2012年07月30日

ネットワークに送られて

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突然の事態の中での大きな決断は、このまま日本で入院をさせるか、本人が希望をするように、リスクを承知の上でアメリカの主治医のもとに移すか、というものでした。「移す」と言ったって、そうそう簡単なものではありません。

朝の6時半には家を出て、車で首都高から東関東自動車道に乗り、一路成田空港へ。チェックインをして搭乗までの時間を過ごし、飛行機が飛び立つまでにすでに4時間半が必要です。フライトタイムは太平洋を東から西へ向かう時の14時間5分よりは少ないものの、12時間35分です。着陸したとたんに機内から飛び出るわけにも行きませんし、イミグレーションの列に並んだり、荷物を取ったりで、空港からタクシーに乗り込んで家に着く迄には合計19時間やそこらはかかるでしょう。加えてマイナス13時間という時差の壁も、体力を消耗させます。

それでも夫はアメリカに移ることを強く望みました。もともと人の悪口と弱音は吐いたことのない人です。「成田まで送ってくれれば後はひとりで大丈夫。君は目先の事を整理してから飛んでくればいい。」などと気丈なことを言うのです。

たしかに、とても困ることがいくつかあり、自分自身の決断ができずに途方に暮れました。こんな時にはいつもの家族ネットワークです。現状を説明すると、すぐに返事が届き始めました。それぞれのメッセージが私のへこんだ心のカンフル剤になり、大きな支えになります。

「お手伝いが必要な時はいつでも遠慮なく言ってください。とにかく様子を知らせてください。様子次第では駆けつけます。どんな決断にしろ、今は妻として一緒にいるのがよいと思います。あとのことは微力ですが私たちで見守ります。心配しないで行ってください。」

「ママの気持ち的に付いていくべきかと思う。日本に残ってやきもきするより、多少のことは犠牲にしても一緒に行ってお世話できる方がずっと気持ちが楽だと思います。」

「そもそも正論は日本で治療をする、だと思うけれど。この先たくさん病気もするだろうし、その度に帰国するのは危険だと思う。アメリカと日本でそんなに治療の差があるかしら? 完全にメンタルな問題だよね。東京だって英語で治療を受けられる一流の病院があるし、そうした所の個室でゆっくりするのがいいと思います。読書し放題のパラダイスかもしれません(笑)。日本に住むという覚悟があれば、病院だって体験すべきだと思う。日本の家族としてはちょっと寂しい気もするね。でも、アメリカに行くと決めたならママは一緒に行くべきだ。そして、落ち着いたら、今後また病気になった時のことをよく話し合った方がいいよ。東京に英語が話せる主治医を見つけて、アメリカの主治医とカルテを共有すべきだと思います。
とにかくこちらのことは心配しないで行ってらっしゃい!」

そんな言葉に送り出されてやってはきたものの、いやはやなかなか大変です。けれども、アメリカの医療システムについて初めて学ぶ良い機会にもなっています。あまりに日本と違うのです。また落ち着いたらそこらへんのことも書かせていただきます。

二度とこんな風にあたふたとしないこと、そのためには娘の言うように英語が話せる東京の主治医を見つけること。そんなことを心しながら、誰しもがみな老いていくことへの覚悟をあらたに、先へ歩いていかねばなりません。

写真は5時半の朝焼けです。

「There is something infinitely healing in the repeated refrain of nature-
 the assurance that dawn comes after night,,,,,,,,」 (Rachel Carson)

 夜の次に朝が来る確かさ、自然が繰り返す癒しのリフレイン。 

池澤ショーエンバウム直美

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7月29日(日):スーパーマーケットの夏
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:43| Comment(0) | 家族

2012年07月29日

不遜にも不実にも気づかなかった幸運

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喉がかわけば 水を飲み
お腹がすけば ごはんを食べる
それらは
喉から食道へと下りて
小腸へ進み 大腸を抜けて
からだの外へ出ていく
そんなこと 考える必要もないほどに
あたりまえのことだった

けれども 目の前にいる愛しい人は
乾いた喉をうるおすのに
水を飲むことも許されず
いつまでも 溶けきるまでいつまでも
小さな氷の塊を 口の中でころがすばかり

人間のからだっていうのは
精密に組み合わされた部品の集まり
何億ものピースが織りなすジグソーパズル

たったひとつ 悪くなったり
たった一か所 かみ合わなくなっただけで
からだが いつものからだではなくなってしまうなんて
ふだんは考える必要もなかった

などということが
実はどんなに不遜なことだったか

部品も
ピースも
どれだけ健気に頑張っていたかしれないのに
それらに感謝することもせず
あたりまえのように生きてきた

などということが
実はどんなに不実なことだったか

そして
不遜にも 不実にも
気づかないでいられたということが
実は どんなに幸運なことだったか

(アレキサンドリア INOBA HOSPTALの病室にて)
By 池澤ショーエンバウム直美

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:10| Comment(0) | 日記

2012年07月27日

「いつか」なんて風のひと吹きで

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日本は金曜日の朝があけたところですね。
こちらは今、木曜日の夕方。窓の外はまだ眩しい日差しが勢いを弱める兆しもありません。遠く、まるで風のようにアムトラックの電車音が聞こえます。北へ上ればニューヨークを通ってボストンへ、南へ下ればフロリダまで行くことができます。

飛行機なら国内線でひとっ飛びの区間を、いつかガタゴトと長い時間をかけて、北から南への電車の旅をしてみたいという思いは、いまだ消えたわけではありません。昔見たテレビドラマを思い出しながら、今はなき「ルート66」を東から西へと走る夢だってまだあります。

けれども、ひとつ知恵がついたとしたら、「いつか」ほどはかないものはない、ということでしょうか。それらは、風のひと吹きで、いとも簡単に遠くへと逃げ去ってしまうのですから。

長い時間でした。独楽鼠(こまねずみ)のように、と言っても独楽鼠が動き回る様など見たことはありませんが、ひっきりなしに動いていたような気もしますし、検査やら、診断やら、また検査やらをいつもひたすら待っていたような気もします。あるいは、長い点滴や吸引の時間をただ呆然と夫のそばにいただけのような気もします。混乱しています。

いつものような週末の後に、それは突然、本当に突然やってきました。

土曜日の夕方にはギリシャ政府の友と3人で、真剣にギリシャという国の未来を論じ、夜には表参道の洗練されたイタリアンで、積年の友人夫妻とその立派に成人した子どもたち6人で楽しいテーブルを囲みました。共に過ごす時間が嬉しくて、みんなでいったい何本のワインを空けたことでしょう。特別の時間でした。

日曜日にはスコップやホースやごみバケツなど、ごく普通のものをごく普通に買いに行き、ごく普通に一緒に庭で働きました。こちらの端と向こうの端に蚊取り線香を置いて、しめった土から雑草を引っこ抜き、新しい花の苗を植えました。とりとめもないおしゃべりをしながらの協働作業は、とりわけ何と言うことはないのに、なんと心弾む時間だったでしょうか。

夜には、私はいつものようにキッチンに立ち、いつものように料理を作り、いつものようにビールで乾杯をし、いつものようにワインのコルクを開けました。そうやって「いつものように」が線路のようにつながっていったのに、それが突然やってきたのです。夫が急病になりました。

月曜日、火曜日と日本の病院で検査をし、応急処置をしてもらい、水曜の早朝に東京を発ち、ここワシントンへと飛んできました。12時間を越えるフライトの後、荷物を家に置いてすぐに、東京から何度も電話をして手はずを整えていたアメリカの主治医のもとへと急ぎました。

主治医のオフィスから、大学病院へと移り、長い長い時間を過ごした後、どうしても家へ戻りたいと言っては譲らない夫を連れて、真夜中のタクシーで昨夜この家へ帰ってきました。

この先どうなるのかはわかりません。
電話で主治医と繋がっては指示は受けているものの、このままでいいはずがありません。物を食べられない夫の体力は日に日に衰えているように見えます。なぜ、あのまま押さえつけてでも日本に居る道を選ばせ、すぐに入院をさせなかったのかと、わが身の不甲斐なさが悔やまれます。ここでは私のできることは限られています。

切り詰めた睡眠の中でさまざまな思いが去来します。おさえてきた愛や怒りや悲しみが頭をもたげます。決して書くまいと思ってきたやるせなき思いに急かされもします。もう充分にわかっていたはずの本当にたいせつなことが、ますます鮮やかに浮かびもします。

そして、また、自他共に天然楽観能天気を認めていた私が、「しょせん『いつか』なんて風のひと吹きさ」と、珍しく厭世的になっています。と、同時にこんな言葉を呟いてもいます。ということは、ありがたいことに土台はやっぱり天然楽観能天気なのかもしれません。ユーミンこと松任谷由実さんがデビュー40周年を迎えての言葉です。

「でも険しい道を乗り越えてたどり着いた場所から見る景色は、美しくないはずがないから。」

たとえ短くとも、また、書ける時に書きます。
書くことで不安な気持ちが少し整理されます。
物理的にも、精神的にも、書けること自体がとてもありがたいことに思えます。

                           By 池澤ショーエンバウム直美

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7月27日(金):素敵な友人宅での典型的アメリカンディナー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:25| Comment(0) | パートナーシップ

2012年07月22日

たった一枚のほんとうのその切符

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ギリシャ→七夕→天の川とつながって、また急に読みたくなった本を引っ張り出して、「銀河鉄道の夜」のページを開けました。本というのは不思議なもので、それが面白さだとも思うのですが、その時の読み手の心や、とりまく周囲の状況で、微妙に読み方が変わるのです。

この本だって、私はいくつもの線を引いてはいますけれど、それらは繰り返し読みながら増えていったものです。

たとえば、、、、、

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸いになるなら、どんなことでもする。けれどもいったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸いなんだろう。」

「ぼくはわからない。けれども、だれだって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸いなんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるしてくださると思う。」

「あなたがたは、どちらへいらっしゃるんですか。」
「どこまでも行くんです。」

「その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく湖水や、激しい寒さとたたかって、だれかが一生懸命はたらいている。ぼくはその人にほんとうに気の毒で、そしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらよいのだろう。」

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中のできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

「どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。」

「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」

こうして、その時々に、異なる言葉が心の奥底にまで届きます。

けれども、いつどんな時でも、最後にここに行きつくと、涙がこぼれます。今日だって台所でブリと大根を煮ながら、簡易椅子を出して読んでいたら、毎度の事なのに心が震えて、くすんくすんとなりました。

「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない。」

私たちは誰もが、大股にまっすぐに歩く「命の切符」を持っています。たとえ目にすることはなくたって、みんな同じように一枚の切符が与えられているのです。今日、台所で涙していたのは、その切符を途中で捨ててしまった少年を思ってのことでした。

主人公のジョバンニは、病気の母親の世話をし、いつかお土産にラッコの上着を持って帰ってきてくれるはずの父親を待って暮らしています。そして、学校では馬鹿にされ、いじめられ、仲間外れにされています。けれども、銀河鉄道の旅の最後に与えられた切符をしっかり握りしめて、優しく、しっかりと生きていくのです。決して誰かを苛めたり、そねんだり、故意に傷つけたりはせずに、おっかさんの喜ぶようにまっすぐと。

切符は一枚しかありません。
                          By 池澤ショーエンバウム直美

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7月22日(日): 思いはイエメンのサーモンフィッシュンぐ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:38| Comment(0) | 本、映画、コンサートなど

2012年07月21日

フェタとオリーブがギリシャを救う!

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折しも、「ギリシャとギリシャ観光の近況報告」の会が開催された七夕の日、「International Herald Tribune紙」の経済欄に、こんな見出しの記事が載りました。

「Feta and olives could save Greece」
(フェタとオリーブがギリシャを救う)

別ページに続く記事にもまたこんな見出しがついています。

「Greece could rescue itself by doing familiar things」

つまり、経済を建て直すには手元を見ろ、手持ちの物、馴染みの物に目を向けろ、という論調の記事です。難しい経済のことはわかりませんが、この二つの物というのが、大見出しに掲げられたフェタとオリーブでした。

「押さえつけたバネは、押さえつける力が強いほど、早く跳ね返る」というギリシャのエコノミストの言葉を引用して、「あなた方には少なくとも二つの素晴らしい天然資源があるではないか!」と呼びかけます。

フェタと呼ばれる真っ白な山羊のチーズは、初めは癖のある匂いや味が気になりましたが、ギリシャで暮らす間にすっかり馴染んで、その後はどこに住もうが冷蔵庫の常備品となりました。小さな娘たちも、フェタを使ったパイやオムレツやサラダを、まさかそれがギリシャの物とは知らずに、ごく当たり前の家庭料理として食べていました。

ギリシャを引き上げることになった時、日本人男性と結婚して東京に住むギリシャ女性のマリアからこんな手紙をもらいました。「すみません、フェタをできるだけたくさん買ってきてもらえませんでしょうか。」

黒い鞄の隙間に白いフェタをぎゅうぎゅうと詰めて帰ったら、どうにもこうにもフェタの匂いが消えなくてまいりました。鞄を洗ってしばらく天日干しにしましたけれど、その後もこの鞄を使う度にそこはかとなくフェタの香りがするのです。

今や、フェタはグローバルな人気商品です。最近では、およそどこの国でもフェタを使った料理に出会いますし、スーパーでもその姿を見つけることができます。ところが記事によれば、昨今では、ギリシャ独自の製品というよりはEUに委託統治されたかのような扱い方をされていると言うのです。

もうひとつのオリーブについても、手厳しくギリシャの現状が解説されています。イタリアやスペインが、小さなオリーブオイル生産者を統合しては世界的な競争力をつけていくのに反して、世界で最良のオリーブを収穫しているはずのギリシャは、相も変わらず昔のやり方を細々と継承していると言うのです。

フェタとオリーブオイルはいまだに我が家の常備品の筆頭項目。「EUに牛耳られようが、細々とだろうが、いいではありませんか、こんなに良い物を作っているのだから堂々としていれば」などと言う素人考えはこの際忘れて、やはりこの二つの物に檜舞台に上がってもらい、経済を建て直してもらうのがいいのかもしれません。

ギリシャのフェタもオリーブオイルも、今ではちょっとしたスーパーで簡単に手に入るようになりましたけれど、1980年代にはまだまだ難攻不落のアイテムでした。ギリシャ商務省の日本オフィスで仕事をしていた時代に、どれだけ日本市場に導入しようと努力をしたかしれません。結局、私が奉職していた間に実現することはできませんでした。

ところで、昨夜、フェタとトマトと玉子を使った料理を作ろうと思ったら、常備品のはずのフェタがありません。あわてて、夕飯前のお散歩に出る夫に「フェタを買ってきて」と頼んだら、二つも買ってきました。隣り合ったもう一つのスーパーに行けば、別メーカーの安いものを売っているのに、、、、このお料理、一袋の半分もあれば十分なのに、、、、などと心の中で思いましたが、ま、いいでしょう。確かにギリシャ支援の一環かもしれませんから。

「ナオミ、二つで足りる? (足りますとも。足り過ぎるぐらいです。)
 30%引きで売ってたよ。30%を支援募金にできればいいのにね。(なるほど)
 でも、買うこと自体が小さな支援かもしれない。(はい、そう思います。)」
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                     By 池澤ショーエンバウム直美

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7月21日(土): みんな勉強@空港のエアラインラウンジ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:58| Comment(0) | ギリシャライフ

2012年07月20日

底力で乗り切ってください、ギリシャ

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今日、証券会社の知人に会ったら、やっぱり出てきました。もうだいぶ慣れっこになってはきましたけれど、やっぱりグサリと来るものです。心のどこかで「申し訳ない」とまで感じてしまうのは、いかに自分がいまだにギリシャから母離れ、あるいは子離れしていないか、ということでしょうか。

「ギリシャのせいで相場がこんなになっちゃって、、、、、」

7月7日、七夕の夜、「ギリシャとギリシャ観光の近況報告」と題する内輪の集まりがありました。ギリシャ各地を視察して帰ってきたばかりの、政府観光局のマネージャーが実際に目で見、耳で聞き、肌で感じた旬の話を聞く会です。集まったのはいつもの仲間たち、みなある学会のメンバーです。観光にも、旅にも、食にも好奇心と知識欲満開で、「旅と食文化研究会」という分科会を立ち上げています。ギリシャに端を発したと言われるヨーロッパの金融危機に誰もがみな心を痛めています。

たしかに、緊縮財政や増税を余儀なくされるギリシャでは、一昨年から去年にかけてたび重なるストライキ等が客離れを招き、観光産業全体に打撃を与えました。実際、今年の海外からの訪問者は4割減との予測が出ているそうで、いったんは予約したお客様からのキャンセルなども相次いでいると聞けば、ギリシャファンの我々としてはますます心が痛みます。

報告によれば、今年3月のドイツにおける調査では、「ドイツ人観光客が好む行く先」では、ギリシャがベスト10から外れてしまいました。ちなみに1位はスペインです。

日本の旅行代理店にいたっては、8割がたが「ギリシャは危険な国」と見ているというのですから悲しくなります。けれども、実際にそうなのでしょうか。私たちが手に汗握る中、アテネ市内の様子が映され、島々や田舎の映像が続きます。その風景は変わりません。

「アテネは経済危機の影響があって人は少なめでしたけれど、田舎や島は全く変わっていませんでした。今まで通りのギリシャ人たちが、今まで通りに暮らし、今まで通りに外からのお客を迎えていました。サントリニ島などはむしろ人が多かったように見受けられました。」

「『葡萄色に富む豊かな島』クレタでは、観光客は泳ぎながら雪山を見上げ、バモスという小さな村では27軒の民家が一丸となって彼らを迎え入れていました。」

美しいスライドショーと彼の話に、緊張していた私たちの心もだんだんと緩んできて、最後には、「ほかの写真も見せてくれませんか?」とお願いする始末。私自身もいつの間にか、こんな事態になる前の、あの幸せで平和な国の思い出の中に戻って行きました。

報告の最後は、こんなに素敵な言葉でした。

「僕は勉強で10年、仕事で10年ギリシャに居ましたけれど、こんなにギリシャのことを知らなかったのか!と愕然としました。まだまだ勉強をしなければと、心を新たにしました。いい旅でした。そしてやはりギリシャはいい所です。」

ところで、この日は、織姫と彦星の天の川での逢瀬が気になる小雨模様。
「天の川」と言えば、英語では「Milky Way」、または「Galaxy」ですが、実はこれ、元はギリシャ語です。ギリシャ語で「牛乳(ミルク)」のことを「γαλα=gala=ガラ」と言います。天の川は「ガラクシアス」です。ということは、英語の「Galaxy」も「Milky Way」も、ギリシャ語の「ガラ」(ミルクの意)から来ているわけです。こんな風に、ギリシャという国は、私たちの言葉や文化に大きな影響を与えてきました。

ここはもう、長い歴史を潜り抜けてきた底力で、頑張って乗り越えてもらわねばなりません。
夜空を見上げ、星座にギリシャ神話を重ねる度にそう願います。
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                       By 池澤ショーエンバウム直美


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7月20日(金): ウナギと玉子でウナオムライス? ウナ玉チャーハン?
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:41| Comment(0) | ギリシャライフ

2012年07月18日

おかげで、、、、、

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ついてないと言えば ものすごくついてない
でも、「おかげで」とつければ ものすごくついている

昨日から続く一連のアクシデント
トイレのひとつの 自動洗浄がうまく働かない
修理をよばなきゃ
でも、おかげで あふれかえる前に気が付いた

環八から首都高に入る信号で
慣れている道なのに 暑さで判断力が鈍っていたのかしら
赤信号で進入したらしく
白バイにつかまった
でも、とても優しいおまわりさんで
思わず「暑いのに大変ですねえ」と言ってしまった
結局、9千円の罰金
でも、おかげで この先しばらくはとても注意深くなる

新宿で 素敵な打ち合わせが終わって
脇目も振らず帰ったのは
慣れない灼熱の中 熱射病にでもなったらと心配な
夜の会合に出席する夫を 車で送るため
でも、おかげで 車の中でいろいろな話ができた

送り届けた先は 気づけば
私の車のディーラーのそば
BASなどという わけのわからないアラームが突然出てきてしまったものだから
ついでだからと 寄ってみたら
夜にもかかわらず いつものように親切なメカニックの人たちが
丁寧に点検してくれた
結局、ちょっとシリアスな問題が見つかって
車を置いて 電車で帰らねばならなくなったけれど
おかげで 事故にも遭わずにすんだ

送ってもらった最寄駅は
何があったのか ホームに人があふれかえり
下りホームでは 松本行きの特急あずさが 止まったまま
上りホームでは いつ来るかわからない 電車を待つ人たちが
やり場のない鬱憤を閉じ込めている
でも、おかげでふだん見ることのできないような
ヒューマンウォッチングが楽しめた

立川と日野の間で 異音がしたための安全チェック
という放送が 何度も繰り返された後
ようやくやってきた上り電車に乗り込んで
思ってもみないほど 帰るのに時間がかかってしまったけれど
おかげで 本がたくさん読めた

車がないから 夫を迎えに行くこともできなくて
おかげで ビールを我慢する必要もなくなった
その喉越しの涼やかさ

ああ、長い不運の一日の
ああ、「おかげで」のおかげで
何とありがたかったこと!

これは、一昨日の天声人語。

辛い話も、見方を変えれば幸せの種になる▼思い出したくない過去の一つや二つ、誰にもあろう。心優しき人ほど、悲しいこと悔しいことを引きずるものだが、辛い記憶ばかりため込んでは人生もったいない。▼朝日新聞の新刊「すりへらない心をつくるシンプルな習慣」(心屋仁之助著)に、「嫌な出来事のあとに『おかげで』をつけてみる」という助言があった。あの失敗のおかげで今がある、とういう風に▼

                         By 池澤ショーエンバウム直美
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7月18日(水): お魚団子とスイカジュース〜おひとり様フリータイム
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:05| Comment(2) | 日記

2012年07月17日

人それぞれのライトタイム〜YUMI1とYUMI2と私

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誰でもそうでしょうが、何があっても決して変わらない友人たちというのがいます。年月というフィルターを経てもなお、男女を問わず、全幅の信頼を寄せることのできる人たちです。しょっちゅう会うわけではなくとも、いつもちゃんと繋がっている気がします。困っていればさりげなく助けてくれますし、こちらもまた、押しつけがましくならないように助けます。

香港へ発つ前に、立て続けに二人のYUMIと会いました。仮に一人をYUMI1、もう一人をYUMI2としましょうか。その二人とも、長年にわたる大切な友です。

YUMI1もYUMI2も、そして私も、それぞれに仕事の引き際について考えています。きちんと決められた定年がある仕事とちがって、私たちは自分の裁量で決めなければならないからです。

YUMI1は、私よりも一つ年下なのに、いつも私のメンターです。彼女の言葉はいつだってまっすぐに私の心に届きます。そして、漣が立った心の池を、また元通りの静かな水面に戻します。

品川での3時間、私たちは本当によくしゃべりました。彼女はもうずっと長いことカナダに住んでいます。そして、仕事で定期的に日本にやってきます。2つの国に文化的な架け橋を作る素晴らしい仕事です。YUMI1が言いました。

「『まだやってるんですか?』とは言われたくないの。『あら、もう辞められたんですか!』と言われたい。引け際を知っている人でありたいの。

お弁当を持ってクマ*とゆっくり散歩をし、森の中をどこまで行っても帰る時間を気にしないでいい生活。映画を見て、テレビを見て、友だちと会い、喧嘩もしない、いやなこともない。(*クマとは愛犬の名前です。)

私はこの仕事を始めてからもうすぐ38年になるの。他人からの『頑張ってますねえ』の評価ではなく、自分の生き方は自分が知っていればいい。誰かに誤解されたくない、わかってほしい、というのは、まだ相手に期待していることでしょう?

相手の気持ちはどうすることもできなくとも、自分の思いは自分でコントロールができる。
私たちのような大人はそれができなければいけないし、そうする権利があると思うの。

わかってほしい人には説明もするけれど、たとえわかってもらえなくたってそれでいい。そんな自分のありのままを見てくれる人たちがいるならば。私たちには家族がいて友人がいる。何があっても『きっと理由があったんだろう』とそっとそのまま受け入れてくれる。私はね、もうそれだけでいいと思うの。だんだんと物を持つことにも興味がなくなってきたし、いい感じで引け際に近づいていると思う。」

かたや、YUMI2の方も、30年以上ひとつの仕事の道を歩いて来た友。泣いたり笑ったりしながら、頑張って、頑張って、本当によく頑張ってきた彼女に、もうそろそろ、「よくやったよ。お疲れ様!」と、肩の一つもたたいてあげたいぐらいです。

けれども、YUMI2は言います。

「私はね、まだ夢に届いていないの。だからあと5年は今と同じように、ううん、もっと一生懸命働くの。そうしなければ、私、この道に踏み出したことをずっと後悔し続けるだろうから。」

「そうだね、それでいいんだよ。」とそれぞれの異なる思いを受け入れ、その決断に応援をしながらも、私は自分自身についてもまた、考え続けています。けれども、ひとつ確実に言えることは、「手帳のページが真っ白だと不安でたまらない」YUMI2とは全く反対で、今の私は真っ白な手帳のページを見つけると、本当にほっとして嬉しくなるのです。

人それぞれに「ライトタイム」というものがあります。
YUMI1も、YUMI2も、私も、その「ライトタイム」を正しく選択するために、ずっと一緒に歩いています。
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                   By 池澤ショーエンバウム直美

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7月17日(火): 最初で最後?ジャンボ・キングダム


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:19| Comment(0) | エイジング

2012年07月16日

風景も、風も、椰子の葉も、百合の花も

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この暑さでは、花を飾ってもすぐに開いて色を変え、しんなりとしてしまいます。花のために誰もいない部屋に冷房をかけておくわけにもいきませんから、自然のままに任せていますけれど、まるで生命の速度に拍車がかかったかのようです。

香港に発つ前々日のパーティーでいただいた、しっかり固い緑色の蕾をつけた6本の百合は、3つの花瓶に分けられて、留守の間に一輪また一輪と大きな花を開かせました。1本に7〜8個は蕾が付いていますから、開くべき花の数は優に40を超えています。それらがひとつずつ押し合いへし合いしながらも、愛でる人がいようがいまいが関係なしに、きちんと律義に咲いていくのです。そして嗅ぐ人がいようがいまいがどこ吹く風で、朝の光の中で、夜の闇の中で、その馥郁たる香りを放つのです。

夏の暑さがスピードを早め、冬の寒さが多少はそれを遅らせようと、組み込まれたDNAにただ誠実に、きちんとおのが務めを果たします。雑念を振りきれないわが身とは比べようもありません。

そんな時にいつも口をついて出るのは、私の好きな詩の中の、最初の2行と最後の2行です。

人の目が見ていなくても
風景はあるものだろうか

人の耳が聞かなくても
風は椰子の葉を鳴らす 


風景も、風も、
椰子の葉も、百合の花も、
たいしたものです。
どう頑張ったってかないやしません。

百合はまだ7つ、蕾が残っています。
                    By 池澤ショーエンバウム直美

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7月16日(月): 最初の夜の丸投げ香港ディナー@采蝶軒

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:28| Comment(0) | その他メッセージ

2012年07月15日

私の名前は舎恩鮑姆?

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日本の最南端よりも、まだまだずっと南にあるはずの香港から北に戻るやいなや、この蒸し暑さ!窓をどこもかしこも全開にして自然の風を入れるようにしても、動きを止めたとたんにどっと汗が噴き出します。そのたびに、「そうそう、これこれ、これこそ日本の夏!!」と、何だか妙に納得しては、さまざまな思い出が巡り来るのを楽しんでいます。

電気冷蔵庫もなかった子供のころ、小さな木の箱のような冷蔵庫に入れる氷を買いに行くのが、長女の私の役目でした。氷屋さんのおじさんが、「よっ、嬢ちゃんえらいねえ」などと褒めてくれて、鋸でギコギコと真四角に透明な氷を切ってくれます。それを縄でしばって、ぶらぶらとさせながら急ぎ足で帰るのです。まるでヘンゼルとグレーテルのように、私の歩いた道筋に溶けた氷の後が続きます。

ポナペ島の父は、気温が下がらず寝苦しい夜が「熱帯夜」と呼ばれることに、いつも苦笑をしていました。「熱帯の夜は、ほうらこの風だよ、なんて涼しいんだろう。なんで『熱帯夜』なんて呼ぶんだろうねえ、まったく。」

話はがらりと変わります。

香港の面白さはたくさんありますが、その歴史的背景からも、英語と中国語がなんとなく共存していることもそのひとつです。町中でもそうですし、こんなアカデミックな専門誌でもそうです。この「中國法律」と言うけっこうな厚さのジャーナルも、「CHINA LAW」という中英のタイトルのもと、前半が中国語、後半が英語という、みごとなバイリンガル誌です。よくあるように、原語の論文の要約を別の言語で、というのではなく、一字一句きちんと翻訳されて二つの言語で載っているのです。
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そして、また別の面白さは、固有名詞の中国語表記です。たとえば、ここに家人の論文が載っています。もちろん英語で書かれたものです。タイトルは「An Evaluation of the Rotterdam Rules」.

これが中国語のページでは、「鹿特丹規則評析」となります。普通名詞の「規則評析」の方は何となくわかりますけれど、最初の三文字「鹿特丹」がRotterdam、つまりロッテルダムだなんてどうやったってわかるわけがありません。

面白いことに、夫の名前は「托馬斯・舎恩鮑姆」です。ということは、私は「直美・舎恩鮑姆」なのでしょうか。としたらまんざらでもありません。だって、魚扁の字がもらえるなんて、自称「半水棲動物」の身としては嬉しい限りです。欲を言えば、アワビではなく、すいすい泳ぐお魚ならもっとよかったのですが、贅沢は言えません(笑)。

逆もまた面白いのです。英語圏で暮らしていると、時折、会話の中に??と言う言葉が出てきます。そのおおかたは固有名詞です。たとえば初めて、「チアンカイシェック」(シェの部分にアクセントがあります)や、「マオツェトゥン」(トゥの部分にアクセントがあります)という音を聞いた時には、全く持って何のことかわかりませんでした。前後の文脈から何とか憶測をつけられる場合はまだいいのですが、そうでない時は悲しいかな、会話についていけません。

ちなみに、「チアンカイシェック(Chiang Kai-Shek)」は蒋介石、「マオツェトゥン(Mao Tse-tung)」は毛沢東です。漢字がない分、もともとの音から取っているのでしょう。

ところで、これは香港空港の全日空・ユナイテッドラウンジです。
フリーサービスのお食事全部に英語と中国語が並んでいます。
たとえばトマト味の野菜スープなら、、、、
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ぱっと見て先に目に飛び込んでくる方はどちらですか?そして、どちらの方がより早くイメージをつかむことができるでしょうか?

「Garden vegetable soup」より「田園雑菜」の方が塊りとして一瞬に理解できるというところが、漢字の素晴らしさであり、それを享受できるのもまた、漢字文化圏にいる私たちの特権かもしれません。

                       By 池澤ショーエンバウム直美

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本日のグローバルキッチンメニ
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7月15日(日): 火龍果、紅天桃、そして日本桃
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:07| Comment(0) | 言語

2012年07月14日

今年もまた「一日為師 終生為父」 

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「開港してからちょうど13年後の7月6日、九龍半島の西にある国際空港に降り立ちました。キョロキョロと見回して迎えに出てくれているはずの人を探していると、人混みの中から大きな声が届きました。『Professor!』 リュージンでした。そばには小柄な運転手さんが立っています。」

これは1年前に書いたブログの出だしです。そして今年もまた、開港14年の空港で、多少の日付のずれこそあれ、全く同じことが起きました。

リュージンは今年60歳になる、ベイジン生まれの中国人です。文化大革命の後すぐに、思う存分勉強をしたいという夢を叶えるためにアメリカへ渡り、ニューオーリンズにあるロースクールに入学しました。いつかきっと来るその日を夢見て、母国が政情不安の時代には、部屋の隅っこで一枚一枚英単語の辞書をめくっては、頭にたたきこんでいたと言います。学校が閉鎖されると、家が知識を学ぶ場となり、父は息子の将来のための師と転じました。

リュージンは真面目で勤勉な学生だったと夫は言います。いつも礼儀正しくノックをして、まっすぐに立ち、授業でわからなかったことを謙虚に質問をし、与えた課題に一生懸命に取り組んでいた、と言います。

かたやリュージンはこんなことを言います。

「プロフェッサーはいつでも僕を優しく迎え入れてくれた。わからないことには丁寧に説明をしてくれて、僕が知りたいことのすべてを教えてくれた。法律だけならほかにも先生は居たけれど、プロフェッサーはちがった。文学も歴史も政治も、すべて僕の興味につきあってくれた。一度本当にお金に困った時には、『これは君にあげるのではない。貸すだけなのだから君は負担に思ってはいけない。誰が銀行からお金を借りる時に『申し訳ない』などと思うかい?』と助けてくれた。」

そんな二人の師弟関係は、リュージンが祖国でひとかどの人物になった今でも続いています。夫の講演が終わった夜、迎えに来た彼が言いました。

「今日はプロフェッサーが初めて香港に来た時に、一緒に食事をした所に連れて行く。もう30年以上も前のことだから覚えてはいないだろうけれど、僕にとっては忘れられない場所なんだ。」

そうして連れて行かれた思い出の場所が、海に浮かぶフローティングレストランでした。若き青年は、アメリカから来た恩師のために精一杯気張ってこのきらびやかなレストランに案内をしたのでしょう。その心中を思うだにほろりとしますのに、食事が終わって一息ついている最中に、彼がブリーフケースの中から何やら大事そうに取り出した封筒に、また、心揺さぶられることとなりました。

中から出てきたのは、なんとセピア色に変色した一枚の写真でした。32年も前のものです。

「ナオミ、プロフェッサーがどこにいるかわかる?」

私が手に取ろうとすると、「だめ、だめ。これは僕のだいじな宝物なんだから。」と、触らせてくれません。そして彼は、去年と同じようにまた、私のメモ帳にこんな文字を書きました。

「一日為師 終生為父」

「覚えていますか?孔子の言葉です。一日でも師となった者は生涯の父となる。だからプロフェッサーは僕の父です。」

遅ればせながら父子の輪に入れてもらった私は、リュージンによれば彼の「老姉」、そして彼の奥さんのビンとは「姉妹」だそうです。若弟は、頼りない姉のために、いちいち采配を振るいたがります。

「ほら、ナオミ、そこでプロフェッサーと座って写真を撮らなきゃ!」

おかげでめったにない二人並んでの記念写真が残りました。
もちろん、二枚目はリュージンとビンと一緒です。だって、どうやら弟と妹らしいのですから(笑)。

私の「だいじな宝物」になるでしょう。たとえセピア色になろうとも。
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                        By 池澤ショーエンバウム直美

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7月14日(土): 香港でレイニアチェリーに遭遇!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:41| Comment(0) | 香港

2012年07月13日

早起き魚の一日の始まり

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うすいレースのカーテンと
二重になった分厚い遮光性のカーテン
さらにまた それらを覆うように 
ゴールドの繻子のカーテンがついているのですが
どれひとつとして 使ったためしがありません。

夜には 窓の外
ダイヤモンドが散りばめられたような
灯りと一緒に眠ります。

そして朝には 窓の外
少しずつ 少しずつ 明るさを増す
景色の中で目覚めます。 

まだ太陽の昇りきらない6時には
もう8階のプールが開いて
アーリーフィッシュたちが 黙々と泳ぎ始めます。

昼日中のプールのように
申し訳程度に肌を覆った小さな水着で 
日光浴をする人たちもいなければ
声をあげて 水の中で遊び続ける子どもたちもいません。

アーリーフィッシュたちは
みな一様にゴーグルをつけ ひたすら往復を繰り返します。
早朝のプールは 言葉のない世界です。
聞こえるのは 水が跳ねる音と 時折鳥が鳴く音です
そして ここでは私も そんな早起き魚のひとりです。

水をかくたびに からだが前へと進み
時は後ろへ流れます。
その感覚は 歩くよりもずっと鮮明です。
だから私は いつもどこかで泳いでいるのかもしれません。

ひとしきりノルマをこなしたら 
デッキチェアで 日本の新聞を読みます。
読み終わる頃には お日様も少し高くなり
ぬれたからだも、悲しい心も なんとか乾いて
エレベーターは 私を乗せて
今日もまた 新しい日の始まりと 時の移りを知らせます。

Wednesdayは
Thursdayになって
Thursdayは
Fridayになりました。
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                    By 池澤ショーエンバウム直美

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7月12日(木): 香港山寺の精進料理
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:32| Comment(0) | 香港

2012年07月12日

心經簡林というスピリチュアルスポット

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香港には何度も来ていますし、今回の目的だって物見遊山ではないのですが、どうしても行ってみたい所がありました。これまで行ったことがない場所です。友人のリュージンだって、「『大仏様』に行ったら」とは言っても、その先の「『心經簡林(ハートスートラ)に行ったら』とは言ったことがありません。

そこに行くには、まず香港島からランタイ島に渡ります。と言っても、MTRと呼ばれる地下鉄に乗れば、東涌線で終点の東涌駅まで30分。山を見たり海を見たりしながらの路線です。終点で下りれば、すぐにロープウェイの乗り場があります。ここでいかに根気よく順番を待たねばならないかについては、また別の機会に譲りますけれど、とにかくいったん乗り込めば、あとはひたすら高く高く上ること30分の空中移動です。1つのゴンドラに、ドイツ人の家族4人と、中国人のカップル、そして私たちの8人が乗り込みました。

「突然止まったらとうしよう」などと考えてはいけません。地震が起きたらとか、雷が鳴ったらとか、何かの事情で停電したら、などとは思わずに、ゆらゆらと身を委ねなければなりません。いったん覚悟がつけば、素晴らしい景観を楽しめるようになります。

「私、今55階にいるの。」と言ったら、友がスカイプで、「か、考えられない。僕はせいぜい頑張っても15階までだ。」。

そんな高所恐怖症の方には、バスで山を登るという方法もありますので大丈夫。とは言え、だいぶ時間がかかるようですし、酔い止めもいるかもしれませんけれど。

空中ゆらゆらの途中から、はるか遠くの頂に大きなお釈迦様の姿が見え始めます。ゴンドラを下りれば、門前町のような街並みが続き、その先の283段の石段を上がった先に、仏陀様がおわせられます。この大仏様と、それを擁する山上の寺「寶蓮寺」については、またあらためて書きますけれど、今日はそれをすっ飛ばして、私の本当の目的地「心經簡林」にまいります。

中国語で何と読むかはわかりませんけれど、その4つの漢字からあるイメージを抱くことができるのは、同じく漢字文化の私たちの特権です。それは「ハートスートラ(Heart Sutra)」とも呼ばれていますし、「ウィズダムパス(Wisdom Path)」とも呼ばれています。

「ハートスートラ」とはまさに「心經」ですし、「ウィズダムパス」とは「簡林」でしょうか。けれども、読めはしなくとも、私たちはその4文字から、「ハートスートラ」や「ウィズダムパス」という言葉にはないある種の深みを感じることができます。

その4つの漢字が与えるイメージのように、それはまさに「スピリチュアルスポット」と言うにふさわしい場所に、それにふさわしい形で存在していました。その場所に行きつくためには、タロイモやパパイヤ、ジンジャーやマンゴーなどのなつかしい木々や葉の間を抜けていきます。途中、今にも倒れそうに傾いた案山子に出会ったり、廃屋の前を通り過ぎたりしながら辿る道がすでにしてどことなく「スピリチュアル」に感じられるのですから不思議なものです。こんな時には、あちこちで舞い踊る漆黒の蝶でさえ、まるで誰かの魂のようにすら思えてしまいます。

強い陽光を遮るものとてない小道を、あるいは大きく茂った葉が影を作る山道を15分近く歩いたでしょうか。山に囲まれ、遠くに海を臨む一角に突然現れたのは、実に不思議な光景でした。巨大な丸太からできた卒塔婆のようなものが天に向かって立っているのです。いえ、まさに「卒塔婆」かもしれません。だって、そのひとつひとつに「スートラ=経文」が彫られているのですから。その大きさは180センチの家人をはるかに越しています。
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その数は38本、花梨の木に彫られているのは般若心経だと言います。
そしてそれらの卒塔婆が「∞」の字を描くように立てられていると言います。

ここでも、経文の木の間で輪舞をする蝶たちが見られます。数えるほどの人たちしかいない静かな空間で、目を閉じて深く息を吸い込めば、ふと何か大きなものに受け入れられた気がします。そうした感触は、おそらく「そういう場所に行くんだ」というある種の思い込みが作るものだとは思いますけれど、それでもそれは、とても心地のよいものでした

ここで私が祈ったのは、家族でも自分のためでもなく、心を病んでしまったある方のためでした。これと言った宗教があるわけでもないのに、祈り人間の私は、いつでもどこかで祈ってしまいます。今も、明るくなった外の景色に向かって手を合わせ、ここに居られることの感謝と共に、愛する人たちの今日一日の無事を祈ったところです。

ということは、もしかしたら、どこに居ようとそこが私のスピリチュアルスポットなのかもしれません(笑)。
                          By 池澤ショーエンバウム直美

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7月11日(水): ありがたきライチの恵み
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:24| Comment(0) | 香港

2012年07月10日

シャングリラにて

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高い高い天井よりも もっと高く茂った 
ベンガル菩提樹の木が 風に揺れ
精妙に計算された香りに満ちた室内で
グランドピアノとフルートが奏でるのは 
ジムノペディー

こんなところでは 人々は
決して大きな声で しゃべったりはしない

完璧なブリティッシュイングリッシュの美女が
銀のティーポットからそそいでくれる東方美人の 
移り変わる色を見て
移り変わる香りを嗅いで

これは単なるシェルターで
こんなことは続くわけがない
とはわかっていても
それでいい
たとえほんの短い間でも
それでまた 元気になれるのなら

ロビーも 部屋も
どこもかしこも 
濃い紫の 紫陽花と
濃い橙の 極楽鳥花で 彩られて
ここは東洋か 西洋か
北半球だか 南半球だか
そんな不思議空間で わざと私たちを迷わせて
目くらましの世界で 現実を忘れさせる 
シャングリラ

(Island Shangri-La Hong Kongにて)
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                   By 池澤ショーエンバウム直美

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7月9日(月): 女子力でますます素敵な寿司パーティー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:07| Comment(0) | 香港

2012年07月09日

みんなで一緒に暮らしたら

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試写会の招待状が送られてきました。めったに行きませんけれど、これにはとても惹かれます。私が若いときからなんとなく考えてきたことだからです。
とりわけ近年は、友人たちが集まれば、誰彼ともなくこんなことを言い出します。

「いつかう〜んと年を取ったら、みんなで一緒に暮らさない? それぞれの得意分野を出し合って、つかず離れずほどよい距離感で。庭いじりが好きな人も、絵が上手な人も、掃除が得意な人も、整理整頓ならまかせてと言う人も、ピアノ弾きも料理好きも、医者も弁護士も税理士も学者もいるじゃない。みんなが好きな分野でほかのみんなを助けて、みんなが苦手な分野でほかのみんなに助けられ、、、、一人だろうが、夫婦一緒だろうが、そんな風に老後を一緒にゆるゆる楽しく過ごせたらいいよね。」

10月に公開になるというこの映画の題名が、まさにずばり、「みんなで一緒に暮らしたら」です。原題はフランス語で、「Et si on vivait tour ensemble?」です。

ちょっと案内文を読んでみますね。

「人生のエンディング・ライフ、あなたはどう迎えたいですか?

 昔から誕生日を一緒に祝ってきた仲間たち。アルベールとジャンヌ夫婦、ジャンとアニー夫婦。そして一人暮らしのクロード。病が進行していることを知ったジャンヌは、人生の最後をどう過ごすか考え始めていた。夫のアルベールが記憶を失いつつあることも心配の種。

一方、アニーは孫が遊びに来ないことを嘆き、ジャンは高齢を理由にNPO活動を断られる始末。ある日、デート中に発作で倒れたクロードが、息子に老人ホームに入れられるという事件が発生!

自分たちの幸せと自由を守るため、5人は手伝いの青年を雇って、みんなで一緒に暮らすという斬新なアイデアを思いつく。ロカルノ国際映画祭で感動の拍手を浴び、フランス、ドイツで100万人動員の大ヒット。新鋭ステファン・ロブラン監督が、人生で誰もが直面する問題を、緻密な脚本と軽妙な演出で描く。

仲間と笑顔とシャンパンと、
素敵なお家があればいい!
人生の、最高な最後の選択」

「うわーっ、この映画見たい!
 絶対見なきゃ!」

と思うのは、やっぱり私もアレかな、のアレの部分はさておいて(笑)、見たい映画がまたひとつ増えました。
                        By 池澤ショーエンバウム直美

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7月8日(日): 若大将の心意気〜自宅が寿司屋に
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:05| Comment(0) | エイジング

2012年07月07日

香り蜃気楼

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おおかたの花は枯れてしまって雑草に覆われた土の上で、色と形を変えた紫陽花が待っていてくれました。隅っこでは、小さなクチナシの木がひっそりと2輪の花を咲かせています。

清楚な純白の花弁は、紫陽花と同じように、しとしと雨によく似合います。かがんで顔を近づければ、初めてその香りを知った子供の頃と同じ香りがします。胸に深く吸いこめば、まるで蜃気楼のようにいくつかの場面が目の前に立ち上ります。

香りが連れてくる思い出は、美しくせつないものばかりです。いえ、思い出というものは、視覚だろうが聴覚だろうが、おおかたはせつないものかもしれません。なぜならもう二度とそこへ戻ることはできないのですから。

クチナシの香りを嗅ぐたびに、アナスタシアとショーンのことを思い出します。

二人が出会ったのは50年以上も前のギリシャ。アナスタシアはまだ十代の可愛いギリシャ娘、ショーンはなかなか男前のアメリカ空軍将校でした。兵役の途中で立ち寄ったギリシャのアクロポリスの神殿の前で、ショーンはアナスタシアに出会います。そして二人は恋に落ちます。4年後にギリシャの教会であげた結婚式は、二人の人生の本当の始まりであり、同時にアナスタシアにとっては母国ギリシャとの別れの式でもありました。

以来二人は、バージニア州アーリントンの、緑に囲まれた静かな家で暮らしてきました。ところが、祖国への郷愁を胸の奥底に秘めながらも、2人の子供と3人の孫に恵まれて幸せに暮らすアナスタシアを突然の悲劇が襲いました。ショーンが脳卒中で倒れ、左目の視力を失い、動かぬ左半身で車椅子の生活となったのです。


二人の家は、4つのベッドルームと大きな居間を持つ典型的なアメリカの一軒家でした。子供たちが巣立ってしまった後のがらんとした家で、アナスタシアは車椅子のショーンの世話をしていました。私たちに向けられたショーンの顔は、右半分だけが笑顔になります。それでも十分に喜んでいることがわかります。

ガラス張りのサンルームには、太陽をいっぱいに浴びた観葉植物が豊かな緑を繁らせ、壁には冒険家でもあったショーンの写真がたくさん飾られています。キリマンジャロの写真も、アマゾンの写真も、ショーンは右側の顔と左側の顔で一緒に笑っています。

サンルームの外は、大きな木々に囲まれたコーヒー色のウッドデッキです。

「このデッキ、ショーンの手作りなの。素敵でしょう?彼は本当にまめで、いろいろなものを作ってくれた。ショーンが倒れてからは、手入れをすることもできなくなってしまったけれど、それでもちゃんとこの季節になると、彼が植えてくれたガーデニア(クチナシ)の花が咲いてくれるのよ。」

アナスタシアが指さした先には、濃い緑の葉の上で咲く純白のクチナシが2輪ありました。
茎を手にして深く息を吸い込むと、あの懐かしい香りに包まれます。すると、ガラスの向こうの部屋の中で、車椅子のショーンが大きな声を上げました。

「アナスタシア、ガーデニアを一輪、ナオミにあげなさい!」

ショーンは昨年、クチナシの花が咲く前に逝ってしまいました。
1人になったアナスタシアは、今年、祖国ギリシャに戻りました。

香りが、そんな一連の思い出を、蜃気楼のように連れてきます。
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(ショーン、アナスタシアとも仮名を使わせていただきました。)

                       By 池澤ショーエンバウム直美

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7月7日(土): 夏に最適な簡単コールドアボガドスープ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:43| Comment(2) | 友人

2012年07月05日

The Bucket List〜棺桶ではなくバケツなら

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帰りの飛行機の中で見た映画は4本
「ヘルプ〜心がつなぐストーリー」と
「マーガレット・サッチャー〜鉄の女の涙」と
「ALWAYS 三丁目の夕日 ‘64」
そして
「最高の人生の見つけ方」

何ていうグッドタイミング
だってこの映画の原題は「The Bucket List」(バケツリスト)

「あなたのバケットリストはなに?」
そんな問いの意味がわからずにいる私に
みんなが説明してくれたのは
6月初めのパーティーでのこと

「バケットリストとはね、死ぬ前にどうしてもしたいことを言うの。
ほら、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの映画があったじゃない。
余命半年を宣告された二人の男の話。」

モーガン・フリーマン演じるカーターは
歴史学の教授になりたかった夢をあきらめて
45年間も自動車の修理工をしてきた男

入院先の病室で隣り合った男は
ジャック・ニコルソン演じるエドワード
巨万の富を持つ大富豪

「おい、なに書いてるんだ。」とエドワード
「ただのメモだ。」と答えるカーター

そこに書かれていたのはこんなこと

100万ドル稼ぐ
黒人初の大統領になる
見ず知らずの人に親切にする
スカイダイビング
涙が出るほど大笑いをする
荘厳な景色を見る
マスタングに乗る
世界一の美女とキスをする
入れ墨をする、、、、、、、、、、

「リストは単なるたとえとして書いただけだ」
と紙をまるめるカーターに
「いや、できる。俺たちは同じ船に乗ったんだ。」
というエドワード

そして二人は病院を抜け出して
途方もない旅に出る
バケットリストをひとつずつ叶えるための

フランス、エジプト、インド、中国、ネパール、、、、、

アフリカの大草原でジープを走らせながら 
「ライオンは寝ている」を声張り上げて歌う二人の男の
何という笑顔

「すまんがあとは頼む」と最後の息で言うカーターに
エドワードが答える
「ふたりでやらなきゃ意味がない。」

「自分の人生に喜びを見いだせたか。
 他者の人生に喜びをもたらしたか。
 それによって天国の扉が開くかどうかだ。」

これは確か、
あれほど傲慢だったエドワードの言葉

「バケットリスト」
映画の字幕で使われていたのは「棺桶リスト」

棺桶リストを書くのにはまだ抵抗があるけれど
バケットリストなら
書いてみたくなる

http://blog.platies.co.jp/archives/20120605-1.html

                   By 池澤ショーエンバウム直美

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7月5日(木): 本当にクイック〜クイックコーンプディング
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:18| Comment(3) | 本、映画、コンサートなど

2012年07月04日

持つことの重さ 持たぬことの軽さ

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昨日まで3回続けて、アメリカメイン州ポートランドの不動産事情についてお話をしてきました。何もメインに限ったことではなく、おそらくアメリカという国全部について言えると思うのですが、日本との一番の違いは新築の少なさでしょう。

地震が少ないこともあるのでしょうが、基本的には家というものは、手を加えて住み続けるものだと考えられています。ですから、ちょっと目には、ほとんどの家々が、1950年代のアメリカ映画やテレビドラマに出て来るものとさして変わりません。

とは言え、「同じ家に一生は住まない」と言うのも彼らのスタイルです。ですから、上手に手を加え、住みやすくした状態で、次の受け手にバトンを渡すのです。

私の住むアレキサンドリアには、「歴史保存指定」の家々がたくさんあります。築200年を越える家々が、「中は自由に変えてもいいけれど、外観は変えないこと」という約束をきちんと守りながら、幾世代にもわたって住み継がれています。 

趣きの異なる6件の家々を見て回り、さまざまな思いの中で、もう一度私たちの人生について考えました。限られた残りの人生の中で、いったい私たちはどこにどれだけ住むことができるのでしょう。ワシントンと東京を拠点に、世界あちこちへと移動をしなければならない今のようなライフスタイルの中で、さらにもうひとつの拠点を持つことが本当に必要なことでしょうか。

それが家族のため、友人のため、私たちのため、と大義名分を掲げたところで、冷静に考えてみればいったい一年のうちどれほどをそこで過ごせるというのでしょう。物を持つということは、それだけ重荷を背負うことです。壊れれば修理もしなければなりません。それが大切であればあるほど、壊れたらどうしよう、なくなったらどうしよう、何かあったらどうしよう、と、心配事を背負いこまねばなりません。所有するためにはまとまったお金も必要です。

もし仮に宝くじにでも当たったとして、そんなお金があったとしても、持たない自由に身を徹する方がよほど気楽ではないでしょうか。たとえばメイン州の海岸に夏の3か月を住み、そこに家族や友人を迎えるならば、長期滞在用のホテルだって、貸家だってあります。持たない自由があるならば、いろいろな所を転々と渡り歩くこともできます。思いっきり不便な岬の先にだって、人里離れた林の中でだって暮らすことができます。

ワシントンに戻ってから、エージェントのリサとナンシーにそんなことを率直に告げて、もう少し考えさせてもらうことにしました。もう一度、「年々と短くなる残りの人生の幸せ」について話し合わねばなりません。けれどもたぶん私たちは、持つことの重さよりも、持たないことの軽さを選ぶだろうと思います。

オックスフォードで教えていた時代に夫が住んでいた家は、小さくとも、小川に面した心地の良い家でした。春になれば土手が水仙で覆われ、しだれ柳が川面を覆う姿は、イギリスの童話「Wind in the willow」を思わせました。あの時だって十分に話し合い身軽になる道を選んだはずです。

今回の家めぐりはとても面白い経験でした。そして、それは、大切なことを再び思い起こさせるよいきっかけとなりました。
                         By 池澤ショーエンバウム直美

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7月4日(水): ナプキンリングでワシントン夫人の食卓を
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(2) | 暮らしの知恵

2012年07月03日

アメリカ不動産事情3〜おデブ犬が迎えてくれる壮大なお屋敷

さて最終回の今日は、1868年に建てられて、いまなお家族の生活が営まれている大きな家についてです。1868年と言えば、何と明治時代の幕開けの時。けれどもこれだって、今回見て回った物件の中で一番古かったわけではありません。

ですから、びっくりしたのは建てられた年ではありません。
その部屋数と、今なお残る当時の生活様式です。
そしてこの子です。
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初めはいったい何だかわかりませんでした。
まるめた毛布なのか、お掃除道具なのか、豚さんのぬいぐるみなのか、、、、(笑)

実は、太りに太ったパグちゃんでした。
声をかけたら立ち上がって、お部屋をしんどそうに案内してくれました。
私の数少ない特技のひとつは、すぐに犬と仲良くなれることかもしれません。
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おおかたの場合、住んでいる方がいらっしゃらない時に見せてもらいます。
こちらのエージェントが鍵を持っていて、留守宅に入る時もありますし、あちらのエージェントが迎え入れてくれることもあります。あるいはこの家のように、家人は不在でも、ワンちゃんとメイドさんがいることもあります。

玄関を入ってすぐのサロンを抜けた先には食堂と台所と、サンルームがあります。
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2階と3階にはこうした寝室がいくつも並びます。
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庭に面した部屋にはテラスがついています。
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部屋数は11室と記載されていますけれど、実際には、まだ地下に3室、屋根裏部屋が1室ありました。

地下だって十分に広いスペースです。
一つは卓球室。
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もう一つは洗濯やアイロンがけの部屋。
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そして、十分にくつろぐことだって可能なぐらいの作業室があります。
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それら全てを越えてもなお、心に残ることがありました。
歴史の重み、時のはかなさ、、、そんなものがない交ぜになった複雑な思いです。

二階に上る階段も、三階に上る階段も、なぜかほぼ左右対称に2種類が並んでいます。ひとつは美しい絨毯におおわれた階段。もうひとつはただの木の階段です。けれども、地下の作業室へと続く階段も、屋根裏部屋へ続く階段も、殺風景なものがひとつです。
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これだけの大きな家になれば、当然使用人が必要です。つまり、ひとつの階段は家人や客人専用であり、もうひとつは使用人専用なのです。同じ部屋に行くにも、違う階段を上らねばならないということでしょう。

リンカーン大統領のもと、アメリカで正式に奴隷制が廃止されたのは1865年です。とは言え、すぐに全州で実行されたわけではありませんでしたから、この家の階段はもしかしたら、そんな歴史があってのことだったかもしれません。

もうひとつ、全く別の意味で心を打たれたことがあります。
大きなサロンから、食堂を抜けて、サンルームに出る手前の柱に、たくさんの落書きを見つけたのです。

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近づいて見れば、日付らしい数字と、横線、そして名前が書かれています。この大きな家で育った子供たちの成長の記録、「柱の傷はおととしの、、、、」ではなく、「柱の落書きはおととしの、、、、、」なのでしょう。
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成長した子供たちはみな家を出て行き、この家はもしかしたら老夫婦とおデブちゃんのパグ犬だけ。通いのお手伝いさんは、絨毯の階段を上がったり下りたり。

そんなストーリーを勝手に想像しながら、このアメリカの歴史と家族の歴史が刻まれた家を後にする人たちの心を思いめぐらしました。

全てを見てまわったあと、がらんとしたサロンで、この子だけがまん丸の大きな目で私たちを見送ってくれました。なんだか突然せつなくなって、踵を返して抱きにいったら、そのずっしりとした重さにもっとせつなくなりました。
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この家は、地下室と屋根裏を入れれば15室、トイレは6つ。
広さは地下と屋根裏の部分を抜きにして4790スクエアフィート(445平米)、価格は765,000ドル(現在のレートで約6100万円)です。冷房設備はありません。たぶん必要ないでしょう。

メイン州ポートランドの真ん中からもさほど離れていない、静かで洗練された歴史地区にあります。同じ家が左右対称に建っています。右側の家にはすでに「B&B」の看板が立っていました。パグちゃんが番人をしている左側の家の行く末はどうなるのでしょうか。
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                      By 池澤ショーエンバウム直美

(現地のエージェントを通じて、オーナーの方の承諾を得て公開させていただきました。)


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7月3日(火): 「マーサ・ワシントンの食卓」の花
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:25| Comment(2) | アメリカライフ

2012年07月02日

アメリカ不動産事情2〜波止場でカモメと暮らす

永遠の憧れは、窓の向こうは一面の海。
子守唄は波の音。
そんな願いは叶うべくもありませんけれど。
それに海ったってどんな海でもいいわけじゃありませんけれど。
いちおう、「海のそば」あるいは「海が見える所」というカードを出してみました。
夫がもう一枚カードを出しました。「でも便利な所」

すると、リサとナンシー、二人のエージェントが返してきたカードがこれでした。
カスコ湾に面した「Chandler’s Wharf」(チャンドラー波止場)です。
興味半分で見ることになった6件のうち、唯一、年代物ではありません。
1988年に建てられていますから築24年ですけれど、100年以上の建物が当たり前のこの町では、ぴかぴかに新しく見えるほど(笑)。

メイン州ポートランドの賑やかな海岸通りから、直角に海に向かって突き出した一角の、ゲートを抜ければ、広い煉瓦道の両側にタウンハウス形式の家々があります。
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どの家にも庭はない代わりに、ところどころにこうした共用コーナーがあります。
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フェンスの向こうではアヒルの親子がすいすいと泳いでいたりもします。
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家の中に入ってみれば、階段が一階から二階へ、二階から三階へとつながっています。ゆったりと広い古い家を見た後では、随分とコンパクトに感じます。階段自体も幅が狭く、けっこう急勾配ですので老夫婦にはきついかもしれません。粗忽者の私など、急いで上り下りをするうちに、きっと足を滑らします。それでも、昨日ご紹介した「カプセルエレベーターの恐怖」よりはずっとましですが(笑)。
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3階のテラスの下にはヨットが並び、屋根に羽を休めるカモメは慣れたもので、人の気配に驚く素振りも見せません。
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部屋数は5部屋。トイレは3つ。床面積は1755スクエアフィート(163平米)。
ナンシーが言います。「新しいのは小さな所が多くって。」
築24年で新しい? 163平米で小さい?
そんな言葉が面白く響きます。

お値段は42万4990ドルですから、今のレートなら約3400万円。
毎月の管理費は647ドル(約5万円)です。

海のそばというのも、カモメのそば、というのも町なかよりはずっと心穏やかにはなりますが、本心を言えば、たとえどんなに不便でも、こんな海を見ていたい。
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もっと正直に言うならば、こんな所で暮らしたい。
小さな椰子葺きの小屋で、日がな一日海だけを見て。
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By 池澤ショーエンバウム直美


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7月1日(日): 今年の夏のマイブーム@ビール
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:32| Comment(0) | アメリカライフ