2012年12月02日

豊かな市場エンボリオンから眠る遺跡エンプリエスへの2600年

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ギリシャ人が、戦いのためではなく交易のために、海を渡ってこのイベリア半島北東の沿岸に小さな町を作ったのは、紀元前6世紀中頃のことでした。すでにこの頃には北アフリカからカルタゴ人たちも移住をしていましたし、地中海という陸地に囲まれた海はいわば貿易の場であり、豊かな市場でもあったのです。

このギリシャ人のネアポリス(新しい町)は、「Emporion(エンボリオン)」と名付けられました。その名前そのものが「商業」にちなんだものです。現代ギリシャ語でも、英語表記で「Empros(エンブロス)」と言えば商人を意味します。私が長年勤務していたギリシャ商務省は、「Ypourougeio Emporiou(イプルギオ・エンボリウー)」でしたし、その事務所は「Emporiko Grafeio(エンボリコ・グラフィオ)」でした。

実際、エンボリオンは交易によって発展し、文化的にも周辺に影響を与えるまでになりましたが、紀元前218年、ハンニバル率いるカルタゴ軍がローマに侵攻し、第二次ポエニ戦争が始まったあたりから、運命を狂わせることになります。18年にもわたる戦いでカルタゴは敗北、イベリア半島はローマが支配をすることとなりました。

紀元前195年、ローマはエンボリオンの港に軍のキャンプを置き、ギリシャ人の町は次第にローマ化されていきます。しかし、近隣のジローナやバルセロナ、タラコなどのローマ人の町が繁栄していくにつれて衰えを見せ始め、3世紀半ばにはすでにして忘れらた町へと変わってしまうのです。

1908年になってようやく始められた発掘調査は今もなお継続中ですが、明らかになったのはまだほんの25%とのこと。現在、私たちがギリシャ時代の遺跡として目にすることができるのは、敵の侵入を防ぐために築かれた壁の一部、薬学の神アスクレピオスに捧げられた治療院、女神イシスと大神ゼウスに捧げられた聖域、魚の処理場、冶金作業場や住居の跡、海の中の防波堤などです。

エンボリオン〜今ではスペイン語でエンプリエスと呼ばれています〜の遺跡は、1月1日と12月25日以外はいつでも開かれています。交通の便がよくありませんので、バルセロナから地中海沿いをレンタカーで行くのが良いと思います。距離にして約100キロ、時間の目安は2時間です。

By 池澤ショーエンバウム直美

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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 04:37| Comment(0) | スペインライフ
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