2012年08月05日

ΛΟΓΙΚΟ ΖΩΟ(ロギコ ゾー)の発端

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さて、何故に「ロギコ ゾー」などという言葉がいきなり太平洋を越えて行き交うようになったのか、という前回の続きです。

入院をする日の朝、慣れないながらも想像力を駆使してあたふたと鞄につめこんだのが、タオル、歯磨きと歯ブラシ、下着の換え、フェイスタオルとバスタオル、スリッパ、ティッシュペーパーボックスでした。もっともこのうち、タオルや歯ブラシやティッシュは病室に備え付けられていることが行ってみてからわかったのですが。

ここに夫が、「これも」と手渡したのが、1冊の分厚い本でした。「快適な入院ライフを過ごすために」などというすぐに役立ちそうな実用本でも、専門分野の本でもなく、おそらくはまるで役には立ちそうもない「Ancient Religions」という本でした。表紙には古代ギリシャらしい人々の絵が描かれています。

結局、入院中は点滴に繋がれて本を読むこともままなりませんでした。寝台を45度ぐらいに起こしては左手でリモコンを持ち、テレビを見ることぐらいがやっとだったのです。サイドテーブルに置かれた本が一度も開かれた様子がないのを見るのは、本の虫、あるいはビブリオマニアである彼を知る者としては、ひたひたとせつなくなることでした。

「ナオミ、ワシントンポストを買ってきてくれないか」と頼まれ、お財布を握りしめて探しまわり、やっと見つけた新聞を枕元に運べば、ちらりと目をやるだけで読み始める風情もありません。終日ただベッドの上にだけいることで、気力はかくも衰えるものでしょうか。

こんな書物の山を事前に送り届けては、一つの地から次の地へと移動をする人です。そんな人の、初めて目にする姿に動揺しても、私以上に彼自身が感じているであろう辛さや情けなさを思えば、何も言わずに、あるがままをそっと受け入れるしかありません。
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ところが、いざ退院をして家に戻るや、書斎の長椅子に横たわって一心に本を読み始めたのです。「Ancient Religions」も、私が様子を見に行くたびにページが進んでいます。

そしてその翌朝、私が、まだ無理と止めるのもきかずに、「急ぎのことだけ片付けてすぐに帰るから心配しないで。」と、本をかかえて大学の研究室に出かけました。その姿は、前日までの老いた病人ではなく、その目の輝きも、広い世界を見ているような深い眼差しも、背筋の伸びた凛とした姿勢も、長い間私が慣れ親しんできた大切な人のものでした。

けれども、具合が悪くなってこのかた、まともな食事も摂っていません。何かあればすぐに駆けつける態勢でオロオロと待っている私に、奇しくも東京の友が様子を気遣う連絡をくれました。それが、前回登場した「ギリシャ古典の若き学者」だったのです。

心配を伝える私に、夫をも良く知る彼は、すぐさま「ロギコ ゾー」という言葉を口にし、自らの体験を語り始めました。そしてこんな風に励ましてくれたのです。

「大丈夫ですよ。先生のような人は知的なものを食とすることができるのです。病室に閉じ込めておくよりは、広く知の世界に放ってあげた方が回復に向かうはずですよ。」

以来、たしかに夫は日一日と彼らしくなり、まだまだ今までと同じ生活はできないものの、今日初めて、「お腹が空いた」という言葉を口にしました。

知の食は、からだに力を与え、
時にからだは、パンよりもロゴスを必要とする。

そんなことを、16日間の修行の旅で実感した友の深遠さにはほど遠いながらも、この日常の中で感じ入っています。
By 池澤ショーエンバウム直美

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昨日のグローバルキッチンメニュー
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8月4日(土): 病人も健康人もバナナシェーキで
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 07:59| Comment(0) | パートナーシップ
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