2010年12月31日

どうぞ良いお年を!

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「何ていうきれいなお月様でしょう。夕方から急に冷たい空気が流れ込んで、今年最後の日の冬空が冷たく澄み渡りました。西に面した私の仕事部屋の窓を通して、まあるい月の光が届きます。2009年もあと1時間足らずとなりました。色々なことのあった年でした。何にもない平穏無事な年などあったためしがありませんが、それでも今年はとりわけ、良いことも悪いことも含めて変化の年となりました。」

 これはちょうど1年前、今頃の時間に書いたブログの書き出しです。今年と違うことがあるとすれば、「名残の月」はまあるい姿ではなく、欠けた姿になって夜空のどこかに隠れていることです。庭に出てみたら、星ばかりが輝いていました。

 今年もやはり色々なことのあった、変化の年でした。何もない平穏無事な年などあったためしがありません。でも、一度、失った母を二度と失うことも、失った友を再び失うこともありません。失った物も多々ありますが、それらとていったん失われれば、再び失われることはありません。哀しみは、「あきらめ」と言う形で全てを受け入れることで形を変えていきます。生き続けている限りはそうしたことの連続です。今年もまた、そんなことを思いながら、逝った人たちのことを、今、思っています。

 今年はライフスタイルの変化の中で、自分自身の居場所を模索し、悩みながらここまで歩いてきた1年でした。大切なものは何なのか、それを考え続けてきた1年でした。まだ明解な答が見つかったわけではありません。私は問い続けながら、あと1時間で、境を越えて2011年という新しい年に踏み出します。

 いつも優しく支えてくださった皆様、今年も本当にありがとうございました。
 どうぞ良いお年をお迎えください。

 一人また一人と里帰り組が増えて、この家がだんだんと賑やかになってきました。
 明日の朝には拡大家族が大集合して、おおぜいで新しい年の幕開けを祝います。
 大切な時間です。
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グローバルキッチン http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku (三が日閉店)
12月31日(金):ミラノ風リゾットって?


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:31| Comment(0) | その他メッセージ

2010年12月30日

山あり 谷あり

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「行きつけ」という場所があるとしたら、祖師ヶ谷大蔵の「宿場」です。「行きつけ」になってから、かれこれ20年近く立つかもしれません。これをお読みの皆様の中にも、「ああ、行った、行った」とか、「池澤に連れて行かれた。」という方々もかなりいらっしゃることと思います。

 それほどに、ここは馴染みの場所でした。安くておいしくて、居心地が良くて。。。。
いつ行っても店主の卓ちゃんがカウンターの向こうにいて、どんなに顔なじみになっても「いらっしゃい!」「ありがとうとうございました!」の他には、余計な言葉も話さず、黙々と、それでいて時折こちらを気遣うように視線を向けてくれました。

 ここにくればなぜか安心し、饒舌になったり寡黙になったり、どれだけ笑ったり、どれだけ泣いたりしたことでしょうか。私が連れてきた友人たちは、その後、大方の皆さんが常連さんとなり、そのまた知り合いがまた常連さんとなり、、、、、漣のように人の輪が広がっていく不思議な場所でした。

 東京に戻れば、真っ先にここに来ます。卓ちゃんは、たとえ何ヶ月ぶりでも、「元気でしたか?」とも、「どちらかにいらしてたんですか?」などという質問は一切しません。それがまたここの何ともいえぬ心地よさだったのです。

 早速、今夜も、今年最初で最後の忘年会に行ってきました。いつものように居心地良く食べて飲んで表に出ると、まあまあどうしたことでしょう、卓ちゃんが私たちを追って店の外へ出てきたのです。カウンターから出てきた卓ちゃんを見たのは、もしかしたら初めてだったかもしれません。

「長い間本当にお世話になりました。」と、深々と頭を下げます。そしてまさかの言葉が続きました。

「1月いっぱいで閉店することにしました。経営上のことと、自分のからだのことがあって。」

 相変わらずの「秘すれば花」の卓ちゃんです。こう言っただけでじっとうつむき加減にたたづんでいます。

「おからだ悪かったんですか?」
「はい、かなりまずいところまで来てしまって。でも、いつかまた復帰したいと思います。これが一番自分の好きなことですから。」

 卓ちゃんも涙目になり、私も涙目になりました。そしてこう言うのが精一杯でした。

「長い間本当にありがとうございました。ここのおかげでどんなに助けられたかしれません。よくよくお考えになっての決心でしょう。引き止めることはしません。そのお気持ちを尊重します。そうですか、1月いっぱいですか。じゃ、少しピッチをあげて通いますからね。」
「はい、お待ちしてます。」

引き戸をあけてまた店の中へ戻っていく卓ちゃんの姿が、今までカウンター越しに見ていた人とは同じに思えぬぐらいに小さく見えました。

 帰ってきて、留守中にたまっていた手紙の整理をしていたら、ギリシャの旧友キキからの手紙を見つけました。大輪の花のように華やかで美しく、いつだって幸せいっぱいに見えるキキでした。ギリシャ人と結婚してギリシャで暮らしてもう40年近くたつ彼女は、いまだにPCもさわりませんし、メールもやりません。私たちのコミュニケーションは昔ながらに手書きの手紙です。

 封を開けると、クリスマスカードの間に、あの懐かしい字で書かれた手紙がはさまっていました。久しぶりの便りでした。
  
「キキは苦しい現実の中でがんばっています。主人が倒れて、入院生活はもう10ヶ月になります。冬が過ぎ、春が来て、夏が過ぎ、秋も過ぎ、また冬がやって来ました。退院はいつになるのかわかりません。さすがに私も疲れがでて、この半年の間に腎臓の手術のため2回も入院しました。長女の早産に続き、生まれた赤ん坊のヘルニアの手術、次女はやはりストレスで入院、、、、嘘のような月日が流れておりました。手紙を書く暇もありませんでした。心に余裕がなくなって、人と話すことも、会うことも苦痛の日々でした。でも、心の奥深く、ナオミさんのことはいつも思っていました。あなたがいつも幸せであることを祈っています。」

 宿場から帰ってきて、また私は泣きました。今日はよく泣く日です。

 人生山あり谷あり。月並みな言い方しかできませんが、谷があるから山がある、日が沈むから日がまた昇る、、、、、終わりがあるから始まりがある、、、、、、、

 一足先に里帰りした膝の上のクーちゃんの寝息を聞きながら、こんな何でもない一瞬に感謝をしています。クーちゃん、ほんの5分前まで、お隣の部屋で、トリュフを探す豚さんのように、私がミラノから買ってきたポルチーニ茸を見つけて大興奮。それなのに今は私がこれを書いている膝の上で、いつものように顎を私の左腕にのせて大鼾をかいています。

 クーちゃんも山あり、谷あり。
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12月30日(木):5つ星ホテルのレストラン
12月31日(金)(予告):ミラノ風リゾットって?
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | 日記

2010年12月29日

東京日常の始まり

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 今年も残すところあと2日の今日、超過料金の大荷物で東京に帰ってきました。
 イタリアとの時差は8時間。こちらは夜の11時半ですが、あちらはまだ今日の午後3時半です。

 「そんなに行ったり来たりしていて、時差ぼけとかはないの?」
 と、よく聞かれますけれど、あるような、ないような、ふだんからボケているような(笑)。
 でも、たぶん「ない」と言う方が近いかもしれません。

 コツがあります。とにかく眠かろうがなんだろうが、帰ってきたらすぐに日本の時間に合わせて生活をしてしまうことです。荷物を片付けて、スーツケースとキャリーバッグ、加えて旅行カバンを目に見えない所に早々と隠して、余韻にもひたらず、何食わぬ顔で日常生活を始めることです。

 今日も出かけました。空っぽの冷蔵庫に入れるものを買出しに、そしてPCデポにプリンターのインクを買いに、ご近所へお土産を届けに、預けてあったものを取りに友人の家へ、、、、、
これで本当は泳いでしまえばさらにいいのですが、行きつけのプールは年末でお休みでした。その分、ビールを飲みながら、撮りだめしておいた「竜馬」を1回分見ました。

 本当はかなり寝不足で、かなり疲れているのですが、こうして無理やり「東京日常」に心身をおいています。明日からの日々を生きるための方策です。旅暮らしの余韻には、ここでの生活にランディングできてから、思いっきり浸ります。

 それにしてもそろそろ限界です。
 日付が変わる前に眠りたい(のですが)、、、、、

 若い頃は、旅先から日本に戻るのがいやで、飛行機に乗ったあたりから「帰国ブルー」が始まったものでしたが、最近では何だか嬉しくて嬉しくてたまりません。年とともにだんだんと、この国が好きになってきました。東京暮らしの面白さがわかるようになりました。明日からしばらくは「東京日常」と思うと、鼻歌の1つも歌いたくなります。ここは私のチャージ場所であり、メンテナンスの場所です。そして大切な家族や友人たちと過ごす場であり、仕事の場です。

 おやすみなさい。
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12月29日(水):私たちのクリスマスディナー
12月30日(木)(予告):5つ星ホテルのレストラン
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:50| Comment(0) | 日本ライフ

2010年12月28日

ミラノ最後のコーヒー

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 少しずつ慣れてきているとは言え、1つの「暮らしの形」が終わろうとする時には、ほっとする気持ちと同時に、終わってしまう暮らしへの未練と、遣り残したことへの悔恨が入り混じった、複雑な思いが渦を巻きます。そこに新しく始まる日々への期待と不安が拍車をかけます。とりわけ今回のように、戻ればすぐに新らしい年という時は、そんな思いもなおさらです。

 この3ヶ月で感じたこと、思ったことは、まだまだ書き尽くせてはいません。これからもチョコチョコと書かせていただくことになるでしょう。

 いくら短い間でも、そしてその間に幾多の旅を重ねようとも、1つの国の1つの町に「暮す」ことは、ホテルに泊まりながら旅をし続けるのとは大きな違いがあります。非日常を日常にしなければならない葛藤は、若い時なら楽しめても、もうすでにたくさんの日常を身にまとってきてしまった身にとってはけっこう辛いものがあります。

 自分で選んだ国、選んだ町であるかどうかも、年齢に加えて大きなファクターです。
 それもまた、若いうちなら、自分の意思ではない巡りあわせを楽しむ力もあるでしょう。

 今思えばなぜあんなにもギリシャ暮らしが楽しく、幸せで、完全に満たされていたように思えるのかが不思議です。もう何十年も前に終わってしまったあの「暮らしの形」が、今振り替えっても、長い長い夏休みのような気がするのです。思い出せば、せつないぐらいに心が揺れます。

 それは私たちが自らの意思で選んだ場所であったからでしょうか。
 それは私たちが先を恐れぬ大胆さと、全てを楽しむ若さを持っていたからでしょうか。

 あと2時間でこの家を後にします。

 7時になれば家を出て、近所のパン屋さんまで焼きたてのクロワッサンを買いに行く夫。
 ほどなく聞こえてくるコーヒーが落ちる音と、漂う香り。
 そんな私たちの「暮らしの形」が、もうすぐ終わろうとしています。

 ミラノ最後のコーヒーができあがりました。
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12月27日(火):ロングドライブ 旅の友
12月28日(水)予告:私たちのクリスマスディナー


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:44| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月27日

時は流れ、今私たちはここに

〔まずはマカロンさん、ツトムさん、昨日のルーブルの件についての貴重な情報をありがとうございました。NYタイムズの記事、お教えいただいて大変興味深く読ませていただきました。〕
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 昨日深夜にミラノの家に戻ってきました。バリ空港で車を借りて、9日後にまた同じ場所で車を返し、この間の走行距離、約3千キロ。よく走ったものです。当初のプランでは、何とミラノとの往復まで車でするつもりだったのですから、何という浅はかな!何という大胆不敵な!バリからまたさらに1030キロなんて、とてもではありませんが我々にはもう無理です。

 こんな風にウロウログルグルと動き回っていると、思いもかけなかった情景によく出会います。誰もいないと思って入った山奥の中世の教会で結婚式が行われていたり、ドナウ川岸をJust Marriedのカップルがウェディングドレスとタキシードで歩いていたり、、、、、

 けれども昨日遭遇したのはお葬式の場でした。滞在していたレッチェ(Lecce)のホテルを出て、飛行機の出発時間までの10時間を、私たちはまだ行き残していたエリアをまわることにしました。2時間ほど走った所は、ひときわ高い丘の上に立つ、マルティーナ・フランカ(Martina Franca)という美しい響きの町でした。

 車をとめて、町の中心の広場へと細い道を上っていくと、軍楽隊のように黒い制服を着た男たちが、それぞれの楽器の手入れをしたり、音を合わせたりしています。クリスマスの催しだろうぐらいに思って通り過ぎると、まさに目の前の教会から、花で覆われた棺が担ぎ出されてきたのです。霊柩車でもなく、ごくふつうの車に安置された棺の後を、会葬の人たちが歩きます。それに合わせるように突然鳴り響き出したのが、先ほどの楽隊の「葬送行進曲」でした。

「皆でお祝いをするはずだったクリスマスに、大変だったでしょうね。」とポツリと言えば、
「結婚式と違ってこればかりは時期を選べないからねえ。」と相棒。

 話は変わってクリスマスイブのこと。大ギリシャの栄光を訪ねるルートの途中で、ムロレチェッセ(Muro Leccese)という、さすがのロンリープラネットにも載っていない小さな町を通りました。町というよりは村と呼んだ方がいいでしょうか。そのはずれ、「古代遺跡」の標識に惹かれて、延々と続く畑の間の細い泥道をどこまでも走って行くと、、、、、

 車1台がやっと通れるぐらいの農道です。どこまで見渡しても人の影すらありません。おまけに、途中の標識が倒れていたために、見過ごして奥へと入りすぎました。さすがにおかしいと、元の道を引き返してみれば、草むらの中に倒れた標識が!そこからまたさらに細い道を10分。

 そこにあったのは、先史時代の柱と、かがまなければ覗くこともできないほどの小さな石の室(むろ)でした。

「おそらく4千年から7千年も前の遺跡、誰が住んでいたかは不明、しかしながら比較的大きな集落であったものと思われる。」

 そんな何とも大雑把な説明がイタリア語で書かれています。
 ただそれだけのそんな場所に興味を持って行ってみるなんて、そしてそれがけっこう面白かったりもするのですから、全く我々もとんだ酔狂者です。

「想像がつかない昔から、みんな生きて生活していたのねえ。」とポツリと呟けば、
「How many people died before us, and we are here.」(いったい僕らの前にどれだけの人が死んだのだろう。そして僕らがここにいる。)と相棒。

 時は流れ、命は受け継がれ、今ここに私たちがいます。
 いよいよイタリア最後の日、家の片付けをし、最後の買い物をし、荷造りをし、たくさんの友人たちに会う忙しい一日が始まりました。
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12月27日(月):限りなく出てくるマッセリアランチ



posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:43| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月26日

新と旧をつなぐ橋、持てる者から持たざる者へとつなぐ箱

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 静かなクリスマスの後の、静かな朝が明けようとしています。
 今日26日は、ここイタリアでは「聖ステファノの日」と呼ばれる祝日ですが、多くは「ボクシング・デイ」と呼ばれている、クリスマスに続く祝日です。

 元々は、貧しい人たちのために教会が募った募金箱=ボックスを開ける日であったことから、こんな名前がついたようです。アメリカでもギリシャでも、今日は大売出しのバーゲンセール。
これもまた、「貧しい人々に贈り物を」から来ているのでしょうか(笑)。

 さてさて、ここイタリアの祝日がどんな風なのかはまだ未体験。何しろまだ朝も空けてないのですから。またいずれ御報告いたしましょう。
 
 ここプーリアはギリシャとは距離的に近いせいもあり、古代ギリシャの影を残す場所がたくさんあります。踵の内側の一番高い部分と言ったらいいでしょうか、イオニア海側のターラントもその1つです。「マーニャ・グレーチャ」と呼ばれる「大ギリシャ」の中心地としての創建の歴史は古く、紀元前8世紀の古きにまで遡るといいます。古代ギリシャの人たちが住んでいた住居はすでに地下に埋没し、今では目にすることはできませんが、出土した大量の遺品は国立考古学博物館で見ることができます。

 この時期の美術館、しかもこんな、あまり名の知れぬ町の美術館は、いつ訪れようがまず人に出会うことがありません。いわば美術館まるごと借りきり状態という贅沢を味わえます。ターラントの考古学博物館もそうでした。何をどんな順番でどう見ようと、心惹かれた展示物の前でどれだけ足を留めていようが全く自由です。

 さしたる解説もあるわけでもなく、やけに素人っぽい美術館でしたが、この、気取らずにウインドーショッピングをするような軽い感じが楽しくて、そこここで随分とたたずんでしまいました。心惹かれるのは、小さな装身具です。精密な細工やデザインは、今の時代にだって見劣りはしないでしょう。イアリングやティアラや首飾り、、、、地面の下に幾世紀もの間眠っていたそれらの物が、紀元前3世紀から4世紀の間に作られたなんて、どうやって信じたらいいのでしょう。どんな男やどんな女たちが、どんな思いで、これらの美しい物を身につけていたのでしょう。

 タラントは新市街と旧市街が橋で結ばれています。新市街は新しいビルが建ち、拡大し続け、ギリシャの植民都市としての繁栄がそこから始まったという旧市街は、今にも壊れそうな建物がうねる路地にひしめいています。薄暗い路地には、荒廃し続けるもの独特の匂いが漂います。

 歩けばものの2〜3分で渡れるような橋一本で繋がりながらも、どんどんとこの2つは離れていくいのです。橋の真ん中に立って、前と後を交互に見ながら、これもまた長い歴史の一コマと呟く横を、白い犬のリードを引き、まるまる太った虎猫をひょいと肩に乗せて、男が一人、旧から新へと急ぎ足で歩いて行きました。

 ところで、持っている者が持っていない者へと心を届けるボクシングデーに、1週間前の新聞記事を思い出しました。12月18日付けの「International Herald Tribune」の隅っこに見つけた小さな小さなものです。

 パリのルーブル美術館が、ルネサンス期のドイツの画家の絵画を購入する資金が足りず、インターネットで不足分を補うための寄付を一般の人々から募ったところ、1ヶ月あまりで目標額の100万ユーロ(約1億1千万円)に達したというのです。寄付はもちろん、コーヒー1杯を我慢するぐらいの小口から、その何倍の大口まであったそうですが、自分が所有するためのものでもない一枚の絵画のために、無数の人たちが1杯のコーヒーを我慢したとというのは、暗いニュースばかりの紙面の中で、心にぽっと灯をともしました。

 ところがちょっとしたミステリーが、、、
 切り抜いたはずの新聞記事があまりに小さくて行方不明になってしまい、ちょっとネットで調べてみたら、この関連の記事が全部削除されているのです。いったい何があったのでしょう。
どなたかごぞんじでしたらお教えください。

 さて、とうとうプーリア最後の日となりました。車に荷物を積み込み、途中の町や村に寄りながら、バリ空港へと向かいます。ミラノ行きの飛行機は19時10分発。たっぷりとうろつく時間があります。
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12月27日(月):限りなく出てくるマッセリアランチ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:27| Comment(1) | イタリアライフ

ギリシャへの望郷〜続き

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 賑やかなお祭のような日本のクリスマスと違って、本家本元キリスト教の国のクリスマスは、どこも本当に静かです。お店もレストランもシャッターを下ろしている所がほとんどで、ふだんは人であふれてかえっている広場も閑散としています。年中無休のマクドナルドだって、いつもは10時から開店するのが、今日は夕方の5時から。ふだんはバラバラに暮らしている家族が集まって、広場が家の中に移るからでしょうか。

 ギリシャに暮らしていた時も、一番寂しいのはクリスマスでした。外からやってきた者には、明るい光と賑やかな華やぎにあふれた家族大集合の場は縁がなく、ひっそりと静まり返った町で妙に孤独な思いに駆られたものでした。

 クリスマスは道路もガラガラ。おかげで予定よりも随分と早く、プーリアの先っぽを一周することができました。窓からさしこむ陽射しを浴びて、私たちは、どこまでも続く海を右手に見ながら、ひたすら車を走らせました。先っぽの小さな町レフカの展望台に上れば、眼下に見える眩しい海は右側がイオニア海、左側がアドリア海です。どこからと境界線が引かれているわけでもないのに、心なしか海の色が違います。

 レッツェのホテルに戻ってみたら、部屋のバルコニーから見える空は、まだこんなに明るく輝いていました。

 さて、ここからは尻切れトンボになってしまった今朝の話の続きです。

 毎日車を走らせては、かなり辺境の地までを訪れています。たとえば、昨日は、Ortlanto→Muro Leccesse→Garatina。こうなるともう日本のガイドブックはまるで役に立たなくなります。頼るのはいつも、ブルーガイドとロンリープラネットです。この2つは、写真もなく字ばっかりですけれど、かなり役に立ちます。英語を読むのにあまり抵抗がなければ、絶対にお勧めです。加えて、現地で手に入れるイタリア語の本が、この2つでも網羅しきれない所を指南してくれます。もちろんこれを読むのは夫の仕事です(笑)。

 ここ、長靴の踵、プーリア州の中でも、サレンティーネ(Salentine)と呼ばれるこの一帯には、ギリシャの影響を深く受けている町がたくさんあります。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)が南イタリアを支配し始めた4世紀の時代から、ギリシャの文化は人々の日々の生活の中に浸透し、1453年にビザンチンがオスマン帝国によって滅ぼされた後でさえ、17世紀に至るまでその文化を継承し続けました。今日でさえ、一部の地域では、ギリシャの伝統、民話などの名残が見られ、ギリシャ語が方言の中に残っていると言います。

 上にあげた3つは、そんなギリシャの傘の下にあった町でした。とりわけGaratinaにいたっては、ロンリープラネットにこんな風に書かれているのです。いったい誰がこの誘惑に抗えましょうか。

Nowhere is the Salentine’s Greek past so evident than in the town of Galatina.
ガラティナ以上にギリシャの過去を顕著にとどめている町が、サレンティーネにあろうか。

 誘惑に導かれ、たどりついたその町は、、、、、
 全く何にも、全くどこにもギリシャの香りもせず、誰もギリシャ語など話さず、どこにもギリシャ文字も見つからないごく平凡な町でした(笑)。

 けれども、大きな落胆を補うにあまりある物がひとつあったのです。「Basilica Di Santa Caterina」という、聖女カテリーナをまつった教会です。一歩足を踏み入れて、目が薄暗闇に慣れてくるや、息を呑むような光景が待っていたのです。

 ステンドグラスなど何もないシンプルな窓、赤茶色のシンプルな床。それなのに、壁面と天井にはすき間なく絵が描かれています。両側2つの側面は、4つのアーチとそれを支える大きな円柱が1本、そしてその左右の3本ずつの細い円柱でできています。

 全てが残っているわけではなく、紋様も色もはがれて白い肌をむき出しにしている部分もある中で、描かれた花々は完璧な調和と色彩で、円柱を優雅に流れています。私の好きな抑えた青と赤、そして地色の茶。どこかウイリアム・モリスのパターンにも似ています。

 壁面は、おそらく文字を読めない人たちのために描かれたであろう創世記の場面、キリストや聖女キャサリンの一生が描かれた場面。小さな窓からしか光は届かず、蝋燭の炎だけが揺れる中で、クリスマスイブだというのに、私たちのほかには小一時間も前からうつむいて祈る老人が一人いるだけ。音楽も靴音も、何もない静寂です。

 この圧倒的な美しさを写真で残すことができたら、と思いながらも、入り口には「写真はご遠慮ください。」と書かれた紙が、、、、たとえ誰も見ている人がいなくても、この言葉を忠実に守ることもまた与えられた感動への感謝だろうと、情景をひたすら頭の中に焼き付けるようにしました。不思議なもので、そうなればなったで、カメラに頼っていた時よりもずっと鮮明に頭の中に焼きつきます。

 14世紀後半、この美しい教会が建てられた由来がまた面白いのです。聖女カテリーナを崇拝する男が、エジプトはアレキサンドリアの砂漠の中の修道院でその遺体を見つけ、喜びのあまり接吻をして彼女の指を持ち返り、それを安置する場所として建立したのがこの教会だったのです。

 ギリシャへの望郷にいざなわれ、まさかと思う場所で出会った予期せぬ感動でした。こうしたことが旅の面白さのひとつです。

 ところで、このホテルのまん前のサンタクローチェ教会の、昨日までは空っぽだった場所に、今朝行ってみたら幼子が誕生していました(笑)。クリスマスです。

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12月23日(木):今年最後のオリーブの収穫
12月24日(金):クリスマスのお菓子

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:26| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月25日

ギリシャへの望郷

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 ミラノから国内線の飛行機で南イタリア、プーリア州のバリ空港に下り立ったのがちょうど1週間前の土曜日のこと。予約していたレンタカーに乗り込んで、アドリア海沿いの美しい町トラニで4日を過ごした後、さらに南下して、ここレッツェに来て3日目の朝を迎えました。

 トラニのホテルの窓から見えた海の風景とはガラリと異なり、ここはサンタクローチェ聖堂の真正面です。部屋から、パーティーでもできそうな広いバルコニーに出てみれば、16世紀の聖堂を左まじかに臨むことができます。さきほど撮ったばかりの朝焼けの聖堂の写真をお送りします。

 トラニからレッツェまで南下する途中で、ブリンディシという町に寄りました。アッピア街道の最終点の港町です。古代ローマ時代から貿易が盛んであったため、様々な文化が入り混じってきた面白い所です。

 ここにはちょっとした思い入れがありました。実は昔から、ここはギリシャとの間を結ぶフェリーが出る港として知られていたのです。ギリシャに住んで、日本大使館で仕事をしていた頃はよく、ブリンディシから船に乗り込んで、途中コルフ島に寄って、長い時間をかけてギリシャ本土に上陸したバックパッカーの青年たちと、カウンター越しに話し込んだものでした。彼らの背中には、無防備で自由な翼がはえていました。
 
 点と点を繋ぐだけの空の移動と違って、面を移動する船旅や列車の旅は、この時代になってもやはりロマンがあります。あるいはこの時代だからこそ、いっそうのロマンと言い換えた方が適切かもしれません。船着場に立って、チケットオフィスの看板に「ギリシャ行きの切符はこちら」などと書いてあるのを見れば、望郷と共に、叶えられなかったロマンがよみがえります。

 すみません、時間切れ。アドリア海とイオニア海の出会う先端の町まで出発しなければなりません。この続きは帰ってきてから必ず、、、お話したい感動がたくさんあります。
 
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12月23日(木):今年最後のオリーブの収穫
12月24日(金):クリスマスのお菓子
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2010年12月24日

メリークリスマス〜どうぞ優しい時間を

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 クリスマスと言えば、サンタさん。
 2歳7ヶ月の東京の孫息子も、日に日におしゃべりが上手になって、「サンタさん、なにいろかなー ピンクかなー 赤かなー 青かなー」と、サンタさんの到来を待ち望んでいるようです。

 サンタさんの本当の名は、セント・ニコラオス。ギリシャではアギオス・ニコラオス、ここイタリアではサン・ニコラと呼ばれています。セントもアギオスもサンもみんな「聖」。つまり聖人です。小アジアのパタラで生まれ、シリアのミラの堂に遺体が葬られましたが、その遺骨は今では、このプーリアの玄関口、バリの旧市街にある、その名もずばりサン・ニコラ教会に安置されています。

そんな聖人様がなぜサンタさんになったのかと言えば。。。。。

 その昔、ある貧しい家族に3人の娘がおりました。持参金もなく、嫁がせることもできないままでおりましたが、それを知ったニコラオスが、真夜中にそっと訪れて、屋根の上の煙突から金貨を投げ入れたのです。金貨はたまたま暖炉に下げられていた靴下の中に入りました。このプレゼントのおかげで、貧しい3人の娘は身売りをせずに、結婚をすることができました。
 めでたし、めでたし。

 聖ニコラオスの遺骨が安置されるバリのサン・ニコラ教会は、迷路のような旧市街の路地を抜けた先。今でも世界中からたくさんの巡礼者を迎え入れている美しいロマネスク様式の教会です。
巡礼者ばかりでなく、各地から、ごく普通の人々が、この教会に眠るサンタさんに、スペシャルギフトのお願いにやって来ます。

 私たちがバリに下り立ったのは18日の土曜日のことでした。サン・ニコラ教会では、まさに結婚式の真っ最中。こちらに背中を向けて並んですわる新郎新婦に、司祭が朗々と説教をしています。前の方の座席に座っているのは親族や友人たちでしょうか。けれども、面白いことに、何の縁もない私たちでさえ、後ろの席にすわって一緒に新郎新婦の幸せな前途を祈ることができるのです。教会の扉は開け放たれています。

 クリスマスはやはり特別な日。世界のどこにいても、とりわけ優しく、とりわけ大きな愛とともに、大切な人たちを思います。そしてたくさんの思い出がよみがえります。

 子供の頃、一生懸命貯めた豚の貯金箱を開けて、180円を握り締め、近くのパン屋さんに一番小さなデコレーションケーキを買いに走ったクリスマスの日。父と母と祖母と妹をびっくりさせたくて、小さなケーキの箱が揺れないようにしっかりかかえて、家路を急ぎました。

 娘たちが生まれてからは、一日一日アドベントカレンダーの小窓を明けては、一緒にその日を待ちました。そして、深夜、眠る娘たちの枕元にそっとプレゼントの包みを置きました。

 長年仕事をしてきた大学を去ることを決めた時、「これが最後」と見あげたチャペルの前の大きなクリスマスツリーは、いつもよりも随分大きく見えました。

 そしてちょうど1年前、4年間の仕事の拠点であった銀座のオフィスを片付けて、仲間たちと最後の扉を閉めて外に出れば、ミキモトの大きなツリーが道行く人々に光を投げかけていました。

 Merry Christmas!
 どうぞ皆様の上に、優しい、すてきな時間が流れますように。(プーリア州Lecceにて)
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12月24日(金):メリークリスマス!〜クリスマスのお菓子


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2010年12月23日

アグリツーリズモという素敵な暮らし旅

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 まだどこかに甘えん坊の顔が残る青年、アウグスティーノと出会ったのは、本当にふとした縁からでした。それがどんどんと繋がって、偶然が偶然を呼び、プーリアの田園地帯の真ん中の見晴らす限りの広大なオリーブの林で、今年最後のオリーブの収穫作業に立ち会うことになったのです。

 縁をつないでくれたネリーナとの出会いも、また縁によるものでした。これまでもこのブログにもたびたび登場した我が友、ネリーナはミラノ大学法学部の教授。一目見、一言言葉を交わせば忘れられないほどの強烈な個性の持ち主。今では女同士、何でも話し合える友となったネリーナは元はと言えば、夫の長年の仕事仲間でした。忙しい中でも、友人や学生を自宅に招いては料理の腕をふるいます。一言で言えば、「面倒見のいい肝っ玉かあさん」と言ったところでしょうか。

 ミラノ暮らしの間に、私たちも何度も彼女の家で、食べ、飲み、しゃべり、笑いころげ、時にはしんみりと語り合いました。息子のジャコモがアメリカの大学から帰ってきてからは、大きなテーブルには、いつもジャコモと彼のギリシャ人のガールフレンド、そして親友のビコッカ大学の学生アウグスティーノが加わるようになりました。

 アウグスティーノという青年が、どこから来て、どんな家の子なのか、そんなことは話題に出ることもなく、もちろん本人が語るでもなく、ネリーナが語るでもなく、ただ私たちは「ネリーナのテーブル」の常連さんとして、楽しい時間を共有していたのです。

 それが、ある時、

「クリスマスはどうするの?コモ湖のウチの別荘に来ない?」
「ありがとう、でもプーリアに行きたいの。ずっと行きたかった所だし、地中海ダイエットについて調べたいこともあって。それに、、、、、海が見たいの。」
「あら、じゃ、アウグスティーノの所に寄るといいわよ。彼プーリアから来てるのよ。お父さんが大きなオリーブの農園を持っていて、アグリツーリズモを実践してる。きっと面白いと思うから。」

 そんな会話が発端となりました。偶然にも、同じ時期にアウグスティーノも里帰りをするということもわかり、私たちのプランはどんどんと進んでいきました。

 「アグリツーリズモ」という言葉。お聞きになったことがあるかもしれませんが、「Agriculture+Tourisum」、つまり農村に長期滞在してのんびりと過ごす休暇のことです。「10日間で5つの都市に滞在!」などと言うのを謳い文句にしている日本型パッケージツアーとは正反対の位置にあると言ってもいいでしょう。

 まるでアウグスティーノとは兄弟のように見える素敵な父親は、13世紀から継承された広大な屋敷と農園の主となって以来、この素晴らしい場所をアグリツーリズモの拠点とすることはできないかと考えてきました。そしてとうとう家の改装を決意しました。あえて新しい物は使わずに、もともとある景観をそのまま生かし、けれども室内は快適に過ごせるようにあらゆる創意工夫を凝らしました。たとえばピカピカに磨かれたベッドフレームなどは、先祖代々から伝わるものです。そして2003年、大きな中庭を取り囲むように、Πの字型に11の客室ができあがり、世界中からゲストがやってくるようになりました。

 滞在する人たちは、一面に広がるプーリアの田園風景を眼下に、燦燦と輝く太陽のもと、プールで泳ぎ、オリーブの木陰で本を読み、昼寝をし、田園をわたる風の音を聞きます。大きなベランダで食べる朝食も、地平線が見えるほどに見晴らしの良いダイニングルームで食べる夕食も、彼らの農園で取れた野菜や果物、地元の人たちが育て作った食材だけが使われます。アウグスティーノの父親が所有しているのはオリーブ畑だけではありません。サクランボや桃やピスタチオがたわわに実る果樹園からは旬の果物、大きなブドウ畑からは、長い歴史を経て培われた技術で醸造されたワインが、毎日の食卓にのぼります。

 昨日お話したオリーブの収穫は、まさにここで過ごす客人たちのためだったのです。念入りに収穫され搾油された最高のオリーブオイルは、ほとんど市場に出まわることはなく、もっぱら彼らのために使われます。

 11の部屋はすべて趣きが異なります。朝食込みで、普通の部屋なら150ユーロ、まるでプールのような石のお風呂がついている一番大きな部屋なら300ユーロです。夕食は車で近隣の村の小さなレストランや、ちょっと遠出してアンドリアの町まで出るのも自由。もし「家」で食べるなら、新鮮な食材と、特別なオリーブオイルをふんだんに使ったお料理の、毎日違うフルコースが25ユーロで食べられます。もちろんワインつき。

 外観は伝統を受け継いだ古い館でも、長逗留の人たちのために、部屋でも、プールサイドでも、庭でも、バルコニーでもWifiが使えるようになっています。図書室も書斎もあります。

 新しい夢ができました。
 野山を花々が覆い始める春の初めから、輝く夏を通り越し、ブドウの葉が真っ赤に染まり始める秋までの間に、1ヶ月とは言わないまでもせめて2週間、ここで暮したい。光と風をたくさん浴びて、体に良いものだけを食べ、飲んで、散歩をし、本を読んで、書いて、泳いで、しゃべって、昼寝をして、、、、、オリーブの収穫に立ち会うのではなく、彼らと一緒に収穫し働いて、、、、、

 カナダに留学し、今はイタリアで屈指の経済大学で学んでいるアウグスティーノに聞きました。

「卒業したらダッドのビジネスをやるの?」
「いやあ、まだわからない。やるかもしれない。やらないかもしれない。。。。。う〜ん、やっぱりやるのかなあ。でもまだまだ先の話。僕はまだ行きたい所がたくさんあるんだ。勉強もしたいしね。でも、ダッドのやっていることを誇りに思っているよ。」

 プーリアのアグリツーリズモ「Lama di Luna」のご案内はこちらです。
 http://www.lamadiluna.com/_main.html
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12月23日(木):今年最後のオリーブの収穫
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:50| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月22日

撮られる者たちの喜び〜オリーブ林の中で

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 昔ギリシャに住み、その後もオリーブの林を何度も抜けて、果ては一念発起、オリーブオイルソムリエにまでなってしまった身なのに、その豊かな実の収穫に居合わせたのは初めてのことでした。実はこのプーリア紀行の目的のひとつはそこにあったのです。

 昨日、日焼けが気になるぐらいに良く晴れ渡った空の下、プーリア州アンドリアの町からさらに北へと入った田園地帯の友人のオリーブ園で、今年最後のオリーブの収穫がありました。クリスマス休暇を前に、寒さでオリーブの実が落ちてしまわないうちに仕事を終えなければいけないのです。いったん地面に落ちた実は使い物になりません。しかもオリーブオイルと言うのは、木についた実を収穫してから24時間以内に搾油をしなければならないのです。

「ここからが僕の父のオリーブ園です。」

 と言う、アウグスティーノと一緒に、見渡す限りオリーブの木々の間の道を走ります。どこまで走ってもオリーブの木しか見えません。丘陵を見晴らす広大な家で出迎えてくれた彼の父親が加わって、私たちは収穫の場所へとさらに車を走らせました。

 小道から林の中へと車を進めると、そこに繰り広げられていたのは、まさに感動の光景でした。
オリーブの木を振動させる特別な車が3台と、収穫した実を積み込む小型トラック、そして15人もの男たち。

 男たちが大きな網を木の下に広げます。そこへ黄色い車が近づいてきて幹を揺さぶるとオリーブの雨が降ってきます。男たちがお祭のように掛け声をかけあいながら、長い棒で木を叩くと、雨はますます降り出します。広げた黒い網が、緑や紫や黒いオリーブの実で一杯になると、男たちはそれをクルクルとまるめ、何人もの手で大きな樽に、たまった実を移していきます。

 これを何度も何度も繰り返すのです。何万本あるかもしれない林の間を男たちが移り、車が移ります。

 ここらへんの模様は、今晩にでも「グローバルキッチン」のブログで書くつもりですが、夢中になって彼らと一緒に動き回る私が、その臨場感と共に、まるでオリーブが木からハラハラとその実を落とすように、強く心を揺さぶられたのは、そこで働く男たちの姿でした。

 その身なりや、ヤニで黒ずんだ歯、赤銅色に焼けた顔からしても、おそらく彼らは決して裕福な階級に属する人たちではないでしょう。領主であるアウグスティーノの父親ピエールに聞けば、オリーブの収穫期にこうして働きにやってくる季節労働者の彼らに支払っているのは、時給10ユーロ。

 オリーブの実は収穫してすぐに工場での搾油作業に入らなければなりませんから、働くのは一日6時間だけ。雇い主のピエールが、税金と保険を180ユーロ(約2万円)国に支払い、彼らの手に渡るのは1週間で420ユーロ(4万数千円)です。

 それでも男たちの何て陽気なことでしょう。歌を歌い、大きな声でしゃべり合い、木を揺さぶり、実を集め、トラックに運び、また揺さぶり、、、、、

 写真を撮る私のために網を広げてくれたかと思えば、「ほら、次はあっちだよ、早く行きな!」とけしかけ、その合間合間に、身振りで自分の写真を撮ってくれとせがむのです。満面の笑顔でカメラに向かい、シャッターを押せばガッツポーズで喜びます。

 遠い風景を思い出しました。ニューギニアの山奥で、太平洋の孤島で、いつもいつも「写真を撮ってくれ!」とカメラの前に立ちたがったあの愛すべき人たち。ポナペの父が危篤状態に陥ったことを電報で知らされ、無事を祈る一心で飛んでいったあの島の、窓はあってもガラスはないあの部屋の、あのベッドの上で、私が着くのを待っていた父が、

 ナオミ、よく来てくれたね。シャシン、シャシン、、、
 と、細い息の中でつぶやいて、
 おとうさん、今シャシン撮りますからね、と言うと、
 涙を浮かべたマミーに半身を起こしてもらい、
 息子のイラリオに支えてもらいながら、
 やせ衰えたからだで、
 最後に私に向かって笑ってくれた時のこと。

 写真を撮ってもらうことが喜びである人たち。
 自分で見るでもなく、誰かに見せるでもなく、ただその一瞬のために本物の笑顔を見せる人たち。 それは、明らかに、撮る側の者よりも幸せであるような気がします。

 これを書き始めた頃にはこんなに暗かった窓の外が、今ではきれいな青に包まれ始めました。
1時間後には、長靴のさらに踵へとアドリア海沿いを下ります。今日からまた4日を過ごすレッツェまではたぶん4〜5時間のドライブになるでしょう。
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12月22日(水):「Le Lampare al Fortino」という存在感

 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:36| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月21日

私の行く末 私の仕事

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 こんな移動型の暮らしをしていると、朝目覚めた時に一瞬自分の居る場所がわからなくなることがあります。暗闇の中で、ベッドと窓の位置、ドアの方角、、、部屋のおおよその様子をつかんで、居場所を思い出すまでの不安感。時にそれが東京ではなかったことを知り落胆したりもしますし、その逆もあります。

 いつの頃からか、もっと眠っていたいと思う時でも目が覚めてしまうようになりました。時間が許せば昼日中まで寝ていることができた若い頃には、もう戻れません。たとえ、目が覚めてしまっても、ヌクヌクとお布団の中で嬉しいことばかりを考えていられれば、それはそれで幸せな時間です。けれども、最近では困ったことに、ついつい来し方行く末のことを考え始めて、暗闇の中でますます自分の居場所がわからなくなってしまうのです。こうなればもう何時だろうが、いっそ起き上がって、動き始めてしまうほうが楽になります。本を読んだり、PCに向かったり、、、、、

 何年も前から、ことあるごとに話し合ってきた「2010年の私たちの暮らし」もそろそろ終盤に近づいて、今では「2011年の私たちの暮らし」そして、「2012年の私たちの暮らし」が毎日のように話題に上るようになりました。自由というのは、拘束があってこそありがたく輝くもの。どこに行こうが行くまいが自由、何をしようがすまいが自由、と言うのは、ある意味でとても不安なものです。

 来年も再来年も、健康でありさえすればずっと続くであろう、こうした移動生活の中で、いったい私は何をしたらいいのか、何ができるのか、社会とどう関わりを持ち続けたらいいのか、どういう形でそれを持ち続けられるのか、、、、、そんなことをひとたび考え出せば、いくらヌクヌクと心地よいベッドの上でも、もう再び眠りに戻ることはできません。

 これ、ちょっとした「過渡期クライシス」かもしれません。
 2010年は予想していたこととは言え、新しいライフスタイルへと移行する過渡期となりました。1年も過ぎようというのに、あきらめと希望の交錯する中で、私はまだ揺ら揺らと揺れています。

 それでも暗い朝にも日が昇り、明るい夕方にも日が沈み、一日という時間が過ぎていきます。感動も幸せも、不安も哀しみもひっくるめて、暮らしは続き、旅も続きます。そろそろ本当に覚悟を決めて、自分の新しいライフスタイルを潔く作っていかねばなりません。

 昨日も長い一日でした。車でしか行けないような場所を訪ねてまわりました。
 島や半島や岬が好きなように、誰も居ない廃墟が好きです。いくら過去のきらびやかな栄光の歴史があっても、連日そこにたくさんの人たちが訪れ、並んで入場券を買い、今を生きる人々のざわめきの中にある場所は、私の好きな廃墟ではありません。たとえ今では何にもない草野原であっても、そこを歩きながら、いにしえの人々の息遣いや声が聞こえてくるような場所が好きです。時々、本当にそうした場所に居合わせることがあります。たいていは地の利も悪く、地味な場所ですから、観光スポットにはなりえようもありません。

 「Canne Della Battagua」、アドリア海に面した町、バレッタから10キロ、誰もいない田舎道を奥へ奥へと入っていきます。そこは、紀元前216年に、ローマ人とカルタゴ人が戦った古戦場。ハンニバルに率いられたカルタゴ軍が勝利を収めました。この時代の遺物は今は何もありません。戦場となった場所は、今では遠く遠く、はるか遠くまでオリーブとブドウの林へと連なっています。

 その後、中世の時代になって、人々が海を見晴らすこの丘の上に集落を作りました。建物こそありませんが、区画の後が残る礎石があり、目抜き通りらしきものがあり、バシリカ(教会)の跡があり、お墓らしいものがあります。しかし、何の理由もわからぬままに、この集落は1356年に亡くなってしまいました。一説には当時蔓延した黒死病ではないかとも言われていますが、謎はいまだ解き明かされてはいません。

 集落の跡は、真冬とは思えぬほどに暖かな陽射しにあふれ、まるで春のような黄色い野生の小花が野をおおっています。鳥の歌声と、オリーブの葉がサワサワとなる音。それだけです。けれども、じっと耳をすませば、古代の人たちの、中世の人たちの声が、静かに低く、音楽のように聞こえてくるような気がするのです。

 静寂の中を、私たちは言葉も交わさずに歩き回りました。途中でコートを脱ぎ、手に抱えて目を上げれば、誰一人いない廃墟に一人の男の後姿が見えます。私と同じように、いにしえ人たちの声を聞いているようです。よく馴染んだ人であるような、けれども初めて出会う人であるような、、、、、

 私の「来し方行く末」に1つの答えが与えられたように思うのは、この廃墟に眠る人たちからの贈り物でしょうか。出会うべくして出会ったならば、この人と一緒に歩いていくことがきっと私の行く末、私の仕事。それだって、私らしく社会と関わりながらできることもきっとあるはずです。

 いつの間にやら、誰も居ないはずの廃墟で、一匹の猫が私の後先を歩いています。時々こちらを見あげる目は、まるでフィリのようです。10年前に天使猫になってしまったフィリが私を心配して、こんな所まで遊びに来たのでしょうか。
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12月21日(火):地中海の海の幸
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:59| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月20日

旅は道連れ〜ガルガノ半島一周記

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 昨晩は失礼しました。まずはコトの顛末をお話ししませんと、、、、、

 イタリアと言えばすぐに思うのは、あの長靴の形。いえ、今ではブーツと行った方がいいのでしょうね。ミラノが膝頭に近い上の方だとすれば、今いるプーリア州というのはまさに踵(かかと)の部分です。州都のBARI(バリ)までミラノからなら1030キロ。

 昨日の目的地は、この長靴の踵の上の方にポコリと飛び出た瘤(こぶ)でした。ほとんどお聞きになったこともないと思いますが、(私自身も全く知りませんでした。)、「Gargano Promontory」=ガルガノ岬と呼ばれます。岬と言っても、Peninsularと呼ぶ方がずっとぴったりくる半島地帯です。

 アドリア海の海岸線がぐるりと囲む半島の真ん中は山岳地帯です。1000メートルの山々が連なり、時に運ばれてくる波音と潮風の中で、「Foresta Umbra (日陰の森)」と言う名の古代の森が眠っています。何千年も前からの貴重な生態系が国の管理のもとに維持されています。季節がよければ、この森の中に入るトレイルもあるのですが、この時期には雪が覆う場所も多く、中を抜ける舗装道路を走っても走っても、人はおろか、車とすれ違うこともほとんどありませんでした。

 5人の天使が舞い降りてきたという「Monte Sant’ Angelo」の村まで、ワインディングロードを天に向かって上へ上へと登ってみれば、そこにも人の影すらもなく、山の頂の寒風が吹きすさぶ中、あまりの寒さに天使たちを探すこともできず、凍えて車に引き返しました。

 島は言うにおよばず、突き出た半島や、岬と聞くと、どうしても足を向けたくなる習性があります。海沿いにぐるりと走る喜び、いつどこにいても海が見えるという安心感、そしてなぜか「先端」に立つ喜び。このガルガノ半島一週は、夫にとっては彼の頭の中に広がる古今東西の広大な世界を辿ることでしたが、何を隠そう私にとっては、そんな地理的センチメンタリズムだったのです。

 そんな不真面目な動機(いえ、本人は全然不真面目とは思っていないのですが)にバチがあたったのでしょうか。帰りの山道でかなり酔いました。何度も車を止めて外に出なければならなかったほど。もうこうなると、海だろうが、岬だろうが、先端だろうが関係なく、じっと目を閉じて喉元までやってくる不快感にひたすら耐え続けるほかはありません。

 解決策はただ1つ。「酔いかけたらハンドルを握れ」、つまり自分が運転をすることなのですが、どうしてもオートマの車を手配してもらえませんでした。私、実はマニュアル車は運転できません(泣)。それにしても面白いもんですね。自分で運転しながら酔っている人ってあまり見たことがありませんから(笑)。

 朝10時半にトラニを出て、ずっと走り続けて、帰ってきたのがもう真っ暗な6時。時間にして7時間半。距離にして350キロ。途中目をつぶっていることしか出来なかった時間があったとは言え、半島1週の目的は達しました。ひたすら海を見ながら走る喜びも満喫できました。

 一人でしかできないこともあれば、二人でしかできないこともあります。
 私ひとりでは決してできないことでした。
 さして役にも立たない私を隣に乗せて全行程を走り続けた夫に、おっかなびっくり聞いてみました。

「一人でも行ってみた?」
「いや、行かなかっただろうね。」

 旅は道連れ、人生も道連れ。

 ところでつい先日までは、ミラノから車でここまで下ってくるつもりで、レンタカーを手配していました。会う人ごとに、「そんな馬鹿なことやめなさいよ。どれだけ時間がかかると思ってるの。」と言われたかと思えば、プーリアから来ている若い青年からは「そんなの簡単ですよ。僕はいつも車で里帰りしてます。」と言われたり。

 結局、前日になって飛行機に切り替えましたが、今にして思えば何と賢明な選択だったことでしょう。半島1週でも350キロ、ミラノからここまでは1030キロなんですから!!!

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12月20日(月):トラニ〜映画の中の一場面
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:39| Comment(0) | イタリアライフ

また明日

 350キロも走って、おまけにものすごいワインディングロードだったものですから、かなり酔いしれました。いえ、酔いました(笑)。

 こちらはただいま日曜日の夜11時半。遅い夕食から帰ってきたところです。
 さすがに疲れました。

 すみません、本日はギブアップ。
 明朝、早起きをして、朝食前に本日のロングドライブについて書かせていただきます。
 おやすみなさい。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 07:28| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月19日

A passage to the sea〜海への道

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 3時50分にかけた2つの目覚ましで起き上がり、支度を整えて家を後にしたのは、5時にさしかかろうとする頃でした。ミラノマルペンサ空港発バリ行き7時40分発の飛行機に乗るためには、どうしてもミラノ中央駅を5時半に出るリムジンバスに乗らねばなりません。

 メトロや路線バスが動き出すのは6時過ぎですから、中央駅まで出るにはタクシーを使うしかありません。ところが、頼んだはずのタクシーが待てど暮せど来ないのです。日本のように、流しのタクシーをつかまえることなどまず無理な所です。

 外は真っ暗。昨日降った雪が凍って地面はツルツル。けれども歩くしかありません。誰もいない道を前後に黙々と歩きます。中央駅まではメトロで2駅分。重い荷物を持つ手は凍えて感覚もなくなり、耳はキンキンと痛く、吐く息はたちまち真っ白になります。けれども、バスに間に合い、飛行機に間に合わせるためには、たとえ滑ってころぼうが起き上がって、ひたすら歩くしかありません。

 白く覆われた空港で飛行機に乗り込む頃に、ようやく東の空が明るく染まり始めました。そして1時間半。そのたった1時間半が、空を変え、太陽を変え、空気を変え、木々を変えました。そこには私が馴染んできた、たくさんのモノがありました。そして、、、、海がありました。

 アドリア海に面したプーリア州の州都バリは面白い町です。区画整理をされた華やかな新市街には、お洒落な店々が並びます。クリスマス前の土曜日の賑わいは、道行く人々の顔をほころばせ、あちこちから笑い声が聞こえます。南に住む人というのは、どうしてこんな風に幸せそうに見えるのでしょう。

 かたや古いゲートを越えて旧市街に足を踏み入れれば、町はガラリと表情を変えます。細い路地が迷路のように走り、洗濯物が揺れ、人々の生活の匂いがします。ロマネスクの教会では結婚式の最中です。小さなレストランからはおいしい香りが漂います。

 私たちは、旧市街の路地を歩き回り、教会を訪れ、海に出ました。海沿いを歩き、空港へ戻り、レンタカーでアドリア海沿いの高速道路を北西へ、今日から4夜を過ごす「Trani」へ走りました。空は高く青く輝き、右手にはいつも海が見えました。

 Traniのホテルの部屋は広く、窓から見えるのは海です。この海をずっとずっとたどれば、そう遠くはない先にギリシャのコルフ島があるはずです。そしてその先には、、、、、何ヶ月ぶりかで見た海を前に、そうした「海型思考」がようやく戻ってきました。縮こまっていた心が、広く広く、海と一緒に優しく開き始めました。

 夕焼けが空を染めた後に、もう少しで丸くなるお月様が海面に映っています。
 やっと私の居場所に戻ってきたような気がします。空とも海とも、お日様ともお月様とも、道の犬や猫や、オリーブの木や棕櫚の木たち、みんなと会話ができるような気がするのです。
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12月17日(金):市場はドキドキワンダーランド
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:46| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月18日

都市の暮らし、田園の暮らし、海の暮らし

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 先週トスカーナから帰ってきて以来、ずっとお天気に恵まれていたのに、今日はまた冷たい雪が降り出しました。外はもう薄っすらと白い雪化粧がほどこされています。今日は予想最高気温もマイナス2度です。
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 ついこの間の日曜日には、こんなに柔らかな光に溢れ、公園では人も犬たちもつかの間の恵を楽しんでいましたのに。


 できることなら閉じこもっていたいような日でも、この家の良い所はすぐ隣に生の音楽を聞きにいける場所があることです。ご夫婦でやっているお隣の小さな果物屋さんの向こうはジャズクラブの「ブルーノート」です。そのまた隣は、いつでも気楽にフラリと入れる「NORDEST CAFEE」です。
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 ミラノに住んでいるからと言って、そうそうスカラ座に行くわけにもいきませんし、いくらお隣さんだからと言ってブルーノートに日参するわけにもいきません。やっぱりそれらはふだんのご飯ではなく、特別な食事です。けれども、ふだんのご飯だって十分においしかったりもするのです。

「NORDEST CAFEE」は、夜ともなればバーになります。そして毎晩、誰かが何かを演奏しています。ジャズピアノが鳴り響く夜もあれば、ボサノバナイトもあります。予約もチケットも必要ありません。ガラス窓の内側を見ながら、窓越しに聞こえてくる音が気に入りさえすれば、フラリとドアを開けて入っていけばいいのです。昼間はカウンターでコーヒーを入れていたオニイサンたちが、夜はちょっと格好いいバーテンさんになってシェーカーを振っています。

 安くておいしいトラットリアだって、歩いて行けるところにたくさんあります。食事を作るのが面倒くさくなったらフラリと食べに行って、お勧めのワインを飲んで、家の扉を開ける前にちょっとお隣に寄り道をすることだってできます。

 実はこれが最近の私たちのお気に入りコースです。家で食事をして洗い物を終えてから、寝る前のライブミュージック&ナイトキャップにフラリと出かけることもあります。何たって、雪が降っていようと、傘もささずに飛び込める距離ですから。

 都市には都市の住み方がありますし、郊外には郊外の、田園には田園の、海には海の住み方があります。自ら選んだ土地ではなくたって、どうせならそれぞれの場所での楽しい住み方を見つけてしまう方が絶対に得策です。

 昨夜は残り物の夕食のあと、10時半からのボサノバライブに行きました。お気に入りの席に陣取って、曲が終われば拍手を送るようなお客は一握り。後は入ってきたかと思えば、一杯飲んでまた出ていくような客ばかり。とは言え、ギタリストのおじいさんと、若いベーシストの青年と、中年シンガーの女性のトリオは、なかなかのものなのです。何より素敵なのは、客に媚を売ることもなく、自分たちが一番楽しんでいるように見えることです。

 スパークリングワインは、心地よいボサノバのリズムの中では、まるでシャンパンのような味わいです。休憩に入った3人のミュージシャンたちもグラス片手に客席でくつろいでいます。何回ライブが行われても、いったん店に入ればいつまでだって居座れます。1ステージでは心残りで、昨日だって2ステージも楽しんでしまいました。
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 ワイン1杯でミュージックチャージを入れても10ユーロ=1200円弱。たとえ名の知れていないアーチストでも、心地よい音楽は心地よい音楽なのです。そして、こんな時間の使い方こそが、今、都市に暮らしていることの面白さかな、と思うのです。

 そんな「都市」を離れて、明日早朝の飛行機で南イタリアに移ります。最初の4日をアドリア海に面した小さな町「Trani(トラーニ)」で、次の4日は少しばかりイオニア海よりに近づいた内陸の町、「Lucce(ルッチェ)」で過ごします。ミラノにはまた8日後に戻ります。

 外は雪で凍えるほどに寒くても、明日になれば南へ下れる、海へ近づけると思えば心が躍ります。「田園の暮らし」「海の暮らし」そして「南の暮らし」は、「北の都市の暮らし」にはない楽しみ方を、また教えてくれるでことでしょう。
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12月17日(金):市場はドキドキワンダーランド
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 03:37| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月17日

スカラ座報告〜いつか「大人」の世界へ

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 一昨日のスカラ座のご報告を。
 オペラはまだまだ初心者ですから、一丁前に語ることなどおこがましくてできません。
 でも一言率直な感想を言うとすれば、最初の音が流れた時から最後の幕が下がった時までずっと特別な時間の中にいたような気持ちです。眠気覚ましのキャンディーもお役御免のままでした。

 突然到来したチャンスですから、前もって十分に予習をしておくことはできませんでしたが、それでもネットで得たこんな10ページにわたる解説を直前に読んでいたことで、とても助かりました。読みながら、まるで学生時代の勉強のようにメモを取っていったことも、また、複雑なストーリーを理解する上で役に立ちました。

 加えてオペラに造詣の深い、カイロの中野さんから事前に届いた情報も、ますます期待感を高めさせてくれるものでした。

「指揮は、ダニエル・バレンボイム、ブリュンヒルデは、二ーナ・シュテンメ。
ジークリンデは、ワルトラウト・マイヤー。これほどの指揮者・配役の素晴らしさは、本当に稀な、ずば抜けた機会です。」

 お聞きするところによれば、ご夫妻は近年バレンボイム氏の音楽を求めて、ウィーン、ベルリンと素敵な追っかけをしていらっしゃるとか。

 インターネット予約では完売であきらめていた14日(火)の「ワルキューレ」のチケットが手に入ったのは、公演4日前、駄目もとで行ってみたスカラ座のオフィスでした。ただし残席は限られていて、二人並んで座れる所は1箇所のみ、選択肢はありませんでした。

 6時に始まった公演が、熱烈なカーテンコールを含めて全て終了したのは11時10分のことでした。何と5時間10分の長丁場だったことになります。一幕と二幕の間に30分の休憩、二幕と三幕の間にまたしても30分の休憩があります。

 この休憩の間、観客は席に座ったままでいるか、さほど広くもなく座る場所もほとんどないロビーに立っているか、外に出るための小さな券をもらって、外のカフェやバーでコーヒーやワインを飲みながら次の開演を待ちます。

 前座席の裏側に、小さなスクリーンがこちら向きについています。歌い手のセリフを、原語のドイツ語、イタリア語、英語の3つの言語にボタンひとつで切り替えることができます。こればかり見ていては、舞台にちっとも目が行きませんが、ないよりはある方が、話の流れを追いやすくなります。

 時間が優雅にゆっくりと流れます。観客席に子供の姿も見られたバレーと違って、そこは、あくせくしている日常から離脱した、完全に大人の世界です。人々は決して華美ではなく、けれどもそんな時空に敬意を表すかのようにきちんと丁寧に装います。婦人たちの髪は美しく整えられ、靴は磨かれます。ノースリーブのドレスに毛皮をまとうというエレガンスを、自然に身につけた女性たちが、シャンとした姿勢で歩きます。

 年から言えば十分に大人のはずなのに、私はまだまだそんな大人の世界を羨望と共に眺める側にいます。いつの日か、ごく自然に、背筋をピンと伸ばしてエレガントに歩を進めながら、毛皮ではなくともそんな大人の空気を身にまとって、堂々とあのロビーを歩けるような年の取り方をしたい、と思いながら。
 
 ところで、指揮者のバレンボイム氏はイスラエル人。ベルリン国立歌劇場やスカラ座ほか、主に夏場に、パレスチナや、イスラエルや、エジプトや、ヨルダンや、レバノンや、トルコや、シリアなどの人たちと、音楽共同作業を続けているそうです。

 これもカイロの中野さんから教えていただきました。共同作業の楽団名は「West & East Divanオーケストラ」。この名はゲーテの「西東詩集」から取られているとか。政治的困難さから離れて、音楽を通じて対話をしながら創造をしていく、、、、、、何ていう素敵な試みでしょうか。

 中野さんが言われるように、こうした試みがなされ続ければ、いずれこの歪曲してしまった道筋のどこかにもきっと希望の光がさしこんでくるはずです。

 たくさんのことを教えてもらい、知る機会となりました。
 見る前と見た後、行く前と行った後では、なんだか自分自身が変わったように思えます。
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12月16日(木):赤と白のムール貝
12月17日(金)予告:市場はドキドキワンダーランド


 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 04:53| Comment(0) | イタリアライフ

2010年12月15日

お誕生日の娘に

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 昨夜の「スカラ座の夜」報告を先延ばしにするほどに、今日は特別な日です。毎年やってくるこの日は、1年のうちで一番特別な日の1つですし、ここまで歩んできた長い人生の中でもとりわけ、あの年の12月15日という日は、思い返すたびに心が熱くなる日です。

 1975年、ここから一ッ飛びのアテネの冬は、もう少し暖かく、もう少し陽射しに満ちていました。身重のからだで南周りの飛行機に乗ってアテネに移住してから半年、日常会話も何とかできるようになった頃に、小さなベビーが元気な産声をあげました。朦朧としていた私の頬を誰かがポンポンと叩いて、「コリツァーキ、コリツァーキ!」(女の子だよ!)と言ったのを覚えています。遠い異国で初めて経験する痛みに必死に耐えていた私の両の目から、その時初めて、止め処もなく涙が溢れ出しました。

 以来私は、小さなベビーが成長するのと一緒に、たくさんの涙、たくさんの笑い、たくさんの幸せを与えられ、心配をし続けながら、母として人間として成長してきました。私の母が、混沌とした忘却の海の中で、たまさか正気に戻った時に、最後の最後まで私を思い心配していたように、母というものはいつだってそんなもんです。心身ともに自分よりもずっとたくましくなった子を、オロオロと心配するのです。そんな心配を口にしては、「何を言ってるの。」と笑われながらも、どこにいても心配をし続けているのです。

 先月、いっとき東京に戻った折に娘に会いました。たまたま手にした運勢暦で、娘の生まれ年が来年は「厄年」であることを知り、諸々の厄から身を守るためには厄払いが必要だという言葉にまたもやオロオロと心配をし、娘に告げると、彼女は花のように笑った後で、こんなことを言いました。

 「ママ、厄払いなんかしちゃったら『役』が来なくなっちゃうじゃない。厄年は役年、来年はきっといい年になるよ。心配しないで。」

 こうして今では、おおよその心配は、本人自身に軽くいなされるようにまでなりました。私自身についての心配だって、相談さえすれば、だいたいは的確な答が返ってきます。

 ところで、厄年の話に連なって思い出すのは、19世紀末のイギリスの作家、オスカー・ワイルドの「Lord Arthur Savile’s Crime」という小説です。邦題は確か「アーサー卿の犯罪」だったかと思います。

 アーサー卿がある時、手相占い師のところに行き、来るべき年月を予見してもらいました。占い師から言われたことは、「将来殺人を犯すことになる。」というものでした。以来彼は、その言葉が頭から離れなくなり、殺人を犯すまでは自由になれない、と考えるようになり、自由になるために殺人に手を染めるようになりました。ワイルドらしい頽廃と逆説に満ちた、実にユニークな小説です。
 
 起きるかもしれない、けれども起きないかもしれない。
 なるかもしれない、けれどもならないかもしれない。

 それらが不安や心配をかき立てるものであるならば、過剰な心配をしすぎない事です。厄年だって気にしない、いい役がまわってくるのだからぐらいに考えて、アーサー卿のように心の自由を縛られないことです。

まだまだ達観できない未熟な私ですけれど、今日お誕生日を迎えた娘に教えられたことのひとつです。

 おめでとう!いつまでもママはあなたのママです。
 もう大丈夫とわかってはいても、やっぱりまだまだたくさん心配しているママです。
 きっと90歳になったって、65歳のあなたのことをオロオロ心配しているかもしれません。
 いつだって、どこでだって、あなたの幸せを祈っています。
 生まれてきてくれてありがとう。あなたのママで嬉しいよ。
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12月15日(水):ミラノでドネルカバブ
12月16日(木)予告:赤と白のムール貝

 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:03| Comment(0) | 家族

2010年12月14日

一晩で消えるものの価値

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 出遅れて、まさかと思っていた今晩のスカラ座の切符が取れました。演目はこれまた、まさかの「ワルキューレ」。開演時間もますますまさかの夕方6時です。こちらで夕飯の約束をしようものなら早くても8時。明日いらっしゃるご夫婦などは「それでは9時におうかがいします。」先月初めに同じスカラ座で見たバレー「オネーギン」も始まりは8時でした。

 これにはもちろん訳があります。「ワルキューレ」と言えば、序夜、第1夜、第2夜、そして第3夜と、4つの作品からなるワーグナーの大河オペラ「ニーベルングの指環」の二つ目、つまり第1夜です。全作品を上演するには4日間、15時間が必要です。

 長さから言ったら4つの中で3番目の「ワルキューレ」だって何と3時間50分。休憩を入れれば、たとえ6時に開幕したところで終演はかなり遅い時間になるでしょう。しかも、それからどこかで食事と言う流れになるでしょうから、かなりの覚悟と体力、気力が必要です(笑)。

 困ったことに最近ますます形あるものへの所有欲が薄れてきました。ここミラノは、古代ローマから現代へとさまざまな歴史の顔を持つ町ですが、もしかしたらそれ以上に抱かれているイメージは、「世界のモードの発信地」かもしれません。たしかに、おしゃれな店やブランドショップが並ぶ定番の通りがあって、いつでもたくさんの観光客が買い物をしていますけれど、歩きこそすれ、なかなか足を止めることもありません。ましてや店内に入ったこともないとくれば、「まあ、もったいない!」とあきれられそう(笑)。

 10年近く前のやっぱりこんな冬、女友達と一緒にバンクーバーに行った時のことを思い出します。デューティーフリーのブランドショップを次から次へと梯子をしては買い物に興じる友をおいて、私はひとりで、何の店もない海に面したスタンレーパークを歩いてはフツフツと幸せになっていました。ということは、かなり前からこうした傾向があったということでしょうか。

 いえ、どちらが良い悪いというのではなく、人それぞれに快適な時間の使い方が違うということだけです。加えて言えば、快適なお金の使い方も違うということです。さらに言い足せば、一緒に暮す相棒は、ここらへんの尺度やこだわりがなるべく似ている方が、心地よく暮らせるということです。

 姜尚中さんが「悩む力」の中で書いている言葉をそのまま使わせてもらえば、「贅沢をしたいという気持ちはありませんが、けちでもありません。空腹さえ満たせれば食べるものは何でもいいとは思いませんし、着られるものならボロでもいいとも思いません。趣味にお金を使いたいと思いますし、余裕があるなら積極的に使ってもいいとさえ思っています。かと言って、利殖に現(うつつ)を抜かすようなことには強い抵抗感があります。」

 さてさて、一晩で消える、後には何も残らない、一枚205.70ユーロ、二人で411.40ユーロ(4万6千円)のチケットをどう見るか。これだけあれば、ウインドーに並んでいたあの素敵なバッグも靴も買えるかもしれません。けれども形あるものはいつかは壊れもするし、こと私のようなふつつか者は失くしもするでしょう。その点、頭の中に残るものはいつまでだって存在し続けます。

 ところでこの「ワルキューレ」。恥ずかしながらあまり詳しいストーリーを知りません。目下付け焼刃で資料を読んでいます。東京の家に帰ればアレがあるのですけれど、、、、、

 実は昨年、4部作全てを1週間で見るというめったにない試みが、ワシントンであるはずでした。清水の舞台から飛び降りて、通しのチケットを1年半も前に購入し、東京で予習用のDVDまで買って張り切っていたのですが、

「2009年11月に開催を予定していたワシントン国立オペラのワグナーの『指輪』全4部の公演は財政上の理由をもちまして急遽中止となりました。お申しこみの皆様には大変申し訳ありません。すでにお支払いただいた代金は全額返金させていただきます。」

 ということになってしまったのです。リーマンショックのすぐ後、2008年11月のことでした。以来、気が抜けて2万円も払って買ったDVDも埃をかぶったまま。人生何が待っているかわかりゃしません。あの時、あきらめずにきちんと勉強をしておけばよかった、と、悔やみながらも思うことは、

「今晩、居眠りをせずに最後まで見通すにはどうしたらいいだろう?」

 まずはスーパーで目覚ましキャンディーを探し、ファーマシーで目の下にも濡れるようなメンソールクリームでも買うことでしょうか(笑)。
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12月14日(火):ご当地マック登場!
12月15日(水)予告:赤と白のムール貝
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 20:55| Comment(0) | その他メッセージ

2010年12月13日

縁は異なもの味なもの〜ウイーン発電車が走り続けて

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 霧もなく、雨もなく、気温は低いながらもお天気の良い日が続いています。夕日と朝日がこんな風に部屋の窓や壁を彩るなんて、こちらに来てから初めてかもしれません。

 時はしばし遡り4月のウイーンでのこと。アイスランドの火山灰騒ぎでヨーロッパの空港が閉鎖され、私たちもハンブルグ行きをあきらめてしばしウイーンに篭城することになりました。その時にひょんなことから出会ったのが、カイロに住む中野夫妻だったのです。

 いつもなら、たとえ日本人らしき方とは言え、お声をかけることなどもめったにないのですが、この時ばかりは違いました。宿泊していた古いホテルの小さなロビーにたたずむお二人に、まるで磁石に引き寄せられるように近づいてご挨拶をしてしまったのです。お二人のかもしだす雰囲気が、普通の旅行者とは違う「素敵な何か」を持っていたせいかもしれません。

 たったそれだけの出会いがそもそもの始まりとなりました。この夏、ワシントンDCで暮らしている時に、「ぜひご紹介したい素晴らしいご夫妻がいる」と、カイロからご連絡をいただき、日本の新聞社の支局長ご夫妻を我が家にお招きして、それは楽しい夕餉を過ごさせていただくことになりました。

 そしてまた、今回のミラノでも、、、、、

「マントヴァに活動根拠をおいている吉田裕史さんをご紹介させていただきたいと思い、メールいたしました。吉田さんは、今週29日、ミラノからほど遠からぬマントヴァ歌劇場でヴェルディ作曲のオペラ『リゴレット』を指揮します。イタリアの歌劇場で初めて音楽監督となった吉田裕史さんの監督としての最初の取り組みです。

 吉田さんは、数年前カイロのオペラハウスで同じヴェルディ作曲の『アイーダ』を指揮されたのですが、これが実に素晴らしく、観客や楽団員もすっかり魅了されてしまいました。指揮者としてばかりでなく個人としても、イタリア的な磊落をお持ちの魅力的な方です。魅力的な方々は、互いの磁力で惹き合うという法則がありますので、ひょんなことから池澤様ご夫妻と知り合うことにもなろうかと思い、お知らせいたしました。」

 こんな嬉しいメールをカイロから頂戴したのは、10月最後の週のことでした。私たちが魅力的であるかどうかはさておいて、ご紹介された吉田さんのHPやブログを拝見する限り、確かにすぐにでもお会いしたい魅力的な若い指揮者です。

 その後、吉田さんご自身との間で何度かメールが行き交うようになりました。マントヴァ歌劇場を皮切りに、ベルガモ、ルッカ、サルディニア島のサッサリへと続く公演にご招待をいただいたにもかかわらず、何をどうしても私たちの予定との折り合いがつかず、「今回は」泣く泣くあきらめました。

 今頃は、昨夜のサルディニアでの最後の大仕事を終えて、長い間の緊張の後でのほっとしたひと時を過ごしていらっしゃることでしょう。

 こうして今では、「公演の指揮を振るのは日本人アーティスト、Hirofumi Yoshidaである。イタリア在住のマエストロは、特にマントヴァ歌劇場の音楽監督に就任して以来、密かに、しかし急激にキャリアを築きつつある。」などと、現地の新聞や雑誌に紹介されるようにまでなったマエストロにも、実はこんな時代があったことを知って、ますます心を揺り動かされました。

 つい先日滞在していたシエナでいただいたメールです。

「シエナは20代の頃にキジアーナ音楽院にて指揮の講習を受けた想い出の地です。夏の間毎日、カンポ広場の前に立つ劇場に通って講習を受け、いつの日かヨーロッパでオペラを指揮することを夢見てスコアの勉強に励む、そんな充実した日々でした。」

 連続演奏会を終えて、今週末にミラノに立ち寄るという彼とせめてランチでもご一緒できれば、と思ったのですが、これもまた、私たちのプーリア行きの予定と重なってしまい、あきらめざるを得なくなりました。

「いずれにしても、お互い飛び回っているようですので(笑)、近い将来に、この地球上のどこかで必ずお会いいたしましょう!」

 度重なる失礼の後でのこんな彼の言葉になんだかとても救われて、地球上のどこかでお会いする日を待ち続けています。

 縁は異なもの味なもの。
 中野さん、ウイーン発の電車はゴトゴトと走り続けていますよ。
 ありがとうございました。(http://blog.platies.co.jp/article/40057812.html

 吉田裕史さんのHP、ブログはこちらです。
 http://www.hirofumiyoshida.com/
 http://www.hirofumiyoshida.com/blog/
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12月13日(月):ロケーションという最高の味付け
12月14日(火)予告:マクドナルドか地下鉄か

 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:50| Comment(0) | その他の国ライフ