2010年10月30日

Happy Halloween & Happy All Saints' Day!

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 東京は朝から大荒れだったようですね。
 こちらは、ほどほどに太陽が顔をのぞかせた、風もない土曜日です。「冬は寒くなりますよ。」 と脅かされてはいますが、まだまだ薄手のコートで十分です。それでも女性たちの足元には、ブーツが多く見られるようになりました。

 明日のハロウィーンを前にして、今頃は、東京でもワシントンでも、あちこちがオレンジ色と黒のツートンカラーに彩られていることでしょう。そうそう篭城してばかりもいられないと、今日は覚悟を決めて中央駅周辺の探索に行きましたが、カボチャや蝙蝠や、蜘蛛の巣や魔女たちで飾られたウィンドーを見ることはありませんでした。雑貨小物などのお店に入れば、隅っこの方に、ハロウィーン用の小さなグッズなどが置かれてはいますが、ひっそりとしたものです。

 3月のシアトルでは、居候をしていたシンプソン家のイツコが、ウフフと笑いながら、

「ねえねえ、私、今年は何になると思う?」

 何かと思えば、7ヶ月も先のハロウィーンの話。仕事先の日系老人ホームで、毎年老人たちのために大きなハロウィーンパーティーを開くのだとか。たしか昨年は 「雪女」 になったはずのイツコです。今年はさだめし 「夕鶴」?などと、どこから見ても美しく整ったイツコの顔を眺めながら勝手に想像していると、

「ウフフ、セクシー忍者!」

 やられました!さぞかし美しく、さぞかし艶やかな網タイツの忍者姿で、入居者の皆様を喜ばせてくれるのでしょう。「どこでもドア」 があったなら、明日はちょっとばかりシアトルに覗きに行きたいところです。

 いまやハロウィーンはアメリカに限ったことではありません。クリスマスがすっかり日本の風習になってしまったように、ハロウィーンだってかなりの認知度で日本に根付きつつあります。孫息子は昨年はテントウ虫になりました。パーティーに招かれて行ってみたら、ピーターパンや、海賊や、お猿さん、お姫様に、羽の生えた妖精さん、歩くバナナまで勢ぞろい。

 この際、由来も理由もウンチクもいりません。ハロウィーンがなんだろうと、カレンダーに、みんなと一緒に楽しめるお祭がひとつでも増えるなら、それはそれでいいことですもの。明日は台風一過、秋晴れの日にたくさんの楽しい集いが開かれますように。

 ところで、こちらは11月1日が「All Saints’ Day」と呼ばれる大きな祝日です。日本語では、「諸聖人の日」とか、「万聖節」などと称されるようですが、要するに全ての聖人と殉教者を記念する日です。どうも、毎日がそれぞれの聖人に捧げられているぐらいに、この国には聖人が数え切れないぐらいいるようなのです。それらをまとめて一度にお祝いしてしまおうというのもなかなか合理的(笑)。今年は土日月とロングウィークエンドにつながって、とりわけ人々がソワソワとしています。友人のネリーナも、クラウディオも、朝早く湖畔の家へと出かけました。

 そういえば確か、神無月(10月)の由来も、日本全国津々浦々の神様方が、出雲大社に大集合するからではなかったでしょうか。所変われど、どこか似ているような気がします。
 
 さてさて、本日で6日目の帯状疱疹ですが、なかなかどうして曲者です。だんだんと痛み止めの薬も効かなくなってしまいました。右側のお腹と背中に、たくさんの針を刺されているような痛みが、日がな一日続いています。今だってそう。この額の汗が、いったい暖房のせいなのか、それとも冷や汗なのかもわからなくなってきました。

 それでも、ゆっくりと、ゆっくりと町を歩いてみれば、あちこちで色々な発見があります。
 中央駅のそばで見つけた「International Foodstore」には、小さな空間に日本、韓国、インド、タイなどの食材が大集合。アジア系の人たちの、さまざまな言葉が行き交って、ミラノの普通のスーパーとはまるで違った熱気です。

 ついつい色々買い込んでしまって、メトロに飛び乗ったら、乗客の1人にこんな子がいて、しばらく無言の会話を楽しみました。お行儀のいい黒いワンコです。

 本日の癒しは、ワンコとカップラーメンと枝豆(笑)!
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10月29日(金):どっちが本家?〜仔牛のカツレツ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:48| Comment(0) | その他の国ライフ

ベッドの上から繋がる広い世界

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 つけっぱなしのラジオから、オペラの合間にクリスマス音楽が流れてくるようになりました。
 ホワイトクリスマスだったり、聖者の行進だったり、アヴェマリアだったりと、こればかりはユニバーサル。どこにいても変わりません。

 今日は中休み。帯状疱疹の痛みがちっともおさまらないので、断固篭城を決めました。
 ベッドボードに背もたれを作って、半身を起こしてパソコンを使い、本を読めるような小さな書斎を作りました。右手にコーヒー、左手に書類の山、なかなか快適です。痛くなったらたった1秒でゴロンと横になれます。

 こんな珍しいスタイル、自分ですら驚いているぐらいですから、夫はもっと驚いて、おっかなびっくりコーヒーカップを運んできてくれたり、「か、か、買い物に行くけど、何か欲しいものある?」などとやたら親切。「花を飾りたい!」と言ったら、こんな可愛いバラを買ってきてくれました(笑)。

 一日3回8時間おきに7日間飲むようにと渡された薬は、今しがた12錠目を飲み終えました。
 ということはあと9錠。「なあんだ、もう六合目まで来たじゃないの。」と思ったら、何だか太っ腹になって、すぐさま篭城生活に見切りをつけて外に出たくなるのをぐっと押さえて、今日はやっぱりこの小さな小さな書斎でじっと過ごします。

 日が傾きかけたら、そろそろと近くのスーパーに買出しに行って、キッチンに立ちますけれど、せめてそれまでは、こうして思いっきり出不精生活。

 と、ここでちょっと中断しました。スカイプで娘とおしゃべり。

 いつの間にやらすごい世の中になったものです。パソコンさえあれば、ベッドの上が広い世界に繋がります。朝から今までいったいいくつのメールをやり取りしたことでしょう。東京、横浜、ベニス、ミラノ、タンパ(フロリダ)、アテネ、ニース、ワシントン、、、、、仕事の段取りのほとんども、家族や友人たちとのコミュニケーションも、ベッドの上からできるのです。知りたいことがあったって、重い百科事典を持ち歩く必要もありません。

 携帯電話には、「今晩銀座のシグナスでライブをします。久しぶりにおいでになりませんか?」などというジャズピアニストの友人からの連絡メールが入ったり、、、、、

 夕方4時半の鐘が鳴り始めました。
 何だかちょっとだけ篭城生活から抜け出したくなって、玄関のドアを開けてみたら、日溜りの中で、近所の黒猫ちゃんがじっと鐘の音を聞いていました。

 たとえ痛かろうが、こんな何てことのない日の、なにげない優しさが嬉しくてたまりません。

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10月29日(金):どっちが本家?〜仔牛のカツレツ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 00:01| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月29日

ふっー痛い、でもラッキー!

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たぶんあと10分もすれば楽になるはず、、、、、

チクチク、ツンツン、キンキン、ブスブス、、、、
クシャミをしても、咳をしても、笑っても、、、
しまいには息を吸っても痛くって、歩くのもそろりそろり、、、、
手を上げるのもつらくって、、、、、

何て言うのでしょうか。
運動会で夢中になって走って、横腹が攣り続けているような、、、、、

ドクターが言いました。
「アンチウイルスの薬は必ず8時間おきに。
でも、痛み止めは耐えられない時だけ。最短6時間は間を置くように。」

その言葉を律儀に守って、これぞ、と言う時の前にだけ薬にすがってきました。
飲めば30分で嘘のように楽になります。
でも、だからこそ怖くって、じっと我慢をして痛みに耐えています。
それにたとえ楽になってもせいぜい3時間で効果が切れるのです。

本日1回目の薬は1時に飲みました。
ひょんなことから知り合ったミラノ在住のシズさんとルリコさんに、カフェでお会いする約束があったからです。この素敵な二人にはどうしても会いたかったのです。

そして2回目の薬を、夕食を終えた20分前に飲んだところです。

潜伏期はさておいて、帯状疱疹4日目にして、痛みは最強になりました。
これが世に言う「あの痛み」。

静かに静かに息をして痛みを我慢しながら、思っています。
陣痛にも似たこの痛み、女なら耐えられます。

「ああよかった、夫じゃなくて」

60を越えて俄然多くなるというこの病気。
しかも1度かかれば、もう二度とはかからないというこの病気。

「ああよかった、免罪符を手にいれた以上、残る人生もう安心。」

夫の祖母は80を越えてからかかり、それはそれは大変だったとか、、、、
父親に連れられて見舞いに行ったのに、「子供には合わせられない」と言われてずっと車の中で待っていたとか、、、、

「ああよかった、早いうちにやっちゃって」

痛くてフーフー言いながらも、そんな風に思っては、「私ってラッキー!」と思う私は、本当に得な性分(笑)。

痛み止めがまだ効いてきません。
すみません、明日はもう少しましなことを書きます。

それにしても、ふーっ、痛い、、、、
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10月28日(木):どっちが本家?〜仔牛のカツレツ
10月27日(水):まさかの1キロ70万円
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 05:49| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月27日

帯状疱疹すらも流れて

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 ご心配をおかけしています。

「○○さんが3年ほど前に重症の帯状疱疹になり、休んだことののない仕事を1週間も休んで心配したことがありました。原因は色々あるようですが、ストレス、免疫力低下もあるそうです。少しはお仕事、息抜きしてゆっくり楽しんでください。」

 こんな暖かい言葉は、仲良しのババ友。

「会社の人の同級生は、帯状疱疹を甘く見ていて入院したそうです。早急な処置をされたので、本当に良かったです。」

 ほっと胸を撫でおろさせてくれたのは若い友人。

「病は気から、というだけあって、きっと吹っ飛んでしまうとお事と思います。でもでも、ご無理なさらないでください。」
 
 と、気遣ってくれたのは、同じく頼もしい妹分。

「もし私にもブログに紹介されたような経緯が生じたら、医者に早めに行くことができるのでありがたい情報です。」

 と、お褒めの言葉をくださったのは、長い付き合いの仕事仲間。

 痛いです。何と言うか火傷のピリピリした痛みと、ひどい筋肉痛がいっぺんに襲ってきたようです。加えて時折、身体がピクリと動いてしまうような電気ショック的刺激。それでも、「気のせい、気のせい」 と思いながら何とかやり過ごせていますので、幸いごくごく軽症の部類なのでしょう。

 ミラノ行きを前に、かなりピッチをあげて色々なことを片付けていましたので、ストレスも高じていたのだと思います。平均睡眠時間も随分短かったはずです。加えて、移動先が初めての地、言葉もわからない国となれば、いやが上にも負のテンションが高まります。そんな所にまさに虚を衝かれたのでしょう。

 今朝、ベローナ駅でマークとジュディーと別れ、9時32分発の急行列車に乗ってミラノに帰ってきました。涙ながらに硬く抱き合った友たちは、そのまま車での旅を続けて、4日後の日曜日から、ベニスでクルーズシップに乗船します。

 私たちの乗った電車は、予定時刻よりも30分遅れてベローナを出発し、雪をかぶった山々と、キラキラと輝く湖水を遠くに見ながら、葡萄畑の間を進みます。一等車を取りましたので、私の短い足をどんなに延ばしたって、前の座席には届きません。

 人でごった返すミラノ中央駅のホームに降り立ったのが11時半。車で行けばあんなに時間がかかった所から、わずか1時間半で帰ってきてしまいました。

 不思議なものです。まだ半月しかたっていないのに、ガチャガチャと鍵を開ければ、そこは旅先のホテルではなく我が家なのです。24時間暖房の暖かい空気に出迎えられて、いつもの場所に落ち着けば、「帰ってきたなあ」 というくつろぎ感に満たされます。

 痛む右腹をなだめながら、前かがみでスーパーまで買出しに出かけ、夕食の支度をしなければならないことすらも、何だかごく普通の日常に戻ったような気がしてほっとするのです。大好きな友人たちとのあんなに楽しかった旅が終わってしまったにもかかわらず、、、、、

 こうして、旅と日常を繰り返しながら、私たちの日々が流れていきます。
 帯状疱疹すらも、共に流れていきます。
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10月27日(水):まさかの1キロ70万円
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:46| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月26日

こんなところで、まさかの帯状疱疹

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 実は、4〜5日前ぐらいから何だかおかしいな、と思ってはいたのです。
 どうおかしいかと言うと、右後ろの腰のあたり、もっとピンポイントで言えば、ウエストのあたりが、ムズムズピリピリした感じなのです。それがだんだん鈍痛に変わり、日がな一日、自分のからだの一部を忘れることができずに暮らしていました。

 ベッドと壁の間のせまい空間にすわって、無理な姿勢でPC作業をしていたのが筋肉痛をひき起こしたのかしら?と思ったり、いえきっと密かに進行していた腎臓の病気が表に出てきたのかもしれない、とかなり悲嘆に暮れたり、、、、

 痛みはだんだんと痛みらしくなり、昨日の朝になってみたら、定期的に針で刺されるような痛みに変わってきました。ここまで来れば、いくら能天気な私でもさすがに心配になります。何しろ旅空の身。ガルダ湖からベローナへ移るという予定を変更して、みんなに迷惑をかけたくはないのです。

 思い余って、初めて夫に打ち明けました。
「何でそんなこと我慢してたんだ。出発前に言ってくれればいいのに。」と、怒られたって、出発前にはこんなことになるなんて思ってもいなかったんですから。腕時計をはずして目の前に持ってきた彼、「さあ、計るから痛みが来たら教えるんだよ。」

 なにやら陣痛が始まった妊婦のようです(笑)。痛みはだいたい20秒おきぐらいにやってきます。そのたびにピクッとはしますけれど、耐えられないほどではありません。「う〜ん、これは腎臓だね。まずは水を飲みなさい。」 と、渡されるペットボトル。

 朝食の席で、マークとジュディーにも報告すると、ありがたいものです。
 マークはすぐに部屋から鎮痛剤を取ってきて、「一粒飲んで様子を見て。痛みが取れれば筋肉痛ということだってあるから。」 ジュディーはすぐにスマートフォンでアメリカの医者の友人に聞いてくれて、、、、、

 「旅は続ける!」 と宣言して、出発の準備をしていると、おかしい、何やらすごくおかしい。
薬のせいか刺すような痛みはなくなったものの、皮膚がザワザワと騒いでいる感じ。そっと手を当ててみると、な、何でしょう!部分的にザラザラになっているのです。いえ、ザラザラなんていうなまやさしいものではなく、ボツボツとでも言いたいぐらいに皮膚が盛り上がっているのです。

 あわてて鏡を見て仰天しました。点々と赤いできものが、まさにこの数日間、不快感を感じていた場所に!「すわ、大変!」とばかりに、恥じらいも投げ捨てて、みんなに見てもらうと、

「う〜ん、これは間違いない、あれだね。」

と、全員一致で盛り上がった言葉が、「シグルス」、つまり帯状疱疹でした。立派な病名を名づけられて得意になったシグルス君は、次第次第に領地を広げ始め、短い間にとうとうお臍の所までまわってきてしまいました。なるほど、「帯状疱疹」 とはよく言ったものです。変てこな帯をまいているように見えます。

 面倒くさがりやにして楽観的すぎるほどの私です。
「幸い痛みもおさまってきたし、とにかくベローナに出発しましょう!いよいよとなればベローナで病院に行くから。」と言うのを、止められて、

「ナオミ、最初が肝心なんだよ。」と、まずは大雨の中、薬局に連れて行かれて症状を話すと、
薬は医者の処方箋がなければ出せないと、医者の連絡先を紙に書いて渡されました。電話をしたらうまい具合にドクターと繋がって、「それなら今からいらっしゃい。すぐに診てあげましょう。」

 4人もろとも車に乗ってグルグルと迷いながら到着した小さなクリニックで待っていたのは、日に焼けた顔とたくましい腕をした、ジーンズにTシャツのドキドキするほどハンサムな男性でした。「ドクターにお会いしたい。」 と言うと、「僕がドクター・アイコです。」!

 完璧な英語を話し、ユーモアたっぷりに患者の心をなごませながら、ドクター・アイコの診断が始まりました。そして、惚れ惚れしながら聞いたご託宣は、「まぎれもなく帯状疱疹です。」!

「お酒?ワインを2瓶も飲むほどでなけりゃ、いくら飲んだっていいよ。人生楽しまなきゃ。」(笑)
「え、お孫さんいくつ? どんどん近づきなさい。水疱瘡を移すにはちょうどいい時期だ。」(笑)
「近づいていけないのは妊婦とプールと公衆浴場。あとは何でもやっちゃいなさい。」(笑)
「薬はここに書いておいたからね、イタリア中どこの薬局でも出してもらえるから。まあ、何かあったらいつでもまた遊びにきなさい。」(笑)
「君は運がいいねえ。僕は予約のある時しかここにはいないんだよ。よく捕まえられたもんだ。男を捕まえる才能があるのかもねえ。」(笑)
「僕の写真を撮りたい?君も一緒ならいいよ。」(笑)

 と言った感じに、ポンポンと楽しい会話が続きます。

 ドクター・アイコにタイミングよく診察してもらったおかげで、私たちは、身も心も軽く旅を続け、途中の大嵐も通り抜け、ここ、ロミオとジュリエットの古都、ベローナに、無事、到着できたのでした。

 痛みがまったく消えたわけではありません。でも、原因がわかっている痛みなら、不安はありません。むしろ、このめったにない経験を楽しく経過観察しています。痛みを味わい、時折、自分のお腹を見ては、赤いザラザラが育っていく様子を面白く眺めています。

 夕飯の席では、仲間たちに先かげて帯状疱疹の世界を経験中の私と、ガルダ湖で発祥した疱疹をベローナまで連れてきた私に、みんなが祝杯をあげてくれました。

 診察料ですか? ドクター・アイコに70ユーロ、処方箋に書かれた抗生物質に50ユーロ、
痛み止めに10ユーロ、合計、130ユーロでした。抗生物質は8時間ごとに1日3回、7日間、痛み止めの方は痛む時だけ。

 日本円にして1万5千円。先日買ったスカラ座のコンサートの券と同じぐらい。
 そしてたぶん同じぐらいにエキサイティングな経験です(笑)。
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10月26日(火):おいしい画像を召し上がれ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:50| Comment(0) | 日記

2010年10月25日

旅は道連れ 旅は役割

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 昨日は9時半に家を出て、メトロからバスに乗り換えて空港のレンタカーオフィスへ。
 そこから、大の大人が4名(正確に言えば大の大人が3名と、小の大人が1名?)と、大荷物が乗ってもまだゆとりのある大型の車での私たちの旅が始まりました。

 霧のミラノを後にしたのが11時半。高速は渋滞もなく、気持ちの良いように進んで、1時間後にはもうコモ湖へと続く出口を抜けていました。

 湖の町で食べ、歩き、不思議な形をした湖のまわりのくねくね道を登ったり下りたりしながら走り周り、赤に、黄色に色づき始めた木々の間から見える湖の美しさに、男も女も酔いしれました。

 ところが、ここらへんから本当に酔ってしまった者が1名いるのです。自分で運転するようになって、こんな辛さは久しく忘れていたことですが、後部座席に身を沈めて、硬く目を閉じて、右に左にと揺れ続ける車の中でひたすら耐えていました。こうなればもう、類まれなる美しさ、などと悠長なことを言っている場合ではありません。「ほら、あれ!」「うわー、すごいねえ」「なんてきれいなんだろう!」などと言う誘惑の声に、ついつい片目を開けて窓の外の景色を盗み見ようとでもするものならば、もうたまりません。すぐにまた目を閉じて、ハアハアと肩で息をし始めます。

 結局、コモ湖から宿泊地のガルダ湖に向う長い長い道のりは、みんなの勧めに従って助手席に座ることにしました。何度も修羅場を乗り越えながら、ようやく高速道路の平坦な道を走り始めて安心したのか、どうやら眠ってしまったようです。

「どのくらいたったの?」
「1時間半ぐらいかなあ」
「ここ、どこ?」
「Riva Del Gardaへ行く高速の途中だよ。」
「私、眠ってる間に何かいいもの見落とした?」
「たいしたことないよ、象が2頭とキリンが3匹ぐらいだから。」
「あら、たしかワニも這ってたわよ。」    (大爆笑)

 こんなユーモアって最高です。
旅は道連れ。素晴らしい仲間に恵まれました。

 空港から車で走り出してしばらくする頃、ゴソゴソと不審な動きを始める助手席の人。
「目がねケースがない」と小さな空間を探し回っています。
「戻ろうか?」
「その前にどこかに止めてみんなで探そう。」
と、いともニコニコと言う仲間たち。
 車を安全地帯に止めて、みんなで大捜索をしたおかげで、ケースは座席の下で発見されました。
「良かった、良かった。」と、みんなますますニコニコ。

 ガルダ湖へ下りる高速の出口をすっ飛ばして、信じられないぐらい遠回りをすることになってしまった時も、疲れているのに、早く宿に着きたいのに、みんなでカラカラと笑って、

「おかげで見るはずのなかった景色が見られるねえ。」

 私が途中のサービスエリアで、間違えて男性トイレに入ってしまって困ったことになった時も、

「ナオミがドジをしてくれるおかげで楽しいいねえ。」とカンラカンラ。

 おしゃべりは身近なことから政治、哲学、文学のことまで広い世界を弾丸のように行き交うのに、いざ私が車の中でダウンしかかっていると、みんな静かに口をつぐみ、誰かの手が伸びてそっと窓をあけてくれたり、、、、、、

 何があっても、一言、「Nothing to worry about!」(気にすることなんてないさ!)

 マークは、いつも冷静に車のハンドルを握り、的確な判断をし、
 トムは、イタリア語と英語の膨大な資料を読んでは、みんなに説明をし、
 ジュディーは、天性の方向感覚と土地勘で、迷った時には松明を持った女神となり、
 ナオミは、ドジを繰り返してはみんなを笑わせる。

 旅は道連れ。
 旅は役割。


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10月25日(月):ドルチェ・ヴィータ〜甘い生活

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:44| Comment(0) | 日記

2010年10月24日

「兼高かおる」さんになりたい!

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 昨日から忙しく行き交っているメールがあります。このブログにもよく登場する「ビジョンスチューデント(VS)」の仲間たちとの忘年会です。一期生、二期生合わせて14人のうち、すでに2人が先に旅立ってしまいましたけれど、だからこそでしょうか、最近ではますます結束が固くなって、何だかんだと理由をつけては集まろうとします。

 共に青春を過ごした友たちは、いまだ仕事の最前線にいる者もいれば、すでにリタイア生活を送っている者もいます。けれどもたとえ世に言う要職にあろうがなかろうが、そんなことは全く関係なく、顔を合わせればいつでもノンブランドの無印で、同じフラットな面に立っては友情を温め続けてきました。かれこれ40年以上も、、、、、、

 忘年会は私の一時帰国に合わせて開かれることになりました。昨日からたった一日の間に、どんどんと決まって、もうすでに7名が出席の名乗りを上げました。こう言う乗りも、あの頃とちっとも変わりません。

 「ビジョンスチューデント求む」という最初のポスターが大学の掲示板に貼られたのは、1968年のことでした。私はまだ大学に入学したばかりの1年生。生意気にも、そろそろ自分の入った大学に閉塞感を覚え始めていた頃でした。そんな息苦しさを打破してくれそうな、あのポスターとの出会いがなければ、今の私はいませんでした。それほどまでに、あそこから始まった経験は、その後の私の人生に大きな影響を与え続けてきたのです。

 一次試験、二次試験、、、、いったいいくつの試験に臨まなければならなかったかは、実は記憶が定かではないのですが、一つだけ鮮明に覚えているのは、どこかの大学の大きな講堂のような所で、原稿用紙に向かっている自分の姿です。あれがおそらく最初の筆記試験だったのでしょう。与えられた作文の題は、「10年後のあなたについて書きなさい。」というものでした。

 そこで私が書いたのは、「第二の『兼高かおる』になりたい!」と言う、10代の若さだから許されるような無謀なものでした。そんな選考を通り抜けて、2000名のうちから最後の8人となったのが、大学もまちまちな一期生の仲間たちだったのです。そして、兼高かおるさんに憧れる小さな女の子は、7名の男子学生たちと一緒にユートピアを探すために、世界地図を広げました。

 あれから10年たった28の私はいったい何をしていたでしょう。確かに、人様が行かないような島々にも調査で行かせてもらいましたし、大学卒業後も航空会社で仕事をしながら、随分色々な国に旅もしました。28と言えば、2年半のギリシャ暮らしを終えて、アテネで生まれた娘と一緒に日本に戻ってきて、大使館での仕事を始めた頃でしょうか。夢はたくさん持っていましたが、兼高さんにはほど遠く、生活に追われていました。

 ミラノへ発つ直前に、アマゾンで1冊の本を取り寄せて持ってきました。9月に出版されたばかりのその本の著者は、兼高かおるさん。本の題名は「わたくしが旅から学んだこと」です。読みやすく書かれたその本の中で時々出会う「なるほど言葉」に付箋を付けていったら、写真のようにたくさん付いてしまいました。同じような体験、同じ思いが書かれている部分も多々見つかりました。

 それらは、またチョコチョコと私の引き出しの中から顔を出してくることと思いますので、今日はあえて触れません。けれども、三章からなるこの本の、各章の題名を拾ってみれば、何やら自分自身にも重なるような気がしてなりません。

 第一章:「世界の旅は人生の学校だった」
 第二章:「旅をしながら見えてきた世界、そして、日本」
 第三章:「地球の旅は180周。人生の旅はまだ1周目」

 となれば、あの時、18歳の身空でいみじくも「兼高かおるさんになりたい」と試験用紙に綴った思いから、それほどぶれてはいないのかもしれません。

 ところで、若い人たちの中には「兼高かおる」さんを知らない方々もいらっしゃることでしょうから、最後にちょっとご説明を。

 その昔、1959年から1990年までの長きにわたって、「兼高かおる世界の旅」(TBS系)を製作し、自らが画面に登場してナレーターをも勤められた、それはそれはエレガントでお綺麗で、美しい日本語をお話しになる女性です。取材国は約150カ国にも及びます。82歳におなりになりました。

 ミラノは日一日と秋が深まっています。
 あと1時間もしたら、コモ湖とベローナの旅へと出発します。
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10月22日(金):ミラノの秋市場散歩
10月21日(木):才女ネリーナの晩餐
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2010年10月22日

See you in Milano!

RIMG0846.JPGRIMG0850.JPGRIMG0834.JPGP7256873.JPG「お近くにおいでの際はぜひお立ち寄りください。」

 引越しの案内状によく見られるこんな一文。
 もしも真に受けて本当にドアを叩いてしまったら、いったいどんなことになるでしょうか?

「そのうちまた一杯やりましょう!」

 よほどの強いベクトルでも働かなければ、「そのうち」 がきちんとした期日に変わることはありません。

 3ヶ月前の7月25日、ワシントンDC郊外の 『ルチア』 というイタリア料理のレストランで、おいしいワインと食事とおしゃべりに酔いしれて表にでた私たち6人の上にかかっていたのは、昨夜と同じ大きなまあるいお月様でした。

 世界中に散っている我々が、次に会えるのはいつどこになるかもわかりません。別れ際はいつも納豆のように糸を引きます。あの夜もそうでした。背を向けて、3方向に歩き出さねばいけないのに、どうしてもそれができません。満月の下で、いつまでもいつまでも立ち話が続きました。

 そんな私たちの背中を押すように、最後に交わされた言葉がこれでした。

「See you in Milano!」 (ミラノで会いましょう!)

 あの時、いったい、誰がそんな言葉を本気にしたことでしょう。ところが何と、それが実現してしまったのです。

 マークとジュディーが、昨日、ニューヨーク経由でミラノにやってきました。ベニスからクルーズシップに乗って地中海の長旅をする前の5日間を私たちと一緒に過ごすために、本当に来てしまったのです。

 私たちは、それがワシントンでもニューヨークでもなくミラノであることを、信じられない思いのまま、連れ立って石畳の町を歩きました。3ヶ月のブランクは、私たちの言葉を豊穣にし、留まることを許しません。いつの間にか男たちは肩を抱き、女たちは腕を組んでいました。

 トリュフと魚料理で知られた裏通りのトラットリアのテーブルを囲んで、私たちは7月25日のあの夜と同じように、飲んで食べてしゃべりました。そして、店の人に撮ってもらった4人の写真を、ジュディーが、もう一組の私たちの大切な友、レイとジリーに送りました。

メールの件名は、

「Beautiful start to our time together!」

 レイとジリーは、今、南フランスにいます。レイが癌の最前線の治療の半分をフロリダで終えて、11月に再び後半を開始するまでの間を、お気に入りの南仏の家で過ごしています。それだけの移動ができたということは、とりもなおさず治療が順調に進んでいることなのでしょう。

 信頼と優しさと愛情で繋がったこの素敵な繋がりは、元々は3人の男たちの仕事上の付き合いから始まりました。三人がたまたま弁護士であったのです。そして、この数年の間に、偶然にも、前立腺癌という同じ病を通り抜けてきました。加えて、ジュディーは3年前に乳癌の手術を受けました。

 だからこそ、私たちは今生きていることに感謝をしながら、今できること、今したいことへの思いを形にしているのです。「そのうち」と言う曖昧な言葉に、日付を与えているのです。

 ドゥオモの上にかかる満月が美しい夜でした。
 日曜日からは、4人で車を借りて3泊4日の小旅行へ出かけます。
 行く先はコモ湖とベローナ。
 いたずら好きのジリーとレイが、もしかしたら私たちをコモ湖で待っているかもしれません。
http://blog.platies.co.jp/archives/20100726-1.html

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10月22日(金):ミラノの秋市場散歩
10月21日(木):才女ネリーナの晩餐
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2010年10月21日

しなやかで、たくましい世代

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 24時間のメンテナンスが終わって、「これで繋がった。」 とほっとしていたら、とんでもないことに気づいてしまいました。設定が全部初期化されてしまって、再び、IDだとか、パスワードだとか、ドメイン名だとか、サーバーパスワードだとか、、、、例のごとくにわけわからない言葉に翻弄される羽目となってしまったのです。

 困ったことに、そうした控えは全て東京に置いてきてしまいました。
 今回ばかりは、カメラのケーブルも、PCのケーブルも、電話の充電器もカメラの充電器も、Cタイプのコンセントも、ぬかりなく持ってきたはずでしたのに、やられました。全く、何が起きるかわかったものではありません。この手のものは、きちんと手帳にでも書いておくものですね。

 東京のお助けウーマンとやりとりしながら、何とか元通りに使えるようになりましたが、普段はごく普通だと思っていたものが、実はこんなにありがたいものだったとは!

 ミラノ暮しの間に、いくつか取材をしたいこと、しなければいけないことがあって、一昨日の火曜日に飛び込み参加をさせてもらったのが、『LA CUCINA DI GIULIO』(ジュリオの台所)。イタリア人シェフのジュリオと日本人のルリコ夫妻が自宅で行っている料理サロンです。

 ジュリオとルリコの明るいキッチンにこの日集まったのは、ミラノに住む若いママたちが6人。下は5ヶ月のベビーから、上は2歳半の坊やまで、子供は子供同士でママたちの邪魔をせずに遊んでいます。初対面の人たちがいようが、なんとも穏やかないい雰囲気です。もちろん私は番外篇の最年長(笑)。

 そんな和気アイアイの雰囲気の中で、遠い昔のある光景を思い出していました。

 私も彼女らと同じように、異国の地で子供を産んだ若い母でした。属する組織の指示で転勤をさせられた身と違って、私たちは自らの意志で自らの暮す場所を選びました。それがギリシャのアテネでした。そこに住まう大方の日本人たちは、私たちとは全く違う生活をしていました。ある特定の高級住宅地の大きな家に住み、中にはメイドさんや運転士さんまでいるお宅もありました。日本人同士でお付き合いをし、英語が通じる高級スーパーで買い物をする日常には、ギリシャ語などまるで必要ありません。

 「日本人会婦人会」 などという集まりがあり、当時日本大使館に勤めていた私も、一度だけ仕事で顔を出したことがあります。自己紹介の段になって、本当にびっくりしてしまったのは、

「○○の部長の△△でございます。」
「◇◇の支店長の☆☆でございます。」

という具合に、次から次へと受け渡されていくリレーのバトンは、声の大きさで言えば、
○○>△△であり、◇◇>☆☆ であったのです。ご婦人方は、○○という会社であり、そこに勤める△△さん(ご主人)であるだけで、個人ではなかったのです。

 話の内容にも驚きました。日本の名門デパートの話、日本の名門店の話、日本の名門学校へ
のお受験の話、、、、、、ギリシャの文化や言葉についての話などこれっぽちも出てきやしなかったのです。

 いよいよ私の番になりました。

「池澤直美と申します。」
「はあっ?どちらの?」
「日本大使館に勤めております。」
「はあっ?ご主人様が?」
「いえ、私です。」
「はあっ?ご主人様はどちらのお会社に?」
「いえ、どちらにも」

 ここら辺まできて、私は完全に仲間外れとなりました。もっともその方がずっと心地よかったのですけれど(笑)。

 以来、どうも海外での日本人の集まりは苦手です。
 ですから、「ジューロの台所」 でも、初めはけっこう身構えていました。
 が、違うのです、全く違うのです。

 誰もご主人の話などしやしません。自分の言葉で自分のことを話しているのです。
 そして、どこからどうみてもたおやかな人が、こんなことをごく普通に言うのです。

「私、一人目の時は切迫流産でいきなり入院させられちゃって、ここの病院に随分お世話になりました。このお腹の子もここで産むつもりです。」

 予想の何倍も楽しい時間を過ごして家に帰ってみたら、待ち構えていた夫が興味津々で、「どうだった?」

 一通りのことを報告したら、

「それで、その方たちのご主人ってどこの会社の人たちなの?」

 と聞かれて絶句!そう言えばそんな話題、ただの一度も出ませんでした。そうした場で、聞くのも無粋というもの。聞かずにいるうちにお開きになってしまいました。

 若いママたちは、たがいに上手に情報交換をしながら、つかず離れずの距離感でほどよく繋がっているように見えました。そして海外での暮しも子育てもハンディとは思わずに、あっけらかんと潔く、自分自身の時間を楽しんでいるように見えました。

 うらやましいぐらいに、しなやかでたくましい世代です。

 『ジュリオの台所』はこちらです。(http://giulio71.exblog.jp/
 詳しい内容は、近々「グローバルキッチン」の方で書くつもりですが、お勧めです。
 なにも居住者でなくたって、旅の途中に一日だけでもこうした機会をとりいれれば、いつもの旅とは一味も二味も違って、素敵な「暮らし旅」になることでしょう。
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10月21日(木):才女ネリーナの晩餐
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:05| Comment(0) | その他メッセージ

2010年10月20日

時差混乱の大失敗

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 ウロウロ度数が高まるにつれて、「時差ぼけ」 に悩まされることも少なくなりました。というか、東京で暮らしていても、やたら早朝に目が覚めてしまうような 「時差ぼけ」 現象も起こったりして、要するに年がら年中時差ぼけ状態という均一化になっただけなのかもしれませんが(笑)。

「東京時間は忘れなさい。」 と家人によく言われますが、忘れるわけにはいきません。世界のどこにいようとも、今、東京は何時だろう?と頭の隅っこでいつも考えています。それに合わせて仕事をし、大切な人たちを思っています。

 ところが、時折、混乱して計算間違いで大失敗をします。ヨーロッパの場合は、マイナス7時間とか8時間で、まだしも引き算が楽なのですが、アメリカはいけません。しかも東と西とハワイではまるっきり違います。

 計算に慣れてきた頃には、今度はこんな落とし穴が待っています。

 たとえばどうしても6時には起きなければいけない時、そしてたまたま目覚まし時計がない時は、携帯電話の目覚まし機能を6時に合わせます。ところが鳴らないのです!当然ですよね(笑)。
この場合は、何時に起きなければならないか、よりは何時間後に起きなければならないか、が計算のベースになるのですから。

 ミラノ生活5日目が終わろうとしています。近隣を動き回るのにもだいぶ慣れてきて楽になりました。毎日色々な人たちにお会いしています。今日は、若い日本の女性たちからたくさんのことを学びました。そんなことをまだ印象も新しいうちに書いておきたいと思いますのに、突然、気づきました。

 このブログ、たしか20日の水曜日の14時から21日木曜日の14時まで、メンテナンスのために使えなくなるんでした。書くのもだめ、見るのもだめなようです。

 ということは、、、、ええと、、、、7を引いて、、、、、、
 水曜日の朝7時から木曜日の朝7時まで?
 ただ今、夜の11時半。ということは、、、、、ええと、、、、7を足して、、、、
 日本は朝の6時半?

 ということで、やっぱりちょっと混乱しながら留守になりますが、お許しください。
 大丈夫、元気にやっておりますので。

 ミラノも日一日と秋が深まっていくようです。家の前の木々がうっすらと色づき始めました。
 待っていた暖房も昨日から入るようになりました。
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10月20(水):ミラノ最初の夜に食べたものは
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:25| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月19日

ミラノの家その2〜それでも足りなかった物

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 昨日の続きです。さて、必要最小限のものがそろっているはずの家で、私たちがどうしても買い足さなければならなかった3つの物とはいったい何?

 まずはこれ、コーヒーメーカーです。

 もともとキッチンに付いていたのは、2番目の写真のような一品。上と下がネジで繋がっていて、下部は水を入れる部分と、コーヒーの粉を入れる部分に分かれています。水を入れて、コーヒーを入れて、上の部分をグルグルとまわして固定させたら、火の上にかけます。グツグツという音と共に、水が温められて細い管の中を上って行き、上の部分に茶色の液体がたまっていくサイホン方式です。

 質感もレトロ感もとても気に入っているのですが、残念ながら保温もききませんし、朝から何杯も飲みたい私たちにはちょっと不便です。というわけで、いつもながらのコーヒーメーカーを買ってしまいました。

 次はこれ、最小限のオーディオ機器です。
 生活の始まりにコーヒーが必要なように、音楽も必要です。テレビの音は音楽ではありません。

 そして三番目は、、、、お花。
 まだご近所に花屋さんを見つけていないのですが、とりあえずレストランで、客席をまわっては売り歩く花売り娘ならぬ花売り少年から買いました。

 コーヒーと音楽と花。
 これで、味覚と嗅覚、聴覚と視覚が何とか整いました。

 こんな風に、それぞれが大事にする生活スタイルに合わせて、いくら家具付きのアパートでも、買い足していかなければならないものがあります。引き上げる時には誰かに譲ってきたり、そのまま残してこなければいけませんけれど、移動生活などというものは元来がそんなもんです。執着は一番似合いません。

 さてそれではガチャガチャとついている4本の鍵の使い道とは?

 まず使うのは薄紫色の中サイズの鍵。これは表玄関のドアを開けるのに必要です。
 中庭を抜けて、次に使うのは一番小さなエレベーター用の鍵。
 これをさしこまなくてはエレベーターが動きません。
 エレベーターと言ったって、小さな箱のような本当に簡素なもの。

 5階で下りればすぐ目の前が我が家です。
 ここには鍵穴が2つあって、一番大きな鍵と、中サイズの鍵を2本使って、家の扉を開けます。
 つまり二重ロックなのですが、面倒くさいので大きな鍵しかかけませんから、開けるのにも大きな鍵しか使いません。(笑)。

 こんな古い建物なのに、これだけのガードがかかっているのは、やはり安全性に対する意識の違いでしょうか。逆に言えばそれだけ気をつけなければ安全ではないということ?

 2日間降り続いていた冷たい雨があがって、お日様が顔を覗かせました。こんな日には、「ガチャガチャ鍵束」 をしっかり持って、お散歩にでも行きたくなります。
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10月18日(月):石榴と生姜のパンチ
10月19日(火)予告:Myミラノキッチン
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2010年10月18日

ミラノの家その1

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 昨日から雨が降っていて、何だか急に寒くなりました。全ての部屋に設備は整ってはいるものの、いまだに暖房がはいらず、少々震え気味です。先ほど、管理会社のヴァレンティナにメールを出したら、すぐさまこんな返事が届きました。

「ご不便をおかけしてまことに申し訳ありません。金曜日に担当者に連絡した時には、その日のうちに暖房が入るということだったのですが、、、、、本日は日曜日ですので、明日の朝、もう一度連絡を入れて、結果をご報告します。」

 しょうがない、先ほどアンプロジアーナ絵画館に行った帰りに、地下鉄の駅の露店のお兄ちゃんからスリッパと三足組の厚手のソックスを買いました。アジア系、アラブ系の若い男の子たちが、構内のあちこちの床に品物を並べては、傘と靴下とスリッパ、毛糸のマフラーや帽子を売っています。こんな風にうすら寒い雨の日は、まさに稼ぎ時なのでしょう。

 ところで、カバンにたくさん詰め込んできた本や書類の中に、こんな1冊があります。

 「海外ステイのすすめ」 と題する、シニアのためのハウツー本です。簡潔に要領よくまとめられているこの本の著者は、先日の「家の中でも千鳥足」の仲間、長谷川華さんです。
http://blog.platies.co.jp/article/40784920.html

 冒頭に掲げられているのは、ロングステイ財団による、ロングステイと呼ばれるための5つの条件。大雑把に言えば、ロングステイとは2週間以上にわたり、海外における日常生活体験を目的とし、キッチンなどが整っている宿泊施設や、適切な「住まい」を保有、または賃借する場合を言うとのこと。

 いつかはロングステイをと、考えていらっしゃる方々のために、今日は、「住まい」の部分についての実用的なお話を。

 ここは、Borsiere 通りに面した便利な所にあります。すぐ隣が、ジャズクラブの「Blue Note」です。ミラノのシンボルとも言われる大聖堂、ドゥオーモまでも地下鉄で5駅です。古い建物の5階ですが、セキュリティーはきちんと守られていますし、ドアを開ければ、白と焦げ茶色に統一されたモダンで機能的な空間が待っています。真っ赤なティーテーブルとベッドサイドランプ、ヴィヴィッドなオレンジ色のベッドカバーが、いかにもミラノ的です。

 ベッドルームが2つ、トイレも2つ、お風呂も2つ、ゆったりした居間と、コンパクトなキッチンとダイニングルームに加えて、至る所に収納場所があります。家具もシーツもタオルも、食器も台所用品も全部そろっています。アイロンもアイロン台も電気掃除機、乾燥機付きの洗濯機も、大型テレビも備わっています。ただし、電話はありません。ほとんどの人が携帯電話を持っているこの時代には、固定電話は必要ないと言うことなのでしょう。2つのベッドルームは、そのまま十分にそれぞれの書斎にもなります。

 つまり、すぐに日常生活が始められるわけです。もしも、掃除やシーツの取替えが面倒くさければ、オプションでそれらの仕事を誰かに代行してもらうこともできます。

 こうした「Furnished apartment house (家具付きアパート)」は、今やネットで簡単に探すことができます。部屋の写真や間取りなども出ていますから、いくつかの物件を比較して、予算に合わせて選ぶだけ。だいたいは月決めの家賃ですが、多少割高にはなっても、週単位で借りることもできます。ネットで何度かやり取りした後、実際の契約は現地で行います。

 具体的に言えば、私たちがこの家を借りることに決めたのは、遡ること半年ぐらい前でした。ただその時点では、ミラノ大学の学期に合わせて、10月1日から12月31日までの丸々3ヶ月を借りるつもりでした。ところが、その後、夫のアメリカでの仕事との折り合いがどうしてもつかず、結局、開講を半月延ばしてもらい、住み始めるのが半月遅れとなりました。家賃は半分無駄になりました。

 現地に着いてまずしなければならないのは、管理会社に連絡をすることです。時間と場所を決めて、契約書にサインをし、鍵をもらい、住まい方のルールを説明してもらわなければなりません。

 先ほどお話しした部屋数の家で、家賃は毎月、2000ユーロです。ここに初回だけ、120ユーロの登録料と、1000ユーロの前金が上乗せされます。2000ユーロと言えば、今のレートで約23万円。水道光熱費は含まれています。

 これを高いと見るか、安いと見るかは、それぞれの価値観によるかと思いますが、ロケーションの良いミラノのホテルで、そこそそこに広く快適な部屋を2部屋、1月にわたって借りれば、優に100万を超えてしまうでしょう。

 もちろん、これが東南アジアの国だとしたら事情は大違い。たとえば、前述の『海外ステイのすすめ』の中にはこんな記述が見られます。もっとも、この本が書かれた2007年と今ではまた経済事情も違ってはいるでしょうが、、、、

『たとえばタイやマレーシアなど物価の安い国では、月3万円台の家賃で、生活費もさほどかかりません。』

 さて、そんな風に何もかもそろっている家で、私たちがどうしても買い足さなければいけなかった3つの物とは? そしてガチャガチャと4つもついている鍵束の使い道とは?

 そんな続編はまた明日。
 今日もよく出たり入ったりした日でした。
 これも便利な所に住んでいるからできることなのでしょう。
 おやすみなさい。

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10月18日(月)予告:石榴と生姜のパンチ
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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:27| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月16日

まさかのジョブシャドウイングINミラノ

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 地下鉄のドゥオモ駅を下りて、人も鳩もいっぱいの広場を通り抜けてしばらく歩いた所に、ミラノで一番古い大学、Universita degli Studi de Milano (ミラノ大学) があります。世界最古の大学と言われるボローニャ大学 (イタリア) の1088年、オックスフォード大学 (イギリス) の1209年などの前では、1924年の創立なんてまだまだヒヨッコですが、なかなかどうして面白い歴史を持っています。

 正面入り口横の、なんとも風格のある赤茶けた建物は、もともとは1456年に建てられた名門 「マッジョーレ病院」 でした。それが、第二次世界大戦時の空爆で大破したことをきっかけに、ミラノ大学に譲られることになったのです。以来、ミラノ大学は医学部も薬学部も文学部も法学部も経済学部をも持つ、大規模な総合大学へと発展していきました。

 門をくぐり、趣きのある建物の中を歩く時、世界中の 『学びの場』 だけに許されたあの懐かしい荘厳な空気がとりわけ濃厚になります。学生たちのざわめきの中、歩を進めれば、背筋は自然と伸びて、顎を引き、まっすぐに前を向いて、こつこつと整然としたリズムで歩きたくなります。

 ミラノに到着した翌日、家人の最初の授業が行われました。ミラノ大学法学部の、今期2つの特別講義の一つです。授業は12月末までの毎週木曜日と金曜日に行われます。実は、これが、今回のミラノ暮らしの理由の一つです。

 友人のネリナ教授にご挨拶をしたらすぐに外に出て、夫の講義が終わるまで町をブラブラしようと思っていたのに、あてが外れました。

「ナオミ、一緒に教室に入るでしょう?」

 そ、そんな、と、予想外の展開に慌てて、「ご迷惑をおかけしたくありませんので、私は外で、、、、、」と言いかけると、すかさずネリナが言いました。

「せっかく来たんだから初回ぐらい見届けなさいよ。
 それに、久しぶりに学生に戻るのも悪くはないんじゃない?」

 というわけで、私は広い教室の一番後ろの隅っこに小さくなってすわって、先生とは決して目が合わないように下を向いて(笑)、とうてい理解できない講義を聴きながら、始まって10分で劣等生の身となったのでした。

 けれども、これはこれでまた、はるか昔の、娘たちの授業参観のように、ドキドキする楽しい経験となりました。

 たまには、家族や友人の仕事の顔を見るのもいいものです。
 寝起きのボサボサ頭でコーヒーを入れている人も可愛らしいですけれど、仕立てのいいスーツを着こなして、大勢の人たちの前で威厳と共に講義や講演をする姿には、緊張感を覚えながらも惚れ直します。

 先日、初めて訪ねた病院で、親友の白衣姿を見た時もそうでした。いつもは甘ったれのチャーミングな若い友が、大学病院で患者の前に立っている時の、同じ人とは思えぬ一種のオーラ。

 時折、上の娘の舞台やライブを見る機会がある時にも、ソワソワドキドキとしながら、夢中になって皆さんと一緒に拍手をし、純粋に 「すごいなあ、やるなあ」 と感心してしまいます。

 下の娘が社会人になって間もなくのこと、色々な大学の職業指導担当者のグループ研修として、彼女の勤め先を見学に行く機会がありました。待合室で緊張して待っていると、IDを首から提げて、 「お待たせしました!」 と颯爽とベージュのパンツスーツで入ってきたのが、何と当の娘でした!グループリーダーだった私は、いきなりオドオドと小さくなって、しどろもどろに、「す、す、すみません。どうぞよろしくお願いいたします。」 などと言いながら、内心では誇らしくて、嬉しくてたまりませんでした。

 「ジョブシャドウイング」 という職業教育があります。アメリカではかなり定着していますが、大人が仕事をする場に子供を立ち合わせて、仕事ぶりを観察させ、社会にはさまざまな仕事があることを学ばせるものです。小学生が父親や母親と一緒に会社に行って、一日、影 (シャドウ) のように付き添うことなども教育の一環として行われています。仕事観を育てるのに役立つばかりでなく、身内の人間が、家庭の中で見せるのとは全く違う顔で、凛として仕事をしている姿を見せることで、馴れ合った関係の中に、緊張感と尊敬の念が戻ってくるとも言われています。

まさか、ミラノで 「ジョブシャドウイング」 をするなんて、思ってもみませんでした(笑)。 
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10月18日(月)予告:石榴と生姜のパンチ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:24| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月15日

「何とかなるさ」の劇的再会 in ミラノ

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 こんなにたくさんの荷物とともに、昨夕ミラノに着きました。と言っても日本との時差はマイナス7時間ですから、成田を発ってから12時間半後、日本時間では金曜日の午前1時ということになります。

 実は、今回ばかりはかなり不安でした。我々夫婦のような 「旅がらす」、いえ 「暮らす旅」を余儀なくされていると、いろいろなパターンがあります。ところで、この 「クラスタビ」 という名前、仕事仲間のユーコさんが付けてくれました。素敵な命名で気に入っています。

 たとえば、今年のクラスタビを思い出してみても、3月にはシアトルの友人の家で会って一緒に東京に戻り、4月には東京から一緒にウイーンへ飛び、また一緒にウイーンから戻り、6月には深夜のパレルモ空港で再会し、朝のローマ空港で別れました。私だけが先にギリシャに入り一晩を過ごし、アメリカから遅れて飛んでくる夫をアテネ空港で出迎えたこともありました。そうそう、ユーロスターの列車の窓越しに手を振ったこともあったような(笑)。。。。。。。いえいえ、ちっともロマンチックなんかじゃありません。どうしようもない選択肢なだけです。

 そんな出会いと別れには十分慣れているはずなのに、今回ばかりはかなり戸惑いました。曖昧さだらけだったのです。もしかしたらこの町で、私は夫と巡り合うこともできず、露頭に迷ったあげくに、大荷物をひきずりながら真夜中にホテルを探す羽目になるかもしれないとさえ恐れていました。

 ワシントンDCからミラノまでの直行便はありません。普通なら次の飛行機に乗り継ぐのですが、なぜか彼は別のルートを選びました。チューリッヒからミラノまでを3時間半かけて電車でやってきたのです。

 私が藁をもすがるように持っていた一枚の紙切れは、ミラノで私たちが借りたアパートの通りの名前と番地だけ。いったいその何階の何号室かもわかりません。おまけに、おたがいにその場所に到着する時間の見当もつきません。もひとつおまけに、夫は携帯電話も持ちません。こんな状況で、いったいどう再会をはたしたらいいのでしょう。しかも、ここは私にとっては初めての地ミラノ、右も左もわかりません。この日この時までに、毎日1章ずつマスターするはずだったイタリア語計画は頓挫したままです。

 あたりが暗くなり始めた頃、鍵がなくては入れない玄関の前で、大荷物と共に私は途方に暮れ始めました。たとえ途中で何かがあったとしたって、私はそれを知るすべもない、こうしてこのまま待っていることしかできない、、、、、けれども、「どうせならそんな事態をめったにできない冒険と思って楽しんでしまえ。」と覚悟を決めて、道行く人たちの観察を楽しみ始めた頃、通りの向こうから、ガラガラと荷物をひいて歩いてくる、慣れ親しんだ歩き方の、背の高い人の姿を見つけました。「劇的な再会」でした(笑)。

 起きては困る事態ばかりを考えてオロオロとするか、はたまた、それをまたとない冒険と思うか、2つの分かれ道のどちらを取るかで、人生の彩が変わってきます。そして、どうも、先のことをアレコレと思い悩むよりは、「ま、なるようになるさ。」と天命を待ちながら、冒険を楽しんでしまう方が、よい結果につながることが多いような気がするのです。
 
 再会を果たした場所、そして新しい暮らしが始まるこの場所は、なかなか面白い一角であることがわかりました。すぐ隣がなんと「Blue Note」です。その隣は昔ながらの八百屋さんです。夜には、人があふれ、道ばたにまでジャズが流れています。カフェもレストランもたくさんあります。それなのに家の中はとても静かです。

 建物も18〜19世紀の古いものなのに、部屋の中は実に現代的で、機能的です。

 これから少しずつ、そんな場所で繰り広げられる「クラシタビ」報告を綴って行きたいと思います。こちらは只今、金曜日のお昼です。
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10月15日(金):オートミールのクッキー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 19:56| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年10月14日

最悪の経験は力!

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 ようやくここまでたどり着きました。
 朝起きて、まず今日中にかたづけなければならないことを書き出しました。いつもの私のやり方で、小さなことから大きなことまで全部をA4一枚の紙に列挙するのです。たとえば、、、

○ ダスキン連絡
○ アロハ予約
○ キキに手紙
○ 千葉先生に電話
○ 銀行協会1月講演打ち合わせ
○ さくら支払い

などなど、人様から見たら??でも、自分にはわかる言葉が連なります。

数えてみたら、35項目。終わったそばから頭につけた白丸を黒く塗りつぶしていきます。初めは 「こんなに?」と、うんざり途方に暮れかけていたのが、面白いもので、黒丸が増えていくにつれて元気が出始めます。黒が白よりも多くなってくれば、ますます調子に乗って、どんどんと突き進みます。

 これは達成感によって自分を鼓舞する戦略。だから、わざと、ものの2秒で終わってしまう簡単なことなども散りばめておくのです。こうして今現在、黒丸33個、白丸3個となりました。
全黒星までもう一歩(笑)!

 明日、また海を越えます。今度はちょっと長逗留になります。ミラノに家具付きアパートを借りました。

 これまで以上に移動の多い生活になって、その分手慣れてきたかと思いきや、相変わらず瀬戸際までバタバタです。慣れたのは、深夜にアタフタと荷造りをして、寝不足の頭で飛行機に乗ることぐらい。

 けれども、たとえ3時間睡眠だろうが、2時間睡眠だろうがへっちゃらです。なぜなら4年前の夏に最悪の経験をしているからです。

 家を建て替えることになって、物置から屋根裏までの全ての場所を整理しなくてはならなくなりました。家族4人の20数年間の歴史がたくさんつまった場所です。初めのうちは、捨てるものと残すものをきちんと分別していたのですが、制限時間が近づいてくるにつれて、そんな余裕がなくなってきました。とにかく決められた日には、大きなパワーショベルで家が取り壊されるのです。

 一つ一つの物の価値を見定めることができないほどに疲れ果てて、結局は、車にありったけの物を詰め込んでは、仮住まいの家に運び込むという作業を最後の最後まで繰り返しました。12時を越えてからは電気もつかなくなり、水も流れなくなり、私はご近所の明かりと懐中電灯を頼りに、やみくもに1軒の家をまるごと空にするための哀しい労働に徹しました。

 いったい何往復したことでしょうか。最後の大荷物を運び込んだ時には、もう外は明るくなり始め、ヘナヘナと床に座り込む間もなく、今度は大きなスーツケースを車に積んで、成田へとひた走りました。そして私たちが暮らした、大好きなあの家の解体工事が始まりました。それを見たくなくて、あえてその同じ日に日本を離れることにしたのです。

 あの経験を思えば、おおかたのことは何でもありません。今夜だってこれから、残る3つの白丸を黒くしなければいけませんけれど、そしてまだ未完成の荷造りを終えなければなりませんけれど、あの時に比べたら楽なものです。しかも、眠いだけで、ちっとも哀しくありません。あれができたのなら、おおかたのことはできるはずです。

 こうして最悪の経験が力に変わっていきます。
 「どんな経験だっていい経験になるのよ。」と、若い人たちに言う時に、私の脳裏をいつもかすめるのは、あの悲惨な深夜の思い出です。

 1日、2日、間があいてしまうかもしれませんが、またミラノからお便りをします。
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10月14日(木)予告:オレンジジンジャーハニーチキン
10月15日(金)予告:オートミールのクッキー
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2010年10月12日

漬物石というお役目

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 大台を越えてからというもの、にわかに増えてきたものがあります。「顧問」 だの、「理事」 だのというお役目を依頼されることです。これはきっと、体重が増えてきたからに違いありません。

 いえ、本当の体重は、食いしん坊の飲み助にもかかわらず、幸いなことに、ここ30年、1キロの増減もないのですが、年齢という体重ばかりは年々と増え続けています。そんな体重増がお役に立つならと、立て続けに2つの依頼をお受けすることにしました。要するに、あれ、あれです、ほら、文鎮、あるいは重し、漬物石(笑)。若い人たちばかりでは、少々、重さが足りないこともあるでしょう?

 漬物石になるためには、もちろん自分なりにルールを設けています。

 それが次世代の若い人たちの夢を叶える活動であること。
 それが営利目的ではないこと。
 それが日本の、あるいは世界のどこかの国の人たちを励ます力になること。
 それが漬物石として少しはお役に立てそうな場であること。

 両者とも、来年早々にはフルに活動を開始することでしょう。目下、若い皆さんが本当に一生懸命頑張っています。ホームページも着々と進められています。時が満ちたら、きちんとこの場でもご紹介させていただきたいと思います。

 そんな折にちょっとフライングですが、できるだけたくさんの皆様に関心を持っていただくお手伝いも漬物石のお役目と、11月に開催される準備ガイダンスのお知らせをさせていただきます。

http://www.asia-internship.net/トップページ/香港就職説明会のお知らせ/

 境がないこと、垣根がないこと、思い込みがないこと、偏見がないこと、、、、、
 そんな「ないことづくし」がグローバル。
 壁の向こうに行くのではなく、壁のないフラットな世界を自由に行き来する力がグローバル。
 
 ミラノでの仕事の打ち合わせに都心へ出かける途中、こんなに素敵な秋を見つけました。先日来の雨に打たれた金木犀が地面を覆い、コスモスが秋風に揺れ、青いサルビアが優しい光を受けています。美しい季節になりました。
 
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10月13日(火)予告:東海岸風マンハッタンクラムチャウダー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | マイワーク

2010年10月11日

みんなに助けられながら

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 グローバルキッチン10月最後の会が終了しました。気温は高いのに、どこかさわやかで懐かしく、南の島を思わせるような朝で始まった一日、10人の女性たちがくつろぐ場に、明るい日差しが差し込んで、今日はとりわけ心地よい宴となりました。

 まだ、どうしてもかたづけなければならない仕事が一つ残っていて、実はかなり気が重いのですが、そろそろ準備を始めなければなりません。ミラノ暮らしが目前に迫っています。

 まず、整備しておかなければならないのがパソコンです。6月のシチリアでは、ネットに繋がらなくてあわてました。夏のワシントンでも、わけのわからないトラブルが起きて、かなり焦りました。何かひとつでも不測の事態が起きると、からっきし機械に弱い私はもうオロオロとお手上げです。

 そんな冷や汗経験を繰り返したくなくて、予備の新しい軽量PCを購入し、2台を持っていくことにしました。とは言え、それがまたストレスなのです。新しい機械に慣れるには、いつだって人一倍時間がかかります。

 けれども最近、感涙するぐらいにありがたい場所を見つけました。車で10分で行けるとあって、まるでお気に入りのカフェに行くように、足繁く通っています。

 わからないこと、困ったことがあれば駆けつけます。そこには5〜6人の若い青年がいて、いつもテキパキと感じよく、要点だけを素人にもわかる言葉で説明してくれます。(困っている時の饒舌はなお困ります。)どんな初歩的な質問をしても、いやな顔一つしません。

「○○さん、これってこういうことですよね。」と、仲間からセカンドオピニオンを取りながら、チームで的確に処理をしてくれます。そんな対応が本当に心地よくて、今夜もPCを持って青年たちのところに駆けつけてしまいました。

 横一列になっていたツールバーが片隅に追いやられてしまった、、、、「仮想メモリーが云々」とか、わけのわからない表示が出てくる、、、、なぜか「芋汁粉」というおかしな言葉が消えない(笑)、、、、

 そんなことはたぶんちょっと調べればわかることなのでしょうが、最近の私はすぐに飛んで行ってしまいます。そしていつも的確な対応で解決してもらっては、いい気持ちになって帰ってきます。

 一日はどう頑張ったって24時間。苦手なことに時間をかけるよりは、得意なことに時間をかけたい。時間を、心を、贅沢に使いたい。このところ、とみにそんな風に思うようになりました。わからないことはわからない、できないことはできない、不得手なことは不得手。そんな自分の弱点を素直に認めたら、肩の力が抜けて、気持ちが随分楽になりました。

 PCお助けマンの青年たちばかりではありません。私の弱みを知っている女友達だってこんな具合です。

「ナオミさん、力仕事はまかせてください!」
「ナオミさん、私、電気の配線得意ですから!」
「ナオミさん、それだったら私が調べておいてあげますよ!」
「ナオミさん、ワインのチョイスだったらおまかせください!」

 今日だって、グローバルキッチンに来てくれたユウコさんが、私がどうしても直せなかった郵便受けのロックを解除してくれました。

 こうして不器用な私は、たくさんの人たちに助けてもらいながら暮らしています。日々感謝を深めながら、私は自分にできること、得意なことで、一生懸命みんなに恩返しをしようとしています。

 それにしても、PCデポのPCクリニックはすごい!!
 メンバーになれば、いつ駆け込んだって無料で相談に乗ってくれます。私のPCライフは彼らなしではなりたちません。
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10月12日(月)予告:ちょっとお洒落なエンダイブとチコリのサラダ
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2010年10月10日

「余裕」を手に入れるために

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 朝のうちはまだ残っていた雨が、昼になる頃にはすっかり止んで、気持ちの良い秋の日が再び戻ってきました。連休最後の日の明日は気温も上がって、「行楽日和」になることでしょう。

 こちらも明日は、室内で「グローバルキッチン」という行楽です。今月最後の会は、嬉しいことに就職活動を終えた大学4年生と、留学から帰ってきたばかりの学生さんが加わって、20代から70代までの異世代交流となります。

 「雨が降ったらどうしよう。こんなにたくさんの方々の傘を入れる傘立てもないし、、、」 などという心配がいつも杞憂で終わるのは、ありがたいことに晴れ女さんたちが揃っているおかげかもしれません。

 バタバタと階段を上がったり下りたりしながら、おおかた準備も整った頃、玄関のチャイムが鳴りました。お客様をお迎えするには遅すぎる時間です。おっかなびっくりインターフォンごしに確かめてみれば、そこに立っていたのはバラの花束を持った1人の男性でした。

 などと言うと何やらいわくありげなのですが、ご心配はいりません(笑)。ご近所で長年小さな店をかまえている花屋のタカハシさんでした。タカハシさんと言うよりは、「モエのおじちゃん」 と言った方が通りがいいかもしれません。このお店の前にはいつも大きなセントバーナードのモエがいて、客人を歓待してくれました。モエはこのお店の看板娘でした。

 生活が苦しい時でも花だけは絶やしたくなかった私は、この店の常連さんでした。気づいてみれば随分と親しくなり、いったん店先に立ち寄ったが最後、30分も1時間も話し込むのが常でした。哲学者のような 「モエのおじちゃん」 は、気の合った人には饒舌になります。話題も、商売のことから、ご自身の幼少時代のこと、世界経済からニーチェ、般若信教にまで及びます。

 あれはいったいいつのことだったでしょう。たしか、下の娘が高校留学をする直前の7月だったように覚えていますので、かれこれ15年も前になるでしょうか。今夜と全く同じように、あるまじき時間にドアのチャイムがなりました。そして、そこに呆然と立っていたのは 「モエのおじちゃん」 でした。

 家の前に車が横付けにされています。
「あのね、モエがね、死んじゃったの。最後にモエに会ってもらいたいと思って、、、、、」

 車の中にはあの優しく人なつこかったモエが、ゴロンと横になっていました。私は大声で娘たちを呼び、私たちはモエの大きなからだを撫でさすり、涙を流しました。

 モエと二人暮らしだったタカハシさんは、それから本当に寂しそうに店に出るようになりました。そんなタカハシさんを見るのが辛くて、ある時、私は思いきって彼にある誘いをしたのです。

 「お店閉めて旅行でもしませんか?ワタシ、川嶋先生のギリシャツアーでアシスタントをすることになってるんです。ご一緒に行きませんか?」

 川嶋先生というのは、ギリシャ古典の大家、川嶋重成先生のことです。タカハシさんとはそれまでも、よく立ち話で古代ギリシャの話などをしていたのです。タカハシさん、いえ 「モエのおじちゃん」 は、しばし沈黙した後で、「行きます!連れて行ってください!」 と答えました。それが彼の初めての海外旅行となりました。

 時が過ぎ、私は自分の意志に反してだんだんと忙しくなっていき、いつしか 「モエのおじちゃん」 と立ち話をする余裕がなくなっていきました。相変わらずお花をは絶やさないながらも、寄れば長話になることを恐れて、きわめてビジネスライクな駅前の花屋で買うようになりました。お店の前を通る時は何だか後ろめたくて、コソコソと隠れるように通り過ぎるようにもなりました。

 そして今夜、、、、

「池澤さんのお車を見かけたので、きっといらっしゃるだろうと思って、、、」 と、美しいピンクとオレンジのバラを持って、玄関の前に立っていてくださったのです。何だか私は自分がとても恥ずかしくて、その恥ずかしさを隠すために、バラと引き換えにおたおたと、焼きあがったばかりのクッキーを大急ぎで包んで渡してしまいました。

 玄関先で、また、商売と哲学と世界経済と般若信教の話が始まりました。ニコニコと相槌を打ながら、その一方で過ぎていく時間を気にしながら、今日中にやらねばならない仕事のことを考えている自分が情けなくて仕方がありませんでした。

 タカハシさん、今、バラを花瓶にいけました。ありがとう。
 「余裕」 がないから行かないのではなく、「余裕」 を再び手に入れるために、私、また、タカハシさんのお店に花を買いに行きます。また、たくさんおしゃべりしましょう!どんな話題だってつき合いますよ。私の好きな花、まだ覚えてます?
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10月11日(月)予告:コーンマフィン
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2010年10月09日

母からの贈り物

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 美しい秋晴れの昨日から一転して、一日中冷たい雨の降り続く日となりました。雨粒でお線香の火が消えないように傘で覆いながら、故郷の町で母の一周忌を終えました。

 「いらないかもしれないけれど、渡しておくから。」
 妹から分厚い封筒を渡されました。母の遺品です。

 中には、私が母へ出した手紙の束と2冊のノートが入っていました。アエログラム(航空書簡)もあれば、ギリシャの切手がたくさん貼られた封筒もあります。

 1冊目のノートの表紙には、几帳面な字で、私がアテネに住んでいた時の住所と、「ATHENS-YOKOSUKA」 というタイトルが書かれています。中を開けば、全てのページに便数、月日、概要という3項目の縦線が引かれ、私がアテネから出した母への手紙の内容が、さぞ時間をかけて書かれたであろう丁寧な字で記されています。

 1ページ目には、「No.1 50.7.30 元気に到着」
「No.11 50.9.11 病院2回目異常なし。赤ん坊はお腹の中で順調に育っているとのこと。」

 次のページをめくれば、「No.28 50.12.16 △△君(夫の名)より○○ちゃん(娘の名)出産の模様。」
 「No.30 50.12.28 ○○ちゃん生後2日目の写真と病院の写真」

 こうして母の記録は13ページ目まで続きます。最後の行は、「No.129 52.3.19 堀夫人到着の様子。いろいろのものをいただく。○○、洗濯の手伝いをしてくれる。念願の砂遊びセットを買ってもらう。」

 こうして、私が母に出した129通の手紙の概要が13ページに渡って、順を追って記録されています。もちろんそれらの手紙全部が、おそらく樟脳でも入れていたのでしょうか、ただの一箇所の汚れも虫食いの後もなく、35年前と同じように存在しています。

 そこには、忘れてしまっていた記憶が全て詰まっています。129通の手紙をひとつひとつ開いて読むことは、今は悲しくてできません。なぜならそれは、母にとってと同様に、20代半ばの私にとっても人生の、何の翳りもない幸せな時代だったからです。不安定な身の中で、先のことも定かではないのに、なぜあんなに幸せでいられたのでしょうか。若いということ、未熟だということは、そういうものなのでしょうか。

 もう1冊のノートの表紙には、「H5 1月〜 池澤家覚え書」と書かれています。これは、読むには辛すぎる母の日記です。私たち家族のことで、いかに母を心配させていたかがわかります。

 いつか、そう遠くない将来に、私はこれら全てのものにきちんと向かい合って、自らが書いた母への手紙と、母が書き残した私たちの記録とを読まなければいけないと思っています。そして、それを一つの形にまとめなければ、と思っています。

 こんなに几帳面に私たちの歴史を残してくれた母は、最後には認知症が進み、全ての記憶がなくなりました。もしかしたら、母はそれがわかっていて、こうした贈り物を用意してくれていたのでしょうか。いったい私は娘たちに、これほどの贈り物を残すことができるでしょうか。

 129通の手紙の中に、1通、私ではない人が母に宛てた手紙を見つけました。今年の4月に96歳でお亡くなりになった、堀辰雄夫人、多恵子さんからのものです。大好きだった多恵子おば様が、あの流れるような達筆でしたためた母宛の手紙です。

「先きほどはお電話で失礼致しました。
 アテネではお元気なお三人にお目にかかれ、直美さんのご馳走になったりしてお世話になりました。アテネに着きました時、私たちの団体は何かの手違いでガイドさんがなく、私に逢いに早朝空港に出てくださった△△さん(夫の名)にご案内して頂いたりして、全員がお世話になりました。皆大変感謝して、若いご夫妻と○○ちゃん(娘の名)の評判でもちきりだったのです。
どうぞお元気でお過ごしくださいませ。下手な写真で恐縮ですがお目にかけます。」 (昭和52年5月)

 幸せな日々の記憶を全て留めておきたいのに、それができないのはなぜでしょう。
 私たち人間の頭には決められた容量というものがあって、次から次へと入り込む新しい記憶がそれらを片隅に追いやってしまうからなのでしょうか。

 だとしたら、やはり私はこうして書き続けなければなりません。それがいつか、娘たちへの贈り物になる日がくるかもしれないのですから。
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10月8日(金):シンコテーグ島のクラブケーキ
10月7日(木):サンドライドトマトのディップ
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2010年10月08日

What a beautiful day!

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♪Oh, what a beautiful Mornin'♪
♪Oh, what a beautiful day.♪

 神無月の美しい朝に、からだの中に巡っていたのは、ミュージカル 「オクラホマ」 の中のあの古く美しい歌 「Oh, What a beautiful Morning」。いったん巡り始めたメロディーは、女ばかり11人が勢ぞろいした賑やかな昼日中にも、私を揺らしていました。それほどに爽やかで、美しい秋の日でした。

 1年前のあの夜、東京を大型台風が通過するという報に、私たちは銀座のオフィスをクローズし、予定されていた全ての講座を閉講することに決め、講師と受講生たちに連絡をとり続けていました。

 一夜明けてみれば、気まぐれな台風は進路をはずれ、東京はまるで今日のように美しい朝を迎えました。そして、ぽっかりとあいてしまった昼間の時間に、足取りも軽く街を歩いていた私に、母の急変を知らせる報が届きました。あんなに美しい日だったのに、、、、、

 あわてて家にとって戻り、車に飛び乗って高速を走り続けました。けれども、私が到着した時には、母はもう、微塵も動かずに静かに横たわる人になっていました。どんなに揺り動かし、どんなに名前を呼んでみても、深い眠りから覚めることはありませんでした。あんなに美しい日だったのに、、、、、

 けれども、残された者は歩き続けなければなりません。それが先に逝った人たちへの供養です。
 悲しみをひきずるのではなく、美しい日に生きていることを喜ぶことが、先に逝った人たちへの感謝です。

 1年たった今日、私はたくさんの良き友と共に、心豊かな時間を過ごしました。
 今、物音ひとつしない静寂の夜に、再び巡るのはあのメロディーです。

 ♪Oh, what a beautiful Mornin'♪
 ♪Oh, what a beautiful day.♪
 ♪I've got a beautiful feelin'♪
 ♪Everything's goin' my way.♪

 何て美しい朝
 何て美しい日
 素晴らしい気分、これが私の道

 明日、母の一周忌を執り行います。

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