2011年03月07日

ニュージーランド、その懐の広さ

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 ほどよい大きさだとか、風景だとか、気候だとか、人々の大らかさだとか、ニュージーランドの心地よさは数々ありますけれど、「多様性の心地よさ」に至ってはかなりのものです。オークランドの町をブラブラしていれば、「あのォ、◇◇通りはどちらでしょう?」などと真顔で聞かれますし、テレビカメラとマイクを持った連中が近づいてきて、「ハーイ!今日はお買い物?どこにお住まい?」などと、これまた冗談じゃなく聞かれます。

 「あ、あの、東京です。」と答えれば、「それは失礼。てっきりKIWIかと思ったもので。」

 KIWIとはニュージーランド人の別称。つまり、こんな、どこから見たって日本人の顔の私でさえ土地の人間と思われるほどに、ここにはありとあらゆる人種が集まって1つの国を作っているのです。どんな具が入っていても当たり前の鍋料理、もしくは色とりどりのおかずが詰め込まれた幕の内弁当のようなもの。なんたって移民の国なのですから。

 そんなめっぽう許容範囲の広い多様性の国に、星を頼りに南太平洋をカヌーで渡ってやってきた最初の人間がマオリでした。今から1000年ぐらい前のことです。

 先住民のマオリが住んでいたこの島に、次にやってきたのがヨーロッパの人たちでした。今からわずか170年前、日本で言えば江戸時代の終わりの頃です。それほどに歴史の浅い国なのです。移民魂のDNAは時を越えて受け継がれて、今でも外から来る新参者を懐ひろく迎え入れています。地図を広げてキョロキョロとしていれば、「どうしたの?」と店の中からおじさんが飛んできますし、一言道を聞けばどこまでもついてきてくれたりする素敵な「お節介スピリット」は、いまなお健在です。

 1840年に、この国をイギリスの植民地にすることに決めた条約には、ニュージーランドの主権はイギリス国王にあるとしながらも、「マオリの土地所有は引き続き認められる。」「マオリはイギリス国民としての権利を認められる。」と言った先住民族の存在を受け容れる条項が記載されていました。たいしたものです。

 今では、自分がマオリであると認識している人は国民の15%、マオリ語を話す人はわずか5%しかいませんが、それでも英語とマオリ語の二つの言語が公用語です。ニュージーランド航空の機内アナウンスもマオリ語の挨拶で始まりますし、公共の施設には必ず英語とマオリ語の二つの表記があります。とは言え、最近ではさすがに「5%」が問題視され、小学校でマオリ語が必修となりました。

 ニュージーランド最後の夜に食事を共にした友人夫妻に率直に聞いてみました。オークランド大学教授の白人のKIWIです。

 「マオリ語話せます?」
 「挨拶と簡単な単語ぐらいしか、、、、」
 「でもこれからはもっと増えていきますよね。小学校でも教えているそうですから。」
 「それもなかなか問題でね、教えることのできる教員があまりいないんですよ。」

 等々、いかに国の公用語とは言っても、ほうっておけば消滅の危機に瀕する少数民族の言葉であることに変わりはありません。「マオリ語の話せないマオリ」は増えています。けれども、そんなリスクに対して、マオリ語のテレビチャンネルを作るなどして、一生懸命方策を練っている彼らはこれまたなかなかのものです。

 ところで、国会議事堂の館内ツアーに参加した時に聞いた数字ですが、現在122議席のうち男性議員は73名、女性議員は49名。そして、マオリは20名。そのうち女性は6名です。つまり122人の議員のうち6名がマオリの女性だということ。これもまた、この国の多様性への姿勢と公平性を表しているように思います。

 話は変わりますが、イーグルスのコンサートについて昨日書いたブログを呼んでくれたまさかの友人たちから、次々と「実は私もイーグルスが好き。」「コンサートに行けばよかった。」などと言う「隠れイーグルスファン表明」が相次いでいます。てっきり「少数民族」だと思って誰にも言わずにひそかに駆けつけたコンサートでしたが、こんなことなら誘ってみればよかった、と思っても後の祭。共通言語を持つ友がこんなに居たとは嬉しい驚きでした(笑)。

 大好きな小島貴子さんもそうでした。もしも私が男ならぞっこん惚れているだろうと思う素敵な女性が、早速こんなことをブログに書いてくれました。恥ずかしながらご紹介します。貴子さんの「キャリアバトン」は、気取らずにさりげなく元気にしてくれる、とにかく楽しいブログです。(http://fellowshipxxx.blog35.fc2.com/
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3月7日(月):パウア貝って食べられるの?
3月8日(火)予告:ニュージーランドのバス弁当
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年03月04日

茜色の空と渋滞の中で

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 夏というにはあまりに爽やかな国から、まだ寒さの残る東京へ帰ってきました。ノンストップ10時間半の飛行時間は、欧米に比べたらとても楽。映画を3本見たらもう着いていたという感じです。時差の点からも、南北の移動は気楽です。とは言えこの眠さ!そりゃそうですね。5時に目覚ましをかけたということは、日本時間の夜中の1時に起きたわけですから。

 今朝の新聞「The New Zealand Herald」で、またこんな記事を読み、思い出すたびに切なくてなりません。2月22日のあの日の出来事です。

 Dad killed just after reconciliation. (仲直りをしたすぐ後にパパが死んでしまった。)

 ジェフ・サンフトはあの昼、別れた妻と二人の幼い娘とのランチの約束のために、踊る心でバスに乗っていた。いったい誰が、バスが瓦礫の下に埋まってしまうなんて想像できただろうか。

彼らは、そのわずか4日前に、もう一度やり直そうと決めたばかりだった。2人の娘と共に再び家族として歩き始めようと、たくさんの希望を持っていた。

「残りの人生の全部を一緒に暮らすつもりだった人にいったいどう『さよなら』を言ったらいいのでしょう。いるはずだった人のいない寂しさを、いったいどんな言葉で表現できるというのでしょう。『パパとママ、仲直りしたんだね。またみんな一緒だね。』とはしゃいでいた娘たちに、いったいどう説明しろと言うのでしょうか。」


 ちょっとした自然の気まぐれが、地球の奥底に眠っているはずだった力を溢れさせ、たくさんの人生に影響を与えてしまいました。

 成田空港からの帰り道、茜色に染まる美しい空が次第に暗くなって行く渋滞の中で、こうしてまたこの国に帰って来られたことをありがたく思いながら、同時に、この10日間で見聞きした、たくさんの人々の哀しみを思いました。
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3月4日(金):いよいよ解禁 ブラフオイスター


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:31| Comment(4) | ニュージーランドライフ

別れの時〜とりわけ複雑な思いの中で

 突然の雨が連れてきた大きな虹に送られて、4日間滞在したクイーンズタウンを後にしました。飛行機は再び北へと向かい、下り立ったのは懐かしいオークランドです。

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 北へ1時間50分上がった分だけ、気温も高くなります。風のウェリントン、南のクイーンズタウンの肌寒さの後には、この暖かさはとても肌に馴染みます。ここではもう誰もセーターを着ていません。町の匂いも、さざめきも、ホテルの部屋も、プールも、山高帽のコンシェルジュのレックスさんも、みんな同じ。

 「The Southland Times」を飛行機の中で広げれば、太字でおかしな見出しが飛び込んできます。「Tourists say “no thanks, Qtown”」

 何かと思って読み進めれば、クライストチャーチから大分離れているにもかかわらず、クイーンズタウンのホテルのキャンセルが震災以来相次いで、関係者を悩ませていると言うのです。その大半は日本からの観光客だと言うことで、日本の観光業界が「the risk-sensitive」(リスクに敏感な)と形容されています。

 2ページ目をめくれば、涙腺の弱い私にはとうてい我慢できない記事が続いています。大聖堂のある一角に置かれた無数の花束に添えられたメッセージがいくつか紹介されているのです。犠牲者の家族たちから寄せられたものです。

 「35歳の私の妻よ、友人よ、永遠に、、、、私の愛を永遠に、、、、、」

 「君は素晴らしい少年だったから、神様はきっともう一人の天使さんとして君が必要だったんだね。心配しないで大丈夫、君はいつだって僕達の心の中に一緒に住み続けるんだから。」

 そばには少年の好きだった縫いぐるみとオモチャが添えられていると言います。

 「いつもの家族の食事も、特別なクリスマスの食事も、ちっともユーモラスではないでしょう。いつも私たちを笑わせてくれたあなたがいってしまったのだから。早く帰ってきなさい!」

 クライストチャーチの広場には、家族達の思いが集まっています。

 もう1つ心痛むのは、迷子になって保護されている犬や猫たちの里親を募っている記事です。「こうすることがいいのか悪いのか、、、、この子たちが誰かに引き取られて、どこかに行ってしまえば、この子たちの飼い主はもうこの子たちに会えなくなるのですから。」
とりわけ仔猫の迷子たちが多いそうです。

 いまなお地震の報道が途切れることのないニュージーランドと、別れる時がやってきました。
 今回はとりわけ、思いも複雑です。

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3月3日(木):ワイナリーのランチタイム
3月4日(金)予告:いよいよ解禁 ブラフオイスター
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:48| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年03月02日

如意吉祥〜廃墟そして豊穣

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 クイーンズタウンから北東へ約20キロ離れた所に、「アロータウン」という名の小さな町があります。ここはかつてゴールドラッシュで栄えた所。1862年に町を流れる川でたまたま発見された砂金に人々が殺到しました。最盛期には7000人以上もの人たちがこの小さな町に集まっていたと言います。今では2000人もいません。

 この町の外れに、不思議な一角があります。金を目当てにはるばるやってきて住みついた中国人たちの居住区です。どこまでも続く林の中に、石とトタン屋根だけの粗末な家が点在しています。家と言うよりは小屋と言った方が適切でしょう。彼らの夢は、5年間必死に働いて、故郷に帰って農場を買うことでした。

 冬はさぞ寒かったことでしょう。トイレも台所もお風呂も、窓もない生活はどんなに辛かったことでしょう。しかも、彼らは「安価な労働力」として歓迎されこそはすれ、それ以上の扱いを受けることもなく、結局はゲットーのように固まって不便な土地で暮すしかなかったのです。故郷に帰ることもできず、この地に骨を埋めた人たちも数多くいました。

 粗末な小屋が続く中では立派な家にすら見える一軒が、入り口に建っています。それが「チャイニーズビレッジ」と呼ばれた一角に唯一あった商店でした。人々は日用雑貨から食料までの全てをこの店から購入していました。中に入れば、がらんとした空間は冷気を含み、商品が置いてあったであろう石の棚は寂寥として薄暗闇の中にあります。

 その何にもない家の壁に、こんな文字が書かれていました。仮にこんな所まで足を運ぶ人がいたとしても、ほとんどの人たちにとってはそれは単なる絵模様でしかないでしょう。けれども、その意味を類推できる者にとっては、その4文字を哀しみなしに受け止められるでしょうか。

「如意吉祥」

 夢も諦めも大いなる者の手に委ねることしかできなかった人たちの跡は、今では廃墟となって緑の中を吹き渡る風の中にあります。赤い実がどこまでも青い空に美しく映ります。

 それまでほとんど車にも出会わなかった帰りの山道で、数台の車がこちら側と、向こう側に止まっています。事故でもあったのかと思えば、羊の大群が道路いっぱいにひろがっています。いったい何百匹いたことでしょう。どの車も警笛ひとつ鳴らすでもなく、群れが移動するのをじっと待っています。犬に追われた羊たちの走ること、走ること。大波にうねる羊たちの豊穣の海でした。
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3月2日(水):偶然出会った青空市場
3月3日(木)予告:ワイナリーのランチタイム
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:02| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年03月01日

2分間の黙祷

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 クライストチャーチで起きた地震からちょうど1週間たった今日、ニュージーランド全土で犠牲者のための黙祷が行われました。

 今朝の「The Southland Times」では、新聞名のすぐ下に、黒字に白抜きで次のような2行が目に飛び込んできます。

「New Zealand is asked to observe 2 minutes’ silence from 12:51pm today in memory of victims of the February 22 Christchurch quake.」
(ニュージーランドは本日12時51分、2月22日にクライストチャーチで起きた地震の犠牲者の冥福を祈って2分間の黙祷に入ります。)

 私たちはちょうどその頃、クイーンズタウンの町から離れたオタゴのワイナリーにいました。もっともどこにいようと、たとえ車の中でも「その時」を知ることができるよう、私は携帯電話のアラームを、1分前の12:50(日本時間の午前8時50分)にかけていました。

 ここのワイナリーは、ピノ・ノワール(白)と、ピノ・グリ(赤)、そしてリースリング(白)の良質のワインの生産で知られています。葡萄畑の隣りで自然の風に吹かれて食事をすることもできますし、真っ白なテーブルクロスがぴんと張られた内テーブルでシェフ自慢の料理をいただくこともできます。メニューを広げれば、一つ一つの料理の下に、その料理に一番合うワインが書かれています。

 ここにも、いたるところにこんな貼紙がしてありました。

「TWO MINUTES SILENCE
At 12:51pm today we will be observing 2 minutes’ silence as a mark of respect for those who lost their lives in last Tuesday’s earthquake in Christchurch. We respectfully ask you all to join us. The start and finish of the period of silence will be signaled by the ringing of a bell.」
(本日12時51分、私たちは先週の火曜日のクライストチャーチの地震でお亡くなりになった方々に敬意を表し、2分間の黙祷を行います。どうぞ皆様もご一緒にお願いいたします。始まりと終わりはベルの音でお知らせします。)

 カランカランとハンドベルが振られると、それまでワインを飲みながら大騒ぎをしていた連中も厳粛な面持ちで立ち上がり、黙祷に入りました。人々の息づかいさえも聞こえぬほどに、辺り一面が静寂に包まれます。2分間がこれほど長く感じられたことはありません。終了のベルの音に頭を上げ目を開けば、涙をぬぐっている人たちも見られます。そして生きている私たちはまた元の場所に戻って、心の奥に小さな闇を抱えたまま、生命の饗宴を続けます。

 生きているということはそういうことなのでしょうか。
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3月1日(火):ウェリントン インターコンチの朝御飯
3月2日(水)予定:偶然出会った青空市場
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | ニュージーランドライフ

セシリアとの再会〜クイーンズタウンにて

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 こちらは一足先に新しい月が始まりました。生まれ月でもある、春を待つこの月は、1年のうちで一番好きな月です。何となく新しい自分、もう少し自分らしい自分になれそうな気がするからです。

 金星から見れば太陽は西から上がり東に沈みます。などと知った風に書いても、これはつい先日、ウェリントンの天文台で教えてもらったこと。

 南極では太陽が沈まない日が5ヶ月も続きます。お日様は一日中空に浮かんだまま。などと知った風に書いても、これは昨日義理の娘のセシリアから教えてもらったこと。去年の10月から南極のアメリカ基地で仕事をしていた彼女が、初めて太陽が沈むのを見たのは、2月20日に氷の大陸を飛び立ち、クライストチャーチに向かう前夜のことだったと言います。南極もまた、新しい季節へと向かっています。

 ブリザードが吹き荒れて足止めをくっていた彼女が、アメリカ政府の飛行機でようやくクライストチャーチに下り立ったのは、20日の日曜日のことでした。クライストチャーチの空港は、南極とは距離的にも近いため、輸送や通信の基地として使われているのです。

 クライストチャーチには「国際南極センター」もあります。南極探検の歴史的資料などの展示ばかりでなく、−20度の室内で南極の寒気の体験もできます。南極で使われていた雪上車に乗って、デコボコ道や水中を走るアトラクションツアーもあると言います。「大聖堂」前の広場から定期バスが出ていた、などと聞くにつけ、崩壊した大聖堂と、混乱する広場の様子を想像し、再び胸が痛み始めます。「定期バスが出ていた」と過去形で語るのではなく、「出ている。」と現在形で語ることのできる日が一日も早くやってくることを願っています。

 セシリアはクライストチャーチに下り立った翌日の月曜日に、3人の仲間たちとワゴンを借りて、南のフィヨルド地帯でキャンプをするために町を離れました。地震が起きたのはその20時間後のことでした。荷物はもちろん被災した町に残したままです。

 キャンプから帰ってきた彼女とクライストチャーチで落ち合うことになっていた私たちが、ようやく彼女と再会したのは、一昨日、ここクイーンズタウンでのことでした。空港からすぐにレンタカーに乗って、この美しい湖を臨む町なかのホテルの前に車を止めた私たちの後ろから駆け寄ってきたのが、私たちの到来を待ちに待っていたセシリアでした。「元気そうでよかった。ちっとも変わってないね。日にも焼けてないし相変わらずきれいよ。」と、喜びを伝えながらも、実は28歳になったばかりの彼女のやつれ様に、内心驚いていました。

 セシリアと一緒に2回目の朝を迎えました。彼女はまだ私の後ろの大きなダブルベッドの上で静かな寝息を立てています。私はカーテンも閉めたまま足音をしのばせて部屋を歩き、水道の蛇口から流れる音が部屋に伝わらぬようにきちんと洗面所のドアを閉め、デスクの上の小さなスタンドだけを点灯して、お湯を沸かすポットの音が彼女の眠りを妨げるのではないかとコーヒーも我慢をし、静かに静かにキーボードを叩いています。

 とりまく風景も、時間の流れ方すらも全く異なる南極で、「外での荷物の積み下ろしやアイスハット(氷室)を作ることから、室内のマイクの前で、船が下ろすコンテナーの移動場所を指示することまで全てを体験した。」という彼女は、「自分の人生の中で一番貴重な体験だった。」と言いながらも、その疲れが全身ににじみ出ているようです。加えて今回の震災があって、自身は難は免れたものの、巻き込まれてしまった仲間たちのことなどもあり、心が深く傷ついていることが感じられます。いつもの美しい顔が、時折とても厳しく変わります。

 そんな彼女を一人にしておくことはしのびなく、一緒の部屋に泊まらせることにしました。何の役には立てなくても、自分を受け容れてくれる誰かがいつでも傍にいるということで、ささくれだった気持ちが少しずつなごんでいくかもしれません。

 昨日の昼間、車で周辺の山や町をまわった後の夕食の場は、彼女自身が探してきて、彼女自身が電話で予約をしてくれたイタリア料理の店でした。ソムリエが持ってきた「この土地で一番いい」というニュージーランド産の赤ワインを3人で飲み干して、次はグラスで頼もうかと言う時に、セシリアが言いました。「次もボトルにしましょう。3人一緒ならきっと飲めるわ。」

 そして、気づけば私たちは、いきなり饒舌になった彼女が語る心の痛みに、じっと耳を傾けていました。実の母親との確執、友との別離、仕事への不安、人生への不安、、、、これまた私には何の役にも立てなくても、真剣に聴こうとし、痛みを分かち合おうとすることだけはできました。

 二本目のボトルも空になって、さすがに真っ暗になった湖畔の町で、私たちは何がおかしいのか涙を流すほどに馬鹿笑いをしながら、彼女を真ん中に、三人で手を繋ぎながらホテルへの道を歩きました。いい年をした大人が3人、いったい何ていうことでしょう。

 8時半になりました。外もようやく明るくなってきたはずなのに、セシリアはまだ起きてきません。長い間の緊張からようやく解放されたのでしょうか。
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2月28日(月):ウェリントン、朝のパワーチャージ
3月 1日(火)予定:ウェリントン インターコンチの朝御飯

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 04:53| Comment(1) | ニュージーランドライフ

2011年02月27日

今日の新聞から〜地震、地震、地震

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 今朝まで滞在していたホテルでは、毎朝「The Dominion」と言う、ウェリントンで発行されている朝刊が部屋まで届けられました。けれども、日曜日の今日は、同じグループが週末に発行している「SUNDAY STAR★TIMES」です。

 これはテーマごとの分冊方式。たとえば今朝の朝刊ならば、

 本紙、SPORTS、FOCUS、BUSINESS、ESCAPEと、さすがに日曜版だけあって、分厚くカラフルで、一見実に華やかです。けれども、、、、、

 今朝の本紙は一面全部がクライストチャーチです。そして全16ページのうち10ページが、たくさんの写真を掲載した地震関連の記事で埋められています。一面は、「What is in front of us is immense.」(我々の前にはだかるものの何と大きなことか。)と言う、ボブ・パーカー市長の言葉の大見出しで始まります。
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 ページをめくってみれば、ほとんど泣き出さんばかりの顔をした若い父親が、瓦礫の中で、表情の凍りついた6歳の少女を抱きしめている大きな写真です。地震が起きるやいなや娘の学校までひた走り、娘を救い出すやいなや再び走りに走ったストーリーが書かれています。
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 「道端に倒れているたくさんの人を助けることもできずに、『いったいこれが正しい選択なのだろうか?』と、娘を抱いたままとにかく走り続けた。」と言う若い父親は、精神的なショックから抜けきれずに、家族ごとクライストチャーチからウェリントンに移ってきました。

 「SPORTS」でさえ地震の記事で始まり、「How to rebuild sports’ heart and soul?」(スポーツの精神を取り戻すにはどうしたらいいのだろうか。)と、ラグビーのワールドカップを控えてのスタジアムの損傷に頭を抱えるクライストチャーチの様子が、3ページにわたって紹介されています。
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 いつもなら家庭や教育やパズルや料理などの記事で埋められる「FOCUS」も、始まりは崩壊した家の前で呆然とする母親と2人の小さな娘の写真です。こちらも12ページのうち5ページが地震の記事です。
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 タブロイド版の「BUSINESS」に目を移せば、やはり24ページのうち7ページを地震関連の記事が占めています。経済状況が悪化することを懸念し、崩壊した家にも家賃を払うべきかどうかという論争をとりあげ、町の再建への提言を述べています。
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 旅やエンターテインメントや、星占いやセレブたちのゴシップ記事が面白おかしく人目をひきつける「ESCAPE」でさえ、最後のページは、セレブたちが速やかに乗り出した救援活動を紹介しています。
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 そんな新聞をカバンに入れて、ウェリントンから小さな飛行機で1時間45分、ワカティプ湖畔の町、クイーンズタウンに着きました。クライストチャーチからなら飛行機でたった1時間、それなのに、山も湖も、まるで何事もなかったかのように静かで、美しすぎるぐらいに美しいのです。

 ごぞんじかとは思いますが、ニュージーランドのジョン・キー首相が、昨日クライストチャーチを訪れ、地震発生からちょうど1週間後の明後日12時51分に、2分間の黙祷をすることを全国民に呼びかけました。

 湖畔のレストランに食事に出たら、メニューの表紙にこんな紙が貼られていました。

「このたびのクライストチャーチの地震の被害への寄付として、お会計の最後に2ドルを余分につけさせていただきます。」
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2月27日(月)予定:ウェリントン、朝のパワーチャージ


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:17| Comment(2) | ニュージーランドライフ

ここでの私の仕事〜知らないことを知ること

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 こんなにたくさん生きてきたのに、まだまだ知らないことがたくさんあり過ぎます。上っ面しか知らずに、知ったような顔をしてきたこともたくさんあり過ぎます。旅をしていると、毎日がそんな「知らないこと」を「知ること」の連続です。

 それらはたくさんのフックとなって私の中に刻み込まれます。知らないことに気づくのは、もうほとんど感動の領域です。そして、もっときちんと知りたくてたまらなくなります。フックの中のいくつかは、必ずこれからの時間に繋がって、広く、深く、たとえ何の役にもたたない自己満足の知識だとしても、心の豊かさとなって育っていくことでしょう。

 昨日訪れたキャサリン・マンスフィールドの生家もそうでした。いちおうは英文科でしたから、キャサリンが著名な短編小説家であることぐらいは知っていましたし、作品の名前をいくつか羅列することもできました。けれども、それらの作品を読んだことはありませんでしたし、彼女がニュージーランドで生まれ育ったことも知りませんでした。いわんや、そのドラマチックな生涯についても、34歳の若きに亡くなったことをも知りませんでした。

 でも、帰り際に2冊の本を買ってしまったのは、「もっと知りたい」という気持があったからなのだと思います。

 今日は、植物園の中にある天文台を訪ねました。そこで得た断片の知識は単なるフックに過ぎません。けれども、「このままではまずい。」と真剣に思うほど、私はこんな物凄いことをほとんど知らぬ間に大人になってしまいました。

 宇宙は1300億ものgalaxy=銀河で出来ていること
 年齢は137億年
 私たちが住むこの地球は、数ある銀河のうちの小さな1つのMilky Way(天の川)と呼ばれる銀河の、その中にある小さな小さな点
 太陽だってこの銀河の中では1000億個もある星のたった1つ

 そんなことを、21世紀の地球の、南緯41度、東経174度、ニュージーランドのウェリントンの、丘の上の天文台で、あらためて教えられました。

 地球の説明のところには、こんなことが書いてありました。

「The earth has tens of millions of species, but just one−humans−will decide its future.」
(地球には何千万もの種類の生き物がいるけれども、そのうちの1つの種だけが地球の未来を決めていく。それが人間だ。)

 心に残る言葉です。そして、責任感を感じさせる言葉です。

 もう1つ、この国にきてから抱え込んでしまった大きな課題があります。太平洋諸島のことはけっこう知った気になっていても、マオリの人たちのことについてはからっきし知りませんでした。オークランドでは見つからなかったマオリ料理の本をウェリントンの国立博物館テ・パパで見つけて買いました。そればかりではありません。マオリ伝説、マオリカルチャー、マオリ語の辞書まで買ってしまいました。いつでもそれらの本を開けるように。

 ちなみに、Milky Wayのことはマオリ語では、「Ta Ikaroa」と言います。「長いお魚」という意味だそうです。

「そちらにいてどんなお仕事をしているのですか?」とか、
「お仕事ははかどっていますか?」などと時折聞かれます。いちおう関連書類などは持ってきてはいますが、大したことは全くしていません。その代わり、入超になるほどに、日々の気づきと感動を蓄積しています。それが私の、ここでの最大の仕事です。そして、それでいいのだと、焦らずに割り切っています。それこそ、ここでしかできない仕事なのですから。

 2枚目の写真は、太陽と惑星たちとの大きさ比較。地球は見えないぐらいの小さな点。
 3枚目の写真は、太陽とほかの星たちとの大きさ比較。太陽は見えないぐらい小さな点。

 こちらは明け方の6時半です。真っ暗です。太陽はまだ見えません。クライストチャーチに行くはずだった当初の予定を変更して、9時45分発の飛行機でクイーンズタウンに飛びます。ここでしばらく過ごします。

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2月24日(金):NZ風パーティー術3〜デザート篇
2月25日(土):緑の中のアフタヌーンティー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 02:30| Comment(1) | ニュージーランドライフ

2011年02月26日

家でオペラ!〜いろいろな暮し方

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 朝10時からの国会議事堂のガイドツアーに参加してみたら、20人近い人たちの中に二人の日本の青年が混じっていました。スタートをする前のオリエンテーションで、どこから来たのかを一人ずつ皆の前で言わなければならないのですが、ここでも国民性が表れるのか、聞かれてもいないことまでまくしたてる国の人たちもいる中で、「日本から来ました。」と小さな声でポツリ。「もう少し大きい声でもう一度!」と言われて、また「日本から」とポツリ。

 議事堂内を歩きながら聞いたところによれば、2年生になる前の春休みを利用してニュージーランドにやってきた、名古屋の大学の学生でした。なかなかの好青年たちです。

「本当は僕たち、クライストチャーチに行くはずだったんです。けれども、ウェリントンの知り合いの誘いでここに残ることになって。最初の予定通りに行っていたら、どうなっていたかと思うと、、、、」

 2時15分発の小さな船で向こう岸の「デイズ・ベイ」に渡れば、真っ白な桟橋で待っていたのは、ビクトリア大学ロースクールのキャンプベル教授です。彼はこちら側の家から向こう側の大学に、船で通勤しています。

 気軽に午後のお茶に招かれたつもりが、びっくりすることだらけのサプライズ続き。3つだけ選んでみれば、、、、

 まず一つ目は、キャンプベルも夫人のローナも、クライストチャーチの出身だったことでした。幸いご両親や兄弟姉妹たちは無事でしたが、友人たちの中には怪我をしたり、いまだに行方不明の人がいるそうです。それでも、自国の政府の対応の早さと誠実さを誇りに思いながら、救出活動が進むことを願っています。

 2番目は、度肝を抜かれるほどに広大な彼らの家でした。「外は植物園、中はミュージアム!」と冗談で言ったぐらいに、外から見る家も、中から見る外の景色も、立地条件を最大に生かして作られているのです。夫婦二人と5人の子供たちが暮す家の、どの部屋からも海が見えるように窓の角度が計算されています。海側でない窓はことごとく緑で覆われています。土地は4分の3エーカーと聞いて、一生懸命計算してみたら、何と3,035平米、坪にして920坪でした!ちなみに建物の方は、外テラスを入れて700平米です。日本ではまずあり得ないスケールです。

 私たちは、広大な庭の中の何箇所にもあるテーブルのひとつ、リンゴと花梨の木の下で、午後のティータイムを楽しみました。日差しは強いのに、風は涼しく心地よく、ローナが作ったシンプルなスコーンと紅茶だけなのに、贅沢なアフタヌーンティーとなりました。

 さらに驚いたことには、ここで時折オペラが演じられると言うのです。ホームコンサートぐらいならさほどは驚きませんけれど、オペラとなれば話が違います。全くとてつもないことを考えたものです。去年の3月には、200名の観客が庭の芝生の上に集い、自らがオペラ歌手でもあるローナが演出をした「フィガロの結婚」を楽しんだと聞きました。

 マイクは使いません。12名の登場人物たちは、ニュージーランド人、イタリア人、ドイツ人、シリア人、南太平洋諸島の人たち、、、、歌詞は全て英語に翻訳されて歌われます。オーケストラは、指揮者以下、ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、バスーン、ホルン、コントラバスの8名。

 まだ暗くなる前の5時に開演し、第二幕の後の6時15分に夕食用の休憩が入り、客と役者と音楽家たちが一緒になって、和気藹々と芝生の上で夕食を食べ、四幕が進む頃には大きな庭が月の光に照らされます。

 「かんじんのアリアのところで、鳩が飛び込んできたわ(笑)。」とローナ。
 「採算を考えたらとってもできないけれど、やる側のプロの連中もお客と同じに楽しんでいるからね。物好きと言われようがなんだろうが、こんなことが1つや2つあったっていいじゃないかな。」とはキャンプベル。

 プログラムに書かれた、プロデューサーにしてアルマヴィーヴァ伯爵夫人を演じたローナの言葉の、最後のセンテンスが素敵です。「主人のキャンプベルがいつもたくさんのアイディアを考えてくれたおかげで、私がハードルを越えられました。」という感謝の言葉に続いて、

「My final toast is to the birds, terraces and gardens for providing the unique backdrop.」 (そして最後の乾杯を、素晴らしい背景を創ってくれた鳥たちと、テラスたちと、庭たちに。)

 真っ赤に日焼けしたキャンプベルが、短パンとゴムぞうりで桟橋まで送ってくれました。

 色々な土地に行き、色々な人たちに出会う生活をしているうちに、どんな暮らしを見ても、「素晴らしい!!」とは思っても、「うらやましい!!」とか、「代わりたい!」とは思わなくなりました。私たちと同じように、彼らには彼らの大変さもあるでしょう。それに私たちには私たちの、身の丈にそった快適な器というものがあります。

 どんな暮らしもそれなりに悲喜こもごも。
 自分は自分、人は人。けれども、決して人を突き放すのではなく、移民で始まり、今でも多くの移民を受け容れているこの国のように、いろいろな人がいて、いろいろな暮らしがあることを当たり前として、世の中と人間におおらかに、優しく関わっていくこと。
 そんな姿勢が身に付くと、なんだかとっても楽になります。
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2月24日(金):NZ風パーティー術3〜デザート篇
2月25日(土)予定:緑に囲まれたアフタヌーンティー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:33| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年02月24日

南風でも吹いたら寒い〜風の町ウェリントンから

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「南風でも吹いたら寒い」と歌ったのは、たしかアン・ルイス。
 インパクトのあるフレーズは、今でもしっかり心の中に残っていますけれど、ここ、ウェリントンはまさに、別名「Windy Wellington」と呼ばれるほどの風の町です。しかも南風が吹くから寒いのです。

 昨日、北島北部のオークランドから、北島南端のウェリントンへと移ってきて、まずびっくりしたのが風の冷たさでした。セーターは東京を発つ時に着ていた1枚だけ。あとはすべて夏服です。そんな我が身をこの先どうしようかと思い悩むぐらいに、南へ下がったとたんに一気に涼しくなってしまったのです。

 空港からホテルへと向かう途中、「住みやすい町ですか?」という私の素朴な質問に、ターバンをまいたインド人のタクシー運転手さんが答えました。

「う〜ん、いい所なんだけど、住みやすいとも言えない。南島から海峡を越えて風が吹きつけるんですよ。南風は寒くてねえ。」

 ここでは、北へ行けば行くほど暑くなり
 南へ行けば行くほど寒くなる
 地球はパタンと折り返せばピッタリとくっつくぐらいに
 赤道で真っ二つに別れて
 北半分に住む人間にとっては、北が寒く
 南半分に住む人間にとっては、南が寒く
 冬は夏で
 夏が冬

 ウェリントンは世界で最南端に位置する首都。冷たい風の吹く夏にだって、色々な人たちが色々なことをして、季節を自由に楽しんでいるように見えます。タンクトップ1つで元気に闊歩する女の子たちもいれば、セーターの上にジャケットを羽織った人たちもいます。肌の色も違う様々な人たちが、思い思いの恰好で堂々としています。そんな姿を見るのはなかなか心地よいものです。

 少年たちがふざけあいながら、港に張り出した杭の上から一人ずつ海に飛び込み、
 その横では、キルトをはいて真剣な面持ちでバグパイプを吹く老人がいて、
 またその横では、孫息子に一生懸命釣りの仕方を教えるおばあちゃんがいて、
 そのまた横では、裸足の少女たちが、板のすき間から海を覗いては笑いあい、
 そんな、少年や老人や孫やおばあちゃんや少女たちのすぐそばを、練習中のカヤックが驚くほどのスピードで通り抜けていきます。

 南から吹く風は、誰の上にも均等に吹き渡ります。
 ここもなかなかいい町です。

 今朝一番にしたことは、クライストチャーチ行きの航空券を、クイーンズタウン行きに変更し、ホテルを予約し、レンタカーの手配をしたことでした。昨日ようやく連絡がついた娘のセシリアは、地震が起きる20時間前に町を出て南のキャンプ地に向かったために無事でした。けれども、預けてある荷物を取りにもう一度クライストチャーチに戻らねばならないとのことです。
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2月22日(水):NZ風パーティー術1〜ハードウェア篇
2月23日(木):NZ風パーティー術2〜料理篇
2月24日(金)予定:NZ風パーティー術3〜デザート篇



posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:57| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年02月23日

無事でした!

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 急ぎ朗報をお伝えします。
 今しがた、義理の娘のセシリアから連絡が入りました。無事でした。
 地震の前日に友人たちと、クライストチャーチの南にキャンプに出かけたそうです。
 けれども、町に残った友人たちの安否はまだ確認できないとのこと。

 行くか残るか
 行くと決めたら右に進むか、左に進むか

 そんなちょっとした選択で人生が変わっていきます。
 いったいどうすれば良い選択ができるのでしょう。
 単に運が良いか悪いか、に過ぎないのでしょうか。
 だとしたら、いったいどうすれば良い運に向かうことができるのでしょうか。

 安否が気づかわれる人たちのことを思えば慎まなければなりませんが、正直なところ、とてもほっとしました。ご心配をおかけしました。

 私たちは午後の飛行機でここ、ニュージーランドの首都ウェリントンにやってきました。
 いくら朝から晩までの集中講義だったとは言え、たかだか1週間のことです。それなのに、夫の学生たちがシャンペンやら果物やらのプレゼントを持ってやってきて、私たちを見送ってくれました。

 地震騒ぎといい、お餞別といい、なんだか「人情」の温かみに心が潤って、元気をいただいています。ありがとうございました。

 ところでオークランドの空港でも、ウェリントンのバーでも、地震報道のテレビの前に人々が集まって真剣に見入っています。
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2月22日(水):NZ風パーティー術1〜ハードウェア篇
2月23日(木)予定:NZ風パーティー術2〜料理篇
2月24日(金)予定:NZ風パーティー術3〜デザート篇

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:34| Comment(2) | ニュージーランドライフ

自然の営み 自然の驚異〜ツチボタルと地震

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 ワイトモはオークランドから南へと車で3時間ちょっと。
 マウイの言葉で「水の流れ込む洞窟」の意味を持つこの場所には、3つの大きな洞窟があり、中では自然の織りなす神秘の世界が広がっています。縦横高さがたった1センチでも100年もかかって作られると言われる鍾乳石の結晶が、人間の背丈の何倍もある高い天井から垂れ下がる柱となり、下から少しずつ伸びていった筍のような柱と出会って、壮大な自然の彫刻を作り上げています。ここまでに、いったいどれほどの年月が流れたというのでしょうか。

 この真っ暗な洞窟の天井一面を埋め尽くすのが、「ツチボタル」です。何千匹のホタルたちが点滅する光を放っているのでしょう。物音ひとつしない真っ暗闇の中で、ホタルたちは何のために、誰に見てもらうために光り続けているのでしょうか。「ツチボタルは敏感な生き物、決して音を立てないように」と言われた私たちはみな、息を飲むようにして上を見続けます。完全な静寂です。

 まるで冥界の王ハーデスが支配するような闇の世界で、暗い水面を音もなく滑っていく船に乗って首が痛くなるほどに天井を見上げていると、からだがフワリと浮き上がって、いえ、心がからだから離れて、闇の宇宙をフワフワと漂っているような不思議な感じに包まれます。

 ツチボタルの雌は約120個の球状の卵を産みつけると言います。そして卵からは、約20日後に幼虫がかえります。

 幼虫は巣を作り、糸を垂らして餌をとらえます。餌となる小虫を誘い込むためには、美しく光を放つことが必要なのです。クラクラと近寄っていった虫たちは、ツチボタルの幼虫のベタベタの糸に絡まって動きが取れなくなります。そんな生活が9ヶ月あまり続きます。

 やがて幼虫はマッチ棒の長さになるぐらいにまで成長し、さなぎの時期に入ります。約13日間の間、さなぎは糸の先にぶらさがり続けます。

 さなぎから返ったツチボタルは大きな蚊のようだそうです。口がないので餌を食べることができず、産卵をすることだけが成虫に求められる役割です。成虫の寿命はわずか2〜3日です。その2〜3日のために、9ヶ月もの間、輝く光を闇の中に放って大人になるのです。ただ命を繋ぐために。

 この2枚羽の昆虫が生きるには、特別な環境が必要です。それが、乾燥しないための適度な湿気と、蜘蛛の糸のようなネバネバした糸を垂らすことができる地形と、垂らした糸が絡み合ってしまわないような風のない場所と、そして、輝く光がひときわ目立つような暗闇なのです。

 こんなツチボタルの一生は、この地球が決して私たちのものだけではないこと、この星が無数の生命の集まりからなっていることを再び喚起します。そして、昨日起こったクライストチャーチの地震も、大自然の営みの前には、科学技術を駆使しているはずの私たちの力など、ごく限られたものでしかないことに気づかせます。

 テレビは、昨日の地震発生後から延々と現地の様子を映し続けています。ニュージーランドの首相も、クライストチャーチの市長も、その他たくさんの人たちがインタビューに答え続けています。「水が足りなくなるのが心配だ。補給が待たれる。」と、これを書いている机のすぐ横のテレビで市長が語っています。

 携帯電話もつながりにくくなっているとのこと。昨日から何度も義理の娘のセシリアに連絡を取り続けていますが、留守電に変わってしまって相変わらず連絡がつきません。私たちは、お昼の飛行機で予定通りウェリントンに飛びます。ウェリントンで5日ほど滞在した後、フェリーで南島へ渡り、車を借りてクライストチャーチに行くはずでした。

 私どもの身を案ずるメール、そして、このブログを見て安心したというメールをお届けくださったたくさんの皆様、本当にありがとうございます。お一人ずつに必ずお礼のお返事をさしあげますので、どうかもう少々お待ちください。 

 牧場で、ハートの模様がついている牛に出会いました。自然のお茶目ないたずらでしょうか。
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2月21日(火):「フュージョン」という名の食文化
2月22日(水)予定:NZ風パーティー術
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:37| Comment(2) | ニュージーランドライフ

2011年02月22日

クライストチャーチでM6.3 の地震!

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 若い人達に混じってのオークランド大学キャンパスツアーからホテルに帰ってきたところに、東京の娘から電話が入りました。「今どこにいるの?」という何やら慌てた様子の質問に、のんびりと「ニュージーランド!」と答える私。

 そんなことわかっている、と言わんばかりに、続いた言葉は、直前に起きた地震のことでした。あわててネットを立ち上げれば、

「ニュージーランド南部のクライストチャーチ近郊で、日本時間の22日午前、M6.3の地震があり、建物が壊れるなどの被害のほか複数の死傷者が出ています。」

 とのこと。ここ、オークランドでは何の揺れも感じなかったので、そんな大変なことが南島で起きていたなど、これっぽっちも知りませんでした。驚いてテレビをつければ、どのチャンネルもクライストチャーチの地震のニュースで持ちきりです。瓦礫の山の中から救出された血まみれの婦人の姿なども画面いっぱいに映されて、いやがおうにも不安を駆り立てます。画面の下には受け入れ可能な病院の情報などが、テロップで流れ続けています。

 実は、私たちも27日の日曜日からの5日間をクライストチャーチで過ごす予定になっています。しかも、アメリカの南極観測基地での3ヶ月の仕事を終えた義理の娘が、つい昨日、クライストチャーチに下り立ったはずなのです。そして私たちの到来を待っているはずなのですが、彼女とはまだ連絡がとれません。

 東京の娘からの電話の後、何人もの方々から私どもの身を案じてくださるメールをいただきました。この場を借りてお心づかいに心から感謝を申し上げますと共に、私どもは無事にオークランド暮らしを続けておりますことを御報告いたします。

 どうか被災地の皆様にこれ以上の災害が起こりませんように。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 12:38| Comment(1) | ニュージーランドライフ

2011年02月21日

やった!できた!の洞窟体験〜ワイトモ鍾乳洞

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 やりました!できました!大丈夫でした!

 洞窟の入り口で、案内の青年がいくつかの注意事項を述べます。そして最後にこう言いました。「何か質問のある方はいますか?」

 思いきって手をあげてこう訊ねました。「あのォ、少しばかり『クリストフォービア』の気があって、この中を歩き通せるか、ボートに乗れるかどうかの自信がないんです。万一途中で具合が悪くなったらどうしたらいいでしょうか?」

 すると青年がこう答えました。「それでは一番先頭に来て、いつも僕のそばにいてください。いよいよとなれば、来た道を戻ればいいですよ!」

 そして洞窟の中に足を踏み入れるや否や、私の緊張を解こうと、「どこから来ましたか?」とか、「ニュージーランドは初めてですか?」とか、「観光ですか?」などと、当たり障りのない質問をまるで英会話の練習のように続けてくれます。

 高い天井から石灰石の雫が滴り落ちる音だけがうす暗い洞窟の中に響き渡ります。入り口も出口も見えない鍾乳洞の中で、そんな一人の青年の声にどんなに救われたことでしょう。

 ぽとり、ぽとりと落ちる雫が結晶の層となって堆積し、たった1立法センチの鍾乳石を形作るまでに約100年の歳月が必要だといいます。そんな悠久の自然の営みの前には、どんなに一生懸命生きていようが私の存在なんて太平洋の藻屑のようなもの。そう気づいたら、力んでいた肩の力が抜けました。

 ただ一度、ザワザワと不穏な予感がやってきそうになったのは、洞窟の中を流れる真っ暗な川まで下りて、ボートに乗り込む時のことでした。「僕から離れないように」と言われていたにもかかわらず、ちょっともたもたとしているうちに、青年が誘導するボートの席が埋まってしまい、私の目の前で乗船口の扉が閉まってしまったのです。そして、水面をすべるボートの音が聞こえなくなって、深い闇と静寂に包まれてしまいました。

「ツチボタルは音に敏感な生物ですので、決して声を出したり、音を立てたりしないで下さい。」というルールを侵さずに、いったいどのように助けを求めたらいいのでしょうか。もしも次のボートが来るまで10分も待たねばならないとしたらと?いう不安が息苦しさに変わろうというまさにその時でした、空っぽのボートが水面をこちらに滑ってきました。

 その後で展開された、まるで宇宙に漂っていたような、ツチボタルとの時間については、また、明日詳しくお話しします。

 朝の6時55分に出発して、夜の8時半戻り。私の「Gray Line Tour Code 7R」体験です。珍しくこうした「ツアー」に参加しました。

 ところで「クリストフォービア」とは?
 本当は、「Claustrophobia」=クローストロフォービア=閉所恐怖症 を意味する英語ですが、私はいつも「クリストフォービア」と言っています。これで通じなかったことは一度もありません(笑)。

 クリストはギリシャ語で「closed」、フォービアは「fear」。ずばり「閉ざされた恐れ」です。こんな風に英語の医学用語の大半はギリシャ語から派生しています。たとえばもう1つ調子に乗って言えば、子供たちのことはギリシャ語では「ぺディア」、お医者様は「ヤトロス」。英語で「小児科」を何というかご存知ですか?「pediatrics」です。ね、ほとんどがこんな感じ、面白いですよね。

 さてさて、「やった!」「できた!」「大丈夫だった!」という本日の成功体験をしっかりと胸にきざんで、遅まきながらようやくちょっとした自信が持てました。再び洞窟探検をする機会でもあれば、また果敢に挑戦してみるかもしれません。

 残念ながら洞窟の中は写真禁止。お見せできるのは出口だけ。入り口は緊張していて写真を撮ることなど全く忘れてました(笑)。
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2月20日(月):さすがに食べられなかったゲキマズランチ
2月21日(火)予定:「フュージョン」という名の食文化
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(1) | ニュージーランドライフ

2011年02月20日

閉所恐怖症が広げる世界

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 昨日のパーティーの前にホテルまで迎えに来てくれたケネスとビビアンが、まず私たちを連れて行ったのが彼らの家でした。オークランドの中心部から車で20分ほど走った所です。

 入り口からして坂の上にあるこの家は、驚いたことに全ての部屋が大きな窓でぐるりと囲まれています。もちろん隠すべき所は上手に隠してありますが、まさに全方位外交という感じです(笑)。高台の部屋から見えるものは、枝を広げた大きな木と、木々の間から垣間見える緑のクロッケーグラウンド、そして庭の野菜や果物や花々と、あとは海。さして大きな家ではありませんが、その開放感たるやかなりのものです。影の部分にあるのがたくさんの書棚と本なのは、やはり学者の家です。
 
 二階から繋がった裏庭のパラソルの下には、使い込んだ大きな白いテーブルが置かれています。お昼時の眩しい明るさの中で喉を潤していくエルダーフラワー水の冷たさが、何だかとても特別な時間を過ごしているような気持ちにさせます。

 元々は小さなプールだった場所を庭に換えて、二人は色々なものを育てています。大きなセラミックの鉢からはプルメリアが香り、何色ものハイビスカスが太陽に顔を向け、グースベリーが実をつけて、トマトと苺が色づき始めています。ビビアンが摘んでくれた苺のなんと甘く、なんとおいしかったことでしょう!

 こんな家でこんな暮らしができるなんて、なんて幸せな二人でしょう。
 と思ったら、ビビアンが言いました。

「実は私、閉所恐怖症なの。だからこうしてどこからでも外が見えて、風を感じる家でないと暮らせないの。損な性分でしょう。」

 折しも同じ日の朝、たまたま出会った夫婦がいました。名前も知りませんが、カリフォルニアから来ているということと、自転車に乗りに来ているということ、そして5週間ものバカンスだということだけはわかりました。とうに60は超えているだろうと思われる二人が、日焼けした腕で自転車を支えながら言いました。

「これはMy Bicycle。アメリカから持ってきました。これまで90カ国に行って、そのうち73カ国で自転車旅行をしましたよ。」とご主人。

 驚きの表情を隠せないでいると、夫人が、

「実は私、閉所恐怖症の気があって、、、動き回るには自転車が一番いいんです。周囲が全部見渡せますし、風と一緒に走れますから。」

 たまたま同じ日に聞いた「閉所恐怖症」という言葉。確かにそれは本人にとっては実にやっかいなものでしょうけれど、その結果が風の渡る家になり、風と一緒に動く旅になるのなら、それはそれで素敵なことではありませんか。

 かく言う私もちょっとそれ気味(笑)。明日は早朝に出て、オークランドから車で3時間以上も離れたワイトモ洞窟に「ツチボタル」を見に行く計画を立てました。けれども直前で怖気づいて洞窟に入るのを止めるかもしれません。それだって、行かないままでずっと思い続けているよりはずっとまし。天井一面をホタルが埋め尽くすという洞窟に流れ込む風の、そのそばに立っていられるのですから。

 ちなみにビビアンからはこう言われています。

「ナオミ、30分前から暗示をかけるのよ。こわくない、こわくないって。そして深呼吸を繰り返すの。それでも駄目ならあきらめることね。Good Luck!」
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2月19日(土):船の上のマイランチは太巻き寿司
2月20日(月)予定:さすがに食べられなかったゲキマズランチ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:41| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年02月19日

南太平洋に近いということ〜実にNZらしいパーティー

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 こちらに来てから最初の週末を迎えました。到着した翌日から大学の集中講義が始まったパートナーもやっとお休み。ということは私の自由時間もお休み(笑)。

 素晴らしく晴れ渡った土曜日です。こちらの人は、「何て暑い夏だろう。」とため息をついていますが、我々、日本の夏を知っている者にとっては「何て過ごしやすい夏だろう。」と言わずにはいられません。まずもって湿気が全然ありません。いつも心地よい風が吹き渡っています。いくらお日様が照っていたって、汗をぬぐうハンカチを使ったことがありません。

 そんな今日、オークランドの郊外で、実にニュージーランドらしいパーティーが開かれました。オークランド大学のロースクールを統括する判事が、夏休みのキックオフに教授たちを家族ごと自宅に招待したのです。子供たちを含めて40〜50人はいたでしょうか。私たちはその中の二人です。

 居間から通じる中庭には小さなプールがあって、子供たちのはしゃぎ声が絶えません。アイスボックスにはたくさんのビールとワイン。庭のオリーブの木の下では、ステーキとソーセージが焼かれます。室内のテーブルには、ホスト&ホステスが用意したご馳走に加えて、各自が持ち寄ったお皿が並びます。

 途中でホストのテッドが椅子の上に立ち上がって演説を始めました。同じ時、同じ場所で集うことができたことに感謝をし、それぞれにとって良い夏であることを祈り、結婚したばかりのカップルを紹介し、新参者の私たちを紹介します。しゃべりのプロは随所にユーモアを散りばめて、すでに十分になごんでいた私たちをますますなごませます。

 ここに来る前に立ち寄ったロースクールのディーンの家で、「ナオミ、帽子を持っていくといいわ。好きなのを取って」と夫人のビビアンが運んできてくれた帽子が、実に役に立ちました。中庭のパーティーでは、ともすればガンガン照りの日なたに立ったままおしゃべりを交わさねばならないからです。

 色々な方々と話す機会がありましたけれど、とりわけ長く話し込んだのは、すでに70を越えたであろうと思われるジムと、オーストラリアで生まれ育ってニュージーランドにやってきた、若くチャーミングな新入り教授でした。

 ジムは新政府の法律を策定するために、1960年代の前半8年間をニューギニアで働きました。彼が仕事を終えてニュージーランドに戻ったすぐ後に私が行ったことになります。私たちは、ほかの誰ともなかなか共有できない話に夢中になりました。こんな所でそんな話ができることを、私も驚き、彼も驚きました。私たちはシングシングという、二つの山奥で交互に毎年開かれるお祭についても語ることができましたし、マダンの気だるい熱帯の空気や、ニューアイルランド島の先っぽの小さな町、カビエンについても語ることができました。

 ジムの生徒でもあったという若いダニエルは、高校時代の10ヶ月を大阪で暮らしたことがあります。時にタイミングよく、日本語が混じります。彼女は南太平洋諸島の法制度が専門です。私たちは、多くの島をノスタルジックに語り合い、たくさんのことに共感し、南太平洋を舞台に小説を書いたモームや、タヒチに居ついてしまったゴーギャンの生活にまで話を展開しました。

 先住民族が住むこの島に移民としてやってきたのは、イギリス人たちでした。19世紀前半のことです。1840年にはイギリス政府がニュージーランドの統治に乗り出し、ここをイギリスの植民地としました。最初の移民がウェリントンに入ってからわずか6年でその数は9千人にまでなりました。そして、1850年代後半には、イギリス人の数が先住民族のマオリの人口を超えてしまったのです。ちなみに、現在、自らがマオリであると認識している人たちは、国民全体の約15%です。

 今日のようなパーティーは、本国のイギリスでは決してありえないものだろうと思います。人々がみな実にオープンで屈託なく、ちっとも気取らずに、新参者をも暖かく受け容れてくれます。そんなカルチャーは、ここの気候と同じように、本当に居心地が良いのです。

 南太平洋の島々と、距離の上でも心理的にも近いということは、こんなにも人々のあり方を変えるものなのでしょうか。
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2月18日(金):スーザンの朝食
2月19日(土):船の上のマイランチは太巻き寿司
2月20日(日)予定:さすがに食べられなかったゲキマズマイランチ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:10| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年02月18日

犬も歩けば棒ばかり

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 いったい何て面白い所なんでしょう。今、私はこの町ととても折り合いがよく、とても仲が良いような気がしています。たとえば三叉路があったとします。右に行こうか左に行こうか迷って、えいやっと決めた方向に行ってみれば、そこで必ず何かしら面白いものに出会うのです。

 とは言え、同時にもう1つの方向に行ったわけではありませんので、もしかしたらそちらの方向に行っていればもっと面白いものに出会ったのかもしれませんが(笑)。

 方向音痴の私が、まず道に迷うことがないのも奇跡的です。動物に近かった子供の勘を取り戻し始めているのかもしれません。ここは私の生まれ育った町のように、坂の多い町ですから、方向がわかりやすいのです。加えて一日中優しい風が吹いていますから、風を聴いてみれば海の方角がわかります。こんな私が勘に頼ることができる、めったにない町です。

 おまけに、日一日と身も心も軽くなるにつれて、やたらと人に話しかけたくなります。するとそんなモードが反射して、今度はやたらと人が話しかけてきます。その結果、色々な情報が飛び込んできます。こんなにみんなが親切で、感じの良い話し方をする国だとは、思ってもみませんでした。

 昨夜の食事は突然港に行きたくなって、ヒルトンの中にある「White」を予約したら、何と「Queen Elizabeth」に出会いました。この巨大なクルーズシップは、昨日の朝、オークランドの港に入港し、24時間停泊した後にまた周遊の旅を続けるのです。空を見上げれば、ビルのようにそびえたつ船の上に満月が美しく輝いていました。

 そして、今日もたくさんの棒に当たりました。

 坂道を何となくいつもと逆方向に折れてみたら、大きな公園がありました。公園に面した通りでは、青年達がテントを張ったり、せっせと荷物を運んだりしています。きっと何かがあるに違いありません。つかつかと近づいて話しかけてみました。こんなこと、ふだんだったらめったにしないんですけれど(笑)。

「『Lantern Festival』ですよ。今日の5時に始まって、明日、明後日と3日間,この通りにずらりと屋台が並んで公園の中は歌や踊りで大騒ぎになるんです。毎年この時期の大きなお祭ですよ。私ですか?ほらこれ、カキ氷を売ります。」

 と言う黒いTシャツに白い短パンの快活なお嬢さん。つい、氷を食べに来ることを約束してしまいました。まだ閑散とした、準備中の公園の中に入れば、入り口にはお釈迦様が陣取って、これから高く飾られるであろう大きな龍が道の上にゴロンと寝転んでいたりと、あちこちが中国ムード満載です。

 ガイドブックにも載っていなければ、聞いたこともなかった「ランタンフェスティバル」。調べてみればどうやら今年で12年目を迎えるお祭のようです。このお祭のために特別に中国から何百という色鮮やかな提灯が取り寄せられて、今晩から3日間は、中華料理の露店が並び、中国の伝統芸能のパフォーマンスもエンドレスだとか。

 このアルバータ公園は、私たちが居る所から歩いて5分です。今までどうしてそっち方面に足を向けなかったのかが不思議なくらいです。今朝の私が何気ない勘でそちらに曲がったりしなければ、いまだに何にも知らないままだったことでしょう。

 探していたお料理の本がどうしても見つからなくてあきらめていたのが、まさかと思いながら入った本屋さんの支店にあることがわかりました。書いてくれた地図を片手に行った店では、私の名前が書かれた封筒に欲しかった本が入っていました。

 月曜日の遠出のツアーのアレンジもすみましたし、船で対岸のデポンポートという町へ渡って、海沿いの道を北の端まで歩くこともできました。小さなチョコレート工場を見つけて、夫へのお土産も買うことができましたし、町の古本屋で素敵な本にも出会いました。腰を下ろしたカフェでは、これまた探していたあるスープの味に出会い、レシピを書くために、お店の人に聞きながら、五感でしっかり記憶に留めました。

 こんな小さなことばかりですけれど、みんな何だかとてもうまく行くのです。

 子供の頃、よく母が言った言葉があります。

「あのね、人間ってとても不思議なものなのよ。あなたが誰かを嫌いになれば、その誰かもあなたを嫌いになるの。この人ちょっと苦手だなあ、と思っていれば、きっとその人もあなたに対して同じことを思っている。逆に誰かを好きになれば、きっとその誰かもあなたのことを好きになってくれると思うわよ。」

 生意気盛りの私は、「そんな都合のいいことあるわけないじゃない。」と、言い返し、大人になって妥協とあきらめを覚えてからは、「苦手な人は苦手だもの。しょうがないじゃない。別に万人に好かれなくたってかまわないんだし。」などと開き直るようにもなりました。

 それがまたある年代にさしかかったら、何ていうのでしょうか、苦手な人の中にも良い所、かわいい所が見つけられるようになって、気持ちがユルユルと楽になってきました。

 相手は人間ばかりではなさそうです。「何だかしらないけど好きだなあ。」と思いながら歩く町は、次々と色々な魔法で私を楽しませ、親切で私を助けてくれます。

 ところで今日、クイーン通りとビクトリア通リの交差点の本屋さんの前で、テレビの街頭インタビューをされてしまいました。「今日はお買い物ですか?ここの本屋はよく来ますか?どこらへんにお住まいですか?」に始まる質問に、この国の懐の広さを垣間見た思いです。

 色々な国からの移民が暮すこの国では、たとえ私のような者でもこの町で買い物をする一人の住人に見えるのです。午前中に偶然通りかかった「ランタンフェスティバル」の会場でも、中国系、アジア系、キウイと呼ばれる白人たち、そして色黒のマウイ系の人たちが一緒になってテントを組み立てていました。
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2月18日(金):スーザンの朝食
2月19日(土)予定:船の上のマイランチは太巻き寿司
2月20日(日)予定:さすがに食べられなかったゲキマズマイランチ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:46| Comment(0) | ニュージーランドライフ

2011年02月17日

歩きまわった「自分勝手日」〜オークランドドメインを抜けて

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 真っ青な空と綿のような白い雲、そして明るい太陽と、影を揺らすそよ風、そんな、絵に描いたような日です。朝は春のようにカーディガンを羽織っていたのが、昼間はTシャツ1枚の夏になり、夜にはもう一枚薄物をまとう秋になります。晴れた日にはこんな風に、一日のうちで季節が巡ります。

 午前中からずっと歩いています。どちらかと言えば歩くことは苦手なはずなのに、ここに居ると先へ先へと歩きたくなってしまうのが不思議です。地図を確かめたくて芝生の上のベンチに腰をおろせば、足元にスズメが寄って来て、脇にスケートボードを抱えた少年が通り過ぎて行きます。

 今日の最初の目的地は、ダウンタウンを見下ろす小高い丘の上に広がる「オークランドドメイン」。81万平米もの大きな公園です、ここに、マオリや南太平洋諸島の歴史コレクションを集めた博物館があります。そして南半球の花々が咲く植物園があります。

 メインロードを離れて「Lover’s Walk」という小径に入ってみれば、そこは鬱蒼とした熱帯樹林を思わせるような森の中です。上へ上へと登って行く小径の右側から聞こえていた川のせせらぎが、いつの間にか左側から聞こえ始めます。見渡す限り私ひとり。一瞬ひるんで、元来た道を引き返そうかと思いましたが、やめました。「引き寄せの法則」によれば、良いことだけを考えていれば、悪いことは起きないはずだからです(笑)。

 薄暗い小径を登りきったところで待っていたのは、広大な眩しい平地でした。芝の上に座る母と息子の周りを、カモメたちが歩き回っています。ほっと一息、木陰のベンチの端っこに座って本を読んでいたら、アイスボックスを持った中年の女性が、年長の婦人と共に私のとなりに座りました。そして、「Excuse us.」と言いながら紙皿とサンドイッチと飲み物を取り出しました。

 「ウインターガーデン」と言う名の植物園では、私の大好きな水辺の花たちが、ゆっくりと流れる時の上に浮かんでいます。そんな景色に、真昼間のビールという贅沢を付け加えてから、この広大な公園を、来た時とは反対の方向に歩いてみることにしました。方位磁石を持って来なかったのが悔やまれましたが、東に抜ければたぶん「パーネル」の町に行き着くはずだったからです。

 随分と長い間太陽の下を歩いたような気がします。足も痛くならず、疲れもせず、日に焼けることも厭わずに歩き続けました。たとえこのツケが皺やシミになって表れたとしても、今日はこの空気と太陽をまとって歩きたかったのです。

 そして今、私は、パーネルの町の目抜き通りに面したカフェの外テーブルで、2杯目のコーヒーを飲みながらこれを書いています。3時から5時までは「Happy Hour」。どんなコーヒーも一杯3ドル(約200円)です。何だか帰りたくなくなるぐらいにいい気持ち。

 夫とは基本的な価値観はもちろん同じです。そうでなければ一緒にいることは難しいでしょう。けれども、足を止める場所が微妙に違い、足を止める時間が微妙に違います。

 私は、花や動物や海ならばどんなに見ていても飽きるということはありません。そんな時の彼は文句も言わずにじっと待っていてくれますが、正直、退屈をしていることがわかります。同様に、夫が長い時間をかけて見てまわる古代の遺跡などでは、今度は私の方が退屈をしながらじっと待っています。

 ですから時にはこうして一人で歩くことは、何かあったらどうしようとか、迷子になったらどうしよう、などという不安や恐れを勘定に入れても、とても自由でとても楽しい時間なのです。好きな所に好きなだけ留まって、好きなものを好きなだけ見ることのできるこんな日を、私は心ひそかに、「自分勝手日」と呼ぶこともあれば「My Adventure Day」と呼ぶこともあります。まずもって、そのためには「好きなもの」のある所でなくてはなりませんけれど(笑)。
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2月17日(木):ワイヘケ島の葡萄棚の下で
2月18日(金)予定:スーザンの朝食


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2011年02月16日

ワイヘキ島への旅〜海とワインとオリーブオイル

 
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 毎朝8時30分に夫が大学へと出かけた後、私はしばらくベッドの上で書き物をし、おもむろに部屋を片付け始め、そして出かけます。

 ここへ来てまだたった3日しかたっていないというのに、もう随分と歩き、随分と町を知ったような気がします。やりたいこと、行きたい所が、毎日次から次へと出てきます。

 ストッキングを履かずにすむ暮らし。
 素足にサンダルをひっかけて歩ける暮らし。
 暖かくて、熱くて、涼しくて、でも決して寒くはない暮らし。
 いつでも海のそばに行ける暮らし。
 その気になれば言っていることがほとんどわかる暮らし。
 その気になれば言いたいことをほとんど言える暮らし。

 そんな暮らしが、そんな場所が、どんなに心の形を柔らかく変えてくれることでしょうか。何とか理由をこしらえては家にこもっていた、昨年の北イタリアの町に居た私と、今の私ではまるで別人のような気がします。たとえ一人になろうが、それを絶好のチャンスととらえ、私は私の時間を好きなように組み立てて、私の時間を好きなように使うことができます。そんな風に考えられるも、心の形が変わったからなのでしょう。

 今日はオークランドの埠頭から、船で40分のワイヘキ島へ渡りました。ここは人口8千人ちょっとの豊かな自然に恵まれた島です。雲におおわれた生憎のお天気だったのに、どこまでも続く海岸線も、広い砂浜も、たわわに実る葡萄も、生まれたての幼いオリーブの実も、全てが静かに美しいのです。

 北半球では昨年のうちに収穫を終えた葡萄やオリーブは、南半球のこの国では4月から5月が豊穣の時です。タンポポが咲く野には、コスモスが揺れ、その隣で深紅のハイビスカスがあでやかに咲いている風景などは、まるで四季が勢ぞろいしてしまったようです。

 一日この島にいて、4軒のワイナリーとオリーブオイルの製造所をまわりました。訪ねた先では、まずワインとオリーブオイルの試飲です。気づいてみれば、出されるままに、各ワイナリー自慢の赤2杯、白3杯、ロゼ2杯、そして白エールを1杯と、日がな一日恐ろしいピッチで飲んでいました。

 実にいい気持ちで、将来の小説のネタになりそうなことなども浮かんできてはメモに書き留めたりしながら(笑)、船に揺られていたのですが、、、、、、最初の港で急いで飛び降りたら、どうも様子がおかしいのです。いやにさびれてます。頭を正気に戻してはるか彼方を見れば、なんとオークランドの町が見えるではありませんか。結局、このデボンポートという町の波止場で切符を買いなおし、次の船まで時間をつぶすことになりました。そんな失敗ですらも、なんだか面白おかしくてなりません。

 小高い丘の上の家を借りて
 一日中、南太平洋の島々へと繋がる海を見て
 葡萄畑から運ばれるワインを飲んで
 きちんとしたパンと
 きちんとしたオリーブオイル
 そして読んで、書くことさえできるなら
 それで充分
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NHK「深夜便」レポーターの中野眞由美さんによるカイロレポートの最終回です。どうなることか皆目わからぬ進行形で始まった、歴史を揺るがすできごとが、短い間にこんな形で終幕を迎えました。とは言え、エジプトの人たちにとっては、陣痛を通り抜けて産声をあげた赤子を立派に育て上げねばならない仕事が残っています。卒業式のことを英語で「Commencement」(始まり)と言うように、いつだって終わりは始まりです

これまでも中野眞由美さんのいくつもの言葉に心を揺り動かされてきましたが、今日もまた、「<希望>ということばが、実際に意味をもっていることに初めて気付かされました。エジプト人の方々にとっても私達にとっても。このような日に立ち会えた私達には、望外の喜びです。」という部分にとても感動しています。

眞由美さん、ありがとうございました。

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広場中央に設けられていた野外病院で働く看護婦さんを訪ねました。1月28日にいとこを殺されて「ムバラクが、辞任するまでここから動かない」と言っていた女性です。私達が、広場を訪問するたびに挨拶して来ました。

2週間以上も不眠不休で看護に当たっていたため疲労の色が濃いにもかかわらず相変わらず怪我の手当てを求める人達に笑顔を絶やしていませんでした。その女性に「やり遂げましたね」と言いましたら「AT LAST!」と返って来ました。

さてこんな最中にエジプト人のノクタ風ユーモアをひとつ発見しました。

「シャルム・エル・シェイクに蟄居しているムバラクが、次期大統領選に立候補しました。何とチュニジアの大統領になろうというのです。<ぜひ私をチュニジアの大統領に!>チュニジアの国民は、答えました。それだけは、ご勘弁を! ムバラクだったらまだベンアリの方が良い。だってベンアリのほうが、ムバラクよりずっと潔いから」
皆が、足を止めてどっと笑い転げています。

アラブ連盟ビル前にある戦車では、子供達や男女が軍隊の兵士と一緒に記念撮影しており、こちらはすっかり<革命記念テーマパーク>と化していました。

時代は、すでに変わりつつあります。<変化の胎動>というところでしょうか。
<希望>ということばが、実際に意味をもっていることに初めて気付かされました。
エジプト人の方々にとっても私達にとっても。
このような日に立ち会えた私達には、望外の喜びです。
今後も事態が混迷することを、市民は百も承知。
しかし、ここタハリール広場の<市民革命元旦>に立ち返れば必ずよりよい時代が来るだろうということを確信しております。

広場ということばは、市民が生きていく決意を示す場所ということのようですね。
エジプト人にとって初めて身をもって体現した場所と相なりました。
古代エジプトにはこのような空間は、ありません。
古代ギリシャであれば「アゴラ」ということになるのでしょうか?
こちらの想いも飛翔しており、留め度ありません。

そうそう、エジプトの革命にまだ正式の名前は付けられていませんが、一部では『白い革命』とも呼ばれています。無血革命のことですね。 (完)
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2月16日(水):私たちの2011年バレンタインデー
2月17日(木)葡萄棚の下のランチタイム
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2011年02月15日

B&Bの一長一短〜抜き足差し足の二所帯生活

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 何でも揃っている大きなホテルでも、伝統ある小さなホテルでも、いわんやミラノのように家具付きのアパートを借りているのでもなく、珍しくB&Bにいます。場所はパートナーの仕事に合わせてオークランド大学のすぐ近く、忘れ物をしたって講義の合間に取りに帰れるぐらいの所です。しかもダウンタウンまで歩いて行けるので、フラフラする私にとっても好都合。

 B&Bとはごぞんじの通り、Bed & Breakfastのこと。だいたいがちょっと大きな私宅を開放してご夫妻でやっています。泊まる方からすれば、長くなればなるだけ、だんだんお客というより下宿人、あるいはホームステイ、そして家族っぽくなっていきます。

 これはにはもちろん一長一短があります。その例をお話しする前に、まずは宿について簡単にご紹介いたしましょう。

 この屋敷は1901年に建てられました。ところが1974年に、政府が前の通りを一新して裁判所を建てることになりました。結局は住民たちの反対で、計画は白紙に戻りましたが、騒ぎの中でこの家を購入し、古き良き時代の雰囲気をなるべく残しながらも、現代の利便性を取り入れた快適な住居へと改築したのが、スーザンとジョンでした。子供たちも巣立ってしまって二人残された彼らが、再び改築をしてB&Bを始めることにしたのは、今から6年前のことだったと言います。

 旅をしていると、時々こうしたご夫婦に出会います。アメリカ、メリーランド州東海岸の小さな町イーストンの、ビクトリア様式のピンク色のB&Bの主も、弁護士から転業したシェルビーとロンのカップルでした。建て増しをし、庭を美しく整え、インテリアにはとりわけこだわりを見せました。

 「リタイア後の人生に望んだことは3つありました。1つは、これまでやってきたことと全く違うことをしたかったこと。2つ目は、夫婦が一緒にできる何かをしたかったこと、3つ目は人に喜んでもらえる仕事をしたかったことです。」

 シェルビーとロン夫妻のそんな言葉は、そのままこの家の主たち、スーザンとジョンにも通じるような気がします。

 いくら大きな家と言っても、ホテルとは違いますから、客室は2階に3室あるだけです。1階の玄関を入れば、大きなラウンジが2つと事務所。そして地下がキッチンとダイニングルームと夫妻の部屋です。私たちは今、2階を全て占拠しています。どの部屋も開けっ放しにして、出たり入ったりしているのですから、B&Bに泊まっている、というよりは、2階を間借りしている、と言った方が近いような気もします。この家に暮らしているのは、夫妻と私たち、そして2匹の犬です。

 さて、そんなB&Bの一長一短とは?

 まずは悪い方から。悪い方を先に済ませてしまって、良い方で〆るのがコミュニケーションの秘訣です(笑)。

 到着早々、町の概略、歴史の講義をいやおうなしに受ける羽目となりました。
 次に、地下の壁に貼られた大きな世界地図の前に立たされて、これまでのお客様についての語りを聞くこととなりました。そして、赤い頭のついたピンを持たされて、「さあ、あなた方の国にピンをさして。」という作業が命じられました。二人の趣味と願望はこの世界地図を真っ赤にすることのようなのです(笑)。

 今朝朝食に下りていったら、食べる間ずっとスーザンが隣に立っておしゃべりをしていました。夫を送り出して、ようやく静かに一人本でも読もうと思ったら、スーザンが、「ちょっと失礼。私、鍵束をどこかに落としたようなのだけど、ここらへんにないかしら。」と私の部屋に入ってきました。

 でも良いことだってたくさんあります。

 わからないことは何だって教えてくれますし、迷っていることの相談相手にもなってくれます。今もスーザンは私に、ニュージーランド料理の本を3冊も借してくれていますし、「ナオミ、明日はここに行ったらどう?」とプランをたくさん考えてくれます。「どこそこのレストランに行く」とでも言えば、今度はジョンが飛んできて、「いいかい、あそこでは絶対に『キングフィッシュのグリル』を食べるんだよ。」と自分の好みを押し付けます(笑)。

 つまりB&Bの悪い所と良い所は、両方とも「お節介」。そんなお節介がわずらわしい人は、たずねたことだけにきちんと答えてくれる有能なコンシェルジュがいるホテルを選べばいいでしょう。また、電気のヒューズが飛ぼうが、エアコンが壊れようが、独立独歩自分で解決する面白さを求めるならば、家具付きアパートを借りればいいでしょう。

 そんなことを言いながら、結局今の私は、良くも悪くもスーザンとジョンのお節介を楽しんでいます。お部屋の鍵のほかに、玄関の鍵も持たされて、昼でも夜でも自分で開けて入ります。酔っ払って夜遅くなった時には、気づかれないように細心の注意を払いながら、抜き足、差し足、千鳥足。静かに階段を上る二所帯同居生活です。
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引き続きムバラク解任後のNHK「深夜便」レポーターの中野眞由美さんによるカイロレポートをお届けします。今日は昨日の続きです。

広場中央にはこの広場で亡くなった11名の名前と写真が掲げられていて「この世で辛い思いをした人達は、あの世では天国に入るでしょう」というコーランの一節が添えられていました。
広場を訪れた人たちは、ここで必ず足を留めています。黙祷を捧げている人達や白いキクや赤いバラを手向けている人達も居ます。

広場中央には「難産のあとに新しい子供が、生まれた。今日は、革命記念の初日だ」と書かれているボードがあります。コーナーのところではミニ・コンサート(ラップ音楽?)が行われ若者達で大変な賑わいとなっています。

ふたたび広場の清掃に当たっている5人組の女性達に尋ねてみました。

「私達は、薬学科に所属しています。私ともう一人は講師で、他の3人は学生です。今日は薬ではなく、清掃用具を持って来ました。それから皆で打ち合わせたのは、エジプトの国旗をイメージする服をコーディネートして来る、ということ。世界も注目してくれていますし、
私達も胸を張って<私達は、エジプト人です!>と伝えたいから。」

皆さん、実に品の良い赤と白と黒を使ったセーターとシャツで決めていました。

20代前半と思われる一人の聡明そうな女性が、家族と写真を撮っていたので尋ねてみました。

「タハリール広場には3日連続して来ています。エジプトの<革命新年>を家族と祝いたくて。今日は初めて両親と妹達を連れて来ました。」

お父さんは、明らかにムスリム同胞団の方ですが(髭で分かります)相好をくずしてこちらにも挨拶してくれます。  (明日に続く)
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2月15日(火):乙です!銀座でイワシ料理
2月16日(水)予定:私たちの2011年バレンタインデー
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2011年02月14日

ニュージーランド到着〜「ああ、いい季節に来たなあ。」

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 ニュージーランド航空オークランド行きの出発時間は夕方の6時30分。三連休の最後で、途中の首都高が混雑しているかもしれないことを考えに入れても、家を出るのは2時で十分です。普通に早起きすれば、荷造りもできますし、家を掃除することもできますし、気になっている急ぎの仕事を片付ける時間だってあります。

 日本を空けるのがどんなに長くなろうとも、成田空港まではいつも車を運転していきます。出る直前まで、思い出したものをあれこれ詰め込むことができますし、大きなスーツケースやバッグを引きずって歩かずにすむからです。車のトランクにさえ何とか押し込んでしまえば、後は駐車場のおじさんが空港のカートに載せるところまで助けてくれます。私の車を家族が運転することはありませんから、たとえ何ヶ月車がなくたって誰も文句も言いません。しかもあずけた所が適度にメンテナンスをしてくれますから、バッテリーが上がってしまう心配もありません。加えて言えば、私が長年利用している場所の駐車料金は1ヶ月が上限。1ヶ月を過ぎればもうそれ以上値段が上がることもはありません。

「どのくらいまでなら預かっていただけますか?」と、ある時、聞いてみました。その答が、「半年ぐらい置いていかれる方もいますよ。」以来、私も腹を決めました(笑)。

 昨日は、あっけないほどに渋滞もなく、何と区内の自宅から成田空港まで1時間半で着いてしまって、空港でたっぷりの暇時間ができました。まずは本屋さんをハシゴして本を数冊、その後にゆっくり生ビールなど飲みながら買ったばかりの本を読み始めます。ここらへんからが私の「非東京時間」の始まりです。後に続く飛行機の中での時間と共に、これが1つの生活から、別の生活へと移るための「ギャップアワー」なのです。いわば「ならし保育」みたいなもの(笑)。

 オークランドに着いたのはこちらの時間で今朝の9時20分。日本時間で今朝の5時20分。ということは、昨夜はほとんど眠らずに朝が来てしまったようなものです。

 ニュージーランドは初めての土地です。初めての土地が自分に合っているかどうかを見分ける方法があります。1時間後、あるいは1日後に、「いい季節に来たなあ」と思うかどうかです。
たとえば昨年の秋から冬にかけてのミラノでは、いつも思っていました。「夏に来たら良かっただろうな。」と。

 オークランド大学のそばの宿に着いたのがお昼前。夏服に気がえてすぐに街に出て、港に面した海洋博物館で随分長い時間を過ごしました。真夏というのに決して汗ばむほどの暑さではなく、爽やかな風が吹き渡り、明るい太陽が影を作り、花は咲き、大きく枝葉を広げた木々の緑が眩しく目に映ります。美しい町です。そして、初めてなのになぜか懐かしく、他の季節を知っているわけでもないのに、「ああ、いい季節に来たなあ。」と嬉しくてたまらないのです。

 1901年に建てられた古い館を改修した宿に戻れば、窓の外から聞こえてくるのはセミの鳴き声、そしてそれを打ち消すかのようなかん高いカモメの声。窓から吹き込む柔らかな涼風が、レースのカーテンを遊ばせます。冷房も暖房も要りません。ふっと大きく息を吸い込めば、木々の匂いに混じって、塩の匂いが感じられます。そしてまたしても、「ああ、いい季節に来たなあ。」と呟くのです。

 モームの「月と六ペンス」はちょっと退屈で、恐らく好き嫌いの分かれる本だとは思いますが、中にこんな箇所が出てきます。ちなみに私は好きな本です。

「生まれる場所を誤る人がいる-----私にはそんな気がする。何かの間違いである土地に生まれ育ち、本来生まれるはずだった未知の土地への郷愁を抱きつづける。」

「ある場所に行き着き、これこそわが故郷だという不思議な霊感に打たれる人がいる。これこそ求めていたわが家だと確信し、初めて見る風景と初めて会う人々の間に腰を落ち着け、生まれたときからそこに暮らしていたかのように自然に暮しはじめる。そして、ようやく安息を得る。」

 この国、この町が私にとってのそんな場所だとまでは言いませんが、水平線の向こうには、広い広い太平洋が広がり、もしかしたら故郷かもしれないという土地が点在しています。

パペーテ、ラロトンガ、アピア、ナンディ、ポートヴィラ、ヌーメア、ニウエ、アイツタキ、、、、、オークランド空港から出ている定期便の行き先を唱えてみれば、憧れで頭がくらくらしてきます。そんな風に繋がっている場所が、どうして居心地の悪いわけがありましょう。

7時になろうとしています。けれどもまだ太陽が明るく輝いています。
いい季節です。
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引き続き、NHK「深夜便」レポーターの中野眞由美さんの、ムバラク辞任後のカイロレポートを3回に分けてお届けします。
一連のカイロでの出来事をご報告するのも今回が、とりあえず最後になります。

さて昨日(2月12日)もお昼時にタハリール広場に参りました。いつも利用しているタハリール橋に差し掛かったときにまず目に入ったのが清掃用具を持参している人達でした。
「あれっ、どうしたの?」
と思っているとアラブ連盟ビルの前ではエジプト人男性10人ぐらいがすでに道路を熱心に掃き清めていました。これにはもっと驚きました。

なぜならエジプトでは、ごみの清掃はジバラ(ごみ屋)に任せて自分達は一切手を着けない、というのが当たり前の風景で、まして普通の男性が公共の場で掃除をしているのを見たのは初めてでしたから・・。

すっかり驚いているまま、その中の一人の男性にお聞きしました。その男性曰く「FACE BOOKの『今日は、タハリールを清掃しよう』という呼びかけで参加しました。ムバラクで汚れた広場を僕達の手で綺麗にしよう、という呼び掛けです。
世界の人達もここに注目してますし、やりがいがあります。」
思わず「大変ですね」と言いましたら、「全然。泊まり込みのデモで何日も頑張った人達に比べれば。皆さんとっても疲れ切っている。その人たちにゆっくり休んでもらって、後は僕達の手ではやくこの広場を綺麗にしたい」と目を輝かせて言うではありませんか。

広場の中に入ると多くの若い男女、それに年長者も交じってごみ拾いから、モップを使った清掃、それに「落書き」を洗い流そうという人たちが、数多くいらっしゃいました。
その数ざっと700〜800人くらいでしょうか? 
時に笑いを弾けさせながら取り組んでいます。
その人たちの数も続々と増えています。(明日に続く)
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2月14日(月):耳たぶパスタとブロッコリー〜とっさのお客料理2
2月15日(火)予定:乙です!銀座でイワシ料理
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