「本を読むのが好きです。」などと、私の何倍もの本読み家族の中で言うのもおこがましくて、ずっと黙っていましたけれど、実は好きです。最近ではそれが頓に高じて、鞄の中に読むものが入っていないと落ち着きません。電車に乗れば、待ってました、とばかりに、ごそごそと本や新聞を取り出します。
それは、おそらく、これからどうあがいても、読みたかった本、読みたい本を読み切ることなどできはしないことがわかっているからでしょう。毎日東京タワーが見える所で暮らしている人が、「どうせいつでも上れるのだから」とさして気にも留めずにいたのが、急に引っ越しをすることになってちょっと慌てているようなものでしょうか。
最近、親友のジリーが白内障の手術を受けただの、学生時代の仲間たちが「飛蚊症でね。」「僕もだよ。」などと話すの聞いていると、視力の衰えばかりはいやでも認めなければならない私は、いきおい焦ります。
うちのロフトには、世界文学全集がずらりと並んでいますし、地下の書庫には処分できなかったたくさんの本が眠っています。私の小さな仕事部屋の本棚にだって、いつか読もうと取り寄せた本が、まだまだたくさん積まれています。限られた時間の中で、ついついすぐに役立ちそうな実用書やハウツー物に先を越されて、じっと「いつか」を待っている健気な本たちです。
私の夢は、いつか心置きなくこれらの本を読みふけること。けれども、いつか、いつかは曲者であることも十分わかっています。だから少々焦っているのです。朝日新聞の昨日の夕刊にだって、こんな詩が載っていたではありませんか。
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
(「最期だとわかっていたなら」
ノーマ・コーネット・マレック作 佐川睦訳)
とは言いながら、今日も私は、ある方が書いた分厚い原稿の束をひっつかんで鞄に入れ、電車に飛び乗ります。3月に出版される大変面白い、そして実に役に立つハウツー本です。明日の会合までにこれを全部読まなければなりません。
「眠ったまま待っている本たちよ、もう少し待っていて。」と、「誰にも約束されていない明日」が来ることを疑いもせず。
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1月17日(火):夫のおみやげ「シャクシュカ」のレシピ

