2011年08月16日

佳紀君の夢 そして私たちの責務

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帰省ラッシュの渋滞情報が伝えられる中、2100人以上の方々が亡くなったり、いまだに行方不明のままでいる陸前高田市の気仙川で、昨日、お盆の恒例行事「川開き」が行われたと、いう記事を読みました。

津波で家族を亡くした遺族の方々も参列し、故人の名前が書かれた1500もの灯籠が、瓦礫の残る川に浮かべられたそうです。

私が生まれ育った町にも、この季節には「灯籠流し」という行事がありました。迷子にならないように父と母の手を握って、大きな蛍のような灯籠が、ゆらゆらと揺れながら海を漂い、次第に小さくなり、やがて闇の中に消えていくのを見ていました。

「ほら、仏様方がお帰りになるのよ。」
「おじいちゃんも? おばあちゃんも?」
「そう、みんなまたずっと遠い所に戻っていくの。」

と、母に言われ、子ども心に、小さな恐怖心と共に不思議な世界にたゆたいながら、流れ行くいくつもの光に魅入っていました。

日曜日のチャリティーコンサート「港北から東北へ〜願いは音にのせて」では、陸前高田でボランティア活動を続けている私たちの仲間へのインタビュー形式で、現地の様子を生の声で語ってもらいました。

その時、私がどうしてもご紹介したかった本がありました。文藝春秋が8月臨時増刊号として出した被災地の子ども80人の作文集「つなみ」です。そして、その中の一人の少年が書いた作文を読ませていただきました。

この本は、コンサート開催の直前に、娘が幼少の頃にお世話になっていた保育園の保母さんが送ってきてくださったものです。どのページをあけても涙をこらえずに読み通すことはできません。私が会場で読ませていただいたのは、陸前高田市高田小学校3年生の及川佳紀君のものでした。皆様に聞き取りやすいように、少しばかり整理をさせていただきましたが、ここではそのままの形でご紹介します。

「まつの木一本
 3月11日ぼくたちをおそった東日本大しんさいと波大きなじしんぼくは、そのじしんのまえ学校でべんきょうをしててと中で大きなじしんがおこりました。それでぼくたちわ、こうていにひなんしあぶないから中にわに上ってつなみがきたのでぼくわ、たかだいににげるときによこを見たらつなみがそこまできていてぜんりょくで走りました。それがこんな、りくぜん高田になってあんなにいっぱいあったまつの木も一本だけのこってあとわがれきでした。ぼくはこんなにつなみがおそろしいとはじめてしりました。」

この原稿用紙の下につけられたコメントをいったい私たち大人はどう受け止めるべきでしょうか。涙を流すばかりですむことでしょうか。

「『津波と追いかけっこしたもんね』と語る佳紀君の体験は、その口調と裏腹に壮絶だ。海から3キロ離れていた自宅は、津波に呑まれ、両親が流された。4月下旬、父の徳久さんの遺体が発見されたが、火葬を終えた佳紀君は『オレ、安心したよ』と涙をみせなかった。母の昇子さんは依然として行方不明である。弟の晴翔君と祖母と暮らす佳紀君の夢は『どんな津波からもみんなを守る堤防をつくること』だという。」

この本に出てくる子どもたちの写真は、みな笑っていたり、Vサインをしたりしています。それがよけいに涙を誘います。

表紙をめくれば前文を塩野七生さんが書いています。これもまた、ぜひここでご紹介させていただきたいと思うのです。

「イタリアの週刊誌に、被災地の子供三人を写した写真が載っていた。
一枚は、福島の原発の近くに住んでいたらしい二歳にもならない男の子で、放射線測定機を突きつけられても堂々と両手をあげてそれに対している写真。
もう一枚は、陸前高田で写したというもので、ピンクの防寒着に身のまわりの物をつめこんだピンクの袋を肩に、昴然と瓦礫の間を歩く五、六歳の女の子。
最後の一枚は気仙沼で見たという少年で、十歳かそれより少し上と思われる年齢だが、こちらは避難所でもらったのか、だぶだぶのグリーンのジャンパーにピンクの長靴という出で立ち。両手に持つのは大きなプラスティックの酒用のボトルだが、酒ではなくて水が入っている。避難所に飲料水を運ぶ途中でもあるのか。少年は口をきつく結び、伏目で歩いているのも、足許に散乱する瓦礫に注意してのことだろう。

この三枚の写真につけられていたイタリア人の記者のコメントは次の一行だった。
『面がまえがいい。日本は必ず再興する。』

泣くにも泣けない被災者が多いのは、私でも想像できる。だが、この子たちのために被災地を再興するのも、われわれ日本の大人たちの責務ではないだろうか。ゆえに再興は、以前の状態にもどすことではなく、この先に長い人生が控えているこの子たちが、安心して喜んで住める町にすることではないかと思う。」

下手なコメントはつけません。その通りだと心深く思っています。

私たち、先日のコンサートを開催した仲間たちは、これからも陸前高田でボランティアとして働き続けます。出発は金曜日の仕事が終わった夜、帰りは翌日土曜日の深夜です。まだまだ人手が必要です。次回は9月2日(金)〜3日(土)です。お問い合わせ等はどうぞこちらまで。(jimukyoku@vsc)。

By 池澤ショーエンバウム直美



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8月15日(月):思いっきり手抜き
8月16日(火):そうだガスパチョだ!


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2011年08月15日

ご報告:「港北から東北へ〜願いは音にのせて」


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昨日、「チャリティーコンサート〜港北から東北へ 願いは音にのせて」を無事終了させていただくことができました。何しろ素人です。一生懸命準備をしてきたつもりでも、至らぬ点が数々ありましたが、猛暑の中、予想以上にお集まりくださったたくさんの皆様、朝早くから揃いのTシャツを着て立ち働いてくださったボランティアの皆様、そしてここに至るまで思いをひとつにして一緒に動いてきてくれたスタッフの仲間たちに、心から感謝を申し上げます。

プログラムは次のようなものでした。

〔第一部〕
1.オープニング: 県立港北高校吹奏楽部
    (フルートアンサンブル ハナミズキ他、金管アンサンブル ルネサンス舞曲他)
2.会代表挨拶
3.ギリシャ政府観光局ご挨拶
4.RIVERSIDE SINGER
    (@RIDE, RIDE, RIDE AOH, MICHAEL BJULIANNE CMIGHTY MISSISSIPPI)
5.陸前高田の今 報告会

〔第二部〕
6.大崎龍治
    (@I wish in a mid-summer  AForever and ever)
7.MuM (ムーム)
      バイオリン:浅井眞理、渡邊麻衣  ピアノ伴奏:加畑嶺
    (@タイスの瞑想曲  A浜辺の歌  Bライムライト)
8.池澤春菜  伴奏:大崎龍治
    (朗読:「星の王子さま」より
     歌 :@Over the Rainbow  A君をのせて〜空の城ラピュタ主題歌)
9.フィナーレ  伴奏:加畑嶺
  出演者全員と会場の皆様全員で歌いました。
     (@ふるさと  A上を向いて歩こう)

やはり駄目でした。前半最後の「陸前高田の今」と題した現地ボランティアへのインタビュー形式の対話で涙を押さえきれなかったのです。

入場券をお買いになってくださった皆様なのに、ロビーの募金箱にはたくさんの募金が集まりました。ロビーで販売をしたベトナムストリートチルドレンが作業所で作った品々は完売しました。当日は所用で来られない、病気で動けずに足を運ぶことはできないけれど、チケットだけでも買わせてください、という優しいお申し出もたくさんお受けしました。

私たちはまだあたふたとしていて、きちんと整理ができていませんが、こうした皆さまのお心は、必ず私たちの手で、陸前高田に届けます。

昨夜から今朝にかけて、労をねぎらってくださるたくさんのメールをいただきました。ありがとうございます。こらえきれずにウルウルとしてしまった自分と同じく、ウルウルとしてくださった皆様がたくさんいらしたことを知りました。いただいたメールの中から、本日は取り急ぎ、ご報告を兼ねて、まずは2通をご紹介させていただきます。

「今日は素晴らしいチャリティーコンサート有難うございました。高校生のブラスバンドに明日の希望を見、熟年のおじさん、おばさんの楽しい演奏に元気を貰い、池澤さんとボランティアの方のトークについこちらもウルウルしてしまい、ピアノとバイオリンのメロディーに乗せて祈りを捧げ、春菜さんの歌と朗読にまたまたウルウルしてしまい、(私は『星の王子様』の結末がハッピーエンドとは知りませんでした。)、ドミンゴさんと九ちゃんを思い出しながら声を張り上げ、そしてまたまたまた、不覚にもウルウル。どうもこの頃涙もろくなりました。きっと、池澤さんはじめこのコンサートの実現に全力投球された方々、そして会場に集まった方々の思いは通ずると確信しています。」

「昨日まで本当にお疲れ様でした。大変素晴らしいコンサートになり、スタッフ、出演者の皆様のご奉仕に心から感謝が尽きません。私の方は何もご協力できずに、申し訳ない限りです。久しぶりに、感動の涙が止まらず…、皆さんも同様だったでしょう。「君をのせて」にも、朗読にもとっても感動してしまいました。最後に全員で立ち上がって歌いながらも涙が止まりませんでした。」

ババ馬鹿承知の上でもうひとつ。
いつもは「グランマ、ヘン(変)」とばかり言っている孫息子が、昨日は遠くから舞台上の私を見て「グランマ、カワイイ」と言ってくれたとのこと。(笑)一生懸命な姿が小さな子にも伝わったのでしょうか。こんな一言ですら、頑張ってきた甲斐があるというものです。

このブログを読んでくださっている皆様にも、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

規則で写真撮影ができませんでした。第一、司会をしながら撮るわけにもいきませんね(笑)。代わりに、今、水をたっぷりやってきたばかりの花々の写真を載せさせていただきます。

最後の殺風景な木、実は先日の庭師の方々がかけてくださった殺虫剤のせいか、翌日にはもののみごとに枯れてしまいました。夫が「もうこれは死んでしまったよ。新しい木を買いに行こう。」と言うのを、私は必死に止めてきました。なぜなら一箇所だけ緑の葉っぱが残っているのを見つけたからです。そして思い切ってカサカサになってしまった茶色い葉をすべて切り落としました。それから1月、毎朝毎晩水をあげ続けていたら、少しずつ小さな緑の葉っぱが出てきたのです。この子はきっと生き続けて、いつか葉をたっぷりと繁らして、安らぎの木陰を作る大きな木になるにちがいありません。

By 池澤ショーエンバウム直美


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8月15日(月):思いっきり手抜き
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2011年08月13日

いよいよ明日!「港北から東北へ〜願いは音にのせて」

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今日も朝の儀式をし、私のスピリチュアルスポットでブッダ様にご挨拶をし、木と花たちにたっぷりと水をやり、スプレー式の虫除けスプレーの隙間をたくさん蚊に食われてしまう朝で始まりました。

ネガティブなことを書いてもしょうがないと、明るくふるまってはきましたが(笑)、かなり疲れています。でも、倒れることもなく、一時はどうしようかと悩んだ問題も、結局は一番いい形に落ち着いて、明日のコンサートを迎えることができるまでになりました。これもまた、きっと、「マイスピリチュアルスポット=マイパワースポット」のおかげでしょうか。

昨日、朝早くから夜遅くまで、会場でのリハーサルがありました。出演をお受けくださった方々のご都合はまちまちですから、結局私たちスタッフは一日仕事です。それでも誰ひとり文句を言うでもなく、冗談で疲れを吹き飛ばします。

今日も仲間たちがそれぞれの役割を担いながら明日のために動いています。私は昨日の通しのリハーサルの中から、何箇所か、はしょったり、付け加えたり、言い換えたりしなければならない部分のために、台本のリライトです。そしてそれを、このザル頭に叩き込まねばなりません。

でも、こんなのはたぶん一番楽な仕事。今も外で働いている仲間たちや、明日10時には集まってくれる20名近いスタッフたちのことを考えたら、座って考えて、書いて叩き込む仕事なんて、楽なものです。(そう思って頑張ります。)

問題は、司会をする私自身がどこまで涙を押さえられるかということです。昨日のリハーサル中も、陸前高田へ通っているボランティアの方との対談の最中で、どうしても涙を押さえることができなくなってしまいました。こんなこと、決してプロの方ならしないでしょう。

こんなにしんどくて、こんなに疲れていても、嬉しいことだってその倍ぐらいたくさんあります。励ましの手紙やメール、届けてくださるお心の数々、、、、「どうせならいつもの飲み会の前に男共で繰り出します。」と言ってくれたノリッツオさん。「前日ですが、今日の月例会で皆さんに呼びかけます。」と自らも早々にチケットを予約してくださった神奈川県善意通訳者の河合会長と菅田リーダー、、、、

遠くカイロからは、これまでに何度も世界中の素敵な方々をご紹介くださり、いろいろとお助けをくださり、2月にカイロで起きた政変の時には生のレポートを日々お届けくださったNHKレポーターの中野眞由美さん。この素敵なご夫妻には、昨年の4月、アイスランドの火山灰で閉じ込められたウイーンのホテルのロビーで偶然お会いしただけですのに、こうしてありがたいご縁が続いています。

ご夫妻は、「私達カイロに縁のあった人達が、直美さんのコンサートに向け熱くなって来ております。」と言う、ありがたいお言葉と共に、カイロにゆかりの方々を7名もご紹介してくださいました。そしてその言葉の通り、7席のご予約のお電話がはいりました。

中には、たまたま11月に陸前高田でご講演をなさる考古学者の方、NHKの中東解説委員の方、カイロ元駐在員の方、元ユネスコでエジプトのストリートチルドレンをご担当していらした方、来年カイロ公共楽団とご共演なさる気鋭のピアニスト、そして、水の専門家としてカイロにご赴任中のご夫妻など、、、、、、びっくりするような方々が、中野夫妻のご尽力、いえそのお人柄で、私たちの小さな活動に足を運んでくださいます。

眞由美さんは、最後に、つい最近私が書いたブログの言葉を引用してくださいました。
「出会いの不思議 ご縁の恵み」

本当に本当にその通りです。
そうしたもろもろの不思議と、たくさんの恵みを受けて、今、私は、今の私にできることをします。

正直、これほど体力と時間を使うものだとは思っていませんでした。
来年だったら、もう心身ともに無理だったかもしれません。
そう思えば、いくら疲れたって、朝になればまた動ける恵みに、感謝をしたくなります。

誠意をこめて頑張ります。
よろしかったら、どうぞふらりとおいでください。
当日券もご用意しています。


明日までこのバナーを置かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。何せ人手不足です。司会も私が勤めさせていただきます。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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8月2日(火):自宅がお鮨屋さんに早変わり その1
8月5日(金):大将、その大トロ握ってくれる?〜自宅が鮨屋に2
8月9日(火):自宅でお鮨屋閉店〜ホームパーティ最終章
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2011年08月07日

優しい風に乗って届く手紙たち

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「忙しい!」なんて言うのはちょっと野暮じゃない?などとじっと我慢していますけれど、実は今ちょっと忙しい、そして、かなり消耗気味です。昨日の土曜日も朝から終日、都内某所の一室で、三人で顔を突き合わせていました。14日のチャリティーコンサートの進行の詰めと、台本の詰めです。

朝のコーヒーを飲みながら、期間限定東京暮らしのパートナーが言います。
「空海展に行きたい!」
私はまたしても、申し訳なさでいっぱいになって答えます。
「ごめんなさい。今日も一日中打ち合わせがあって出かけられないの。来週必ずどこかで行きましょうね。」

「港北から東北へ〜思いは音にのせて」チャリティーコンサートの開催も、いよいよ1週間後となりました。できるだけ経費を節約して、できるだけたくさんの支援金を現地にお届けするために、みんなで一生懸命動いています。

先週も大変でした。「明日の4時までに入稿すればプログラムが安く印刷できるけれど、その後になると値段が上がってしまう!」と、デザイナーのゲンちゃんが大慌てで仕事を進めます。私も足りない情報を集めます。ポスターを貼ってくださったり、ちらしをたくさん置いてご協力してくださった所のお名前も記載させていただきました。ボランティアを申し出てくださった、たくさんの方々のお名前も列記させていただきました。

やっとここまで歩いてくることができました。
そして今、毎日のように優しい風が運んでくれるお便りに、泣くことが多くなりました。
できればまとめて泣いてしまおうと、なるべくお化粧をする前に泣くようにしていますが、そうそううまくはいきません。最近の私の顔は、疲れ+寝不足+マスカラにじみ の三重苦。ひどいものです(笑)。

たとえば昨日、出かける直前に届いたファックス。
1989年、私が大学に転職をすることになって、どうしても車での通勤が必要になった時に、思い切って通った教習場で出会ったフサコさんのものでした。毎年の年賀状の往復だけで、一度としてお会いしたこともないのに、なぜか忘れられない、同年配の美しい人でした。たまたま横浜にお住まいだったので、お手紙と共にコンサートのちらしをお送りしたのです。手書きのファックスには丁寧な字でこう書かれています。

「お手紙ありがとうございました。私どももあの地震以来心を痛めております。私など何のお役に立てず申し訳ありません。せめて、もし、パンフレットがあまっておりましたら、知り合いに送りたいと思います。10枚ほど送っていただけないでしょうか。

私は、あの日、3月11日に乳癌の診察に東京の病院へ行っていました。やっと名前が呼ばれて診察室に入ったとたんにグラグラと揺れ始めました。ものすごい揺れでした。その日はすべて電車はストップ。横浜へ帰ることができず、病院のソファーで一晩明かし、翌朝帰宅しました。

案の定、乳癌で、4月11日に入院、全摘をしました。現在は元気になってまいりましたが、リンパを取りましたので怪我と風邪をひかないよう気をつけております。」

そんなフサコさん、この22年間一度もお会いすることもなかったフサコさん、しかも闘病中の彼女が示してくれた思いに、いったい泣かずにいられましょうか。

私はすぐさまファックスでこんな手紙を送り返しました。

「たまたまご一緒に運転を習って以来、早22年。その間にお会いする機会もないままに、私たちはそれぞれの道をつまずいたり転んだりしながら、一生懸命歩いてきました。お気持ち、ありがたくてなりません。ご自身のおからだのことだけでも大変でいらっしゃいますでしょうに、こうして他者のことをお気遣いになってくださる、、、、

今日もこれから終日、コンサートの台本作りに出かけます。めったに東京に居ない夫に何もしてあげることもできず、疲れとプレッシャーで時折つぶれそうになります。けれども、私がそんな愚痴をこぼしていたらバチがあたります。フサコさん、これから郵便局の本局に行って、案内を10部速達でお送りします。

どうぞおからだをだいじになさって。
いつかあまりおばあさんになる前に、一緒に高速ぶっ飛ばしましょうね!」

「帰省中で行かれないけれど」「予定があっておうかがいできませんが、気持ちだけでも参加させてください。」「これは私たちの職場の人たちからの応援です。」「切符代を送ります。お釣りはいりません。」などなどと、泣かせるお金が封筒の中に入って届けられます。

すぐ隣の若い4人家族は全員で来てくださいます。「暑い中すみません。」と言えば、涼やかな顔をした素敵な若奥様が言ってくれます。「とんでもない、みんなで楽しみにしてるんですよ。帰りに中華街で食事して帰ろうねって。」

まだまだとてもご紹介しきれませんが、昨夜遅くに帰って郵便箱に見つけた、こんもりとした濃い黄色の分厚い大きな封筒の話で、とりあえず本日は閉めることといたしましょう。

差出人の名はありません。あまりにこんもりしすぎています。明らかに何かが入っています。しかも手触りからして尋常でない何かが(笑)。開けるのを手伝おうとする夫を脅しました。「気をつけて、爆弾が入っているかもしれないから。」

中から出てきたのは、手作りの梅干と、被災地のこども80人の作文集「つなみ」(文藝春8月臨時増刊号)でした。これはもう、覚悟しなければ読めません。一字一句を真剣に読みたい言葉たちです。それでも表紙に映っている7人の子どもたちの笑顔の何という明るさ!

そして送り主は、なんと、長女がお世話になっていた大倉山保育園の保母さんだったのです。しかも昼間の保母さんではなく、時間外保育の保母さん。娘の年から考えても、もう随分のお年になっていることでしょう。この方とも、東京に引越しして以来、もう30年もお会いしたことがありません。爽やかな空色の2枚の便箋に、流れるような文字で書かれています。

「本当になつかしいですね。○○ちゃんのなんてかわいらしかったこと!あっという間に時間は過ぎていきます。大震災はXXの生家が宮城県ですので、他人事ではありませんでした。大倉山でも立っていられない位に揺れたのです。宮城とは4日間連絡がつかず、5日目にようやく連絡がとれて、家も人も無事でほっといたしました。

原発事故もあって、3月11日から5ヶ月、この国がどうなっていくのかがわかりません。政治は丸っきり駄目ですし、ただ、私たち普通の日本人の持っている力だけが頼りです。

同封の『つなみ』は私がとても感激した本です。どうぞご覧になってください。梅干は、庭の一本の梅の木に60キロの実がなりました。不ぞろいでこわれたりもしていますが、無農薬、無消毒です。この暑さに負けないよう、ママも○○ちゃんも頑張ってくださいね。当日のコンサートには、ジジもババも応援に行きます!!」

いけない、いけない、また目の前が霞んできました。
今日は葉山で甥っ子の結婚式。パンダ顔では出席できません。
まずは泣くだけ泣いてしまってから化粧を始めましょう。

皆様、優しいお気持ちを届けてくださり、本当に本当にありがとうございます。
どんなに励みになることでしょうか。
疲れた!なんて言ってる場合じゃありません。

By 池澤ショーエンバウム直美



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2011年07月27日

テイラーさんの両親の誇り

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毎日、新聞に目を走らせ、テレビのニュースに釘付けになっていた、震災後のワシントンでのことです。3月30日の「ワシントンポスト」の1面と12面に、ある大きな記事が載りました。それは「Stories from a disaster zone〜When the earthquake struck in Ishinomaki, lives were transformed and lost(被災地からの物語〜地震が石巻を襲った時、人生が変わり、失われた)」というタイトルのものでした。

これについてはすでに4月5日のブログでも書かせていただきましたが、あらためてご紹介をさせていただきます。なぜなら、それに引き続く感動的な話をどうしてもお伝えしたいからです。

「リッチモンドから来た24歳の英語教師、テイラー・アンダーソンは、その日もバイクに乗って万石浦小学校へと出勤をした。翌日に控えた卒業式の準備があったからだ。地面はまだ茶色だったけれど、春はすぐそこまで来ていた。天気予報は晩冬の雪を告げていた。太平洋は冷たく、灰色で、穏やかに横たわっていた。その時すでに、海の奥底では人知を超えた巨大な力が動き出そうとしていたのだ。

測り知れないほどに無秩序な揺れの間、大人も子供も机の下にもぐった。そうして身を守ることは、これまで世代を越えて教えられてきた知恵だったからだ。しかし、誰がその後に続くものを予想できただろうか。

テイラー・アンダーソンは、JET(Japan Exchange and Teaching Program)のもとで沿岸の7つの学校を割り当てられて、子供たちに英語を教えていた。彼女が日本にやってきたのは2年半前だった。日本を愛し、日本語を愛し、日本の小説を愛し、太鼓を習い始めたばかりだった。他のアメリカ人の同僚たちとカラオケに繰り出すのが楽しみだった。彼らは自分たちのことを「Ishi crew」(石組)と呼び、多くは同じアパートで暮らしていた。

16万2千人のこの石巻という町は、彼らの第一希望の地ではなかった。東京や仙台に比べれば面白いことも少なそうだった。しかもこの町にはある特殊な匂いがあった。魚を発酵させ、大豆を発酵させる匂いだった。

万石浦の小学校では、アンダーソンと他の教師たちが運動場に生徒を引導し、迎えにきた親たちに引き合わせることに懸命だった。津波警報が鳴り響いた時には、すでに300人の児童たちが立ち去った後だった。けれども、50人の児童がまだ残っていた。

彼らは子供たちを海岸から離れた近くの中学校に移動させることにした。アンダーソンは子供たちを避難させた後、バイクに跳び乗ってエンジンをかけた。

「津波が来る!」という同僚の日本人教師の言葉を、「わかってる!」と日本語で答え、バイクをふかした。アンダーソンはそれを最後に姿を消した。」

これだけだって涙がにじみ出てくるというのに、ついこの間の7月14日、ジャパンタイムズにこんな記事が掲載されていたのです。

「Parents of Virginia tsunami victim set up children’s fund」
(津波の犠牲になった娘の、バージニアに住む両親が、子供たちのための基金を設立した。)

それによれば、震災から4ヵ月後、アンディ・アンダーソンとジーン・アンダーソンは彼らの最愛の24歳の娘、テイラー・アンダーソンの日本での死を悼んで、日本の子供たちのための基金を設立することにした、と言うのです、

「私たちにとって、これは私たちが前へ向かって歩き続け、私たちの娘の名を生き続けさせるためには当然のことなのです。」

日本の子供たちのための基金は、テイラーさんが通っていたバージニア州の高校で設立されました。すでに世界中から700人もの方々が基金に協力し、日本円にして970万円を超える寄付が寄せられていると言います。

「もしテイラーが生きていたら、きっと日本に残って子供たちを助けたことでしょう。彼女の夢は日本とアメリカの架け橋になることでした。私たちが彼女の代わりにその役目を担うことをきっと喜んでいてくれると思います」と、母親のジーンさんが語ります。

世界中から集められた基金は、テイラーさんが東北で教えていた7つの学校に送られます。それだけではありません。何とアンダーソン夫妻は、こんなことまで考えているのです。

「石巻の子供たちを大学に進ませるための奨学金基金をスタートさせたい。娘はきっとそんな私たちの夢を誇りに思うことでしょう。でも、私たちにそうさせる勇気を与えてくれたのは、ほかならならぬ私たちの娘、津波にさらわれたテイラーなのです。娘の心意気は私たちに受け継がれました。」と父親のアンディーさんが言います。

時々思うことがあります。どこの国にも良い所と悪い所があります。でも、たぶんこうした志こそが、開国以来引き継がれてきた良きアメリカのDNAではないかと。


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7月26日(火)奇跡のパーティーの行方これで最後!
7月28日(木)予告:こんな冷やし中華っていかが?
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2011年06月30日

私にできることって?〜震災への思いの中で


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 この暑い中、友は先週末も、陸前高田へと車を走らせました。1週間の仕事を終えた金曜日の夜に3人の仲間と共に東京を出発し、北へ北へと走りました。土曜の朝には、陸前高田のボランティアセンターに到着し、各地からやってきた人たちと一緒に、その日の仕事を割り当てられます。そうして一日中働き、また長い時間車を走らせて東京へ戻り、何食わぬ顔で月曜日の朝にはそれぞれの職場に出勤します。そうしたことをもう何度も繰り返しています。

 先週末は、瓦礫をかたづける作業でした。家があり、ごく普通の家族の生活が営まれ、庭では野菜が育っていたその場所の瓦礫をひとつずつ取り除いていけば、本も出てくればオモチャも出てくると言います。3時20分を指し続ける時計は、この場所に津波が押し寄せた時間を刻んだままです。

 「この仕事は被災者の方々にはやらせたくない。」と呟く彼女は、同時にこんなことをも語ります。

 黙々と働く彼女たちのそばに、おばあさんがやってきて、「あんた方、どこから来たの?」。「東京からです。」と答えると、おばあさんはこう言ったというのです。

「悪いねえ、そんな遠くから。え、日当も出ないのかい? 本当に悪いねえ。
 でもねえ、来年はきっときれいになってるからさ、また遊びにおいでよね。」

 現地でのボランティア活動の誘いを受けたのはワシントンにいる時でした。不器用な私に何ができるだろうか、かえって足手まといになりはしないか、と思い悩んでいた時に、夫がきっぱりと言いました。

「君はやめたほうがいい。君が現場に行ったなら、その後しばらくは立ち直れなくなるだろう。ここに来てからずっと感情がアップダウンしている君を見る限り僕はそう思うよ。無理はせずに君ができることをしなさい。何ならできるのかを考えなさい。」

 たしかにその頃の私はかなり不安定な状況にありました。テレビや新聞の報道に泣き崩れ、自分ばかりが安全な所にいることで自分を責め、アメリカでの募金活動がうまく進まないことに自分の無力を感じていました。

 それが、そもそもの始まりでした。無力な私にできることがあるとすれば、企画をし、志ある人たちを集め、みんなの力でワッショイワッショイと動いていくことでした。

 8月14日(日)13時半から、「港北から東北へ〜願いは音にのせて」と言うチャリティーコンサートを開催します。場所は東急東横線大倉山の港北公会堂です。ボランティアの仲間たちからの本音の現地報告も盛り込みます。

 5月8日の夜にアメリカから帰国してすぐに、出演者たちとの折衝をも含め準備を進めてきました。「汗水たらして」ではなく、できる形でゆったりと。

 ありがたいことに、地元の商店街が協賛をしてくださることになり、この地と縁のあるギリシャの政府観光局が後援についてくださることになりました。昨年から仕事で関わっていた東京郊外の大学が、被災地支援のために作ったTシャツと共に駆けつけてきてくれることにもなりました。香り空間の演出家は、皆様をお迎えする入り口を癒しの香りで満たしてくれることになりました。そして、それに要する実費を負担してくださる篤志家の方も現われました。コンサートの進行を手がけてきた知人は、助っ人を名乗り出てくれました。

 600名ものホールに、いったいどれだけの方々にお集まりいただけるかはわかりませんが、一枚千五百円のチケット代は、最小限の実費をひかれた後で、ボランティアチームによって直接陸前高田に届けられます。

 大倉山は私が人生のある時代を過ごした場所です。とてもとても幸せな時代でした。そんな土地にたくさんの優しい心が集まるなんて、なんとありがたいことでしょうか。

 目下、ポスターとちらし、チケットを準備中。もう少し詰めが必要な所もあります。また、時期が来ましたらきちんとご案内をさせていただきます。

 紫陽花の美しい季節になりました。紫陽花だってよく見れば、小さな花の集まりです。

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6月26日(日):かき氷? いえ、シェーブドアイス@ハワイ
6月28日(火):「一日中朝ごはん」のEggs’n Things@ハワイ
6月29日(水):ナマスの活躍@TOKYO

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2011年06月06日

あの日を語る中で

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 昨日最後の回が終了した「あれから初めてのグローバルキッチン」は、たがいの無事を喜びあい、再会を祝し、ひとりずつあの日を語ることから始まりました。あの日、あの時、どこにいて何をしていたか、、、そして何が起こったか?

 私自身をも含め、26名の女たちが順番に、それぞれの「あの日」を言葉にしていきました。そこには、さまざまなドラマがありました。黒い雨が降るのを見た人たちもいました。古いビルの5階での会議中に、床が抜けたクライストチャーチの語学学校を思い、死を覚悟した人もいました。こなごなに割れた金魚鉢から飛び出してピチピチと跳ねる金魚を、揺れの中で一生懸命、水を張ったボールに戻した人もいました。フラワースクールの先生は、床にプチプチを敷き詰めて、生徒さんたちと一緒に一夜を明かしました。

 都心のオフィスで仕事をしていた時に地震に遭ったという方が、深夜になってようやく動き出した地下鉄で家に戻りついたのは、午前2時半頃だったと言いまとす。玄関を開けるまでは、まさかそんなことになっているとは思いもせずに、、、、

 靴箱からは靴が飛び出し、3つの大きな食器戸棚は半開きになり、長年蒐集していた古伊万里や中国の置物が、床の上で木っ端微塵になっていました。どの部屋も足の踏み場がないほどに物が散乱し、靴を履かずには歩けなかったと言います。

 20年もの間、集めてきたロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートも、カップ&ソーサーも、ワイングラスも、ラリックのガラス器も、大部分はその形を留めてはいませんでした。独り立ちをした記念にと揃えた、12セット・100ピースものノリタケの食器のうち、残ったものは、コーヒーカップが1つと、サラダ皿が2つ、大皿が1つだけ。

 ぎっしりと詰まった本棚は10センチもずれて、冷蔵庫の扉は開いて、ドレッシングの瓶が飛び出て割れていました。

 どんなに動転し、どんなに落胆したでしょうに、


「形ある物は結局は壊れるってことね。たとえどんなに高価な物であっても。
 何年か所有していた満足感だけで十分。『物の価値って何?』ということを考える良い機会となったわ。そして思った、『投資をするべきは物ではなく自分かな?』って。」

 などと、 いつもとちっとも変わらぬ包み込むような笑顔と、穏やかな口調で、サラリと言うのです。

「人の命の犠牲の上に気づいたことを大事にしたい。」と言う人も、
「もう毛皮もブランド物のバッグもいらない。家族と健康が一番だいじ。」と言う人も、
「若くたって、年を取っていたって、明日がわからないのは同じこと。」と言う人も、、、、、

 あわただしかった1週間が過ぎて、少しばかり余裕が戻ってきた今日、嬉しい発見をしました。十分な世話ができずに枯らしてしまって、もう捨てるばかりになっていたジンジャーの、カサカサに乾いた茶色い葉っぱの間から、みずみずしい緑の新芽が伸びていたのです。留守の間にすっかり咲ききったはずのジャスミンは、再び小さな2輪の花を咲かせようとしています。

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6月7日(火)予定:カヌーに乗って運ばれたクマラ

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2011年05月24日

たくさんのエミリーさんと たくさんの愛海ちゃんがいるのに

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 シアトルの友人経由でエミリーさんから手紙をもらったのは、ちょうど1ヶ月前のことでした。その間、何もしていなかったわけではないのですが、被災地に出入りしている方に手紙の内容を伝え、とにかく何をどうしたらよいのかを調べてもらうことにしました。エミリーさんはすぐにでも日本に飛んでくるほどの気持ちでいるのですが、ことはまだ進展しないままです。

 エミリーさんは、シアトルに住む49歳のアメリカ国籍のシンガポール人です。日本の大学を卒業し、日本の百貨店で仕事をしていました。滞日年数は8年にもおよびます。けれども、専門的に看護についての勉強をしたいという深い思いから、仕事を辞め、18年前に渡米し、ワシントン州の大学で勉強を始めました。

 エミリーさんは今、シアトルにある日系人ホームで看護士として働いています。日本語、英語の読み書きはもちろん、話すことにも不自由はありません。IT関連の会社に勤めるご主人との間には子供がいません。

 東北地方を襲った震災に心痛める日々を送りながら、「何とかして両親を失くした子供の親になれないだろうか。」と真剣に考えるようになりました。普通ならそんな気持ちを義援金のような形で表そうとするのでしょうが、エミリーさんはそれだけに留まらず、必死の思いでこんな手紙を書いてよこしたのです。

「孤児になった子供たちのひとりを私たちに育てさせていただくことはできないでしょうか。できれば2歳から5歳ぐらいまでの女の子を養子にしたいのです。私は日本語の文化の中で育ちました。そして日本を心から愛しています。もし娘ができるなら、私は彼女を日本語の幼稚園に入れて、日本語と日本文化に触れる機会を作り続けます。そして責任をもって、一生涯、彼女の良き母として生きていくつもりです。子供を育てた経験はありませんが、一人の日本の子供に幸せな将来を与えることは必ずできると信じています。」

 エミリーさんの気持ちはよくわかりますし、とてもありがたく思いますが、私ども素人ができる範囲を超えています。中途半端に動くこともよくないでしょう。とは言え、一人の幼な子の将来を、責任をもって引き受ける、と言い切るエミリーさんの覚悟を思うと、胸が痛みます。

 手元に5月10日の読売新聞朝刊の31ページがあります。見れば涙が出ることがわかっているのに、どうしても捨てられないのです。津波にさらわれながらも体が漁具に引っかかり、一人だけ助かった5歳の少女、愛海ちゃんの話です。

「ままへ いきてるといいね おげんきですか おりがみとあやとりと ほんよんでくれてありがと」

「パパへ あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんなのおとてね」

と言う両親への手紙の上で鉛筆を持ったまま眠ってしまう愛海ちゃん。行方不明のお母さんの写真を手に取って、「ママ、かわいいね」とつぶやく笑顔の愛海ちゃん。

 たくさんのエミリーさんがいて、たくさんの愛海ちゃんがいる。
 でもどうすることもできない。
 つらいです。

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5月23日(月):お誕生日おめでとう!みんなで作るケーキ

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2011年04月24日

キーンさんが来るまでには、願わくば(hopefully)、、、

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 走る車の中から、春を数えながら約1時間。メリーランド州ロックビルの教会で開かれた「SING OUT FOR JAPAN!〜東日本大地震復興支援コンサート」から帰ってきました。この不思議なご縁とその感動については明日にして、今日はやはりこちらから。

 朝起きてすぐ、ということはもう16時間以上も前のことですが、いつものようにネットを立ち上げてすぐに目に飛び込んできたのが、ドナルド・キーンさんの日本永住への決意についての記事でした。キーンさんと言えば、何となく身近に感じる個人的な繋がりがありますが、それはまたそれとして、、、、

 今朝のニュースのあまりのタイミングには驚きました。時々こんな偶然に出会うことがあって、そのたびに自分が「予言ができない預言者」なのかと疑ったりもします(笑)。あるいは、自分で考え、自分で話しているように見えも、実は単に何かに動かされているだけなのかしら、と。

 急な移動にあたふたと荷造りをして、成田空港の本屋さんで手当たり次第に文庫本を買ったのが3月21日のことでした。どれだけ長い滞在になるかもわからなかったために、いつもより多くの本を買い込みました。その一つが三島由紀夫さんの「仮面の告白」でした。別にさしたる理由があったわけではありません。搭乗口に向かうまでの限られた時間で、たまたま目に付いたものを選んだだけです。もちろん闇雲に買ったわけではなく、この本で言えば、学生時代に読んだ本をもう一度読むのも面白いだろう、と思うぐらいの判断基準はありました。

 それをようやく数日前から読み始めたのです。そして、3日前の水曜日の夜、サンドストローム家での晩餐会のテーブルのあらかじめ決められた席で、私の左隣りに座ったのが初対面のヴィヴィアンでした。

 食事の途中でこんな質問が飛んできました。

「日本の文学を読みたいのですけれど、何を読んだらいいでしょうか。」

 それを機に、私たちはひとしきり源氏物語の話をし、源氏物語の翻訳者、サイデンステッカー氏の話になり、同じく日本文化と日本文学への造詣が深いドナルド・キーン氏へと移ったのです。たまたま足元に置かれたバッグの中には、読みかけの「仮面の告白」がありました。それを見せながら、うろ覚えでこんなことをヴィヴィアンに言ったのです。

「この小説の作者の三島由紀夫さんは、たしかキーンさんが日本の大学に留学中に知り合って以来の友人だったはずですよ。三島の翻訳も手がけていると思います。ぜひお読みになってみてください。とても日本を愛してくださっている方ですから、今回の日本の震災にはどんなに心を痛めていらっしゃることでしょう。たしか今はニューヨークにお住まいと聞いています。」

 正直な話、三島由紀夫のことも、彼の作品のことも、キーンさんのことも長らく忘れていたことでした。それが成田空港での気まぐれからこんな風に繋がって、加えて今朝のニュースです。ただでさえ心に熱く響くキーン氏の言葉が、ますます深く心に届きます。

「日本国民と共に何かをしたいと思った。」
「日本は震災後、さらに立派な国になると信じる。明るい気持ちで日本へ移る。」
「被災地の東北地方は松尾芭蕉の『奥の細道』の研究で度々訪れた。」
「日本留学時代は無名の私を助けてくれる人たちに囲まれた。」
「日本国籍取得でこれまで示せなかった日本への感謝を伝えたい。」

そんなキーン氏は、震災後に多くの外国人が日本を離れている事実に対しても、遺憾の思いを語っています。

 時は遡って、3月11日からちょうど1週間後の18日、ワシントンポストにこんな記事が載りました。

「Why I won’t leave Japan」(私はなぜ日本を離れないか)と言う、ポスト紙の元東京特派員、ポール・ブルスタインさんが鎌倉から発したメッセージです。かいつまんでお伝えすれば、、、

「私は去年日本に移り住んだ。自分はスピリチュアルな人間でもないし、仏教徒でもないけれど、大仏から1.52マイル(約2.4キロ)の所に住んで、いつも大仏様のお顔をうかがいに行く。太平洋の向こうから大切な人たちがたくさん心配の気持ちを届けてくれるけれど、私は日本を離れない。日本国内でも国外でもオーバーアクションは日本をますます窮地に追い込む。おそらく2〜3ヶ月もすれば、日本はきっとこれまで以上の生命力と活力を見せるはずだ。電車は再び驚くほどに時刻表通りに動き、食べ物はおいしくふんだんにある。いったんそうなれば、我々外国人たちは、日本は大仏様がおわす国であり、願わくば(hopefully)変わらぬ安全な国であるように思うだろう。」

 キーンさんは9月までには東京の住まいに移るそうです。願わくば(hopefully)それまでにブルスタインさんの言う通りになっていますように。

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4月20日(水):プエルト・リコの市場フォトツアー
4月21日(水):まさかの天ぷら 青バナナ
4月22日(金):メキシコからタイへ〜石臼トントンの思い出
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2011年04月21日

ガチョウのモルテンはどこに行ったら?

 
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 初夏のように気温が上がった昨日、ハイウェイのすぐ脇のがらんとしたコンクリートの道で、ガチョウのカップルに遭遇しました。どうしてこんな所に?と思いながら、しばらく目が離せません。誰かに飼われていたのが抜け出して迷子になってしまったのでしょうか。それとも旅の途中で仲間とはぐれてしまったのでしょうか。

 ニュージーランドの博物館でやはり足を止めたのは、「オオソリハシシギ」という長い名前の鳥の剥製と、その横に描かれた地図でした。この鳥は何とアラスカからニュージーランドまでの1万1千キロもの空の道を、一度も休まずに無着陸で飛び続けるのだそうです。全長40センチのくちばしの長い鳥です。

 たまたまこの鳥について書かれた2008年の新聞記事の切り抜きが手元にあります。アメリカの地質調査所が、南へと渡る9羽のオオソリハシシギに発信器をつけ、人工衛星を利用した追跡調査では、8日ちょっとでニュージーランド北部に到着したと言いますから、ざっと計算しても一日に飛ぶ距離は1300キロを越えています。

 「鳥はアラスカを飛び立つ前に十分にえさを食べて太り、追い風に乗って高度数千メートルを飛び続ける。ハワイなど途中の島にはえさが少ないことや、降下や上昇による無駄なエネルギー消費を抑えることなどから、ノンストップ飛行をしているらしい。南への渡りを終えると体重は半減する。」

 高度数千メートルの世界は想像だにつきませんが、さぞや寒いことでしょう。さぞや暗く寂しいことでしょう。いったいどうやって目的の地へと方向を見失わずに飛び続けることができるのでしょう。私たちがとうの昔に失ってしまった、あるいは元々備えてすらいなかった内なる羅針盤を、渡り鳥たちはいまだに持っているのでしょうか。不眠不休で食べることもせずに、ひたすら飛び続ける彼らの目的とはいったい何なのでしょうか。目的を達成するための、もっと安易な道はないのでしょうか。そんな鳥たちの「ひたすら」に、測り知れない自然の神秘を思います。

 オオソリハシシギと違って、中には途中で羽を休める鳥たちもいます。シベリアに渡る鳥たちの休息の場であった仙台市の伊豆沼も被災してしまい、渡り鳥の飛来地として国が「海浜鳥獣保護区特別保護地区」に定めていた仙台市宮城野区の蒲生干潟も今回の津波で壊滅してしまったそうです。ニルスが乗ったガチョウのモルテンはどこへ行ったらいいのでしょうか。

 案の定、昨日の陽気でツツジの花が開き始めました。
 藤の花が満開です。
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2011年04月07日

この際、日本式慎みは忘れて〜ニュージーランドの募金方式

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 明るい陽射しに恵まれた木曜日の朝を迎えました。今私がこれを書いている仕事部屋の床にも、隣の居間にも、サンルームにも豊かな光が差し込み、影を作っています。光と、それが織りなす影を見るのがとても好きです。その影の移ろいを見るのもとても好きです。私はこれをひそかに「光の渡り」と呼んでいます。光の渡る家に住むのが私の願いでした。

 ヤマト運輸が今年度中に取り扱う宅配便1個につき10円を、東日本大震災の被災地の支援に寄付すると発表しましたね。宅配便の料金は変えず、つまり委託者の我々には負担を与えずに、彼らの利益の中から支払う形だそうです。

 ニュースによれば、同社の昨年度の宅配便取り扱い数は約13億個。今年度も同レベルの扱いがあるとすれば、たった10円でも塵も積もれば何とやら、130億円です!これまで発表された一企業の拠出額としては最大規模だそう。

 もちろんこれほどの規模ではありませんが、最近立て続けに同じような形の支援についてのメールを受け取りました。

 ひとつは東京で私が時々行くフットケアのお店「フットアドバンス」の店長から。

「このような大変な時期にいつもと変わらぬ生活を送ることができ、店舗も営業ができることに感謝し、また被災地の復興と被災者の生活に役立つことを願って、明日から当面の間、1コースに付き100円の義援金を日本赤十字社を通して被災地に送ることにいたしました。お客様にご負担を強いるものではございません。あくまでも当店がいただく御代の中から、一部を義援金とさせていただくものでございます。」

 もうひとつはFujisan.co.jpから。

「期間中に右記ギフト券を使って新規で雑誌を定期購読していただくと、申込み1件につき500円を被災地に寄付させていただきます。特別協賛雑誌につきましては、申込み1件につき1000円を被災地に寄付させていただきます。デジタル雑誌は敵講読、最新号、バックナンバー全商品で、購入1件につき販売金額の5%を、また特別協賛雑誌は10%を寄付させていただきます。」

 規模の大小に関わらずありがたいお心です。でも、ここでふと思うのは、ニュージーランドでの対応との違いです。

 昨年から今年にかけての私たちは、行く先々で自然災害に立ち会うという稀有な経験をしてきました。昨年の4月、オーストリアのウイーン滞在中にアイスランドの火山が火山灰を噴き上げ、空港が閉鎖されました。夫は次の講演地のハンブルグに行くことができなくなり、私たちは結局、日本への飛行機が飛び始めるまでずっと、予想外に長いウイーン滞在を余儀なくされました。

 そして今年2月のニュージーランドでは、夫のオークランド大学での集中講義を終えて、今まさにクライストチャーチに飛ぶ寸前に、地震の報せが届きました。私たちの宿泊するはずだったホテル一帯は、多くの建物が崩壊しました。私たちはもちろんクライストチャーチ行きをあきらめて、もっと南の小さな町、クイーンズタウンで数日間を過ごしました。

 2月22日の地震発生からしばらくニュージーランドに滞在する間、行く先々で目にしたのはこんな貼紙でした。

「このたびのクライストチャーチの地震への被害への寄付として、お会計の最後に2ドルを余分につけさせていただきます。」

 ちなみに2ニュージーランドドルは、今のレートで言えば130円ちょっとです。いくら了解なしに2ドルをプラスされたからと言って、お客の誰がそれについて文句を言うでしょうか。むしろ、そうした形で代わりに気持ちを届けてもらえるのなら大歓迎です。

 面白いことに、ここに垣間見られるのは二つの文化の相違です。「皆様にはご負担はかけません。」という日本式は、我々日本人の慎みを表しているようです。対して、「ご寄付分を上乗せしてお払いいただきます。」というニュージーランド式は、大げさに言えば市民としての義務に気づかせてくれます。

 ご意見は色々あるでしょうが、私はこの際、日本式慎みはとっぱらって、100円なりなんなりをどんどんと上乗せして、消費者市民を巻き込んでいってもいいのではないかと思うのです。それがひいては私たちの経済の活性化にもつながります。もちろんそれを明確に謳い、「私はいやだ」という人たちにも拒否権を与えての話ですが。

 皆様はいかがお考えになりますか?

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4月4日(月):DCのど真ん中で日本の味に!
4月5日(火):「我が儘」ではなく「Wagamama」という和食世界
4月6日(水):Edamame?
4月7日(木):ワシントンにアテネの街が!
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2011年04月06日

被災地からの物語〜Stories from a disaster zone〜

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 日本時間6日の14時46分に配信された読売新聞のオンライン版で、こんな見出しを目にしたのは、時差もあってついさきほど、目覚めてすぐのことでした。

 「24歳米国人女性、児童避難させた後津波に、、、、、」

 もしや、テイラー・アンダーソンさんのこと?と思って本文を開いてみれば、やっぱりそうでした。彼女とそのアメリカ人の同僚たちのことは、こちらの「ワシントンポスト」紙でも、大きく1面と12面を使って3月30日に掲載されて、多くの人の涙を誘いました。

 日本での報道よりはもちろんずっと詳細に、志を抱いて日本にやってきた若きアメリカ青年たちの「物語」を書いています。ちょっと長くなりそうですが、日本には届いていないかもしれないその物語をここでお伝えします。全文を翻訳するには長すぎます。以下は私が部分訳で組み立てた、彼らの「物語」です。
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Stories from a disaster zone
When the earthquake struck in Ishinomaki, lives were transformed – and lost

(被災地からの物語〜地震が石巻を襲った時、人生が変わり、失われた〜)

リッチモンドから来た24歳の英語教師、テイラー・アンダーソンは、その日もバイクに乗って万石浦小学校へと出勤をした。翌日に控えた卒業式の準備があったからだ。地面はまだ茶色だったけれど、春はすぐそこまで来ていた。天気予報は晩冬の雪を告げていた。太平洋は冷たく、灰色で、穏やかに横たわっていた。その時すでに、海の奥底では人知を超えた巨大な力が動き出そうとしていたのだ。

測り知れないほどに無秩序な揺れの間、大人も子供も机の下にもぐった。そうして身を守ることはこれまで世代を越えて教えられてきた知恵だったからだ。しかし、誰がその後に続くものを予想できただろうか。

テイラー・アンダーソンは、JET(Japan Exchange and Teaching Program)のもとで沿岸の8つの学校を割り当てられて、子供たちに英語を教えていた。彼女が日本にやってきたのは2年半前だった。日本を愛し、日本語を愛し、日本の小説を愛し、太鼓を習い始めたばかりだった。他のアメリカ人の同僚たちとカラオケに繰り出すのが楽しみだった。彼らは自分たちのことを「Ishi crew」(石組)と呼び、多くは同じアパートで暮らしていた。

16万2千人のこの石巻という町は、彼らの第一希望の地ではなかった。東京や仙台に比べれば面白いことも少なそうだった。しかもこの町にはある特殊な匂いがあった。魚を発酵させ、大豆を発酵させる匂いだった。

2時46分、そんな中の一人、アーロン・ジャラット(26歳)は、生徒たちに別れを告げ、彼のラップトップに戻って8月の仕事の予定を打ち込んでいるところだった。大きな揺れが来て、彼は机の下にもぐった。

フェニックスから来たジャラットは、地震がどんなものかを知っていた。しかし今度ばかりは違った。想像を絶する揺れが何とかおさまった後に、彼はすぐに「Safe」と一言書いたメールをフェニックスの家族に送った。

ジェラットの友人のスティーブ・コルベット(25歳)は、お気に入りのカフェへと車を走らせていた。崩れ落ちるかのように目の前のホテルが激しく揺れ、人々が逃げ出す姿が見られた。コルベットはカリフォルニアの地震を体験していた。けれども、地球がこんな風に揺れることまでは知らなかった。後になって彼が語る。

「正直、目の前で地面が割れるだろうと思った。この世の終わりだと思いながら、必死に走った。」

万石浦の小学校では、アンダーソンと他の教師たちが運動場に生徒を引導し、迎えにきた親たちに引き合わせることに懸命だった。津波警報が鳴り響いた時にはすでに300人の児童たちが立ち去った後だった。けれども、50人の児童がまだ残っていた。

彼らは子供たちを海岸から離れた近くの中学校に移動させることにした。アンダーソンは子供たちを避難させた後、バイクに跳び乗ってエンジンをかけた。

「津波が来る!」という同僚の日本人教師の言葉を、「わかってる!」と日本語で答え、バイクをふかした。アンダーソンはそれを最後に姿を消した。(ワシントンポスト紙 3月30日)
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読売オンラインでは、アンダーソンさんが卒業生に書いたメッセージの写真も掲載されています。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110406-OYT1T00603.htm

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2011年04月04日

義援金が届くまで1年?!

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 朝起きてまずすることは、何はともあれネットを繋げることです。ここでニュースに目を通し一喜一憂、私が眠っていた間に動いていた日本の現況を知ります。ざっと見てから、できあがったコーヒーを手に取って、気になった記事を再びきちんと読み始めます。

 今朝はここで何とも釈然としない記事を見つけてしまいました。ちょっとかいつまんでお話ししますが、皆様はどのようにお感じになりますでしょうか。

「義援金は各自治体の被災者数や被害状況をきちんと調査して分配されるため、最終的に被災者の手元に届くまでに時間がかかります。阪神・淡路大震災の際にも、分配まで数ヶ月かかってしまいました(市民福祉団体全国協議会専務理事・田中尚輝氏)。今回の震災では、被災人数が多いため、調査に手間取り、被災者の手元に義援金が届くまで1年以上かかる可能性も考えられる。
一方、支援金とは、被災者支援のために活動するNPOやボランティア団体へ贈られるお金のこと。『送ったお金は、即、支援活動に使われることが多いのですが、団体によって使い道が異なります。』(前出・田中氏)」 (女性セブン4月14日号)

 ここで「えっ?!1年以上?そんなこと知らなかった。そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょう?」とちょっと怒り、次の日本赤十字社の話に、さらにやるかたない気持ちになります。

「3月20日現在、223億円の義援金が集まっていて、これは阪神大震災のときよりペースが速い。でも、このお金が直接、被災地に届くわけではない。集まったお金は被災者代表や学識経験者で構成される『義援金配分委員会』に送られ、そこで被災者への配分額が協議される。適正な配分を行うため、こうしたプロセスはどうしても時間がかかります。」
(週刊ポスト 4月15日号)

もっと情けなくなるのは、日本ユニセフが3月14日のHPで告知した「但し書き」の記事です。ここまでくると、「私たちがすぐにも被災地に届けたくて送ったお金はいったいなんだったのだろう?」と失望に打ちのめされます。

「必要な資金を上回るご協力をいただいた場合、ユニセフが実施する他国・地域での紛争・自然災害などによる緊急・復興支援に活用させていただくことがあります。」

 その後、殺到した批判にユニセフはあわてて「東日本大震災の募金は、通常の募金とは別の口座で管理しています。」と掲載し、「全額を被災者に渡す」と釈明したそうですが、割り切れない気持ちは消えません。

 折も折、昨日アメリカの赤十字社からこんな丁寧な手紙が届きました。夫が3月22日に同社あてに送った小切手に対する礼状です。

「○○様
 アメリカ赤十字社は、貴殿からいただいたご寄付を東日本大震災のためにお届けできるように働いております。こうして私どもは、私どもの人道的使命に奉仕してまいります。

 3月22日付けの貴殿の(  )ドルのご寄付は被災地の復興に大いに救済をもたらします。1300万人のボランティアを擁する世界186の赤十字の一つとして、私どもは、今回の日本の地震や津波のような緊急事態に援助をするための人道的ネットワークの中にあるものです。

 貴殿の支援に心から感謝をいたします。貴殿のご寄付の使途については、redcross.orgをご覧になるか、1−800−REDCROSS(1-800-733-2767)へお電話ください。義援金が特定災害に対するアメリカ赤十字社の所定の額を超える場合は、他の災害の犠牲者の方々のために使用されます。アメリカ赤十字社への貴殿のご寄付に対し、あらためて感謝を申し上げます。敬具
Lauri Rhinehart, Vice President of Development Operations

 赤字の部分、私の曲解が入ってはまずいと思いますので、慎重を期して原文も併記します。

On those rare occasions when donations exceed American Red Cross expenses for a specific disaster, contributions are used to prepare for and serve victims of other disasters. 

 決して「日本だけが救われれば」という偏狭な思いで言うわけではありませんが、やっぱりなんだか釈然としないのです。家人が真摯な思いで小切手の額を書き込んだ時には、とにかく東北の被災地の人たちを助けたかった。私が渡米前に、蛙の貯金箱を逆さにして急いで寄付を届けたのも同じ気持ち。

 こちらで、子供たちのための募金活動(http://www.vsc-shien.com/support_page.html)を始めて行き当たる最初の壁もこんなものです。

 「すでに赤十字に募金をしました。少しでも早く日本の犠牲者の皆さんに届けたくて。」

 やっぱり何だかすっきりしません。外はこんな春になったのに、、、、、
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2011年04月02日

呟いてしまったアフラックのアヒル

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 私たちの国の震災をネタにしてTwitterでジョークを連発したとして、ギルバート・ゴットフリードさんがアフラックのCMを降板させられたというニュースには、ご記憶の方も多いでしょう。

 アフラックと言えばアメリカの大手保険会社。
 そしてそのマスコットキャラクターがアヒル。
 ギルバートは10年以上もそのアヒルの声の主でした。

 当のTwitterはすでに削除されているそうですが、報道によれば、どうもこんなジョークを12回にわたって呟いてしまったそうなのです。

「さすが日本は発達している。ビーチに出かける必要がない。ビーチのほうからやって来てくれるんだから」

 もちろん非難が集中。アフラックは即座に彼の解雇を決定し、「当社と彼の呟きは関係ありません。」とあわてて表明をしました。もちろん、つい口がすべってしまった当の本人も、謝罪を表明しましたが、時すでに遅し。一度呟いてしまった言葉はたとえ削除されようが、人々の記憶からは消しようがありません。

 今日はちょっとその後日談を。3月27日のワシントンポスト紙日曜版「Sunday Style」からです。

 「アフラックが彼の後釜として、新しいアヒルの声の主を探しています。しかも、他の有名タレントを起用するのではなく、一般からの応募を受け付けることにしました。「この国にはまだまだ埋もれた才能がたくさんあるはず」と、人気番組『アメリカンアイドル』を引き合いに出して語るのは、同社のマーケティングオフィサーのズナ氏。我こそはと思う者は、30秒のアヒルの音声をオーディオまたはビデオファイルで送ってください。」

 「アメリカンアイドル」とは、かつての「スター誕生」のようなもの。違うと言えば、普通の女の子を一躍アイドルにするのが、プロの審査員ではなく視聴者による電話投票だということです。

 この締め切りが実は今から約12時間前、4月1日、エープリルフールの真夜中でした。いったいいくつのアヒルさんの声が送られたことでしょう。

 新しい声があてられたアフラックのアヒルは4月22日に第一声を放つそうです。一般募集だからと言って、それは必ずしも既存の俳優を排除しているわけではない、というあたりもどことなく思わせぶりで、結果の公開が待たれます。

 ワシントンポストによれば、アフラックの収入の75%は日本からとのこと。選考にはどうやら「日本人好み」の声質も考慮されそうですが、いったい「日本人好み」の声ってどんな?

 それにしても口は災いのもと。とは言え、ビクビクしすぎていたら言いたいことも言えません。傷つけたり、悲しめたり、おとしめたりの悪意の言葉はいけませんけれど、言うべき時に言うべきことをきちんと言う勇気も失いたくはありませんね。
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4月1日(金):アメリカ版ヤンソンの誘惑
4月2日(土):3つの発端オープンサンド
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2011年04月01日

そして今、あなたは何をしようとしていますか?

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 遅ればせながらこちらも新しい月が始まりました。3月から4月へとカレンダーをめくるのは、12月までのカレンダーを新しいものに変えるのにも似て、気持ちがひきしまります。こんな4月を迎えるなんて思ってやしなくても、今日、この日に進級をし、進学をし、長かった就職活動の後に晴れて社会人としての一歩を踏み出した人たち!これまでのどんな「新入りたち」よりも、たくさん悩んで、たくさん考えながら、新しい時への扉を開けたみんなに、まずは「おめでとう!」

 マイナス13時間と言うのはなかなか曲者で、うまい具合にブログをアップさせることができません。夜に書けば日本の朝で、朝に書けば日本の夜。時間不足の夜もあれば、早出の朝もあり、なかなか同じ時間にできません。リアルタイムで繋がっていたいと思うので、予約投稿という便利な機能も使わずにいます。

 昨日もそんな「早出の朝」でした。朝の8時、ダウンタウンのクラブで始まった朝食会で私を待っていてくれたのは、どちらかと言えばどころか、全くもって若いとは言えない10人の紳士たち。隔週の木曜日の朝に集まっては情報交換をしています。ほとんどは弁護士の皆さんです。

 昨日の私はゲストスピーカー。彼らが知りたいのは、メディアで伝えられている事実ではなく、目の前の小さな日本人が実際に体験したことです。その時私がどこにいて何をしていたか、家族はどうだったか、知り合いたちはどうだったか、以来私が何を見、何を感じ、何をどう考えてきたか、そして今どんな思いでいるか、、、、、、そんな小さな世界のことです。私の言葉の一つ一つに、皆、真剣に耳を傾けてくれます。たくさんの質問が寄せられます。

 最後に問われました。「そして今、あなたは何をしようとしていますか?」

 私はそんな質問を予想して、皆さんにお配りするための「What are we doing?」という書面を用意していきました。私も理事として参加している「ベトナムストリートチルドレン支援会」でも、被災地の皆さんのために動き始めたのです。

 その一つは義援金の募集です。今回の震災で孤児になったり、継続した治療が必要であるのに医療費が払えないという理由で病院を出なければならない子供たちのための募金です。この裏には、会の理事長である桧田仁医師の現地からの報告がありました。

「私は11日の震災以降、被災地で医療活動を行っています。テレビ報道などでは比較的前向きな心を持った皆さんがインタビューに答えていらっしゃるので、現実の悲壮感がそれほど伝わっていないようにも思いますが、実際にはほとんどの方が経済的な不安で、精神的にダメージを受けています

日本経済の長引く不況により、東北地方の経済はただでさえ落ち込んだ状況でした。その上で今回の震災です。皆さんの手元に残る預貯金は、関西淡路の震災を受けた皆さんの平均預金額よりもずっと少ないと思います。

『先生、津波でなくなった家の借金もありますし、私の治療はもういいです。』
こうおっしゃって病院を立ち去る患者さんを引き止めることが出来ない事に、僕自身も無力を感じ、落ち込む毎日でした。

せめて、医療費の支払いが困難な家庭のお子さん、小さな命を宿した妊婦さん、また小さな子供を育てているご両親に、医療費の支援をしたいと考えています。」

 これを受けて東京のスタッフが急ぎ動き始め、子供たちのための募金活動が開始されました。私もまた、太平洋のこちら側で募金活動を開始しました。小切手&クレジットカード社会のこの国で、私たちのような小さなグループが募金活動を行うには、さまざまな障壁があることもわかりました。けれども、とにかく口から口へと広げています。

 5月のゴールデンウィークには、表参道で「I for Japan」と題したチャリティーイベントを行う予定です。8月にはバザーつきのチャリティーコンサートを行います。

 そんなことを、「そして今、あなたは何をしようとしていますか?」の答として皆さんにお話しさせていただきました。

 おいおい詳細をお知らせしますが、まずはすでに歩き出した募金活動をご案内します。すでに多くの皆様が何らかの形で募金をなさっていることと思いますが、「子供たちを助けるための」募金活動、「明日を担う子供たちの将来に一本でも多くの灯りをともすための」活動があることを、心のどこかにお留めおきいただければ幸いです。

 詳細はこちらです。http://www.vsc-shien.com/support_page.html

 「April rain brings May flower.」4月の雨が5月の花を咲かせます。今、私たちにできる小さなことがたくさん集まれば、いつかは花も咲くでしょう。
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3月30日(水): 何てアメリカ的!私のシェルター
3月31日(木): やっぱりこだわるストロベリー
4月 1日(金): アメリカ版ヤンソンの誘惑

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:42| Comment(0) | 地震

2011年03月31日

行って来ます!

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 まだ外はこんなですけれど、これからダウンタウンのクラブで開かれる朝食会に行ってきます。ここでプレゼンの機会を与えられました。配布資料もできあがりました。被災地の子供たちへの募金活動を開始します。戻りましたらまた御報告いたします。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:04| Comment(0) | 地震

2011年03月30日

花見も雲隠れも日本の伝統?

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 昨日のワシントンポストには驚きました。日本の新聞よりはだいぶ縦長の紙面の第一面の左下に、両頬に手をおいて、崩壊した家の前で途方に暮れる女性の写真を囲むようにして、こんな見出しの記事が載っていたからです。

Amid reactor crisis, head of Japanese utility vanishes
原発危機の最中に、トップが消える

 驚いて読み進めた後に、ネットで検索してみたら、すでに日本でも話題になっているところでした。そこで言及されている、火付け元の「米紙ワシントン・ポスト」がこれです。ご興味がある方のために、最後に原文を付記しておきますが、要約をすればこんなところです。「日本のビジネスエリートたちにとっては珍しいことではないけれど」という怒りをこめた副題もそうなら、記事の内容もかなり辛らつです。

「東京のアメリカ大使館がある地域に立つ豪華高層マンションに住む東電の清水社長が、この2週間全く家を留守にしているようだ、と言うのがこのマンションのドアマンからの話でわかった。実際、清水社長の姿は公式の場でも見られなくなっている。清水氏が国外へ飛んだとか、入院しているとか、自殺をしているなどの噂が飛び交う中で、東電の幹部は月曜日にこんな声明を出した。『過労によるちょっとした病気です。』
 危機の最中にあって日本のエリートたちが雲隠れをするのは、日本の伝統のようなものだ。」

 ところで一昨日の「桜祭り」は、まだ蕾が全開にはなっていませんでしたが、池を取り囲むピンクのベールは桜を見慣れた者の目にも美しく映りました。地面にゴザやマットを敷いて宴会をする姿こそありませんが、みな歩を止めて花を愛でたり、写真を撮ったりしています。日本の花見とはまたちょっと違う、静かで平和な時間が流れていました。

 野外劇場ではちょうど日本の舞踊が行われているところでした。忍者もどきが登場したり、紫色のふさふさの毛におおわれた獅子が舞い踊ったり、「ヤーレンソーランソーラン」とソーラン節に合わせて若い女の子たちが威勢よく網をひく仕草で踊ったり、、、、

 みんな一生懸命ですが、何せ着慣れない着物です。前がはだけて着物の下のスパッツが丸見えになってしまったかと思えば、背中の帯が舞台の上に落ちてしまったり、着物姿でスニーカーを履いていたり、そんなことがみんな微笑ましくて、「頑張れ、頑張れ」と応援していました。

私ばかりではありません。3歳ぐらいの天使のように可愛い女の子が見よう見まねで一緒に踊りだしたり、左どなりのおばさんは、「Oh,my God!」などと言いながら拍手喝采。右の車椅子のおじさんは、「Here comes a lion!」(獅子が出たあっ!)とか、「Here comes a big drum!」(大太鼓だあっ!)などと独り言を言いながら、大喜びです。舞台から飛び降りた獅子がおじさんの所にやってきて頭を噛もうとしたら、逃げるつもりか思わず車椅子から立ち上がろうとして、自分も周りも大笑いしていました。

 なごやかな光景です。
 そんななごやかさがとりわけ眩しく映ります。

Washington Post (March 29, 2011)
Amid reactor crisis, head of Japanese utility vanishes
Move, though not a first among nation’s business elite, draws ire
By Andrew Higgins

TOKYO---In normal times, Masataka Shimizu lives in The Tower, a luxury high-rise in the same upscale Tokyo district as the U.S.Embassy. But he hasn’t been there for more than two weeks, according to a doorman.
The Japanese public hasn’t seen much of him recently either. Shimizu, the president of Tokyo Electric Power Co., or Tepco, the company that owns a haywire nuclear power plant 150 miles from the capital, is the most invisible – and most reviled---chief executive in Japan.
Amid rumors that Shimizu had fled the country, checked into a hospital or committed suicide, company officials said Monday that their boss had suffered an unspecified “small illness” because of overwork after a 9.0 magnitude earthquake sent a tsunami crashing onto his company’s Fukushima Daiichi nuclear power plant.
After a short break to recuperate, they said, Shimizu, 66, is back at work directing an emergency command center on the second floor of Tepco’s central Tokyo headquarters.
Still, company officials are vague about whether they have actually seen their boss: “I’ll have to check on that,” said spokesman Ryo Shimitsu. Another staffer, Hiro Hasegawa, said he’d seen the president regularly but couldn’t provide details.
Vanishing in times crisis is something of a tradition among Japan’s industrial and political elite. During Toyota’s recall debacle last year, the carmaker’s chief also went AWOL. “It is very, very sad, but this is normal in Japan,” said Yagushi Hirai, the chief editor of Shukan Kinyobi, a weekly news magazine.

 このあと12面に移って、これまでの経緯の詳細な説明が続きますが、こちらは割愛します。
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3月29日(火):ポップコーンふりかけ みいつけた!
3月30日(水)予告:やっぱりこだわるストロベリー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | 地震

2011年03月29日

偽善て何!その2〜偽善のすすめ

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 こちらに来てからちょうど1週間がたったというのに、どっと吹き出たかのような疲れがなかなかぬけません。後遺症などと言ってはバチがあたりますが、終始テレビやラジオから流れる音声や画像にひたって、緊張感の中で暮らし、上ったり下りたりする感情の波にもまれていたことが、こうした疲れに繋がっているのでしょう。

 具体的に言えば、夜寝ても2〜3時間で目が覚めてしまいます。すぐには寝付けませんので、いったん起き上がって本を読んだり、PCを立ち上げたりしながら、再び眠りに挑戦します。「眠らなければ」という思いがプレッシャーにもなって、なかなか容易には眠れません。

 当然昼間のある時間帯になると猛烈な睡魔に襲われます。それ以外の時間は、どことなく無気力で、情緒不安定で、ちょっとの刺激で涙腺が緩みます。「今日こそやらねば」と、その日の目標を紙に書いて目の前に貼ってみたりするのですが、なかなか到達できずに、翌日もまた同じことが書かれます。

 そろそろこんな状態から抜け出さねばと、月曜日の昨日、夫が仕事に出かけた間にひとりで桜を見に行きました。今、「タイダルベイスン」という池の周囲で、『National Cherry Blossom Festival』(桜祭り)が開かれているのです。気温が下がって冬に逆戻りしてしまったかのようなこの数日でしたが、桜はみごとに春を告げ、その下をゆっくりと歩く人たち誰もの顔に笑みを浮かべさせていました。

 ほんのり心が暖かくなる場面もたくさんありました。また場をあらためてお話ししたいと思いますが、随分と歩き回って帰ってきたらもう6時。原発の最新ニュースを伝えるテレビの画面に見入っているうちに、またあの「猛烈な睡魔」がやってきました。ちょっと目を閉じただけでしたのに、、、、、

 オバマさんと何やら楽しく会話をしている夢を見て、ふと目覚めれば画面はオバマ大統領の演説に変わっていました。それにしても、彼のスピーチの技は大したものです。抑揚のつけ方、間のとり方、視線の置き方、姿勢など、どれをとっても、私たちの国のどこぞの人たちとは大違いです。仮に内容がわからなくとも、それはまるで質のよい音楽のようです。

 長い言い訳になりましたが、そんなわけでオバマさんの夢から覚めた後は、現実に戻って大慌て。夕食の支度→遅い夕食→片付け→就寝です。ブログがまた遅れてしまいました。すみません。日本はもうそろそろ水曜日に変わる頃ですね。こちらはまだ火曜日の朝が開けたばかりです。

 さて、昨日の「偽善て何?」の続きです。将来を担う子供たちのパパやママたちの言葉をいくつかご紹介します。ある若いワーキングマザーが発した「上を向いて歩こう!」メッセージに寄せられた、次世代の人たちからのコメントの一部です。若い人たち、なかなか捨てたもんではありません。ちょっと長くなりますがどうぞお目通しください。

* 非難・中傷している労力があるなら、復興へ何かパワーを使ってほしい!!

* こういう時だからこそ、前を向いて、経済動かしたり人を元気づけたり、できることをしていなかいとね!!

* いつもの生活を送ることが大事だし、それがパワーにも繋がる。皆で上を向いて笑えるようにしていこぉ!!

* 東京に住む二児の母です。地震の日から恐怖・不安・悲しみと戦ってきました。偽善??言ってる奴は何したんだ!?勝手に人の心を決めるなーー!

* 子どもを持ってるお母さんはねぇ、毎日必死なのよっ。子どものことは365日ノンストップ!家族のお世話と仕事でフル回転。私たちが家の中で布団かぶって謹慎していたところで、被災地の方たちはビタいち喜ばなくてよっ!「不謹慎と偽善」もっともらしい言葉で、頑張っている人たちを攻撃しないでちょーだいっ!

* 一緒に泣くことも、一緒に頑張ることも、苦しさを我慢して笑うことも、いつもの生活を送ることも、それぞれの思い、それぞれの力。悪いことなんて一つもないですよね。人を評価している時間があるなら、それを今できる精一杯の力に変えて欲しいです。

* 昨日、イロモネアというお笑い番組見て馬鹿笑い。旦那と上の子どもにやっと思い切り笑ったねって言われたよ。 いったい私は今までどんな顔をしていたんだろう?って。だから私もいっぱい笑って上を向いて生活します。

* 人を中傷するようなマイナスパワーをネットに撒き散らすなら、偽善の方がよっぽど良い。そんな時間があるなら、それを今助けを必要としている人に使うべき!

* 被災地にいない私たちも、常に控えめに静かにしてなきゃいけないなんて、誰がきめのだろう?こんな時だからこそ、みんなで元気を出して前へ前へと進まなきゃいけないんだと思います。毎日接客業でお客さんと接する私は、そんな気持ちで笑顔でお出迎えしてます。

* 私たち元気な大人が、未来のために働き、消費し、経済に貢献していくことが何より大事だと思います。

* 笑顔で上を向いて歩ける幸せに感謝しています。そしてこれからも上を向いて歩いて生きます。大切な人たちと共に!

* 偽善者で上等。文句だけ言ってるやつよりずっといい!今元気な人はお金使って楽しむこと。明るい未来を作ること!これも立派な復興に向けての活動だと思います。

* 上を向いて、前に進んで、子どもと笑ってもいいんだなって思えました。

* やらない善より、やる偽善。という言葉が有名なマンガにあるそうです。私も上向きますよ!

* 限られた人生であるからこそ、一日一日を楽しく過ごしたい。特に小さな子どもがいるなら、先の長い子供たちの未来にも、私たち世代が踏ん張らなければって思うんです。

* 私は偽善って言われてもいい。止まりたくない。下向きたくない。この瞬間、元気に生きている私だから。

* 自分のブログにゴハンの写真載せるの控えてましたが、載せます、元通りに!

* 来月には宮城に戻れそうですが、仙台に着いてからどうしようか毎日悩み中。でも、笑いは病も治すパワーを持ってるのさ。明るく居れば光は見える。停電で大変だけど、いつもは見られない星空が見えるってブログもあったよ。

* 2歳7ヶ月の息子と、8ヶ月の第二子妊婦中ママです。私の実家は岩手の内陸部。来月に里帰り出産のために岩手に帰ります。東北地方から関東へ避難されている人がいる中、岩手に帰るのを心配&止める友達がいますが、私はこんな時だからこそ、岩手で元気な赤子を産んで親戚や地元の友達などに笑顔になってもらいたいです。偽善と呼ばれてもイイです。頑張って産んできます!

* 上を向いて手をつないで歩き出したら、復興は近いと思います。みんなで頑張りましょうね。

* 目の前の自分や家族が前見て幸せにならなくて、他人を本当の意味で幸せにできるはずが無いデス。非難、批判している方、そんな時間あるならあなたも誰かが元気になる為に何かしろって感じデス。

* 阪神淡路大震災の時、私はまだ独身で神戸の同僚たちを探しに水持って単車で駆けつけた。今は結婚し、子どもを産み、家庭を持ち、仕事もし、オムツや水などの物資を送ることと、募金をすることぐらいしかできない。今、母になった私は一番に守るものができてしまったから。はがゆい。
でも、神戸はパワーまっする!!ステキな町で今キラキラしてるッ。身近でそれを見てきたから、ぜーーーーたぃぃぃぃ!!!東北だって復興します!!!必ず!!!だから長くなるこれから先の復興のために、みんなが「偽善」をしよ!そしてお金を使おう!!そして経済まわそう!!!ミスドで、コンビニで、お店のレジ横に置いてる小さなBOXに、お釣り入れよ。金欠でキビシイ時は募金しなくてええやん。自分に余裕ある時にちょっと「偽善」しよ。

* 笑ってもいいんだよっていうメッセージを送るのはとても重要なことだと思います!子ども達にはせめて笑ってほしい。

* 世界中の人々が悲しんだ災害。でも、進んで行ける人が進んでいかなきゃ、世界は止まってしまう。

* 偽善でも善でも、なんでもいいじゃんと思います。誰かの役にたつのなら価値は同じ!かっこつけでもいい。家族を亡くした方にためらいもなくマイクを向けるTVより絶対いい、そう思います。

* 私の敬愛するミック・ジャガーが、「人生には真っ暗闇の時もある、でもユーモアを忘れずにいればオーライさっ」と言ってました。

*私は臨月で、再来週出産します。不安なことだらけで、毎日5歳になる上の子にも優しくできないこともあったりして自己嫌悪の毎日。でも前へ進みます。これが日本の、母の、力、パワー。

ところで昨日の『International Herald Tribune』です。1面と7面で原発の問題を取り上げ、日本政府の危機管理の拙さにも触れています。

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ワシントンポスト紙は10面で、深々と頭を下げる東電幹部の方々の写真と共に、放射能レベルが悪化したことを報道しています。他の2枚の写真は、津波で崩壊した船を前に涙ぐむ漁師の男性と、何にもない地面の上に置かれた棺を開けて、中に眠る人に話しかける人たちの写真です。頭を下げる人たちの写真の何倍もの力で、見る者の心を揺さぶります。
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3月28日(月):本物vs偽物〜クラブケーキ
3月29日(火):ポップコーンふりかけ みいつけた!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:32| Comment(0) | 地震

2011年03月28日

偽善て何?

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 こうして書き始めたとたんに、つけっぱなしにしていたNHKワールドで、リアルタイムに地震のニュースが飛び込んできました。7時24分という時刻と、津波警報発令という言葉が英語で繰り返されています。

 昨日書いたブログに、こんなコメントをいただきました。

「疲れが抜けない状態を日本中の方々が感じていらっしゃるのではないでしょうか。
実際に被災した訳でなくても、経験した恐怖やTVで繰り返し放映された映像を見続けたことによって受けた被災意識。(中略)『恐れ』が問題を大きくしている気がします。そこから開放される必要を感じています。もちろん、自責の念からも。」

 たしかにその通りだと思います。怖いのは災害そのものばかりでなく、いつまでも続くこうした状況の中で疲弊し、磨耗していく「ふつうの人たち」の心です。被災地の復興のために、被災者のために、元気でいなければならない私たちが、いつの間にかうつむき加減になり、まるで元気でいること、日常生活をまっとうし、時には楽しんでいることをまるで罪悪のように思い始めることです。

 ブロガーたちは、そんな様子を伝えることを躊躇します。実際、それまでは誰でもごくふつうにやっていたことを書いただけで、「不謹慎」と言われ、「偽善」と呼ばれ、非難をされ、攻撃をされている人たちがたくさんいます。耐えられずにブログを閉じてしまったり、書きたいことをも控えてトーンを暗い色に落としてしまった人たちも数多くいます。かくいう私自身もあれ以来、自己規制をしてきました。

 先日、ある勇敢な若い母親が、彼女のブログでこんなメッセージを発信しました。

「2011年3月11日に起こった災害は、三重苦とも言われている。地震、津波、そして原発。でもこの日から15日たった今、4つ目の悲劇がネット界を駆け巡る。キーワードは、不謹慎&偽善。」と、現状を述べた後で、

「ものすご〜い数の方がネット上で不謹慎と言われているみたい。被災地の方の苦しみ、悲しみは私たちには理解できないかもしれない。だからって全員が下を向いて歩かなければいけない?上を向いた人がモグラ叩きみたいに叩かれる必要ってあるの?」と、問題提起をしました。

 そして本人を含めたいくつかの実例を紹介した後で、こんな潔い呼びかけをしています。

「私は先日、偽善だと言われました。偽善だろうが何だろうが、ネットを通じて善が広まるならいいじゃない。どこの誰が人の善意に評価をつける権利があるのですか。例えば私が募金した1万円と、お隣さんの募金の1万円、どっちが偽善?1万円は1万円、その気持ちを知らない人が判断するのは間違ってる。

みんな辛いんだよ、本当にみんな怖くて辛くて悲しいんだよ。
だけどお互いの足ひっぱってどうするんでしょ。
匿名で色々な人のブログに怒りをぶつけて、それで気持ちいいの?
私だったら書き込んだあとも自己嫌悪におちると思う。

地震でも崩れなかった日本のネットインフラじゃん!
みんな誇りをもって有効に使おうよ。
本当にこれが4つ目の悲劇にならないように、、、みんな一緒に上向こうよ。
きれいな景色を見たら、きれいだと思い、いつか行くぜ〜!って思えば?
美味しいご飯を食べている人がいたら、素直によだれ垂らすべ!
楽しく子供が遊んでいたら、無心で笑顔になろうよ。
みんな怖いし、余裕ないんだ、だからネットでおテテつなぐべさ。」

 私も何と言われようが恐れずに、楽しいことは楽しい、嬉しいことは嬉しくて、美しいものは美しい、そんな日常生活の節々を、無理な教訓に落とし込むことなく、自然に書く勇気を持たねばと思います。今週は、私がこちらで取り組み始めた募金活動のことも書くつもりですし、ワシントンの桜祭の様子もレポートするつもりです。

 またもや何まわりも下の若い人たちに教えられた気がします。彼女のメッセージには、またたくまに100名近い人たちから共感のコメントが寄せられています。彼らのコメントを一つ一つ読んでいると、こうした若い人たちの前向きさが、きっとこの国を救っていくのだろうと心強く思います。

 明日はそんなコメントのいくつかをお伝えしたいと思います。その前に少しだけピックアップします。

「被災者でない私たちが、できることを元通りに戻して、普通の生活・仕事をし続けることが復興へ繋がると信じて!!」

「こういう時だからこそ、前を向いて、経済動かしたり人を元気づけたり出来ることをしていかないとね!!」

「偽善から生まれる善もある。偽善で助かる命もある!偽善の定義なんてわからない。偽善者で何が悪い!!」

「今、私たちがすべきことは、被災された方々の心情をはばかりながら自分たちの生活を全うすること。物を買い、消費すること。そうやって日々の生活を通じて、日本の復興の道が開けてくるのだと思う。」

 そして最後に2歳児のパパのコメントを。

「僕も今日で震災ネタで書くのを終わりにします。明日からは楽しいことを積極的に書こうと感じました。」

 ちょっと長くなりますが、最後にもう一つだけ。今日のワシントンポストです。
 昨日から16日間の会期で恒例の「桜祭」が始まりました。新聞は桜色満開です。同時に、日本の海洋汚染を報じる記事と、気仙沼の集団葬の写真が掲載されています。

「昨日幕を開けた桜祭の中で、折鶴を作るコーナーがある。スタッフに教えられて、1枚の平らな紙をねじったり、折ったり、ひっぱったりしながら子供も大人も一生懸命鶴を折る姿が見られる。できあがった鶴は、『To keep them or to donate?』(持って帰りますか、それとも寄贈しますか?)と聞かれ、寄贈された鶴はシアトルの財団へ送られる。ここで一羽の鶴に対して2ドルの募金がつけられて日本へと贈られる。募金は20万ドルを予定している。」

 これも偽善でしょうか?
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3月26日(土):節電メニュー〜フライパンでできるコーンブレッド
3月28日(月):本物vs偽物〜クラブケーキ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:27| Comment(2) | 地震

2011年03月27日

バリー・リンドレーの絵

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 バリー・リンドレーはずっと画家でしたけれど、何が違うかといえば、今は「画家」が職業になったことです。長い間バリーは科学者であり、大学で教える教育者でした。

 私がバリーに初めてあった数年前には、まだ自分をこんな風に紹介していました。

「画家のバリー・リンドレーです。元は大学のサイエンスの教授でした。」

 今バリーに会う人は、こんな風に自己紹介をされます。

「バリー・リンドレーです。画家です。」

 そんなバリーの個展が今、ワシントンDCに隣接する古都アレクサンドリアのギャラリーで開かれています。会期中の今日、画家による1時間半のレクチャーがありました。話し手としてはお世辞にも高得点はつけがたいバリーの、言葉を介しての表現力は、キャンバスの上では何倍ものパワーで花開きます。

 今回の個展のテーマは「WATER MARKS」。旅を続けながら出会った水のある風景を、水彩絵の具の繊細な色と形で表しています。アマゾン、ベトナム、中国、カナダ、アメリカ、カリブ、、、、、

 芸術的な価値云々は私にはわかりません。けれども、好きか嫌いかと問われれば、迷いも泣く「好きです!」と答えます。彼の訥弁さが、優しい能弁となって表れているように感じるからです。

 とりわけ心惹かれたのは、カリブ海に浮かぶ国、バハマのナッソーの海の絵でした。浅瀬にいる男と子どもたち。砂浜に立つ一人の女。防御をする間もなく、それは幸せな家族の風景として飛び込んできました。「海で遊ぶ父親と子供たち、それを見守る母親」という、、、、、

 けれどもそれはすぐに、別の思いに上塗りをされてしまいました。幸せであるはずの風景が、波にのまれた家族を探す人たちの姿に変わってしまったのです。まるでロールシャッハ・テストのようです。1枚の絵が自分自身の心の鏡になります。こんな状態は決して健全とは言えません。

 心惹かれた一枚の絵を友のためにも、自分のためにも買おうと思いました。何とか手の届く金額です。けれども止めました。買った「つもり」になって、それを募金に変えようと思ったのです。

 こんなことを書けば、「偽善者!」という声が聞こえてきそうです。でもかまいません。
明日は、ここらへんの思いをしっかりと書いてみたいと思います。

 こんなこと、めったになかったことなのですが、いつまでも疲れが抜けません。何てことをしているわけでもないのに、ずっと疲れているのです。今日も個展から帰ってすぐに、あまりのだるさに耐えかねて1時間だけ昼寝をすることにしました。それなのに、気づいたら3時間もたっていました。

 自責の念に駆られながら、急いで作ったチャーハンはベタベタ。クラブケーキは黒こげ。「最悪!」と呟けば、こんな言葉は決して口にすべきではないというまたしても自責の念。
 精神が縛られています。
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3月25日(金):マンゴーテリヤキ? オレンジ&醤油?
3月26日(土):節電メニュー〜フライパンでできるコーンブレッド



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2011年03月26日

風のようにやってきて 息のように去って、、、

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 今日のワシントンは「花冷え」という言葉がぴたりとあてはまるような肌寒い一日となりました。そんな日にスミソニアンを歩きました。

 「スミソニアン」と言えば、ワシントンの真ん中の美しい公園に点在する世界最大のミュージアム群です。その数たるや18もあり、いつもどこかで特別展をやっています。しかも、そのほとんどは無料で公開されていますので、散歩の途中や、時間つぶしにちょいと気軽に立ち寄ったりもできるのです。ワシントニアンにとって、ミュージアムは生活の一部です。

 今、その中のひとつ、古代から現代までの東洋美術のコレクションで知られる「アーサー・M・サックラー・ギャラリー」で、面白い展覧会が開催されています。一つは「ECHOES OF THE PAST」と題して、中国のXiangtangshan石窟の仏像の展示、もう一つは、「Shahnama: 1000 Years of the Persian Book of Kings」という、1000年にわたるペルシャの建国の叙事詩です。イラン北東部に生まれた「Firdawsi」がこの詩を書き始めたのは975年のこと、そして1万行の詩が完成したのは35年後の1010年でした。

 面白いのは、マケドニアから小アジアへと遠征し、ペルシャ王国を滅ぼしたはずのアレクサンダー大王が、この膨大な叙事詩の中では「Iskandar(イスカンダール)」と名づけられ、イランのダリウス二世とマケドニアのフィリップ大王の娘との間にできた子とされていることです。「イスカンダールには殺された兄の代わりに、イランを守り支配するという約束があった。」と、いうあたりは、まさに詩人の才でしょうか。故国は決して異邦人の支配化に置かれたのではないのです。

 33歳の若さで亡くなったアレクサンダー大王=イスカンダールの物語を締めくくるのは詩人のこんな言葉です。

「この世にこれほど恐ろしいことがあろうか。
 人が風のようにやってきて、
 人が息のように去ってしまう。
 残された者は、勇気と共に良き生を送らねばならず、
 よく食べ、よき喜びを持たねばならない。」  (英訳からの私の意訳です。)

 外に出たら、私の大好きな中庭が薄桃色に染まっていました。桜かと思ったら、満開の木蓮でした。最後に読んだ詩の一節が思い出されて、ぽとり、またぽとり、涙を落としてしまいました。

 帰りに立ち寄った本屋さんでは、一番目に付く棚に4つの雑誌が並んでいました。

 タイム誌は、泣いている老婦人の写真と共に、「Japan’s Meltdown(日本の炉心溶融)」
 エコノミストは、防護服の男たちが日の丸を持ち上げている絵と共に、「The fallout(死の灰)」
 ニューヨーカーは、散る桜の上に「Japan’s Crisis(日本の危機)」
 ニューズウィークは、津波の写真の上に「Apocalypse now(大惨事)」(apocalypseという語には「この世の終わりの日」と言う意味も、「終末の黙示、啓示」という意味もあります。)

 美しい春の風景には全くそぐわない言葉の羅列です。
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3月25日(金):マンゴーテリヤキ? オレンジ&醤油
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2011年03月24日

花を買い、花を飾る日常への祈り

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 3日目の朝を迎えました。昨夜の雷雨のあと降り続いていた雨がようやく上がりましたが、外はどんよりと曇っています。14階のサンルームから、いつもなら国会議事堂の丸屋寝や、モニュメント(記念塔)の石柱が見えるのに、今朝は視界が薄もやの中に閉ざされています。

 私の頭も、心も、からだも、どんよりと曇っています。薄もやの中にいるように先が見えません。

 離れていれば離れているで、思いはふくらみます。インターネットでニュースを読み、テレビをつけ、新聞を買いに行き、母国を思い続けています。その場にいないもどかしさが、ますます心身を曇らせます。無力な我が身が情けなくなります。きっと夫も、長いことそうした気持ちでいたのでしょう。

 ワシントンで暮すのは夏と冬に決まっていましたから、この時期は私にとって初めてです。冬を通り抜けた後の、さりとて夏の躍動感にはまだ届かぬこの季節を彩るものは春の花々です。チューリップと水仙、そして色とりどりのパンジーが町のあちこちに咲いています。

 もうじき桜も咲き始めるでしょう。今年の「ワシントン桜祭り」の開幕はあさっての土曜日、26日です。日本で桜を見られないことが初めてなら、この町で桜を見るのも初めてです。

 スーパーに行けばすでに復活祭(イースター)の準備が始まっています。移動祝祭日であるこの祭は、今年はいつもより遅めの4月24日です。しかも珍しいことに、昨年に引き続いて今年もまた、西方教会と東方教会の復活祭が同じ日に重なりました。桜から復活祭へと時は流れていくのでしょう。

 駅まで行ってワシントンポストを買ってきました。今朝の8面は「日本の災害」と題して、福島原発の記事、東京の水道水汚染、そして野菜汚染について報じています。子供を背負った若い母親がスーパーのカートを押している写真の下の記事は、客観的に日本の現況を説明してはいますが、同時に、二人の若い母親の言葉をも、一部直接話法の形で紹介しています。

「本当に心配です。いくつものお店をまわりましたが、ミネラルウォーターはすでに売り切れでした。いつ入荷するかわからないというのです。私は母乳で育ててきましたが、そろそろ離乳食を始める時期にきています。水道の水を使えないとなったら、ミネラルウォーターに頼るしかありません。今、ママ友だちとメールを交換し合って、これからの対策を話し合っているところです。とても不安です。」(39歳の女性)

「三人目の子供がお腹に入っています。もし水道水が使えなくなったとしたら、どうしてよいやらわかりません。こんなことが現実に起きるなんて思ってもみませんでした。」(39歳の女性)

 昨日スーパーに行ったついでに、春の花を買って、花瓶にさしました。
 花を買い、花を飾る、、、そんなことが早く日常となる日が来るように、今日もまた祈りを続けます。
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3月24日(木):マンゴーテリヤキ?オレンジ&醤油?
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2011年03月23日

胸に日の丸の学生たち

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 おはようございます。こちらは今水曜日の朝9時になろうとしているところです。NHK WORLDでは、先ほどからずっと東京23区とその周辺の飲料水汚染についてと、福島・茨城産のほうれん草やパセリの汚染についての報道が続いています。ペットボトルがあるはずの空の棚なども映し出されています。

 昨夜は失礼しました。続きを始めます。

 昨日は朝8時に家を出てメトロに乗り、まずはジョージワシントン大学ロースクールを訪ねました。ここに夫のオフィスがあるため、こちらにいる時はよく行き来をしている所です。家にご飯を食べに来るような友人たちもたくさんいます。その筆頭がアソシエイト・ディーンのスーザンです。スーザンについてはこれまでもこのブログに何回か登場していますので、もしかしたらご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。写真後列の左から3番目、えび茶色のスーツを着た女性です。

 めっぽう面倒見がよいスーザンは、ロースクールの学生たちから圧倒的人気を誇っている教授です。口では、「ナオミ、早くテキサスに帰ってゴルフ三昧の生活をしたいわ。」などと言いながらも、独身生活を貫きながら、世界中を飛び回る多忙な生活と、学生たちを育てる仕事に熱意を注ぎ続けています。

 彼女のオフィスを訪ねると、涙を浮かべてハグをしてくれて、早速いつもの弾丸トークが始まりました。「ねえねえ、ちょっとこれ見て!」と、デスクの上のコンピューターの画面を嬉しそうに見せます。そこにはスーザンと7人の学生たちが映っています。

 概要はこうです。日本での地震の報道を受けて、スーザンはすぐに学生たちにメールを出し、日本のために募金活動をするボランティアを募りました。すぐに手をあげてきたのが、アイシャとイヴァンとアレクサンダーの3人の学生でした。
 
 その後すぐにフェースブックを通じて、11人の学生がボランティアスタッフに加わりました。そして驚くべきことには、募金活動を開始してたった3時間で300ドルが、そしてその2日後には2000ドルの募金が集まったのです。募金額はその後も日々増え続けています。

 ロースクールの学生たちの誰もが、その明晰な頭脳で、「今回の日本の状況を救うためには並々ならぬ努力が必要であり、たとえどんな経済大国であろうとも一国の力で立ち直ることはむずかしい。今こそ世界中で支援をすることが必要だ。」と客観的に考えたのです。

 一方で、彼らの中には、机を並べる日本人留学生たちへの主観的思いもありました。今期この名門ロースクールに入学した日本人は30名。8人が学部生で19人が大学院生、3人が聴講生です。

 ボランティアグループはポスターを学内に貼り、募金した人が胸につける日の丸マークのシールも作って、ロースクール内のラウンジに募金デスクを置きました。オンラインで日本の人たちへのメッセージも受け付けるようにしました。500ドルもの匿名の寄付も含め、着々と届く募金は赤十字を通して日本へと届けられています。

 またスーザンの学生自慢が始まりました。

「ね、いい学生たちでしょう。みんな本気で遠い日本のことを思ってるのよ。そんな彼らがこれからの世界を支えていくと思えば少しは希望も持てない?」

 私たちも謹んで募金をし、胸に日の丸シールを貼ってもらいました。

http://gwtoday.gwu.edu/theworld/gwstudentsforjapan

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:56| Comment(0) | 地震

GW支援キャンペーン〜この話、明日すぐに続けます。

 早朝から色々な方々にお会いしていた長い一日となりました。つい今しがた、オークランドからロサンゼルス経由で飛んできたキャロラインをダレス国際空港に迎えに行って、ホテルに送り届けてから帰宅したところです。ついこの間別れた友と、まさかここで再会するとは思ってもいませんでした。

 一人ならこのまま眠い目をこすってでも書き続けるところなのですが、共同生活ともなればそんなわけにも行きません。

 お話ししたかったことはこれです。
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 続きはまた明日、目覚めたらすぐに。
 ちなみにここの時差はマイナス13時間です。日本は今午後の2時になろうとするところ。そしてこちらは深夜の1時になろうとするところ。

 祈りと共におやすみなさい。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:54| Comment(0) | 地震

2011年03月22日

何も変わらない部屋で見る光景

 
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 結局ほとんど眠らないまま、まだ明るくなりきる前に、車のライトをつけて走り出しました。湾岸線の一部区間が通行止めとなっているために、京葉線を抜けて東関東自動車道へと抜ける、いつもとは違うルートをたどりました。

 あれ以来ガソリンを買わないようにしてきました。いつもは車で行く所もペタンコ靴で歩きまわりましたけれど、私の車にはギリギリのガソリンしか残っていません。初めての道だからと言って、迷ってウロウロする余裕はありません。飛行機の時間に遅れることもできません。しかも、あの時 中央高速を走っていたというアケミさんから聞いた言葉が、心の奥底に恐怖となって染み付いています。

「とにかく怖かった。車が自分でコントロールできなくなって勝手に運ばれるようだった。最初はタイヤが外れたのかと思った。そのうち前を走っている車が路肩に止まり始め、地震が起きたことを知ったけれど、止める場所を見つけるまでは走らねばならなかった。」

 途中で雨が降り出し、ワイパーを稼動させながら緊張と共に走り続けた高速道路は、幸いなことにいつもよりもずっと車の数が少なく、道に迷うこともなく1時間半で成田に着くことができました。いつもの場所で車をあずけながら状況を聞くと、

「車をおあずかりする数が増えました。特に外国の方が多くなりましたね。皆様、お帰りは未定ということです。」

 こんな一言からも尋常ではない事態がうかがい知れます。空港のロビーは予想していたほどの混雑ではありませんでしたけれど、各航空会社のカウンターにたどり着くまでには、先頭が見えない長い長い列の最後につかねばなりません。こんなことも初めてのことです。

 特別暗い雰囲気が漂っているわけでも、いらついた様子でもなく、淡々と自分の番が来るのを待つ人たちの中で、幾重にも巻き込んだ短いスカートの制服姿の女の子たちのはしゃぐ姿が浮き立ちます。ぶつかれば「ごめんなさい。」、落とした物を拾ってあげれば「ありがとうございます。」ときちんと言葉を返す高校生たちは、先生に誘導されてワシントンの学校に2週間の交換留学に行くところでした。彼女たちは、曇りも見えぬ明るさで、通常の生活を続けているように見えます。それもまた、私たちの人々が、そしてこの国が、希望を失わずに立ち直るために必要な「あっけらかんさ」なのかもしれません。

 今度ばかりは疲れました。こんなのをたしか日本語では「綿のように疲れる」と言うのでしたね。大学の教室から迎えにとんできた夫も、11日以来の心労で、随分疲れているように見えました。

 いつもはどんなに時差があっても、横になることなどなしにその地の時間に合わせて生活を始めるのに、今回は荷解きの途中でダウンです。小一時間ほど眠ったでしょうか。目覚めた頭は混乱をしていて、自分のいる場所、いる状況がわかりません。からだは鉛のように重くて、不自然な形で顔の上に伸ばした腕を動かすこともできません。あの時以来家にいる間はつけっぱなしにしていたラジオ、何度も階段を駆け上ってつけたテレビ、そうした常習が私の心身に染み付いて、心の痛みがからだの痛みにもなったようです。

 私のこの家は何も変わらず、私の部屋も最後に出た時のまま。窓から見える美しい景色も同じ。けれども、悲しみを湛え続けた心はもう同じ光景を見ることができません。

 こちらでは、NHKで日本のニュースを見ることができます。日本語にかぶせて英語の通訳が入ってしまいますが、映像はそのままです。しばらくはテレビにかぶりつく日々になるでしょう。

 車のトランクに大きなスーツケースを運び込んで、エンジンをかけてから振り返れば、まだ明るくなりきらない中で、ジャスミンの最初の蕾が開いているのを見つけました。地震が起きる4日前に、お能の会にいらっしゃるお客様方のために植えたばかりの花です。ふうっと息を吸い込めば、大好きな香りが少しばかり心を落ち着かせます。

 蕾が開く、そんな当たり前のことにも感動します。そんななんでもないことも希望に繋がります。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:23| Comment(0) | 地震

2011年03月20日

行ってまいります。

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 あの日あの時から9日が過ぎました。海外での報道はかなり過熱状態にあるようで、友人たちの反応もいささか加熱気味です。遠くにいることで、想像力というおまけもつくのでしょう。

 半月前にオークランドの空港で別れた夫も同じです。朝な夕なにアメリカから安否を確かめる電話をしてきます。そのたびに渡米の予定を早めるようにと言われ、そのたびに私は、「大丈夫だから心配しないで。家族をおいて今この時期に日本を離れることはできません。」と言い続けてきました。

「とにかく娘たちを、そして家族を守らねば」とばかり考えて、完全に「母親モード」になっていたのです。まるで私が彼らを守ることができるかのように。我が身を呈してでも子供を守らねば、と言うのは、人間であれ動物であれ、母というものの本能でしょう。

 それが昨日の家族会議で、冷水を浴びたように気づかされました。

「ママが心配だ。安全な所にいてくれれば心配しないですむ。」という発言。これはもう全く立場が逆転しています。いつの間にか私は「守る側」から「守られる側」に転じていたのです。正気に戻って気づいてみれば、娘たちはもう立派な大人。私が両手で抱いて守ってあげていた小さな子供たちではないのです。

 加えて夫の心労を思い、急遽ワシントンに飛ぶ決断をしました。「あなたが今消費している電気やガスや水道や食料、トイレットペーパーにティッシュペーパー、その他もろもろ。その分が誰かに届くでしょ?」と言う友の言葉も、決断に力をつけてくれました。

 そして今しがた、こんな素敵な言葉が、図書館で仕事をしているミツコさんから届きました。私と同じ誕生日の友です。

「今、私にできることは、節電と募金、支援物資を送ること。被災地の図書館で必要とする文献の提供をすること。そして、元気でいること!パートナーに心配をかけないこと!最後のふたつは大事です。ここで私が病気になってしまったら、被災して治療が必要な人の薬を余分に使ってしまう!それはいかん!と思いました。なんて、大げさなと笑われましたが。。。。泣いてばかりいて、食べないでいる私を見ている彼の心配そうな顔があります。
たくさんの涙と嘆きの中、ひとつでも少なくするために私は食べて、顔を上げて、笑おうと思います。波混じりのぐしゃぐしゃの笑顔でも。」

 明日は4時起きです。これからようやく荷造り。またしても徹夜になりそうですけれど、ともかく行ってまいります。そして被災地の皆様のために祈りを続け、あちらで出来ることを一生懸命やってきます。

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3月のグローバルキッチン「赤道を越えて〜ニュージーランドと南太平洋の島々」をご予約くださった皆様へ

本日、皆様に3月の会の延期のご通知をメールにてさしあげましたが、万一お手元に届いていなかった場合のためにこの場を借りて再度ご連絡をさせていただきます。3月25日(金)、27日(日)、30日(水)のグローバルキッチンは延期をさせていただきます。次回の日程につきましては決まり次第お知らせいたします。










posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | 地震

2011年03月19日

緊急家族会議!

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 わが家には昔から「家族会議」というものがあります。定期的に召集されるものではなく、ごく気まぐれな不定期会議です。誰かが言い出した時が開催の時。小さな子供でも意見を言う場を与えられるのは、まるで古代ギリシャの直接民主主義です。

 今日、家族が集合して久方ぶりの「緊急家族会議」が開かれました。家族というのは不思議なものです。たった2つの点だったのが、三角形になり、四角形、五角形、六角形、、、、になったかと思えば、また形を変えて、小さくなったり大きくなったり。頂点を結ぶ対角線も長くなったり短くなったり。

 11日14時46分以来、数え切れないほどのメールや電話が飛び交いましたけれど、全員が顔を合わせたのは今日が初めてでした。嬉しくて嬉しくて、ありがたくてありがたくて、悲しみと痛みの時を経て、共にいられることの喜びはこれまで以上に大きくなったような気がします。

 今日の議題は3つです。
 まずはあの日あの時の自分の状況を語ること。
 今の自分の立ち位置を確認すること。
 そして、未来ある小さな少年を守ること。

 少年には父と母と、5人の祖父母と、2人の叔母がいます。それら9人の大人たちが、今一丸となって彼を守ろうとしています。どうしたら安全な環境に身をおくことができるだろうか、どうしたら繋がった命を未来に広げていくことができるのか、を、みんな一生懸命に考えています。

 神戸女学院大学の内田樹教授がこんなことを言っています。「危機的状況では、リスクを過小評価するよりは過大評価する方がいい。避難が無駄になっても責める人はいない。何事もなくてよかったね、と喜べばいい。」

 いまなお苦難の中にいる被災地の人たちのために祈りを捧げながらも、そんな言葉を噛みしめて、たとえ一時離れ離れになろうとも、それぞれが安全な場所に身をおくために勇気をもって一歩を踏み出すことができるよう、今日の私たちは真剣に話し合いました。

 家族全員のパソコンにスカイプをインストールし、ウェブ上に「家族伝言板」を作りました。

 そんな話し合いが行われているとはつゆ知らず、当の小さな少年は、日増しに増えていく語彙を駆使して会議の進行を妨げます。

 どうか、私たちの国の未来を背負い、希望を担う子供たちに祝福をお与えください。
 どうかもう、これ以上の惨事が起こりませんように。
 どうかこの子たちの未来に光がさし、美しい花が開きますように。

 ところで、一昨年までご一緒に仕事をさせていただいていた久米小百合さん(久保田早紀さん)と、ジョシュア佐佐木さんが「東日本大震災」被災者の方を支援するために、「LOVE EAST」プロジェクトを立ち上げましたのでご紹介をいたします。よろしければぜひご協力ください。

「LOVE EAST」プロジェクト
<活動内容>
1) 現在、被災地では物資が圧倒的に不足しています。多くの教会から物資を運んでほしいとの要請が来ています。もちろん、行政の方でも物資を運んでいますが我々は被災地のキリスト教会にピンポイントで物資を送ります。つきましては、物資調達をお手伝い下さい。物資の送り先は、

〒121-0807
東京都足立区伊興本町2-1-10
「神の家族主イエス・キリスト教会」田島実牧師宛
tel 03-5837-4490 fax 03-5837-4491
http://www.kaminokazoku.com/
この教会で中継して東北に輸送します。(海外のキリスト教会関連団体からも物資が届けられます。)

送って頂きたい物資
ペットボトルの水、お米、トイレットペーパー、歯ブラシ、サニタリー用品、毛布、衣服、カセットコンロとカセットボンベ、御菓子、食料、常備薬類、ホカロンのような簡易のカイロ、自転車(ガソリンが無いので)、灯油用のポリタンク・・・・などです。
全部新品でお願い致します。(自転車は除く・但し完全な状態のもの)

2)物資供給が安定するころ、タイミングを見計らい「チャリティーコンサート」を行い義援金を募ります。多分4月中になると思われます。その前に義援金を個人的に送りたい方は、ワールドヴィジョン、日本赤十字、その他の機関を通じて行ってください。
また、「LOVE EAST」プロジェクトをとおして物資調達のために義援金を送って下さる方は下記の口座にお願いします。全額を物資に変えて東北に送らせて頂きます。
りそな銀行 立川支店 普通 1923230 「東京ワーシップ企画」

3)被災地の状況が少し落ち着いてきたら、避難所や仮設住宅暮らしを余儀なくされる
被災者を励ますために、現地に入りコンサートや必要なお手伝いなどを行います。
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3月18日(金):あるものだけで「サウスシーパンプキンスープ」
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2011年03月18日

知らなかったことばかり

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知らなかった
マスクをかけると
メガネが曇るなんて

知らなかった
吸ったりはいたり 
こんな風に息をしていたなんて

そういえば 娘たちがまだ小さな赤ん坊だった頃
あんまりぐっすり眠っているので 心配になって
手鏡を顔にかざしてみたら

まあるい鏡に ふわっと小さな霧がかかって
命が呼吸をしているって
こういうことなんだと 嬉しくなった

知らなかった
電気を消して入るお風呂が
こんなにロマンチックなものだなんて

お湯の温度を示す 液晶の数字が
水面でゆらゆら揺れて 
ニュジーランドで見た 洞窟のツチボタル

知らなかった
みんなが こんなにお節介だったなんて
一生懸命 他人のことを考えてる

遠い国のことなのに
「いつでもおいで。My home is your home.」
なんて言ってくれる友がいて

「You are in our thoughts and prayers each and every day.
We go to sleep and wake up thinking of Japan in this dark hour.」
なんて本気で言ってくる人たちがいる

暖房をつけなくたって ぐっすり眠れることも
携帯電話で話せることが こんなに嬉しいってことも
涙の量が 無尽蔵だってことも
知らなかったことばかり

私たちが流す涙が
ガソリンに変わればいいのに
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3月18日(金):あるものだけで「サウスシーパンプキンスープ」
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2011年03月17日

特別な誕生日

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 1923年9月11日の土曜日、関東大震災が町を破壊し、焼きつくし、たくさんの人々の繋がりを断ち切ってしまいました。私の父は、その半年前に生まれました。3月17日のことでした。毛布にくるまれた生後半か月の赤ん坊を片手で胸に抱き、もう一方の手で幼子の手をひいて、落ちてくる火柱の間をひたすら走り続けたという祖母の話を、子供心によく覚えています。

 大震災も戦争もくぐりぬけて時は流れ続け、父が生まれて27年後の同じ日に、私がこの世に生を受けました。今日は父の誕生日であり、私の誕生日です。

 志半ばにして53という若さで他界してしまった父は、物静かな優しい人でした。私は父の怒った顔というのを見たことがありません。経営していた会社が立ち行かなくなって、今度は人に使われる身となっても愚痴ひとつこぼすでもなく、黙々と私たち家族のために働き続けました。これと言った贅沢もせず、唯一の楽しみと言ったら、仕事から戻った夕食の席での晩酌と、たまの日曜に私たち姉妹ばかりか隣近所の子供たちを引き連れてデパートの食堂に行くことでした。

 子供ながらに親の懐具合を心配し、「さあ、何でも好きなものを注文しなさい。」と言うのを一番安いラーメンに決めると、それが運ばれて来る時には、なぜか具がたっぷりとのった五目そばに変わっていました。父は自分の子供だろうが、近所の子供だろうがわけへだてをすることなく、みんなに五目そばを食べさせては、そんな様子をニコニコと実に嬉しそうに眺めていました。食べ終われば、次は緑色の液体の上に白い半球型のアイスクリームが浮かぶクリームソーダがやってきて、子供たちに歓声を上げさせました。

 そんな賑やかで嬉しい外食のテーブルで、いつも自分は何にも食べずにただニコニコとしている父に、無邪気に聞いてみたことがあります。「おとうさん、どうして食べないの?お腹すいてないの?私の五目そば、半分食べる?」。すると父が答えました。「いらないよ。おとうさんはね、みんなが食べているのを見るのが好きなんだよ。」

 父の母、つまり私の祖母もそんな父によく似ていました。明治生まれの女には珍しく、未亡人になってからは事業を起こして、女手ひとつで3人の子供を育て上げました。勝手口からつながった台所の板の間に、知らない人が座って祖母と何やら話していることがよくありました。何度もお辞儀をしては客人が去っていくと、母が、「また、返ってもこないお金を貸しちゃって、、、、」といつも呟くように言いました。子供の私は、ある時思い切って祖母に聞いてみました。「おばあちゃん、どうして返ってこないのにお金を貸したりするの?」。すると祖母がおだやかな笑みを崩さずにこう答えました。「おばあちゃんはね、お金を貸すのが好きなの。」

 たぶん父はそんな祖母の遺伝子を受け継いでいたのでしょう。私はそんな祖母の孫であり、そんな父の娘であることを誇りに思います。そして、そんな遺伝子は私と妹の中にも、私たちの子供たちの中にも生き続けているように思えることがあります。

 それにしても特別なお誕生日となりました。切なくて、悲しくて、痛くて痛くてどうしようもない心と共に、私の新しい一年が始まりました。それでも痛みを感じられるというのは、とりもなおさず生きていることの証です。ありがたいことです。

 友人が紅白の桜もちを届けてくれました。「今年はこれで我慢してね。」と言いながら。
嬉しくて、白を父に、赤を私にと決めて、父と一緒に食べようとしたら、「いらないよ。おとうさんはね、おまえが食べているのを見るのが好きなんだよ。」という声が、また聞こえたような気がしました。おとうさん、お誕生日おめでとう!

 昨日成田を発ってアメリカへと向かった友人から緊急報告が届きましたので、かいつまんでお知らせします。

「出国時の成田は大パニックでした。いつもならのんびりした雰囲気の噴水前はまる
で野戦病院のようです。フランスに帰る人々が、ともかく空港に入り、キャンセル待ちを続けています。あちらこちらに野宿して捨てていった毛布が散乱しています。エアフランスのチェックインは、数キロにものぼる長い列をなし尋常ではありません。

海外メディアの伝え方は、日本の100倍もシリアスに伝えていると思えるぐらいです。これでは、日本に住む外国人の方々がおびえて大騒ぎするのも解せました。ただ、成田の様子を見ていて、尋常ではないものを感じたことも事実です。しばらく娘をアメリカに疎開させようか、と思うほど、成田の様子は異常でした。」
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3月17日(木):つつしんで、一足早いバースデーランチ
3月18日(金):あるものだけで「サウスシーパンプキンスープ」
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2011年03月16日

信じられるのは、信じなければいけないのは、、、、、

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 いつものように駅までの道を歩けば、いつものように青い空が白い雲を浮かべ、春の光が降り注いでいます。去年の今頃も、一昨年の今頃も、きっと同じように咲いていたであろう鮮やかな黄色のミモザの花が、今年もまた、今を盛りと頭を垂れるように咲き誇っています。

 もしかしたら私は、ひとりで勝手に長い夢を見ていたのでしょうか。
 もしそうだとしたら、どんなに、どんなにいいでしょうか。

 帰る頃には冷たい風が吹き出して、冬に戻ってしまったかのように身がすくみます。
 何百キロか離れたその地では、今、凍えるような雪の中で、たった1枚の毛布にくるまって、命を繋いでいる人たちがいったいどれほどいるのでしょうか。孤立した人たちには毛布すらないでしょう。

 そしてそんな無数の人たちのために、あれ以来、夜も昼もなく身を削って働いている人たちがいます。

 ラジオが繰り返して、明日の日の出の時刻を報じています。

「札幌では5時45分、仙台では5時46分、東京は5時50分、大阪は6時7分、福岡は6時27分、、、、、、那覇では6時37分。」

 何があろうと、どんな時だろうと、どこであろうと、日が昇ります。それを希望に結びつけるのはあまりに安易でしょう。絶望の最中にいる人たちの中には、寸分変わらぬ自然の営みに、人間の無力を感じる人たちだっているでしょう。

 さまざまな情報が錯綜しています。チェーンメールのように、次から次へと情報が届けられます。被爆地となるかもしれないと、すでに東京を離れた友もいます。日本を離れて母国へと急ぎ帰国する人たちも増えています。「危ない!」と言う人もいれば、「大丈夫!」と言う人もいる。いったい何を信じたらいいのでしょう。

 ただ1つ信じられるのは、信じなければいけないのは、実際にこの悲劇のさなかにいる人たちの言葉です。それらは、より多くの人々に聞いてもらわねばなりません。私はチェーンの1つとなって、今、8ヶ月になった爽空ちゃんのママ、岩手のCaoさんが書いた言葉をここに記します。どうか最後までお読みください。

2011年03月14日(月) 23時01分00秒 『助けて』
みんなありがとう。生きてるよ、
大丈夫、cao生きてる。
いっぱいいっぱい
みんなも動いてくれて・・・
ありがとう。

みんなあと少しだけ、
少しだけ
パワーわけてください。

北上の病院へ移送されました。
病院へ着く少し前から
爽空の意識がありません
怖い
おっぱいもう出なかった
身体中、寒かったはずなんです
おむつも服も
何も変えてあげられなくて、
おっぱいも泥まみれだし
流れてる木とか家とか柱とか、
いろんな物に当たったし
全身傷だらけ
3日間、暖房器具なかった
本当寒かった
それでも、
やっとここまで来られた

ひたすら抱きしめていたけど
私の身体も泥水だらけで
冷たくて・・・

怖かったよね
寒かったよね

腕の中で
ドンドン弱くなっていく爽空が
本当に怖くて
今、別室で
やっと助かったの
お願いします
助けてください
やだよ
連れてかないで

生きる気力をわけてください・・・

2011年03月15日(火) 22時27分16秒 『伝えたい』
本当に本当に本当に本当に・・・
みんなありがとう。
まだ、爽空は目を覚ましません。
がんばれ
・・・がんばれ!!

肺炎になっていて
体温も運ばれた時は
33.0゜でした

本当に冷たくて・・・
こんなにも小さな手で
全身震えさせながら・・・
必死でcaoの服を掴んでいたんです
爽空の口にも泥水が
たくさん入って
本当に怖くて
ドンドン人が流されて
たくさんの人叫んでて
怖くて怖くて
みんなが助けを求めてて
爽空も必死に生きようと
何度も息が出来なくなって
それでも必死で咳を出して
嘔吐をして・・・

小さな身体で
一生懸命生きて、生きて、
生きてくれて・・・

まだ治療室だけど、
大丈夫!!
絶対絶対この子は生きてくれる!!
だから
みんなも信じてください。
また一緒に笑える日が
来ることを
祈っていてください。

ねぇ、爽空??
また「まんま〜」って
笑いかけてくれる??
爽空は甘えん坊の
女の子だもんね・・・^^*
大丈夫、
caoはずっと側にいるよ。

病院へ来て、
初めて目にする世の中の状況に・・・
言葉がありません。
自分がいた悪夢のような現実
生きていられたことが奇跡で・・・
本当に。
今もまだあの状況下に
たくさんの人達が
助けを求めて待っています

ヘリの音がすごいんです
助けを求めている声が消されるんです
どうか・・・
どうか一台でも減らしてください
ヘリに手を振って
サインを送ったんです
でもヘリは
別の場所へ遠ざかっていきました
今思えば
報道のヘリだったのだと
わかります。
でも、それが
その行動が
どれ程!
どれ程被災者に絶望を与えるのか・・・
本当に本当に・・・
生きる気力がなくなるんです
どうか・・・
どうかインタビュアーさん、
被災地へ行き来出来る余裕があるのならば、
その移動車で
被災者を運んでください
食料を、おむつを運んであげてください

報道されていない現実
現状がたくさんあります

私達がいた避難所
・・・というか、
生き残った建物の上。
一切テレビに映りません。

テレビに出ている専門家たちの声。
-寝て、少しでも体力を温存してください-
寝られるわけがないんですよ。
寒いんです!
余震がすごいんです!
現地の状況はそんなもんじゃない
テレビに映っている
避難所はまだいい場所ばかりです。
まだまだ物資が行き届いていない避難所、
避難所とさえも呼べない
"かろうじて避難している場所"
で助けを待っている人達が
たくさんいます

メディアの皆さん、
生き延びたみんなを!
避難所をもっと映してください!

停電する事に対してどう思いますか?
とか
政府の対応が遅い事にどう思いますか?
とか・・・

心配している人達が
連絡がまだまだ取れない人達が
たくさん、たくさん!いるんです
みんなも突然の停電や
交通不便で
すごく大変だと思う・・・

でもどうか、
協力してください

まだまだ
まだまだ・・・
水がなく、暖房も効かず、
電気もつかない真っ暗闇で
助けを求めている人がたくさんいます
本当に怖いんです・・・
本当に寒いんです・・・
外は雪が降っています。
どうか命を
助けてください・・・
仙台の家族の安否
未だ連絡がつきません。
どうか生きてて!!

みんな
すごく心配してくれて
ありがとう、
本当にありがとうございます・・・

caoのblog、
みんなで広めてくれたんだね
caoの声、
みんなで受け止めていてくれてたんだね
soulaの笑顔、
読み返して見てくれたってね
ね??
とってもラブリーな笑顔で
笑ってくれるんです。
また笑って・・・
また一緒に笑おう??

たくさんのコメント
メッセージ
本当に嬉しくて
有り難くて
励まされて
涙が出ます・・・
必ず一人一人に
返事を書きます
もう少しだけ
待っていてください

首都圏でも、
節電してくれていたり、
みんな助けてくれて
ありがとう・・・

私達が搬送された時、
ロビーは人で溢れかえっていました。
caoなんて
まだまだいい方なんだ
生きていられたんだから!!

みんな大変なんだ
みんな辛いんだ

被災者だって辛いけど
ニュース見て何も出来ないって
そんな自分が悔しいって
みんなだって辛いんだよね・・・
突然の停電や、混乱・・・
みんなだって大変だよね
それなのに、
こんなに沢山応援してくれて
みんな本当ありがとう
みんなのその気持ちが
私たち東北人に
どれ程パワーをくれているか!!
みんながパワーくれてるんだ!!
大丈夫!!
東北人は強ぇんだ!!

爽空、生きろ!!

絶対また笑える!!

いつか必ず
みんなのところへ
会いに行くよ!!

その時は
最大級のhugsをしよう!!

だからみんなで
がんばっぺ!!

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3月16日(水):ニュージーランドのSUSHI人気!
3月17日(木)予告:つつしんで、一足早いバースデーランチ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | 地震

2011年03月15日

優しさの連鎖

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 「被災日本人のマナー 米紙称賛」
 それは、たび重なる被害や、不安や悲しみや絶望や、目の前に突然立ちはだかった壁の厚さなどを報じる今朝の紙面の中で、ともすれば見落としてしまいそうになるぐらいの小さな記事でした。

 アメリカのロサンゼルス・タイムズ紙が、「非の打ち所のないマナーは、まったく損なわれていない」という見出しで、私たち日本人を、「巨大な災害に見舞われたにもかかわらず、思いやりを忘れない。」と称賛しているというのです。

 たしかに略奪があるわけでもなく、混乱の中でも秩序を保ちながら助け合っている被災者の方々の姿は、涙と誇りなしには見られません。瓦礫の中から救助された老女が、担架の上から「すみませんねえ。ご迷惑かけちゃって。」と救助の人たちをねぎらう姿。被災者の男性たちが冷たい雨が降る吹きさらしのテントの中で、

(22:31 机の下にもぐりました。かなり強い横揺れです。静岡県東部で震度6強だそうです。)

みごとな分担作業で、同じ建物で過ごすたくさんの被災者仲間のために炊き出しをしている姿。

 「英紙『がんばれ日本』」という小さな見出しの記事では、イギリスのメディアの日本人評が紹介されています。「がんばれ、日本。がんばれ、東北」と1面に大きく日本語で書かれた13日付けのインデペンデント紙。「日本、みなさんは一人じゃない」と、これまた日本語で1面の題字下に書いてくれたデイリー・ミラー紙。同紙は被災地ルポを掲載し、「泣き叫ぶ声もヒステリーもない。日本人は黙って威厳を持ち、なすべき事をしている」と伝えたそうです。

 今日も一日中涙ばかり流していましたけれど、悲しみや無念の涙ばかりでありません。人々の優しさへのたくさんの涙も流しました。

 一番近いコンビニに牛乳を買いに行ったら、支払いを済ませたはずの、髪を金色に染めたオニイサンが戻ってきました。「忘れ物?」と思ったら、ぶすっとしたままレジ前の透明の募金箱に千円札を入れて、またオートバイに戻っていきました。

 ワシントンの友人たちが日本の被災者の方々への祈りのために集まって、「みんな一生懸命応援してるよ!」と、笑顔の写真を送ってきてくれました。しかも、「みんなで義捐金を送るから、私たちを一番よく知っている日本人のあなたの手で、あなたが一番いいと思う所に届けてくれる?」と言って。

 近所に住むミチヨさんが、お昼時にまだ暖かいコロッケサンドとクロワッサンを持ってきてくれました。「神戸屋にパンを買いに行ったらすごい行列。どうせ並ぶならナオミさんの分も買っちゃおうと思って。」

 お隣の若夫婦が、「叫んでくれたらすぐに飛んでいきますからねえ!」

 人を思う優しさが、国を越え、世代を越え、連鎖の輪となって広がっているような気がします。そんな優しさがある限りきっと希望もあるはずです。

 
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3月15日(火):ビールと言っても、、、、、
3月16日(水):ニュージーランドのSUSHI人気!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | 地震

2011年03月14日

それぞれの使命 それぞれの役割

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 14時50分から17時半までと予告されていた計画停電も、需要が供給を下回ったということで実施されずに終わりました。けれども相変わらず、交通機関は麻痺状態が続いています。小田急線も、新宿と経堂の間を往復するだけで、私の住む駅までは来てくれません。結局は今日も一日、ラジオを聞いたり、テレビを見たりしながら家の中で過ごすことになりました。

 無線ランのルーターが私の書棚の上にあるのですが、この赤い玉子のようなものにびっくりするような機能が付いていることがわかりました。こんな事態にでもならなければ、気づかなかったことです。

 この赤玉子が地震予報をしてくれるのです。今日もアラーム音の後に、2度ほどこんな声が発せられました。

「30秒後に震度3の揺れがあります。」
「すぐに震度3の揺れがあります。揺れが続いている間は、身の安全を確保し、落ち着いて行動してください。」

 言われるままにすぐに机の下にもぐりましたが、幸いたいしたこともなく過ぎました。こんなこともあろうかと、今朝起きてすぐに、ゴチャゴチャだった机の下を大整理して、掃除機をかけて、私が篭城できる空間を作りました。これもまた、こんな事態にでもならなければ、いつまでもゴチャゴチャ状態のままだったことでしょう。

 涙が出るほど嬉しいのは、昨日から今日にかけてぞくぞくと世界各国からの救助隊が到着していることです。アメリカ、中国、韓国、シンガポール、ドイツ、スイス、ロシア、オーストラリア、そしていまだ打撃から立ち直れていないニュージーランドまでが、到着早々危険区域に立ち入って救助活動に携わっています。飛行機に乗ってやってきた犬たちの姿も見られます。

 「日本には私たちの国の災害時にお世話になりましたので、救助を差し向けるのは当然のことです。」などと、一国の首相が淡々と語る言葉を聞いていると、この時ばかりはイデオロギーも宗教も民族も関係のない「同じ星に生きる仲間たち」の連帯を感じます。

 これら10カ国だけではありません。これまでに91の地域や国、6つの国際機関が救助隊の派遣や、救援物資についての申し出をしてきてくれているそうです。91と言えば、決して裕福な国ばかりではないでしょう。まさかと思う国々が、液化天然ガスの自国分を私たちに振り分けようともしています。私たちはそれらの気持ちをきちんと受け止め、私たちの将来、世界の未来に繋げていかねばなりません。

 昨日の思い悩む私のブログに対して、2人の若く聡明な友がこんな言葉を届けてくれました。目が覚めた思いです。

「直美さん、心ある人が自分の命を守り、落ち着いてから復興に尽力するということも必要なことだと思います。私は、直美さんがもしワシントンに行く事が出来るのならば、行かれても良いと思います。なぜならば、復興が必要な時に、身を呈して人を助けることの出来る人には生き残って欲しいからです。」

「亡くなった父が重病で最後の入院をしている時、ナースステーションが近かったため、医師や看護師さんの笑いさざめく声が病室に響いてきました。デリカシーがないなと感じながらも、この方々にはこの方々の生活があり会話があるのだからと思って、父の容態を見守ることに集中しました。

人には人それぞれの世界があり使命があり役割があるのですから、いつもの直美ちゃんのように、情をかけて共感する優しい心を大切になされば、窮屈なまでに過度の自粛をなさる必要はないのではないかと思います。」
 
 二人とも、本当にありがとう。そう、私たちそれぞれの役割はさまざま。不器用な自分の無力さをもどかしく思って自己嫌悪に陥るのではなく、いつか自分に与えられた役割を果たすべき日を信じて生き続けていくこと。そんな大切なことに気づかせてくれて本当にありがとう。

 地震が起きた日の4日前に買った百合の花が、1つまた1つと蕾を開き、まるで何事もなかったように咲き続けています。おのが役割を全うするその律儀さが、いつもと同じように窓から差し込む光の中で、なんだかやけに健気に見えます。
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3月14日(月):友のおかげで「自給自足サラダ」
3月15日(火)予告:ビールと言っても、、、、、
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:28| Comment(2) | 地震

2011年03月13日

今わたし達にできること

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 何をしていても後ろめたいのです。一日に小さなおにぎり1個とバナナ1本しか食べられないという避難所の人たちのことを聞けば、不要なものまでぎっしり詰まった冷蔵庫を開けるのも後ろめたいのです。ましてやおいしいものを食べて、満腹になったりすれば、まるでいけないことをしたかのような気になります。

 洗い立ての清潔な肌着を身につけるのも、お風呂に手足を伸ばしてゆっくりと温まるのも、みんな申しわけないのです。書こうと思ってためていた楽しいことをブログに書くこともはばかられます。

 春の日曜日、今日は拡大家族で賑やかにイチゴ狩りに行く予定でした。前々からどんなに楽しみにしていたかしれません。もちろん中止です。だからと言って外出をすることもできず、ポカリと空いた時間を「それならこの際、書かねばならない原稿でも」などと思ったって、一日中、右耳は机の上に載せたラジオの方に向いています。とてもクリエイティブな頭にはなれませんし、集中もできません。本を読み始めたって、途中で何度も中断します。

 何をしても心苦しいし、何にもしなければしないでまた心苦しいのです。いったいどうしたらよいのでしょう。

 計画停電の第一報が娘から届きました。23区は対象外などとも聞いていたので、あわててネットで詳細を調べようと思っても、アクセス集中で繋がりません。何とかわかったことは、私の住む場所は4グループで午後1時50分から7時半。そこまでたどり着くのに随分時間がかかりました。いったいこんな急な情報が、全ての人にどうやって伝わると言うのでしょう。ネットを常時使う人ばかりいるわけではありません。

 けれども、やっとこれで少しばかり後ろめたさが救われました。何百分の1とは言え、共に不便を担うことができるのですから。そんな思いでいたところに、5グループに割り当てられた友から、「午後6時20分〜10時です!孫たちと過ごすキャンドルナイトもまた楽しいかも。」と言うメールが届きましたので、珍しくすぐに「不謹慎です!」と強い言葉で返事を送ってしまいました。

 地震が大の苦手という親友の紀子さんは、明後日から仕事で台湾へ飛ばねばなりません。
「2月の初めからの予定ですので、気が重くても仕事の相手がある以上は、そして飛行機が飛ぶ以上はキャンセルできなくて。」と、重症で喘いでいるような母国を離れることに複雑な気持ちでいます。楽しみにしていたヨーロッパへの旅行を取りやめた友もいます。明後日の夜にミッドタウンにジャズライブを一緒に聞きにいくはずだった友からも、「切符は無駄になるけれど、やっぱりこの際自粛しようね。」と連絡が入ったばかりです。

 朝に夕に日本の被害の模様が報道されているアメリカの夫からも、「一日でも早くこちらに飛んできなさい。」と再三言ってきますが、その度に「NO!」と言い続けています。私は今、瀕死の母国を離れることはできません。家族や友を残して自分だけが安全な場所に移ることなどしたくもありません。

 以下に転載するのは、あるワーキングマザーのブログからです。ちょっと長くなりますが許可を得てここに貼り付けます。「何をしても、何をしなくても後ろめたい。」などと言って、結局はタラタラとしている私をとっくの昔に越えて、若い人たちは、こうして具体的にパワフルに動き出しています。そして大きな渦へと広げています。写真もついでにお借りしました。

同じ母としてできることってなんだろう?
ミルクや紙おむつが足りないと聞けば、送ってあげたいと強く思いますが、個人で物資を送ることは、かえって混乱を招くこととなります。今、私たちにできること。それは、募金という形での支援ではないでしょうか?オンラインでの入金できるサイトです↓

Yahoo! 基金
Yahoo!ウォレット、もしくはYahoo!ポイントを使って募金が可能。
Yahoo!ウォレットの募金額は500円〜10万円で、こちらで募金すると専用の壁紙をダウンロードできる。一方、Yahoo!ポイントの場合は、1〜10万ポイントを募金でき、1ポイント1円で換算されて拠出される。募金サイト: http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html

GROUPON
募金は一口200円。ユーザーから募金を受け付けると、同額をグルーポンも拠出する仕組みになっているため、実際は一口あたり400円が寄付されることになる。
募金サイト: http://www.groupon.jp/cid/7995/dtype/main

@nifty
壁紙を購入すると、その売上げが全額募金に回される。購入金額は、525円、1050円、3150円、5250円、1万500円から選べる。 募金サイト: http://donation.nifty.com/tokusetsu/

goo
壁紙を購入すると、その売上げが全額募金に回される。金額は100円、500円、1000円、5000円、1万円から選べる。支払い方法は、クレジットカード、ちょコム、楽天銀行のいずれか。
募金サイト: http://special.goo.ne.jp/donation_earthquake/

T-SITE
TSUTAYAカードのTポイントを使った募金が可能。1円単位で募金ができる。
募金サイト: http://tsite.jp/donation/index.pl?xpg=PCTC0202&bokin_id=88&scid=p0224dnt

ソフトバンクモバイル
「白戸家のお父さんデジタルコンテンツ」を購入すると、その売上げが全額寄付される。
商品は105円、315円、525円の3種類が用意されている。購入方法は、「Yahoo!ケータイ」トップページ→「お知らせ」→「東北地方太平洋沖地震義援金受付」で、「白戸家のお父さんデジタルコンテンツ」を選択。
なお、ソフトバンクでは、ソフトバンクチャリティダイヤル「*5577」も用意しており、こちらの音声メッセージを聞いて募金することもできる。
募金サイト: http://info.mb.softbank.jp/f/disaster/touhoku/index.html

mixi
募金向けミクコレ「支援ミクコレ」を販売。50pt(50円)と100pt(100円)で2種類ずつ用意されている。
なお、支援ミクコレでは、ユーザーからの募金額と同額をミクシィが拠出するため、実際は50ptで100円、100ptで200円が募金される。支援ミクコレは、mixiモバイルからのみ利用可能。
お知らせ: http://mixi.jp/release_info.pl?mode=item&id=1284

GREE
GREEのオリジナルアバター「GREEボランティア」を購入すると、その売上げが全額寄付される。
金額は、100〜1万ゴールドの間で任意に選択可能。1ゴールドあたり1円で換算される。
お知らせ: http://www.gree.co.jp/news/press/2011/0312.html

モバゲータウン
モバゲータウンで、災害義援金向け専用アバターを販売。その売上げが全額募金に回される。
購入方法は、モバゲータウンのトップページで「災害義援金を募集しています」をクリックし、モバゲー募金コーナーで「義援金用アバター」を選択。金額は、100円、500円、1000円から選べる。
お知らせ: http://dena.jp/topics/2011/03/post-15.php

アメーバピグ
アメーバピグで募金対象アイテム「東北地方太平洋沖地震募金風船」を販売。
10アメゴールド(10円)から購入できる。同アイテムを購入すると、その同額をサイバーエージェントも拠出するため、実際には倍額が募金されることになる。購入は、アメーバピグの中で、おでかけエリアから「地震情報交換」エリアを選択。各エリアに設定されているアイテム販売機から行える。
お知らせ: http://www.cyberagent.co.jp/news/press/2011/0312_1.html

うまくリンクが張れず、サイトのアドレス表示になっていますが、各自コピーしてサイトへ飛んでください!

一人でも多くの命が助かりますように・・。
震災にあわれた方に一刻も早く笑顔が戻りますように。
これ以上被害が拡大しませんように。
どんな言葉で祈っても足りないほどですが、一人一人の協力が、大きな力へ変わることを信じて・

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3月11日(金):NZ最後の夜はやっぱりWHITEで
3月14日(月)予告:自給自足への憧れ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | 地震

2011年03月12日

繋がっていることのありがたさ

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 食料の補給と懐中電灯を買うために外に出てみれば、寒さこそまだ残るものの、おだやかな優しい陽ざしにあふれた町には、どこからか沈丁花の香りが運ばれてきます。昨日2時46分に始まった一連のできごとが、まるで悪い夢を見ていたかのようです。本当に、これが夢だったのならどんなにいいでしょうか。けれども、「安全点検のために閉店」という看板を掲げて閉まっている店も多く、開いている店でさえ閉店時間を早めている現実を目の当たりにすれば、そんな願いもむなしく夕焼けの空に消えていきます。コンビニの棚にパンはなく、レトルト食品なども残りわずかになっています。懐中電灯はどこに行っても売り切れでした。

 次々と追い討ちをかけるように、悲しいニュースが飛び込んできます。被災地の皆様の心を思えば、ヌクヌクとお風呂に入ることのできることすらも、申し訳なくてたまらなくなります。

 東京は今日になって、携帯電話もメールもほぼ正常に機能するようになり、友人たちの様子が届くようになりました。

 友の一人は、昨日、浜松町で仕事をしていました。自宅に残してきた犬が心配だという、同じ方面に住む教え子の生徒さんと二人で浜松町を出たのが夕方の5時。二人は六本木を通って渋谷へと出て、ひたすら歩き続けました。六本木の通りは、すし詰めになったバスが何台も、動きもしない渋滞の車の列の中に見られました。二人はいくつものバスを追い越して歩いて行きました。吉祥寺に着いたのは、5時間後の10時だったと言います。

「こうなると頼るのは足よ。私は毎朝『早朝ウォーキング』をしていたから平気だったけれど、普通の人だったらかなりきつかったと思うわ。公衆電話もトイレもすごい行列。東急デパートのトイレに並んでいたら、シャッターを下ろした後なのに、従業員の人たちが3人ずつまとめては、従業員トイレに案内してくれた。」

 一緒に歩いた生徒さんのゴールデンレトリバーは、家にたどり着いた時には、心肺停止で亡くなっていたそうです。

 銀座で仕事をしている友人からは、こんなメールが届きました。

「昨晩銀座では、古いビルにヒビが入るなどが相次ぎ、消防車がフル出動。私もビルから出られず21時過ぎにようやく解放され、徒歩にて帰路につきました。」

 姪っ子は恵比寿で一晩足止めとなり、横須賀の家に帰宅できたのは今日のお昼となりました。

 (今ここでまた余震。机の下にもぐりました。)
 
 私のギリシャ語の生徒さんだった方も、昨日最初の地震が起きた時、日本橋三越の中にいました。交通機関が再開するまで三越が保護をしてくれ、全員分の椅子を用意してくれたばかりか、夜中近くには手作りのおにぎりまで配ってくれたそうです。

「店員さんが皆さん良くして下さって恐縮しました。そのまま泊まることもできましたが、飼い猫が心配で、夜中に半蔵門線が再開したのを機に帰ることにしました。家に着いたのは夜中の1時40分でした。猫は無事でしたが、家の中は部分的にめちゃくちゃでした。」

 まだまだあります。もう少し続けさせてください。

 尊敬する大先輩も都心で仕事をしながら交通機関の回復を待ち、大混雑だった大江戸線をさけ、日比谷線、丸の内線、都営新宿線と乗り継いで1時間半、深夜の2時半頃に自宅に帰り着きました。

「これだけで済むといいのですが、この後が大変でした。自宅の3つの食器棚が前倒しになり、大事に集めた伊万里焼きやコーヒーカップのコレクションなどがほぼ全滅でした。勉強部屋の本棚も半倒しで本等が床に散乱し、文字通り足の踏み場がなくショックでした。瀬戸物やガラスを整理するのに1日かかりました。棚はマンションの方と管理人さんが助けてくれて、その後友人が片付けを手伝いに来てくれました。二人でやっても居間で1日かかりました。勉強部屋は未だに惨憺たるものです。でも、こんな状態になった部屋に一人でいなくて良かったと思っております。ゆっくり片付けます。」

「おばあちゃんデュオ」の相方の家も大変なことになりました。
エレベーターが止まり、19階まで階段を上って家の扉を開けると、食器は割れ、部屋のタンスはみな倒れていたそうです。シーズーのメリーちゃんの姿がどこにも見つからず、崩れた荷の下でつぶれてしまったのかと、泣きながらかき分けかき分け探していたところに、動いたテレビ台の後ろに震えながら小さくなっていたのを見つけました。

「メリーは一晩眠らずに怯えていました。」とは今朝の連絡です。

 犬たちでさえ、これほどに受け止めざるを得なかったこの天災です。被災地の方々が体験したことはいかばかりだったでしょうか。しかも、まだ「だったでしょうか。」などと過去形や現在完了形で語れることではなく、現在進行形なのですから。

 今の私にせめてもできることは、電気の消費を抑えることです。いつもなら寝るまでに暖める寝室も、今夜は暖房を止めました。そしてユニクロのヒートテックをしっかり着込み、首にマフラーを巻きました。階段の電気も消しました。

 明日がどうか今日よりも良い日でありますように、、、、、

 たった今、ワシントンの親友ジュディーからメールが届きました。

「Naomi, All your Washington friends are thinking of you and your family, and send our deepest thoughts of sympathy for the loss of life in Japan. I was glad to hear that you and your family are safe and hope you continue to remain so.   Judy」

 たくさんの繋がりを破壊してしまったこの悲しい出来事の中で、こうして家族や友人たちと繋がっているという現実がどんなにありがたいことでしょう。

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3月11日(金):NZ最後の夜はやっぱりWHITEで
3月14日(月)予告:自給自足への憧れ
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:58| Comment(0) | 地震

どうかご無事で

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 10時間たった今もなお、軽い揺れを感じています。あれ以来、テレビとラジオをつけっぱなしにしています。この時間、東京でもまだ家に帰ることができない方々も多くいらっしゃることでしょう。ようやく電車の運転が再開したとのこと、どうかご無事でお帰りになれますように。

 2時46分、私は6時にお迎えするはずの4名のお客様のために、台所の調理台をいっぱいにして料理を作っている最中でした。ひよこ豆のペーストを作り、ニュージーランドで覚えたばかりのサツマイモのサラダを作り、スープのためのカボチャを茹でて、ローストポーク用にお肉をソースに漬け込もうとしているところでした。

 一瞬眩暈が起こったのかと思ったユラリとしたからだの揺れが、すぐに立っていられないほどの大きな揺れに変わりました。あわててガスの火を止め、階段を駆け下り、私の部屋の大きな机の下に身を隠しました。揺れが繰り返されるたびに、目の前で音を立てて、本や書類が崩れ落ちてきました。作りつけの本棚の本はびくともしませんでしたが、昨年私が自分で組み立てた安価なユニット家具の上に置かれていたものはすべて滑り落ちました。

 幸いこの家は「耐震」に重きを置いて4年前に新築した家です。その効果をこうした形で確かめねばならなくなったことを遺憾に思いますが、私の部屋以外はほとんど被害がありませんでした。さきほど家中を点検してみれば、居間のテーブルの上のキャンドルスタンドが倒れていたことと、地下の夫の書斎の電気スタンドのガラスの傘が、絨毯の上に投げ出されていたことだけでした。キッチンのキャビネットは、中の物が落下しないように瞬時にロックがかかり、扉が開かなくなりました。

 電話もメールも繋がらず安否が確認できなかった娘たちも、皆無事であることがわかりました。2匹のワンコたちも無事でした。家に帰れなくなった5人の家族たちは、今夜は都心のホテルにそれぞれの場所から集まりました。いつでも車で出動できるように気を張っていた私も、ようやくほっとして、今、ビールの缶をあけました。

 先ほど朝を迎えたアメリカでは、現地のNHKで地震のニュースを知った友人たちから、心配のメールが相次いでいます。オークランドの空港からいったんアメリカに帰った夫も電話がつながらずオロオロしていました。

 M8.8というクライストチャーチよりも大きな地震でした。まだまだ安心はできません。繰り返される津波の心配もあります。それでもどうか、皆様、たとえ短い時間でも、ぐっすりと眠ることができますように。何事もなく朝を迎えられますように。どうかこれ以上の被害がおきませんように。皆様どうぞご無事でありますように。夜を徹してお働きの皆様、どうかお疲れがたまりませんように。

 私は明日から、作ってしまった5人分のお料理を毎日食べながら、残されたご家族の皆様の悲しみを悼みながら、被害にあった皆様の一日も早いご回復を祈り続けます。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 02:01| Comment(2) | 地震