2011年07月30日

化学変化をする言葉

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「化学変化」と「物理変化」の違い覚えてます?
いちおう覚えてはいるつもりでも、念のため辞書をひいてみたら、やっぱり記憶していた通りでした。

「化学変化」とは、物質が原始の結合を組み替えて別の物質に変わること
「物理変化」とは、物資の成分は変化せずに、温度、密度などの状態が変化すること。

最近、どちらの変化かしら?と思わず考えてしまうようなことが何度か重なりました。

ケース1:若いお嬢さんのピアニストのライブでのこと、帰り道でたまたまご一緒になったご婦人に言いました。「いいコンサートでしたねえ。でも彼女はまだまだこの先大きく伸びそうですね。」

それが何日かたったあとに、とあるところからまわりまわってこんな情報が飛び込んできたのです。「母が言ってました。○○さんは全然才能がないって。ナオミさんもそう言っていたそうです。」唖然として笑っちゃいました。

ケース2:古い友人が泊まりに来た時に、たまたま亡くなった母の思いで話になって、母の形見の指輪をお見せしました。母が気に入っていた大きなアレキサンドリアです。友がすかさず聞きました。「いくらぐらいするのかしら?」。だいたいにしてそんなこと聞くほうがおかしいのですが。宝石のことなど何にもわからないお馬鹿な私がついつい答えてしまいました。「さあ、2万円だか20万円だか、200万円だか、、、、わからないわ。そんなこと、どうだっていいんじゃない?。」

まわりまわって、とあるところから今度はこんな情報が飛び込んできました。「ナオミさんって、お母様から200万円もする指輪を形見にもらったって自慢してるんですって。」と、当の彼女が言ったとか、言わないとか。これもまた、唖然として笑っちゃいます。

化学も物理も苦手だった私が一生懸命頭をめぐらすに、ケース1の場合もケース2の場合も、物理変化ではなくて化学変化のような気がします。だって、全然そんなこと思ってもいやしませんし、言った覚えもないんですもの。

こうして言葉と言う生物(なまもの)は、時として容易に化学変化または物理変化を起こします。ですから、特に最近の私は、「ダレダレさんがこう言って。」の類はほとん気にせずに、自分の耳で聞き、自分の目でみたことを信じることにしています。そしてもちろん、「ダレダレさんがあなたのことをこう言っていたわよ。」などという言葉も、不用意には口にしないようにしています。

ただし例外はあります。その人を心底信頼している場合には、疑わずにきちんと耳を傾けます。悪口や妬みや愚痴ではなく、良いことを褒め湛えていた場合には、粉飾せずにそのまま相手に伝えます。

化学変化、物理変化を得意とする話し手は、往々にして、「ダレダレさんが、、、、」を引き合いに出します。化学変化にしろ物理変化にしろ、話し手の深層心理が触媒として作用しているようで、それを名探偵シャーロック・ホームズばりに推理するのもなかなか楽しい作業です。第一、そう思えば腹も立たないでしょう?

先週、庭師さんたちに桜の木を剪定してもらったついでに、庭に生い茂っていた雑草や、枯れてしまった木も抜いてもらったら、あまり殺風景な庭になってしまいました。以来、毎日少しずつ色を加えています。今日は深紅と黄色のハイビスカス、そしてブルーサルビアと、ピンクのマンデビラを植えてみました。ハイビスカスは夫の担当です。これだけでも随分気持ちが華やぎます。こちらは素敵な化学変化、いえ物理変化です。


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7月31日(日)予告:本場香港の飲茶ランチ 
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忙しいなんて言わない


RIMG11044.JPGRIMG11046.JPGRIMG11053.JPGRIMG11073.JPG「忙しそうね」などと言われれば、まずは「いえ、全然そんなことありませんよ。」と笑って返すのが常。これには3つの理由があります。ひとつは、「忙しいこと=良いこと」につながる日本文化。つまり一種の良き社交辞令のようなものですから。「ええ、本当にもうめちゃくちゃ忙しくて」などと返せば、おおかたの場合は言った相手もちょっと引いてしまいます。

2つ目は、こちらもだんだんと変わってきて、文字通り「忙しい」生活が性に合わなくなってきたこと。忙しいことは全然嬉しいことではありません。究極の憧れは、読んで、書いて、ぼやっとニコニコの、晴耕雨読生活です。

最後は、たとえ本当に忙しかったとしても、私の忙しさなんてたかが知れているということ。たとえば2人の娘たち、それぞれの生活を考えたって、「よくもまあ」と驚くぐらいに色々なことをこなしながら、あっけらかんとして愚痴ひとつこぼしません。「若いからよ。エネルギーが違うのよ。」などと言う人たちもいますけれど、それにしたって、たとえ若かろうが、彼女たちを知る身にとっては、これしきのことで「忙しい」などと言ったら、バチのひとつも当たろうというものです。

とは言え、ここだけの秘密のつぶやき。今日はちょっと忙しかったかな。いえ、「忙しかった」ではなく「疲れた」かな(笑)。

それを羅列するのも野暮ですけれど、朝8時前に出たと言うのになぜかいつもの道が大渋滞、ワークショップが始まるという10時に間に合わなかったらどうしようと、かなり気をもみながらハンドルを握っていました。実はこういうことがけっこう疲れるのですよね。

帰ってすぐに、今度は急いで着替えてから、待っていた夫を乗せて、ある素晴らしいプログラムの修了式とそれに続くレセプション。

そのどちらも、たくさんの感動があって、いい形で気持ちが揺らいだことも疲れの原因かもしれません。

あろうことか、テレビを見ている夫の横で、ソファに寝そべったまま寝入ってしまいました。こういう時に、絶対に起こさないのが我がパートナーの優しいところ、いえ冷たいところ?気づけばもう深夜。連れ合いはすでに深い眠りの最中。

ガバッと起きて、かなり焦りながらの久しぶりの深夜パソコンです。
開け放した窓から聞こえるのは、木々から落ちる雨の雫の音。冷房など全く必要のない快適な涼しさです。まるで眠るのが惜しいぐらいに。

両方のプログラムについては、書きたいことがたくさんありますけれど後日に譲って、今はただ昼夜それぞれに一つずつ感動言葉を。

昼間のワークショップには2人の車椅子の学生が参加をしてくれました。その一人、鮮やかな緑色のTシャツを着た爽やかな顔(かんばせ)の青年の言葉。子どもの頃から重病を患っている青年です。

「人生のうちでつまらなかったことなど一度もなかった。」

そして、1ヶ月の間、寝食を供にして学びを成し遂げた社会人学生たちの修了式の最後に、二つのスクリーンに投影された言葉。

「The Best is Yet to Come.」 (最善のことはまだまだこれから)

おやすみなさい。今日も一日ありがとう。


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2011年07月27日

テイラーさんの両親の誇り

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毎日、新聞に目を走らせ、テレビのニュースに釘付けになっていた、震災後のワシントンでのことです。3月30日の「ワシントンポスト」の1面と12面に、ある大きな記事が載りました。それは「Stories from a disaster zone〜When the earthquake struck in Ishinomaki, lives were transformed and lost(被災地からの物語〜地震が石巻を襲った時、人生が変わり、失われた)」というタイトルのものでした。

これについてはすでに4月5日のブログでも書かせていただきましたが、あらためてご紹介をさせていただきます。なぜなら、それに引き続く感動的な話をどうしてもお伝えしたいからです。

「リッチモンドから来た24歳の英語教師、テイラー・アンダーソンは、その日もバイクに乗って万石浦小学校へと出勤をした。翌日に控えた卒業式の準備があったからだ。地面はまだ茶色だったけれど、春はすぐそこまで来ていた。天気予報は晩冬の雪を告げていた。太平洋は冷たく、灰色で、穏やかに横たわっていた。その時すでに、海の奥底では人知を超えた巨大な力が動き出そうとしていたのだ。

測り知れないほどに無秩序な揺れの間、大人も子供も机の下にもぐった。そうして身を守ることは、これまで世代を越えて教えられてきた知恵だったからだ。しかし、誰がその後に続くものを予想できただろうか。

テイラー・アンダーソンは、JET(Japan Exchange and Teaching Program)のもとで沿岸の7つの学校を割り当てられて、子供たちに英語を教えていた。彼女が日本にやってきたのは2年半前だった。日本を愛し、日本語を愛し、日本の小説を愛し、太鼓を習い始めたばかりだった。他のアメリカ人の同僚たちとカラオケに繰り出すのが楽しみだった。彼らは自分たちのことを「Ishi crew」(石組)と呼び、多くは同じアパートで暮らしていた。

16万2千人のこの石巻という町は、彼らの第一希望の地ではなかった。東京や仙台に比べれば面白いことも少なそうだった。しかもこの町にはある特殊な匂いがあった。魚を発酵させ、大豆を発酵させる匂いだった。

万石浦の小学校では、アンダーソンと他の教師たちが運動場に生徒を引導し、迎えにきた親たちに引き合わせることに懸命だった。津波警報が鳴り響いた時には、すでに300人の児童たちが立ち去った後だった。けれども、50人の児童がまだ残っていた。

彼らは子供たちを海岸から離れた近くの中学校に移動させることにした。アンダーソンは子供たちを避難させた後、バイクに跳び乗ってエンジンをかけた。

「津波が来る!」という同僚の日本人教師の言葉を、「わかってる!」と日本語で答え、バイクをふかした。アンダーソンはそれを最後に姿を消した。」

これだけだって涙がにじみ出てくるというのに、ついこの間の7月14日、ジャパンタイムズにこんな記事が掲載されていたのです。

「Parents of Virginia tsunami victim set up children’s fund」
(津波の犠牲になった娘の、バージニアに住む両親が、子供たちのための基金を設立した。)

それによれば、震災から4ヵ月後、アンディ・アンダーソンとジーン・アンダーソンは彼らの最愛の24歳の娘、テイラー・アンダーソンの日本での死を悼んで、日本の子供たちのための基金を設立することにした、と言うのです、

「私たちにとって、これは私たちが前へ向かって歩き続け、私たちの娘の名を生き続けさせるためには当然のことなのです。」

日本の子供たちのための基金は、テイラーさんが通っていたバージニア州の高校で設立されました。すでに世界中から700人もの方々が基金に協力し、日本円にして970万円を超える寄付が寄せられていると言います。

「もしテイラーが生きていたら、きっと日本に残って子供たちを助けたことでしょう。彼女の夢は日本とアメリカの架け橋になることでした。私たちが彼女の代わりにその役目を担うことをきっと喜んでいてくれると思います」と、母親のジーンさんが語ります。

世界中から集められた基金は、テイラーさんが東北で教えていた7つの学校に送られます。それだけではありません。何とアンダーソン夫妻は、こんなことまで考えているのです。

「石巻の子供たちを大学に進ませるための奨学金基金をスタートさせたい。娘はきっとそんな私たちの夢を誇りに思うことでしょう。でも、私たちにそうさせる勇気を与えてくれたのは、ほかならならぬ私たちの娘、津波にさらわれたテイラーなのです。娘の心意気は私たちに受け継がれました。」と父親のアンディーさんが言います。

時々思うことがあります。どこの国にも良い所と悪い所があります。でも、たぶんこうした志こそが、開国以来引き継がれてきた良きアメリカのDNAではないかと。


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7月26日(火)奇跡のパーティーの行方これで最後!
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2011年07月26日

ローマの休日 もとい 香港の休日

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思えば「もとい」なんて言う言葉、久しく聞いたことがありません。昔々の高校時代、古文の先生がよく使っていました。言い間違えた時や言い換えたい時に、使うのです。「光源氏もとい薫の君は言いました。」てな具合です。

今日は私も先生にならって、ローマの休日もとい香港の休日です。

思えば香港から帰ってはや2週間。日々の東京での生活に追われている中で、実はまだまだ書き残していることがあります。

今回の香港は、旅行と言うのとはちょっと違ったもの。もともとは「一日為師 終生為父」を実践する、夫の忠実な元学生リュージンがたくらんだものなのですが、夫のほうは大変でした。銀行連合、経済団体、大学、政府の会議などあちこちに引っ張り出されては、金融危機やら環境問題などについての講演とコンサルティングの連続。

リュージンが言いました。そして私が答えました。

「ナオミを一人にしておくわけにいかないから、一緒に来ませんか?」
「いえ、一人で大丈夫。聞いてもどうせチンプンカンプンだし、一人でブラブラ町を歩きたいから。」

すると心配性のリュージンが、なんと自分の会社の運転手付きの車を当てがってしまったのです(笑)。その居心地の悪さときたら、、、、なんせそんなこと慣れてないものですから、どこに行くにもやたら気を使ってしまって、くたくたにくたびれてしまいます。そりゃそうでしょう。人ごみの真ん中に黒塗りのベンツが止まって、運転手さんがうやうやしくドアを開けたら、いったいどこのお嬢様、あるいはマダムが下りてくると思います?

すでにして一日でもうたくさん、と、翌日からはこう言うことにしました。

「私、今日は一人でお部屋で書き物がありますので。」とか、
「今日はプールサイドでのんびりしてますから。」とか(笑)。

かくして手に入れた自由に万歳!
私はすぐに地下鉄の駅に直行し、ガイドブックの地図をぐるぐるまわしながら、雑多な街を幸せいっぱいな気分で歩き回ったのでした。メインロードの間を結ぶ坂道の小さな路地は歓声を上げたいほどに面白く、青空市場には大興奮、物価だって気取ったショッピングモールとはゼロの数が驚くほどに違います。

あろうことか、どこに行くにも必ず持っていく水着を忘れました。ホテルに連結したモールで買おうとしたら、とても手が出る値段ではありません。あきらめかけていたら、なんと露店で見つけた水着が、まさかの300円でした!年甲斐もなく恥ずかしながらのビキニですけれど、この際泳げりゃなんだってかまいません(笑)。もちろん買いました。もちろん泳ぎました。どうせ水の中に入っていれば人様からは見えやしませんもの。

かと思えば、いったいこんな本物の古美術を売ってしまっていいの?と思えるほどに通称ハリウッド通りの骨董屋のすごいこと!隋の時代や唐の時代の仏像や装身具や家具まで、きちんとした証明書付きで売っているんです、

付き添い得で、ずいぶん豪華で美味なるものもいただきましたけれど、一番おいしかったのはやっぱりこれでしょうか。うろうろと歩いた小さな通りで見つけた「麺」という大きな看板。引き戸を開けて入ってみれば、中は満員。もちろん相席。メニューはありません。その代わりにテーブルに漢字がたくさん、数字がたくさん。つまりメニューがテーブルに貼りついているのです。

頼みました、ワンタンメン。よろしかったらどうぞこちらも見てくださいね。
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/0e684b52adcbea72ecbe2d0d915c3b80
値段にして本日のレートで280円!
次に香港に行ったら絶対にまた食べに行きます。

やっぱり私は「ローマの休日」のプリンセスにはなれません。
どこにでも行ける自由、なんでも食べられる自由、ひとり気ままにあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、、、、混み合った食堂の相席に座って、280円のワンタンメンに感激できるほうがずっと幸せ!


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7月21日(木):奇跡のパーティーの行方1 
7月23日(土):奇跡のパーティーの行方2〜土佐編
7月26日(火)予定:奇跡のパーティーの行方これで最後!
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2011年07月24日

素敵なシンフォニー〜13カ国の料理撮影終了!

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 自称も他称もアナログ人間です。かなり時代遅れです。この間も娘に驚かれてしまいました。「ママ、随分長いことパソコンやっているはずだけど、こんなことも知らなかったなんだぁ!」

ですからもちろん携帯だってごく普通のもの。先日やっと新しいのに買い換えましたけれど、「あのお、楽々フォンとかいうのがあるそうですが、どんなのですか?」と聞いたら、お店のお姉さんにきっぱり言われました。

「それはまだお客様には早すぎると思います。ふつうに電話をしたり受けたり、メールを受発信できますよね。」
「は、はい。そのくらいは。」

というわけで、ふつうのゴールドのものを買いました。もちろん世界中のどこにいても使えることだけは基本条件です。ですからまだまだ皆様お持ちのI-phoneとか、smart phoneには縁遠く、時にはリアルタイムの実況中継ブログのひとつもかっこうよく書いてみたいと思うのですが、それもできません。
 
というわけで今日もまた事後報告。

朝の9時に大きな機材をかかえてカメラマンのゲンちゃんがやってきました。そして、次々に到着する女性陣4名。以来私は、階段を上ったり下りたり、家中あちこちの引き出しを探ってみたり、ちょっと添える花がほしければ急ぎ車を走らせたり、カリフラワーが足りないとなれば買いに走ったり、キッチン組に「ナオミさ〜ん!」と呼ばれれば飛んで行き、「こんな感じでどうですかねえ。」とカメラマンに呼ばれればまた飛んで行き、「あの、ナオミさん、このクロス皺が目立つんですが」とコーディネーターに言われればやおらアイロンがけに転じ、、、、、まあまあ忙しい一日でした。それでもなんだか修学旅行の大騒ぎの後のように心浮き立つ疲れです。

今日、あるプロジェクトのための撮影を終えました。一日で13カ国の料理を作りました。と言っても、私は手ぬぐいを首に巻いてあちこち走っているだけで、キッチンでせっせと料理を作ってくれるのは勝手知ったるマツコさんとカズコさんの手際よい二人組。できたものからどんどんと、コーディネーターのユーコさんがお皿を選び、布を選び、小物を選びます。それをカメラマンのゲンさんがパチリパチリ。撮った写真はすぐにパソコンの画面で確認されて、「お皿をもう少し右側に」とか、「花はいらないんじゃない?」とか大親分のヨシさんが言いながら、また何枚も撮り続けます。

素晴らしいチームワークでした。この仲間たちだからこそできたことです。いつだって思います。結局一番楽をしているのは私。いつの時代も、よき仲間たちに支えられ、ありがたい、ありがたいと思いながら、何となく指揮棒を振っているうちに素敵な室内楽あるいはシンフォニーが奏でられます。

それにしても目下のわが家は、床に散乱した物たちと、山のように残ってしまった13カ国料理。今日は一日中、地下の書斎に逼塞していた夫に、今しがたおずおずと言ってきました。

「ごめんなさい。このゴチャゴチャ、明日全部片付けます。今日はとても疲れてしまったの。お夕飯はこのテーブルに乗っているものを食べましょうね。13カ国よ。おいしいわよ。」(笑)

この面白楽しいユニークなプロジェクトは、たぶん秋には形になるはずです。あとは私が頑張ればの話ですが(笑)。気心知れた仲間たちとの仕事は、いつだって、どんなに疲れようと、心が沸き立ちます。嬉しいものです。その反面、どうも気持ちが合わない相手とは1時間でもつらいもの(笑)。


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2011年07月22日

朝の素敵なお客様

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 いつものように朝起きるやいなやパソコンのスイッチを入れて、起動するまでの間にちょっとキッチンにコーヒーを取りに行っていただけなのです。それなのにカップを片手に戻ってみたら、私のPCの上に小さな小さなお客様がいました。それはそれは可愛いカマキリの赤ちゃんです。こんなに小さな子、見たことがありません。

 就職面接の定番質問、「あなたの強みはなんですか?弱みはなんですか?」
 私の限られた強みと、たくさんの弱みを統合してみれば、胸を張って言える「強みにして弱み」がひとつあります。(ま、胸を張るほどのことでもありませんが。)

「はい、私の強みはどんな動物でも虫でも好きになれることです。弱みはそれがたとえ悪い奴でも、可愛そうでやっつけられないことです。」などと言いながら、さすがに蚊ぐらいはたたけますけれど(笑)。

 そんな生き物好きのDNAは、みごとに娘たちにも受け継がれました。彼女たちが子供の頃は、さすがの私も用心をしなければならないほどに、机の引き出しの中には色々なものが棲息していました。たしかイモリをペットにしていた時代もあったように覚えています。私の育児方針はただひとつ。男だから、女だからと言う縛りで好奇心の芽を摘まないことでした。

 だから上の娘の引き出しには色々な昆虫が住んでいましたし、下の娘はトカゲに夢中になりながらも、男の子の中でただ一人、サッカーチーム「ペガサス」でボールを蹴っていました。ある時、チームの男の子たちが集団でやってきて、真剣な顔で私に言いました。「おばちゃん、今日は本当のことを教えてほしいの。○○ちゃんは男なの?女なの?」

 いまだに私の「くくられアレルギー」は続いています。「何だから何」という思い込みは心底苦手です。「男だから」「女だから」「アメリカ人だから」「日本人だから」等々、、、、

 朝一番のお客様は、もう本当に愛らしくて、しばらくPCの上で遊ばせてしまいました。ひとりで慈しむのはもったいなくて、お客を驚かせないようにそっと夫を呼びに行き、「見て見て!」と言ったら、いつもは家の中で虫を見ればすぐに退治しにかかろうとする夫が何と言ったと思います?

「かわいいねえ。マンティスだよ。Praying Mantisと言ってね、これはベネフィシャル・インセクト(益虫)なんだ。ほら、祈る(pray)ような仕草をするだろう?だから、きっといいことが起こるよ。君の願いが叶うかもしれない。」

 加えてこんなことまでも教えてくれました。

「マンティスの語源はね、たぶん古代ギリシャ語で神託をする預言者から来ていると思う。」

 かくして私たちの素敵な朝のお客様は、そっと私の手のひらに乗せられて、夫が開けた庭へ続く窓から、静かに優しく草の上に戻されたのでした。

 めでたし、めでたし。
 でも、いったいあの小さな美しい子はどこから来たのでしょう。謎です。

「地球の並外れた美しさは、生命の輝きに満ち、花びらの一枚一枚に新しい思考をもたらす。美しさに心奪われるとき、それは私たちが本当に生きている唯一のときである。あとはすべて幻想、あるいは忍耐でしかない。」(リチャード・ジェフリーズ)


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2011年07月21日

ゴチャゴチャの机の上からの思い  

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 なんだか急にいろいろなことがいっぺんに押し寄せてきて、ちょっとアップアップです。3月のあの日以来、どうしても書き残しておきたいことができて、そのためには集中してクリエイティブな部分をフル回転させねばならないのですが、そこに持っていくまでには、不器用な私には助走時間が必要です。グルグルと山の麓を歩き回って、目指す頂上の景色を思い描き、そこへ登るための入り口を探さなければなりません。いったん登り始めればしめたものなのですが。

 それなのに目下、全く別な雑多なことにけっこうな時間をとられてしまっています。8月のチャリティーコンサートでもまだまだ細かなツメが必要ですし、皆様へのご案内もあります。そのために出かけることも多くなっています。家族との生活もだいじ、大切な友人たちとの時間もないがしろにできないとなれば、私の小さな頭はまさに大混乱状態です。あっちに手をつけたかと思えばこっちに手をつけ、ますます収拾がつかなくなる状況に陥っています。

 こんな時には感情も脆くなっていて、ちょっとのことに涙が流れたりもします。今日も、気持ちを落ち着けようと読み始めた本の冒頭で、涙が止まらなくなって、これではいけないと、昼日中からお風呂につかって泣くことになりました。

 ちなみにこれは私がよくやる手。水の中ならどんなに泣こうが誰にも怪しまれませんから(笑)。飼っていた猫を亡くした時にも、昼休みになるまでじっと我慢をして、12時になるやいなや、仕事をしていた大学のプールに飛び込んで、ひたすら泣きながら泳ぎました。母が逝ってしまった時にも、近くの区民プールの水の中で泣いていました。

 今日、やられてしまったのは「レーチェル・カーソン」の遺稿集「失われた森」です。私は科学的なことや論理的なことはからっきし駄目なのですが、レーチェルの書くものは、科学を通り越して私の情緒的な部分にまっすぐ訴えてくるのです。今、書き進めているあるものは、彼女の「センス・オブ・ワンダー」がきっかけでした。この小さくて薄い本はきちんとした海洋生物学の本なのに、私にはまるで詩のように優しく、哀しく、叙情的に感じるのです。この本だけは、世界中どこへ行く時にも鞄の中に入れていきます。

 57歳で亡くなったこの女性は、わずか4冊の著書をしかこの世に残しませんでした。そのうちで最も知られたものと言えば、もちろん1962年に書かれた「沈黙の春」でしょう。
今日読み始めた彼女の遺稿集は、著書に収まりきらなかった彼女の原稿を全て集めたものです。

 編者の序文にはこんなことが書かれています。

「1930年代後半から、カーソンは母と姉を経済的に支え、姉が死んだ後には二人の姪を養い、1957年には姪の息子を養子にした。15年間にわたった公務員生活は、自然界での経験を深め、自然保護に積極的にかかわる意志を強めたものの、執筆にあてられる時間は平日の夜と週末の雑事の合間だけに限られた。」

「『われらをめぐる海』の成功で経済的な基盤を得たカーソンは、1952年に職を辞し、ようやく執筆に専念できるようになった。だが、自由な時間を満喫できたのはほんの数年で、まもなく母親が健康を害し、さらに姪のマージョリーが死去したため、遺された五歳の息子ロジャーを育てねばならなくなり、創作のための時間は再びけずられることとなった。

 さらに晩年の五年間は、病気を抱えて、まさに時間との競争だった。彼女は乳がんと闘い、治療の副作用に耐え、『病気のカタログ』と表現したほど矢つぎばやに襲ってくる病魔の攻撃に耐えながら、『沈黙の春』を書きあげ、そのうえ産業界からの批判を受けて闘った。」

 レーチェルは、死ぬ前に少なくともさらに4冊の本の構想を持っていたそうです、子どもと一緒に自然界を探求する本に着手していたとも言います。

 私が今日お風呂で泣いたのは、書きたくて書けなかった彼女の無念さを思ってのことでした。もちろん能力的に書けないというのではなく、書くための思考はすべてそろっていながら、生命の時間が足りなくなってしまった無念さに対してです。

 かたや思い出すのは、アメリカの女性詩人、エミリー・ディキンソンのことです。彼女はその56年の生涯の間、ほとんど故郷のマサチューセッツを出ることもないままに、実に1800篇もの詩を書きました。私は、3ヶ月前の遅い春に彼女の住んでいた家を訪ねました。そこで1時間半のレクチャーを受けて、エミリーという女性詩人の詩と、彼女の生活の一部を知りました。

エミリーの一日は朝起きて、カマドに火を起こし、パンを焼くことから始まりました。そして几帳面に家の中を掃除し、通りを見下ろす小さな部屋の、小さな真四角な机で、毎日詩を書きました。机の引き出しの幅と言ったらほんの50センチぐらいです。そこで彼女は、世界について、そして人の心の中の大きな宇宙について、詩を書き続けたのです。

 もちろんこの私には、レーチェルのような洞察力も文章力もありませんし、エミリーのような美しい言葉を紡ぎだす力もありません。だからと言って、「忙しいから」だとか、「机が散らかっているから」だのと言って、書くことから逃げるわけにはいきません。やはり私は、今、次の世代に向けて、このゴチャゴチャの机の上でどうしても書き残しておきたいことがあるのです。


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7月21日(木):奇跡のパーティーの行方1 
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2011年07月20日

BRAVO シルバーイーグルズ!

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 パーティーが続いて、書く側もちょっと混乱気味ですが、今日は『家がお寿司屋さん』ではなくて、『奇跡の出会い』(http://blog.platies.co.jp/archives/20110717-1.html)の方の続きです。

 実はまたしてもやってしまいました。先方にはまだご連絡していませんので、今頃は、「いったい誰の忘れ物?いまだに言ってこないなんてよっぽど暢気な人ねえ。忘れたことも忘れているのかしら。」とでも思っていらっしゃると思うのです。何を忘れてきたかと言いますと、1に日傘、2に帽子、3にデジカメのケースです。一度に3つも置いてきてしまうなんて、我ながら相当の快挙(笑)。3はともかく、1の日傘は最近買った小ぶりのベージュのお気に入り。2の帽子は髪の毛の隙間からかなり見え始めた地肌を日焼けさせないための夫の必需品(笑)。

 もっとあきれられるのを承知の上で白状すれば、実はまだあるんです。駅に着いたところで、だいじなだいじなメモ帳を置いてきてしまったことに気づいて、電話をしたら、(なぜかこの時は日傘と帽子とデジカメケースのことは頭になかったのです!)、急いで自転車を飛ばして持ってきてくれた好青年の息子さん。ところが、これがまた、よそ様の立派な皮の手帳だったものですから、「す、す、すみません。これじゃあないんです。もう表紙がとれかかっていて、中にめちゃくちゃな字が書いてあるやつです。」と言ったら、「わかりました、ちょっと待っててください!」と、青年はまたしてもまだ暑さの残る宵に自転車を走らせて、ボロボロの私のノートを持って走ってきてくれたのでした。

 繋がっていたいご縁のために、もしかしたら無意識のうちに忘れてきたのかしら?などと考える相変わらずの能天気。けれどもそれは、そう言いたくなるほどに、本当に素敵な集まりだったのです。まずはそこらへんを書いてしまわなければ、「あのお、忘れ物をしまして」などとは言い出せない気がして、、、、

 数々の素晴らしいお料理のことはグローバルキッチンブログ」の方でご紹介することにして、今日お伝えしたいのは、「シルバーイーグルズ」というグループのことです。バンジョーとギターとフィドル(バイオリン)とマンドリンとベースとオートハープの6楽器、6人組のブルーグラスバンドです。「シルバー」という名前から押して知るべし、皆様本当にすてきな60代。とは言えバンド歴はかなりの長さ。6人のうちの3人は学生時代から一緒にバンドを組んでいたというのですから。

 皆さん、リタイアしてからは2週間ごとに集まっては練習をして、今回のようにパーティーで奏でたり、フェスティバルで演奏をしたりしているとのこと。

「ブルーグラス」というちょっと聞きなれないジャンルの音楽は、もともとは1950年代にアメリカ南部を中心として湧き上がったアメリカンルーツミュージックですが、今や全米にファンがいます。

我がパートーナーなども、「僕はカントリーウェスタンは苦手だけど、ブルーグラスは好きだなあ。」とウットリ聞き惚れるぐらい。そしてそのうち手拍子を取り出して、とうとう出ました、「ブラボー!」が。

 パーティーは2ステージ。最初のステージが始まる前のひと時は、キッチンでは高知から直送されたばかりの魚たちを女性陣がさばいたり、煮たり、盛り付けたり。その間に「The Silver Eagles」の面々は思い思いに広い木のバルコニーで自分のパートを練習していたかと思えば、全員中庭に集合して蚊取り線香と一緒にリハーサル。

 素晴らしい演奏でした。そして演奏と同じぐらいに素晴らしかったのは、メンバーの皆さんの粋心でした。皆さんそれぞれに現役時代は各分野でご活躍の方々でしたのに、誰一人過去の栄光を自慢げに語るわけでもなく、「シルバーイーグルス、バンジョー担当の○○です。」ってな具合です。いただいた名刺にだって、よくあるような「元○○」などと書いてあるわけでもないのです。

 ただ一言、「かっこいい!」
 そしてもう一言、「BRAVO!シルバーイーグルズ」

 私もまた、ジャズピアノを始めたくなりました。まだ間に合うでしょうか。

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7月21日(木)予定奇跡のパーティーの行方 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:46| Comment(1) | その他メッセージ

2011年07月19日

競わず張り合わず、心地よく

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 昨日朝一番に飛び込んできた携帯メールは6時52分。内容はと言えば、
「ナオミさん、おはようございます。素晴らしかった!興奮、感動、サッカーで世界一!」

 私はそ知らぬ顔で、「録画しておいてあげたわよ。見る?」
 いつもなら朝の散歩もかねて駅までJAPAN TIMESを買いに行く夫も、昨日ばかりはソワソワと一言、「見る!」。

「結果知りたい?」
「知りたくない。教えないで。」

 というわけで、お昼からのパーティーに備えてガアガアと掃除機をかけまわり、ゴシゴシと床をふきまわり、重い花瓶を落とさないように運んでは花を生ける私の汗水たらしての苦労など、まるで目に入らぬかのように、(ええ、確実に目に入ってはいませんね。掃除機の音も聞こえてはいませんね。)寝起きのままの甚平姿で長い足をソファの上に投げ打って、夢中になってテレビの画面に見入る人。時々聞こえてくる、「Oh My God!」という溜息や、「Great!」「Good Job!」などという叫び声。

 邪魔にならないように合間を見計らって、そっと聞いてみました。
「正直に教えて。あなたはどっちのチームを応援してるの?」
 その答たるや間髪も入れずに、
「もちろんNADESHIKOに決まってるじゃないか!!!」

 私は時間を気にしながらひたすらパーティーの準備です。機械音痴に加えて、スポーツ音痴の私には、いったい決着が付くまでにどれだけの時間がかかるのかもわかりません。もしもこのままお客様が来てしまったらと、甚平姿で毛むくじゃらの足を投げ出しているパーティーの主役であるべき人を横目で見ながら、気が気ではありません。

 幸い、大きな拍手と供に、なにやらメガネを外して目頭を拭いている人は、席を立って自分の部屋に戻って、お客を迎えるべく身支度を始めてくれました。

 お誕生日祝いに家族全員が大集合するというのに、ソワソワするでもなく、神経質にウロウロするでもなく、私が掃き残した床のホコリを指でつまむでもなく、いつものように悠然としているマイペースの人との共同生活にも、もう大分慣れました。あせったりイライラすることをやめて、そんな泰然自若さに慣れてしまえば、それはそれで心地良いもの。「ナオミ、ここ、もう少しきれいにしたら」などとも言わずに、だいたいのことは大雑把に、「部屋がきれいになったね。花もきれいだね。今日はきっといいパーティーになるね。」と言ってくれる人の大らかさ。

 この人と暮すようになってから、なんと言ったらいいのでしょうか、とても楽になりました。大らかさも、それなのにいざと言う時に見せる信じられないほどの集中力も、「自分でコントロールできないことは忘れることさ」という潔さも、知識も、思考力も、論理性も、私がどう頑張ったって真似のできないもの。

 競うことも張り合うことも、全てを放棄してしまえることがこんなに心地良いものだとは、これもまた、年を重ねて教えられた知恵の恵みかもしれません。

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7月19日(火)予定: 奇跡のパーティーの行方 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:51| Comment(0) | パートナーシップ

2011年07月18日

スペシャルな、ヴェリースペシャルな日の幸せ

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 夫のお誕生日は日本で言えば終戦記念日、キリスト教で言えば聖母被昇天の日の8月15日です。何かと理由をつけて集まるのが大好きな私たち家族にとっても、この日は皆で大集合をする日のひとつです。昨年はちょうど夫も東京にいて、たまたま日曜日でしたから、私たちは東京湾を船で揺られながらバースデイランチをしました。

 今年の8月15日は平日の月曜日。しかも、当の本人は翌日には仕事で東京を発たねばなりません。ならば、別の日にやっちゃいましょう!と、全員の都合がついたのが、たまたま今日の祭日でした。

 どうせなら、祝われる本人も、祝う私たちにとっても何か面白い趣向をこらしたい、、、私の500円玉貯金もこの1年でだいぶたまったことだし、、、、というわけで、やっちゃいました。家をお寿司屋さんにしてしまったのです。

 人数は総勢で14名、と言ってもうち2名はワンコですけれど、私たちにとっては2匹ではなく2人と数えたいほどに大切な家族の一員です。
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 パーティー開始時間の1時間前、目黒の「なか村」の若大将が小型のバンで荷物一式を持って登場。
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まあまあ見事な手さばきでわが家の居間がどんどんと寿司屋のカウンターに変わって行きます。持ち込んだネタだって半端じゃありません。大トロ、中トロ、赤身、カツオにシマ鯵、カレイに小柱、帆立にウニにボタン海老にカニ、子持ち昆布に鯖にサンマにコハダに青柳に赤貝、、、、、、大将自らが焼いたという厚焼き玉子にはしっかりと「なか村」の刻印が。
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 全員そろったところでシャンパンで乾杯。3歳から71歳までが一緒にハッピーバースデイなど歌ってから、お花やプレゼントをたくさんいただいた主役は照れながらも一生懸命日本語でご挨拶。あとはもう寿司屋のカウンターに陣取って、好きなものを好きなだけ食べるというパーティー。もちろん12人全員がすわれるわけではありませんから、そこは適宜交代し、譲り合っては第二弾、第三弾と食べまくります。
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 カウンター組ばかりでなく、ソファーグループからだって笑い声が絶えません。その間を3歳の少年と、メリーとクーの2人組がそわそわとあっちへ行ったりこっちへ来たりの大はしゃぎ。幸せな家族絵です。みんなが健康でいて、こうしてみんなで集まれることがどんなに貴重なことか、、、、、
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そんな恵を当たり前だと思ったらバチが当たります。
今年のこの幸せをありがたく、ありがたく感謝しています。

そして大げさですが思います。
いろいろあったけれど、やっぱり生きてきてよかった、そして愛する家族たちと、こうして一緒に生きていくことができたらどんなに幸せだろうかと。
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7月13日(水):ライチはプルプル今が旬@香港
7月15日(金):一番おいしかったかも?ワンタンメン@香港
7月16日(土):パーティーに言ってきまぁす@東京
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:57| Comment(0) | 日記

2011年07月17日

Meant to be そして亡き母の計らい?

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 もうどう考えても信じられないことが起こりました。一夜たった今でも、あれは夢だったのだろうか、奇跡だったのだろうか、と思うぐらいに混乱しています。

 「ナオミさん、ぜひお連れしたい所があるの。素敵なご夫妻のところに素敵なお仲間が集まってホームパーティーをするの。土佐から直送してもらうたくさんのお魚をさばいて、みんなでおいしいものを食べて、いいお酒を飲んで、ご主人様がやっていらっしゃるバンドのコンサートつき。本当に居心地のよいすばらしいお宅なの。」

 友人からそんなお誘いをいただいたのは、かれこれ1月以上も前のこと。詳しくはお聞きせずに、いつもの乗りで「はいはあい、もちろんおうかがいします。」と、しっかり手帳に書き込んだのでした。

 1時半に渋谷のホームで友人母娘と落ち合って、コトコトしばらく電車に揺られて下り立った先は、東横線の小さな駅です。昔ながらの商店街を抜ければ、「こんな所にこんな場所が!」と、驚くほどに緑したたる静かな池があり、釣り人がパラソルの下でゆっくりと釣り糸を垂れています。

 池の前の石段をトントンと上がれば、葡萄の葉と大きなオリーブの木が涼しい影を作っています。にこやかに迎え入れてくださったご夫妻のなんて暖かい笑顔。そしてすでに台所で働いている若い人たちのなんという手際よさ。一人また一人と集う客人たちのなんという屈託のなさ。気取らず、気負わず、初めての私たちをも旧知の仲間のように打ち解けさせてくれます。

 山小屋のような高い天井には4枚羽の扇風機がゆっくりとまわり、広い木のベランダから見下ろす中庭も、家の中も、慎ましやかな色合いの花にあふれています。ここらへんから、何かとても懐かしく、時空を超えた不思議な感覚にとらわれ始めました。まるで日本ではないような、まるで2011年7月16日ではないような。自分は今、居るべくしてここに居るような、、、、、

 最近時折感じるようになったそうした感覚が、ひとつずつ解明されていくのにはさして時間はかかりませんでした。

 「始めまして、磯です。」
 「池澤です。今日はお招きにあずかりましてありがとうございます。」

 こんな紋切り型の挨拶の後に待っていたことを、いったい誰が予測できたでしょう。
 話のはずみに、私の生まれ故郷の話が出た時のことです。

「横須賀生まれです。」
「えっ、僕も横須賀ですけれど。」
「横須賀高校の出身です。」
「えっ、僕も横高ですけれど」
「小学校は豊島です。」
「えっ、僕も豊島です。」
「実家は上町の○○番地。」
「えっ、僕は上町の○○番地です。魚次郎の向かい側を入った所」
「えっ、私は魚次郎の坂を上った所!」

 魚次郎とは今はなき魚屋さんです。そして話は小さい時に二人とも通っていた「桃の湯」という銭湯になり、角の「長瀬薬局」になり、通学途中の「みのりや」になり「国立病院」になり、、、、、それらのいくつかはもう今はありませんけれど、私たちの思い出の中にはしっかりと生きていたのです。

 驚くのはそれだけではありません。私が旧姓を告げると、彼の顔が一瞬固まりました。と同時に、私の中の古い古い記憶が突然呼び戻されました。そして、この素晴らしいバーティーの主である磯さんは、私より学年が一つ上の「磯君」になりました。

 私が磯君を知っていたのは、亡き母の口からでした。
 一昨年亡くなった母は、よく、「ちょっと磯さんちに行ってくるからね。」と出かけて、帰ってからは、「磯さんちの○○君、早稲田に入ったんですって。えらかったねえ。」「今度、磯さんとね、▽▽へ行くの。」という具合に、しばしば「磯さん」の名前を口にしました。

 結婚をして故郷を離れてからは、もう磯さんの名前を聞くこともなくなってしまいましたが、晩年、揺ら揺らと波に浮かぶように記憶が定かでなくなって、もう外出もできなくなってからは、見舞いに行けばよく、「磯さんちに行かなきゃ」などと言うことがありました。

 磯君のお母様がもう91歳になられたことを知ったのも昨晩のことでした。風が心地よく吹き抜けるベランダから、「ちょっとオフクロに電話をしてみる。」と言って、途中渡された受話器で、「おばさん、シゲ子の長女の直美です。本当に長い間お世話になりました。」と言えば、「ああ、直美ちゃん。元気にしてるの? どうしてそこにいるの?」という、きちんとした返答が帰ってきます。「はい、元気です。今度おばさんに会いに行きますからね、おばさんこそ元気にしていてくださいね。」それ以上はもう涙で声が出ませんでした。

 たまたまふと連れられて、何の事前情報もなしにうかがった先が、同じ場所に住み、同じ学校に通い、母が大好きだった友人の息子さんの家だったなんて、こんなことが起きるものなのでしょうか。

 まだまだいろいろな繋がりがありました。「The Silver Eagles」という6人のバンドメンバーのうちの紅一点、素晴らしいフィドル(バイオリン)を奏でる女性が、なんと私の大学の一年上の先輩でした。学生数も少ない小さな大学です。私たちは幾度となくキャンパスですれ違っていたに違いありません。あるいは一般教養の教室で机を並べていたかもしれません。確実なことは、彼女が属していたオーケストラ部の演奏を、私は学園祭で確かに聞いたことです。

 磯夫妻のたくましい息子さんは、私たちがこの5月に訪れたニューハンプシャーの大学を卒業して、9月からは私たちの弟家族が住むボストンの大学院に進学します。そして彼が大好きで夢中になっているのがギリシャ神話だったのです。清楚なお嬢さんの方はと言えば、一度訪れたギリシャが大好きになって、もう一度行きたいというのが夢だとのこと。
そんな話がザワザワと客人=仲間たちの間にもひろがって、とうとう、「ナオミ&トマスが案内するギリシャツアー」企画まで出されてしまいました(笑)。

 この類まれな心地よい空間で過ごした時間のことは、またあらためて続けます。音楽がこんなにも似合う家というのも、めったにあるものではありません。

 こうした偶然に出会うたびに、いつもあのメロディーが心に鳴り渡ります。

 Made in heaven, made in heaven
 It was all meant to be, yeah
 Made in heaven, made in heaven
 That's what they say    (「Made in Heaven」by “Queen”)
(みんな天国で決められていたこと、みんなそうしてあらかじめ定まっている運命)

 もう一つ付け加えて言えば、これはもしかしたら亡き母の計らい?

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7月13日(水):ライチはプルプル今が旬@香港
7月15日(金):一番おいしかったかも?ワンタンメン@香港
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 12:10| Comment(0) | その他メッセージ

2011年07月15日

港北から東北へ〜願いは音にのせて

 ようやくここまで歩いてくることができました。途中、いろいろな挫折がありましたけれど、それでもみんなで一つ一つ乗り越えて、ここまできました。できあがったばかりのポスターとちらしとチケットを持って、昨日、後援をしてくださるギリシャ政府観光局にご挨拶にあがりました。今日も朝からいろいろな方々へ御礼の手紙と共に、ちらしをお送りしています。

 昨夜は、銀座のバー&ダイニングで、出演を快諾してくれた2人のアーチストを引き合わせました。そこまでが企画人の仕事。あとはプロの二人が直接連絡を取り合って、当日へと引っ張っていってくれることでしょう。

 「何を好き好んでこの暑いのに」という声が聞こえてきそうですけれど、それでも今、できることをしないわけにはいきません。たとえ、偽善と言われようが、売名と言われようが、今、二の足を踏んでしまったら、きっと人生最後の時に後悔をするでしょう。

 それに、たとえ偽善だろうと、口ばっかりの自分よりはなんぼかましですし、売れるようなたいそうな名前だってもともとないのですから、気楽なものです。

 ここらへんのあらましは6月最後のブログで書きました。不器用な自分に何ができるかを考えて、無謀にも動き出したことです。でも、今は、かなりいいコンサートになるだろうという自信が出てきました。http://blog.platies.co.jp/archives/20110630-1.html

「港北から東北へ〜願いは音にのせて」は、一人でも多くの皆様の暖かいお心が届くのを待っています。入場料の1500円は、最小限の経費を差し引いた全額を、私たちが直接、陸前高田ボランティアセンターへと届けます。出演者の皆様も、お手伝いをしてくれるスタッフの方々も、みんな手弁当のノーギャラです。それでも、「機会を与えてくれてありがとう。」と言ってくれます。そんな人たちが集まる限り、きっと良いものができるはずです。

 幕開けは地元の港北高校吹奏楽部が元気よく奏でてくれます。途中で現地ボランティアだからこそお伝えできる陸前高田の現地報告も盛り込みます。最後には出演者全員と会場の皆様で一緒に声を合わせて歌います。

 よろしかったらぜひお気持ちを届けてください。チケットの入手方法などはこのバナーからわかるようになっています。どうぞよろしくお願いいたします。このブログのコメント欄からのお申込みも受け付けます。

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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:14| Comment(2) | その他メッセージ

2011年07月14日

あり得ないパークマジック

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 さて昨日の「スカイ100」に続いて、香港の新名所のお話です。まさかこんな所に行くことになるとは思ってもいませんでした。しかも夫と一緒になんて、絶対にあり得ない場所です。だから逆に良かったんです、連れて行かれて。世界が広がりましたもの(笑)。

 物見遊山の旅行ではなく、れっきとした仕事あっての滞在でしたから、おのずと自由時間も限られています。連れ合いが午前中に講演やら会合やらを終えて、ご招待のビジネスランチが終わった後に、リュージンと一緒にホテルに戻ってきます。そこから私たち3人の「大人の遊び」が始まります。

 とは言うものの、、、、、、

「ナオミ、明日はどこに行きたいですか? 一つの候補はちょっと退屈なランタオ島の大仏様、もう一つは絶対に面白いオーシャンパーク。 どちらがいいですか?」

 これは明らかに誘導尋問、もしくは圧迫面接(笑)。本音を言えば、私は巨大な仏像が鎮座するという山上のお寺に行きたかったのですけれど、リュージンをがっかりさせたくなくて、ついつい口が滑りました、「もちろん絶対に面白いオーシャンパークに。」

 それを聞くや彼の顔がパッと輝いて、「そう思ってましたよ。なんたってパンダが見られるんですよ。見たいでしょう?」と来ました。どうして海にパンダ?という素朴な疑問はさておいて、、、

 オーシャンパーク(海洋公園)とは、「アジア最大の海洋公園」と銘打った一大レジャーランドです。麓のエリアと山の上のエリアがケーブルカーで結ばれていて、山の上エリアからは南シナ海が一望のもとに見渡せます。ジャイアントパンダの安安(アンアン)と佳佳(ジアジア)がいるのはもちろん山の麓の「ウォーターフロントエリア」です。
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 正直、気乗りもせずに出かけたパンダ園でしたが、なかなかどうしてエキサイティング。すぐ目の前を大きなパンダがノソリノソリと歩き回ります。居合わせたのはタイミングよく食事の時間です。飼育係りのお兄さんとお姉さんが、隠すように散りばめた果物や筍を探し出しては、こちらを向いて二本足を投げ出してペタリと座ります。そして赤ちゃんのように、両手で持った食べ物をムシャムシャムシャムシャと食べるのです。ガラス窓さえなければ手が届くでしょう。そんな近くで平然と歩いたり、食べたりしているのを見ると、きっと安安と佳佳からは手に手にカメラを持った私たちの姿は見えないように出来ているのでしょうし、いろいろな国の言葉が入り混じっての歓声なども耳には届かない特殊ガラスで守られているのでしょう。

 パンダの一挙手一投足に目を奪われている私の後ろでは、二人の男どもがまた仕事の話など始めていますけれど、かまやしません。存分にパンダ初体験を楽しみました。思えば変に天邪鬼なところがあって、人が騒ぐものにはあえてクールに処したくて、上野のパンダも、ワシントン動物園のパンダも見たことがありませんでした。

 上にも下にもいわゆる絶叫マシーン系の乗り物や、イルカやアシカのショーなど数多くのアトラクションが用意されています。私たちも、ついその場の雰囲気に飲まれて、ほんの一瞬、急流をクルクル回りながら下るラフティングに挑戦しようかという気になりましたけれど、あまりの行列なので止めました。

 あとは再び冷静に戻って、南シナ海を見下ろす展望カフェで長いこと「大人のおしゃべり」を楽しんで、また長い長いロープウェイに揺られて地上に戻りました。
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 一人250ドル(約3千円)の切符を買って、パンダを見て(いえ、私に見せて)、ロープウェイで揺ら揺ら登り、カフェでビールを飲んでアイスクリームを食べて、またロープウェイで揺ら揺ら下っただけでしたが、それでもリュージンはご機嫌です。

「ね、すごいでしょう、オーシャンパーク。これだけの眺めの所はありませんよ。」

 あれ? たしか同じセリフ、「ヴィクトリアピーク」に登った時にも、「スカイ100」に登った時にも言わなかったかしら?(笑)

 とは言え、言ってみる価値はあるかもしれません。何が面白いって、絶対に日本のアミューズメントパークでは見られない色づかいだからです。パンダをまじかに見たい方には特にお勧めです。南シナ海からの風に吹かれてゆっくりまったりカフェやレストランで時間を過ごしたい方にもお勧めです。

 絶叫マシーンに乗ったわけでもないのに、だいぶ心が浮き立っていたようで、まさかの写真を買ってしまいました。こんなこと絶対にあり得ないこと。でも、あり得ないことが起きるのがパークマジック?
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7月12日(火):ANAビジネスクラス7月のメニュー
7月13日(水):ライチはプルプル今が旬@香港
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:00| Comment(0) | その他の国ライフ

2011年07月12日

高く、もっと高く〜香港で一番高い「スカイ100」

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 香港もなかなかの暑さでしたけれども、やっぱり東京の暑さは格別です。じっとしているだけで、というか、じっとするやいなや汗が流れ落ちてきます。南半球も南太平洋も、南アメリカも南欧も、およそ「南」と名が付く所にはずいぶん行きましたけれど、こんな風に汗をかく所はなかったように思います。ハンカチを忘れて出ようものなら大変です。けれどもいったんこの日本の夏に慣れてしまえば便利なもので、おおかたの国の、おおかたの暑さは楽に感じられます。

 香港のことをもう少し続けたいと思います。その昔、香港でまず連れて行かれるのは、極彩色に彩られたタイガーバームガーデン、大きな水上レストランが浮かぶアバディーン、レパルスベイ、そしてヴィクトリアピークでした。

 時が流れて歴史が変わり、人々の嗜好もライフスタイルも変わりました。昔の香港土産と言えば、虎の絵の蓋をまわせば鼻にツンと来る軟膏「タイガーバーム」でしたけれど、あれで巨万の富をなした香港の大富豪「胡文虎」は、もういません。1950年に一般公開されるようになった彼の別荘も、彼の死後は次第に切り売りされて高層マンションへと変わり、とうとう2000年には閉鎖をされてしまいました。

 それではいったい現代の名所はどこなのでしょう。リュージンが私たちを連れて行ったのは、「スカイ100」と「オーシャンパーク」、そして装いも新たな「ヴィクトリアピーク」でした。彼が誇りと共に私たちに見せたかった今の時代の香港です。それらを少しばかりご紹介したいと思います。

 まずは香港で一番高い建物、「スカイ100」。

 今年の4月にオープンしたばかりの、香港一高いビルの展望台です。高さは393メートル。と言うことは、東京タワー展望台の250メートルをしのぐ高さです。最も今や東京には高さ450メートルのスカイツリーがありますけれど。こちらの入館料はスカイツリーよりはだいぶ安値で150ドル(約2千円)。2階から展望台のある100階まではわずか60秒。高速エレベーターの中からは外は全く見えませんし、ほとんど振動も感じませんので、全く上昇している気がしません。

 展望台には「世界の高さ比べ」の大きなイラストがかかっています。香港の「スカイ100」は世界で4番目。もちろん第一位の座に輝くのは、一昨年完成したドバイの「ブルジュ・ドバイ」、829メートルです。

 高く、もっと、もっと高く。
 他より少しでも高く。
 どうやら私たち人間というのは、バベルの塔の時代からちっとも変わらぬようです。

 私自身は別にもっと高い所に上りたいとも思いませんし、自分がいる所が世界で何番目かなどにはほとんど関心もありませんけれど、それでも、393メートルから見る夕日が染める海は、圧巻でした。 

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7月12日(火):ANAビジネスクラス7月のメニュー
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2011年07月11日

一日為師 終生為父

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 朝8時にホテルにやってきたオハイオ州立大学のダン教授夫妻。中国で生まれながら、今では夫妻ともアメリカ国籍を取って、アメリカで暮らしています。それでも故国を愛する気持ちは変わらずに、大学が休みになると故郷の家族のもとに帰ります。今回も中国法の新しいケースブックを書き終えて、コロンバスオハイオからロサンゼルスで乗り換えて、金曜日に上海に帰ってきました。そしてわざわざ私たちに会うために二人で香港に飛んできてくれました。

 ダンは夫の「国際経済法」のCo-author、共著者です。さだめし仕事の話だろうと思いこんでいて、ちょっと遅れて駆けつけたら打ち合わせはとっくに終了しています。結局は私たちの出発直前までなんてことのないおしゃべり。このためにわざわざ?と恐縮していたら、「世話になった人に感謝し、年上の人を敬うのが我々の文化だから。」と、ニューヨークで育って、アメリカで仕事をするダンが言いました。

 いつだって約束の時間より早く来て私たちを待っているリュージンは、昨日も空港へと出発する私たちの姿を見つけて、少年のような笑みを顔いっぱいに浮かべて近づいてきました。ホテルの前にはすでに、ピカピカに磨かれた真っ黒なドイツ車が停まっていて、実直そうなドライバーがやはりニコニコと私たちのために車のドアを開けてくれます。

 男たちの弾丸トークは空港に行く道すがらもずっと続いています。いったい何度あの言葉を聞いたことでしょう。「Yes, Professor!」

 30分で到着した空港でも、広いロビーで荷物のカートを押しながら、まるで後ろから遅れないようについていく私の存在など忘れてしまったかのように二人は話し続けています。小走りで駆け寄って、自分の荷物を取ろうとすると、リュージンに怒られました。

「ナオミは僕の姉さんなんだから。」と言って、たかだか1歳しか違わないくせに、私を「老姉」だと言うのです(笑)。「じゃ、彼は?」と夫のことを聞くと、「もちろん僕のプロフェッサー。そして、、、」と、やおら私のノートとペンをつかむと、書き始めたのがこの言葉でした。

「一日為師 終生為父」

「孔子の言葉です。一日でも師となったものは生涯の父となる。だからプロフェッサーは僕の父。」

 リュージンはまるで小さな子供のように、私たちが手荷物検査を通るまでずっと手を振り続けていました。見えなくなりそうになると飛び上がっては、「ここにいますよ!」と合図をし続けます。振り返れば、満面の笑顔の途中で、時折手の甲で目をぬぐっているのは汗でしょうか、涙でしょうか。たった5日の滞在なのに、いったい何と言う見送り方でしょう。まるで、留学先のカナダの高校に戻るティーンエージャーの娘を見送っていた私のようです。
 
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7月11日(月):スーパーマーケット面白探訪2@香港
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:28| Comment(2) | その他の国ライフ

2011年07月09日

何にもしないという選択肢

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 朝から太陽をたくさん浴びて、たくさん歩いて、たくさん汗もかいて、おまけに見晴らし抜群のカフェで昼間から生ビールなど飲んで帰ってきてしまったものですから、目下、かなりグッタリとではなくマッタリと疲れています。

 夕食に出るまでの制限時間は1時間半。選択肢は3つです。
 水着に着替えて7階まで下りて一泳ぎしてくるか、
 快適なカウチに横たわって一眠りするか、
 期間限定の贅沢な仕事場で、眠気と戦いながら一書きするか。

 ぐでぐでと迷っているうちに時間ばかりが過ぎて、結局そのどれもできそうにありませんけれど、これはこれでまた選択肢の4番目?と思えば、それもまたあり。何にもせず、何にも考えず、ただただぼやっと時間を浪費しているなんて、もしかしたら一番贅沢な選択肢かもしれません。

 ここもまた面白い町です。緩と急、貧と富、動と静、明と暗、新と旧、、、そんないくつもの対をなすものが小さな所に混在しています。いずれまたそんなことも書いてみたいと思います。

 食事の約束時間になってしまいました。何にもできませんでしたけれど、お腹は空きました。出かけます。

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7月5日(火):これが本物バインミー(ベトナムサンド)
7月7日(木):香港最初の夜はアヒル1羽
7月9日(土):HKGスーパーマーケット探訪
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:30| Comment(0) | その他の国ライフ

2011年07月08日

1回、2回、3回、そして4回目のヴィクトリア・ピーク

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 天気予報は今日も晴れ。予想最高気温は33度。湿度は85%です。リュージンの「先週はずっと雨でした。プロフェッサーとナオミのことを考えて、雨が続かないように祈っていました。」と言う願い通りに、こちらに来てからずっと明るい陽射しに恵まれています。

 昨日、男たちが仕事を終えるのを待って、急勾配をトラムで登ったヴィクトリア・ピークからの景色も、光の中で壮観でした。

 一番最初に登ったのは19歳の時でした。ニューギニアでの1ヶ月にわたる調査を終えての帰り道、2人の仲間と一緒に香港に下り立ちました。

 二番目に登ったのは、まだ娘たちが生まれる前のこと。夫と二人の旅でした。
 三番目は女友達との短い旅行。まだあの曲乗りのようなパイロットの技が見られた啓徳空港の時代です。そして今回。

 ほとんど忘れていた思い出の端々が時折よみがえってきたりはしますけれど、まるで新しい経験をしているように感じるのは、この町の変化ばかりではなく、私自身の変化にもよるのでしょう。

 ピークには、昔はなかったいろいろな施設ができています。コンピューター関連の店もあれば、息を呑むような見晴らしのカフェも、日本食のレストランもあります。喉の渇いた私たちは、そのうちの一軒に入りました。「Bubba Gump」(ババ・ガンプ)です。

 今さら言うまでもありませんが、これは1994年の映画「フォレスト・ガンプ」をテーマにしたレストラン。この映画もまた、一昨日下り立った香港国際空港の開港日と同じ7月6日に公開されています。狙ったわけでもないのに、やけに7月6日の偶然が続きます。

 世界中の「ババ・ガンプ」の中で一番高い所にあるのかもしれないヴィクトリア・ピークのその店の黒板にも、これが書いてありました。映画の中のあちこちに散りばめられている、シンプルだけれど、やけに心に残る名言のひとつです。

「Mama always said, life is like a box of chocolates, you never know what you’re gonna get.」(ママがいつも言っていた。人生はチョコレートボックスのようなものだって。どんなチョコを食べるかなんてわかりゃしないんだ。)

 たしかに人生はチョコレートボックスのようなもの。空けて見るまではどんなチョコレートが待っているのかはわかりません。目の前に広がる将来を信じてやたら元気だった19歳の頃には、まさかその数年後に愛する人と二人でピークを登るなどとは、思ってもいませんでした。ましてや、今またこんな風にここに来て、こんな風に登って、こんな風にここにいるなんて、いったい誰が予想をできたでしょう。

 開けられたチョコレートの箱から自分で好きなチョコレートを選んだつもりでも、実はそれを選んだのは気まぐれでも偶然でもなく、あらかじめ定められていたチョコレートなのかもしれません。だとしたら、手にしたチョコレートが、多少好みとちがったっところで、大切においしく食べたいものですね。

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7月5日(火):これが本物バインミー(ベトナムサンド)
7月7日(木):香港最初の夜はアヒル1羽
7月8日(金)予定:スーパーマーケット面白探訪@香港
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2011年07月07日

Yes, Professor!

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 香港最初の朝です。海にせり出すように設計された大きな二面の窓から見えるのは、高いビルたちです。ビルの間に見える山肌は光を集め、磨かれたビルの窓は、よく晴れた青空と流れる雲を映します。ここはパシフィック・プレイスの高層ビル群の一角にあるホテルです。押さえた色調の広い部屋は快適です。昨日午後に到着してから、この23階の部屋が私の住処となりました。窓に面したガラスの机は早速仕事机です。

 開港してからちょうど13年後の7月6日、九龍半島の西にある国際空港に降り立ちました。キョロキョロと見回して迎えに出てくれているはずの人を探していると、人混みの中から大きな声が届きました。

「Professor!!」

 リュージンでした。そばには小柄な運転手が立っています。

 リュージンはもうじき60歳になろうとする、ベイジン生まれのチャイニーズ。文化大革命の後すぐに、思う存分勉強をしたいという夢を叶えるためにアメリカへ渡り、ニューオーリンズにあるロースクールに入学しました。いつかきっと来るその日のために、政情不安の時代には一枚一枚英単語の辞書をめくっては頭にたたきこんでいたと言います。十分に学校で勉強ができなくなると、家が知識を学ぶ学校となり、父はいつか来る息子の将来のための師と転じました。

 リュージンは真面目で勤勉な学生だったと夫は言います。いつも礼儀正しくノックをして、まっすぐに立ち、授業でわからなかったことを謙虚に質問をし、与えた課題に一生懸命に取り組んでいた、と言います。

 かたやリュージンはこんなことを言います。

「プロフェッサーはいつでも僕を優しく迎え入れてくれた。わからないことには丁寧に説明をしてくれて、僕が知りたいことのすべてを教えてくれた。法律だけならほかにも先生は居たけれど、プロフェッサーはちがった。文学も歴史も政治も、すべて僕の興味につきあってくれた。一度本当にお金に困った時には、『これは君にあげるのではない。貸すだけなのだから君は負担に思ってはいけない。誰が銀行からお金を借りる時に『申し訳ない』などと思うかい?』と助けてくれた。」

 そんな二人の師弟関係は、もう30年以上、リュージンが祖国でひとかどの人物になった今でも続いています。大きな会社の幹部となり、たくさんのお金や人を動かす彼が、今でも師を「Professor! Professor!」と呼び、「Yes, Professor!」とピンと背筋を伸ばして答える様は、とても爽やかです。そんな男たちの信頼関係は見るにも聞くにもほのぼのとして、私の知らない30年前の夫の姿をもっともっと聞きたくなります。

 リュージン一家との昨夜の晩餐のテーブルで、次から次へと出てくるお料理に喜びながらも申し訳なく思っている私に、彼がにこやかに言いました。

「ナオミ、どんどん食べて、足りなければなんでも好きなものを注文してください。
僕はまだプロフェッサーに利子を返し終わってないんですから、ナオミも協力してくれないと困ります。ローンの利子を受け取った銀行が『申し訳ない』などと思います?」

 もう少ししたらリュージンがプロフェッサーを迎えに来ます。プロフェッサーがリュージンに連れられて2箇所で講演をこなす間、私は28歳の娘のモンモンと飲茶に行きます。高校から大学院までをアメリカで学び、ベイジンのヘッジファンドで働くモンモンは、私たちのために昨日香港に帰ってきてくれたのです。「Yes, Professor!」が二代目にも受け継がれているなんて、いったいなんというホスピタリティーでしょうか。

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2011年07月05日

言われてよかった朝のできごと 

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 ええ、もちろん私がいけなかったんですけれど、あまりと言えばあまりじゃありません?と、言いたいぐらいにひどい、朝のできごとでした。

 今日はパートナーの東京仕事の初日とあって、講義が始まる30分前には大学に着くようにと早朝に家を出たのです。通いなれた道のはずなのに、久しく走っていなかったせいか、左折するべき三叉路を曲がりそこないました。申し遅れました。私は運転手です。

 ユーターンをするために、いったん右側の空き地に頭を突っ込んで、そろそろとお尻から出ようとしたら軽くコツンと言う音がしたような、しないような。すると、後ろの車から若い男性がとび降りてきました。頭から湯気が立つとはこんなことを言うのかと思うほどに興奮して怒鳴りまくります。声だけだって十分に怖気づかせるような迫力なのに、顔と来たら夜叉のよう。

 こちらも車から降りて、精一杯落ち着いて、丁寧に、
「大変申し訳ありません。お車に傷をつけてしまったでしょうか。」
 男はますます大声で、
「つけたもつけねえもないだろう、あったりまえじゃねえか。どうしてくれるんだよ、この大馬鹿野郎!」
 私はかなりビクビクと、
「どちらでしょうか。」

 ここからが今思い出せば笑ってしまうシーンなのですが、その場にいる身としてはとてもそんな余裕はありません。男は車の左側面を端から端まで何度も何度もチェックをするのですが、美しい新車の表面にはかすり傷ひとつありません。突然決まりが悪くなったのか、ますます威嚇的に、聞くに堪えない罵詈雑言を連呼して脱兎のごとく走り去って行きました。

 「信じられない!」と呟きながら、美容院で広げた女性誌にまさにタイムリーなエッセイが。

「言いたいことを言ったあと、心からスッキリする人って本当にいるのだろうか? むしろ『言わなきゃよかった』と後悔する人の方が多いのじゃないか? それで納得し、すべて丸くおさまるなら話は別だが、何らかの軋轢を生んだ時は言った方も落ち込む。何だか二重の損をした気がするはずなのだ。かつて、思い切って言うべきことを言ったら、何倍にもなって反論が戻ってきて、激しく落ち込んだことがある。やっぱり言わなきゃよかったと。相手に伝える能力がないなら、伝わらない相手なら、言いたいこどなど言うべきじゃないと。」(齋藤薫)

 たしかにそう。言われた方は、「信じられない」と呟き続けるうちにだんだん馬鹿らしくなってきて、そのうち忘れてしまいますけれど、言った方はけっこう根深く残ります。

 我が身に照らし合わせても、思わず言ってしまった「言わなきゃよかった」言葉は、決して忘れることができません。「信じられない」と呟けば呟くほど恥ずかしさも高じて、ますます忘れられなくなります。

 言われる側でよかった!

 明日早朝の便で香港へ飛びます。またしてもこれからドタバタの荷造り。

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7月5日(火):これが本物バインミー(ベトナムサンド)
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2011年07月04日

We have downsized!

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「The Fourth of July」と言えば、日本で言えば建国記念日。歴史の新しさにおいては私たちの国とは比べようもありませんが、1776年の独立宣言を記念して祝われる、アメリカの大きな祭日です。町はパレードやイベントなどのお祭カラーで彩られ、夜ともなれば今度は空が花火で彩られます。私たちの家のサンルームも、窓一面にあざやかな大きな花が咲きます。、

 あれは何年前のことだったでしょう。兄弟姉妹のうちで一番マメな末っ子のドリーから、「独立記念日にみんなで家にご飯食べに来ない?」という誘いがありました。私たちはドリーが作った料理を味わいながら、背筋を伸ばして歴史をなぞりました。

 ドリーは小学校の先生、ラリーは心臓の医者。大学時代に出会った二人が結婚してはや40年。子供に恵まれず養子縁組で縁を得た娘と息子の良き両親として、まじめに一生懸命に働いてきましたが、いつの間にやら親達は亡くなり、子供たちは独立し、気づけば、7つもベッドルームがある大きな家にたった二人になってしまいました。典型的なアメリカ郊外の家ですので、地下から一階へ、一階から中二階へ、中二階から二階へと4層もの垂直運動を繰り返さねばなりません。加えて庭の手入れもあります。3年前に足を痛めて手術をしたラリーには、なかなか大変なことでした。

 いくらガランとしてはいても、私は大好きな家でした。感謝祭には大きな七面鳥を囲むテーブルがあり、クリスマスが近づけば、本物の大きな樅の木が、暖炉の前で私たちを迎え入れてくれました。

 そんなごく典型的な夫婦が、今年に入って大きな決断をしました。これは全てが終わった4月23日に、知人友人たちに彼らから一斉配信されたメールです。子供たちや留学生たちに英語を教えているドリーらしい、実にシンプルで気が利いた表現は、私たち大人の英語の勉強にもなります。

Hi to all,
Well, we have finally done it! We have downsized….sold the townhouse and moved into a much smaller 2 bedroom, 2 bath condo home. Though we had wanted to move closer to DC, it wasn’t in the cards. Here is our new contact info:
Sorry for the mass email, but thought that this would be the most efficient way to communicate. Dory and Larry

(ハイ、みんな。とうとうやりました。住んでいた家を売って、ベッドルームが2つと、トイレが2つのアパートに引っ越しました。以前に比べたらとても小さな家になってしまいましたけれど、これも私たちに必要な「ダウンサイズ」です。できればもう少し都心に近い所にしたかったけれど、ちょっと無理でした。これが新しい住所です。こんな風に一斉配信でごめんなさい。でも、これが一番効率的だと思ったもので。 ドリー&ラリー)

 「ねえ、猫の手ほしくない? 手伝いに行ってあげる。」と、実は私、この記念すべき彼らの「ダウンサイジング」の儀式に立ち会いました。4月3日の日曜日のことです。駆けつけたが最後、猫の手どころか、段ボールに詰めたり、運んだり、床を吹いたり、窓を磨いたりの重労働。

 こんなこと、めったにない機会です。ちょっと写真と共に思い出してみましょう。

 元の大きな一戸建ての家はどこもかしこもこんな状態。
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 できる限り自分たちの車で、行ったり来たり何往復もして運びます。
 その前に、まずは新しく入る家の掃除です。
 テレビの配線をなんとか終えたラリーはすでにくたびれてダウン。RIMG6190.JPG

 私は頑張って掃除機をかけまくります。RIMG6191.JPG

 窓からはこんな風景。木々に囲まれた今までの家とは大違い。RIMG6193.JPG
 
 荷物の大整理をしたとは言え、大から小へのダウンサイジングで全ての物が新居に納まるわけがありません。どうするのだろうと思っていたら、「ここではみんなこうするの」とドリー。車で連れて行かれたのは、家から30分も離れたストレージルームでした。大中小の倉庫がずらりと並んでいます。鍵で扉を開ければ中はかなりのスペースです。
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 すでに運び入れられた物を見れば、息子の自転車、娘が小さい時に遊んでいたオモチャ、祖父母や両親の形見の品々、古い箪笥、もはや不要になったはずのバーベキューコンロ、たくさんのアルバム、書類、、、、、、
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 思い出が心の中にはしまいきれないのは、いずこも同じようです。
 ちなみにこのストレージルーム、毎月の賃貸料は275ドル。

「これからここに毎日来るの?」と意地悪な質問をしてみたら、ラリーが言いました。
「詰め込んじゃったらたぶんしばらくは来ないよ。別に生活に必要なものじゃないからね。」

 それでもどこかに取っておきたいのが私たちの心情。
 今頃二人は新しい小さな家にも落ち着いて、これまでとは全く異なる景色を小さな窓から並んで見ていることでしょう。

 人生のステージ、ステージで住みたい場所が違うのは当たり前。必要なものが違って当たり前。便利な都会に住みたいこともあれば、自然に囲まれた静かな場所で暮らしたいこともある。大きな家が必要なこともあれば、小さな家で十分なこともある。ヤドカリが成長に合わせて殻を変えていくように、私たち人間も、こんなことがもっと気軽にできたらいいのに、と思います。

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