2013年02月02日

プライベートアワーから始まった古典の世界(前回からの続き)

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先生はまわりに人がいなければ、「栄花物語」を声に出して読みます。語調もいいですし、その方が理解もしやすいからです。

高校時代には夕食後の30分から1時間が受験勉強から離れて自由になれる時間でした。先生はこれを「プライベートアワー」と呼びます。プライベートアワーには、こっそり隠れて源氏物語を読んだり、血沸き肉踊らせながら平家物語を読みました。ですから、古文の勉強など何一つしなくても、入学試験はいとも簡単だったそうです。

「だって、ふつうの人が小説を読むように僕は古典を読んでいたのだから。」

その後、数学者になってから、物の感じ方、表現方法、人情の機微に対する感覚が「とても数学者には思えない。」と周りの人たちから言われたのも、おそらくは読み込んだ古典の影響だろうとおっしゃいます。

ドナルド・キーンさんもまた、コロンビア大学時代に、「Great Books of Western World」という西洋古典を読破しました。西洋文明へと繋がるアメリカ人としての自己を見出したことが、キーンさんをして日本への関心へと向かわせたように、日本の古典を理解した人こそが真の意味の国際人になれる、というのが先生の持論です。

昨今、イギリスの名門オックスフォード大学でも、ビジネスではなく文学・芸術などの分野に進む優秀な学生が増えているとのこと。そうしたリベラル・アーツ(教養教育)への回帰はとても意義のあることだと先生は語ります。

同じような意見を、今日のフォーラム「グローバル人材の育成と活用」でもお聞きしました。「すぐに役立つ人間はすぐに役立たなくなる人間」と、慶応の清家篤塾長が即戦力要望の是非を問いました。これもまた、たいへん有意義なフォーラムでした。この模様はまた機会をみてまとめてみたいと思います。

ところで、古代ギリシャから現代までをとらえたリベラル・アーツ教育の集大成とも言える先生の本が、ようやく最初の校正の段階に入りました。発端から3年あまり、その過程をご一緒させていただけたことは、私にとっても大変嬉しいことでした。昨年のクリスマスカードには、いつものように丁寧な字でこんなありがたい言葉が書かれていました。「あなたが傍にいておだてたりしなかったら、本は書けなかったかも、、、、」

いずれ出版の詳細が決まりましたら、何らかの形でご案内をさせていただきます。

By 池澤ショーエンバウム直美


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2月1日(金):らしくないの面白さ バルセロナの日本レストラン「MIU」
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2013年01月30日

38巻まできた栄花物語

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右目から左目へと二度の白内障の手術を終えて、1週間前に退院した先生にお会いしました。お日様がまぶしかったり、遠くが見えなかったりと、まだまだご不便はあるものの、心配していたよりもずっとお元気でした。

初めてお会いした24年前からこれっぽっちも変わらずに尊敬をしている先生です。

先生、段差がありますよ。
先生、そこ狭くなってますからね。

などと、時には手を差し出しながら、並んだり、後になったり、先になったりしながら歩きます。

お会いするたびに、いろいろなことを教えていただいて、感動もすれば、心も潤います。先生にお会いした後は、知の喜びに満たされて、心の川が清流になるようです。

数学者なのに、先生は栄花物語をもう3年も読み続けています。もちろん原文です。あまりに複雑な人間関係を読み解くために書き進めた系図がすでに7頁。神田の古本屋でふと出会った分厚い2冊の古書がそのきっかけでした

栄花物語は全40巻。
先生は毎日寝る前に30分から1時間、それを読みます。
そうしたら、もう38巻も読んでしまいました。

二度の入院の時も、16頁のコピーを病院に持っていき片目で読んだそうです。何しろ退屈なものですから、いっきに読んだと言います。そして、わかったそうです。「少しずつ読むよりもいっきに読む方が効率がいい。いろいろ思い出す必要もないから。」と。

けれども先生は、この習慣を一度だけお休みしたことがあります。
それは、ある日ある時、偶然に、中学時代の日記を見つけた時でした。インクが擦れかけているのを見た時に、消えてしまう前にパソコンに移さなければと、せっせとキーボードを叩き始めたそうです。「そりゃ君、時間がかかって大変だったんだよ。」と、私の大好きな穏やかな笑顔でおっしゃいます。

どうして数学者の先生が、平安時代の古典などを読み続けているのでしょう。

「数学をやっていると頭が止まらなくなるんだよ。そんな時に頭の動きを止めるには、碁を打つことがひとつ、そして数学とはおよそ関係のない本を読むことがひとつ。碁について言えば、前に自分で打った碁を並べてみたり、まるでちがったものを並べてみたりすると、数学の思索が止まる。栄花物語を読むこともそう。まさか読みながら数学を考えるわけにいかないから、おのずと考えるのが止まるんだ。」

ここまでだって十分にエキサイティングで、十分な示唆がありますが、まだまだ話は展開します。グローバルとは? 真の国際人とは? リベラル・アーツとは?

私だけの中に留めておくにはもったいなくて、
先生の許可をいただいて、また次回も続けます。

まるで学生時代に戻ったかのように知的ときめきに心躍らす時は、誰が何と言おうと文句なく、私の幸せ時間です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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1月30日(水):メインディッシュは朝摘み水菜と、大好きなパン包み布
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2012年12月28日

トンコちゃんへのラブレター

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としこさんは、トコちゃんとも、トンコちゃんとも呼ばれています。私が大学時代にひょんなことから出会って以来の、たいせつなたいせつな友人です。大学生の私にはある夢があって、すでに社会人だったとんこちゃんにはある目標があって、たまたま同じ専門学校の第一期生となりました。姉御肌のとんこちゃんは、いつでも私の頼りがいあるお姉さんでした。

なぜか一目会った時から意気投合して、私たちは随分一緒にいろいろな時を過ごすようになりました。そのうち私がギリシャに暮らすようになり、トンコちゃんがスペインに暮らすようになりました。

今回のスペインで、何年ぶりかで再会できたことは本当に嬉しいことでした。トンコちゃんは私たちが夜遅くマドリッドに着いた翌日にはもうホテルまで来てくれて、以来、できる限りの時間を一緒に過ごしました。隅々まできちんと整理されたトンコちゃんのお宅にもお邪魔しました。「何を持っていったらいい?」とたずねたら、「お漬物とお煎餅!」と言うので、馬鹿正直にも私はこれでもかとばかりに、たくさんの種類を鞄にギュウギュウ詰めて飛行機に乗りました。

私たちはマドリッドで一緒にジャズライブにも行きましたし、食事もたくさんしました。夫とトンコちゃんはスペイン語で話しながらすっかり仲良くなりました。

ある時、まるで娘を心配する母のような気持ちでトンコちゃんの暮らしぶりを聞きました。

「9時半に起きるでしょう? 白いアスパラのピューレとオレンジかミカンを食べて紅茶を飲むの。3種類のイギリスの紅茶のブレンドよ。コレステロールにいいというから、クルミを割って3〜4個食べるの。そしてね、トースターで5種類のパンのうちの1つを焼くのよ。焼けたら半分はオリーブオイル、あとの半分はジャムかマーマレードか蜂蜜で食べるの。」

という朝ごはんの様子に始まるその後の一日は、本人いわく「平凡でしょう?」でしたけれど、とんでもない、「ああ、なんて素敵な生活なんだろう。なんて幸せなんだろう。」と思わせて、私を心底安心させてくれたのです。

私たちがグラナダから車でマドリッドまで移った最後の夜も、トンコちゃんはバスとタクシーを乗り継いで空港のホテルまで来てくれました。どんなにたくさん話しても話し足りなくて、後ろ髪を引かれながら「じゃあまたね。」と別れてトンコちゃんがタクシーに乗るのを見届けた後で、「日本には帰るつもりのないトンコちゃんと次はいつどこで会えるのだろうか。」と思って私はしばらく泣きました。

トンコちゃんはあの時代とちっとも変わっていませんでした。人の悪口など昔も今もただの一度も口にしたことがありません。なぜならば自分の暮らし、自分の生き方にきちんと満足しているからです。

トンコちゃんが40年以上も前に言った言葉を今でも覚えています。

「私、素敵なおばあさんになりたいの。」

そして、トンコちゃんも、私が言った言葉を今でも覚えていてくれました。本人の私が全く忘れていたというのに、その言葉が彼女をスペインへと向かわせるきっかけになったというのです。

「心配しないで大丈夫。人が住んでいる所ならば誰でも住めるに決まってる。」

アルハンブラで特別なペンダントを7つ買いました。赤を2つ、黒を3つ、青を2つです。
大切な人たちにさしあげたかったからでした。それはそれは美しい14世紀の美術品のコピーです。それを最初に贈ったのは、マドリッドのエアポートホテルに来てくれたトンコちゃんでした。トンコちゃんはすぐに胸元に黒いペンダントをつけてくれました。とてもよく似合いました。

昨日、6個目のペンダントが手元から離れていって、今日、私は、最後にひとつ残った青いペンダントを身に付けました。トンコちゃんとおそろいです。

By 池澤ショーエンバウム直美


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12月28日(金):お正月にも合いそうなアップルポークロール
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2012年11月18日

同じ日、同じ場所に再び集えたこと

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みんなで50代の忙しさにかまけているうちに、あれよあれよと年月ばかりが過ぎていき、だいぶ間があいてしまった大学の同窓会がようやく開かれたのは、11月11日のことでした。幹事たちがどうせなら覚えやすいようにと選んだこの日付、当初は11月11日11時だったのですが、遠方からくる級友たちのことを思い、最後の11が12になりました。

もともとが少人数の小さな大学です。私たち英文科は他の学科に比べればまだしも大きい方でしたが、それでもたったの30名です。うち一人は台湾からの留学生でしたし、一人は留年をして下のクラスにやってきた年上の人でした。

すでに2名は亡くなりましたし、一人は国際結婚をしてドイツに、もう一人はカリフォルニア住まいです。1が4つ並んだその日に、長いテーブルを囲んだのは14名でした。

不思議なもので、いかに年月がたっていようとも、一目で誰かはわかります。仮に一瞬とまどったとしても、一声聞きさえすればすぐさまあの時代に舞い戻り、今の名前などおかまいなしに旧姓で呼び合います。

シニアの人たちにパソコンを教えている人も
ウォーキングのNPOを立ち上げた人も
プロの翻訳家として活躍している人も
翻訳会社を作ってしまった人も
大学の先生も
予備校の先生も
家裁の調停員も
36年の教員生活にピリオドを打って庭仕事を楽しむ人も
俳句を始めた人も
「老後っぽい生活をしています」、と冗談交じりで語る人も
「子供の母でない、主人の妻でない生活を楽しんでいます」、と明るく言う人も。

14人14様ですけれど、笑顔とユーモアの後にはみんな苦労がありました。いえ、今だってまだ終わったわけではありません。家族の病気、自分の病気、親の介護や子供との確執、仕事の問題だってあります。でも、まっすぐの優等生だったあの頃よりは、みんなずっと素敵になりました。成績を気にすることもなく、人と点数を比較されることもなく、みんな一番、自分は自分です。

友が言いました。

「本当に大変な状況にあったならここには来られない。自分が恥ずかしかったらみんなには会えないし、会費が払えなかったらここには来られない。いろいろ考えれば、同じ日、同じ場所に再び集えたということは、とてもありがたいこと、いかに恵まれたことだろうかと思う。」

本当にそう思います。
みんなで突っ張り合っていた学生時代もそれなりに楽しいものでしたけれど、同じ時代を生きてきた友との間に漂う何とも言えぬ愛おしさは、また格別です。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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11月18日(日):一串150円の焼き椎茸と季節外れのかき氷

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2012年11月05日

夕日の中の輪 そしてフォールバックへと

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誰しもそうでしょうが、数ある友人たちの中にも特別な友人たちというのがいるものです。70億以上もの人たちが住んでいるこの地球の上で、出会えたこと自体が奇跡です。その思いは家族への思いにも似て、たとえ会えない時間が続いても、揺らぐことなくその身の無事を祈り、その日々の幸せを願います。

昨夜食事を共にしたのも、そんな特別な人たちでした。とりわけ今年はそれぞれに様々なアクシデントが起きただけに、こうして一人も欠けずに6人が揃ったことは大きな喜びでした。

夕食のテーブルに移る前のドリンクタイムで、夕焼けがあまりきれいだったものですから、ついセンチメンタルになって、「ここにこうしてみんな一緒にいるということが、どんなにありがたいことでしょう!一緒に夕焼けを見て、一緒に歩いて行けると言うのがどんなに嬉しいことでしょう!」と呟いてしまったら、みんなが一瞬しゅんとして、次にマークが突然こんなことを言いました。

「Let’s hold hands!」

そして私たち、いい年をした6人が、素直にも両隣の友の手を握り、夕日の中で大きな輪を作ったのです。こんな青臭いこと、長年の付き合いの中でも初めてだっただけに、気恥ずかしくもちょっと感動してしまいました。たぶんみんな同じ思いだったことでしょう。

「次はいつ、どこで会える?」と名残りを残しながらも解散したのが夜中の12時。テーブルを片付けて、たくさんのお皿やグラスを洗い終わったのが1時。それからまたワインを飲みながら夫と余韻に耽っていたらあっという間に2時です。

「あらあら大変、こんな時間!」と慌てて立ち上がったら、「さ、時計の針を1時間戻して。今ちょうど1時になったところだから。」とまるで謎のような言葉が、、、、

アメリカは、11月4日の深夜2時にサマータイム、正確に言えばDST (Daylight Saving Time)が終わりました。毎年3月第二日曜日の午前2時に時計の針が1時間進められ、11月の第二日曜日の同じ時刻に今度は1時間戻されるのです。ということは、今年の3月11日には午前2時から3時までの時間は存在しなかったことになりますし、今日(11月4日)は午前1時から2時までの1時間が2回も繰り返されました。

サマータイムに馴染みのない私たちにとってはなんとも不思議な出来事ですが、失念していると、約束に遅れたり、早すぎたり、飛行機に乗り遅れたりと大変なことになります。

2年前の3月、私はシアトルの友人の家に泊まっていました。「お休みなさい。」と部屋に戻ろうとすると、家主のジムがこう言いました。

「ナオミ、寝ている間にサマータイムに変わるからね。明日の朝起きたら時計の針を動かすんだよ。」

「えっ、進めるの?戻すの?」と聞いて教えてもらったのは、こんな便利な言葉でした。

「Spring Forward、Fall Back! スプリングには『春』と『バネ』という二つの意味がある。バネは跳ねるだろう?だから時間が春には跳ねて、1時間先にに進むのさ。フォールにも『秋』と『落ちる』という意味がある。だから時間が秋には後ろに落ちるのさ。」

そんなことを教えてもらったはずなのに、今年の「Fall Back」のことをすっかり忘れていたのでした。夫はたぶん、私が忘れていることを知っていて、その瞬間まで間を持たせていたのに違いありません。いずれにしても、なんだか1時間得した気分です(笑)。

By 池澤ショーエンバウム直美


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11月5日(月):ナプキンリングマジック
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:51| Comment(0) | 友人

2012年10月29日

ありがたくも嬉しいハプニング

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思い返せばあれからもう1年と1か月前、とあるご縁から、フィラデルフィアで開催された陶芸展のオープニングをお手伝いさせていただくことになりました。「Five by Eight:New Art from Japan」と題して幕を開けた日本の新進作家8名によるこの陶芸展は、53日にわたる期間中も大きな話題を集め、作品の一部は、現在、フィラデルフィア美術館に所蔵されています。

前田正剛さんにお会いしたのは、開催前夜、関係者を招いてのプレビュー&レセプションの場でした。あの夜も、今日のワシントンのように絶え間なく雨が降っていました。会場には8人の作品が飾られ、日本からやってきた作家たちは袴姿の正装でお客様を迎えました。

プレビューとは言え、作品を予約購入することができます。ニューヨークから買い付けを目ざして飛んできた美術蒐集家の方などもいらして、会場はなごやかながらも活気あふれるものとなりました。

私たちは、素晴らしい作品群の中でもひときわ心惹かれた、金色の地に真紅の椿が描かれた横長の皿を予約しました。それが、前田正剛さんの作品「掛分黒釉描椿紋長皿」でした。
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作品は展示が終わった後に木箱に戻され、丁寧に梱包されて、11月に無事ワシントンの家に届けられました。

「お料理をのせてくださいね。どんどん使ってくださいね。」などと作者に言われながらも、粗忽者のわが身を考えるとその勇気も出ずに、以来、椿紋長皿は観賞用としてテーブルの上に置かれ、使うのではなく見ることによって私たちの生活に彩りを添えています。
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その後も、作家の方々とは折に触れお会いする機会があります。昨日ご案内した前田さんの作陶展にも、出発前日におうかがいすることができました。前田さんがロクロを回す実演で通訳をしたご縁もあり、お会いすれば懐かしくて、ますます充実した作品群に素人ながらも心躍らせ、ちっとも変わらぬ彼の笑顔と謙虚なお人柄に、かの地の思い出がふわりとよみがえります。
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東京でのご縁がフィラデルフィアへと繋がり、フィラデルフィアでのご縁がまたこうして東京へ、、、、、人生という旅の中の、ありがたくも嬉しいハプニングです。
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まだまだ暴風雨の域には達していないものの、風と雨が少しずつ強くなってきました。空港も閉鎖、メトロも運休となり、大型ハリケーン サンディが目下東海岸を北上しています。

By 池澤ショーエンバウム直美

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10月28日(日):さすがアメリカ栄養弾丸
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:58| Comment(0) | 友人

2012年10月20日

都心の秋

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都会の真ん中で、秋をたくさん見つけました。
芝公園から増上寺の境内を抜けて、東京タワーを仰ぎ見ながら坂道を上ります。
高く澄んだ空にフフ、和らいだ光にフフ。
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並んで歩くのは、漢字四文字の名前の中に「秋」を持つ友。
そして、この美しい季節の今日、誕生日を迎える友。

「わたし、今の季節が一番好き。
 風も光も空気も花も、何もかもが好き。
 別に特別なことなんかなくたって、歩いているだけで幸せ。」

「あっ、40年前と同じこと言ってる!」

と、私はフフと優しく笑います。

共に書を読み、青臭い議論をし、時に書を捨て街なかへと冒険に出た友です。
いつも一緒にいた4人組のうち、ひとりは早々と空の上に旅立ってしまいましたけれど、残る3人は、いまだに青臭い議論をします。そして誰からともなく「フフ」と優しく笑います。

「フフ」の分だけ、みんな大人になりました。

今日も気持ちの良い秋晴れです。
みなさま、どうぞ良い一日を!

By 池澤ショーエンバウム直美


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10月19日(金):ウッディ―と一緒のレストラン「ザ・ダイヤモンドホースシュー」
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:29| Comment(0) | 友人

2012年07月07日

香り蜃気楼

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おおかたの花は枯れてしまって雑草に覆われた土の上で、色と形を変えた紫陽花が待っていてくれました。隅っこでは、小さなクチナシの木がひっそりと2輪の花を咲かせています。

清楚な純白の花弁は、紫陽花と同じように、しとしと雨によく似合います。かがんで顔を近づければ、初めてその香りを知った子供の頃と同じ香りがします。胸に深く吸いこめば、まるで蜃気楼のようにいくつかの場面が目の前に立ち上ります。

香りが連れてくる思い出は、美しくせつないものばかりです。いえ、思い出というものは、視覚だろうが聴覚だろうが、おおかたはせつないものかもしれません。なぜならもう二度とそこへ戻ることはできないのですから。

クチナシの香りを嗅ぐたびに、アナスタシアとショーンのことを思い出します。

二人が出会ったのは50年以上も前のギリシャ。アナスタシアはまだ十代の可愛いギリシャ娘、ショーンはなかなか男前のアメリカ空軍将校でした。兵役の途中で立ち寄ったギリシャのアクロポリスの神殿の前で、ショーンはアナスタシアに出会います。そして二人は恋に落ちます。4年後にギリシャの教会であげた結婚式は、二人の人生の本当の始まりであり、同時にアナスタシアにとっては母国ギリシャとの別れの式でもありました。

以来二人は、バージニア州アーリントンの、緑に囲まれた静かな家で暮らしてきました。ところが、祖国への郷愁を胸の奥底に秘めながらも、2人の子供と3人の孫に恵まれて幸せに暮らすアナスタシアを突然の悲劇が襲いました。ショーンが脳卒中で倒れ、左目の視力を失い、動かぬ左半身で車椅子の生活となったのです。


二人の家は、4つのベッドルームと大きな居間を持つ典型的なアメリカの一軒家でした。子供たちが巣立ってしまった後のがらんとした家で、アナスタシアは車椅子のショーンの世話をしていました。私たちに向けられたショーンの顔は、右半分だけが笑顔になります。それでも十分に喜んでいることがわかります。

ガラス張りのサンルームには、太陽をいっぱいに浴びた観葉植物が豊かな緑を繁らせ、壁には冒険家でもあったショーンの写真がたくさん飾られています。キリマンジャロの写真も、アマゾンの写真も、ショーンは右側の顔と左側の顔で一緒に笑っています。

サンルームの外は、大きな木々に囲まれたコーヒー色のウッドデッキです。

「このデッキ、ショーンの手作りなの。素敵でしょう?彼は本当にまめで、いろいろなものを作ってくれた。ショーンが倒れてからは、手入れをすることもできなくなってしまったけれど、それでもちゃんとこの季節になると、彼が植えてくれたガーデニア(クチナシ)の花が咲いてくれるのよ。」

アナスタシアが指さした先には、濃い緑の葉の上で咲く純白のクチナシが2輪ありました。
茎を手にして深く息を吸い込むと、あの懐かしい香りに包まれます。すると、ガラスの向こうの部屋の中で、車椅子のショーンが大きな声を上げました。

「アナスタシア、ガーデニアを一輪、ナオミにあげなさい!」

ショーンは昨年、クチナシの花が咲く前に逝ってしまいました。
1人になったアナスタシアは、今年、祖国ギリシャに戻りました。

香りが、そんな一連の思い出を、蜃気楼のように連れてきます。
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(ショーン、アナスタシアとも仮名を使わせていただきました。)

                       By 池澤ショーエンバウム直美

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7月7日(土): 夏に最適な簡単コールドアボガドスープ
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2012年06月30日

石鹸は生きている

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石鹸が大好き!と言っていた友が、何と自分で石鹸を作り始めてしまいました。「物作りなんてとんでもない、こんなに不器用なのだから」と思っていたのが、石鹸への恋心に負けて、石鹸作りの学校に通い始めてしまったのです。

聞けば、初めての試作は昨年7月とのこと。以来、こつこつと勉強をし続けて、今は1年間の石鹸コースの上級まで行きました。そして私が渡米する直前に、自作の石鹸を4つも持ってきてくれました。

「化成ソーダとオイルで石鹸素地から作るの。ハーブの効能を生かすために熱は加えずにね。ひたすら手で練って、練って、練って40分。途中で休んではだめ。手を休めたら乾燥してしまうから。マニキュアもはがして、爪も短く切るの。」

「練り上げたらね、暗くて風通しの良いところに寝かして置くの。毎日ひっくりかえして最低1か月。石鹸って生きてるのよ。」

彼女が持ってきてくれたのは4種類の石鹸です。それぞれ形も色も匂いも違います。そしてそのひとつひとつにこんなことが手書きで書かれています。

解禁日 5月1日
オリーブオイル、ひまし油、パームオイル
香り:ペパーミント、シダーウッド

解禁日 6月1日
ココナッツオイル、シアバター、パームオイル
香り:プレグレイン、クローブ、ペパーミント

解禁日というのは、練られて、寝かされて、ひっくりかえされてきた石鹸が、使用可となる(なった)日のことです。つまり産声をあげた赤ん坊が、いよいよ歩き出す日、歩き出した日、とでも言えばいいでしょうか。

そんな彼女の石鹸を大事に包んでアメリカまで持って行きました。使う度にほのかな香りが漂って、柔らかく溶けて行く石鹸はたしかに生きています。そして今、私は8月の夫の誕生日のために、世界にひとつしかない石鹸を作ってもらっています。

ところで、これは我が家の家宝です(笑)。もったいなくて、あだやおろそかに使えぬままに、早30年近くがたちました。昔はポナペと呼ばれていた島で作られていた石鹸です。島の父がいつも帰り際に持たせてくれました。くらくらするようなイランイランの香りです。柔らかく溶けていく様は、友の手作り石鹸によく似ています。PCP(Ponape Coconut Products)という、島の小さな工場で作られていましたが、今では、たぶんもうないと思います。
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その昔、お風呂場でこんな声が聞こえてきました。私の、たいせつな、たいせつな、スイートメモリーです。

「おねえちゃん、ピーシーピーってなあに?」
「ええと、ええと、ポナペ・ココナッツ・ペッケンだよ。」
「ペッケンてなあに?」
「ええと、ええと、石鹸のことをポナペ語でペッケンって言うんだよ。」
「ふうん。」
By 池澤ショーエンバウム直美


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6月28日(木): ほうれん草サラダ松の実ドレッシング
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:00| Comment(0) | 友人

2012年05月11日

役割ってさ、その時どきで変わっていくんだよね。

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ビッグアイランドの友人からの電話は
私たちが遅い夕飯を終えた頃

ーごめん、遅すぎた?
 こっちはまだ夕方の4時半なの。
 にわか雨が上がって虹が出てる。

同じアメリカでも、ワシントンとハワイでは
6時間もちがう
だから 虹の4時半は 三日月の10時半

ーどうしてた?
 さっき電話したのに誰も出なかった。

ーいつごろ?
 あ、その時間なら、スーパーで夕食の買い物してた。
 元気?

ーうん、ゴルフに行こうと思ったんだけど
 ほら、税金の締め切りじゃない。
 あきらめて 家にいた。

ー私もスーパー以外はひきこもり。
 やたら本読んでた。
 まだ腕が不自由だし。
 でもね、いろいろ考えたよ。
 仕事はもう、今までのようにはしたくない。
 もっとだいじなものがいっぱいあるような気がしてきた。

ーあったりまえじゃない。
 おおかたの仕事なんて
 代わりの人が できるもん。
 でもさ、妻であることとか、母であることとか
 それって、誰かが代われるもんじゃないでしょ?
 私なんてさ、もう飛ぶこともやめて
 私にしかできない役割を、気楽にやってるわよ。
 役割ってさ、その時どきで変わっていくんだよね。

ー次、いつ会える?
 会ってたくさん話したいね。
 東京で会えるといいねえ。

ー私たち、5月はチェコとイタリア
 6月はまたハワイに戻る。

ー私もまた6月はここ。

ー大丈夫、そのうち会えるよ。
 それまでは、おたがい、元気に自分の役割をつとめることね。

ー了解。
 じゃあね、また。

ー元気でね。アロハ!

By 池澤ショーエンバウム直美



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本日のグローバルキッチンメニュー http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
5月11日(金): 悪魔の玉子と悪魔の蟹さん@USA
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:51| Comment(0) | 友人

2012年02月28日

友と葛藤が気づかせてくれた夢

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 先週のあの雨の日、本州のはじっこから会いに来てくれたのは一まわり以上も年下の友。もっともっと若かった頃、演劇をやっていた彼女の公演に何度も足を運び、仲間たちと一緒に何度も小さな旅に出たものでした。

 どうしているかと思いながらも、おたがいあっちこっちへウロウロしている間に、いつのまにやら音沙汰が途絶えてしまいました。ところが、何か月か前に、このブログを見つけた彼女が連絡をくれたのです。それが先週の25年ぶりの再会に繋がりました。

 嬉しくて、なつかしくて、たくさんの思い出をなぞり、空白だった時間を埋めながらワイングラスを重ねていくうちに、「私、雨女なんです。ごめんなさい。」という彼女の力不足だったのか、雨が止み、窓の向こうのオリーブの葉の滴が、光の中できらきらと光り始めました。私たちはその後も場所を移し、長いこと語り合いました

 彼女と会って以来、ずっと私の頭の中をぐるぐる回っていることがあります。
 時にはうっとりし、時には緊張し、時にはひたすら憧れて。

 「薬剤師として病院で働き、安定した暮らしをしていたけれど、いつも踏み込むことのできない限界を感じていました。私生活で転機があったこともあり、思い切って仕事を辞め、1年間予備校に通いました。」

 そんな彼女が踏み出した道は、医大で医師になるための勉強をすることでした。そして6年、必死に勉強した彼女はもうすぐ医師の免許と共に新しい人生のスタートを切ります。48歳の彼女だからこそできる分野で。4月2日から勤務する病院も決まりました。お祝いに杯を重ねたくなるのも当たり前。

 私の中でずっと回っている言葉というのは、彼女のこんな言葉です。

「ナオミさん、新しい何かを学ぶというのはなんて刺激的で、なんて心躍ることだったでしょう。しかも現実社会に出たら向き合わねばならない幾多のことから隔離され、守られていたのですもの。私の前には実際の患者さんがいたわけではありませんから、私はただひたすら勉強をし、知的好奇心を満たしていけばよかったのです。それまで居た世界とは全く違う幸せな別世界でした。最高に贅沢な6年でした。」

 実は私にも、若い時にあきらめた夢があります。勉強したい分野の学問があったのです。夢は休火山となり、とんでもない時に小さな噴火を起こします。昨年のニュージーランド暮らしでも、オークランド大学をウロウロしている間に大噴火がありました(笑)。

 これが18歳以来心に秘めた思いであるならば、もうひとつは、今、この私の年齢だからこそ学びたいものへの思いです。どちらも日本ではほとんど確立されていない分野の学問です。

 若い友のあの言葉を聞いて以来、私は、学生に戻った、あるいは大学院で学ぶ自分の姿を真剣に想像し続けています。実用的には今さら何の役にもたたない知識でも、それだからこそ最高の贅沢だとも言えるでしょう。そして、もしかしたら今こそが「ライトタイム」かもしれません。残り時間は限られているのですから。

 何がしたいのか、どう生きていきたいのか、何が大切で、何なら捨てられるのか、、、、、
 右手の自由を失って日常生活をも満足に送れないこのひと月間の葛藤が、たくさんのことを気づかせてくれました。
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2012年02月07日

よかった、よかった、ちょっと痛くて、不自由なだけ。

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 嬉しいことに、自慢したいぐらいに素敵な友人たちがたくさんいます。私の側の友人だったり、もともとは夫の側だったのがいつのまにやらこちら側の友にもなっていたり、夫婦づきあいだったり、家族づきあいだったり。

 そんな中でもぶっ飛んでいるのは、やはりハギとエミのカップルでしょうか。ポンポンと弾丸のように言葉が飛び出す、めっぽう威勢が良くて、めっぽうチャーミングなエミと、どこか私のポナペ島の父を彷彿とさせる南方系のイケメン、ハギ。二人の年の差はなんと23歳。

 もともとは男同士が友人でした。1968年、かなり初期の日本人留学生としてハギが太平洋を渡った先は、夫が現在席を置くアメリカのロースクールでした。二人ともいわゆる国際弁護士でもありますし、ハギが日本の大学の授業でテキストに使うのが夫の本だったりもして、男どもは男どもでしっかり繋がっているのです。

 とはいえ、女同志だって負けてはいません。真剣な話もバカ話もたくさん。男たちには内緒の話もたくさん。たとえば、ついこの間だってこんな具合。ほんと、素敵にぶっ飛んでるんです。

「今日は朝から、恵方巻きを作り、夫に朝ごはんとして食べさせ、出かける前に豆まきをして、年の数だけ袋に入れ、夫に事務所で食べるようにもたせました。
毎年やっているのに、夫ときたら『鬼は外、福は内』と言いながら、『鬼は外』で家の中に豆を撒き、『福は内』で外に豆を撒く全くのおばか。。
やり直させたら、今度はドアを閉めて『福は内』。。
恵方まきは、食べながらぼろぼろこぼすし。。
気がついたら、新年早々、怒ってばかり。。
これじゃあ、福がくるはずもない、と自分ツッコミをしていました(笑)。。」

 夕食に招かれて、「今ね、料理ができないじゃない。だから途中で何か買っていこうと思うのだけれど、デザートとお花とどっちがいい?」と聞いたら、帰ってきた答たるや、

 「花より、圧倒的に団子!!花は、散るから苦手なの。。」
 
 そんなエミとハギは、もうしばらくしたら日本を離れます。アメリカでパイロットをしていたエミが、免許更新のために2日ほどロサンゼルスの学校に入ったあとに、筆記試験に臨まなければならないのです。ハギも一緒に行き、その後は二人でハワイ島の家でしばらく暮らすとのこと。実はこの二人、「全くのおばか」などと言いながら、ほのぼのとした愛情が表れていて、とても仲が良いのです。そんなところも大好きなところのひとつ。

 エミが私の骨折を知ってまず言ったこと。

 「盗まれても、物なら代わりはいくらでもある!!怪我は、日数さえたてば治る!!
よかった、よかった。ちょっと痛くて、不自由なだけよ!!!」

 こんな「ぶっ飛びエミ」にいつも楽しく救われています(笑)。

 雨上がりの夕方、空は明るく輝き、梅の花はほころび、ヒヤシンスはうっとりするような春の香を運びます。

 よかった、よかった、ちょっと痛くて、不自由なだけ。
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2011年12月27日

うんこらどっこいしょ

RIMG7605.JPGRIMG7604.JPGRIMG7603.JPGグランマからの手紙.. - コピー.jpg

 まだむかむかは残っていますし、お腹の中では大きな池で蛙が遊びまわっているような音がします。突然やってきた胃腸炎の完全撤退までにはもう少し時間がかかりそうです。そういえば薬局でも言われました。「途中でよくなっても、4日分はちゃんと飲みきってくださいよ。」と。

 西宮の春美さんから「女へんろ元気旅〜天真爛漫な巡礼エッセイ日めくり」という何ともユニークなカレンダーが届きました。11月25日の朝日新聞阪神板が添えられています。

 新聞には、にっこりと笑う春美さんの写真と、日めくりカレンダーの写真。ざっと記事を要約してみれば、

「西宮市内でバー『曼陀羅』を経営する森晴美さんが、1991年から1400キロの遍路道を少しずつ歩いた道程をエッセー『女遍路元気旅』にまとめた。今回のカレンダーは、かつて作った日本語版の英訳版。長年温めていた構想を店の客が知り、翻訳に協力。カナダ出身の遍路研究者の大学教員も手伝った。」

 全く気負わず、一見誰にでも書けそうな言葉が、時々どきりと胸に刺さります。ある時は日本語を越えた力を英語が持っていますし、もちろんその逆の時もあります。そして、日本語と英語が相乗効果を発揮して輝きを増すこともあります。

 たとえば、

 遍路が
 教えてくれたように
 川の流れのように
 自然に
 素直に
 人生歩んでいけたら
 

 これが英語になるとこうなります。

 The pilgrimage has taught me
That I must live my life
In a humble way,
In a natural way,
Like the flow of a river.

 どうにも英語にできないものもあります。そんな時は無理やり英訳せずに、音感だけを残しています。たとえばこんな風に。

 とことことこ 
 トコトコトコ
 黙黙黙
 もくもくもく。。。。
 

 Toko, Toko, Toko
 Toko, Toko, Toko
Moku, Moku, Moku
Moku, Moku, Moku

そしてまた、「でかした!」と褒めたくなる英訳も。

 あと ひとふんばり 

 Almost there.

この日めくりエッセイ、実に素朴で、全く分別くさくないところがいいのです。たとえばこんな箇所だって、春美さんを直接知っている者から見れば、全くしたり顔には思えません。私はこれが一番好きです。そしてその英語版もとても好きです。

 この荒れた遍路道を
 歩き遍路が
 歩いて
 歩いて
 あとの人のために
 残していくのです
 

 Pilgrims walk and walk along the rough pilgrim path,
 Preserving it for those who come in the future.

 たった今、24時間開いている郵便局に行って、私の本「グランマからの手紙」を春美さんに送ってきました。

 思えば、2年8か月前の私たちの出会いは、まさに春美さんが言うように「必然 偶然 神がかり!」でした。それなのに、東京と西宮という距離もあってなかなか会うこともできず、おたがいが同じ頃に出版の準備を進めていたなんて全く知りもしませんでした。春美さんの「日めくりエッセイカレンダー」が発売された日の10日後に、私の本が発売されました。大きさも同じならば、値段も全く同じです。

 そしてまた、歩いて来た道は全く違えども、「遍路とは歩くことなり 人生とは遍路なり」という哲学も、「歩こう 先はまだまだやし うんこらどっこいしょ」の思いも、「何か 目に見えない おおきなものに 感謝したい」という気持ちも全く同じなのです。 

 「春美さん、いろいろあったけど、うちらやっぱり歩いていかなきゃね。」と呟きながら、心の中で問いかけています。
 来年はお会いできるでしょうか。

 http://blog.platies.co.jp/article/28546786.html

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12月26日(月):我が家の今年の持ち寄りクリスマス



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2011年12月01日

美しい晩秋の日の約束

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 8月12日、あのうだるような暑さの中、携帯電話に「緊急連絡」と題するメールが飛び込んできました。銀座時代の相棒のGGです。

「依然として暑い日が続いています。ばててはいませんか?コンサートを楽しみにしていたのですが、ドクターストップがかかり急遽入院。現在色々な検査中です。残念ながらコンサートには孫娘がうかがいます。」

 コンサートというのは、その2日後に開催することになっていた東北大震災被災者支援のチャリティーコンサートのことです。GGはずっと楽しみに待っていてくれたのです。およそこれまで出会った人たちの中で、彼ほど謙虚で、彼ほど優しく、彼ほど善い人はいないぐらいに、GGは私たち女性スタッフから慕われ、頼られていました。「ナオミさんは自由に外に出て、ナオミさんにしかできないことをやってください。中は僕が守りますから。」という彼がいなければ、私はあれだけのことはとうてい成し遂げられませんでした。

 仕事の場がなくなり、共に働いたスタッフが解散をしてからも、私たちの交流はとだえることがありませんでした。去年の3月には「卒業旅行」と称して、全員で伊豆高原へ一泊旅行をしました。ホテルのプールでは、元水泳部のGGが泳ぎ方を教えてくれました。なんて楽しい思い出たちでしょう。これだけの仲間というのは、長い人生を振り返ってみてもそうそういやしません。

 検査の結果、私たちが愛するGGは、急性骨髄性白血病だということがわかりました。そして、すぐさま抗癌剤治療が始まりました。それでもGGは事あるごとに、私たちを心配させまいと、ユーモアにあふれたメールを届けてくれます。

「こんにちは!現在抗癌剤治療第二クール終了。月末に三回目の予定です。本人いたって元気です。なにしろ血が足りない病気なのでドラキュラなみに美人からいただこうと思っているのですが、叶いそうにもありません。現在通常生活。体調維持に努めています。ドラキュラは元気です。」(10月3日)

「爽やかな秋晴れです。無事抜歯終了。7本も抜かれました。口の中が分譲地の墓地みたい。なさけない顔です。その他順調!お会いできる日を楽しみにしています。」(10月28日)

「こんにちは!こちらは至って元気です。今病院で美女の血を補給中です。自宅からの通院治療です。来年1月にいよいよ十字架につけられます。覚悟を決めてドラキュラにおさらばします。」(11月24日)

 聞けば、幸運なことにドナーが見つかって、来年1月13日に骨髄移植をすることになったとのこと。「それまでは何食べても、いくら飲んでもいいというお墨付き」と聞いて、居ても立ってもいられずに、4回目の抗癌剤治療中のGGをもう一人の相棒と一緒に訪ねました。

 桜木町の改札口に立っていたのは、紛れもなく私たちのGGです。相変わらずダンディーなGGです。私たちは彼の馴染みの鰯料理の店で、飲み、食べ、話しました。うっかりすると彼がさっきまで抗癌剤の点滴をしていたことなどは忘れてしまうぐらいに。

 疲れたのではないかとお開きにしようとすると、GGが言いました。「もう一軒行きましょう。その先にいいバーがあるから。」

 そして私たち3人はまた飲みなおし。すでに生ビール2杯を飲んだというのに、GGはまたしてもハイボールを2杯です。みんなで一緒にいい具合に酔っ払って、「明日が4回目の最後の抗癌剤治療なんだ。」と、まるで「明日がフットボールの練習の最後の日なんだ。」とでも言うようにサラリと口にするGGを、またしても大好きになってしまったのです。

 私たちは今日、たくさん約束をしました。
 移植が終わって退院したら、もう一度みんなで一緒に旅行に行こう、
 プールのあるホテルでまた水泳合宿をやろう、
 そして必ず一緒に年をとろう!と。

 美しい晩秋の日の約束でした。

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11月27日(日):アシエット再び
11月28日(月):コタキナバルのマギーとクノール
11月29日(火):ヒラリー・クリントンのチョコチップクッキー
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2011年11月24日

時空を越えての再会〜Isn’t it gorgeous?

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 ハリケーンが去った後の9月初めのワシントンの町は、とりわけ美しく輝いて、スーザンが両手を広げて空を見上げ、息を深く吸い込んで言いました。「Isn’t it gorgeous?」(最高じゃない?)
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 4人でぞろぞろと出向いた先のレストランの外テーブルは、夕方の風があまりに心地よくて、スーザンがまた言いました。「Isn’t it gorgeous?」(最高じゃない?)

 すると私の左隣りにすわったマーティンが呟きました。「Yes, indeed.」(本当だ。)
 まず初めはカリフォルニアのピノノワールでした。4人で乾杯をして、みんなが一緒に言いました、「Isn’t it gorgeous?」
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 スーザンとマーティンが東京にやってきました。毎年この時期にはジョージワシントン大学ロースクール恒例の「Thanksgiving Celebration」があるのです。100名はいるという日本人卒業生たちが招かれて親交を深めます。副部長のスーザン教授と、重鎮のマーティン教授は毎年の常連です。この輪の中になぜか毎年、私も加わっています。今年は青山の「青山ロビンズクラブ」が会場でした。カナダ大使館と同じビルにある洗練されたクラブです。

 集まった人たちの中には懐かしい顔がたくさん見られます。卒業生たちの要とも言える国際弁護士のハギは1968年の卒業生。私たちの大切な友人です。9月には会議でご夫妻でワシントンにやってきて、スーザンと一緒に我が家に食事にいらっしゃいました。夕焼けのきれいな晩でした。
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 4月のワシントンで食べたり飲んだりの楽しい時間をご一緒した某大学の藤川先生は、相変わらずのダンディーです。

 さつきさんに初めて会ったのは、2006年の冬でした。スーザンの家に集まってから、他の国の留学生たちと一緒に食事に繰り出しました。さつきさんが裁判官だなんて、今もって信じられないぐらいに清楚で美しい女性です。

 こんな風に、時空を越えての再会は、あちらからこちらへ、こちらからあちらへと動きながら暮している者たちにとっての、心躍る喜びのひとつです。

 黒いスーツのさつきさんが、隣りでチラチラと腕時計に目を走らせ始めました。スーザンとマーティンのスピーチが終わると、「すみません。私、お先に失礼をしなくてはなりません。」 

 裁判官のさつきさんは、2歳半の坊やを持つワーキングマザーでもあるのです。

 ずっと気になっていた、着物を粋にお召しになった美しい女性は、会社法を専門とする弁護士でした。駅までご一緒に歩きながら、「どちらまでお帰りですか?」とたずねると、「はい、これから会社に戻ります。」

 時計はすでに9時近く。
 後ろからスーザンが追いかけてきて言いました。
「Naomi, wasn’t it gorgeous? When and where are we going to see next time?」
(ナオミ、最高じゃなかった? 次に会うのはいつどこでかしら?)

 女たちは実にしなやかに、それぞれの役割を全うしています。

 ところで、ふと気づいてみたら、レストランの外テーブルでのディナーも、我が家でのディナーも、そして今夜も、スーザンは同じジャケットに同じスカート。学生たちのことはとことん世話を焼くけれど、自分のことは気にしない、、、、こんなところが太っ腹のスーザンらしくて大好きです(笑)。

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11月22日(火):ホワイトハウスの殺風景チキンパテ
11月23日(水):殺風景チキンパテの変身


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2011年11月19日

ああ 5X8は 今日も雨だった♪♪♪

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 私たちがワシントンからフィラデルフィアへと向かう車に乗り込んだのは、9月23日朝のことでした。すでに降り出していた雨は時間とともに雨脚を強め始め、ペンシルベニア州に入る頃には、大雨と霧で2メートル先すら見えない状況となりました。

 予定よりも大幅に時間を取られ、目的地のフィラデルフィアに到着したのは、ワシントンを出てから6時間もたった夕方でした。同じ日の6時から、日本からの8人の作家による陶芸展「Five by Eight」のプレビューとレセプションが予定されていたのです。私たち、愛さんと私の役目は、お客様方と作家の方々との間を取り結ぶ通訳でした。

 「ナオミさんも着物をきていただけますか。」とプロデューサーのまき子さんに言われ、いちおう母の形見の着物などを車に積んではいきましたけれど、ハリケーンの豪雨は夕方になっても勢いを弱める気配も見せぬままに、私は着物を着ることをあきらめました。いえ、正直に言えば、まき子さんに着付けをしていただくことをあきらめました。車を降りてギャラリーに入るちょっとの間にも、びっしょりと濡れてしまうほどの豪雨だったのですから。

 そう、まるで今日のように。

 あれから2ヶ月たった大雨の今日、東京のイタリアンレストランで、先月末に38日間の展示を終えたばかりの「Five by Eight」の報告会が開催されました。まき子さんご夫妻を、日本各地から飛んできた8人の作家の皆さんが囲み、フィラデルフィアで大成功をおさめたこの陶芸展に所縁のある人たちが集まりました。

 そして、たった今、まき子さんから、5X8を代表して、こんなメールが届いたところです。

「皆さん、本日は雨の中、私たちの為に報告会にご参加下さいましてありがとうございました。おかげさまで楽しく皆様とフィラデルフィアでの日々を語る事ができました。本日が新たな出発点と思える記念の写真を送らせて頂きます。2009年のスタートの会は11名の記念写真でしたが、今日はたくさんの仲間と集う事ができました。これからも人の輪を繋げ、広げていけるような活動を続けていきたいと思います。楽しいひとときをありがとうございました。    5X8一同・真木まき子」

 このメールの背景には実は大変感動的な秘話があります。夢をかかげて集まった最初の会は、まき子さんが言うように2009年のこと。それが今日と同じ、小田急線沿線の住宅街の中にひっそりと立つレストランでした。そこで撮られた集合写真は、まき子さんの友人であるフィラデルフィア美術館の東洋美術部長、フェリス・フィッシャーさんのオフィスに2年以上もの間ずっと貼られていました。今だって貼られているかもしれません。
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 まき子さんと若い作家たちがこの写真を胸に、2年間をかけて夢を実現へと向けて努力をしている間、フェリスさんも同じ志をもって、この写真と共に同じ時間を送っていたのです。陶芸展が終わった今、8人の作家たちの作品はフィラデルフィア美術館に収蔵されることにもなりました。

 感動はそればかりではありません。会の最後になって、作家たち全員からまき子さんへサプライズの目録が手渡されたのです。まき子さんの軽井沢の家で使ってもらうための、8人の作家それぞれの作品を、代表の作家が読み上げます。彼らはこれからまき子さんご夫妻のための製作にはいります。いわばこれは約束手形のようなもの。納期は来年の8月です。
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 そして、皆さんが今日の日のために作ったフォトブックがまき子さんに献上されました。日本での準備風景からフィラデルフィアでの陶芸展の様子、折々のスナップ写真がセンスよく並べられた一番最後のページに映されていたのは、もちろんあの、出発点の11人の写真です。
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 雨は降り続き、思いは未来へと引き継がれ、
 感謝の気持ちは約束となり、
 報告会は、再び始まりの会になりました。

 ふとしたご縁で、そんな場に立ち合わせていただけたことを本当に嬉しく思います。
 あの日と同じに服も頭もいやというほど濡れましたけれど、あの日と同じに素敵な素敵な雨の日でした。
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11月14日(月):色は地味でも心はフルカラー@娘の夕食
11月15日(火):クイックアスパラガスキッシュ@ホワイトハウス
11月16日(水):こんなに簡単でいいのでしょうか〜ズッキーニのスープ@ホワイトハウス
11月18日(金):はまってしまった権八のまるまるきゅうり
11月19日(土):フェイの冷凍コールスロー@ホワイトハウス
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2011年11月05日

ブータン〜子供たちの笑顔

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 月曜日より銀座のギャラリーで「ブータン〜祭りと人と〜」という写真展が開催されています。随分前から、私の手帳の31日(月)に大きな○がつけられていたのですが、なかなか行くことができず、とうとう昨日になってしまいました。しかも駆けつけたのは、もう外が暗くなり始める頃。

 登代子さんは私が長年働いていた大学の同僚でした。とは言え、いったいおいくつになられたのかも定かでないのです。なぜなら初めてお会いした時からちっとも変っていないように見えるからです。直接お年を聞くのもはばかられて、一計を案じ、極彩色の祭りの写真の前でさりげなく聞いてみました。

「大学を定年でおやめになったのは何年でしたっけ?」

 その答が1997年ということは、すでに75歳〜76歳ということになるのです。けれども、心臓のご病気のある方が、そのお年でどうしてあちこちへと自由に出かけ、いろいろなことに好奇心を持ち続けていられるのでしょう。あげく、銀座のギャラリーで写真の個展まで開いてしまうのですから。

 私がグローバルキッチンを始めた昨年の1月から、ずっと皆勤賞で通ってくださっていますし、8月の横浜でのチャリティーコンサートにだって、一声おかけしたら、たくさんのご友人を引き連れて、あの猛暑の中、足を運んでくださいました。そのフットワークの軽さは見事なものです。

「私はねえ、ひとり暮らしだから、明日何があってもいいように、やりたいことをどんどんやって生きているの。」

 そんなことを飄々とおっしゃいます。

「ブータンとの出会いは、1979年にニューデリー空港でインドに留学する若者を見た時でした。まるで日本の『どてら』に似た着物を着た若者の一行を見て何処の国から来た人か聞いて『ブータン』を知りました。それ以来『魅せられた国』ブータンへ1984、1990、2008、2010年と訪れました。この時に撮ることのできたブータンの『ハレ』の見られる祭礼の写真でこの写真展を組み立てました。」

 これはギャラリーの入り口のパネルの中の作者のご挨拶です。長年のお付き合いなのに、そんな計画を饒舌に語るのでもなく、自分の「やりたいこと」のためにコツコツと歩を進めてきた友を誇らしく思います。批評をしたり、愚痴をこぼすのは簡単です。けれども、そうした人たちのいったいどれほどが、自分の思いを何らかの形にしているでしょうか。

 残念ながら写真展は本日まで。子供たちの笑顔を見るだけでも価値があります。いえ、子供たちばかりではありません。大人たちのたたずまいだって、とうの昔に私たちが忘れてしまった何かを思い出させるようです。

 今年は叶いませんでしたが、ブータンはなるべく早いうちに行きたいと思っている国です。けれども、五木寛之さんが「ブータン百寺巡礼」の中でこんなことを語っているのを読んで、少々怖気づいていました。

「今回、ブータンに旅立つ前に、二つの目標を立てた。一つは、なんとか高山病をうまくかわし、体調を維持すること。ついでにトウガラシづくしの食事に慣れること。」

 たしかに、ブータンという国は、ただ一つの空港、パロでさえ標高2300メートル。しかも、この山国では、この程度では高地にも入らないらしいのです。五木さんが続けます。

「それでも、標高が低い日本から来ると、2300メートルでも確実に酸素は薄く感じられる。気圧はかなり低そうだ。ふらつく足を踏みしめてターミナルに入ると、、、、」

「思わず早足になったとたんに、ふわっと上体がゆれた。こころなしか頭がぼうっとなるのを感じる。呼吸が苦しいほどではないが、なんとなく手足がだるい。」

 そうして高山病についてさんざん脅かされ、「高山病は死に至る病である。」などと言われると、正直なところひるむ気持ちが頭をもたげてきます。昨日、そんな不安を伝えたら、四捨五入すれば80にもなろうという写真家に叱られました。

「何言ってるのよ。ワタシなんかニトロを首から下げる身なのに、4回も行ってたんだから。やりたいことはやらなきゃ。行きたいところは行くことよ。ワタシ、まだまだ行くわよ。」

 とうとう本日が最終日になってしまいましたが、もし銀座方面にいらっしゃる方がおいででしたら、ぜひお立ち寄りになってみてください。それだけの価値はあります。

「ブータン〜祭りと人と〜」
田中登代子 写真展 (無料)
2011年10月31日〜11月5日 10:00〜17:00
ギャラリー・アートグラフ (中央区銀座2−9−14 写真弘社フォトアート銀座内)
Tel. 03-3563-0372

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10月30日(日):マダム・リーの魔法の手さばき〜手打ちパスタ
11月 1日(火):食いしん坊さん用手打ち麺 木こり風
11月 2日(水):うるわしの金目鯛蒸し焼き
11月 3日(木):ほくほく秋の収穫祭デザート
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2011年10月15日

ジュディスと私のノンバーバル・コミュニケーション

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 ワシントンを発つ日の朝は、明るい空と澄んだ空気が遠い景色を映し出し、14階の私の部屋の窓から、キャピトルと呼ばれる国会議事堂と、ナショナル・レーガン空港から、大空に飛びたった飛行機が見えました。視線を下に移せば、5月以来長い夏の日に雲を映していた水面には、覆いがかけられています。そうして私は、終わった夏を後に、西の空へと向かって飛びたちました。

 前の晩、私の家のドアにかかっていたものがあります。それは思ってもみなかったジュディスからの贈り物でした。
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 ジュディスは同じ階の3軒隣りに住むスイス人。ご主人はチュニジアから来てアメリカの大学で機械工学を教えているラミーンです。二人はワシントンに住んでもう10年になります。そして私たちの良き隣人であり、友人です。

 ワシントンに移って2週間後、ジュディスと私は恒例のワシントンツアーを企てました。その時々の話題のミュージアムや、人気のレストランを訪れながらDCの町を歩きまわるという私たちのツアーは、この数年、私がDCに行くたびに行われています。

 国会議事堂の南にあるレストランへと足を向ける途中で、ずっと気になっていたことをジュディスにたずねました。そのひそやかな香りが、14階のエレベーター前で会った時からずっと気になっていたのです。

「失礼だったらごめんなさい。あなたの香りがとても好きなの。それはガーデニア(クチナシ)かしら。」

 するとジュディスが驚きで目を見開いて答えました。

「こんなにほのかな香りなのに、私がコロンをつけていることがわかったのね。そしてどうしてわかったの?それがガーデニアだってことを。私、初めて言い当てられたわ。」

 私は、本当にその香りが好きだったのです。もしも嫌いな香りなら、ひたすら我慢して相手がまとっている香りのことなど決して口には出しません。ちなみに私はもう何年も前から香りを身につけるということを止めてしまいました。自分の好きな香りに出会うことがなかったからとも言えます。一時は好ましく思えても、時間がたつにつれてやけに人工的な香りに変わったりするものですから、せっかく買ったボトルのほとんどを手放してしまいました。

 けれども好きな香りは何年、いえ何十年たっても変わりません。それが、ガーデニアであり、ジャスミンであり、ジンジャーであり、イランイランなのです。これらの香りの前では私は全面降伏です。

 やっと出会った香りの中で、ジュディスにその名を聞いたことは言うまでもありません。そして次から次へといくつものデパートの化粧品売り場を訪ねては、「エリザベス・アーデン」の「ガーデニア」を捜し求めることとなりました。ところが「以前はあったんですけれどねえ、もう置いてなくて。」とか、「わかりませんねえ。」とか、「ここ(メーシーズ)ではなくノードストロームに行ってみたらあるかもしれませんよ。」などと、なんともいいかげんな答ばかり。

 結局あきらめていたのです、そこへ持ってきて帰国前夜のドアに、こんな紙袋がかかっていたのです。中を開ければ、手書きのカードが入っています。
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「ナオミ、いよいよ明日ね。ガーデニアを日本に連れて行ってね。」

 そして私が探しに探していた美しい瓶が入っていたのです。それを見て愕然としました。エリザベス・アーデンではなくて、エリザベス・テイラーの「ガーデニア」だったのです。これではいくら探したって見つかるわけがありません。
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 ジュディスの気の利いた計らいが嬉しくて、急いで返礼のカードを書いて、プレゼントと一緒に抜き足差し足、3軒隣りのドアにかけに行きました。私からの贈り物は、ペンシルベニア州ランカスターのアーミッシュ村で買ってきたキルティングの鍋つかみとコースターです。
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こうしている今も、私はガーデニアを身にまとっています。消え入りそうなほのかな香りですが、たしかにそれは私の好きなガーデニアの香りです。そして今頃は夕飯の準備に余念がない金曜日のジュディスは、きっとあの鍋つかみで大鍋を持ち上げていることでしょう。

 こうして、太平洋を越えたノン・バーバル・コミュニケーションは健在です。

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10月 9日(日):リユニオンのテント村@レインスレアー
10月11日(火):秋色簡単デザート〜アップルクリスプ
10月12日(水):年季入り同窓会パーティー@レインスレアー
10月13日(木):超手抜きのクラブスープ@ボルティモア
10月14日(金):1耳、2耳のトウモロコシ@アメリカ
10月15日(土):バカルディの夜@東京
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2011年10月05日

回遊魚の楽しみ

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 土曜日に小さな飛行機でインディアナポリスを発ったのは、空港が夕日に赤く染まる頃でした。しばらくは茜色の雲の中を飛んでいたのが、ワシントンに近づく頃には窓の下が、真っ黒な布の上でチカチカと光り輝く蛍となりました。

 バスとメトロを乗り継いで家に帰りついたのは11時半頃でした。そしてその翌朝には私たちはまた、ケンブリッジから飛んできたケネスとビビアンを乗せて、空港への道を走っていたのです。早朝の雨が上がった空に大きな虹がかかり、私たちは虹と一緒にハイウェイを走りました。

 ケネスはオークランド大学ロースクールの教授です。4月からサバティカルという7年に1度の研究休暇に入りました。そして3ヶ月にわたるケンブリッジ大学での研究の後に、夫人のビビアンと一緒にヨーロッパ各地をまわって、金曜日にワシントンにやってきました。そしてまた日曜日にヴァージニア大学のあるシャーロットビルへと発ちました。

 タイミング悪く、二人が来たのが私たちがインディアナに居た時でしたので、積もる話を語り合うのは彼らを空港に送って行く車内と、搭乗までの短い時間だけしかないことがわかりました。夫とケネスは前の席に、ビビアンと私は後ろの席にすわって、刻々と進むタイマーの針に急かされて、あれもこれもと早口でまくしたてます。

 二人とは2月にニュージーランドのオークランドで一緒に楽しいひと時を過ごしました。眺めの素晴らしい彼らの家の広いテラスで、飲んで食べて南十字星を眺めたことを思い出します。
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 ある時には、炎天下のパーティーのためにビビアンがクローゼットからドサリと持ってきた帽子の山の中から、それぞれがお気に入りのものを選んで頭に載せ、一緒に作ったお料理を静々と運びました。
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 あの時、「ワシントンに行くかもしれない。」と言うケネスの言葉に半信半疑でいたのが、なんと本当になってしまいました。

 私たちのような回遊魚暮らしの楽しみは、こうして思わぬ所で同じ回遊魚たちと出会うことです。次にまた早口トークができるのはいったいどこになるのでしょうか。どこであろうと、またそんな日が来ることを信じて先に進むしかありません。

 それにしても面白いのは、痩せたソクラテスのような小柄で細くて飄々としたケネスと、豊満で豪放磊落なビビアンの組み合わせです。どう見てもビビアンはケネスの2倍は体重がありそうなのに、半年分の生活がつまった重いスーツケースを車のトランクに載せるのも、下ろすのもケネスの役目。そんな様子を記録しようとカメラを向ければ、ビビアンはいつだってこちらを向いてカメラ目線でニッコリです。ニュージーランドのレディーファーストはここアメリカ以上かもしれません(笑)。
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                       By 池澤ショーエンバウム直美

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10月2日(日):やっぱり時にはカントリー@ナッシュビル
10月3日(月):季節はずれのミルクシェーキ@ナッシュビル
10月4日(火):夕日と一緒に空港ディナー@インディアナポリス

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2011年10月01日

水平線はただ見えないだけ

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 昨日の朝、3日間滞在していたブルーミントンを発ち、車を北西に向けました。見渡す限り風力発電の風車がまわる地帯を抜け、収獲を終えたトウモロコシの畑の間を走りました。目的地は、同じインディアナ州でも、シカゴまで車で2時間という小さな町、レンスレアー(Rensselaer)です。ここでもう1年も前から決まっていた大きなイベントがあります。おそらく最後の集まりでしょう。

 それが何であるのかは、次回にまわして、、、

 ホテルで首を長くして待っていたのは、シカゴからやってきた夫の大学時代のルームメートのデニスです。「元気そう!なんだか若くなったみたいよ。」とは言ったものの、3年前にシカゴで会った時に比べると、ずいぶん太って年を取ったように見えます。病気を患って歩くのも難儀な身となりましたが、ハンディキャップのサインを車のフロントガラスに貼って、自由きままに動いています。今回だって単身でシカゴから運転をしてきたのです。

 面白いのは、約束の時間にぴったり間に合ったはずなのに、「随分早かったね。」。
 そこで初めて知りました。私たちが25キロ離れた所でタイムゾーンを越えていたことを。同じ州なのに時間が1時間違うのです。つくづくアメリカというのは大きな国です。

 待ちかねていたデニスと3人で向かった先は墓地でした。彼ら二人と仲の良かった大学時代の仲間が、44歳で心臓発作で倒れ、3人の子どもと夫人を残したまま帰らぬ人となったのです。それからもう28年。当時の悪ガキたちは、すっかり年齢を身につけました。

 日本の墓地とはだいぶ勝手が違います。ただ無造作に並んでいる墓石の中で、友を見つけるのは大変です。私たちは3手に分かれて、墓地をぐるぐるとまわりました。掘っ立て小屋のような事務所があるのですが、扉は閉ざされたまま。あきらめて帰ろうとしていたところに、管理の男性が事務所に戻ってきました。彼が薄暗い室内でキャビネットに入った名前カードを探ります。けれどもなぜか友の名は見つかりません。

 再びあきらめかけたところに、この男性の顔が一瞬明るくなって、「あ、思い出しました。その方ならたしか、あちらの方向に歩いたところの、、、、、」という具合に記憶の中の場所を教えてくれたのです。コンピューターでもなく、薄茶色に変色した紙でもなく、一番役に立ったのが管理人の記憶だったのです。

 お参りをする二人の男たちにならって、私も日本風に手を合わせました。そして墓石をはさんで立つ彼ら3人の写真を撮りました。3人のうち一人は石でしたけれど、その時、心なしか曇った空から日ざしが差し込んだように思いました。彼ら2人には旧友の声が聞こえていたかもしれません。

 墓石の表には、「William James 1939-1993」と刻まれた文字に並んで、夫人の名前が書かれています。「Mary 1940-   」の生年の後に置かれたブランクは、夫人が今もなおどこかで生きていることの証でしょう。

 裏にはこんな言葉が書かれていました。哀しくも美しいメッセージです。

 Life is eternal.
Love is immortal.
Death is only a horizon.
A horizon is nothing but the limit of our sight.

 人生は永遠
 愛は不滅
 死は単なる水平線
 水平線は我々の視界の限界に過ぎない。

 夜はたくさんの人が集まっての正式な晩餐会がありました。男たちはすっかり50年前に戻って夜の町に飲みなおしに行きました。今日は8時半から朝食会があります。そして一日中様々なプログラムが展開されます。大学卒業50年の人たちの記念すべきリユニオンなのです。今日もまた長い一日になりそうです。

                             By 池澤ショーエンバウム直美

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9月26日(月):陶芸展のビュッフェメニュー@フィラデルフィア
9月27日(火):変てこ?芸術的?なカプレーゼ@フィラデルフィア
9月29日(木):フィラデルフィアでジャパニーズ@フィラデルフィア
9月30日(金):アジア通り発見!@ブルーミントン
10月1日(土):アジア通りで甘い生活@ブルーミントン
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2011年09月09日

ジュディスとの恒例「DCウォーキングツアー」

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 昨日、金曜日のワシントンは朝からどんよりとした空模様。11時30分出発の頃には、案の定、雨が降ってきて、10分もかからぬメトロの駅まで歩く間に、ジュディスのパンツも私のスカートも、二人の靴もびしょ濡れになりました。

 それでも一昨日の嵐のような土砂降りに比べたら、ずっとましでした。本当は木曜日の約束だったジュディスとの「DCツアー」も、この嵐と雷で、翌日に延期したのです。

 ジュディスはチューリッヒ生まれのスイス人。ドイツ語とフランス語が母語です。こちらで都市設計の大学院を出て、目下、なぜか食育をテーマに研究中。そして週に1〜2度は朝早くダウンタウンの教会に行き、何百人ものホームレスの人たちのための炊き出しをしています。もう一つ付け加えれば、完全なベジタリアンにして、オーガニック派です。

 夫のラミーンはチュニジア人の大学教授。電気工学が専門の男前です。二人のワシントン生活ももう10年になり、二人ともきちんとアメリカの市民権を持っています。年の頃は50代後半でしょうか。二人の間には子供はいません。そして二人は、このコンドミニアムの同じ14階、3軒先の住人です。

 ジュディスとは、私がこちらに来る度に、なぜか、必ず一緒に「DCツアー」をすることになっています。メトロに乗ってダウンタウンまで行き、旬のスポットを歩き回るのです。もちろん絶え間なくおしゃべりをしながら。

 一日延期になったツアーの行き先は、オバマ大統領夫妻もやってくることがあるという、今DCで人気の完全オーガニックのハンバーガーショップ「Good Stuff」→国会議事堂周辺のお散歩→彫刻庭園(National Gallery of Art Sculpture)のベンチで休憩→5月に開店したばかりのフランスからやってきた老舗ベーカリーの「Paul」でコーヒータイム→国立肖像画美術館(National Portrait Gallery)で開催中の「Little Pictures Big Lives」(小さな写真 大きな人生)を見る→また「Paul」に戻って夕飯用のパンを買う。

 と、いうものでした。もちろんいつだってジュディスが企画して、「これでどう?」と言ってきてくれます。私は、「うん、それでいいんじゃない?」と乗っかるばかり(笑)。

 午前中に振り出した雨はお昼過ぎまでしか続かずに、それぞれに普通のハンバーガーと、ベジタリアン用のハンバーガーを食べた後には曇り空、彫刻庭園まで歩く間にかんかん照りになりました。濡れた傘はここで日傘に早変わり。

 とにかくジュディスはいつだって好奇心満開のおしゃべりです。興に乗ってくると、足を止めてしゃべります。その度に私たちは道の真ん中で、ああでもない、こうでもないと、時に共感、時に論争をし続けます。

 ところがこれがまたけっこう疲れるのです。なぜならば、彼女にとっても私にとっても英語が母語ではないからです。ジュディスの英語は独仏なまり、私の英語は日本なまり。たとえばジュディスは、Impossibleを「アンポシブル」と言いますし、Sensitiveを「センシティーブ」と言います。

 そして話題は、地震のことから年金、医療制度、相続、旅行、料理、芸術と多岐に渡り、その質問はなかなかシビアです。たとえば、昨日も、アジアから移住したアーチスト6人の作品を見た後に、くたびれてすわった館内の石のベンチで、「アイデンティティー」についての大ディスカッションとなりました。疲れた時には重い話題です。

「目の前にアメリカ人のグループと、イタリア人のグループと、ガーナ人のグループと、エジプト人のグループと、スイス人のグループと、インド人のグループと、中国人のグループと、日本人のグループがいて、だあれも知らなかったとしたら、ナオミ、どのグループに入る?」

「9・11には何をするつもり?」

 こんな質問が矢つぎばやに飛んでくるのですから、たまったものではありません。しかも、私たちは同じ建物の同じフロアの住人。行きも帰りもとことん一緒なのです。

 お化粧もしないし、いつもパンツにペタンコ靴。そんなジュディスに「ナオミはどうして歩き回るのにもそんな靴を履くの?」と言われるほどに、決して似ているとはいえない私たちですけれど、そして時にコミュニケーションに支障をきたす私たちですけれど、
それでも私たちは、不思議と仲が良いのです。好奇心の領域が似ているのかもしれません。

 家に帰ったのは夜7時。長い「DCツアー」とおしゃべりで疲れましたけれど、やっぱりここは、歩き回るにはとても素敵な町です。町のまんなかの彫刻庭園で、噴水を見ながらベンチにすわれば、リスたちがすぐそばまで挨拶にきます。かんかん照りとは言え、まず汗をかくこともありません。そして、ほとんどの美術館は無料です。

 大討論になった「アイデンティティー」については、またあらためて、、、、
 何しろ重い話題ですから。

By 池澤ショーエンバウム直美


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9月 5日(月):炊飯器で簡単!ひよこ豆ライス@プエルト・リコ
9月 6日(火):謎の調味料ソフリート@プエルト・リコ
9月 7日(水):お米とチキンのシチュー@プエルト・リコ
9月 8日(木):困った時のHANA頼み@ワシントンDC
9月 9日(金):HANAから始まる手巻き寿司
9月10日(土):まずは三種のディップで
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2011年09月06日

たわいない話で盛り上がれる友は貴重な存在

RIMG11569.JPGワシントン2011年8月・9月 270.jpgコピー 〜 20110904Jim&Kathy 2.jpg 
 レイバーデイ(労働者の休日)だというのに、珍しく朝早くからポンポンと調子よく仕事をしていたら、いきなり連れ合いがやってきたのが2時ごろのこと。

「ナオミ、今日は雨になるらしいよ。早めに行ったほうがいいよ。」

 ということで、「えっ、こんなに晴れているのに?」と半分疑いながらも、パタンとPCを閉じて、急いで水着に着替えて行ってきました。だって夏が今日で終わりになってしまうのですから。(本当は最後のサンセットスイミングの予定だったのですが、、、、、)

 案の定、4時頃から雲行きが怪しくなって、とうとう雨が降り始めました。ここのプール、雨粒がちょっとでも落ちてこようものなら、すぐさまドアを閉めて、ガードのお兄さんがいなくなってしまうのです。というわけで、滑り込みセーフをした今年最後の「私のプール」が、予定より5時間も早く2011年の幕をおろしてしまいました。雨は明日、明後日も降り続く模様です。

 昨日、紫陽花と向日葵を飾ったのは、自分のため、夫のため、そして夕飯にやってくるジムとキャシーのためでした。キャシーと出かけた郊外のレストランの、手入れが行き届いた庭に、私の顔よりも大きな向日葵がたくさん咲いていて、その下で二人で写真を撮りあった夏を思い出したからです。

 学生時代に知り合って結婚したという、キャシーの夫のジムは、これまた向日葵のような人。大学院を修了して以来35年もの間、ずっとNASAで仕事をし、アポロ計画にも加わっていた人です。大きなからだで、豪放磊落に笑い、「退職してからは、なんでもない日常を楽しむことが特技さ。」と言うジムは、夫の幼稚園時代からの親友です。育ったのは二人ともシカゴなのに、今はたまたまワシントン。となれば、当然のように、何かと理由をつけては集まりたがります。「ナオミが来た。」というのだって、その十分な理由になります(笑)。

 リーマンショックで、預けていた資産が紙くずのようになってしまった時には、さすがの向日葵ジムも落ち込んで、人が変わったように無口になりました。一人で家に閉じこもるばかりになってしまったジムは、まさに頭をうなだれて雨の中に咲く大きな紫陽花のようでした。けれども、献身的な妻キャシーと、医者の最新治療が効を奏して、今では全く変わらない昔の向日葵ジムに戻りました。「ナオミ、今日は何料理?」と言いながらやってきては、何料理だろうが楽しそうに食べつくしてくれます。

 ジムと夫の二人が話し始めると、もう私には耳が追えません。このほかにあと2人の幼馴染が加わった時など、すごいスピードで弾丸トークを繰り広げる彼らの英語に、途中からまるでついていけなくなりました。すっかり自信を喪失して、後から夫に嘆いたら、こんなことを言われたのを思い出します。

「わからなくて当たり前。みんな子供時代に戻ってるからね。」

 先日ダウンタウンの店でようやく日本の新聞を見つけました。日経の国際版(米州)です。日本にいたら飛ばし読みの新聞もここでは貴重品。丁寧に隅々まで読んでいたら、岸本葉子さんのコラムの中にこんな言葉を見つけました。8月31日の新聞です。

「私が十代の頃アイドルだった人の訃報に、接することが多くなった。自分たちより下の世代は、そういうアイドルがいたことすら知らない。『こんな歌が流行ったよね』と振り付けを交えて語り合える人は、この先どんどんと限られていくだろう。ささやかな共通体験で結ばれ、たわいない話で盛り上がれる友は、貴重な存在なのだ。」

 幸せな思い出は大切に。
 そうでない思い出は潔く忘れて。
 後ろを振り返って楽しめるかどうかの秘訣って、もしかしたらそんなこと?

By 池澤ショーエンバウム直美


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2011年09月02日

Isn’t it gorgeous? 〜レインメーカー スーザン

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レインメーカー(Rainmaker)と聞いて、まずすぐに思い浮かぶのは、マット・デーモン演じる若き弁護士が理不尽な社会に挑む、コッポラ監督の法廷映画「The Rainmaker」(1997年)でしょう。タイトルの「レインメーカー」とは、雨が降るように大金を稼ぐ弁護士を意味しているとのこと。

たしかに、「レインメーカー」と言う言葉には、そうした意味もあります。というよりは、ほとんどがそうしたイメージで使われます。上顧客をたくさん持つ営業マンだとか、成功した事業家とか、商売上手なやり手とか、、、、、

けれども、本来の意味はその名の通り、おまじないなどで「雨を降らせる人」のことです。つまり雨乞いに長じた人のこと。てるてる坊主をたくさん作るのとは反対の方向、反対の能力です。

雨のごとく大金を得れば、その後に必ず豊かな人生が約束されているかと言えば、決してそうとは限らないのが私たち人間の面白いところですけれど、雨が降れば、たしかに地は潤い、生命を育てます。そして、ひとつの生命はいくつもの生命と連鎖していきます。

私が心ひそかに「レインメーカー」と呼んでいる人がいます。ワシントンDCのジョージワシントン大学ロースクールに少しでも居たことがある方なら、まず知らない人はいないでしょう。あの、やたら快活で、やたら元気で、やたらサバサバしていて、やたら面倒見の良いアソシエート・ディーン(副学部長)のスーザンです。

スーザンと言う名の通りれっきとした女性ですが、男気たっぷり(笑)。初めて会った時から、すぐに惚れました。そして、元々は夫の同僚のはずなのに、いつのまにやら女同士、同じことに笑い、同じことに義憤を燃やす友人となりました。あげく、気づいてみれば、スーザンの集まりのすみっこにチョコンとすわることにもなりました。「公式の集まりのはずなのに、何か変じゃない?」などと初めのうちは遠慮していましたが、当の本人があっけらかんとして、「ナオミも来るでしょう?」と言うのですから、「YES!」と答えぬわけにはいきません。

一年に何度か、彼女はアジアからの留学生たちを自宅に呼んでから、町のレストランへと繰り出します。日本から来た学生たちが混じっていることもあります。留学生と言っても、アメリカのロースクールに来ているわけですから、そのほとんどは社会人学生たちです。そんな大人の学生たちの面倒を実によく見ながら、スーザンは人と人とを繋げていきます。

ある時は、ダウンタウンのインドレストランで、アフガニスタンとブータンとインドと日本の学生たちが集まりました。ある時は、彼女の家のすぐそばのタイレストランで、タイと韓国と中国とシンガポールと日本の学生たちが集まりました。

今年の春にワシントンに居た時にも、たくさんの出会いの機会を作ってくれました。韓国の大学の学長夫妻とのディナーも、日本から研究に来ていた先生とのお食事も、そしてもちろん学生たちとのパーティーも。スーザンがいれば、初めて出会う人同士が、みんな不思議なほどにくつろいで、明るい笑いの中で、輪を結んでいくのです。

昨夜もそうでした。ハリケーンが去った後の町はとりわけ美しく、さわやかな空気と優しい太陽の光に、暖かく守られているようです。歩きながら、空を見上げて、息を深く吸い込んで、スーザンが言います。

Isn’t it gorgeous?  (最高じゃない?)

彼女が予約をしていたのは、パークハイアットホテルの1階にある「Blueduck Tavern」の外テラス席。古き良き時代のアメリカ料理を継承しているレストランです。大きなパラソルの下のテーブルの、右にスーザン、左に夫、前はデトロイトからやってきたマーティン教授です。ロースクールの世界ではなかなかの大物、もうすぐ結婚50周年を迎えると聞けば、その年齢もおおかたの察しはつくでしょうが、それなのに、今でも夫人と一緒に世界中をまわって仕事をしています。秋には東京にやってきます。

最初のボトルはカリフォルニアのピノノワール。
4人で乾杯をして一口飲んだら、スーザンが言いました。

Isn’t it gorgeous?

さんざん飲んで、食べて、「誰かに聞かれたらどうするの?」と心配するような大統領批判論を交わし、彼らが育てた学生たちの本国での活躍ぶりを嬉しそうに語り合い、スーザンが休暇で帰った故郷の湖で、父親と釣ったと言う50センチもあるカマスの写真に大興奮し、次第に暗くなっていく中で、話は日本とアメリカが戦わねばならなかった悲劇の時代から、現代へ、そして世界がこれから向かう先へと、果てもなく広がっていきます。

最後に、私たちが来春、ブータンへの旅を計画していることを話すと、スーザンがさらに饒舌になりました。なぜって、そもそも私たちに「ブータン熱」を移したのは、2年前に、かの国から帰って熱っぽく語った彼女だったのですから。

「○○と▽▽とXXには必ず会ってきてね。ほら、あなた方も覚えてるでしょう。ロースクールに来ていた彼らはね、今では、、、、、、、、。私が全員に連絡しておくから。」

という具合。

みんなでいい具合に酔っ払って、すでに暗くなった通りに出て歩き始めたら、夜風があまりに気持ちよくて、スーザンがまたいいました。

「Isn’t is gorgeous?」

そして、いきなり夫とマーティンが叫びました。
「あっ、お金払うの忘れた!」

するとスーザン、「何言ってるの。とっくに払っちゃったわよ。私のおごりだから気にしないでね。Isn’t it gorgeous?」

こうしていつもスーザンにしてやられます。でも、そんな時のスーザンは実に嬉しそうなのです。誰かと誰かを繋いでいく、その誰かがまた誰かに繋がって、もしかしたら自分の知らない所で奇跡が起きるかもしれない、、、、カラカラに乾いた土に雨が降るように。きっとそんな風に思っているのかもしれません。

やっぱりスーザンは素敵な「レインメーカー」です。

By 池澤ショーエンバウム直美


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8月29日(月):青バナナのモフォンゴ登場!
8月30日(火)予定:青バナナのチップス
9月 1日(木):水花火の夜のお弁当
9月 2日(金)予定:これはどこのお弁当?
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2011年09月01日

来年を語り、再来年を語ることで

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 日本ほどではありませんが、ここアメリカにも、とても大切な友人たちがたくさんいます。その最たるものが、レイ&ジリー、マーク&ジュディーです。私たち、トム&ナオミと合わせての3組は、全員で集うばかりでなく、男たちは男たちで、女たちは女たちで、それぞれ別々に会っては秘密の会合などもしています(笑)。女組で言えば、ナオミ&ジリーだけのこともあれば、ナオミ&ジュディーのこともあります。もちろんジリー&ジュディーの組み合わせも多いでしょう。

 これだけ長い間、交流を続けているのは、たぶんいくつかの点が共通していることに加えて、それぞれの異なる個性がうまい具合にはまって、補い合っているからなのでしょう。

 たとえば、昨年10月、ミラノに住む私たちのもとにマーク&ジュディーがワシントンから飛んできました。ベニスから地中海クルーズに出る前に、私たちと一緒に1週間の北イタリアへの旅をするためです。この時のブログを読み返してみれば、こんなことが書かれています。

「マークは、いつも冷静に車のハンドルを握り、的確な判断をし、
 トムは、イタリア語と英語の膨大な資料を読んでは、みんなに説明をし、
 ジュディーは、天性の方向感覚と土地勘で、迷った時には松明を持った女神となり、
 ナオミは、ドジを繰り返してはみんなを笑わせる。

 旅は道連れ。
 旅は役割。」

 ガルダ湖で帯状疱疹を発症した時も、みんなが私のために、それぞれの役割で、病状についての情報を集めたり、医者を探したり、新たに旅程を立て直したりと、敏速に行動してくれました。私たちはもちろん行く先々で、レイ&ジリーに写真つきの旅レポートを送りました。

 3組6人がそろうのは、なかなか難しいことです。なぜなら、私たちはまるで回遊魚のように、移動暮しをしているからです。それだけに、たとえ年に2度であろうが、3度であろうが、それはとても貴重なひと時になります。

 そんな6人が、私がここに飛んでくるのを待って早速集まり、ジュディーの素晴らしい食卓を囲んだのが、一昨日、月曜日の夜でした。2台の車で別々に、彼らの郊外の家に行くよりも、1台の車で4人一緒に行く方がずっと嬉しいことです。だって行き帰りの時間もずっと一緒に居られるのですから。男どもは前に、女どもは後ろにすわって、それぞれの話題に夢中になれます。

 男たちは、たまたま弁護士であったり、同じ時期に同じ病気を患ったりしたことで、固い連帯があります。女たちは、たまたまそんな男たちの妻であったり、移動暮しをしながらも多少の仕事をしていたり、料理が好きなことなどで、深く繋がっています。そして、我々6人は、好奇心とユーモアの度合いにおいても、本当によく似ているのです。

 最年長のレイは、去年の夏から秋にかけてジリーと一緒にフロリダのコンドミニアムに移り、そこでしかできない最先端の癌治療を受けました。経過は良好で、ロンドンと南フランス、そしてここワシントンの3箇所の家をまわりながら暮す、長年のライフスタイルを続けることもできるようになりました。

 ところが、この6月に重いスーツケースを持った瞬間に激しい痛みを覚え、検査の結果、仙骨が損傷を受けていることがわかりました。とうに70を越えてはいても、惚れ惚れするほどダンディーで、知的で、毎日ジムに通ってはからだを鍛えていた彼が、一時は車椅子が必要になりました。幸い、今では杖があれば歩けるようになり、車の運転にも支障がなくなりました。

 彼らの次の移動は今週末です。行き先は南フランスの家。
 10月初めにワシントンに戻り、二度目の癌治療のためにまたフロリダに行きます。
「来年は、二人でアフリカのボツワナを旅するの。再来年はどこにしようかしら。」というジリー。

 帰ってから、わがパートナーがポツリと言いました。

「なぜそんなにまでしてフランスに移るのかなあ。いくら二人の好きな場所、好きな家だって、こんな状態での長旅は無理じゃないかなあ。それに今のレイにはボツワナはきついんじゃないだろうか。」

 でも、私にはジリーの気持ちがわかるような気がします。こんな時だからこそ、今までと同じように暮らしたい、夏が終わる頃にフランスへ移り、秋のまん中にはアメリカへ戻り、そしていつものようにクリスマスから始まる彼らの冬をイギリスで迎え、そして春にはまた一緒に長い旅をする。そして、共に過ごす来年の予定を語り、再来年を語る、、、、そうすることによって、前へと歩いていく力を得ているのだと思います。

 私たちだって、2012年を語り、2013年を語っているように。

By 池澤ショーエンバウム直美


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8月29日(月):青バナナのモフォンゴ登場!
8月30日(火)予定:青バナナのチップス
9月1日(木)予定:水花火の夜のお弁当
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2011年04月25日

あ、ワシントンつながり!

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 静岡の「はしけい」さんからメールが届いたのはつい6日前、4月18日のことでした。「はしけい」さんは静岡のテレビ局でお仕事をしているキャリアウーマンであり、とびっきり素敵なワーキングマザーです。もちろん私よりもずっと年下。嬉しいことにふとしたご縁がずっと繋がっていて、私はいつも影ながら、「頑張れ、頑張れ、ワーママ(ワーキングマザーのことです。)道!」と声援を送り続けています。

「静岡の『はしけい』です。ご無沙汰しております。さまざまな思いを抱えつつワシントンの桜を愛でる直美さんの姿にブログを通して、共感させていただきながら日本の春を過ごしております。さて、本日、ふとメールをしましたのは私が尊敬している、元新聞記者の「小国綾子」さんのことです。小国さんは今、ワシントンに住んでいらっしゃいます。

私のブログのお気に入りページとしても直美さんのブログと並んで、ご紹介している方ですが今更『あ、ワシントンつながり』と気付いたわけです。その小国さんが、日本のお仲間たちと一緒に今週末、ワシントンでコンサートを開くということです。もし、ご興味がありましたらブログをのぞいてみてください。さすがに、新聞記者さんで、歯切れのよい文章が、直美さんのブログとはまた違ったパワーを私に与えてくれます。取り急ぎ、ご連絡まで。」

 そして飛んできたボールをラケットで打ち返すように、間髪を入れずに出した私の返事はと言えば、

「『はしけい』さん、ありがとう!!行きます、絶対に23日のチャリティーコンサート行かせていただきます。小国さんのような方が、ここからさほど遠くはない所に住んでいらっしゃったんですね。こちらでは無力な自分が情けなくて仕方がなかったのです。たとえ受付でも、ビラ配りでも何でもしたかった、、、次回は、と言ってもまた、地震は困りますけれど、何かお手伝いさせていただければと思います。」

 本当に、水木金と日月火に挟まれた昨日の土曜日だけはポッカリと空いていたのです。まるで「はしけい」さんからの知らせを待っていたかのようです。

 こう言う時に腰を重くするか軽くするかで、その後の展開がガラリとちがってくるというのが、長い間の経験から学んだことです。実際これはキャリアカウンセリングの分野でもしっかりと確立されている理論で、Dr.クランボルツの「計画された偶発性(Planned Happenstance)」と言います。キャリアカウンセラー仲間でもこの理論の信奉者はたくさんいます。私もその一人です。ここでこれに触れるとページがいくらあっても足りなくなりますのではしょりますが、ご興味のある方は検索してみてください。

 「面白そう!」とか「行きたい!」と思ったら行ってみることです。「どうしようかなあ」と思う時にもまず乗ってみることです。偶然は自分から呼び寄せるものなのですから。

 ということで行ってきました。「SING OUT FOR JAPAN! 歌でつなごう支援の心〜東日本大震災復興支援コンサート」です。行ってよかった、本当に行ってよかったと思っています。素晴らしいコンサートでした。決して押し付けがましくなく、私たちには母国の復興を願わせ、他の国の人たちには日本という国への思いを抱かせました。

 このコンサートについても、ここで出会った方々についても、書きたいことがたくさんあります。けれども今日はイースター。ギリシャからお客様がやってきます。私は朝から台所との間を行ったり来たり。今夜は半分ギリシャ料理、半分日本料理、デザートだけがカリビアンという節操のなさ(笑)。あと1時間半で皆さんがやってきます。また台所に戻らねばなりません。

 ここはひとつ手抜きをお許しいただいて、昨夜、「はしけい」さんへ送った報告メールを貼り付けます。

「『はしけい』さま お知らせしていただいて以来、自分で作った日めくりカレンダーを一枚めくるたびに心躍らせていたコンサートに昨日行ってきました。私の住む町からは高速で小一時間の所でしたが、道々、春の風景を楽しみながら会場の教会に着きました。

会場の雰囲気も、教会のまわりの緑あふれる環境も、そしてコンサート自体も本当に素晴らしいものでした。丁寧に手作りで作られた10ページのパンフレットも、控えめな募金システムも、全てに、小国さんをはじめ、取り組んできた皆様のお心が感じられました。

開演前にはご挨拶することができませんでしたので、さてさて舞台の上のどの方が?と一人一人のお顔を見ていましたが、途中で判明!4人で「When You Wish upon a Star」を歌われた中の左から2番目の方でした。

歌う時のお顔の何と涼やかで、何と嬉しそうだったこと!『はしけい』さんにも見ていただきたくて写真を添付します。とにかく最初から最後まで感動でした。一番初めに大声で『BRAVO!』と叫んだのは我が夫でした。その後たくさんのブラボー!が続き、最後の最後には総立ちで拍手が鳴り止みませんでした。『うさぎ追いしかのやま〜』を歌いながら私は必死にティッシュで目と鼻をぬぐい、隣の方も同じようにメガネをはずして涙をぬぐっていました。夫は結局5回はブラボーを叫んだと思います。

終わった後、手作りの食べ物を持ち寄ったレセプションがあり、ここで晴れて小国さんとご挨拶を交わすことができました。『はしけい』さんのおかげで初めてお会いした方とは思えずに、『綾子さん?』『直美さん?』と抱き合ってしまいました。

このコンサートを指揮し、自らもソプラノの美声を轟かせてくれた嶋田貴美子さんが何と私の大学の後輩だったこともわかったり、その息子さんが夫が教える大学の学生さんだったりと、思わぬ繋がりに興奮しました。

出会う日本の女性たちが、みなしっかりとこの地で生きているように見えました。
いまだに覚悟を決めかねている私にとっては、とても眩しく映りました。夏にここに戻ってきた時には、小国さんとゆっくりお会いすることができるように願っています。
『はしけい』さん、お繋ぎくださって本当にありがとうございました! 直美」

「はしけい」さんのブログ:「ワーキングマザーのすすめ」 http://hashimotokeiko.cocolog-nifty.com/hashikei/

「小国綾子」さんのブログ:「おぐにあやこの行った見た書いた」 http://oguni.blog56.fc2.com/

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4月25日(月):パーティー術ハード篇〜サンドストローム家のパーティー
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2011年04月19日

カンラカンラのジム物語

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Dear Jim,
Happy Birthday!!
You have already lived a long and magnificently successful life,
and have many years to come!
What a journey since we met in 6th grade!
Love Tom & Naomi

これは昨日、日本からのプレゼントと一緒に、22日にお誕生日を迎えるジムに渡したバースデーカード。日本語に置き換えればさだめしこんな感じでしょうか。

ジム、お誕生日おめでとう!!
君はすでに随分長いこと、堂々と素晴らしい人生を歩んできた。
そしてまだまだこれから何年も歩み続ける。
何ていう旅だろう、6年生の時に出会ってからずっとだなんて。

ジムは夫の小学校以来の親友です。見た目はまるで、とっぷり太ったお髭のサンタクロースです。大学院で数学を勉強してすぐに就職したNASAでの35年間を終えて、リタイア生活を始めてからもう随分たちます。

「大学院は居心地が悪かったけど、NASAでの仕事は毎日が実に楽しかったよ。代数や位相幾何学、グループ理論などの知識もどんどん勉強してね、それを実際の場で応用できる喜びがあった。論理的に物を考え続けることは素晴らしい頭脳訓練になったね。」

そんなNASA時代の思い出話を話す中でよく出てくるエピソードは、1969年7月のアポロ11号の月面上陸瞬間の感激です。ジムはその6年ほど前からアポロチームの一員として働いていたのです。

「アームストロング船長の声が大きなスピーカーを通して聞こえてくるんだよ。まさに『歴史の証人』という思いだった。」

退職してからは、ワシントンに住みながらも1年のうち2ヶ月はフロリダで子供や孫たちと過ごし、大きなからだでどうやって乗れるのかと思いながらも自転車旅行を楽しんでいました。その合間にステンドグラスの教室に通い、持ち前の器用さからめきめきと腕を上げ、あちこちから依頼が来るようにもなりました。

「なぜ突然ステンドグラスかって?そうだなあ、子供の頃は模型飛行機ばかり作っていたからなあ。たぶんNASAで仕事をしている間はずっと眠っていた思いが目覚めたんだろうね。人生ってそんなもんじゃないかな。年を取ってからまた、忘れていたことや、やり残したことに戻っていく。」

そんなジムでしたが、本人にとっても、家族にとっても、そして私たち友人たちにとっても、予想もしなかったことが起こりました。3年前のリーマンショックで、彼の余生の財源であった株の値が暴落してしまったのです。ジムは自転車に乗ることも、ステンドグラスを作ることもできなくなり、ただ家に閉じこもるようになりました。豪放磊落な笑い声も聞かれなくなりました。

回復には長い時間がかかりました。一昨年の夏に一緒に植物園に行った時には、何をするにもしんどそうに、言葉もなく、笑顔もなく、ただ私たちと一緒にゆっくりと歩くだけでした。どんな薬も画期的な回復には繋がりませんでした。それでも私たちは、いつもと同じようにジムのそばにいました。

今、ジムはしょっちゅう電話をしてきては、私の下手な冗談にガラガラと大声で笑います。昨日は涙を浮かべながら、私が語る震災の話に耳を傾けてくれました。そして、夫と二人、まるでいたずら盛りの少年に戻ったように、何だかんだと早口でしゃべりあっては笑い転げます。そんな少年たちの英語は私にはわかりません。

「どうして私、あなたたちの英語がわからないんだろう。」と聞いたら、「そりゃそうだろ、僕たち子供に戻っちゃってるからさ。」と、またカンラカンラ。

お誕生日を迎えたジムは、こうしてまた、私たちの大好きなジムになってまだまだ長い道のりを一緒に歩いて行ってくれるのでしょう。一緒に年を重ねて行く友がいるというのはなんと嬉しいことでしょうか。

ところで、昨日のオールドタウンは大変なことになっていました。先日の暴風雨でポトマック川の水が溢れ、川に近い一帯が水浸しになっていたのです。いったいどうなることかと案じていたら、大きな排水車がやって来て、私たちが外テーブルでコーヒーを飲みながら長いおしゃべりをしている間に、水がどんどんと引いていきました。帰る頃には元通りの道。

「まるで僕のようだね。」と、またジムがカンラカンラ。

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4月18日(月):ビールの浪漫と物語
4月19日(火):Au Bon Painで宝探し
4月20日(水)予告:プエルト・リコの市場フォトツアー
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2011年02月11日

ビルの「高貴な義務」

 RIMG4302.JPGRIMG4300.JPGBill & Pat.JPG 花びらのように舞う雪が、立春から1週間後に凍えるような寒さを連れてきました。目の前まで近づいていた春が一気に遠ざかってしまったようです。でも、春は今までと同じ場所で、私たちがこんな時を通り抜けてくるのを待っていてくれます。

 何だか私たちの人生のようです。夢は変わらずそこにあるのに、近づいたり離れたりの繰り返し。

 そんなことを考えていたら、ワシントンのビルからメールが届きました。退職後の夢を実現したビルが、その夢に終止符を打ったと言うのです。

 ビルは5年前まで、ワシントンにあるカトリック系大学の学長でした。退職後は誰もが、これまでの多忙な日々に別れを告げ、悠々自適に余生を楽しむものと思っていました。そんな私たちの予想を見事にくつがえして、ビルが踏み出した道は「エンジェルパイロット」として小さな飛行機の操縦桿を握ることでした。

 ビルの若い頃の夢はパイロットになることでした。努力を重ねて商業パイロットの免許を取得したものの、訳あって夢を断念し、法曹の道に入ることとなりました。その後、学問の世界に身を転じ、退職を前に次の人生についての思いをめぐらす中で頭をよぎったのが、いったんはあきらめた夢に戻って操縦桿を握ることだったのです。

 3年前に、ワシントンDCの瀟洒なクラブでビル夫妻と食事をした時の、こんな言葉が今でもくっきりと思い出されます。

「実は5年前に再び勉強を始め、250時間の訓練を受けました。大学を退職してからは急病の子供たちを病院に運ぶ小型飛行機のパイロットをしています。エンジェルパイロットと呼ぶんですよ。報酬?とんでもない!持ち出しばかりです。でも飛行機に乗ること自体が楽しいし、子供たちを助けるという目的があれば喜びもなおさら大きい。35年も教授をやればもう十分。このくらいの我が儘は許されたっていいでしょう?最近では飛行機を貸してくれる人も現れてきて本当にありがたく思っています。」

 ビルの話を夢中になって聞きながら心に浮かんだのは、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」という言葉でした。「高貴な義務」と訳されることの多いこの言葉は、私流に拡大解釈を加えてみれば、「多く与えられた者は多く求められる。恵まれた者はより多くを返さなければならない。」ということでしょうか。

「人間にとって最大の無駄は持って生まれた能力を無駄にすることです。頭が良く、寛大な心を持ち、人間性のある人たちがそれを発揮できないことは大きな無駄です。」という、カルロス・ゴーン氏の言葉にも通じるものがあるように思えます。

 そんなビルが70代も中頃となって、咄嗟の判断力と、それを実行する身体力に自信が持てなくなったと言うのです。そして、事故に繋がる前に、思い切ってパイロットを辞めることにしたというのが、今日の彼からのメールの内容でした。エンジェルパイロットへの勇気ある一歩を踏み出したのも「高貴な義務」ですし、それを潔よくあきらめたのも、また「高貴な義務」です。
そんな友を誇りに思います。

 ひらひらと舞う雪を窓越しに見ながら、夏物をせっせとスーツケースに詰め始めました。次に向かうのは真夏の土地です。ストッキングもコートも要らないというのは、何て素敵なことでしょう。

 たった今、カイロの中野眞由美さんから臨時ニュースが届きました。こちらも合わせてお届けします。

昨日、一昨日とタハリールへ行きましたが、2日とも入れませんでした。
外国人はメディアと外交官に限る、と諜報部からお達しがあったとのこと。
兵隊はいたってジェントルでゴメンネ、という感じでした。
ん〜 ムバラク側は何をたくらんでいるのか!?
と思いながら迎えた昨夜の大統領演説、結果はご存知のように辞任はせず、任期まっとう、と民衆にとっては惨憺たるものでした。今日はお昼の礼拝がはじまる前に市内を車で流して様子を見てみましたが、さながら嵐の前の静けさです。
翻って大統領官邸を初め政府関連の建物の警備は以前より緩和されあまりの意外さに、どうしたの? という感じでした。
すでに大統領はカイロには居ないのではないかと思えます。
でも人々の怒りは頂点に達してまして(当然です)これからまだひと騒動おきるのは免れなさそうです。犠牲者がこれ以上増えないことを願うばかりです。
取り急ぎ、14:00現在のお知らせでした。


たった今(現地午後6時過ぎ)ムバラクが辞任声明を
出しました。早速タハリールを目指します。(日本時間12日午前1時)


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2月14日(月)予定:耳たぶパスタとブロッコリー〜とっさのお客料理2
2月11日(金):とっさのお客料理〜スティファド(ギリシャのビーフシチュー)
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2010年11月24日

あの頃に戻れる時 

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 もともとは、まとめてたくさんの事を片付けるための一時帰国でした。まさか体調が変わるなどとは露ほどにも思わずに、目一杯の予定を詰め込んでしまいました。「回復には安静が第一です。」「いつもより1時間でもたくさん眠ることですよ。」などとドクターに言われても、悲しいかな、なかなかそうはいきません。

 今日も朝から忙しく動き回りました。夜更かしの後にもかかわらず、早朝から2回目のグローバルキッチンの準備を始め、11時にはたくさんのお客様をお迎えしました。賑やかな集いの後に、再び静かな時がやってきても、ホッと一息つく間もなく、次は、大切な仲間たちとの忘年会です。

 家を出たのは、すでにして開始時刻に近い頃。1時間の遅れでした。あまりに疲れていて、途中、よっぽど踵を返そうかと思ったぐらいです。けれども、迷う思いの中でかけた電話から聞こえてきた声は、

「首を長〜くして待ってるからねえ。早くおいで!」

 という、いつもながらの何とも屈託のない陽気な声。それを聞いて、心が決まりました。疲れも一気に吹き飛んで、早く会いたくて会いたくて、電車に飛び乗りました。

 18の時に出会って、付かず離れず、40年以上の月日がたちました。一足先に逝ってしまった友と、出張中で来られなかった友以外の9名が出揃って、今日も銀座でガンガン酔いました。
今何をしているのかを根掘り葉掘り聞くこともせず、今何をしているのかを話しまくるのでもなく、ただ一緒にいるだけで、文句なく楽しい時を過ごすことができるというのは、何て幸せなことでしょうか。虚勢を張る必要もなく、背伸びをする必要もないのです。

 それでも、私たちはたがいの話にいつだってきちんと耳を傾け、いい年をして優しい涙を流すことだってあります。糖尿病を患っている者もいれば、国際的なトラブルの渦中にいる者も、いまだに年間8万マイルを飛んでいると言いながら、網膜剥離の手術をしたとケロリと言う者もいます。もちろん家庭内に心配事をかかえている者だっています。

 生きていれば色々なことがあって当たりまえです。けれども、同じ方向を見ながら青春時代を過ごした私たちは、ひとたび会えば、またあの頃の私たちに戻ります。やたら強気で、やたら大きな夢を見ていたあの頃に。南の島々を共に放浪していたあの頃に。

 予定の時間を随分オーバーした後に、コリドー街をねり歩きながら、突然オペラを朗唱しだすヤカラがいて、それに合わせて一緒に歌いだす者もいて、、、、、昔もしょっちゅうやっていたことです。

 最後に友情のハグをして、「じゃあ、また」とそれぞれの方向に、それぞれの現実へと、背中を向けて歩き出すのだっていつものことです。

 春に突然1人が欠けてしまってからの私たちは、口には出さずとも、残りの時間の長さ、いえ短さを思うようになりました。そして、以前にも増して、何かと理由をつけては集まるようになりました。今夜も、もう、次の予定が決まりました。桜の頃に亡き友を偲びます。
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11月24日(木)予定:野菜画廊
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2009年12月13日

公開ラブレター〜我が青春のボーイズへ

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 初めて会ったのはいつだったでしょうか。一番年少の私が大学1年生でしたから、みんなだってせいぜい2年生か3年生。不思議なもんですよね。みんな違う大学で、みんな違う出身地で、それまですれちがったことすらなかったはずなのに。

 唯一同じだったことは、別々の大学の別々の掲示板に張られた同じ1枚のポスターの前に立ち止まったということだけ。

 「ビジョンスチューデント求む!」

 そんな一言の裏に広がる広大な世界を感じる同じ種類のアンテナを持っていたということだけ。
――――――――――――――――――――――――――――――
 1968年、2千人の学生たちがそんなポスターに魅かれて、ある大手不動産会社の筆記試験に集まりました。大学紛争が火蓋を切る直前の良い時代でした。大人にも私たち学生にも夢がありました。「ビジョンスチューデント」 とは、学生の柔軟なアイディアと行動力を企業の運営に活かしたいというユニークな試みでした。

 何度かの荒唐無稽の筆記試験と面接の後に残ったのは8人の学生たちでした。驚いたことに女性は私が1人いるだけでした。当時にしては驚くぐらいたくさんのアルバイト料をいただいて、私たちは 「学生重役」 として月例の重役会議に臨みました。まだ企業の仕組みもわからぬ青年たちが、居並ぶ社長や重役たちの前で今思えば赤面するような大胆な発言をしましたが、それこそがこの太っ腹な会社が望むところだったのでしょう。

 そのうち、ますます太っ腹な特命が下りました。世界地図を目の前に広げられて、「ユートピアを探して来い!時間に糸目はつけない!金に糸目はつけない!」 と言うのです。私たちは早速準備にかかりました。1回目の調査に選んだ場所が、ミクロネシアの島々、2回目がニューギニアでした。無謀でエキサイティングな1年でした。

 1年の任期の後に、私ともう1人が留任し、さらに新たな6名を加えて第二期ビジョンスチューデント(VS) が結成されました。残念なことにVSはこの二期で終わってしまいましたが、だからでしょう、この2年間を一緒に過ごした私たちは特別な結束力で結ばれ、幾星霜を超えて今でも無謀でエキサイティングな交流を続けています。1968年から数えてもうすぐ42年にもなろうとしていますのに、つい4日前にも、みんなでワイワイ騒いで、ゲラゲラ笑い転げ、思う存分悪態をついて、上海蟹を一緒に食べたばかりです。

 卒業をし、就職をし、結婚をし、親となり、孫が生まれ、ある者はすでにリタイア暮らしとなりました。社会に出ればひとかどの人物として耳目を集めている連中も、ひとたび集まれば昔と寸分変わらぬ青二才に戻ります。髪は薄くなり、体型が変わったって、彼らは私の大好きなボーイズです。大切な大切な宝物です。私の青春です。

 次の日取りももう決まりました。来年春に私の家の庭の桜を愛でながらの、無謀でエキサイティングな 「お花見飲んだくれ会」 です。
―――――――――――――――――――――――――――――― 
 牧野会長、ムネ教授、正義さん、昇ちゃん、十三男さん、小堀ちゃん、富谷さん、中谷さん、仕事が入って上海蟹を食べそこなった進ちゃん、1人だけズルをして25歳のままでいるケンロー!
 
 ねえ、50周年にみんなでもう一度南の島に行きませんか?
 ほら、せっかくセスナ機をチャーターして乗り込んだのに、ひどいスコールで着陸できずに引き返してしまったあのウンボイ島に今度こそ行ってみませんか?私たち、ウンボイ島がユートピアじゃないかと信じていたではないですか。
 ねえ、確かめに行きませんか、みんな一緒に。

 I love you!
 I love you all!
 We are the family!  (マイケル・ジャクソン『THIS IS IT』より)
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先週のグローバルキッチンお品書き
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月曜日:ピンクチャウダー
火曜日:クリスマスティー
水曜日:ジュリー&ジュリア
木曜日:パルメザンチーズのビスケット
金曜日:わが町の一押しレストラン「アシェット」
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2009年03月25日

4が3になってポカリとあいた穴

 クレタ島イラクリオンの空港でまさに小さな飛行機に乗り込もうとした時に、携帯電話がメールを受信しました。 「訃報」 という件名のそのメールは、大学時代の4人仲間の一人から、仲間の死を告げるものでした。

 嘘に決まってる、いつもの悪ふざけでしょ? だって毎年3月の恒例の温泉旅行はどうするの? 今年も4人で行こうね、と約束してたじゃない! と心の中で繰り返しながら、イラクリオンからアテネへ、アテネからミュンヘンへ、ミュンヘンから成田へと飛行機を乗り継いだ後の東京はことのほか寒さが身を切るようでした。

 ジーンズから喪服に着替えてお寺へと急ぐ途中で、新宿駅前の歩道橋に大きな黒い矢印付きの立て看板を見つけました。友人の名前が書かれていました。そしてその前に 「故」 という漢字がありました。「故○○明子お通夜会場」 本当だったんだ、嘘じゃなかったんだ、と思った瞬間に涙がとめどなくあふれ出しました。

 青春時代を共に送った友というものは、その後大人になってから知り合った友人たちとはまるで別の意味を持っています。机を並べてまじめに一緒に勉強したこともあれば、授業をさぼって近くの喫茶店でだべって(当時私たちはこういう言葉を使っていました。)いたこともあります。4人の中で唯一地方から出てきて下宿住まいの友所にみんなで集まっては、青臭い討論を繰り返し、恋愛を語り、慣れないお酒にもちょっと手を出し、そしてコタツに足をつっこんでごろ寝をして朝を迎えました。

 いつの頃か私たちは毎年3月に一泊の温泉旅行をするようになりました。もう20年ぐらい続いていたのではないでしょうか。昨年は海を見下ろす焼津の旅館でした。昔からすぐに眠ってしまう彼女をつっついて起こしては、夜も更けるまで話し込むのも毎度のことでした。

 彼女のいつもの愚痴が始まりました。 「もうきつくて。仕事辞めようかと思うんだけれど。」 という彼女は、大学院を出て以来ずっと都立高校の英語の先生をしていました。「だめよ、そんなこと言っては。60までもうちょっとなんだから頑張ろうよ。辞めるなんていつでもできるんだから。やりたいことなんて60になってからだってできるよ。」 とつい言ってしまった自分の言葉を私は今、本当に後悔しています。キャリアカウンセラーの看板を下ろしたいぐらいです。

 急ぎ足で逝ってしまった友は12月5日に59歳のお誕生日を迎えたばかり。12月半ばに人間ドックに入って「どこも悪い所はなかったよ。」 と皆に嬉しそうにメールをくれて、1月にちょっと目の具合が悪いと町の目医者に行き、「なんでもないですよ。」と言われ、それでもどこかおかしい気がして、2月18日に大きな病院に検査入院をしました。そこで癌が見つかりました。肺から出発した癌は目にも転移していたのです。それでも生きるためにはどんなにつらい治療にも臨むつもりでした。そして、「元気よ。温泉の代わりに病院でさわがない?いつならいいかお医者様に聞くから待っててね。」と3月15日に告げたメールが最後のメールとなりました。私たちは、彼女から連絡が来るのを今か今かと待っていました。それなのに、楽しみにしていた60を待たずに逝ってしまいました。

 ああ、なんで去年あの時に、「じゃ、辞めなよ。好きなことしなよ。もう十分やったよ。」と肩を押してあげなかったのだろうと、自分を責めて遺影の前で泣きました。でも、最後に一つの光景に救われました。制服姿の男の子たちと女の子たちがどっとやってきて、彼女に白い菊をささげた後、みんなで声をあげて泣き出したのです。それを見た時に、「なあんだ、あなたつらい、いやだ、とこぼしながらもこんなに生徒たちから慕われていたんじゃないの。よくやったよ。やっぱり続けててよかったんだよ。」 ともう一度遺影を振り返って話しかけました。

 ネオンの新宿の街を歩きながら、「おかしいね。いないね。4人が3人になっちゃった。やっぱりおかしいね。」 とまた泣いてしまう3人組でした。こうして3が2になり、2が1になる。。。。。やっぱり人生って寂しいもんですね。

 「温泉旅行どうする?」
 「やっぱりやろうか、3人で。」
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 友人

2009年01月31日

行ってらっしゃい、タカコさん!

 雨のち曇という天気予報の日の朝は土砂降りで始まりました。タカコさんはこの雨の中、また特急「かいじ」に乗って出かけて行くのでしょうか。

 昨日、家にこもって必死に仕事をしていると、大親友のヒロコさんから電話がかかってきました。
「タカコさんたら今日の講演一日間違えてしまって、本当は明日だったんですって。今、『かいじ』で東京に帰ってくるところだから今日の集まり早められる?」

 というわけで予定より1時間半早く我が家に2人の客人が到着しました。そもそもの目的は珍しくへこんでいたタカコさんを元気づけて、彼女のために戦略を練るためのもの。「かくなる上は『正義の味方おばさん世直し隊』をすぐさま結成し、網タイツで忍者のごとく出動します!」 と私に決起文を出させてしまったほどに、私たちは、この最高に有能で、チャーミングで、気風(きっぷ)も良い妹分のために一働きをしたい気持で一杯でした。

 扉を開けて入って来たタカコさんは、そんな私たちの心配が今や杞憂に帰していることが一瞬でわかるようないつもの明るい笑顔で、「私って電車が好きなことがわかった!」と言って私たちの心に灯をともしました。そして、「はい、これ旅行のおみやげ。」と私の手に包みを載せます。普通の人なら無駄足をして時間をつぶしてしまったことでイライラとしたり、明日の予定を再調整しなければいけないことで焦ったりするのでしょうが、さすがです。降って沸いたような電車旅行を「ラッキー!」 と楽しんでしまえるのです。そう言えば、私の何倍も忙しいだろう彼女が、イライラとしたり焦ったりしている姿は見たこともありませんし、想像もできません。

 かくして私たちの決起集会は、私の習いたてのトルコ料理を食べながら、マイナスをゼロに戻すために決起をするのではなく、ゼロからプラスを創り出すために決起をする、いつもながらの楽しい集まりとなりました。アイディアが次から次へと出てきて盛り上がるのもいつもながらのことです。この仲間たちの素晴らしいところは、それぞれが異なる個性を持ちながら類まれに融合し、口にしたことは一つずつ叶えていくことです。

 「ねえねえ、そのうち沖縄ハウスを作ろうよ。みんなが集まって何かができるような。。。。」
 仕事で沖縄にも縁のあるタカコさんが言います。私たちも、「素敵ねえ。そんなことが実現できたら。」 と言いながら、「もしかしたら本当に実現してしまうかもしれない。」 と心の中で思っています。そんな風に思わせてしまうのが「タカコパワー」 なのです。

 雨はまだ降り続いています。
行ってらっしゃい、タカコさん。「かいじ」 の旅を楽しんできてくださいね。
そして、今日あなたの講演を聞くたくさんの人たちに「タカコパワー」 をお裾分けしてきてください。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 友人