2012年08月31日

そんな発見が面白くて

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これ、先日ふらりと入ったオールドタウンのレストラン
「ASIAN BISTRO」のテーブルの花。
どのテーブルにも小さな花が飾られています。
濃いピンクだったり、白だったり、黄色だったり。

私のテーブルに咲いていたのは
小さな黄色い蘭の花。
よく見たら、花の中に小さな可愛いオウムさんがいました。
ね、どう見たってオウムでしょう?

そんな発見が面白くて
思わず口元がほころびます。

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これ、先日ふらりと通りかかったスミソニアンの彫刻の庭。
インディアン博物館のカフェで食事をして
アフリカ美術館の特別展「African Cosmos: Stellar Arts」に
向かう途中でした。

彫刻の庭では
16の彫刻が噴水のまわりの木の間に点在していますけれど
これは庭に下りる前の入り口に立っていた
なんだか懐かしいような像。
今まで気づかずに通り過ぎていましたけれど
ね、どう見たって小学校の校庭の二宮金次郎さんでしょう?

そんな発見が面白くて
思わず口元がほころびます。

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これ、昨日の夕方の台所。
クランベリーとヒマワリの種
カボチャの種と胡麻とブラウンライスシリアル
そしてたっぷりの蜂蜜で
クランベリーバーを作っている最中でした。

ふと気づけば
冷蔵庫とオーブンに
小さな虹がかかっていました。
ね、どう見たって虹でしょう?

そんな発見が面白くて
思わず口元がほころびます。

こちらはようやく31日の朝になったところですけれど
日本はもうじき新しい月ですね。
カロミナ!
良い月を!というギリシャ語の挨拶です。

もう少ししたらチェサピーク湾沿いの美しい町まで
ちょっと遠出をします。
きっとまた
たくさん口元がほころぶ発見があるでしょう。

                        By 池澤ショーエンバウム直美

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8月31日(金): ル・パン・コティディアン物語
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:46| Comment(0) | 日記

2012年08月30日

未来に問いかける

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早いものであれからもう、ひと月以上が過ぎました。あの朝、一人ではどうにも心細くて、誰かに電話をしたかったのです。それがジリーでした。前の晩遅くにアラスカの旅から帰ってきたばかりというジリーは、それから1時間後には私たちのそばにいました。

「ごめんなさい、ひどい頭でしょう? 美容院に行くつもりだったから。でもちょうどよかった。一日遅かったら私たち、まだバンクーバーだったもの。」

ターバンで髪をまとめたジリーを見るのも、お化粧もしないジリーを見るのも初めてでした。それでもジリーはいつもと変わらず、美しくエレガントでした。

彼女はテキパキと必要な所に連絡を取り、私たちを病院に運んでくれました。そして、全ての予定をキャンセルし、一日中一緒に病室で過ごし、私には難しすぎる医者との会話をこなし、同情したり慰めたりするのではなく、未来を問うことで病人を元気づけてくれたのです。

「次の本はいつ出るの? それはどんな本?」
「次の旅はどこ?」

これら全てが、どんなにありがたかったことでしょうか。

その後しばらくして、今度はジリーのご主人のレイが腰の手術を受けることになりました。私のできることなどたがか知れていますけれど、じっとしているわけにはいきません。家の鍵を預かり、何か必要な物があれば病院に届ける役目を引き受けました。

出番は一度しかありませんでしたけれど、本やら書類やらメモ書きやらを病室に届けた後で、翌朝の手術を控えて少々神経質になっているレイに未来を問いかけるのは、今度は私の役目でした。

「サントロペの家にはいつ移るの?」
「ボツワナの旅は予定通り?」

手術は無事に終わり、レイは4日目に退院し、今ではもう杖なしで歩けるようになりました。そして昨日、、、、

今度はジリーの目の治療のために、ボルティモアの病院まで同行することになりました。ボルティモアまでは高速で約1時間半。レイにはまだ長時間の運転は無理ですし、目の治療をするジリーも運転はできません。私たちは、運転と付き添いという役割のもと、終日、ボルティモアの病院で過ごすことになりました。

誰かに頼られたり、誰かの役に立てることは、人を元気にするものです。ジリーのためにハンドルを握って高速を飛ばす夫は、いつのまにやらサングラスのよく似合う、きりりとした、頼りがいのある男性になっていました。

治療も終わり、ひどい渋滞に巻き込まれながら、ようやくレイが待つ家まで彼女を送り届けたのは、もう夕闇に包まれる頃でした。大きかろうが小さかろうが、それぞれに一つの山を越えた私たちは、行きつけのレストランで、問いかけられた未来を話しながら乾杯をしました。

恩を返すことも叶わずに、あるいはやっとこれからという時に、亡くなってしまった人たちもいます。時に無念に、時に自責の念の中で思うことは、2度と同じ過ちを繰り返さぬこと、そして果たせなかった思いを、せめて別の誰かにお返しできるようになりたい、ということです。

       By 池澤ショーエンバウム直美

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8月30日(木): ル・パン・コティディアンの夏サラダ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:25| Comment(0) | その他メッセージ

2012年08月28日

日々の小さなほのぼの時間

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東京を発つ前の最後のリハビリで言われました。

「右腕の筋肉を鍛えてくださいよ。包丁を使うのも、荷物を持ち上げるのも、手首ではなく腕を使うこと!」

雪の日の骨折事件からもう7か月もたつと言うのに、私の右手はまだまだ不完全です。ワインのコルクが開けられないのはとても困りますし、固いねじ蓋も駄目です。重い物を下から持ち上げる時には用心しなければなりませんし、荷物を両手で下から支えて飛行機のラックにしまうことなどはまず無理です。バッグの底からお財布を取り出して、急いでお金を数えて支払わねばならない時などは、自分のもたもた加減が情けなくなります。

それでも随分、普通のことが普通にできるようになりましたし、何にもなければほとんど忘れていられるようにもなりました。常にからだのどこかの部分が気になっているのはとても煩わしいものです。その反対に、自分のからだを意識しないですむのは、とても嬉しいことです。

というわけで、リハビリという名目でせっせと毎日泳いでいます。時にさぼりたい時もありますが、自分に課した一種の規律ですので仕方がありません。夜に出かける用事があれば、昼のうちに日に焼けるのも厭わずに背中を太陽に向けてひたすら往復しますし、そうでなければ夕飯の支度を終えてから、夕日と共に泳ぎます。気づけばこれが、身体のリハビリばかりでなく、心のリハビリにもなっています。

昨日、日が沈んだ後に水から上がってエレベーターに乗ろうとしたら、男の子が二人、スクーターを蹴りながらやってきました。年のころは5歳と3歳ぐらいの兄弟でしょうか。若いお父さんと寝る前の散歩を終えてきたところのようです。先に乗った私がエレベータのOpenボタンを押して待っていると、少年たちが二人そろって、「Thank you!」

エレベーターが動き出すと、小さい方の坊やがまじまじと私を見て、

「Did you wash your hair?」

と、舌足らずの英語でたずねます。日本語ならばさだめし「おばちゃん、髪ありゃったの?」とでも言うところなのでしょうが、この年頃の子供の言葉は、日本語であれ英語であれ、思わず聞き手を微笑ませるマジックパワーを持っています。だって、どう聞いたってこんな風なんですもの。

「ディジュ(ここで大きな息継ぎ)ウオッチャア?」

「No, I was swimming.  Do you like swimming?」と聞けば
「ンノ、アイドンライシュイミン」

小さなほのぼの時間にきっと口元も目元も緩んでいたのでしょう。
家のドアを開けると、家人がすかさず言いました。

「Did you have anything good? You look happy.」
何かいいことでもあったの?と、こちらはきちんと大人の発音で(笑)。

何にも特別なことはなくたって、ほんの小さなほのぼの時間がありさえすればハッピーにだってなれます。

ヒマワリの後に、またアルストロメリアを活けました。今度は真紅です。この花も元々は夏の花ですが、ヒマワリや紫陽花のような季節感もなく、一年中出回っているような気がします。けれども、これはいつ活けてもまず様になります。しかも蕾は確実に開きますし、けっこう長持ちもします。ヒマワリのように首が重くて倒れる心配もない優等生です。

枯れかけたヒマワリも、まだ捨てることができなくて、サンルームに移しました。別の花瓶に移された紫陽花もいまだに頑張っています。茎がへなへなになってしまったガーベラとカーネーションはチョキンと切って小さなガラスの器に浮かべました。花があるだけで家の空気が違います。これもまた日々の小さなほのぼの時間です。
                              By 池澤ショーエンバウム直美

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8月27日(月): レモネードが爽やかなお酒に変身
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:32| Comment(0) | 日記

2012年08月27日

口は災いのもと とは言えど、、、、、

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いつものように駅前にずらりと並んだボックスから「EXPRESS」紙を取り出して、小脇に抱えてメトロに飛び乗ったのが5日前。車内で読もうと思ったら、ページをめくる間もなく目に入ってきたのが、一面いっぱいの「時の人」、いえ、「口は災いのもとの人」の写真でした。

眉根を寄せたその顔の口の部分には大きな赤いテープが十文字に貼られています。そして、十文字の中心には共和党のシンボルマークの象さんがペタリ。

日本でも話題になったのではないかと思いますが、共和党のトッド・エイキン下院議員です。事の発端は、8月19日のテレビインタビューでの、例の「legitimate rape」発言です。「legitimate」とは、法にかなったとか、正当な、というような意味。まあまあ、エイキンさん、legitimateとrapeなどという、まるで相容れない2つの単語を並べて口にするとは、、、、、*

以来、共和党のお仲間たちは、女性支援者層の怒りを鎮めようと弁明に必死になる一方で、くだんの発言の翌日すぐさまこんなコメントを出した民主党のオバマ大統領の人気が再び盛り返しています。

“Rape is rape. What I think these comments do underscore is why we shouldn’t have a bunch of politicians, a majority of whom are men, making health-care decisions on behalf of women.”
(レイプはレイプだ。このような発言からもわかるように、大半が男性の政治家たちが、女性を代表してヘルスケアに関する決定をしてもいいものだろうか。)

ぽろりと滑り出た言葉は、いかに悔やんでも元には戻りません。しかも、私たちは、別にエイキン氏に限らずとも、ついつい饒舌になったり、調子に乗ったりして、不用意な言葉を口にしてしまうもの。そして後からひどい自己嫌悪に陥るもの。そんな経験の一つや二つ、おそらく誰にでもあるのではないでしょうか。

私は口は堅いのがとりえ、などと思ってはいても、そんな失敗をするたびにひどく落ち込んできました。もう自分の口に赤い十文字テープを張り付けたいぐらいに。

ひと月ちょっと前にも、かなり気の滅入ることがありました。噂のたぐいがリレーのように口から口へと伝わって、さてその火種は?と言う時に、「もしかしたら誰かに話した?」

いえ、断じて身に覚えはありません。第一その頃は日本にもいなかったし、、、、などと反芻しながら、「でももしかして、自分の知らない所で自分が?」などと支離滅裂な自己嫌悪。

何があれほど辛かったのだろうと霧が晴れた今にしてわかるのは、まず第一に、もし本当にそんなことを言ったのだとしたら、そんな自分を消し去ってしまいたいほどの恥ずかしさ、第二に相手の信頼を失うことの痛み、だったのではないかということです。

規模も影響力も比較にはなりませんが、もしかしたら今のエイキン氏の思いもそんなところかもしれません。

とは言え、「なぜあの時言わなかったのだろう」と悔やむのもまた人の常。
どんな事情があったにせよ、なぜ飛んで行って手を握り、肩を抱き、共に泣き、思いを言葉にしなかったのだろうと、13年近く悔やみ続けてきた思いもあります。

人であるということも、なかなかどうして難しいものです。

*「legitimateなrapeであれば、女性のからだには望まぬ妊娠を防ぐ機能があるため妊娠しない。」というもの。
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                           By 池澤ショーエンバウム直美

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8月26日(土): お手軽、お気軽、マイウェイの美術館ランチ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:11| Comment(0) | コミュニケーション

2012年08月26日

「ああ、大人だなあ」って

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昨日の「だいぶ小ぶりな我儘」のご報告です。

アレキサンドリアのオールドタウンと呼ばれる歴史保存地区に指定されているエリアに行くには、メトロのキングストリート駅からこんなオモチャのようなバスに乗ります。ええ、もちろん歩いてだって行けますが、このバスに乗るところから、心躍る冒険が始まるのです。「トロリー」と呼ばれる赤いバスは、キングストリートをコトコトとポトマック川まで走ります。

いくつかの停留所がありますから、下りたいところで紐をひけばいいのです。乗るのも降りるのも無料です。

この国の短い歴史を遡ってみれば、独立戦争の後にアメリカ合衆国が誕生したのが1783年、その頃の日本は江戸時代のど真ん中。そう考えれば、いかにアメリカという国が「新興国」であるかに驚きます。ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任したのが、フランス革命と同年の1789年です。

ここ、アレキサンドリアは、それより40年も前に、スコットランドの商人によって作られた港町です。そして、建国の若き志士たちが集まっては熱く理想を語り合った土地なのです。実際、今でも、18世紀から19世紀のたくさんの建物が保存され、それらは外観を変えないことを条件に、一般市民たちによって住み継がれています。風情のある大変美しい町です。

けれども、古都オールドタウンは、最新のファッションの店や、きちんとした骨董屋、名の知れたレストラなどが軒を連ねるお洒落なエリアでもあるのです。もちろんカジュアルな店もたくさんあります。そして不思議なことに、オールドタウンの目抜き通り、キングストリートを歩く人たちは、なぜかみな幸せそうに見えるのです。私自身も、いつでもわけもなく嬉しくなってしまう魔法の町が、オールドタウンです。

店と店、家と家の間に、こんなせまい通路があったりします。これらはみな、その昔は奥の厩へと続く、馬の通る道でした。
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赤いバスが走るのは、Mと書いてあるメトロの駅と一番下の川までの間です。歩いたところで30分もあれば十分でしょう。終点で下りれば、あるいは川まで歩けば、そこはいつだって私のパワースポットです。
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昨日も、カモの親子が水面に遊び、船が行き来し、孫かと見間違えるような少年が遊び、初老のご婦人がベンチで休み、若いカップルが語らいを続けていました。
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清々しい気をたくさん吸って、トロリーには乗らずに歩いて帰ったら、昼夜逆転の夏の山荘で暮らす友からスカイプが入りました。

―泳いでますか?こちらは今朝も青空で空気が澄んでいます。今日もこれから庭の草取り作業で一汗かきます。

―今日は夫が仕事に出かけた午後に、ひとりでオールドタウンを散歩して、本当においしいランチを食べて、川辺を歩き、たった今、帰ってきました。こちらは夕方の6時になろうとしているところ。あと2時間したら泳ぎ始めます。たまにはひとりで歩いて、ひとりで食べるのも悪くはありませんね。

―そう、二人もよし、一人もよしです。大人ですから(笑)。

―昼間から飲む冷えた白ワインの何て美味しかったこと! 平日の昼間に一人でレストランに入って、ワインなど飲みながら静かに本なんか読んでいると、「ああ、大人だなあ」と感激(笑)。
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―いいですねえ、その感覚。いい歳をした大人が、「ああ、大人だなあ」って(笑)。

―なんだかね、だんだん偏屈者になりそうです(笑)。

―心の安心感が膨らむと気持ちに余裕ができるので、楽しみ方も広がります。いいんじゃない?偏屈者でも。かくいう私もかなりその領域です(笑)。なりたい自分になればいいと思います。

―人との関わりよりも自然との関わりの方がだんだん心地よくなってきました。自然との対話ができる人間でいたいと思う。

―そういうことよね。そうありたいね。では私はこれから庭の自然と対話しに出かけます。

―はい、そうしてくださいね。花に木にも、鳥にも虫にも話しかけてくださいね。行ってらっしゃい!

                             By 池澤ショーエンバウム直美

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8月25日(土): 学びのテーブルセッティング
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 05:55| Comment(0) | アメリカライフ

2012年08月25日

パティオのある暮らし


橋を渡って行った先には、大西洋が開けていました。

まるでコニーアイランドのポスターのように色とりどりのパラソルの花が咲き、陽気な笑い声と太陽の下の伸びやかな肢体がよく似合い、若者たちがハンバーガーショップに列をなすビーチもあれば、
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長いボードウォークを歩いた先に待っているひっそりとしたビーチもありました。
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そのコントラストは、「もう私が属することはできない世界」と、「属したい世界」という比喩で言い換えられるかもしれません。

招かれ訪れた友人たちの家には、どこも椅子の置かれたバルコニーがあり、パティオがありました。けれども、買い物に行くには車が必要です。東京やワシントンの家のように、ふらりと歩いて夕飯の買い出しに行くことはできません。

彼らのほとんどは、リタイアを機にあえて都市型生活から遠ざかったか、あるいは2つの生活を行き来している人たちです。加えていえば、社会の中での立ち位置もしっかりと都市型生活を謳歌していた人たちです。それなのに、まず異口同音に言うのです。

「ちっとも不便だなんて思わない。今の僕たちには洒落たショッピングモールを歩くことよりも、森や海岸を歩くことの方が楽しいんだ。何が楽しいかなんて年と共に変わっていくものさ。あるいは、心の底にずっと眠らせておいたことを目覚めさせる我儘が許される時期になった、ということなのかもしれないけれどね。」

朝のコーヒーと、軽いランチはパティオに出て
昼にはバルコニーで本を読み
遅い午後には静かなビーチでただ海を見て
夕方には森を歩き
夜には星空の下、ワインを飲みながら
愛する人たちの声を聞いて

こんな風に、いつも外の空気と一緒に暮らせたら
そして、こんな窓から見えるのが
ただ海だったなら
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目覚めさせる必要のないぐらいに
もうずっと目覚めている
なのに、いつ許されるかもわからぬ私の我儘です。

早起きして一仕事を終えました。
これからポトマック川まで行こうと思います。
海に繋がる大きな川と、心地よい風と光と本
たぶんよく冷えた一杯のビール
だいぶ小ぶりな我儘ですけれど、

行ってきます!

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                         By 池澤ショーエンバウム直美

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8月24日(金): 12マイナス3は?〜カナディアンなデビルエッグ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:13| Comment(0) | マイドリーム

2012年08月23日

橋を渡る

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昨日、橋を渡りました。
メリーランド州チェサピーク湾にかかる全長4.3マイル(約7キロ)のベイ・ブリッジです。高速道路の一部ですから、両側に海を見ながらも早いスピードで走りすぎなければなりません。もう少し車高が高ければもっと海が見えるのに、と思っても無理な話です。一度は歩いて渡ってみたいと思っても、そんなことができるわけもありません。

10年以上も前、橋を渡りました。
長い間憧れていた橋でした。
フロリダ半島の南端からメキシコ湾を越えて、ヘミングウェイの愛したキーウェストへと連なる列島を繋ぐ橋です。42の橋の中で一番長いのが7マイル(約11キロ)の「セブンマイル・ブリッジ」です。360度どこをみまわしても青一色の海上道を、ひたすら走ります。

40年以上も前、橋を渡りました。
東カロリン諸島のポナペという島の、こちらの部落からあちらの部落を結ぶたった一つの木の橋でした。月明かりの中で橋の真ん中に立てば、前にも後にも椰子の影が幾層にも重なって、魚の跳ねる音だけが耳に届きます。そして、暗闇の中をイランイランの香りがただよいます。いつまでもいつまでもそこに立っていたくたって、こちらかあちらか、どちらかへ行かねばなりません。

橋はもちろん渡るためのもの。
成田空港から飛び立つ日にはいつでもレインボーブリッジを渡り、
成田空港に降り立った日にもまた、レインボーブリッジを渡ります。

どんな小さな橋でも、橋は2つの離れた場所をつなぐもの。
そんなことを考えていたら、なんだかセンチメンタルになって、山口百恵さんのあの歌などが頭の中をまわり始めました。

橋の名は愛染橋
ただ一度渡ればもう戻れぬ
振り向けばそこから想い出橋

そう言えば、三島由紀夫さんの「橋づくし」という短編小説もありました。中秋の名月の夜、黙ったまま7つの橋を渡ると願いが叶うという言い伝えの通りに、願懸けをしながら橋を渡る4人の女性たちの物語だったように覚えています。

今年の中秋の名月は9月30日の日曜日だとか。
私はいったいどこにいるのでしょう。
そこに7つの橋はあるでしょうか。
                          By 池澤ショーエンバウム直美

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8月23日(木): デラウェアのファーマーズマーケット

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:57| Comment(0) | 日記

2012年08月22日

ヒマワリ顛末記

前回書いた「ヒマワリ転倒事件」ですが、
ついこんな風にいけてしまったのです。
どっしりとした底の広い花瓶なので、まず大丈夫だろうと
なるべく花頭を八方に向けて重みが偏らないようにしたのです。
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それなのに、、、、
大好きだった花瓶はこなごなになって、朝日の中のダイヤモンド。
ヒマワリだって床の上。

かけらが全部なくなるまで、時間をかけて掃除をし
ヒマワリは茎を思い切り短く切って
低く低くさしました。
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おとなりの中ぐらいの花瓶に3本だけさして並べてみたら
これもまた悪くはありません。
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やっぱりこの季節、ヒマワリがよく似合います。

バージニア州から、メリーランド州の山間を抜けて、デラウェア州へと
これから出かけます。
夫の回復と共に、また別の忙しさが始まりました。

留守中、ヒマワリが無事でありますように。
By 池澤ショーエンバウム直美


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8月21日(火): 果物売り場の夏模様
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:30| Comment(0) | アメリカライフ

2012年08月21日

HAIR-RAISING そして 逆髪

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17日に封切りになって、今ちょっと話題になっているのが、「ParaNorman」というアニメ映画です。アニメと言っても、1コマ1コマが、人形を動かすことによって作られている、いわゆるストップモーションと呼ばれるもの。なんでも、キャラクターどころか、街の隅々までもが手で作られ、手で動かされているというのですから、いったいどれほどのマンパワーと時間の成果なのでしょう。

ストーリーは、幽霊と話すことのできる11歳の少年ノーマンが、100年前の呪いから町を守るというものです。この子の風貌がとてもユニークなのです。新聞記事では、「HAIR-RAISING」と紹介されていましたけれど、正に髪が天に向かって逆立っているのです。

そんな少年のことを考えながら眠りに就いたせいでしょうか。朝起きたら髪の毛が寝癖ですさまじいことになっていました。けれども、居間では夜中の間にもっとすさまじいことが起きていたのです。ヒマワリをさした大事な花瓶が木端微塵に割れて、床の上に放り出された花のまわりに、水たまりができ、あちこちにキラキラと光るガラスの破片が飛んでいました。朝日の中でキラキラと光るガラスはとても美しいのですが、そんな悠長なことを言っている場合ではありません。

身支度を整えるのもそこそこに、何度も何度も床を拭いて、何度も何度も絨毯に掃除機をかけ、また拭いて、ガラスのかけらを丁寧に片付けていきました。頭が重いヒマワリや紫陽花の花は、時としてこうしたアクシデントを招きます。それでも、この2つの花を飾りたくなるのですから困ったものです。

這いつくばって床を掃除していると、一足先に起きて、それなのにヒマワリ転倒事件には気付きもしなかった家人がやって来て、日本語で言いました。

「タイヘンデスネ。サカガミデスネ。」

何が大変なのかと思ったら、ヒマワリ事件のみならず、どうやら私の寝起きの「HAIR-RAISING」だったようです(笑)。

「サカガミ」なんていう言葉、いったいどこで覚えたのでしょう。
と、つらつら思い返せば、そうです、あれでした。4月に東京で一緒に参加したお能の講座です。これは、元々は銀座時代に社会人のために企画したいくつもの講座の中のひとつでした。2年半前にその場所が閉鎖されてからも、嬉しいことにいくつかの講座は、場所を変えて連綿と継続されています。

このお能の講座もそのひとつです。今では、都心の教会の会議室に20人を越す有志が集まって、京都から出てきてくださる湯浅先生を囲んで勉強を続けています。講座のタイトルも当初のものと変わらず「能と聖書の響き合い」です。能と聖書という、一見まったく異質の物語を対話させ響き合わせることがこの講座の狙いです。

中でも4月の会はとりわけスペシャルなものとなりました。観世流能役者でテアトル・ノウを主催する味方玄さんをゲストに、「蝉丸」と「鵺」を取り上げたのです。

夫は、行き当たりばったりの私と違って、しっかりと事前勉強をして臨みました。その結果、蝉丸の姉で、天に向かって逆立つ髪を持って生まれた悲劇の女性、逆髪についてもその時すでに学んでいたのです。もちろん「SAKAGAMI」が何を意味するかについても。

以来困ったことに、私は、「SAKAGAMIですねえ。」などとからかわれる羽目になってしまいました。けれども、これからはきっと言い返せそうです、「あなたもPARA NORMANですねえ。」と(笑)。

4月のスペシャルレクチャーでは、味方さんの手によって、仲間のひとりが私たちの目の前で、みるみるうちに鵺へと変身しました。その様子をご覧いただきます。心の持ち方ひとつで、世の中にはまだまだ面白いことがたくさんあります。

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By 池澤ショーエンバウム直美
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8月20日(月): 3つの緑に魅せられて@Del Rayの宵の明星
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:02| Comment(0) | マイワーク

2012年08月20日

マイキッチンセラピー

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午前中の買い出しから帰って以来、6時半にお客様をお迎えするまでの間、ずっとキッチンにいたような気がします。東京でもワシントンでも、キッチンで解放され、キッチンで思索し、かと思えば無になって、また、好きな形の自分に近づいていきます。

台所が好きというのも、料理が好きということも、思えば随分ありがたいことです。何を作ろうかに始まり、思いを巡らし、献立を作り、食材を調達し、台所に立つ、考えたかと思えば、無心になり、遠く水平線の彼方に思いを馳せたかと思えば、目の前の鍋の中身だけが世界になる、、、そんなプロセスの後には、できあがった料理を食べてもらえる、喜んでもらえる、という幸せが待っています。

ですから、私はひそかにこれを、「マイキッチンセラピー」と呼んでいます。
実は、ほかにもたくさんマイセラピーがあります。

たとえば、
読めてよかった「読書セラピー」
飲めてよかった「ビール&ワインセラピー」
泳げてよかった「スイミングセラピー」

まだまだありますけれど、これらは様々な悩みや不安や後悔を抱えながらも、なんとか身を軽く、気持ちを軽く持ち直すための処方箋のようなものかもしれません。

昨日はクレタ島の料理をフルコースで作りました。パンも焼きましたし、お菓子も焼きました。ぐつぐつ時間をかけて煮る鍋の前では、本を読み、一息入れたくなった時にはお気に入りのSamuel Adamsチェリー味を飲み、メインディッシュがオーブンに入っている間には黙々と1キロを泳ぎました。
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気づいてみれば、セラピー四重奏。
まあ、なんて贅沢なことでしょう。
腕を怪我していた時には、そのうちの2つはできなかったのですから、
まあ、なんてありがたいことでしょう。

ところで、遅ればせながら、「TQ84」を読み進めています。文庫化されたおかげで、持ち歩くのに便利になりました。全6冊の4冊目、「BOOK2 後篇」の18章で、天吾がふかえりと二人で食べる夕食を準備する場面が出てきます。

天吾は『マザーズ・リトル・ヘルパー』や『レディー・ジェーン』を聴きながら、ハムときのことブラウン・ライスを使ってピラフを作り、豆腐とわかめの味噌汁を作った。カリフラワーを茹で、作り置きのカレー・ソースをかけた。いんげんとタマネギの野菜サラダも作った。料理を作ることは天吾には苦痛ではない。彼は料理を作りながら考えることを習慣にしていた。日常的な問題について、数学の問題について、小説について、あるいは形而上的な命題について。台所に立って手を動かしていると、何もしていないときよりうまく順序立ててものを考えることができた。

加えて、日本の友からこんなメールが届きました。テレビの番組からのようです。

もう一つ良いニュース。
昨夜、脳を活性化する、生き生きさせるにはという5項目をお医者様が挙げられていましたが、その5つ目は料理をすることでした。認知症にならないためには自分で料理をするのが良いのだそうです。


そうだ、そうだ、そうなんだ、とばかりに、私の「キッチンセラピー街道」にポッと小さな花が咲きました。
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By 池澤ショーエンバウム直美

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8月19日(日):超簡単な???のワイン蒸し
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2012年08月18日

2列の求人 5列のトレーニング

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メトロに乗る時に、いつもちょこっと箱から取っては車内で読むタブロイド版の新聞があります。「EXPRESS」という名の日刊フリーペーパーです。フリーペーパーの分、やたらと広告が多いのですが、それがまた土地柄が表れていて面白く、記事よりはそちらを丁寧に見てしまったりもします。

今日(17日)の「EXPRESS」は、週末を前にして上映中の映画評がたくさん載っています。この欄も好きですけれど、つい目が行ってしまうのは求人広告です。今、このアメリカの首都で、いったいどのような仕事に対して求人があり、それにはどのような条件が必要なのか、、、そんなことを知るのはとても良い勉強にもなります。

ところが、昨今はどうも「JOBS」の欄よりも、圧倒的に「CAREER TRAINING」の欄がのさばってきているのです。たとえば、今日の求人欄は、たったの2列。それに対して仕事を得るためのトレーニングやキャリアカウンセリング、あるいは「トレーニー」とか、「インターン」の名の下で、正規の雇用ではないものを求める広告が5列です。

たとえば、、、

「一日であなたの人生を変えてみませんか。看護婦になるための訓練を受けたいのなら今すぐ電話を!」 とか、

「今こそあなたの未来を今変えましょう。毎月200ドルの交通費補助が出ます。高校の卒業証書は要りません」とか、

「事務補助のトレーニーを求めています。費用はかかりません。」 等々。

これだけでも雇用市場の需給バランスの一端が垣間見られます。

そういえば、リハビリに行った先の東京のクリニックで手に取った8月7日の日経新聞には、アメリカの就職事情に関するこんな記事がありました。題して「こんなはずじゃなかった」。

「2009年に名門コーネル大学を卒業したメリーランド州の25歳の青年は、ソーシャルワーカーの仕事をようやく見つけたものの、年棒は3万ドルにも届かず、夢の単身ニューヨーク生活をあきらめて実家に戻ることにした。」

「卒業後、実家で暮らすブーメランキッズの25〜34歳の男性の比率が過去最高の19%となった。経済危機の打撃は中高年層より若者に厳しい。収入の目途が立たない若者が増え、学生ローンの返済は進まない。今年3月末の学生ローン残高は約1.5倍に増えた。」

そういえば、6月のメイン州ポートランドでロングフェロー・ミュージアムに行くのに乗ったタクシーのドライバーは、何やら知的な風貌の青年でした。道中、よもやま話になったはずみで、彼がこんなことを言いだしました。

「僕はコロンビア大学で哲学のPhDを取りました。でもニューヨークでは仕事が見つからなくて、故郷に帰って来たんですが、ここでもやっぱり難しくて、とりあえずはタクシーの運転手をやってます。」

そんな彼が、気づけば、ハンドルを握りながら、夫とギリシャ哲学を語り、私にはチンプンカンプンのカントやニーチェについての自論を熱っぽく述べ始めたのです。次第次第に目が輝きだして、何と目的地に着いたとたんに、「お戻りになる時間に僕の携帯に電話をしてください。ここまでお迎えに来ますから。もう少しお話ししたいのです。」

ホテルまで迎えに来たレンタカー屋の若い女性も、今年の5月に地元の女子大の教育学部を卒業したものの、自分のやりたい仕事に就くことができず、アルバイトのつもりで、レンタカーのお客の送迎をしているとのことでした。

アメリカに限らず、有能な若者たちの受難は夏の香港でも目にし、耳にしました。そしてもちろん私たちの国でも、ひたひたとその波紋が広がっているように思えます。たしかに、この1〜2年で、日本でもアメリカでも、寄せられる相談の質が変わってきました。

タクシーの運転士や、レンタカーオフィスの送迎が悪いとは全く思いませんが、やはりしっかりと学び育ってきた若者たちには、少なくともまずは自分のやりたいことにチャレンジする機会を与えてあげたいと思うのです。

ポトマック川まで散歩に行きました。
この川はいつも海の匂いがして、心が落ち着きます。
ここでも、平日の昼日中に物思いにふける人たちの姿がたくさん見られました。
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By 池澤ショーエンバウム直美

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8月17日(金):初体験!腸に優しいバースデーディナー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 12:06| Comment(0) | キャリア

2012年08月17日

世界に一つしかないカップに入れる、世界に一つしかない石鹸

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1年に1度の特別な「8月15日」が終わりました。
どんな日だって1年に1度、どんな日だって特別な日に変わりないはずですが、この日はちょっとだけ違います。

日本史を習った時も、この日は特別な日でしたし、
ギリシャでも、この日は「Assumption(聖母被昇天)の日」と呼ばれる特別な休日でした。
そして、この日は夫の誕生日です。

いつでも、男の人へのプレゼントには苦労をします。
特に、何でも持っていそうな大人の男性や、身のまわりの物に主義やこだわりを持っている人、あるいは形ある物への関心があまりないような人の場合には。

出会って最初のお誕生日のことを思い出します。二人で散歩をしていて、ふらりと入ったオールドタウンの骨董品屋で、年代物のちょっと変わったランプを見つけました。その人は、明らかに関心がある様子でじっくりと見ています。私は心の中で「どうか買いませんように」と祈りながら、そわそわと素知らぬ顔を装います。

祈りが通じて、手ぶらで帰った家でまずしたことは、親友のジリーへの秘密の電話です。翌日、私たちは、いたずらを企てたお茶目な女学生のように、ひそかにその店へ行き、そのランプを買い、ジリーの車で持ち帰り、夫の留守中に、私の部屋のクローゼットの一番奥に隠し入れたのでした。段ボールを持ち上げながら、早く早く、と運んだあの時のドキドキした感じを思い出しては、今でも二人でよく大笑いをします。

お店の女主人までもが、いつしかいたずら女学生仲間に加わって、「ええ、わかったわ。ご主人が買いにいらしても、『あら残念ですこと、つい昨日、ニューヨークのお客様がお買い上げになってしまいましたわ。』とでも言っておきましょう。まかせて。」などという具合。

そんな女たち3人の連携プレーが功を奏した最初のお誕生日から、早いものでもう何年も過ぎたのに、いまだに私は毎年、難解な、けれども楽しいパズルに取り組んでいます。今年はひそかにこんな計画を進めてきました。名づけて、「世界に一つしかないカップに入れる、世界に一つしかない石鹸計画」。

4月に有田焼の窯元へ名前を入れたマグカップを頼み、
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5月に手作り石鹸作りのプロの友人に、届いたマグカップを渡して、どんな香りのどんな色の、どんな感触の石鹸にするかをわくわくと打ち合わせました。
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油や香りの配合を決めた友が、6月半ばに石鹸を仕込みました。
     ↓
練りこまれた石鹸は、1月以上寝かされて、ようやく7月30日に解禁になりました。
     ↓
それを、今回の短い東京滞在の間に受け取って、スーツケースにだいじにしまって、ここまで持ってきました。

どうでしょうか、これ、100%手作りシェービングソープです。使い手になる人が好きなブルーのイメージで、使い手になる人が好きな香りになるように、3分の1ずつ3つの香りを組み込んでもらいました。シダーウッドと、ペパーミントと、スイートオレンジです。
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気を利かした友が、同じ色の同じ香りの固形石鹸を4個も作ってくれました。うちひとつは私の洗顔用。成分も作り手もわかった、安心して使える石鹸です。
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ブラシは銀座の三越で買いましたが、髭を剃ったことなど生まれてこのかたないものですから、驚きました。今の時代、ブラシを使って髭を剃ること自体が、どうやらものすごく時代遅れなのですね(笑)。松屋には「お客様、残念ながら当店ではお扱いしておりません。」と言われてしまいましたし、三越でもたった2種類のイギリスブランドの物があるだけでした。けれども、よくわからないながらも、その2種類はたぶんとても良質の物だったはずです。
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等々、時間がかかったり、あわてたりもしましたけれど、頼りがいあるプロ友との連係プレーのおかげで、昨日、無事にプレゼントの儀式をおこなうことができました。もちろん、とても喜んでもらえました。友よ、ありがとう! 今朝そっとのぞいてみたら、ちゃんと使ってくれた跡もありましたよ。
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こんなことのひとつひとつが、今まで以上に嬉しく思えます。
お誕生日が来るなどという、ごくあたりまえのことが、なんだかとても特別に思えます。
そして、それを祝えることにひたひたと感慨を覚え、
愛と感謝を伝えることができることに、とても感謝したくなります。

「世界に一つしかないカップに入れる、世界に一つしかない石鹸」は、まだ商品化はされていませんけれど(笑)、もしもご希望の方がいらっしゃればご連絡くださいね。私の大好きなプロ友をご紹介いたします。

少年の頃には本気で鳥の学者になりたいと思っていたという夫のために、「世界に一つしかないカップに入れる、世界に一つしかない石鹸」にこんな本もつけました。6月のメイン州オガンクィットの、海を見下ろす美術館で見つけた「MAINE BIRDING TRAIL〜The Official Guide to More Than 260 Accessible Sites」です。自然の宝庫メイン州の鳥跡とでも言えばよいでしょうか。260もの鳥それぞれについて、出会える場所を詳しく紹介しています。
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8月16日(木) やっぱりブルークラブよりは日本の蟹
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 07:02| Comment(2) | パートナーシップ

2012年08月15日

私のギャップタイム

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映画を5本見て、ビールを1缶、白と赤のワインを交互にタイミングよくグラスに注いでもらっていれば、張りつめていた気分は次第に緩んでいって、気づけば着陸まであと1時間。「えっ、もう?」というぐらいに、13時間なんてあっという間です。

これがいつもの私の「トランジションタイム」。
またの名を「ギャップタイム」。

今年に入ってから、東京⇔ワシントンの往復はこれで4回目。後半もまだまだ続くでしょうけれど、おそらく滞空時間がたった数時間だったなら、思考も気持ちも、東京の物をそのまま持っていかねばなりません。けれどもうまいことに、映画を5本も見ることのできる時間というのは、元居た場所から居るべき場所へ、属していた時間から属するべき時間へと移行するためにはちょうど良い長さなのです。これはもちろん、逆方向の場合も同じです。

思い悩んでいたことは、悩み続けること自体が面倒くさくなりますし
淀んでいた水は、サワサワと動き始める気がします。
空を飛ぶ飛行機の中には、継続している時間という面はありますが、今この瞬間が何時何分かという時刻のアイデンティティーがありません。なぜってタイムゾーンを越えて飛行しているのですから。

加えて言えば、今、私はどこの国の何という町に居るのか、という地理的アイデンティティーもありません。なぜって地図の上を飛行しているのですから。

そんな自由な時空に身を置くことで、私はこちら側からあちら側へ渡る心身の準備をしているのだと思います。ですから、日本での具体的なことはあえて考えないようにしています。同時にアメリカでの具体的なこともあえて考えないようにします。フワフワして、自由気ままな時間は、一言で表せば、「寄る辺なく浮世離れした時間」と言えるかもしれません。それが「トランジションタイム」と「ギャップタイム」が与えてくれる、次の暮らしへの導入なのです。

成田空港には1時間半で着いてしまいました。出発までの長い時間をどう過ごそうかと思っていたら、ロビーに足を踏み入れるや否や、それが大きな間違いだったということがわかりました。かつて見ないほどの人がいます。チェックインカウンターはどこも長蛇の列です。「飛行機に乗り遅れる!」と騒ぎ出す人たちがいます。気づけば今日はお盆休暇のまっただなか。これから週末にかけて海外で過ごす人たちがたくさんいらっしゃったのです。

荷物をカートに載せて、チェックインの列に並ぶ前に化粧室に行っておくことにしました。第一ターミナル出発ロビーには、いくつかのトイレがあります。ぐるりと見回して、なんとなく一番最初に目についた所に足を向けました。ここも行列です。ようやく順番が来て空いた所に入り、ドアを開けて出ようとすると、すぐ隣のドアがほぼ同時に空きました。

誰かが叫びました。「ナオミさん!」

あまりに驚いて、一瞬、自分が今どこにいるのかもわからなくなりました。
だってそれは私の古い友達だったのですから。昔は机を並べて仕事をしている時もありましたが、今ではそれぞれの場所で全く別の仕事をし、時にメールのやりとりがあって、時にどこかで会ってそれぞれの近況報告をすることぐらいはあっても、今回のゴタゴタについての話をする機会はありませんでした。

彼女もどこかに旅発つのかと思いきや、なんとご家族でスイスの旅から帰ってきたところでした。それなのになぜか到着ロビーではなく、出発ロビーの同じトイレで、隣同士になっていたのです。1分違ってもすれ違っていたことでしょう。

立ったまましばらく話が弾んだ後で、「そこに主人と息子もいるのよ。」と、今度はご家族とご一緒に、四方山昔話に花を咲かせることになりました。小児病院に見舞った小さな少年は一眼レフを首から下げてひとかどの青年になっていました。社会人になってもう何年かが過ぎたはずです。礼儀正しく応対する様は、12年前に、娘が住んでいたバンクーバーまで母子で遊びにきた内気な子とは思えません。

再会に後ろ髪をひかれながらも、またの逢瀬を約束しながら別れを告げて、チェックインの列に並びました。

こんな偶然があるなんて信じてもらえないかもしれないと、いえ、実際この私ですら「もしかしたら夢だったのかもしれない」などと思うぐらいですから、夫に見せるための写真を撮りました。

最近、こうした「出会いの妙」が増えてきました。
不思議なことにそれらがみな嬉しい出会い、会いたかった人との出会いなのです。
同じ確率で、会いたくない人にも出会ってしまうのではないかと恐れもするのですが、今の所それはありません。それに、会いたい人の方が会いたくない人よりも断然多いのですから(笑)。

トランジションタイムも
ギャップタイムも
会いたい人との偶然の出会いも
みんな神様の知恵
神様からの贈り物

1週間ぶりの我が家は、花こそいけられていないものの、窓から見る景色は寸分変わらぬものでした。プールには珍しく人がたくさんいます。週に一度のエアロビクスのクラスです。ということは、ここは火曜日の夜7時。日本はもう水曜日の朝のはずなのに、、、
一見得したように思える13時間ですけれど、いずれは返さねばならない13時間です。

おかげさまで、夫は随分元気になりました。

By 池澤ショーエンバウム直美

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8月15日(水):江戸時代の鮨
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:27| Comment(0) | 日記

2012年08月13日

幸せ瞬間首飾り〜花火大会の夜

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一体全体、花火というのは古今東西どうしてこんなに私たちを夢中にさせるのでしょうか。キャンバスに描いた絵や、瞬間を切り取った写真と違って、一瞬のうちに消えてしまうものだからでしょうか。

昔、ポナペと言う島にひんぱんに「里帰り」をしていた頃、
島の父がいつもローマ字書きの電報を送ってきました。
なぜか、花火はいつも「HABI」でした。

「HABI MOTTE KITE KUDASAI」

あの頃は花火を飛行機に載せることもできたのです。
私たちは、夜ともなれば真っ暗闇にとざされる庭や空き地で、大騒ぎをして花火に興じました。

イラリア アグネス ケシウス マリア
イラリオ マルクス トニー ティオ
島の兄弟姉妹に娘たちが加わって、最後の花火が消えるまでの宴が続きます。

今年の東京湾大華火祭は一昨日の夜でした。
たまたま東京に居ることになりましたので、夫以外の家族全員が勢揃いして、動いていく時を一緒に過ごす場に加わることができました。

それにしても、ものすごい人出でした。
昨年が中止になった分、2年分の熱気が集まったかのようです。

お料理も運ばねばなりませんし、愛犬も一緒。とても電車は無理ですので車で行きましたけれど、荷物を下ろしてからが大変でした。あんなに駐車場所を探して彷徨うなんて、いったい誰が予測をできたでしょう。

かろうじて滑り込めたのは、ちょっと脇道にそれたタイムズの駐車場。
驚いたことに20分で600円です。5時間とめれば9千円。
今まで見た中で一番高いタイムズです。
それともこれ、花火ナイト用の特別料金だったのでしょうか。

時間とともに空の色が変わります。
空と一緒に海の色も変わります。
明るくきらきらしていた風景が、夜の闇へと向かう束の間にだけ訪れる、あの特別な青に染まります。

そして7時。最初の花火が暗い海の真ん中から空にむかって打ち上げられます。その息を吞むような瞬間を、内で外で、船上で、無数の人たちが一緒に待っています。そして、海の上の夜空に華麗に開いた大輪の花に、歓声と、ため息が捧げられます。ため息というのが、思い悩む時以外にだって出ることを実感する時です。

80分の間に打ち上げられた花火は、1万2先発だったといいます。

隣で肩を並べて見る友は、思ってもみなかった悲しみの中を歩いている人です。その美しい顔が、心なしかやつれたように見えます。ドーンという音の中で、ポツリとこんな言葉を口にしました。

「今この瞬間て、とても幸せですよね。暖かくて優しくて、大切な人たちとこんな時間を持てて。こういう瞬間に感謝して、こういう瞬間を大事にして、たとえとぎれとぎれでも、こういう瞬間を首飾りのようにかけて歩いていきたいですね。」

花火の夜のまだ冷めやらぬ感動と、幸せ瞬間首飾り、
何処に居ても何があっても変わらない、愛する人たちとの絆を力に換えて
しばらく日本を離れます。
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By 池澤ショーエンバウム直美

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8月11日(土):アブゴレモノでほっと一息
8月13日(月):東京湾大華火大会ポットラックパーティー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:12| Comment(0) | 暮らしの知恵

2012年08月11日

 降って湧いた贅沢時間に

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1,2,3,4と弾みをつけて、順番に予定を片付けて、
5つ目の目的地は大手町にある運転免許更新センター。
8月半ばに失効してしまう国際免許を、更新しておかねばなりません。
待つのを覚悟で余裕を持って行ったら、あっけないほどに早く済んでしまいました。
さてどうしましょう。
次の約束までにはまだずいぶん時間があります。

こんな風にふっと湧いた時間は、まさに降って湧いた贅沢時間。
張りつめていた心が、ふわりと柔らかくなる時です。
時計を見て考えます。
どこに行きましょう、何をしましょう。
どこなら行けるかしら、何ならできるかしら。

さして迷いもせずに足を向けた先は、大手町からならたったの2駅、湯島です。
そこにあるのが、学生時代からの私の駆け込み場所。
大きくもなく、きらびやかでもなく、小ぶりの地味な神社です。
大波がたって心が遭難しそうになった時、誰にも言えない言葉を願いという形で口にしたくなった時、何となくここの境内を歩きます。
苦しい時には祈りと共に、嬉しい時には感謝と共に。

梅の季節には混み合う境内も、真夏の午後には人影もありません。
かと思えば、いつの間にやってきたのか、湘南の海辺の方がずっと似合いそうな逞しい青年が、もう随分長い間、本殿の前で頭を垂れて一心に手を合わせています。

私も祈りました。
お守りも買いました。
そして絵馬を2つ、結んでしまいました。

祈っても、祈っても
聞き届けられやしなかったからといって
良き人のために、良きことのために祈るのを
やめることはできません。
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By 池澤ショーエンバウム直美

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8月10日(金):アーミッシュのコーンプディング
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:59| Comment(0) | 日記

2012年08月09日

夏祭と海

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開け放った窓から、涼しい風が吹き込んできます。
つい先ほどまで、風に乗ってお祭りのお囃子の音と、聞き覚えのある節々の曲が届いていました。きっとどこかで盆踊りでもやっていたのでしょう。

浴衣を着せられて、金魚のように結ばれた帯に小さな団扇をさして、はずむ心で町内のお祭りにでかけた頃を思い出します。緒明山(おあきやま)と呼ばれる坂の途中の広場で、盆踊りの櫓が組まれて、祭の夜ともなれば、たくさんの提灯に火がともされます。父と母の間で私と妹が手を繋ぎます。広場に近づくにつれて、太鼓や笛の音が大きくなり、小さな胸がドキドキと波打ちます。

踊りの輪に入って、見よう見まねで踊るうちに、梯子を上った高い舞台に乗せられそうになるのがいやで、輪を抜けて光の届かない暗闇に逃げ出します。誰かがアイスキャンディーを持たせてくれて、小さな私はまたいつの間にか光の中に戻ります。そんなことを繰り返しながら、祭の夜は更けていきます。

最後の踊りが終わって、人々が退散をし始め、灯りが消され、静寂が戻ります。子供心に「楽しいことは続かないんだ。」「お祭はいつかは終わるんだ。」という、その後に続く人生の機微を垣間見る時でした。

限られた短い間にしなければいけないことを、走り回るようにしてひとつずつ片付けています。毎朝、A4の紙に、やらねばならないことを列記して、ひとつ終わるごとに○を●にしています。

急ぎ足で駅へと向かう途中で追い抜かした親子連れの、お父さんとお母さんと手を繋いだ少年が大きな声で歌う歌が背中に届きます。

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む
海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国

私は魔法をかけられたように、小さな自分に戻ります。
海辺の町で生まれた私は、いつも海を感じながら育ちました。
そして、水平線を見ながらこの歌を歌いました。
よその国というのが、いったいどこにある、どういう国であるのかもわからぬままに。
世界の事なんて何にもわからないくせに。
それでも、多少なりともわかってしまった今よりは、純粋に幸せだったような気がします。

聖路加病院に入院する知人を見舞い、隅田河畔を歩きました。
またあの歌が頭を巡ります。

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む
海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国

海を見ることはできなくとも、高いビルの影を映し、水上バスを走らせる広い川は、海へと流れているのがわかりました。祭が終わろうが終わるまいが、川は流れ続け、私たちは歩き続けます。

By 池澤ショーエンバウム直美

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8月9日(木):帰国前のキッチンワーク
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:48| Comment(0) | 日記

2012年08月07日

If there is no other option〜ほかに選択肢がなければ

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ご心配をおかけしましたが、夫の状態は少しずつ快方に向かっています。食べた物もお腹におさまるようになり、顔色もよくなってきました。そして、まだまだいつものレベルにはほど遠いものの、少しずつ「気力」が戻ってきています。

ギリシャの友人たちなら、きっとこう言うことでしょう。
それが彼らの口癖なのですから。

ΣΙΓΑ ΣΙΓΑ
ΒΗΜΑ ΒΗΜΑ

シガシガ
ビマビマ

ゆっくり ゆっくり
一歩 一歩

あまりに突然でしたので、たくさんのことを中途半端にしたまま飛び発ってしまいました。夫は日本の大学での特別講義の途中でしたし、出席しなければならない重要な会合もありました。私もお受けしていた授業を他の方に代講してもらうことになったり、大切な打ち合わせを延期してもらったりと、ご迷惑をおかけしてしまいました。二人で楽しみにしていたたくさんのことも諦めましたし、無駄にしてしまった切符もあります。私の右腕のリハビリも、進行中の歯の治療も、計画が狂ってしまいました。家の修理も休止したままです。

それら全てを取り戻したり、軌道に戻すことはできるわけもありませんが、それでも宙ぶらりんにしてはおけないことがあります。夫の名代で出向かねばならない所もあります。会いたい人たちもいます。

心は残りましたが、夫の容体が安定してきたのを見届けて、とんぼ返りの帰国をすることにしました。またすぐに戻らねばなりませんが、幸い、イタリアの大学院でのコースを終えた娘がワシントンに戻ってきました。私が留守の間は、彼女が役割を担ってくれるでしょう。

ワシントンダレス空港に向かうタクシーの運転手さんは、ちょっとばかり訛った英語を話す浅黒い肌の人でした。物憂げな顔の私に心を配って、うるさくない程度に話しかけてくれます。そんな会話の中から、彼が祖国エチオピアを離れて8年たつこと、子供が2人いることを知りました。

―帰りたいという気持ちになったことはありませんか?

―それはあります。でも、子供たちはここの生活に馴染んでいるし、私もこうしてここで仕事を見つけました。もうここで暮らすしかありません。アフリカへの望郷は心の中に永遠にあるでしょうけれど、今はここが私の国です。

―お聞きしたいことがあります。私は2つの国の間を揺れ動いて、いまだに覚悟をつけられないどっちつかずの人間です。どうしたらあなたのようになれるのでしょう。

しばらく沈黙したあとで、彼がこんな言葉を放ちました。

「If there is no other option, you will be used to, and you will be.」
(ほかに選択肢がなければ、慣れるものですし、なれるものです。)

何て素晴らしい言葉!
何ていう啓示でしょう!
By 池澤ショーエンバウム直美

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8月7日(火):病人食の進歩
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:44| Comment(1) | 暮らしの知恵

2012年08月06日

終わりにはよくなる〜The Best Exotic Marigold Hotel

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あれやこれやと思い煩うことばかりの空の上で、疲れているはずなのに眠ることもできないままに、大して期待もせずにチャンネルを合わせたのが、第二の人生を求めて、あるいは第一の人生からの逃避のために、インドへと飛ぶ同じ飛行機に乗り合わせた、もう決して若くはない7人の男女の物語でした。

その題名を「The Best Exotic Marigold Hotel」という、2時間を超えるイギリス映画です。アメリカでは同じタイトルで、5月中頃に封切りになりました。日本では、どんなタイトルでいつ頃公開になるのでしょうか。

病気やら、夫婦仲やら、孤独やら、忘れられない思いやら、夫との死別やら、さまざまな理由で残りの人生に不安を抱える彼らが、こんな謳い文句に惹かれて、期限を決めぬインドへの長期滞在の旅に出るのです。

「あなたの晩年の人生を輝かす宮殿。イギリス式のマナー、開放的な中庭と屋根付きのバルコニー、その歴史的雰囲気の中でくつろげば、きっとあの時代に戻ることでしょう。」

パンフレットを見る限り、それは宣伝文句通りの豪華なホテル。しかもとても安価です。ところが、それを信じてはるばるジャイプールまでやって来た彼らを待っていたものは、若い青年が一人てんてこまいで運営する、崩壊寸前の埃をかぶったホテルでした。この映画はそうした失望から始まります。そして帰ることもできずに、そんなおんぼろホテルで暮らす中から芽生えたものや、失ったものや、壊れたものや、再生したものやらが綴られていきます。そして、紹介文によれば、「They begin to see things in a new light.」(そして彼らは新しい光の中で物を見始めた。)ということになるのです。

結局2度見てしまいましたが、2度目でようやく彼らの相互関係や心の機微が掴めてきて、今では、あれは実によくできた素晴らしい映画だと思っています。と思うのもまた、知らず知らずのうちに自分自身を彼らのうちに投影させているからなのでしょう。10年早く見ていたらまだ共感など得られなかったかもしれませんし、20年早く見ていたら、まるで他人事だったでしょう。

この映画の中で、繰り返されるフレーズがあります。

「終わりには良くなる。
 良くないのであれば、それはまだ終わりではない。」

またひとつ、心に残る言葉に出会いました。
By 池澤ショーエンバウム直美

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8月5日(日):いつかきっとのワインテイスティング@ホールフーズ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:02| Comment(1) | 本、映画、コンサートなど

2012年08月05日

ΛΟΓΙΚΟ ΖΩΟ(ロギコ ゾー)の発端

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さて、何故に「ロギコ ゾー」などという言葉がいきなり太平洋を越えて行き交うようになったのか、という前回の続きです。

入院をする日の朝、慣れないながらも想像力を駆使してあたふたと鞄につめこんだのが、タオル、歯磨きと歯ブラシ、下着の換え、フェイスタオルとバスタオル、スリッパ、ティッシュペーパーボックスでした。もっともこのうち、タオルや歯ブラシやティッシュは病室に備え付けられていることが行ってみてからわかったのですが。

ここに夫が、「これも」と手渡したのが、1冊の分厚い本でした。「快適な入院ライフを過ごすために」などというすぐに役立ちそうな実用本でも、専門分野の本でもなく、おそらくはまるで役には立ちそうもない「Ancient Religions」という本でした。表紙には古代ギリシャらしい人々の絵が描かれています。

結局、入院中は点滴に繋がれて本を読むこともままなりませんでした。寝台を45度ぐらいに起こしては左手でリモコンを持ち、テレビを見ることぐらいがやっとだったのです。サイドテーブルに置かれた本が一度も開かれた様子がないのを見るのは、本の虫、あるいはビブリオマニアである彼を知る者としては、ひたひたとせつなくなることでした。

「ナオミ、ワシントンポストを買ってきてくれないか」と頼まれ、お財布を握りしめて探しまわり、やっと見つけた新聞を枕元に運べば、ちらりと目をやるだけで読み始める風情もありません。終日ただベッドの上にだけいることで、気力はかくも衰えるものでしょうか。

こんな書物の山を事前に送り届けては、一つの地から次の地へと移動をする人です。そんな人の、初めて目にする姿に動揺しても、私以上に彼自身が感じているであろう辛さや情けなさを思えば、何も言わずに、あるがままをそっと受け入れるしかありません。
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ところが、いざ退院をして家に戻るや、書斎の長椅子に横たわって一心に本を読み始めたのです。「Ancient Religions」も、私が様子を見に行くたびにページが進んでいます。

そしてその翌朝、私が、まだ無理と止めるのもきかずに、「急ぎのことだけ片付けてすぐに帰るから心配しないで。」と、本をかかえて大学の研究室に出かけました。その姿は、前日までの老いた病人ではなく、その目の輝きも、広い世界を見ているような深い眼差しも、背筋の伸びた凛とした姿勢も、長い間私が慣れ親しんできた大切な人のものでした。

けれども、具合が悪くなってこのかた、まともな食事も摂っていません。何かあればすぐに駆けつける態勢でオロオロと待っている私に、奇しくも東京の友が様子を気遣う連絡をくれました。それが、前回登場した「ギリシャ古典の若き学者」だったのです。

心配を伝える私に、夫をも良く知る彼は、すぐさま「ロギコ ゾー」という言葉を口にし、自らの体験を語り始めました。そしてこんな風に励ましてくれたのです。

「大丈夫ですよ。先生のような人は知的なものを食とすることができるのです。病室に閉じ込めておくよりは、広く知の世界に放ってあげた方が回復に向かうはずですよ。」

以来、たしかに夫は日一日と彼らしくなり、まだまだ今までと同じ生活はできないものの、今日初めて、「お腹が空いた」という言葉を口にしました。

知の食は、からだに力を与え、
時にからだは、パンよりもロゴスを必要とする。

そんなことを、16日間の修行の旅で実感した友の深遠さにはほど遠いながらも、この日常の中で感じ入っています。
By 池澤ショーエンバウム直美

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昨日のグローバルキッチンメニュー
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8月4日(土): 病人も健康人もバナナシェーキで
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2012年08月03日

ΛΟΓΙΚΟ ΖΩΟ(ロギコ ゾー)

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柄にもなくへこみ始めてから、ありがたいことに、家族や友人たちや書物の中の言葉に救われることが多くなりました。苦しい時ほど、良くも悪くも知覚が鋭敏になって、言霊というものがあるのだとしたら、それを受け容れられるようになるのかもしれません。

つい昨日、弟とも兄とも思えるギリシャ古典の若き学者が、こんな素晴らしい言葉をプレゼントしてくれました。これによってどんなに気持ちが楽になったことでしょう。

長い付き合いなのに初めて聞く話でした。20年前の夏、彼を含む12人の仲間たちが、二人一組になって、町から町へ、村から村へと16日間の修行の旅に出たのだそうです。お金も持たず、着替えも持たず、ただ聖書と讃美歌だけを持ち、志賀高原から高い山々をいくつも越えて、伊奈までの旅だったと言います。

最初の9日間は恵んでもらった3食だけで1日20キロを歩きました。衣服が汚れれば川で洗い、木の枝で乾かしました。最初の3日は歩けなくなるほどにからだ中が苦しかったそうです。そして4日目には、苦しみは動くこともできないほどに達しました。

けれども、何とか1週間目にたどり着くや、精神が研ぎ澄まされていくのが感じられるようになり、不思議なことにからだが動き始めて、いくらでも歩けるようになったとのこと。その時、ギリシャ古典に通じる彼が、あるひとつの言葉を身をもって理解したと言います。

それが、「ΛΟΓΙΚΟ ΖΩΟ」(ロギコ ゾー)というアリストテレスの言葉でした。
「ロギコ」とは「ロゴスの」という意。古代ギリシャでは「ロゴス」とは霊であり魂(スピリット)を意味しました。「ゾー」は実存であり生活のことです。つまり、私たちのからだは、食物からの栄養だけではなく、知識や教養という霊的な栄養によって生かされるという意味なのです。

このことを別の信頼する友に語ったら、さらにまた知識を与えてくれました。同じようなことが、悪魔の誘惑の話として、聖書のマタイによる福音書第4章に書かれているのだそうです。それが私たちもどこかで聞いたことのあるこの言葉につながります。

「人はパンのみに生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。」

なぜ太平洋を越えてこんな会話が始まったか、その発端についてはまた次に。
学生たちのエントリーシートや面接指導で、何百回、いえもしかしたら何千回も言ってきましたから。「言いたいことは最初に」「まずは結論から」と(笑)。

日が少しばかり陰ってから、二人で、中庭を歩くだけの小さな散歩に出ました。とうに盛りを過ぎて干からびた花々の中に、生まれたてのように初々しい薄ピンクの紫陽花が咲いていました。

By 池澤ショーエンバウム直美

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本日のグローバルキッチンメニュー
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8月3日(金): まるで機内食!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:35| Comment(0) | パートナーシップ