2012年12月07日

グラナダへの道 その1

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毎日たくさんの新しいものに触れ、出会い、感じ、整理をする間もない入超状態が続いています。話は行きつ戻りつしますけれど、これもまた書き留めておきたい「グラナダへの道」です。

マドリッドからバルセロナへも、バルセロナからバレンシアへも、新幹線のような列車で予定通りに快適な移動ができました。ところがグラナダへの移動でつまずきました。バレンシアからグラナダへの直行便は、夜12時に出て翌朝の8時半に着く寝台車しかなかったのです。

それもまた一興と思いましたが、夫が二の足を踏みました。若い時ならまだしも、いくら一等を取ったところで夜行の旅はきついだろう、それに翌朝着いてもすぐにホテルにチェックインできるわけではない、、、、そう言われればたしかにそうです。

となれば、選択肢はただひとつ。車を借りて自ら走ることです。夜行列車で8時間半もかかる所に車で?と不安に思いながらも、地元の人に聞いてみれば、「5時間もあれば大丈夫。」とのこと。それならば途中の町や村で休憩をしながら行くのも面白そうです。

ところが、ここでまた想定外のことが起こりました。オートマ車がないのです。いえ、より正確に言えば、バレンシアのAVISにその時あったオートマ車は、たった一台のミニバンだけだったのです。国際免許証、ドライビングシューズ、運転用サングラスという私の三種の神器は役立たずとなりました。恥ずかしながら、マニュアル車は習った覚えはあるものの運転できません。夫はと言えば、動じもせずに、「No problem! 君に運転をさせてあげられなくてごめんね。きっと快適なドライブだろうに」、、、、、

かくして8時10分、夫がハンドルを握る、私たちの「グラナダへの道」が始まりました。

車の旅はどこの国のどこの町でもそうですが、とにかく町を抜け出すまでが一苦労です。日本のようにちゃんとした標識がありませんから、一度や二度は必ず迷い込みます。けれども、いったん高速に乗ってしまえばあとは比較的楽です。とりわけ今回の「グラナダへの道」はそうでした。途中から目につくようになる「GRANADA」という文字を確認しながら、ひたすら走ればいいのですから。幹線はほとんどが3車線、制限速度は時速100〜120キロです。

バレンシアを抜けて、左側に海を見ながら走るアリカンテへの高速道路は、太陽がチリチリと左ほほにあたります。右側の空には、もうすぐ半月になろうとする白い月が斜めにかかります。

かと思えば、いつの間にか山間の日陰の道になって、オリーブしか生えていないごつごつとした岩肌を見せる山々が遠くに続き、そこからこちらに向かうオレンジ畑は今まさに豊穣の時を迎え、緑の葉が茂る中にオレンジ色を点在させています。だだっぴろい空き地は、夏にはヒマワリで覆われるのでしょうか。海から山へ、山から海へと上り下りするたびに、白いお月様も一緒についてきます。

MURCIA(ムルシア)という町にさしかかるあたりから、ようやく「GRANADA」の標識が見え始めました。最初に目にしたのは「GRANADA 305km 」でした。

ハンドルを握る夫が言いました。

「1972年にムルシアからグラナダまで走った。その時にはこのハイウェイはなかったから、途中で一泊したよ。あれから40年もたつなんて、、、そして今、こうしてグラナダへの道をこんな風に君と走っているなんて、、、人生っていうのは面白いものだね。もう一度走ってみたいとずっと思っていたのに、それをするには忙しすぎたんだ。」

「GRANADA 274km」の標識を通り越しました。西へ向かうグラナダへの道はまだまだ続きます。

私もまた、1977年の夏、コルドバからグラナダへと東に向かうバスの中にいました。まさか35年後にこんな風にグラナダへの道を走るなんて、これっぽちも思わずに。(続く)

By 池澤ショーエンバウム直美


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12月6日(木):「KAKI」と書いて牡蠣と読みます。


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:00| Comment(0) | スペインライフ
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