2012年02月03日

あっけらかんと、大らかに

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 書くことはできなくたって、ありがたいことに読むことはできます。
 そしてさらにありがたいことに、読むことは大好きです。

 しかも、今は一時的に書くことができなくても、そのうちでできるようになれば、書くことと読むことは、世界のどこにいてもできる私の「ポータブルジョブ」であり、「ポータブルホビー」です。

 目下お手伝いをしている本が2冊あります。どちらとも、ぜひ世の中に出していただきたいと惚れ込んだ本です。ひとつは、やたら元気のいい青年による海外就職のハウツー本、もうひとつは、この方にこそ書き残していただきたい、という壮大な学術書です。

 最初の本は3月の出版に向けていよいよ最終段階に入りました。私も昨日から最終稿の校正にあたっています。これがまた、何度読んでも実にスカーッとする本なのです。閉塞感の雲の隙間から木漏れ日のように光が差し込んできて、「ああ、若い頃にこういう本に出会っていたら別の人生になっていたかも」と思います。

 著者は自分で言っているように、「留学経験のない、日本の高校、大学を出て、10年間日本で働いてきたただのサラリーマン」。そんな彼のあっけらかんとした大らかさは強みであり、魅力です。たとえば、

「国に縛られない生き方なので、どこかの国で経済的・政治的危機が起ころうと、移住することでその危機を回避できる、リスク管理の高い生き方と言えます。」

 これだって見方によれば、「行った先々で経済的・政治的危機が起きるかもしれないリスクの高い生き方と言えます。」と言えないこともありません。

 各所に散りばめられているこんなフレーズも大好き。

 「最後にパッキングして鍵を閉めた後はあまり気にしない方がいいと思います。」

 「美味しいものを食べればたいていの(根拠のない)不安はふっとびます。」

 「日本の正社員と派遣社員以外にも働き方はある。日本以外の国で働きながら生活する方法もある。」

 さてもう少し作業を続けましょう。最終稿ですからほとんど赤を入れるところもないのですが、時には困ります。だってほら、精いっぱい左手で書いたこの文字、自分でも判読できないぐらい。
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 それでもとにかくページを進めていったら、同じような赤文字に出くわしました。私の上を行く謎の文字です。しばし呆然、そし5秒後、「わかった、きっとあいつだ!」
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 「グランマのお部屋でお仕事してくるから邪魔しないでね。」

 と、私の部屋に閉じこもっていた小さな少年が、部屋から出てきた時に満足そうな顔で放ったあの一言、「ふーっ、お仕事終わった!」(笑)。

 出版社様、ごめんなさい。ここはもうあっけらかんと大らかにお許しください。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 12:13| Comment(2) | グローバル

2011年10月08日

心地よく混ざり合う場所〜コスモポリタン・キャノピー

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 5月に戻った時には、あろうことか上手に眠れない日々が続いてかなりつらかったのですが、今回は時差も全くなく、ストンと眠ってストンと目覚めています。先回は帰るやいなや、やらねばならないことが山積みで、緩急もなく急急状態。一方、今回はいい具合の緩急度。そんなことも眠りの形に繋がっているのでしょうか。長い間の手のしびれも、アメリカにいる間に、気づいたら消えていました。それに何たっていきなりこんな素敵なお天気ですもの。ソフトランディングには好条件ばかり。

 秋晴れ三連休の初日の今日は、横浜まで講演に出かけます。神奈川県善意通訳の年次総会です。私の出番の前に、来賓の方々のご挨拶や、皆様方の活動状況をお聞きできるのも楽しみです。たくさんの皆様にお会いできるのもまた楽しみ。それに何たってこんな素敵なお天気ですもの。

 講演のテーマは「グローバルって何だろう」。
お話ししたいことはたくさんありますが、こんなことを基軸にして展開していくつもりです。

「『当社ではグローバルな人材がほしい。』『私は将来グローバルに働きたいです。』『うちの子はグローバルに育てたい。』などなど、最近はまるで流行り言葉のように使われるようになった『グローバル』という言葉。それではいったい『グローバル』って何なのでしょう。外国語ができることでしょうか。海外で暮らしたことがあることでしょうか。外国人の知り合いがたくさんることでしょうか。私自身はそのどれもが当てはまりますけれど、だからと言ってそれが『グローバル』であるとは思いません。

 だいじなのは、言葉や地理的な状況ではなく、私たちの内側の視点です。自分がどんな視点で、どのように自分を取り巻く環境と関わっていくかというスタンスの問題です。どこに住んでいようがグローバルになることはできます。あるいは、グローバルな人間ならどこに住むことだってできます。それでは、そんな『視点』とはいったいどんなものなのでしょう。『スタンス』とはなんでしょう。本物の『グローバル』とはどういうことなのでしょう。そんなことをご一緒に考えましょう!」

 ワシントンを発つ直前の10月2日の日曜日、ホワイトハウスからもそう遠くないペンシルベニア通りの一角で「Turkish Festival」が開かれました。今にも雨が降り出しそうな冷たい風の吹く日でしたが、たくさんの人の熱気にあふれました。トルコ料理の屋台が並び、手工芸品や本の店も並び、トルコ語やトルコ文化を勉強するためのコースの紹介などもなされました。

 広場のステージではトルコのダンスが繰り広げられています。見まわせば本当に色々な顔がいます。垂れ幕には「歓迎」という言葉が20以上もの国の言語で書かれています。私たちの前にすわっているのは、どう見てもアジア系の顔をした5〜6才の少年です。そしてその隣りにすわるのは黒い肌にカーリーヘアーの小さな女の子です。音楽に合わせてトルコの赤い小旗を振っている2人の子どもをニコニコと眺めているのは、いかにもアメリカ人という風情の若い両親です。養子縁組がごくふつうに行われているアメリカでは、こうした風景はさして珍しいことではありません。

 最近知った言葉に「コスモポリタン・キャノピー(Cosmopolitan Canopy)」というものがあります。これはエール大学のElijah Anderson教授が自著の題名に使って以来、よく引き合いに出されるようになりました。キャノピーあるいはキャナピーとは、ベッドの上にかかる天蓋や、建物のひさしのようなもの。つまり一種のシェルターです。アンダーソン教授は、コスモポリタン・キャノピーとは、多様なグループが心地よく混ざり合う所であり、自分とは違う経験や考え方のキャッチボールができる所だと言います。

 曇天下のTurkish Festivalは、そんなコスモポリタン・キャノピーに見えました。
 そして今日私の話を聞いてくださる通訳の皆様方には、二つの言語、二つの文化が交叉し、感応しあう心地よいキャノピーを作っていただきたいと思うのです。

 それでは、行ってまいります!
 皆様どうぞよい週末を!

By 池澤ショーエンバウム直美

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今週のグローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
10月2日(日):やっぱり時にはカウントリー@ナッシュビル
10月3日(月):季節はずれのミルクシェーキ@ナッシュビル
10月4日(火):どこでだって懐かしい学食@テレホーテ
10月5日(水):夕日と一緒に空港ディナー@インディアナポリス
10月7日(金):瓜二つで大失敗@ワシントン
10月8日(土):アサイー実験室@ワシントン
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:27| Comment(2) | グローバル

2010年11月29日

エイヤっと柵を越えて

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 明朝には再びミラノに戻らなければならないというのに、まだまだやらなければならないことが山積みです。夜はどんどん更けていくのに、荷造りもまだ半分ぐらい。

 これほど移動が気が重いというのは、めったにあることではありません。冬と呼ぶにはまだ早い、こんな心地よい季節の中にもっともっと身を置いていたいのです。こんなに美しい季節を後にして、言葉もわからない霧の町に戻りたくはないのです。

 最後の仕事を終えて、光あふれる銀座の町を歩きました。歩行者天国の中央通りでは、パラソルの下で人々が思い思いにくつろいでいます。勝手知った町にさえいれば、私だってこうしてくつろぐことができるのに、そんな思いが心の中をグルグルとまわります。

 将来を真剣に考えるたくさんの若い人たちを前に「グローバルって何?」などという講演をしてきたばかりなのに、一体全体どうしたといいうのでしょう。

「ミラノでは帯状疱疹にかかるやら、ネットが繋がらなくなるやらで大ピンチでしたが、それだって別にイタリアだからではない、日本でだってアメリカでだって起きることなのです。良くも悪くもおおかたのことはどこでだって起きること。流行の言葉で言えば『ユビキタス』。それさえ気づけば皆さんの世界は広く広くボーダーレスになっていきます。そして、一つの経験が、次のさらなる経験へと繋がって、皆さんのキャリアという道を作っていくのです。

 グローバルであるということは、地理的な状況ではなく、内側の視点です。自分がどのような視点で自分を取り巻く環境と関わっていくかという、スタンスの問題です。どこに住んでいようがグローバルな人間になることができます。あるいは、グローバルな人間ならどこにだって住むことができます。

 グローバルとは境がないこと。異なるものをも受け入れ、それを楽しめる能力。」

 おやおや、いったいこれは誰の言葉でしょう。この自分が彼らに語ったことではありませんか。そんな本人がこんなに後ろ向きになっているなんて、全くもって許せることではありません。

 昨日の講演会で、「どうしたら希望を持てるのでしょうか。」と言うフロアからの質問に答えて、姜尚中先生が言いました。

 「囲いの中で羊飼いに守られて草を食べている羊の方が楽かもしれないけれど、それで希望や将来を語れますか?狼がいるかもしれないというリスクをおかしてでも、柵の外に出てみたらどうでしょうか。」

 そんな言葉の数々を思い起こしながら、年端の行った寝不足の羊が一匹、エイヤっと勇気を出して、明日また柵を越えます。

 ミラノの家はまだネットが繋がらない状況のままかもしれません。それはそれ、どこでもおきうること、別にミラノだからとは恨まずに、どこかでフリーWiFiをつかまえて路上仕事をいたします。これってかなりグローバル(笑)?
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グローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
11月29日(月)予告:ポレンタは魔女のようにグツグツと
11月30日(火)予告:お正月の箸休めにも?ペコロスのバルサミコ煮
12月 1日(水)予告:ピンチモニオ再び
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:59| Comment(0) | グローバル

2010年07月11日

都心の小さなグローバル空間

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 昨夜のイベントの後片付けも、疲れも残っている中で、目覚まし時計にたたき起こされ、しばしぼんやりしていると、電話が鳴りました。急いで受話器を耳にあてれば、一声、「ンママ!」

 冷水を浴びせらるよりも早く目が覚めました。キッチンのお皿とゴミの山をどうしよう?とか、大勢の来客ように変えてしまった部屋のレイアウトを元通りにしなければ、とか、「ああ、疲れた」 などと言っている場合ではありません。初めて電話口で名前を呼ばれたグランマは、浮き足立っていそいそと出かける支度を始めます。

 「ンママ!」 と呼ばれたとたんに、昨夜のいちおうキリリとした仕事人の顔から、ユルユルのグランマ顔に変身して、「まっててね、グランマしゅぐいくからね。いいこにちてまっててね。」 などと答えます(笑)。

 今日はかねてからの約束通りに、孫息子の体操教室の参観です。駆けつけた先は、都心のとある一角。ちょっと早く着いてみれば、前のクラスの大きな子供たちが歌を歌ったり、駆け回ったりのミニ運動会の真っ最中。

 月齢別のこの体操教室、かなり面白い!
 カリフォルニア発、世界に200箇所以上もある0歳から13歳までの子供たちのためのフィットネスクラブです。Playerと呼ばれる先生たちは、元気一杯、ハイテンションの若者たち。全員が英語のネイティブスピーカーです。

「子供は英語が全く話せないのですが急に英語だけの環境に入れてしまって大丈夫なのでしょうか?」 という質問には、「全く問題ありません。子供は言葉の意味がわからなくても他の子供やプレイヤーの真似をしながら自然と体で言葉を吸収していきます。」

「まだ言葉も発しない月齢ですが、英語の環境に入れることで何か変わりますか?」 という質問には、ずばり、「乳幼児からネイティブスピーカーの発音を聞くことで、英語で入れて、英語で考え、英語で出すという英語脳が身につきます。」

 そんなQ&Aなんかあろうがなかろうが、とにかく楽しいプログラムがてんこ盛りで、1時間があっという間に過ぎました。傍観者のはずのグランマも、一緒になって歌って踊って、人生初体験のトランポリンまでやってしまいました(笑)。

 優れているのは、ただ遊ばせるだけではなく、それぞれのプログラムにきちんとした裏づけがあることです。

 たとえば、子供たちだけが円陣の中に入って、親は遠くに離れて行われるものは、子供の自立心を育むため。動ばかりではなくプレイヤーの話を聞く静の部分が盛り込まれているのは、わかろうがわかるまいが子供に人の話を聴く姿勢を身につけさせるため、、、、、

 プラスチックの小さなテニスラケットは、赤、青、紫、緑と色を確認させた後で、目玉焼きを焼くフライパンにもなったり、ビーバーの尻尾にもなったり、、、、、

 色々な国の子供たちが混ぜこぜになって、中には泣き続ける子や、我関せずと全く別のことに夢中になっている子もいたりする中で、元気一杯のお姉さん、お兄さんが素晴らしいチームワークで次々と趣向をこらした遊びを展開していきます。

 時代は変わったものです。私たちの年代にはこんな体験を子供にさせることはできませんでした。

「グローバルとは何でしょう?」 とはよく聞かれる質問です。

 世界9カ国に住み、30カ国で仕事をしてきたアメリカ人の夫は、こう言います。

@ 異文化経験 
A 自分と異なる考え方を受容すること
B 他者への好奇心
C 母国語に加えて、英語、中国語、スペイン語のうち少なくともひとつを話せること
D これら4つのことを楽しむ能力

 でも、私はこう考えています。
「グローバルとはごちゃ混ぜ。グローバルとは寄せ鍋。」

 単に英語ができるとか、外国に住んでいたとかではなく、内側の視点。どのような視野でどのように自分のまわりと関わっていくかというスタンス。どこに住んでいようがグローバル。

 自分と異なる人たちを理解し、受け入れ、好奇心を失わず、「どうせ○○」 とか 「○○に決まってる」 とかいった類の思い込みや偏見の壁を突き破ってみるところから始まるものだと思っています。
 
 都心のフィットネスクラブの子供たちも大人たちもまさにごちゃ混ぜ。楽しく快適なグローバル空間でした。
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グローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
7月12日(月):中世の町のレストラン1位〜Laconda
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | グローバル