2010年11月29日

エイヤっと柵を越えて

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 明朝には再びミラノに戻らなければならないというのに、まだまだやらなければならないことが山積みです。夜はどんどん更けていくのに、荷造りもまだ半分ぐらい。

 これほど移動が気が重いというのは、めったにあることではありません。冬と呼ぶにはまだ早い、こんな心地よい季節の中にもっともっと身を置いていたいのです。こんなに美しい季節を後にして、言葉もわからない霧の町に戻りたくはないのです。

 最後の仕事を終えて、光あふれる銀座の町を歩きました。歩行者天国の中央通りでは、パラソルの下で人々が思い思いにくつろいでいます。勝手知った町にさえいれば、私だってこうしてくつろぐことができるのに、そんな思いが心の中をグルグルとまわります。

 将来を真剣に考えるたくさんの若い人たちを前に「グローバルって何?」などという講演をしてきたばかりなのに、一体全体どうしたといいうのでしょう。

「ミラノでは帯状疱疹にかかるやら、ネットが繋がらなくなるやらで大ピンチでしたが、それだって別にイタリアだからではない、日本でだってアメリカでだって起きることなのです。良くも悪くもおおかたのことはどこでだって起きること。流行の言葉で言えば『ユビキタス』。それさえ気づけば皆さんの世界は広く広くボーダーレスになっていきます。そして、一つの経験が、次のさらなる経験へと繋がって、皆さんのキャリアという道を作っていくのです。

 グローバルであるということは、地理的な状況ではなく、内側の視点です。自分がどのような視点で自分を取り巻く環境と関わっていくかという、スタンスの問題です。どこに住んでいようがグローバルな人間になることができます。あるいは、グローバルな人間ならどこにだって住むことができます。

 グローバルとは境がないこと。異なるものをも受け入れ、それを楽しめる能力。」

 おやおや、いったいこれは誰の言葉でしょう。この自分が彼らに語ったことではありませんか。そんな本人がこんなに後ろ向きになっているなんて、全くもって許せることではありません。

 昨日の講演会で、「どうしたら希望を持てるのでしょうか。」と言うフロアからの質問に答えて、姜尚中先生が言いました。

 「囲いの中で羊飼いに守られて草を食べている羊の方が楽かもしれないけれど、それで希望や将来を語れますか?狼がいるかもしれないというリスクをおかしてでも、柵の外に出てみたらどうでしょうか。」

 そんな言葉の数々を思い起こしながら、年端の行った寝不足の羊が一匹、エイヤっと勇気を出して、明日また柵を越えます。

 ミラノの家はまだネットが繋がらない状況のままかもしれません。それはそれ、どこでもおきうること、別にミラノだからとは恨まずに、どこかでフリーWiFiをつかまえて路上仕事をいたします。これってかなりグローバル(笑)?
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11月29日(月)予告:ポレンタは魔女のようにグツグツと
11月30日(火)予告:お正月の箸休めにも?ペコロスのバルサミコ煮
12月 1日(水)予告:ピンチモニオ再び
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2010年11月27日

問い続けることに意味がある

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 1月に最初の企画案が俎上に上り、2月初めに講演候補者が決まり、すぐに交渉を開始して、2月の半ばには確定し、以来今日に至るまで、いったいどれだけの数のメールのやりとりがあったでことでしょうか。

 美しく晴れ渡った11月最後の土曜日、丘の上の長い伝統を誇る美しい学園で、長い間準備を進めてきた講演会が開催されました。私の役割は、講演の企画から開催までのコーディネーターです。今回のミラノからの帰国は、これに合わせて立てられました。

 動く先生にお会いしたのは何年ぶりのことでしょう。その活躍はよく知ってはいても、そしてその著書を出るたびに読み、幾多のメールを交わしてはいても、テレビをほとんど見ない私にとって、最近の先生のお姿はいつだって静止した写真でしかありませんでした。

 同じ職場にいたあの頃だって十分に素敵でしたけれど、久しぶりにお目にかかった先生は、年という衣を重ねて、匂い立つような、圧倒的な存在感に包まれていました。

 公私ともに、素晴らしい方々にお会いする機会に恵まれてはいますけれど、まるで最高のワインに酔うように、会った後でこんなにも長く馥郁とした余韻を漂わせるなんて、そうそうあることではありません。

 13時に始まった「新・君たちはどう生きるか」という姜尚中(かんさんじゅん)先生の講演は、優に500名を超すご父母の方々を集めました。ちなみに先生は私と同じ年の生まれです。

 「60になって思うこと。若い人たちはいったいこれからどうなるのか。
 人はどの親から生まれるかを選ぶことも、どの時代、どの国や社会に生まれるかを選ぶこともできない。それでも人はこの世の中に下り立つ。

 明日は間違いなく今日よりはよいはず。
 今日は明らかに昨日よりはよかった。
 そういう時代を通ってきた僕と君とは年齢もちがう、時代もちがう。
 けれども君の悩んでいる姿は昔の僕と同じ。

 そんな思いを残していきたい。
 2年ぐらいをかけて、残る思いを七転八倒してでも書こうと思っている。

 何のために生きるのか。
 答はない。けれども、問いそのものが無意味かと言えば決してそうではない。
 問い続けることに意味がある。
 答はなくとも、問い続けることを止めないこと。それが大事。
 悩み、問い続けることが生きていることの証だから。」

 これは姜先生の言葉のごく一部です。

 講演後のサイン会で、著書を手にした長蛇の列の人たちの1人1人に言葉をかけ、サインをし、固い握手をする先生の姿を見ながら考えていました。「人はあらかじめ役割を定められて、頭上に輝き、人々の足元を照らす『スター=星』になるのだろうか。」

 全てが終わって、並んで歩きながら、小さな声でささやきました。

「先生、私もご一緒に還暦になりました。残したい思いもたくさんあります。
そして、相変わらず答のないことを問い続けていますよ。」

 いい仕事でした。
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11月26日(金):クリスマスにいかが?手作りレバーパテ
11月25日(木):野菜画廊
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2010年11月26日

出会いは天の配剤

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 1月から続けてきたグローバルキッチンという広場。今日は11月の最終回、そして今年最後の会となりました。たくさんの出会いに喜び、助けられ、育てられて1年間、小さな蕾が花を開いてくれました。誠実に一生懸命やっていれば、人は自然とついてきてくれるもの。楽しそうなところには人は自ずと集まってくるもの。誰でもが言いそうな、そんな月並みな言葉が心にありがたく響きます。

 9名のお客様が、「今年はこれで最後なんですね。どうぞ良いお年を!それではまた来年!」と、名残惜しそうに帰って行きました。次に会うまでの時間が、年をまたぐという実感を伴って、実際の時間以上に長く、寂しく感じられます。

 夜には友人夫妻の家に7名が集まりました。アメリカ人と日本人とレバノン人と中国人。私を含む、その全員が、回遊魚のように、一つの場所から次の場所へ、一つの国から別の国へと移動する暮らし方を、なんら特別なこととは思わずに受け入れている人たちです。

 そのうち3人は初めて会った方々でしたが、話せば話すほどに、驚くほどに色々な所で繋がっていたのです。共通の知り合いがいたり、同じ土地で生活をしていたことがあったり、同じことを考えていたり、、、、、

 大学で教えている弁護士の方が、授業のテキストに夫の著書を使っていたということだけでも、おたがい偶然の驚きでしたのに、何と母国レバノンに広大なオリーブ農園を持っていて、世界に誇るオリーブオイルの生産をしていただなんて、いったい全体誰が想像できたでしょう。

 「That’s my luxury.」(私の贅沢です。)
 そんなことをサラリと言うのです。

 日本人の奥様は、60になったのを機に仕事を整理し、ライフワークとしてあることを考えています。それが私の目指している方向と全く同じだったなんて、どうしてそんな偶然があるのでしょう。

 年を重ねてから出会う人たちは、すべて出会うべくして出会う人たち。
 天の配剤です。そんな出会いのひとつひとつが、どこかでまた繋がっていくような気がします。

 若い時のように八方美人でいる必要もなくなって、誰かと比べることも、誰かをうらやむこともなくなって、自分の歩いて行きたい方向も見えてきて、残りの時間距離も自分の容量もおぼろげにわかってきて、、、、、自分は自分、人は人、そんな気楽さがようやく身について、、、、そんな風になってみたら、宝物の出会いが不思議なぐらいに増えてきました。
 
 山をひとつずつ越えてあともう少し。
 予定していたことの全部ができたわけでもなく、焦りの気持ちがないわけではありませんが、とにかくここまでたどりつきました。明日とあさって、もう二仕事を終え、もう二山を越えたら、移動の準備に入ります。
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2010年11月25日

苦難の道は輝きに繋がる  

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 丸ビルには大きなクリスマスツリーが飾られ、並木道にもイルミネーションが輝いて、街は1月後にやってくるクリスマスへと近づいていきます。今夜、大通りに面したガラス張りのレストランで、この時期恒例のパーティーがありました。

 ワシントンDCの名門、ジョージワシントン大学ロースクールの同窓会が開かれたのです。アメリカからは、連邦政府の首席裁判官(チーフジャッジ)と、アシスタントディーン(副学部長)、教授夫妻がやってきて、日本で活躍する卒業生たちとの親交を深めました。

 日本側は、1968年の卒業生から、今年の卒業生までを含む27人。企業や政府から派遣されて1年間の修士課程を終えて帰ってきた方々が多く見られます。渡されたリストを見れば、ほとんどは、外国法事務弁護士事務所や特許法事務所、経済産業省や環境省、特許庁、裁判所といった政府機関、そして大学で働く人たちです。高度の専門性を身につけるロースクールらしいラインナップです。

 およそ敷居が高いそんな場に、なぜか今年で7回目の出席となりました。いつもなら、このロースクールで教える家人にくっついて、ゲストとしての出席なのですが、いつの間にやらジャッジやディーンたちと親しくなって、今回はこんな具合に声がかかってきたのです。

「○○はミラノでも、ナオミは日本にいるんでしょう?だったら来なさいよ。」

 気恥ずかしいながらも、行けば行ったで、顔見知りの人たちも多く、なかなか楽しい時間を過ごせます。新しい方々にもたくさん出会い、それが女性ならなおさらの興味津々、そのキャリアパスについてたずねたくもなります。今夜も色々なことを学びました。

 中締めで、アシスタントディーンのスーザンがこんなスピーチをしました。

「日本からの学生が少なくなってきた分、中国やインドからの学生がどんどんと増えています。日本人は、とても真面目で優秀なのに、入り口のところでTOFELの点数でひっかかってしまうのです。本当にもったいない話です。」

 レイダー裁判官が続けました。

「私たちは才能ある日本の学生がもっともっと欲しいのです。日本という素晴らしい国の存在感を失わないためにも、皆さんの協力が必要なのです。どうか皆さんの周りの、将来ある若い人たちを励まし、導いて、扉を開いてあげてください。」

 「最初のオリエンテーションでは何を言ってるか全くわからなかった」という若い人たちが、たとえ1年でも、必死になって勉強をし、時には挫折感にうちひしがれ、膨大な資料を読まされ、討論の場にひっぱり出されていくうちに大きく変わっていきます。そんな苦難の経験こそが、力となり、自分自身への信頼となり、今日の彼らの輝きにつながっているのではないだろうか、そんなことを、クリスマスのイルミネーションのようにキラキラと輝く彼らの顔を見ながら思う夜となりました。 
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2010年11月24日

あの頃に戻れる時 

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 もともとは、まとめてたくさんの事を片付けるための一時帰国でした。まさか体調が変わるなどとは露ほどにも思わずに、目一杯の予定を詰め込んでしまいました。「回復には安静が第一です。」「いつもより1時間でもたくさん眠ることですよ。」などとドクターに言われても、悲しいかな、なかなかそうはいきません。

 今日も朝から忙しく動き回りました。夜更かしの後にもかかわらず、早朝から2回目のグローバルキッチンの準備を始め、11時にはたくさんのお客様をお迎えしました。賑やかな集いの後に、再び静かな時がやってきても、ホッと一息つく間もなく、次は、大切な仲間たちとの忘年会です。

 家を出たのは、すでにして開始時刻に近い頃。1時間の遅れでした。あまりに疲れていて、途中、よっぽど踵を返そうかと思ったぐらいです。けれども、迷う思いの中でかけた電話から聞こえてきた声は、

「首を長〜くして待ってるからねえ。早くおいで!」

 という、いつもながらの何とも屈託のない陽気な声。それを聞いて、心が決まりました。疲れも一気に吹き飛んで、早く会いたくて会いたくて、電車に飛び乗りました。

 18の時に出会って、付かず離れず、40年以上の月日がたちました。一足先に逝ってしまった友と、出張中で来られなかった友以外の9名が出揃って、今日も銀座でガンガン酔いました。
今何をしているのかを根掘り葉掘り聞くこともせず、今何をしているのかを話しまくるのでもなく、ただ一緒にいるだけで、文句なく楽しい時を過ごすことができるというのは、何て幸せなことでしょうか。虚勢を張る必要もなく、背伸びをする必要もないのです。

 それでも、私たちはたがいの話にいつだってきちんと耳を傾け、いい年をして優しい涙を流すことだってあります。糖尿病を患っている者もいれば、国際的なトラブルの渦中にいる者も、いまだに年間8万マイルを飛んでいると言いながら、網膜剥離の手術をしたとケロリと言う者もいます。もちろん家庭内に心配事をかかえている者だっています。

 生きていれば色々なことがあって当たりまえです。けれども、同じ方向を見ながら青春時代を過ごした私たちは、ひとたび会えば、またあの頃の私たちに戻ります。やたら強気で、やたら大きな夢を見ていたあの頃に。南の島々を共に放浪していたあの頃に。

 予定の時間を随分オーバーした後に、コリドー街をねり歩きながら、突然オペラを朗唱しだすヤカラがいて、それに合わせて一緒に歌いだす者もいて、、、、、昔もしょっちゅうやっていたことです。

 最後に友情のハグをして、「じゃあ、また」とそれぞれの方向に、それぞれの現実へと、背中を向けて歩き出すのだっていつものことです。

 春に突然1人が欠けてしまってからの私たちは、口には出さずとも、残りの時間の長さ、いえ短さを思うようになりました。そして、以前にも増して、何かと理由をつけては集まるようになりました。今夜も、もう、次の予定が決まりました。桜の頃に亡き友を偲びます。
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11月24日(木)予定:野菜画廊
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2010年11月23日

私は強いから

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 さて昨夜の続きです。痛みの中で私が何を思い、何を祈っていたでしょうか。

 きちんとした信仰を持っているわけではありませんから、祈ると言ったって、およそ節操もなく、亡くなった父母、祖父母、道端のお地蔵様から、ポナペ島の神様、太陽、月、風、草木、何にでも語りかけてしまいます(笑)。

 異国の地で予期せぬ帯状疱疹にかかり、日々の痛みの中で私がひたすら祈っていたのは、わが身の楽ではなく、むしろその逆でした。折しも、東京の娘たちが、ギックリ腰になったり、原因不明の腹痛に苦しんだり、私たちの宝物のクーが、足にできた腫瘍を取るための手術をすることになったりと、いっぺんに色々なことが重なりました。それは自分のこと以上に辛い心配と不安でした。

 毎朝、私は部屋の窓を開けて、ミラノの空に向かって手を合わせては、私のたくさんの神様たちにお願いをしていたのです。

「どうか娘たちの痛みと、クーの痛みを私にください。私は強いから耐えられます。
 強い私に彼らの痛みをください。」

 その祈りが聞きとげられたのかどうかはわかりませんが、ありがたいことに、娘たちは大事に至らずに回復し、クーの手術も成功しました。私の痛みばかりはちっともおさまってはくれませんでしたけれど、私には耐える力がありました。それに、それが神様たちからのプレゼントだと思えば、私は本当にありがたかったのです。

 先週半ばにクーは抜糸を終えました。
「入院をしたり手術をしたりすると、しばらくは疑い深くなったり、沈み込んだりしてしまう子が多いのに、この子は相変わらず明るいですねえ、大したもんです。」と、ドクターにほめられるぐらいに、あっけらかんと元気にしています。

 そりゃそうです。私の血を引いていますから(笑)。
 クーですか? 病院の診察室で、娘が作った砂肝ジャーキーをじっと見つめている、写真の子です。

 愛することには、理屈も論理もありません。大切な人たちが苦しむのを見るよりは、自分自身が苦しむほうがよっぽど気楽です。それに、心配や不安や痛みが何倍にも増えたって、やっぱり愛する人たちがたくさんいる方が幸せです。
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11月24日(水)予定:ピンチモニオという野菜の園
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2010年11月22日

帯状疱疹顛末記

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 お騒がせして、ご心配をおかけした帯状疱疹ですが、指折り数えてみれば、発症したのはちょうど4週間前の今日、場所はイタリアで一番大きな湖、ガルダ湖に面した町、リヴァ・デル・ガルダでした。

 「1週間で治ったよ」などと言う友もいれば、「1ヶ月半会社を休んだ」と言う友も。
 果ては入院したヤカラから、2年たってもいまだに神経痛が残って治療に通っているという方も。

 想像以上にきつい痛みの中で、諸情報に振り回されましたが、ようやく落ち着いて、ほとんど痛みを感じずにすむようになりました。とは言え、まだ薬を飲み、通院中です。これ、人によって随分違うようです。まさか自分が、6人に1人の当たりくじを引くとも思っていなかったために、とにかく無防備でした。「1週間で治ったよ」と聞けば、いつまでも長引く痛みがことのほか不安に思えましたし、「1ヶ月半会社を休んだ」と聞けば、そういうものかと安心したりの繰り返しでした。

 お役に立つかもしれないと、私のケースを少しお話しします。

 ミラノに着いて間もなくの頃、背中の右下に筋肉痛のような鈍い痛みを感じるようになりました。不自然な姿勢でPC仕事をしていたからだろうぐらいに思い、大して気に留めることもなく、友人たちとの旅行に出発しました。

 旅の途中のある朝、筋肉痛だと思っていた場所に、定期的に針で刺されるような痛みを感じるようになりました。痛みの間隔がだんだんとせばまっていく様は、陣痛にも似ていました。その1時間後、ふと背中のその場所に触れてみると、ザラザラとしているではありませんか。びっくりして鏡に映してみたところ、赤い疹ができていました。

 疹はみるみるうちに広がって、ぐるりと右胴回りを覆うまでになりました。面白いことに、左半分は全く何でもありません。

 おそらく帯状疱疹というヤツだろうと思い、大雨の中、医者を探して駆け込みました。
 ホテルであわててネットで調べて、発症後3日以内の処置でその後の経過が決まるということを知ったからです。

 薬は、8時間おきに2錠ずつ、一日3回飲む抗ウィルス剤を1週間分、痛みが強い時に服用する鎮痛剤を一箱与えられました。

 それでも旅を続けることができるぐらいの痛みに留まってはいましたが、2週間、3週間とたつにつれ、次第に痛みが増していきました。一番ひどい時には、息を吸い込んでも痛い、歩くのも痛い、眠っていても痛みで目が覚めてしまう、というような状態でした。

 発疹の方は次第に赤から紫色に変わって、ブツブツ、ザラザラとしていたものがだんだんと滑らかになってはきましたが、痛みは衰えることはありませんでした。ここらへんで、私はかなり悲観的になり、もう一生この痛みと共生することになるのか、と思い、そのために諦めなければならないことを数えるほどでした。例えて言えば、太い針で突き刺されるような、焼けごてを当てられたような痛みでした。

 日本に帰ってすぐに皮膚科に行き、再び、抗ウィルス剤と、ビタミンB、痛み止めの投薬が始まりました。3日おきに通うクリニックでは、行く度に赤い光線を当てられ、塗り薬を塗られました。保健治療にもかかわらず、一回行けば5千円もかかります。

 そうこうするうちに、治療が効を奏したのか、はたまた単に最終プロセスにさしかかったのか、痛みが次第に軽くなってきました。疹は色を薄め、手で触れてもザラザラ感がなくなりました。

 ほとんど忘れていられるようになったのは、昨日ぐらいからでしょうか。
 ということは、私の場合、出口まで到達するのに、優に4週間が必要だったということになります。

 アメリカでは、4年前にすでに帯状疱疹のワクチンの接種が認可されました。私たちも、今年の夏に行うつもりでしたのに、何だか予定が合わずに逃してしまったことが、今回の不運に繋がってしまいました。

 調べてみれば、日本でもようやく「本院では希望者のみ8千円で接種します。」などという医院も出てきたようです。帯状疱疹はごぞんじのように、誰でも発症する可能性があります。すでに私たちの体の中にある水痘ウィルスが、過労やストレスなどで免疫力が落ちてきた時に、ムクムクと頭をもたげてくるのです。60歳以上の人が全体の半数を占めていると言いますが、若い人でも油断はなりません。 

 かなり痛いものと思ってください。一通りの過程を通り越してきた者として、ぜひお伝えしておきたいことは、

@ とにかく、もしかしたら?と思ったらすぐに医者に行くこと。3日以内に抗ウィルス剤を飲み始めるかどうかで、その後が変わってくるといいます。発症する場所は背中や胴回りとは限りません。顔に出る人だっています。

A たとえ高額に思えても、出来れば予防接種をしておくこと。私はそうしなかったことを、本当に後悔しています。

 長くなりましたので、今日はここまで。
 明日は、痛みの最高峰の時に、私が何を考えていたかを告白します。

 まさか帯状疱疹の写真というわけにはいきませんので(笑)、雨に濡れた今日の庭の写真です。
 美しい季節が続いています。痛みのない生活が、どんなにありがたく思えることでしょうか。
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11月22日(月):グローバルキッチンの裏側
11月23日(火)予定:11月のテーブル
11月24日(水)予定:ピンチモニオという野菜の園
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2010年11月20日

自然体の呼吸法で

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 ミラノに戻る前に、明日から3回、グローバルキッチンを開催します。もちろんメニューは秋のミラノから持ち帰った、前菜からデザートまでの7品。

 何でもそうですけれど、何て言ったって初回の前が一番大変です。土壇場まで試作を繰り返すものもあったりして、レシピを書くのも一苦労です。プリンターはガタゴトと膨大な資料を印刷し続け、あちこちと駆け巡っては、車の中が買い物袋で一杯になります。1回10人分の食材というのはなかなか迫力があります。大掃除だってしなくてはなりません。

 これさえ乗り越えれば、一通りのマニュアルができて、2回目、3回目はずっと楽になります。

 いつもながらのそんなドタバタを何とか乗り切ることができるのは、「お助け部隊」のおかげです。

 「こんな国のこんな料理に合うワインを、このぐらいの予算でお願い」とさえ言えば、地元の店のワインのプロにして、友人のアケミさんが的確に赤白のワインを選んでくれます。

 「こんな色合いで、こんな感じの花を」とか、「今回は枝物、実のついた物で」とでも言えば、やはり地元の花屋の友のタカハシさんが、市場に行って、イメージにピッタリの物を選んできてくれます。

 当日には、いつだって朝早くカズコさんが来てくれて、せっせと手際よく材料を並べたり、資料を綴じたり、私が気がつかなかった部分のお掃除までしてくれます。

 不器用で、大雑把な私は、いつも「ありがとう、ありがとう」と呟きながら、お返しに、私にしかできないことを一生懸命頑張るようにしています。何もかも1人で背負い込んで息切れをするのではなく、自分の駄目なところは素直に認め、頼るところは素直に頼り、助けてもらえるところは素直に助けてもらう、、、、そんな自然体の呼吸法が少しずつ身についてきました。

 テーブルセッティングが終わりました。花もいけ終わりました。
 まあるいお月様が美しく輝く静かな夜が更けていきます。
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11月19日(金):それにしてもチーズって高すぎません?
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2010年11月19日

一袋の温泉の素

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 一昨日の朝日新聞の第二面に、特大サイズでデカデカと横書きされた4つの漢字「大卒漂流」。
 来春卒業予定の大学生の就職内定率が、10月1日の時点で過去最低の57.6%まで落ち込んで、就職活動が再び「氷河期」に突入した、と言うのです。

 そして今夜のNHK番組、「特報首都圏」も、「大学生就職内定率 過去最低 いま何が必要なのか?」と題して、来春の卒業を前に、いまだに就職活動中の学生たちの現状が紹介されました。

 実はテレビはあっても、ほとんど見ません。けれども、今日は、机にしっかりと、「19時30分NHK」と書いたポストイットを貼りました。そして、今か今かと待ちながら、ソワソワとしながら、5分前にはビール缶を握り締めて、テレビの前に陣取りました。

 なぜならもちろん、これは長年大学で学生たちの就職支援を行ってきたわが身には、人ごとではすませられぬ由々しき関心と問題意識があるからです。加えて、番組予定ページにこう書かれていたからです。

 ゲスト出演予定:小島貴子さん(立教大学大学院ビジネスデザイン研究科准教授)

 敬愛する貴子さんが出演する番組ならば、なおさら見逃すわけにはまいりません。
 いまだ半数の学生が未内定だという埼玉県のある私大の様子が映し出され、求人倍率が1.28倍という数字でありながらもこうした背景には、学生たちの大手志向と、企業側の厳選採用があるという説明がなされました。

 インタビュアーの質問に貴子さんが答えます。

「学生は早く内定がほしいという精神的焦りがある。企業はいい学生がほしい、と言いながらも、『ではいい学生とは?』という具体的な中味が伝わっていない。」と。

 まだまだ続く珠玉の言葉に、私は缶ビールを片手に、ひたすら「そうだ、そうだ!」とエールを送り続けていたのでした(笑)。失敗経験がない学生にとっては、就活で初めての挫折を経験し、まるで社会全体から否定されたようになってしまう、と言うのは、私もこれまで数多く見てきたケースです。

 そして、貴子さんが言うように、就職試験と言うのは点数化をされないだけに、どこが悪かったのかが自分ではなかなかわからないのです。私が今年、ガイダンスをしてきた学生たちも、最終面接で、社長から「君のような人材が入社してくれると嬉しいねえ。」とまで言われ、喜んで内定通知を待っていたら、結果は不採用。何を信じていいかわからない、と、一時はかなり重症の大人不信に陥りました。

 私自身、大学生を取り巻く今の就職環境が決して望ましいものとは思いません。本来は勉強をするための大学で、早くから就職活動に取り組まなければならない状況は、明らかに間違っています。就職活動、略してシューカツの早期化、長期化への警鐘は、私が大学の就職室長をしていた7年も前にすでに鳴らされていました。

 ただ、そんな中でも、もし救いがあるとすれば、苦労は必ず力として蓄えられていくことです。

 番組の中でも、卒業寸前に、ある福祉施設に内定して働き始めた女子が、こんな言葉を語っていました。

 「落ち続けたことが自分を鍛えてくれました。いろいろ吸収できる時、生まれ変わる時だったと思います。」

 貴子さんが最後に語った、「知ってほしい3つの点」も、まさにその通りです。

@ 学生にとっては、知らない企業を受けることが不安である。
A 情報と事実と真実は違う。活動をしていくにつれていろいろな事実に出会う。
情報だけを鵜呑みにして真実を捉えないと、せっかく入社しても早期離職に結びつく。
B 若者は「きっかけ」で伸びる。何で落ちたかわからない採用試験では、それがない。

 ところで、今週初めに私がガイダンスをしたのは、せっかく希望の会社に内定をしながら、単位不足で卒業を1年延期しなければならなくなった男子学生でした。当然のことながら内定はキャンセル、就職活動も再び1から出直しです。

 私が話を聴いていくうちに、心がほぐされたのか、それまで強気そうに見えた彼が、突然泣き始めました。そして、こんなことを言ったのです。

 「もう1年、学費の工面をさせることを思うと、親に申し訳なくてたまらない。」と。

 ひとしきり泣いた後で、こう言いました。「自分はこの経験を無駄にはしません。自分の甘さも弱さもよくわかりました。もう一度、しっかりと、もっとしっかりと、シューカツに取り組んでみます。」

 そして、ガイダンスが終わったあとに、私にある物を差し出しました。

 「帯状疱疹について調べてみました。からだを温めるといいそうです。
 これ、お風呂に入れてください。とっても温まります。」

 温泉の素でした。たった一袋の温泉の素でしたけれど、本当に嬉しくて、その晩、私はいつもの2倍もゆっくりとお風呂で温まったのでした。そして思いました。

 「大丈夫、この子は大丈夫。挫折を力に変えて、きっと真実をとらえることができるだろう。」と。
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2010年11月18日

地中海ダイエットと「たまたま力」

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 昨日深夜、ナイロビから待っていた朗報が届きました。イタリア、ギリシャ、スペイン、モロッコの4カ国が共同で申請していた「地中海ダイエット」が、ナイロビで開かれていたユネスコの会議で、いよいよ無形文化遺産として正式認定されたというのです。

 朗報をもたらした主は、もちろんドクター・ツーリオ。私たちの親友であり、たまたま、本当にたまたま、イタリア代表としてこの会議に出席をしていたのです。どうして「たまたま」を2度も繰り返したのか、その事情についてはよろしければ、ミラノから書いた11月2日のブログをご覧ください。(http://blog.platies.co.jp/archives/20101102-1.html

 先週ミラノを発つ前日に、ツーリオが言いました。

「ナオミ、日本人の君がそんなに地中海ダイエットに関心があって、そんなによく知っているとは思ってもみなかった!結果については決まったらすぐに連絡してあげるからね。」

 イタリア人にしては律儀な(失礼!)彼はそんな約束をきちんと守り、こんなメールを送ってくれました。

「君もすでに聞いているかもしれないけれど、とうとう選ばれたよ。フランス料理とメキシコ料理も認定された。審議の手順については、ミラノで僕が君に説明した通りだ。」

 早速、「Congratulations!」のメールを送ると、またすぐに彼からこんなメールが届きました。

「帯状疱疹が治りつつあるって?ユネスコの決定と同じぐらいいいニュースだ。
 もし君が本でも書くなら、僕がこの件の発端から結果までの顛末をすべて教えてあげるよ。」

 まあまあ、何て心強いお言葉でしょう(笑)!
 調子に乗って本気で考え始めていたら、今度はミラノの夫からのメールです。

「13日に『食べ物と地中海ダイエット』の講演をすることになった。これについての研究グループに入ることになると思う。」

 これには驚きました。料理もしない人が、いったい何だってそんなことに?
 私が騒いでいたからでしょうか。クロワッサンにバターをたっぷり塗って食べようとするのを制して、無理やりオリーブオイルにさせたからでしょうか。

 いずれにしても、たくさんの予想だにしなかった「たまたま」が次々と起こっています。

 たまたまツーリオが、これに深く関わっていて、
 たまたまこの時期にミラノにいたことから、それがわかって、
 たまたま会議の前に一緒に食事に行ったことから、話が展開し、
 たまたま、まさかの夫が研究グループに加わることになって、、、、、

 そしてその大前提として、たまたま私がそれに長い間関心を持ち続けていて、
 そのために昨年、50年前の地中海ダイエットブームの火付け元となったクレタ島を訪れ、
 オリーブオイルを単なる興味から、きちんと体系的に学びたいと思い、
 勉強をし、今年の2月にオリーブオイルソムリエになって、、、、、

 これだけ「たまたま」が重なれば、「たまたま力」の一つも発揮して、本当に真剣に向き合ってみようかしら、と思い始めました。

 この食事法というか、地中海的暮し方は、実はアンチエージングにも素晴らしい効果があるのです。もう一つたまたま、3日前にこんな本があることを見つけて、アマゾンの特急便で注文したら、今日届きました。500ページもの分厚い本です。

 『The New Mediterranean Diet Cookbook〜A Delicious Alternative for Lifelong Health』 (新地中海ダイエットクックブック〜生涯の健康のためのおいしい選択肢)

 これもまた「たまたま力」を発揮して、頑張って読み始めるつもりです。だって、よくよく調べて、よくよく考えて手に入れたのとは違って、たまたま見つけて、たまたま取り寄せてしまったってことは、それなりの縁があるってことなのですから。

 ところで、この地中海ダイエット、日々ワインを飲むことを推奨しています。
 もちろん、ただ今私も深夜に実践中(笑)。
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11月18日(木):アルプスの麓の朝ご飯
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2010年11月17日

アレが戻ってきました(ホッ)

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 身の回りの品の中で、何がなくなったら一番困ります?
 
 わたくし、恥ずかしながら忘れ物、落し物、失くし物の名人です。加えていえば盗られ物も。
「またっ〜?」と、あきれられるのが怖くて、いまだに家族に秘密にしていることもあります。履歴でも書けば、その長さはおそらく誰にも負けません。でも、最近は何を忘れたかさえ忘れていることもあります(笑)。

 今回も記録を更新しました。アンサンブルセーターの、下に着る方を、ヴェローナのホテルの引き出しに入れたままにしてきてしまいました。加えて、こんな真っ青になることが、、、、、

 飛行機に乗れば、やりたいことがたくさんあります。本も読みたいし、映画も見たい、音楽も聞きたいし、書き物もしたい。大きな荷物は棚の上に置いて、ハンドバッグは座席の下に置くまでは誰でも皆同じ。次に私は、バッグを座席の下に入れ込む前に、中から必ず使う必需品を取り出して、座席のポケットに移します。本だとか、筆記用具だとか、ノートだとか、歯ブラシだとか、、、、、

 先週の木曜日、ミラノ発アリタリア航空786便に乗り込んだ時もそうでした。けれども、この時ばかりは帯状疱疹騒ぎでかなり疲れていて、いつものように積極的に何かをする気にもなれず、本すらもカバンの中に入れたまま、音楽だけを聞きながら、ひたすらぼんやりとしていたのです。

 そのままぼんやりと12時間。成田に着いて頭上の荷物を下ろし、座席の下の荷物を取り出し、コートを羽織って飛行機を降りました。駐車場にあずけておいた車に乗り込んで、家へ帰って、さてアレを、とバッグの中から取り出そうとしたら、アレが一式ありません。そんなことはありえません。いつだってバッグの中を手に入れれば確実にあるものだったからです。

 必死に探し回りました。もしかして何かの間違いで別のカバンに?とか、片付けた衣服の間にでも紛れ込んでるのでは?とか、、、、いったんあきらめた捜索活動を、また翌朝に開始しても、アレは行方不明のまま。

 少々途方に暮れました。そして、消えた原因がわからぬままに、あきらめる努力をしました。

 また一日たって、突然ある考えが浮かびました。
「もしかしたら、無意識のうちにアレを座席のポケットに入れたまま、飛行機を降りてきてしまったのではないかしら」と。

 そして、駄目で元々とアリタリア航空に電話をしたのです。搭乗した日付と便名と座席番号を告げると、しばらく待たされた後で、

 「はい、確かにそのようなものが忘れ物としてあがってきております。着払いになりますが、すぐにお届けいたします。」

 と言う天の声。

 そして、アレが戻って来たのです、今日。
 人様にとっては何の価値もない殴り書きをした、私の大事なメモ帳が3冊。私にとっては大切な情報や、覚えておきたいことや、思い出がたくさん詰まった3冊の小さなノートです。ブログを書くようになって、とりわけメモ魔になった私は、どこに行くにもこの小さなノートを肌身離さず持って行っては、たとえ電車に揺られて立っている時にだって、頭に上った言葉があればすぐに書き留めているのです。実際、そうでもしなければ、浮かび来る多くのことは、すぐに忘却の彼方に去ってしまうからでもあります。

 眼鏡はしょっちゅう置き忘れています。でも、たとえ手元に戻ってこなかったとしても、あきらめて新しく作ることができます。

 お財布を失くしたことも数知れず。でも、しばしわが身のうかつさを悔やめば、それはそれで何とかあきらめをつけることはできます。

 ハンカチやペンはしょっちゅう失くしています。ですから高価なものは持ちません。

 けれども、この手のメモ書きだとか、手帳だとか、PCだとか、携帯電話だとかは、本当に困ります。ノート自体や手帳、パソコン、電話器そのものはあきらめられても、中にたっぷりと含まれた「情報」を失うことは、想像しただけで青ざめるぐらいです。記憶で蘇らせることのできる情報はたぶん1%もないかもしれないのですから。

 とにかく、今、私の手元には探し続けていたノートが3冊。
 中を開けば、記憶に留めておきたかった大切なことや、ふとした時に浮かんだアイディアがたくさん。助かりました!
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11月17日(水):新漬けオリーブいよいよ登場
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2010年11月16日

GINZA プレイバック

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 一年前の今頃は、毎日銀座に足を運び、仕事をしていました。季節の移ろいを、日々、「銀座」  という場所で感じていました。

 中央通りのミキモトの正面玄関の前には、その前の年も、前の前の年も、見あげるような大きなクリスマスツリーが飾られ、11月ともなればそこに三千個ものランプが灯されて、道行く人たちの足を止め、心を華やかに浮き立たせました。

 午前中、京橋で仕事を終えての帰り道、開放感にいざなわれて、突然銀座を歩きたくなりました。そこには、4年もの間見慣れた懐かしい光景が、変わらずに待っていてくれました。今年は先週の土曜日に点灯式が行われたようです。1976年以来、これで33本目。変わらずにいることは、もしかしたら、新しく変わり続けること以上に大きな力を必要とすることかもしれません。

 群馬県の嬬恋村から根がついたままで運び込まれた、この、高さ10メートルもの樅の木の樹齢は、約40〜50年といいます。これから12月25日のクリスマスの日まで、この木は銀座の街を彩り続け、道行く人たちの頬を光で染めた後、東京近郊のどこかの施設の庭の土に植えられて、今度はそこでさらなる樹齢を重ねます。

 銀座には、新しいものと古いものが、節度を持って混在しています。
 人で賑わうユニクロの前では、ゆっくりと、ゆっくりと、まるで時が止まったかのように、高野山のお坊様が托鉢を持ち、静かに経を唱えながら歩いています。動と静が、やはりまた、節度を持って共存しています。銀座はやっぱり素敵な町です。
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11月16日(火):生vsグリルの野菜対決

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2010年11月15日

人は呼ばれてそれになる

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 「グリャンマァ?」
 「グリャンマッ!」

 その声を聞いただけで、私は仕事人の顔も、池澤直美という顔もなくなって、メロメロにふやけてしまいます。その間は完全降伏であり、完全幸福でもあり、グランマ一筋です。そんなフワフワとした柔らかな一瞬が、今の私の一番の無防備な状態であり、癒しの時間かもしれません。

 その小さな子がどんどんと言葉を覚えていく様は、そうそう頻繁には会うこともできない状況だけに、それこそ点から点へとジャンプしたような驚きです。

「大きいワンワン こわい。小さいワンワンこわいない。」
「これXXの。グリャンマのじゃないの。」

 こんな複雑な構文をいったいどうやって身につけたのでしょう。目に見える犬とちがって、「こわい」 は目に見えるモノではありません。そんな言葉をいったいどうやって覚えていくのでしょう。

 「グリャンマ」 と呼ばれて、私は本当のグランマになりました。それまでは、正直なところ、ただ可愛いという一方的な関係に過ぎなかったものが、双方向の関係に展化したからです。初めはあんなに気恥ずかしかったのが、「グランマまた来るからね。」 などと、ごく普通に自分から言えるようになりました。

 言葉というのはいつだってマジックです。
 「ママ、ママ」 と呼ばれ続けて私たちは母親になり、「ナオミ、ナオミ」 と呼ばれ続けて、私は 「カズコ」 でも 「ミヨコ」 でもなく、直美という人間になりました。

 「先生」 と言う言葉もそうでした。そう呼ばれるたびに、気恥ずかしくて、居心地が悪くてたまらない時期がありました。けれども今ではすっかり馴染んできて、「ナオミ先生!」「池澤先生!」 と呼ばれるたびに、私はニコニコと、時には厳しい先生の顔になったりしています。

 今日、スーパーでレジに並んでいたら、山盛りの籠を持って前に立っていた若い女性に向かって、「おい!」 と言う声がしました。ふりかえってみれば、ご主人らしい男の人が、牛乳のパックを持っていました。女性は、にこりともせずに黙って私の前に腕を伸ばし、これまたにこりともしない男の人から牛乳パックを受け取って、黙ったままで籠の中身に加えました。

 もしも、家の中でさえ、「おい!」 と呼ばれ続けていたとしたら、私たちは 「おい」 と言う人格になってしまうのではないでしょうか。それはいったいどんな人格なのでしょう。

 言葉を惜しんではいけません。人は呼ばれ続けることによってそれになります。
 「おまえは駄目な子だから」 と言われ続ければ、その子は本当に駄目な子になってしまいます。
 逆に、「あなたは優しい子ね」 といい続ければ、その子はきっと優しい子になります。

 「グリャンマ」 と呼ばれてグランマになった私は、昨日小さな孫から、「グリャンマ、はい。」 と手の平に載せられた小さなドングリと、赤く紅葉した葉っぱを、「宝物箱」 に大切にしまいました。こうして私はどんどんとグランマに育っていきます。
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2010年11月14日

きちんと 「いつか」 に向かい合わねば、、、

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 今日から東京での仕事が始まりました。午前はオリーブオイルのテイスティングセミナー、そして午後は1月に開講する 「グローバル人材塾」 のための 「海外就職説明会」。

 「グローバル人材塾」 は、私がミラノでノホホンとしている間に、若い人たちが本当に良く頑張ってくれて、写真のような素敵なフライヤーと、とてもわかりやすく書かれた案内書まで作っていてくれました。本日の説明会と体験講座の準備も万端。顧問の私は、ただ行って、初めにちょっと講演をして、あとはもうただただ感心しながら事の成り行きを見ているだけという楽なお役目。あ、もちろん参加者の方々からのご相談はいくつかお受けしましたけれど。

 講演に続く2つの彼らの講義は、なかなかのもの。
 その後、休憩をはさんで、小グループに分かれてのコミュニケーションと英語ディスカッションの体験講座も、傍観していて実に面白いものでした。

 参加した皆さんは、留学から帰ったばかりの方もいれば、後進国でIT技術の指導をしたいという方や、今の会社に満足できずにいる方々や、とにかく香港で働きたい方、恋人のいるロンドンでの仕事に就きたい方など、本当に様々。けれども、この会場に足を運んで来たということ自体が、もうボーダーのない世界へのパスポートを持っているということです。

 私自身もたくさん学ばせてもらいました。

 田村さつきさんの「コミュニケーション体験講座」では、右か左か利き手があるように、心にも利き心があること、そして曖昧な情報の中に置かれた時には、無意識のうちに利き手ならぬ利き心が出ることを教えられました。そして、私は、五感を通じて観察した情報や事実に焦点を置くタイプだと言う事もわかりました。

 若松千枝加さんの「海外就職の基礎知識」では、思わずドキッとする言葉を聞いてしまいました。人には、「今年行きます。」 あるいは 「来年○月頃に行きます。」 と言う人と、「いつか行きます。」 と言う人がいるということ。後者の人たちの大半は、5年立っても同じ事を言っていると言います。

「『いつか』とずっと思い続けているぐらいならやめた方がいい。どうせ行かないんですから。」

 と、爽やかなぐらいにスパッと言い放つ、私よりもずっと若い若松さんの言葉に、「は、はい。おおせの通りです。」とばかりに、心中「いつか」と思い続けていることのある私は、下を向き赤面したのでした。

 そうなんですよね。思い続けているばかりの 「いつか」 はスルリと逃げていきます。
そんな 「いつか」 は、結局は面倒くさくてやりたくないのか、本当は自信がないだけ。
要するに逃げているだけです、たぶん。

やっぱり今度こそ、きちんと私の 「いつか」 に向かい合い、具体的に動き始めなければ、、、
目を覚まさせてもらった日曜日となりました。
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2010年11月13日

言葉の効力

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 のっけからまた例の話で恐縮ですが、昨夜はまたしてもぶり返してきた、大きな針で突き刺されるような痛みに起こされて(あるいは単に時差ぼけ?)、こんなことではたまらないと、地元の皮膚科に行ってみることにしました。ほんと、もうこんな状態にはつくづくウンザリ。

 言葉が全てわかるというのは、当たり前のようなことでいて、どんなにありがたいことでしょうか。ドクターの言っていることも、ナースの言っていることも全て理解できるのです。不安な点を「日本語」で自在に質問することもできます。

「いつ出発?じゃ、それまでに完全に治してあげましょう。」と言う言葉がどんなにありがたく身にしみたことか、、、結局、3種類の薬をもう3日飲んで、3日おきに通院することになりました。「冷やしてはいけませんよ。」 と言う言葉を100%理解して、早速帰りがけに薬局に寄って、使い捨てのカイロなどを買ってきてしまいました。ついでに電気毛布も引っ張り出しました。「言葉の効力」 のおかげで、以来、だいぶ気が楽になり、痛みもさほど感じません。

 これはもう単純に私の怠け癖のなせるわざなのですけれど、今回のミラノ暮らしではつくづく言葉の力を実感しました。正確に言えば 「言葉がわからないことの無力」 です。たとえば夕飯の買出しにスーパーマーケットに行ったとします。小さな画面に映し出された数字に合わせて支払いをしようとすると、レジのおねえさんが「XXXXX?」と私に聞いてきます。聞き取れないなどという次元の問題ではないのです。全くもってわからないのです。

 恐らく「袋はいるのか」 とか、「いるならいくついるのか」 とか、「小銭はないのか」 とか、そんな類のことだとは思うのですが、私はキョトンとしたまま言葉を発することができません。

 踊ることも歌うこともできない私の表現手段と言ったら唯一 「言葉」 です。それが無効な状況がいったいどれほど寄る辺ないものでしょうか。黙って突っ立ったままの自分が実に情けなく思えます。同じEU内なのに、英語はなかなか通じません。同じイタリアでも、6月のシチリアと南イタリアではこんなに無力さを感じることもありませんでした。だって、あの半月、私はresidentではなくtravelerだったのですから。

 翌朝の出発を前に、日本へ持って帰るものをたくさん買い込んで 「無力感」 と共に家に帰ってみたら、夫が玄関に飛んできました。6時をちょっと過ぎた頃でした。

「ナオミ、心配してたよ。今さっきネリーナから電話が入って、今晩8時半にネリーナの家にディナーに行くことになったんだよ。大丈夫かい?」

 夕飯を作るつもりで買ってきた食材が宙に浮いてしまうことが頭をよぎりましたが、仕方がありません。当のネリーナはもう何日も前から夫にメールを出し続けていたとのこと。それがあろうことかネットの不接続で見ることもできなかったのです。

 急いで出かける支度をして着いてみれば、どうやら私たちのほかにもたくさんの客人がいる気配です。大きなテーブルには7つのお皿が並べられています。

 だんだんと事の次第がわかってきました。目的は、私の送別会と、留学を終えてアメリカから帰国した息子ジェコブの歓迎会。ジェコブとその友人たちは、イタリア人特有の母音の強い英語ではなく、完璧にネイティブな英語を話します。てっきりアメリカから来た友達だろうと思いながら、「どちらからですか?」 と女性の方に訊ねると、信じられないことが起こりました。

 「I am from Greece. I am Anastashia.」 (ギリシャからです。アナスタシアと言います。)

 その後、私がいきなりどんなに饒舌になったかはご想像していただけると思います。私がまさかギリシャ語を話すなどとは思ってもみなかったアナスタシアの目が輝き始め、そんなことなど想像だにしていなかったネリーナが口をあんぐりあけて、私たちの鉄砲玉のような会話の応酬を見つめています。

 それからの食卓は、次から次へと運ばれるネリーナの手料理を褒め称えながら、イタリア語と英語とギリシャ語が飛び交う場となりました。これによってショボンとしていた私がどんなに元気を与えられたことでしょう。

 ロングステイをお考えの皆様に心から申し上げます。英語圏以外の国にお住まいになる時には、どうぞその国の片言の日常会話ぐらいは身につけてからいらしてください。言葉を音としてしか聞くことができない状況は、予想をはるかに越えて寂しいものですし、ただ黙ったまま何の言葉も発することができない状況は、予想をはるかに越えて悲しいものです。

 今、日本にいて、何の苦労もなく聞いて話せるということを、こんなに有難いと思ったことはありません。

 写真は、後ろから息子ジェコブの肩に手を置いているのがネリーナ、真ん中の若い女性がエリニーザ(ギリシャ人)のアナスタシアです。
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11月12日(金):苦肉の策の日本食ディナー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:31| Comment(0) | その他メッセージ

帰りました、つながってます!

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 行きよりも明らかに重くなった荷物を引きずって、帰ってきました。
 どうせすぐに戻る身、服も靴も化粧品も、2台のPCのうち1台も置いてきたのですけれど、代わりにぎっしりと詰まっているのは、ポレンタという重いトウモロコシの粉や、ポルチーニや、オリーブオイルやバルサミコの瓶などの食材がたくさん。加えて向こうで買ったたくさんの本と、家族や友人たちへの贈り物。

 ミラノの空港でちょっと面白いことがありました。手荷物検査のX線でカバンの一つが引っかかってしまったのです。

「セニョーラ、ちょっと開けてもいいですか?」

と、かなり不審な顔つきで言われ、手袋をした手で上から下までガサゴソと念入りに調べられ、検査官がカバンの奥底から取り出した袋を頭上にかかげ、「ポレンタ!」 と一言。

 これにはまわりの人たちも大爆笑。ポレンタと言うのは北イタリアではその昔、貧乏人の主食であったトウモロコシの粉なのです。40分もお湯の中でかきまわしながら煮て、お腹にたまるお粥を作ります。

 なぜにそんなものを3袋もカバンの中に忍ばせていたかと言えば、今月のグローバルキッチンのメニューの一つがポレンタだから。30人分ものポレンタが必要だったのです。皆さんに笑われただけで幸い没収されずにすみました(笑)。

 1人残してきた夫には申し訳ないのですが、今回ばかりは日本に帰ってきたのが嬉しくてたまりません。旅ならまだしも、いちおうは 「暮し」 でした。世界中どこにいようが 「暮し」 である以上は、日常生活からくるストレスがあります。日本の日常生活の中でなら、ごく簡単に解決できることでも、初めての地、しかも言葉のわからない地では難儀なアクシデントです。今から思えば、よくもまあ、その昔、身重のからだでギリシャ暮しなどを始めたものです。若さというものは、とてつもないパワーを持っているものだということが、つくづく身にしみました。

 私の日常はインターネットの上に成り立っています。どこにいようが、それさえきちんと繋がっていれば、今回のような不安もなく、ストレスだってもっともっと小さかったことでしょう。けれども、それが突然わけのわからない理由で絶たれてみれば、大げさに言えば、私は世界の動きを知ることもできなくなってしまいました。イタリア語の新聞もテレビも理解ができません。英字新聞を買うには、わざわざ地下鉄に乗らなければなりません。

 世界の動きや日本の動きだけではありません。家族の様子も、友の様子も皆目わからなくなってしまったのです。7時間、途中から8時間になった日本との時差は、私が朝目覚める朝には日本はもう午後です。帯状疱疹の痛みですぐには起き上がれなくても、手を伸ばしてPCさえベッドに持ち込めば、私は朝一番に娘たちのブログを開き安心し、メールの受発信を済ませ、おおかたのことは処理をすることができました。それからおもむろに、夫がベッドに運んでくれたコーヒーを飲みながら、友たちのブログを読んでは笑ったり、力をもらったり、一緒に悲しんだりしていたのです。

 そういうことが一切できなくなってしまったとしたら、それは不安やストレス以外のいったい何でしょう。せっせと書いた原稿や書類を送ることもできないのです。随分皆様にご迷惑もおかけしてしまいました。よっぽどの時には、PCを持ってホテルのロビーに忍び込んだり、町中のネットポイントを探し当てたりして難をしのぎましたけれど、それとて、この私のPCはコードがなければすぐに画面が薄暗くなってしまうのです。

 いったん手に入れた既得権を手放すことに人が抵抗を示すように、いったん知ってしまった世界はもう後戻りができません。ぶうぶうと文句を言い、不運を嘆きながら、そのうちに「はめられた!」と、気づきます。

 私が仕事を始めた頃は、テレックスという6つ穴の開いた長いテープを使って世界と交信していました。会社の特定の場所にテレックスの機械があってその前でなければ仕事ができませんでした。書類は何枚ものカーボン紙をはさんでタイプライターで打ちました。と言っても、これは英語だけで、日本語のタイプは専門のタイピストしか扱うことができませんでした。

 そのうちファックスが導入され、コンピュータの時代になり、今ではごぞんじの通りです。
 ある特定の場所でしかできなかった時代から、いつでも、どこでも、何でも、誰でもが当然のようにネットワークに繋がっている 「ユビキタス」 という時代になってしまいました。

 その便利さ、簡易さにこんなに縛られて、どこに行っても完全にオフなどありえなくなってしまい、結局は繋がらなければオタオタとする、肝っ玉のすわらない私のような依存人間が生まれてしまうのです。

 困ったものです、などと言いながら、私はさっきからずっとPCで繋がりまくっています。こんな環境に戻ってきたのが嬉しくて、しばらくは眠る気にもなれません。

 帰ってみたら、並木の桜も庭の桜もすっかり秋色に染まっていました。
 例のアレはいまだにキリキリ。リバデルガルダで発症しヴェローナへ、ミラノからまたアオスタヘ、そしてまたミラノ経由で東京へと、とうとうここまで連れてきてしまいました(笑)。
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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 00:16| Comment(0) | 日本ライフ

2010年11月11日

帰ります!

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 空港からです。空港はまずどこでも無線が繋げるので助かります。

 ミラノ滞在パート1を終えて、東京に戻ります。パート2までの短い間に、かねてから予定されていた様々なことを片付けます。講演が2つ、講義が1つ、学生のガイダンスが数件、春から準備をしていた大きな講演会のコーディネーターとしての仕事が1件、何件かのビジネスミーティング、プレゼン、そしてグローバルキッチン(ミラノ料理)を3回。

 このほか、友人たちとのプライベートな集まりもありますし、夫の名代で出なければならないレセプションもあります。それに、何と言っても家族に会いたいのです。加えて、ミラノパート2に備えて色々準備をしなければならないこともあります。

 何て言うと、「うわあ、忙しそう!」 と思われるかもしれませんが、いえいえ、「緩」 のあとの 「急」 なだけの話です。移動生活の身には、緩急のバランスを取って生活をすることなどは願っても叶わぬ遠い夢。多忙度指数なんていうものがあったとしたら、かなり激しい折れ線グラフができることでしょう。ある時はモンブラン、ある時は太平洋。けれども、たぶん年間平均指数は世の平均をかなり下回っているかもしれません(笑)。

 できることはできる、
 できないことはできない。

 やりたいことはしたい、
 やりたくないことはできればあまりしたくない。

 できることが何なのか、やりたいことが何なのか、が、だいぶ分かってきたこの年になれば、そんな我が儘だって許されていいのでは?と、都合の良い解釈をしています。

 長い人生、できないことをガムシャラに頑張ってみたり、やりたくないことを一生懸命我慢してやってきたりもしましたけれど、そろそろいいかな、無理をしないで。

 自分だからできることを、自分らしくしたい。
 やりたいことを、自分らしくしたい。
 ポータブルに、どこにいても。

 搭乗案内が聞こえます。失礼します。

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11月11日(木):ポレンタ〜昔は貧乏人の食べ物でも
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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:56| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年11月10日

小さな揺らぎがくれる力

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 ミラノは今日も朝から霧が立ち込めています。「女心と秋の空」だの、「お天気屋」などと言う言葉が浮かんでくるぐらい、やっぱり天気と心はどこか繋がっているようで、お天気次第で気の持ちようが随分と変わります。カナダ人の心理学者の友人は、「お天気心理学」を研究しているぐらいです。

 霧はいけません。初めはロマンチックかと思っても、あまりに続くと心が霧に閉じ込められます。しかも、いまだに復旧しないネット接続が、深い霧となって、ますます視界を塞ぎます。

 昨日、アルプスを臨む町、アオスタから帰ってきました。スイスとの国境に立つ、頂上が雲で隠れるモンテ・ローザを仰ぎ見ながら、Gressoney渓谷に沿って奥へ奥へと車を進めました。小さな町は標高2千メートルを越えている所もあります。車を降りれば寒さで身がすくみます。一杯のコーヒーで暖を取りたくても、この時期は開いている店を探すのも一苦労です。

 クロスカントリーで知られたこの一帯は、もう少し立てば雪に覆われて、ホテルもレストランも、閉ざしていた扉を開けてスキーヤーたちを迎え入れるのでしょう。「12月になれば様変わりするよ。」と言う土木工事のおじさん達は、作業服の上に手袋とマフラーと毛糸の帽子を身にまとい、もうすぐやってくる華やぎの時のために、山道の両端にせっせと煉瓦を埋め込んで歩道を作っています。

 毎日たくさんの美しい風景に出会い、歴史に触れ、思いを縦にも横にも膨らませても、ふと足を止めていつまでも見入っていたいものは、案外小さな小さな揺らぎだったりします。

 たとえば、まだ緑色の先端を残したままに黄金色に染まった木々の葉が、光の中でチリチリと揺れている風景。まるで風鈴の音が聞こえてきそうです。誰ひとり見る者がいなくても、木々たちは時の移ろいと共に姿を変えて生きていきます。

 山の斜面に立つ粗末な小屋からは、揺れる煙がもっと高い空に向かって昇っていき、洗濯物が揺れています。

 10代最後の頃に、小さな飛行機でニューギニア高地のジャングルの上を飛んだ時、樹海の中から立ち上る一筋の煙を見た時の感動と同じです。

 いつどんな所でも生活している人たちがいることを知ることは、まさに旅の喜びであり、生きることへの力になります。何がなくたって、何を知らなくたって、ちゃんと暮らしている人たちがいるのです。ニューギニアの裸族の人たちと、たかが霧に閉じ込められて、インターネットが繋がらないことでこんなに落ち込んでいる自分の、いったいどちらが心満たされているのでしょう。わが身がどうしようもなく未熟で小さな存在に思えます。

「醤油は○○のでないと使わないの。」
「靴は○○のしか履かないことにしています。」
「○○以外は車じゃあないね。」
 
 時折、こんな排他的な物言いをしている人たちに会うと、高山の斜面に住む人たちよりも、ジャングルの裸族たちよりも、ローカルで不自由な種族のように思えて気の毒になることがあります。
人間誰しも好みはあって当然ですから、せめて「私は○○の醤油が好きで使っています。」「○○の靴が好きなので履いています。」「○○の車が好きなので乗っています。」という言い方にならないものでしょうか。
 
 ここまで書いてきてだんだん元気になってきました。霧だろうが、ネットに繋げなかろうが、帯状疱疹だろうが、大したことじゃありません。何があろうがなかろうが、おおかたのことは何とかなりますし、後になって思えばみんないい経験。ま、いいか、と、片手に気楽さ、片手にPCを持って、ちょいとそこらを一回りして接続ポイントを探してきます。
 
 地下鉄の出口で捕まえました。雨がぽちぽち降り出しました。どうしよう、早くアップしなかや、、、、ほんと、綱渡りです(笑)。
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11月10日(水):ルリコさんのティラミス
11月11日(木)予告:ポレンタ〜昔は貧乏人の食べ物でも
11月12日(金)予告:苦肉の策の日本食ディナー
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2010年11月09日

冬を待つ場所〜千の光からモンブランへ

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 滞在しているホテルは「Milleluci」(ミレルッチ)と言います。どんな意味かと言えば「千の光」。それを納得したのは、昨夜、日が落ちた時でした。部屋のバルコニーから見える山々の姿が消えて、夜の闇に浮かび上がってきたのが無数の蛍のような光だったのです。

 この山の中腹のホテルについては、また改めて書きましょう。それだけの価値があるホテルですから。

 今日の予定はちょっと欲張って、二つの村の中世のお城、モンブランのイタリア側の入り口であるクールマイユー、そしてグラン・パラディーゾ国立公園。ところで、モンブランのイタリア語での呼び名はモンテビアンコ。こちらの響きもなかなか素敵です。

 朝9時に車に乗り込めば、フロントガラスはバリバリに凍り付いています。気温表示は2度。それなのに、この26日間のイタリアでの日々で一番の好天気となりました。白い雲がよく似合う青空に、雪を抱いた山々が誇らしげに輝いています。

 驚いたことに本当に空気がおいしいのです。最初に触れる冷たい外の空気は、口を大きく開いて何度も吸い込んで、パクパクとかみ締めたくなるぐらいです。これが山の空気と言うものでしょうか。

 モンブランの麓の町、Courmayeur (クールマイユール)まではアオスタから高速で1時間ちょっと。7つの長い長いトンネルを、次から次へと抜けて行きます。短いものでも2290メートル、長いものは3360メートル、大雑把に、平均を2500メートルとしても7つ繋げれば何と17キロ半。私が16年間車で通っていた三鷹の大学は、家から10キロちょっとでしたから、家から大学の先の先までずっとトンネルが繋がっているようなものです。

 ちなみに、クールマイユールから、フランス側のシャモニーまでは11.6kmのトンネルでアルプス越えができます。今日はちょっとそこまでの余裕はありませんでしたけれど、と言うよりは、正直に白状すれば、長すぎるトンネルは怖いのです。8本で17キロなら大丈夫でも、1本で11キロは想像しただけで震えが来る閉所恐怖症の身です(笑)。

 今年の冬は温暖化の影響で雪も遅いようで、スキーヤーの到来があってこそ賑やかになるクールマイユールの町は、ホテルもレストランも店も、みんな閉まってひっそりとしています。グラン・パラディーゾ国立公園内の小さな町も静まり返り、インフォメーションセンターも博物館も、華やぐ季節を前に扉を固く閉ざしたままです。

 3月のギリシャを思い出します。ケルキラ島の村々をクネクネと車で走っていた時も、クレタ島の海沿いの村々を通り抜けていた時もそうでした。村々は静かなまどろみの中で、春を、そして来訪客で賑わう夏を待っていました。

 春を待つ場所もあれば、夏を待ち、秋を待ち、冬を待つ場所もあります。
 乾いた季節を待つ所も、雨の季節を待つ所も。
 私たち人間もそうです。

 朝から晩まで山ばかり見ていたというのに、気づけば私は海のない場所で、海を待っています。
山々はあまりに美しく神々しく、威厳と共にそびえ立ち、離れた所から畏敬の念で仰ぎ見ることしかできません。海ならば、いつも同じ目の高さで、こんな私をも優しく包んでくれます。山は天へと近づき、海は見えない遠い世界へと広がります。

 11.6キロのトンネルの先に待っているものが、もしも海だったなら、私は閉所恐怖症をじっと我慢してでも通り抜けていたかもしれません。

 ところで、東京の友からこんなメールが、、、

「帯状疱疹は大変だねー。僕も一昨年の暮れに、帯状疱疹になり、一ヶ月半会社を休みました。痛いのはもうすぐ治ると思います。が、問題はその後余り調子が出ないことで、これは、何かをすると悪くなるとか、良くなるとかはないみたいで、時間の経過を待つしかないんだよね。でも基本は良く寝ることです。お大事に。」

 一ヶ月半!に驚き、なあんだ、私の半月なんてまあだまだ、と、変に励まされ、
 痛いのはもうすぐ治る、という言葉に安心し、
 時間の経過を待つしかないのなら、はい、そうします、と素直にうなづき、
 しばらくはコヤツと共生する覚悟ができました。

 昨夜寝る前に書いたものをアップできなくて、実は今、火曜日朝の6時半。外はまだ真っ暗。「千の光」が揺れています。今日またミラノに帰ります。そして、また接続の喜びから、ネット接続不可の不安へと戻ります。
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11月9日(火):女3人のミラノポットラック
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2010年11月08日

今、アオスタで、この人と

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 お昼ちょっと過ぎに、アオスタという北イタリアの小さな町に着きました。周り中が山、しかも雪を抱いた高い山に囲まれています。しかも、ただの山ではありません。山音痴の私でさえ名前ぐらいは知っている山々です。モンブラン、マッターホルン、モンテ・ローザ、、、、、スイスもフランスもトンネルで繋がってすぐそこです。ここで3日間を過ごします。

 なかなか回復に向かわない帯状疱疹やら、インターネットトラブルやら、鍵の行方不明事件やら、停電やらでかなり閉塞状況に陥っていたミラノから抜け出しました。今週末も小雨模様となったミラノを後にして高速に乗ったのが朝の10時。これでは、せっかくアオスタまで行って、部屋のバルコニーから雪の山々を見渡せるホテルに着いても、何一つ見えないのではないかと心配になるぐらいに、走っても走っても霧に包まれています。

 かなり絶望的になって来たところでうまい具合に雨が止み、少しずつ視界が広がってきました。目に映るのはそびえ立った山々と、小山の上に立つ13世紀〜14世紀の城砦。麓の山々は黄色く染まり、草原では牛や羊がのんびりと草を食むという、まさに牧歌的な風景。

 「はて、ここはどこだったかしら?」と、アルプスの少女ハイジがいつ出てきてもおかしくないような、勾配の大きな屋根の、山小屋風の家々が山の斜面に建ち並んでいます。もう少しすれば、この山の麓の町も雪で覆われるのでしょう。

 最後まで誰にも会わなかった町の博物館で、古代ローマの遺物の中を歩き、古い古い昔の町の模型の前で、しばらく座っていながら、思いました。

 私はなぜアオスタではなく、日本で生まれ、
 私はなぜ古代ではなく、今の時代に生きているのだろう。

 ホテルに戻れば、私たちだけのために暖炉に薪がくべられて、暖かいお茶とケーキの準備ができています。静寂の中、ただパチパチと木々が燃える音。ぬくぬくと温められていきながら、思いました。

 私はなぜ今、ここにいて、
 私はなぜ今、この人と一緒にいるのだろう。

 46億年前に誕生したこの惑星の上で、今、
 大きな大きな地球の上の、北イタリアの小さな町で、
 69億人もの人が住んでいると言うのに、この人と、、、、、、

 これが単なる偶然ではなく、何とは知らぬ大きなモノの意志だとしたら、
 これが私の使命。

 それにしても、インターネットがごく普通に繋がるというだけで、どうしてこんなに安心するのでしょうか。このバルコニーからの夜景と、天蓋付きのベッドと、猫足のお風呂と同じぐらいに嬉しいなんて、ずいぶん情けなくなったものです。

 明日、天気がよければ、アルプスのフランス側へ車で登ってみようかと思います。
 痛みはまだまだ消えませんが、今日は少しばかり楽になりましたから。
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