2011年07月17日

Meant to be そして亡き母の計らい?

しばらくはこのバナーを置かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
charityconcert_banner.jpg

P7164165.JPGP7164246.JPGP7164189.JPGP7164208.JPGP7164227.JPGP7164228.JPGP7164231.JPG

 もうどう考えても信じられないことが起こりました。一夜たった今でも、あれは夢だったのだろうか、奇跡だったのだろうか、と思うぐらいに混乱しています。

 「ナオミさん、ぜひお連れしたい所があるの。素敵なご夫妻のところに素敵なお仲間が集まってホームパーティーをするの。土佐から直送してもらうたくさんのお魚をさばいて、みんなでおいしいものを食べて、いいお酒を飲んで、ご主人様がやっていらっしゃるバンドのコンサートつき。本当に居心地のよいすばらしいお宅なの。」

 友人からそんなお誘いをいただいたのは、かれこれ1月以上も前のこと。詳しくはお聞きせずに、いつもの乗りで「はいはあい、もちろんおうかがいします。」と、しっかり手帳に書き込んだのでした。

 1時半に渋谷のホームで友人母娘と落ち合って、コトコトしばらく電車に揺られて下り立った先は、東横線の小さな駅です。昔ながらの商店街を抜ければ、「こんな所にこんな場所が!」と、驚くほどに緑したたる静かな池があり、釣り人がパラソルの下でゆっくりと釣り糸を垂れています。

 池の前の石段をトントンと上がれば、葡萄の葉と大きなオリーブの木が涼しい影を作っています。にこやかに迎え入れてくださったご夫妻のなんて暖かい笑顔。そしてすでに台所で働いている若い人たちのなんという手際よさ。一人また一人と集う客人たちのなんという屈託のなさ。気取らず、気負わず、初めての私たちをも旧知の仲間のように打ち解けさせてくれます。

 山小屋のような高い天井には4枚羽の扇風機がゆっくりとまわり、広い木のベランダから見下ろす中庭も、家の中も、慎ましやかな色合いの花にあふれています。ここらへんから、何かとても懐かしく、時空を超えた不思議な感覚にとらわれ始めました。まるで日本ではないような、まるで2011年7月16日ではないような。自分は今、居るべくしてここに居るような、、、、、

 最近時折感じるようになったそうした感覚が、ひとつずつ解明されていくのにはさして時間はかかりませんでした。

 「始めまして、磯です。」
 「池澤です。今日はお招きにあずかりましてありがとうございます。」

 こんな紋切り型の挨拶の後に待っていたことを、いったい誰が予測できたでしょう。
 話のはずみに、私の生まれ故郷の話が出た時のことです。

「横須賀生まれです。」
「えっ、僕も横須賀ですけれど。」
「横須賀高校の出身です。」
「えっ、僕も横高ですけれど」
「小学校は豊島です。」
「えっ、僕も豊島です。」
「実家は上町の○○番地。」
「えっ、僕は上町の○○番地です。魚次郎の向かい側を入った所」
「えっ、私は魚次郎の坂を上った所!」

 魚次郎とは今はなき魚屋さんです。そして話は小さい時に二人とも通っていた「桃の湯」という銭湯になり、角の「長瀬薬局」になり、通学途中の「みのりや」になり「国立病院」になり、、、、、それらのいくつかはもう今はありませんけれど、私たちの思い出の中にはしっかりと生きていたのです。

 驚くのはそれだけではありません。私が旧姓を告げると、彼の顔が一瞬固まりました。と同時に、私の中の古い古い記憶が突然呼び戻されました。そして、この素晴らしいバーティーの主である磯さんは、私より学年が一つ上の「磯君」になりました。

 私が磯君を知っていたのは、亡き母の口からでした。
 一昨年亡くなった母は、よく、「ちょっと磯さんちに行ってくるからね。」と出かけて、帰ってからは、「磯さんちの○○君、早稲田に入ったんですって。えらかったねえ。」「今度、磯さんとね、▽▽へ行くの。」という具合に、しばしば「磯さん」の名前を口にしました。

 結婚をして故郷を離れてからは、もう磯さんの名前を聞くこともなくなってしまいましたが、晩年、揺ら揺らと波に浮かぶように記憶が定かでなくなって、もう外出もできなくなってからは、見舞いに行けばよく、「磯さんちに行かなきゃ」などと言うことがありました。

 磯君のお母様がもう91歳になられたことを知ったのも昨晩のことでした。風が心地よく吹き抜けるベランダから、「ちょっとオフクロに電話をしてみる。」と言って、途中渡された受話器で、「おばさん、シゲ子の長女の直美です。本当に長い間お世話になりました。」と言えば、「ああ、直美ちゃん。元気にしてるの? どうしてそこにいるの?」という、きちんとした返答が帰ってきます。「はい、元気です。今度おばさんに会いに行きますからね、おばさんこそ元気にしていてくださいね。」それ以上はもう涙で声が出ませんでした。

 たまたまふと連れられて、何の事前情報もなしにうかがった先が、同じ場所に住み、同じ学校に通い、母が大好きだった友人の息子さんの家だったなんて、こんなことが起きるものなのでしょうか。

 まだまだいろいろな繋がりがありました。「The Silver Eagles」という6人のバンドメンバーのうちの紅一点、素晴らしいフィドル(バイオリン)を奏でる女性が、なんと私の大学の一年上の先輩でした。学生数も少ない小さな大学です。私たちは幾度となくキャンパスですれ違っていたに違いありません。あるいは一般教養の教室で机を並べていたかもしれません。確実なことは、彼女が属していたオーケストラ部の演奏を、私は学園祭で確かに聞いたことです。

 磯夫妻のたくましい息子さんは、私たちがこの5月に訪れたニューハンプシャーの大学を卒業して、9月からは私たちの弟家族が住むボストンの大学院に進学します。そして彼が大好きで夢中になっているのがギリシャ神話だったのです。清楚なお嬢さんの方はと言えば、一度訪れたギリシャが大好きになって、もう一度行きたいというのが夢だとのこと。
そんな話がザワザワと客人=仲間たちの間にもひろがって、とうとう、「ナオミ&トマスが案内するギリシャツアー」企画まで出されてしまいました(笑)。

 この類まれな心地よい空間で過ごした時間のことは、またあらためて続けます。音楽がこんなにも似合う家というのも、めったにあるものではありません。

 こうした偶然に出会うたびに、いつもあのメロディーが心に鳴り渡ります。

 Made in heaven, made in heaven
 It was all meant to be, yeah
 Made in heaven, made in heaven
 That's what they say    (「Made in Heaven」by “Queen”)
(みんな天国で決められていたこと、みんなそうしてあらかじめ定まっている運命)

 もう一つ付け加えて言えば、これはもしかしたら亡き母の計らい?

――――――――――――――――――――――
グローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku 
7月13日(水):ライチはプルプル今が旬@香港
7月15日(金):一番おいしかったかも?ワンタンメン@香港
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 12:10| Comment(0) | その他メッセージ