事。つい先日も、日本へ帰る前の日に、義理の娘が母の日のカードにプレゼントのマスカラを添えて持ってきてくれました。どこのファーマシーでも売っているようなマスカラです。実は、その前日、私は同じマスカラを買っていたのです。「あ、それもう持ってる。」と言うのをぐっと押さえて、

「ありがとう、嬉しいわ。私、このマスカラちょうど買おうと思ってたの。」

 すると彼女が満面に喜びを浮かべて、

「やったァ、そんな感じがしたんだ!」

 彼女が帰った後に全く同じものを二本並べて一人ニヤニヤ、ジェーンの教えに感謝をする私でした。
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5月12日(土):私のスープオペラ
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2009年03月09日

「まじっすかあ!」 の浮世床

 今週半ばからのクレタ島(ギリシャ)取材を前に、美容院に行ってきました。旅先では、できれば手櫛で整えられるぐらいの髪が楽ですし、色々な方に会うためには大和撫子たるもの、身なりも整えていかねばなりません。

 自由が丘の馴染みの美容室には、アラキーというめっぽう腕の良い男性美容師さんがいます。5台の鏡台の前には、開店直後というのに私を含めて5人のお客さん。アラキーは一人ずつの希望を聞いてから、基本の部分はしっかりと押さえ、任せてもいいところは、若い人たちに任せます。そこらへんの肌合いも実に巧みです。

 忙しい時に美容院に行くのは大好きです。なぜって椅子に座っている以外は何にもできないからです。「ようし、原稿を仕上げるぞォ!」 「本を読むぞォ!」 と意気込んで行ったところで、たいていは面倒くさくなって、途中から心地よい眠りの世界に入ったり、他のお客さんと美容師さんの会話を興味深く聞くことになります。今日もそうでした。

 小柄でキャピキャピしたケイちゃんが、20代前半と思わしき女性客と話す声が聞こえてきます。いい気持で眠気が襲ってきた耳に届くのは、ただひたすら同じ言葉のリフレイン。
「まじっすかぁ!」 「ええ?まじっすかぁ!」 「うそォ、まじっすかぁ!」
 お客はそんな風に反応をしてもらえる心地よさに、ますます饒舌になって身辺雑記を口頭で伝えています。

 この 「まじっすかぁ!」 は最近よく聞く言葉です。つい先日も朝のFMラジオを聞いていたら、パーソナリティーの若手の歌手が、相手の言葉にずっと同じ相槌をうち続けていました。
「まじっすかぁ!」 「ええ?まじっすかぁ!」 「うそォ、まじっすかぁ!」
 私たち大人には気恥ずかしくて、決して使えない言葉です。

 ケイちゃんが今度は私の所にやってきて、髪にパーマのロットを巻き始めました。

「お元気でしたか?風邪などひきませんでしたか?」
「幸いとても元気。」
「そうですか。それは良かった。最近はお仕事お忙しいんですか?」
「相変わらずバタバタしているの。いやになっちゃう。」
「それは大変ですね。でもお疲れのようには見えませんよ。」
 
 てな具合に、至極まともな受け答えの大人の会話が続きます。
 やられました! 相手に合わせてしっかり言葉を使い分けることができる、なかなかの上級コミュニケーターです。ケイちゃんは、私には 「まじっすかぁ!」 とは一度も言いませんでした。でも、私は心のどこかで、私にも「まじっすかぁ!」と言ってもらいたいと思っていました。

 右の鏡の前では若い男性の美容師さんが、燻し銀のような中年男性の髪をドライヤーで乾かしながら、会話をしています。耳をすませばどうやら金融関係にお勤めのお客様の愚痴を聞いてあげているようです。

 美容室は浮世床。美容師さんは傾聴のプロフェッショナルです。

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2009年02月21日

マジック言葉を使わないなんて

 昨夜、ビジネス英語の補講が開講されて新たに2名の生徒さんが修了証を手にしました。テーマは「電話の英語」です。

「先生、『いつもお世話さまです。』って何ていうんですか?」
「???」
「先生、『どうもどうも』って何ていうんですか?」
「???」

 こんな珍問も発せられる中で、授業はいつものようにロールプレイ満載で楽しく進みました。確かに 「どうも」 は私たちの生活では様々なシーンに使われるお馴染みの言葉ですが、英語ではそれに当たる言葉は見つかりません。アメリカ人の連れ合いに 「『どうも!』って何て言うの?」 と聞きたくても、それを日本語で的確に説明することすら難しい言葉です。

 つくづく日本語は便利な 「コミュニケーション言葉」 の宝庫だと思います。たとえば、 「行ってらっしゃい!」 「行ってきます!」 「ただいま!」 「お疲れ様!」 「ご苦労様!」 「いただきます!」 「ご馳走様!」 「気をつけて!」 「じゃあね!」 「よろしく!」。。。。。。。。。。どれも英語で表現するのは難しい言葉です。

 英語を教える時には、3つのマジックフレーズについて話すことにしています。 「Thank you.」 と 「Please」 と 「Excuse me.」 。つまり一言付け加えるだけでコミュニケーションがスムースになる魔法の言葉です。でも、日本語は3つどころではありません。いったいいくつのマジックフレーズがあるのでしょう! それを使わない手はありません。 「プラス笑顔」 でマジックフレーズを使うようにすれば色々なことがとてもうまく行く、というのが経験から得た私の持論です。

 随分前のことなのに、いまだに苦い薬の後味が舌に残っているようなつかの間のできごとがありました。出張帰りにある知人の車に乗せていただいた時のこと、その方の奥様から電話が入りました。ハンズフリーでの会話は聞きたくなくとも車内にいる誰の耳にも届いてしまいます。電話をかける方はそんな状況とはつゆしらず、普段着のままいつもの調子で話します。

 「帰ったの?」 (とがめるように)
 「うん」
 「ご飯は?」  (面倒くさそうに)
 「いらない。」
 「あ、そう。」  (ガチャリと切る)

 たった10秒にも満たないこんなご夫婦の会話は、当事者たちにとってはいつもの何でもない会話にすぎなかったのでしょうが、それを垣間聞いた第三者にとっては冷たい風に身をすくめるような10秒でした。 「お帰りなさい!」 「お疲れ様!」 「気をつけてね!」 と、たった3つのマジック言葉が加わるだけで、この短いシナリオの中に相手を労わる優しい風を吹かせることができるのに。。。。。。そんなことを車に乗っているずっと間考えていました。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション