2010年06月29日

「良い仕事」4つの条件

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 良い仕事をさせていただきました。「良い仕事」 だったと思えるのは、いつも次の全てが叶った時です。

 まず第一に、きちんと準備して、充分に力を発揮できたと思う時
 第二に、皆様に喜んでいただけた時
 第三に、それがとても自分らしい仕事だった時

 中央区民カレッジシニアコース1年生の総合学習は、中央区が60歳以上のシニア世代のために開催している生涯学習です。私が担当したのは、全10回の7回目。毎週の授業でそろそろ疲れてきてもおかしくない頃なのに、平均年齢69歳の66人の 「学生」 たちは実に元気で、実に輝く目をしていました。知識欲も旺盛で、素晴らしい質問が飛び交います。

 今期のコースの幕開けは、私も銀座時代に大変お世話になった岡本哲史先生の 「まちが語る、銀座の歴史と現在」、続いてジャーナリスト、猪狩章さんの 「激動の昭和時代をふりかえり、これからの生き方を考える。」

 その後もさまざまな分野から講師がリレー形式で担当する、まさに総合学習です。私の担当テーマは、「はじめようアンチエイジング〜生活にオリーブオイルを」。

 次回は、映画監督の田中康義さんが 「映画に見る中央区今昔」 をお話しになりますし、最終回は、落語家の橘家蔵之助さんが 「笑いは健康の源」 と題する講演で閉めてくださいます。受講資格が60歳以上なら、私だって資格あり(笑)。次回はぜひ生徒になりたいと思うぐらい、面白そうな講義が勢ぞろい。

 つくづく思いました。何かを知りたい、何かを学びたい、という人たちは概してお若い!

 終わってからもたくさんの皆さんがご挨拶や質問に来てくださいましたが、話していてもとてもお年には見えない方々ばかりでした。やはり知的好奇心こそがアンチエイジングの源でしょうか。

 ありがたいことに、たくさんの嬉しい感想をお寄せいただきましたが、中でもとりわけ嬉しかったのは、

 「オリーブオイルについても大変良い勉強になりましたが、私たちと同じ世代の女性があんな風に世界を飛び回って元気に生き生きとしていることを知ったことが、ものすごく励みになりました。まだまだ楽しいことがたくさんできそうだなあ、と、これからの人生が何だか楽しみに思えてきました。」

 という、ある女性が書かれたものでした。これこそ、オリーブオイルソムリエ&キャリアカウンセラーという珍しい組み合わせの私に与えられた喜びです。

 最後に、講演中にせっせと試食2品を器に盛り分けてくださった、中央区のフジオカさん、マエダさん、アシスタントのカズコさん、ありがとうございました。いつだって、どこだって、素敵なチームワークのおかげで 「良い仕事」 をさせていただけます。

 となると、冒頭の 「良い仕事」 の条件にもう一つ、付け加える必要がありそうですね。
 
 第四に、素敵なチームワークがあること。

 と。

 明日はグローバルキッチン6月の会の最終日。このところ寝不足続きですが、それでも疲れを感じないのは 「4つの条件」 のおかげでしょう。

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29日(火):TOFU Quick & Easy 〜TOFUのガスパチョ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:57| Comment(0) | マイワーク

2010年06月28日

同じ方向を見つめて

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 今日もまた何と言う蒸し暑さ!昔、南洋のポナペという島に父と呼ぶ人がいました。父がよく言っていたものです。「熱帯夜なんておかしな言葉だね。熱帯の夜はこんなにさわやかで気持ちがいいのに。」、、、、、、とにかくこの湿気にはまいります。しかも今日は晴れていたかと思えば雨が降り出し、また上がり、日傘が雨傘になって、また日傘に戻りました。

 あの日のことを思い出します。
 翌日にはイタリアを発つという最後の日に、私たちは目一杯のものを詰め込みました。見落としていた所をなるべく網羅しようと、東西南北を車で走り回りました。そして、翌朝便利なように、ローマ空港のホテルに一泊することにしたのです。

 海岸線に下りて、ローマを目指して一路西へと走っていた時に、信じられないことが起こりました。雨とは無縁のはずの地中海性気候の夏に、突然、雷鳴が轟き始め、強風と豪雨に襲われたのです。車を走らせることもできないほどに視界がさえぎられ、それまで静かな海で海水浴を楽しんでいた人たちが、いっせいに海から逃げ出し始めました。海岸線に沿って立ち並ぶ夏の間だけの仮設のカフェやバーは、半裸の避難客で溢れかえりました。海には大きな白波が立ち、車の外に出ようものなら風で吹き飛ばされそうです。

 そんな状況が30分ほど続いた後、風は止み、雨は止み、またあの眩しい太陽と青空が戻ってきました。南イタリアで出会った初めての雨でした。

 それでも、いったん荒れた海はなかなか静まることもありません。泳ぐことをあきらめた人たちが帰り支度を始めます。そんな中で、浜に戻り、まるで何もなかったかのように悠然と本を読み始めた男と女の二人組。そして波が静まるのを待つようにじっと砂浜に腰を下ろす別の二人組。

 どちらの二人も同じ方向を見つめています。こんな風景に出会うたびに、何だかとても心動かされます。見詰め合う二人もいいけれど、並んで同じ方向を見ているカップルはもっと素敵です。とりわけあんな嵐の後には、、、、、、、

 さあ、いよいよ明日は中央区のシニアカレッジです。
 70名のシニアの方々を前に講演をします。テーマは「はじめようアンチエイジング〜生活にオリーブオイルを」。皆様に同じ方向を見ていただけるよう頑張らなければ!
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28日(月):TOFU Quick & Easy 〜TOFUディップのスティックサラダ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:56| Comment(0) | パートナーシップ

2010年06月27日

物ではないモノに惹かれる喜び

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 一日気持ちよく働いた心地よい疲れの中にいます。先ほどまで降っていた雨はどうやら上がったうようです。それにしても何と言う湿気でしょうか。スリッパを履かずに歩けば、床も絨毯も、どことなくべたついています。足の裏ばかりではありません。手に触れる机も本も紙もみんなじっとりしています。

 そんなことをちょっと愚痴ったら、今日、一緒に仕事をした相棒にすぐさま言われました。
「だから日本女性の肌はきれいなのよ。」
 とならば、多少の湿り気、ひたすら我慢するしかありません。

 グローバルキッチンの第二回目。巷では大人の百日咳がはやっているようで、本日お見えになるはずだったお客様お二人ご欠席。それでもありがたいことに、キャンセル待ちの方々が空席をすぐに埋めてくださって、今日も賑やかな女の集いとなりました。

 もっとありがたいのは、8名のお客様のうち6名の方が皆勤賞。
 この集まり、どうせなら色々な趣向で楽しんでしまいましょう、と、6回目のご参加者にプレゼントが出る仕組みになっています。試行錯誤で1月から始めたこの集いも、おかげさまで順風満帆、今月は6回連続参加の方々がたくさん出ることになりました。

 皆様にお約束したプレゼントとは、、、、、、
 その時々で私が発見した一番お気に入りのオリーブオイルと、その時々で私がどこかの国で見つけたサムシング。今月の皆勤賞は、クレタ島ハニアの農家が栽培から収穫、製造までの全てを行っているオリーブオイルと、先日、シチリア島で買い込んできた天日干しのトマト=サンドライドトマトです。

 ちょっと授与式の真似事などして盛り上がるのも大人の遊びです。今日はお祝いも兼ねて、スパークリングワインでみんなで乾杯しました。

 4年近く、銀座で大人のための講座を企画、開講してきて、人を集めることの難しさはいやというほどわかっています。だからこそ、こんな私の小さなサロンに、たくさんの皆様が来てくださることのありがたさだって誰よりもわかっているつもりです。このご時勢、時間とお金をかけてわざわざやってきてくださる皆様に心からの感謝を忘れたことはありません。

 日曜日の回は特に、平日は仕事で忙しい方々がおそろいです。昨夜だってこんなメールが届いたくらいです。

「実は、昨晩はお断りをしようかと迷っていました。単純に今週末は仕事を持ち帰り月曜日までに仕上げなくてはいけないからです。でも、外出先でやっぱり思い直しました。仕事に忙しいからこそこうした時間が必要なのだとも、、、、」

 メールの主は、ある外資系会社のマーケティング部長です。

 皆さんが、月に一度、役職も経歴も関係なくファーストネームで呼びあい、台所で袖すり合わせ、同じテーブルで食と話のコミュニケーションを楽しむ場をどんなに楽しみにしていらっしゃるか、それを思う時、発起人の私が弱音を吐いてはいけません。それに、仮にも皆様にお教えする以上は、私自身にとってもこれは、最高の勉強の機会であり、楽しみなのです。

 これからしばらくはまだまだ「大人の遊び」が続きます。
七夕の後の週末に企画した、「ギリシャ神話と天の川〜夏空のロマン」は、男性にも扉を開いたら、あっと言う間に当初の定員を超える25名の皆様がお申込みくださいました。当日はロフトに続く階段も座席となることでしょう。

 世の中、不景気の風が吹き荒れようとも、こんな風に形のないもののために、共に集い、共に学び、共に遊ぼうという大人たちがいることは実に嬉しいことです。

 私も今日、あるセミナーに申し込みました。
洋服やら宝石やら、形に残る物にはますます心魅かれなくなりました。

 こんな状態は、とても自由で、とても快適です。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:57| Comment(0) | グローバルキッチン

2010年06月26日

Fiuggiノスタルジー

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 満月を見ながらビールを飲もうと、ベランダに椅子まで並べておいたのに、月の姿がどこにも見えない夜となってしまいました。

 南イタリアから戻って5日目。まだ5日しかたっていないのに、もう5ヶ月もたってしまったかのようにあの日々が遠くに行ってしまいました。そんな距離感からくる寂しさは、戻れるものなら今すぐにでも戻りたい、という切望へと駆り立てます。思いきりよく、一つの地から別の地へ移住し、定着できるはずの我が身だと思っていたのに、この不甲斐なさはいったい何なのでしょう。

 シチリアを発ってから、最後の8日間を滞在したFiuggeという町は実に不思議な所でした。毎晩レストランを探すのにも苦労するような何てことのない町なのに、離れてみるとやたら懐かしいのです。何となく耳で聞いてフュージだと思っていましたが、どうやらフィウッジと言うのが日本での正しいカタカナ表記のようです。

 この町は海抜2500フィート(762メートル)の高みに立つ中世の町と、その麓に小さく広がる現代の町の2つの部分に分かれています。麓から見上げれば、古い町は、青空を背景に静かに動かず、まるで美しい絵のようにいつでもそこにありました。

 実はこの町はただ美しい避暑地ではないのです。歴史を遡ってみれば、14世紀にはローマ法王、ボニフェス8世(Boniface VIII)が腎臓結石の治療のためにしばしばこの地に足を運びました。ミケランジェロも常連の一人でした。手に入れた本によれば、 「1549年、ミケランジェロはFiuggiの水が結石を砕くことについて記載している。」 と言う言葉が見られます。

 二つの源泉から湧き出る温泉水は、今でも変わらずその恵を人々に与えています。町を象徴するのが 「L’ACQUA DI BONIFACIO VIII」(ボニフェス8世の水) と言う大きな字が刻まれたリバティースタイルの美しい門です。入り口で入場料を払えば、眼下には大きな公園が広がっています。

 いえ、公園と言うよりは 「水飲み場」 または 「寄り合い所」 と言った方が正しいでしょうか。いたるところで中年から老年の男女が手に手にカップを持って、あちこちにある給水場で流れる水をくんでは飲んでいます。楽しそうに談笑する姿を見ていると、どうやら、ここは避暑客や湯治客ばかりでなく、周辺の人たちの格好の寄り合い所=青空サロンなのでしょう。

 野外ステージでは、おじさんシンガーが真っ赤なジャケットなどを小粋にはおってカンツォーネを歌います。それに合わせて、女同士、男同士、あるいは男女がペアになって踊りの輪が広がっていきます。まるで子供の頃、おばあちゃんに連れて行かれた地元の温泉場のようです。

 こうして、リタイアした人たちが平日の真昼間を過ごしています。なんて楽しくて、何てヘルシーな時間の過ごし方でしょう。私たちもつかの間仲間に入れてもらって、「そうそう、その調子。ほうら、飲んで飲んで。」 などと言われれば、ふだんはあまり水を飲まない私も、いきおい杯を重ねぬわけにはまいりません。生暖かい水は決しておいしいとは言えませんでしたが、気のせいか、ええ、きっと気のせいでしょう、以来、何だか体の中がすっきりしたようで心身ともども快調です(笑)。
 
 そんな14世紀からの伝統が受け継がれる一方で、この町はSPAの町としても名が知られています。からだを気づかうということは、同時に、自分自身を美しさとウェルネスを求める楽しみの中に遊ばせるということだ、と言います。そして、健全な魂は健全な肉体があってこそ、という普遍の真理をかかげているのです。

 私たちが滞在していたホテルの地下は、アロマの香に満たされた 「Medical Beauty Center」 でした。希望すれば医者の問診を受けることもできますし、ただ単にリラックスしたいというだけでも、顔、ボディ、総合と実に60近いプログラムが用意されています。

 たとえば、「Unknown Sensations(未知の感覚)」 と名づけられた6つのコースの一つは、「Mediterranean Sensation(地中海の感覚)」。もちろん体験してみました!食も大好きですけれど、蝕も大好きです。

 一日目は、地中海の塩で全身を磨いた後、最上級のオリーブオイルにオレンジエッセンスを混ぜたオイルで全身を丁寧にマッサージ。続く二日目は、オリーブオイルで顔のマッサージをした後に、地中海の粘土でパック。もちろん女性専用ではありません。男の方にだってこの心地よさの扉は開かれています。

 ここまで書いて気付きました。「Fiuggiに帰りたいノスタルジー」 は、またあの水を飲んで、SPAの快感に浸りたいからかしら?と(笑)。いえいえ、たとえそれがなくたって、実に心惹かれる町でした。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:58| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月25日

最後はやっぱりグランマ

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 シチリアでも南イタリアでも、ほとんど日本人らしき人を見かけることはありませんでした。それが帰りの飛行機に乗るためにローマ空港に行ってみたら、びっくりするぐらいに日本へ帰る人たちが!ちょっと怖気づいて隅っこに小さくなって座って飛行機を待っていたら、聞こえてくるのは日本語ばかり。

 喉が渇いたので何か飲もうとバーのカウンターに並んだら、「ウォーター!」 「レッドワイン!」 と堂々日本語で注文する同年輩の男性と女性。店の人も慣れたもので、きちんと水と赤ワインの小瓶が出てきます。「レッドワイン」 と言っても、たぶん我が家では何にも出てきません。でも 「ウレッワイ プリー(ズ)」 とでも言えば、ちゃんと赤ワインが出てきます(笑)。

 そんな我等が日本人たちのパワーに圧倒されて、ますます隅っこで小さくなって周りを見回せば、バッグや靴のブランド名が書かれた大きな紙袋や、DUTY FREEの大きなビニール袋を持っている人たちがたくさんいます。

 かたや私はと言えば、、、、、、、、、

 チェックインした大きなスーツケースの中も、手持ちの大きな肩掛け袋の中も、キャリーバッグの中もこんなものばかり。買い込んできたものと言えば、

 シチリア料理とサルディニア料理とイタリア料理の本が5冊
 ドライトマト(シチリア島の天日干しトマト) 10パック
 フェトチーネ(きしめんみたいな平たいパスタ) 5箱
 修道院で作っているオリーブオイル 2瓶
 ピスタチオの粉 2袋
 オリーブペースト 1瓶
 テーブルオリーブ 2袋
 ボルチーニ茸のリゾットやスープの素 15袋
 なぜかエプロン 5枚!

 ブランド物のバッグも靴もスカーフも化粧品もありません。でも、いいんです。こっちの方がずっと欲しいものたちなんですから。困ったことに、最近とみにこの傾向が強くなってきました。これではまるで本と食料品の買出し部隊です。

 それに加えて、いつどこへ行っても、鵜の目鷹の目探してしまうのが孫息子へのおみやげ。

 今回はなかなかピンと来るものが見つからなくてあきらめていたのが、最後の最後になってFiuggiの町で小さな素敵なお店に出会いました。

 若いお姉さんが切り盛りをしている 「ヴェロニカ」 というそのお店は、外から中までエプロンでいっぱい。しかも全部がお姉さんの手作りです。嬉しくなって、水色のギンガムチェックポケットがついた小さなエプロンと、おそろいの小さなリュック、もう一つおまけに親友のお孫さん用に小さなピンクのエプロンを買って包んでもらおうとしたら、何かイタリア語で話しかけてきます。

 身振り手振り、果ては紙にペンを走らせたりしながらのコミュニケーションでわかったことは、お姉さんが名前を刺繍してくれるというのです。ますます嬉しくなって、二歳になる二人の男の子と女の子の名前を紙に書いて渡しました。

 きれいなお姉さんは、私の目の前でミシンの前にすわり、「この色でいいかしら」 とばかりに糸を手にして、まるで魔法のような手さばきで、2枚のエプロンとリュックにそれぞれの名前を縫い付けていきます。

 それをかかえて小走りに走る道で、自分がすっかりグランマになっているのに気付いて、一人で照れ笑いしてしまいました。何だかんだ言っても、結局最後はグランマです。人から見たら、きっとあのグランパと同じように見えるのかしら、と思ったら、何だか不思議に嬉しくなってしまいました。

 最後の写真は、Agnaniの教会の前で出会った、あのグランパと小さな女の子の二人組です。どうやら結婚式の間、むずがる孫娘を抱いて外に出てきたグランパのようです。大好きな写真です。

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25日(金):TOFU Quick & Easy 〜TOFUのブルスケッタ


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2010年06月23日

仕事人に戻る瞬間

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 嬉しいことに東京にいます!

 たくさんの学びと、たくさんの感動と、たくさんの気付きに溢れた、とても良い旅でした。
 アイディアも決意も勇気も与えられました。

 知らないことがあまりにたくさんあることに驚いて、これまで何となく上っ面だけなでてきたことを、やっぱりきちんと系統立てて学びたいと思うようになりました。歴史について私はあまりに知らなすぎます。受験勉強の知識はただの点でしかありません。点と点をつないていくには、別のものが必要です。

 同じく、イタリア語の勉強をしようと決意しました。もっともっと聞きたいことがあるのに、言葉を知らないがために、数え切れないぐらい臍をかみました。お礼の言葉をきちんと伝えられたらと思いながら、それができないもどかしさに何度も溜息をつきました。

 10月からはミラノの生活が待っています。それまでにはせめて基本的な言葉だけでも話し、聞くことが出来るようにしたい、そう思います。今から頑張れば、何とかなるかもしれません。ならないとしたって、今よりはずっとましなはずです。

 ギリシャに移り住むと決めた時、私は全くギリシャ語を知りませんでした。当時は東京でギリシャ語を学べる所などなく、直前にリンガフォンを買って、夫と一緒に勉強をしました。何とかアルファベットの読み書きはできるようになったものの、私が口にすることができたのはたった4つの言葉でした。なぜなら身重で移り住む私にとって、その4つこそが一番大事だろうと思ったからです。

ポナイ  (痛い)
ピナオ  (お腹が空いた)
ネロ パラカロー (水をください)
フォナクセ トン ヤトロ (医者を呼んでください)

 そんな風にして始まったギリシャ語だって、その気になれば何とかなりました。イタリア語だってできないわけがありません。それに、語学と楽器を弾くことは老化防止に最適だというではありませんか(笑)。

 同じ暑さでも確かに湿気が違います。日差しは強くてもカラリとした地中海の気候と違って、ここではちょっと掃除をしただけでじっとり汗がにじみます。夕方から雨が上がって、この季節によく似合う紫陽花の花が、ひときわ美しく目に映ります。家の中にも紫陽花を咲かせたくなって、いけてみました。花の美しさは、世界中どこで咲こうと変わりません。
(最初の3枚はFiuggiに咲いていた紫陽花、次は今日、私が住む町で見つけた紫陽花、そして最後は今、この家の暗闇の中で咲く紫陽花です。)

 時差ぼけも覚めやらぬうちに、明日からしばらくはセミナー続きです。明日はグローバルキッチン6月の会、「TOFU Quick & Easy〜西洋人の目から見たTOFU」。

 固定観念を解き放って奇想天外なメニューを皆様とご一緒に作ります。たった今、テーブルセッティングを終えたばかりです。

 買出しに行き、資料を作り、掃除をし、花を飾り、お一人お一人の名前をカードに書き、お皿とグラスを並べます。今回のテーマに合わせて、和紙の千代紙で鶴を折ってお皿に載せてみました。

 最後に、一生懸命磨いた銀のナイフとフォーク、スプーンを並べ終えた時、背筋がピンと伸びて、気持ちが完全に切り替わったのを感じました。こんな風に背筋が伸びる瞬間に、いつも思います。「やっぱり私は仕事人なのだ」と。
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23日(水):山の上のレストラン第一位〜SU LA COSTA
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:55| Comment(0) | グローバルキッチン

2010年06月22日

世界一の修道院 モンテカッシーノからアメリカのアーリントンへ

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 その昔、Casinumと呼ばれる古い町がありました。ローマ時代には随分栄えていた町でした。その町の一番高い所、昔々のアクロポリスがあったアポロンの聖域に、世界一と言われる修道院、「The Abbey of Montecassino」 が建っています。なにゆえに 「世界一」 といわれるのか、おそらくそれにはいくつもの理由があるのでしょうが、天にも届きそうな高みから町に君臨するかのようにそびえたつ大きな修道院の存在感だけでも、「世界一」 と言わせる一つの理由なのかもしれません。ローマからもかなり離れた不便な所なのに、たくさんの観光バスが止まっています。

 529年に聖ベネディクト本人によって建てられたこの壮大な僧院は、その後、、4つの大きな試練を通り抜け、その度に作り直されます。9世紀のサラセン人の侵略や14世紀の地震、、、中でも一番大きな被害は、1944年2月、第二次世界大戦中のことでした。ローマに駐屯していたドイツ軍がここ、モンテカッシーノ修道院に拠点を置き、そこをアメリカ軍が攻撃して来たのです。

 現在の息を呑むような建築は1956年に再建されたものです。しかし、高い天井にはあるべきはずの絵がありません。

 ここでもまた、不思議な繋がりがありました。

 昨年の夏、ふとしたことから私たちは、ワシントンDCからポトマック川を西に渡ってすぐのアーリントンに、ある老夫婦を訪ねることになりました。アナスタシアはギリシャ人、ショーンはアメリカ人です。

 二人が出会ったのは今から50年以上も前、1959年のことでした。場所はギリシャのアクロポリス。アナスタシアはまだ十代の可愛いギリシャ娘、ショーンはアメリカ空軍の将校でした。兵役の途中で立ち寄ったギリシャの、神殿の石段で二人は恋に落ちました。

 二人は4年後にギリシャの教会で結婚式をあげ、以来アーリントンの緑に囲まれた静かな家で暮らすことになります。2人の子どもと3人の孫に恵まれ、アナスタシアはギリシャへの郷愁を胸に秘めながらも、幸せに暮らしていた7年前、夫ショーンが脳卒中で倒れます。一命をとりとめ、再び平穏な生活が始まって2年、またしてもショーンが脳卒中で病院に運ばれます。この2度目の不運は、戦場で怪我を負ったショーンの左半身に大きな打撃を与え、左目の視力を奪い、左半身を動かぬ身としてしまいました。

 その戦場というのが、まさに、この修道院の立つ場所だったのです。動かなくなった首を一生懸命私たちの方に向けて、ショーンがそんな思い出を話し始めた時、私たちはまさか1年もたたないうちに、その場所に立つことになるなんて、これっぽちも思いませんでした。

 修道院のミュージアムには、色薄れた戦場の写真と、若い兵士たちの写真がありました。もしかしたらその一人がショーンだったかもしれません。故国でもなく、敵国でもない場所で戦い、その後の人生を左右するような大きな怪我を負い、あのクチナシの香りに満ちたアーリントンの家で静かに余生を暮らすショーンに、私たちの旅のことを話したら、いったいどんな顔をするでしょうか。来月になったら私はまた、アナスタシアとショーンを訪ねます。その時にもし勇気があれば、私たちのモンテカッシーノの旅のことを話すつもりです。

 きらびやかな装飾や、天にも伸びる建物は美しいとは思っても、私の心の奥には届きません。いくら 「世界一」 と言われようとも、いにしえの人たちの声や、建物が奏でる音を聞くことができるのは、なぜか誰もいない小さな教会だったり、荒れ果てた遺跡だったり、白一色の神殿だったり、素朴な石の修道院だったりします。

 そんなことも、アナスタシアとショーンと一緒に話せたらと思います。

 去年の夏の二人との思い出は、http://blog.platies.co.jp/archives/20090817-1.html
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22日(火):海辺のレストラン第一位〜La Spiaggetta


posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月21日

アポロ神のお使い

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 動き回るにはこの2つが頼りです。
 一つは詳細なガイドブック、そしてもう一つは詳細な地図。

 加えて言えば、どんな狭い道でも入っていける小まわりのきく車と、車酔いをしないからだと、間違った道に迷い込んでしまった運転手をなじらない寛容さと、地図が読めない相手にイライラしない忍耐力。もちろん興味の羅針盤の針が、ピッタリとは言わぬまでも、だいたい同じ方向を指し示すことも基本条件です。

 一緒にあちこちを旅してまわる何年かのうちに、そんな寛容さと忍耐力がおたがいに何とか身についてきました。

 この日もガイドブックと地図を頼りに、山岳地帯を一周する計画を立てました。私たちの年齢にしたら随分無謀な計画かもしれません。ぐるりとまわれば、仮に迷わずに道を辿れたところで優に200キロは越すでしょう。一番高い地点はおそらく海抜2000メートルはあるはずです。

 上るにつれて花々が変わっていきました。地上ではバラがそろそろ盛りを過ぎ、紫陽花やカンナが咲き始めたというのに、いまだにアザミやタンポポやマーガレットやポピーが咲き乱れているのです。空に近づくに連れて、季節は春に戻っていくかのようです。40キロ走ろうが、50キロ走ろうが、馬以外、車にも人にも出会いません。

 こんな酔狂な一周計画を立てたのは、ひとえにある場所への思いからでした。それは 「ALBA FUCENS」、紀元前304年に建てられた古代ローマの町の遺跡があるところです。ブロックのように石を積んで作られた外壁は3キロにもわたる要塞となり、今でも部分的にその跡を残しているはずです。

 もう一つ、この近くに小さな教会があるはずでした。その名を 「Church of Saint Peter ALBA FUCENS」 と言います。元々は紀元前3世紀に、太陽神アポロに捧げる異教の神殿として建てられたものでした。それが6世紀になり、大きなギリシャ風の柱をそのまま使って、キリスト教のバシリカに変えられたのです。さらに12世紀になると、古壁が再建され、神殿はひろげられ、地下にはクリプトまで作られました。しかしアポロ神のためのコリント式の柱は以前として使用され続けたのです。

 その後も地震に見舞われたり、歴史の波に翻弄されたりしながらも、この小さな教会は依然として同じ場所に建っているはずでした。しかし、どうしても見つけることができません。

 人の影ひとつすらない炎天下の荒れ野でガイドブックに見入っていると、どこからやってきたのか一人の女性が後に立っていました。

「お迷いですか?」
「ええ、聖ペテロの教会を探しているんです。」
「ご覧になりたいのですか?」
「はい。」
「中もご覧になりたいのですか?」
「はい、でも今は無理だと聞いています。」
「もしご覧になりたいのなら私の後についてきてください。私が鍵を持っています。」

 そうして、この女性について私たちはしばらく草原を登り、この教会の中に入ることができたのです!外の熱気も届かぬような冷たい石の部屋で、ようやく暗さに慣れてきた目がとらえたものは、まさにギリシャの神殿を支えていたあの柱でした。

 彼女はいくら言ってもお礼を受け取らず、また何事もなかったかのように神殿、いえ元は教会だった石の建物の扉の鍵を閉め、「ご無事で!そしてお幸せに!」 と言う言葉を残して、去っていきました。旅をしていると、一度や二度は必ずこんな不思議な経験に出会うものです。

 けれども、不思議体験などからっきし信じない夫は、「きっと彼女は地元のカフェかなんかで働いているんだろう。運よく出会えてラッキーだった。」 と言います。でも、私は彼には内緒で、実は今でもこう思っています。

「いいえ、きっとアポロ神のお使いよ。何てありがたいことでしょう。」
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21日(月):溜息!スビアコのスーパー
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:54| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月20日

ジューンブライドの土曜日

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 夏至に一番近い週末の土曜日、こちらではジューンブライドの姿がたくさん見られました。

 曲がりくねった山道を空へ空へと近づいてくように上った先の目的地は、Fossanoba Abbey。1208年に建てられた修道院です。きらびやかな教会の装飾と異なり、ほとんど色も使わない石の建物は、だからこそ中庭の花々の彩りを美しく映し出します。ひんやりとした部屋の中に入れば、目立たない祭壇を囲む石壁に、修道僧たちの、神に身を捧げたストイックな生活が偲ばれます。

 彼らは結婚もせずに一生をこの修道院で送りました。火を使ってよいとされていたのは、台所と小さな採暖所と、寄り合いの場の3箇所だけ。そんな生活は、いくら地中海といえども、山上の石壁の部屋ではどんなに寒かったことでしょうか。

 この修道院は、ナポリからリヨンへ向かう途中のトマス・アクィナスが、途中で健康を崩し、1274年の3月に最後を迎えた場所としても知られています。トマス・アクィナスと言えば、昔、高校の世界史の教科書に出てきた、あの中世の哲学者であり、「神学大全」 で知られるスコラ学の代表的な神学者です。カトリックでは聖人ともされています。

 この修道院で、昨日は2組の結婚式が行われました。外では大きなプラタナスの葉がザワザワと揺れて、覆う影とてない地面を、緑色をしたトカゲが走り回る昼日中に、神と人に祝福された花嫁と花婿は永遠の契りをし、白い花をつけた車で、結婚式の衣装のままで旅発ちました。

 1時になるとチャペルのドアも美術館のドアも、その隣の売店も、その前のカフェも全てのドアが閉ざされて、式に参列するためにやってきた人々も帰路につき、小さな山上の村と、大きな修道院は夕方までの眠りに入りました。

 若いカップルたちは、「おめでとう!どうぞ末永くお幸せに!」 と思わず声をかけたくなるぐらいの爽やかさと希望の光にあふれていました。

 けれども、もっと素敵な光景は、そんな若い二人を見つめる初老のカップルの姿でした。たがいの体に腕をまわし、無言のまま花婿・花嫁の車を見送る二人の後ろ姿は、長い年月を共に重ねてきたものだけが持つ馥郁とした香りに満ちていました。

 額縁に入れていつまでも眺めていたいぐらいに素敵なシーンでした。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 18:06| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月19日

「知リンギング」 という喜び

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 朝早く、私たちの小さなフィアットが走り出しました。迷路のような小さな村々の路地を走り回るには、こんな小さな車がぴったりです。

 山を下り、高速に乗った後は、両側を大木が生い茂る古代ローマからの道、アッピア街道を走り、港町テラチーナを歩き、海から離れて北東へと向かい、フォンディ、フォルミアへの小さな訪問をし、再び海へと下り、いよいよ最後の目的地、スペルロンガに到着しました。

 ここは、圧倒されるように美しい海岸線を背景に、狭く白い路地がクネクネと続く歴史の町です。町の東南にはローマ帝国2代目の皇帝、ティベリウス帝の別荘の後が残っています。波音を聞きながら、今は石だけになってしまった屋敷跡を歩けば、奥には緑の水をたたえた 「Grotta di Tiberio(ティベリウス帝の洞窟)」 と呼ばれる暗い洞窟がが待っています。

 この洞窟は、ティベリウスが好んだギリシャ神話の英雄ユリシーズ=オデュッセウスの冒険を描く彫刻で飾られていました。粉々になった破片は長い年月をかけて丹念に組み合わされ、今では隣地に建つ美しい博物館の中で、紀元1〜2世紀頃のヘレニズムの遺品と共に、私たちに公開されています。

 ティベリウスというのは、知れば知るほど不思議な人です。紀元前42年に生まれ、紀元前14年にローマ帝国の第2代皇帝になるや、紀元前6年にはギリシャのロードス島に隠遁します。スペルロンガの洞窟や別荘を飾った彫刻は、ロードスから運ばれてきたのでしょう。

 その後、68歳にカプリ島に居を移してからの人生最後の10年は、半ば隠遁生活を続けながら政治を行ったと言います。

 5年前の9月、背の高い、歩幅の広い人の後をひたすら追って、うねうねと続く小さな階段や山道を上へ上へと登りました。眼下に輝く紺碧の海から離れて、青い空がどんどんと近くなっていきます。道端の花に目を取られればすぐに見失ってしまうその人の背中を探し、ようやくたどりついたのは、カプリ島の断崖絶壁の上に建つ古い建物でした。それが、ティベリウスのヴィラだったのです。

 5年前のカプリと、2010年のスペルロンガの間に線がひけて、ティベリウスという、あの時には名前しかしらなかった人の歴史をおぼろげにたどれるようになりました。

 こんな風に、点と点がつながっていくのが、旅の一番の面白さです。それは何も旅ばかりではなく、日常の生活でも充分に起こりえる、断片的な知識と、もう一つの断片的な知識との出会い、そして連合です。と考えれば、それは 「旅の面白さ」 ではなくて、「生きていることの面白さ」 と言えるのかもしれません。そんな喜びに勝手に名前をつけるとしたら 「チリンギング」。「知」 がリングになって繋がっていく? 知のリングができていく? そんな感じです(笑)。

 ところで、ティベリウスのヴィラが見つからなくて、ガソリンスタンドのオジイサンに聞いたらば、

「ムゼオ(ミュージアム)のことかい?そこを上って次の角を右に曲がって、それから、、、、、、、」

 と丁寧に教えてくれました。「ムゼオってティベリウスのムゼオですよね。」 と相棒がイタリア語で確認したら、

「うんにゃ知らねえ。ムゼオはムゼオだがな。」

 ティベリウスのことを知らなくたって、ユリシーズの物語を知らなくたって、広い世界を知らなくたって、そんなことに何にも興味をもたなくたって、朝日は昇り、美しい夏の日がやってきます。ほんの時々立ち寄る車にガソリンを入れて、軽口をたたいて、たとえ質素でも一日三度の食事をしっかり取って、神に祈って、夜になればぐっすりと眠る、そしてまた美しい朝を迎える、、、、、、、

 もしかしたらそんなシンプルな生き方の方がずっと幸せなのかもしれません。けれども、いったん 「チリンギング」 の喜びに目覚めてしまった身には、もう戻ることはできません。

 ところで、もう一つ。
 最後の写真は昨年3月のもの。ギリシャのクレタ島の田舎の海に浮かぶ 「スピロナンガ」 という島です。その昔はライ病患者を閉じ込めるための島、一度送られたら二度と出ては来られない暗黒の島でした。今では釣人たちが時折立ち寄る所になっています。

 「スピロナンガ」 と 「スペルロンガ」、少々どころかしばしば混乱して言い間違えます。そのたびに私の 「知リング」 がユラユラと揺れて、はずれそうになります。
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18日(金):たかが目玉焼き されど目玉焼き
17日(木):神様への捧げ物
16日(水):シチリア版アクアパッツァ対決
15日(火):パレルモの朝御飯
14日(月):最高のランチタイム〜チェファル 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:14| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月18日

私のスピリチュアルスポット

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 Fiuggiは山と海とのちょうど中間。北へ上ればさらに山が深くなりますし、南へ下れば海につながります。周囲には数え切れないぐらいに、歴史をいだいた小さな町や村が散在しています。

 海に下れば、どこもすっかり夏姿です。砂浜に面したレストランの、ゆっくりと流れるランチタイムの間にも、子供たちのはしゃぎ声や、大人たちの笑い声が聞こえ続けます。

 東京を発ったのがもう随分前に思えるぐらいに、さまざまな場所を訪ね歩きました。日本のガイドブックでは見たこともない名前の土地ばかり。そんな場所があるなんて、ここに来るまでは知らなかった所ばかり。

 先史時代から今に至るまでの何千年もの歴史の中の正しい場所に、適切なモザイクをはめこんでいくことのできる相棒と違って、私は美しかったり、せつなかったり、感動したりのモザイク片の、どれとどれを繋げて、どこに置いたらよいのかもよくわからないままに、たくさんのことを日々取り込み続けています。いつかきちんと整理をしたいと思い、すでにきちんと整理ができている相棒をうらやみながら。

 あまりに地味なゆえに観光ルートから外れている遺跡の数々は、どこの国、どこの場所でもひっそりと静かに悠久の時の流れをはぐくみ続けています。私たちのほかに、動く者とていない場所もたくさんありました。私たちは、地中海の太陽が容赦なく照りつける中、そんな眠った場所を一つ一つ訪ねています。

 そんなことを続けていると、時々、とても不思議な体験をすることがあります。疲れるほどに歩き回って、汗をぬぐおうと足を留めた時に、サワサワと何かが聞こえてくるのです。あるいは、私の方から発した心の中の言葉に、何かがサワサワとこたえてくれようとするのです。

 シチリア島、シラキューサの北のはずれの高い丘の上に眠る廃墟、エピポリ。
 ここはギリシャ時代の最も完璧にして複雑な、石灰石で建てられた軍事施設です。紀元前5世紀、ペロポネソス戦争の時、半島から上陸したアテネ人たちは、シラキューサの町から5マイルも離れ、彼方に町の全貌を見渡せるこの丘に2つの大きな砦を作りました。

 その目的はもちろんシラキューサを見張るため。そして町へと繋がるこの丘で人の流れをせき止めて、町への食物の供給を絶つため。

 今でも遠くシラキューサの町を臨むことができるこの丘は、荒れ果てて、太陽から逃れる影もなく、乾いた草が生い茂っています。春の残りのアザミの花が一輪、周囲の枯れた色彩には不似合いな鮮やかさで風に揺れています。

 サワサワと聞こえてくるのは男たちの話し声です。誰もいない場所でどこからか風のように運ばれてくるのは、知っている言葉が時々まじる古い言葉です。そんな時、私は今そこに立たせてもらっていることに感謝をし、自分自身が長い長い大河の中のほんの一滴であることを思います。

 シラキューサの町中の上り坂の左側に、周りを岩壁に囲まれて、深くえぐれた大きな濠のようなものがあります。見落としてしまいそうな小さな標識に気付く人もなく、坂の途中で車を止める酔狂な人もいません。ここが古代ギリシャの、戦いに敗れた7000人もの兵士たちが折重なるようにして葬られた場所です。上から身を乗り出してみれば、中はまるで植物園のようです。

 ここでも自動車の騒音に混じって、かすかな声が聞こえてくるような気がしました。私はギリシャ語で、たくさんの魂たちに感謝をしました。たとえ何の力もないたった一滴でも、歴史という長い時間の一滴であることは、たくさんの生を引き継いできたということです。そして自分に与えられた生をまっとうしなければ、と思います。

 占いだとか、スピリチュアル何とか、などにはほとんど無縁の日々ですが、たまに、こうして忘れ去られた古(いにしえ)の場所に立つ時、もしかしたらここが私のスピリチュアルスポットなのかしら、と思います。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:36| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月17日

全ての車はローマを目指す?

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 あたりました。人ごみにも、騒音にも、色の氾濫にも、渋滞にも。

 ここを車で出たのが9時15分。山道を下ったり上ったりしながら、ナポリ〜ローマ〜ミラノを結ぶ国道A1の入り口までが、約30分。「全ての道はローマに続く」 とばかりに、高速を気持ちよく飛ばしていたら、何と30分でローマへの出口に着きました。

 ところがそこからが、ひどい渋滞。「全ての車はローマを目指す」 と言ったところです。

 ローマ市内へ入るための駐車場にたどり着くまでに、また30分。いくつものゾーンがある大きな駐車場なのに、空き待ちの列に並んでまた15分。

 やっと順番が来て、お行儀よく車を止めて、メトロで都心へ出ました。ここらへんからもうすでに、人あたりと車あたり。ヴァチカン美術館へと歩く道は、色とりどりの店が並んでいて、色あたり。目的を持ってさっさと足を運んで行く人たちの波に飲まれそうになってアップアップ。

 先回も先々回も全部を見切れなかったヴァチカン美術館は珍しいことに、待ちもせずに入れて、喜んでいたのもつかのま、中はどこもかしこも人の群れ。旗を持ったガイドさんの後にぞろぞろと付いていく集団をよけて通るのも大変です。ここでまたかなりの人あたり。

 思えばちょっと静かな所に長く居すぎました。シチリアも、ここフュージも、こんなに人も車もいなければ、あふれかえる色もありません。音だって、風や波や鳥などの自然の音ばかり。時々聞こえてくる教会の鐘の音だって、そんな自然の音とうまく調和しています。

 来週からEU3カ国での講演が始まる相棒が、打合せの会議に臨んでいる間、私は思いっきりおのぼりさんになりました。初めて娘とローマに来た時に、心躍らせて真っ先に飛んでいった 『スペイン広場』 です。大学を卒業したばかりの娘とこの階段にすわって写真を撮ったなあ、などとノスタルジーにひたる間もなく、人群れに押されます。

 それでも、そんな人や車や色や音の氾濫に慣れてくれば、一人気ままにプラプラと歩き回る町は面白く、あの時のように心躍ります。横断歩道の向こうから、きちんとスーツを着た素敵な男性が、黒と白のフレンチブルドッグのリードをひいて人ごみの中を渡ってくる姿に、一目惚れをしながら、「ああ、やっぱり都会もいいなあ。。。。」

 止めておいた駐車場のゲートの開け方がわからなくて、このまま閉じ込められるのではないかという恐怖におびえながらも、何とか脱出して再び高速に乗ったのが8時近く。ありがたいことに、道はガラガラな上に、こちらは夜9時になったってまだ明るいのです。「暗くなるまでに帰ろう!」 という朝の申し合わせ通りに、「私たちのFiuggi」 に到着したのは、ローマの駐車場を出てから、75キロ、1時間10分後、ようやく夕闇が押し寄せる頃でした。

 相棒も私も思いは同じだったようです。山間の小さな町々が見え始めた時に、一緒に呟いてしまいました。

「帰ってきたねえ。何て空気がきれいなんだろう。何て美しい夕暮れなんだろう。何て静かなんだろう。」

 夕日の最後の光が山の頂上を染め、うっすらと三日月が夜を待っていました。

 もしもローマで働かねばならなくなったら、ここに住んで、毎朝、毎晩、たとえ渋滞にひっかかろうが、駐車所から出られなくなりかけようが、この山間の町に住んで通勤をしよう!というのが、咋日の共通の結論となりました(笑)。

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posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:01| Comment(0) | イタリアライフ

2010年06月16日

中世の町 Fiuggiから

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 関東地方もいよいよ梅雨入りしたとか。二人の友からそれぞれにこんなメールが届いたばかりです。

「今朝は、朝から一日雨という予報でしたが、お昼前からカンカン照りの暑さになってきました。ジメジメムシムシの上に日が射したもので、まるで蒸しあげられた焼売か、肉饅頭の気分です。」

「こちらは梅雨入りとなったらしいです。今日の水曜日は昼ごろになってお日様がカンカン。夕方はまた雨とか。」

 こちらも毎日カンカン照りです。
「夏は晴天が続き空気はカラリとし、雨は冬にまとまって降る。」
 そんなことを中学生の社会科で習いました。そんな地中海性気候そのままに、こちらに来てからは雨傘の存在など忘れたままです。毎日かなり動き回っていますので、予防はしているつもりでも随分手足も顔も黒くなってしまいました。それでも湿度が低い分、とても快適で、大好きな暑さです。

 実は1週間のシチリア暮らしに別れを告げ、先日から南イタリアのCiociariaという地域のFiuggiという小さな町にいます。ローマまで飛行機で飛び、空港で車を借りて、ナポリへ続く高速道路を飛ばしました。Fiuggi=フィユージは、ローマの南東、車で約1時間半です。たったそれだけで、ローマとは全くちがった世界が待っています。

 山間のため、朝晩の涼しさは心地よく、この美しい町が長い間、ローマ人たちの避暑地として栄えてきたわけもわかります。ミケランジェロも法王たちもお気に入りでした。

 しばらくはここを拠点に動き回ります。周辺には歴史を刻み続けてきた古い町や村がたくさんあります。それらの一つ一つを訪ね続けています。

 今暮しているのは、広大な敷地の森を抜けた中に建つ美しい館です。これが今の私の書斎です。窓はいつも開けておきます。たくさんの音を聞き、たくさんの風を感じたいからです。今は朝の9時になろうとするところ。昨夜遅くまで鳴いていたフクロウは眠ったのでしょう。まだ暗い早朝に鳴いていた仏法僧の声もなく、今届くのは名も知れぬ小鳥たちの合唱曲。時々カッコーの声がまじります。美しい朝です。

 シチリアについてもまだまだ書きたいことが残っています。少しずつ書かせてください。

 静かな山間の町を離れて、これから急いで車を走らせ、ローマに行かなければなりません。なんだか久しぶりに都会へ出る小ネズミのようで、ちょっとソワソワしています。

 行ってきます! 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:06| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年06月15日

シチリアンホリデイ処方箋

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 一通りのやれることはやってみて、それでもダメならどうしましょうか。実はここが、私たちの人生において、けっこう大切なポイントだったりしますよね。

 ひきずるか、ひきずらないか。
 考え続けるか、忘れるか。
 くよくよしたり、後悔したり、不運を嘆いたり、恨んだりするか、それとも、あっさりあきらめるか。

 周りを見まわす限り、楽しそうに生きているのはたいてい 「ひきずらない群」 の人たちです。忘れ上手のあきらめ上手は、そうではない人たちに比べて随分得をしているようにすら見えます。

 特にここはイタリアの南です。お天気はガンガンによく、風景はやたら美しく、ワインも食事もおいしいし、長い長い歴史が川の流れのように続いている所です。カメラケーブルを忘れただの、インターネットが繋がらないだのは、何ともちっぽけなトラブルに思えてきます。ひきずられるなんて、まるで似合いやしません。南欧続きのギリシャの友だってきっと言います、「アフティ イネ イ ゾイ (これが人生さ)」

 そんなわけで、潔くあきらめて、あきらめたら考えず、考えない以上はひきずらないことにして、その分、シチリアンホリデイを楽しむことに決めました。だって、ひきずったって何が変わるわけでもありませんし、第一、次にシチリアに来る時にネットが繋がらないなんてこと、まずあるとも思えません。世界は日進月歩です。と思えば、何とも貴重な経験ではありませんか。考えようによればこれぞ天の恵みです。

 「シチリアンホリデイ」の処方箋は次の通りです。

@ 朝は鳥の声が起こしてくれますので、目覚ましはいりません。

A 朝の空気を胸いっぱい吸ったら、静かな時間に、ネットに繋げない仕事をしたり、本を読んだりいたしましょう。

B 朝御飯はもちろん地中海式。オレンジとチーズとオリーブオイルにコーヒー。

C 今日の行き先を決めたら車を走らせましょう。迷ってもだいたいはたどりつけます。

D 遺跡は山のようにあります。それぞれに個性豊かな小さな村々もたくさんあります。何日いたって行き先には困りません。

E ランチはゆっくり食べましょう。山間のレストランの葡萄棚の下でも、海に面した所でも。

F 午後の予定はあまり欲張らずに、早めに戻りましょう。

G 9時ごろまでは明るいのです。長い一日、まだまだ色々できます。まずはプールサイドでのんびり読書、そして泳ぎます。海の音を聞きながらプールで泳ぐ心地よさ!スズメだってツバメだってトカゲだってやってきます。

H 水から上がった後には二つの選択肢が待っています。お昼寝 (お夕寝) またはネットに繋げないお仕事。

I お夕飯は早すぎてはいけません。8時に行ったって誰もいやしません。何とか8時半、あるいは9時まで待ちましょう。

J 今日一日をふりかえり、明日の計画を練りながら、ゆっくり食べましょう。ふだんからワインをお飲みの方には、シチリアはうってつけ。ホテルには大きなワインセラーがありますので、思い切ってボトルで頼んじゃいましょう。町のカジュアルなリストランテなら、ハウスワインをグラスで頼むもよし、デカンタで頼むもよし。案ずるなかれ、日本では考えられない安さです。

K 夜もふけて、昼間のうだるような暑さが嘘のように気温が下がってきました。最後はやっぱりこの言葉、「Grazie! Buona notte! ありがとう、おやすみなさい。」

 繋がってしまうまでの、3日間のシチリアンホリデイでした。それでもこの処方箋、けっこう効き目がありました。繋がった今でもけっこうフワフワ、ますます大雑把に暮しています(笑)。

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14日(月):最高のランチタイム〜チェファル
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:34| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年06月13日

ネットさえ繋がらなければ、、、、、、

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 学生の頃からヘビースモーカーだった友が、最近タバコを吸わなくなりました。
 さぞや禁断症状で苦しんでいるのだろうと心配したのも要らぬお節介だったようで、本人は会うたびに今まで以上に楽しそうです。喫煙家がだんだん居心地悪くなってきたこのご時勢、グローバルな舞台で活躍するビジネスマンの彼は、年々、吸う自分にある種の後ろめたさと自己嫌悪を感じていたと言います。ところが、今や、そんな陰鬱な気持ちから解放され、依存しなくても生きていける自由が嬉しくてたまらない様子。

 あまりの変貌に驚いて、根掘り葉掘り聞いてみたら、1冊の本を教えてくれました。

 まさにその本が、飛行機を待ちながらブラブラとしていた成田空港ターミナルの本屋に並べられていたのです。つい興味本位で買ってしまいました。大スモーカーのイギリス人が書いた 「読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー」 という本です。

 「タバコをやめれば人生はつまらなくなるという妄想を取り除けば、タバコを吸わなくても人生は変わらず楽しい、否、吸わない方がもっと楽しくなることに気付くはずです。人生をタバコの奴隷になることなく楽しむのです。」

 少々突飛ながら、ごく最近、あることで、全く同じような思考法をたどり、同じような気付きに至りました。ただ違うのは、困ったことにまた元の木阿弥に戻ってしまったことです(笑)。

 シチリア島第一の都市パレルモでの滞在の後、車を一日走らせてカシビレというレモン畑の中のヴィラに移ったことと、そこで起きたことについては、すでにお話しした通りです。

 Hotel Lady Lusya (ルチア夫人のホテル) と言う名のそのホテルは、見渡す限りレモンとオリーブの林の中にエレガントに建つピンクの古い館。ホテルというよりはヴィラと呼ぶほうがずっとふさわしい所です。田舎道の公道に小さな表札がかかっている入り口には、「STRADA PRIVATA (Private Road)」 という私道標識が見られます。そんな入り口から当のヴィラにたどり着くまでが、驚いたことに延々1キロ近くもあるのです。一本道の私道の両側は、たわわに黄色い実を実らせるレモン林です。

 客室はわずか19室。
 17世紀にワインの製造で大成功した富豪の館は、当時の面影をできるだけ残しながらも、客人たちが心地よく過ごせるような設備を加えて改修されました。ところが、インターネットだけが抜け落ちてしまったのです。部屋の石壁は頑丈で、無線を受け付けません。もしかしたら、こんなヴィラに滞在する人には、インターネットなどは不似合い、あえてそんなことはさせまい、という奥深い配慮なのかもしれません。

 ところが、そこに慌てた野暮な客人が現れました。その客人は、中途半端な仕事を持ち込んでいたために、かなり困り果てました。そんな様子を見た連中が、これまた 「シチリア人の心意気」 で何とかせにゃならんと、よってたかって何日も客人のPCをいじくりまわしました。客が出かけている昼間の間に、日本語で表示が出るPCと格闘するのですから、その苦労たるや想像を絶するものがあります。

 その結果、3日目の夜に朗報が届いたのです。
「ナオミ、無線につなげられるようになったよ。でも部屋からじゃダメだ。ここでだけ。」

 と言って指差されたのは、薄暗い玄関のそばの一角でした。以来、早朝もしくは夕飯前に、かなり根暗状態でPCに向かう一人の女の姿が見られることになりました。気付いてみれば悲しい奴隷状態。

 そんな時にふと思い出したのが、禁煙本の中の言葉です。「タバコ」 という箇所を 「インターネット」 に置き換えてみれば、全くその通りです。初めは不安でイライラとしていたのが、いったんしょうがない、とあきらめてしまえば、本当に素晴らしい開放感がやってきて、自由な時間が嬉しくて、島のあちこちへ車を走らせたり、プールで泳いだりしながら、カウチで本を読んだり、相棒と長い時間話し込んだりしながら、思いっきり自由を満喫していた3日間だったのです。

 「ネットがなければ人生はつまらなくなるという妄想を取り除けば、ネットが繋がらなくても人生は変わらず楽しい、否、繋がらない方がもっと楽しくなることに気付くはずです。人生をネットの奴隷になることなく楽しむのです。」

 ところが、みんながせっかく私のために費やしてくれた時間を無にするわけには行きません。私は再び修行僧のように黙々と、早朝深夜のロビーの薄暗いすみっこでPCとにらめっこをする羽目になってしまいました。

 Hotel Lady Lusyaの繋がらない3日間の素晴らしい生活については、また明日お話ししましょう。ゲストは私たちのほかに、日替わりで一組いるかどうか。私たちはこのヴィラの2棟を占有して、部屋に面したほとんどプライベートプールのようなプールで存分に泳いだのでした。ネットさえ繋がらなければずっとそうしていられたはず、、、、、、
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | 日記

2010年06月12日

シチリア人の心意気その1〜10人寄れば文殊の知恵

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 よく、ギリシャ人には道を聞くな、と言われます。一人また一人、どんどん集まってきて、聞いた本人そっちのけで、あっちだ、こっちだ、やれ向こうだ、と路上議論が始まって収拾がつからなくなるから、と言うのがその愛すべき理由です。

 ここシチリアもよく似ています。とにかくみんなやたらと親切で、何かを聞けば一生懸命答えてくれますし、時にはおせっかいなぐらいに面倒見がいいのです。こちらに来てから何度もそんな 「愛すべき」 場に出会いました。

 昨日だってこんなことが。。。。。。

 オリーブオイルの製油所を訪ねるために、ジョルジョが書いてくれた紙切れを頼りに車を走らせましたが、何度行きつ戻りつしてもそれらしき曲がり角がありません。イタリアもここまで来ると、なかなか英語が通じないのですが、そんな時に便利なのは語学マニアの相棒です。イタリアの大学で教えていた時代に身につけたイタリア語が毎日、大活躍しています。

「ちょっと待ってて。道を聞いてくるから。」

 と車を降りて、向こうから歩いてきた男の人に紙を見せながら道をたずね始めました。
 ここからがちょっとした面白劇場。暑い車の中でなんか待っているよりは、男たちを見ているほうが楽しいに決まっています。

 まず最初は一人だったのが、二人になり、三人になり。。。。。。。

 すると今度は、「いったい何事なのだろう?」 と興味津々のスクーターのオジサンが現れ、スクーターを止めたまま、いつ仲間に入ろうかと機会をうかがっています。

 次にやってきたのが自転車オジサン。もう我慢できなくて自転車を下りて討論の輪に入ってしまいました。ボス格がやおら携帯電話を取り出し、どこかにかけ始めました。夫はちっとも解放されません。

 一人から最後には10人にまで輪が広がって、ようやく帰ってきた相棒が言いました。

「みんな本当に親切だ。色々な所に電話までかけてくれたよ。でもね、こんな小さな町なのに、みんな通りの名前を知らないんだ。パン屋の2軒となりだとか、八百屋の裏通りだとか、そんなのですんでるようだよ。どうやら僕たちの行き先の通りは、金物屋の三軒先の角を右に曲がった所らしい。」

 思い出しました。母が子供の頃に話してくれたことです。

「小さい時に自分の住所がわからなくて、友達に 『川の横、橋のある所』 と言ったらね、その人が封筒にその通り書いてポストに入れたのよ。そうしたらその手紙がちゃんと私の所に着いたの。」

 さて、10人の男衆の談合に導かれてたどった所は、どこまでも続くオリーブとレモンの畑の間の細い一本道の行き止まり。人の気配もまるでなく、鮮やかなブーゲンビレアの花におおわれたゲートを抜けて、廃墟のような建物のまわりをウロウロとしていたら、どこからかオジイサンが出てきて言いました。

「10月まではお休みだよ。」

 ここでは、オリーブは放っておいても花を咲かせ実をつけます。地中海の夏はこんなに晴天続きで、雨など全く降らないというのに、それでも秋にはちゃんと豊かに実ります。仕事が始まるのは収穫が始まる頃なんですね。そんなシンプルな労働の形に気付かずに、いったいそれまでどこで何をしているのかしら?とつい考えてしまう私に、広大なオリーブ畑を一緒に眺めていた相棒が呟きました。

「人生を楽しんでいるのさ。」
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11日(金):KiWi! 時々お肉 ニュージーランド
10日(木):美と食欲の国? 韓国
 9日(水):香港は美味しい!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:48| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年06月11日

パレルモからカシビレへの道

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 4日前からカシビレというレモンとオリーブの林に囲まれた村にいます。

 シチリア島第一の都市、パレルモから海岸沿いに東へ進み、途中で海を背に南下して内陸に入り、イオニア海にもう一歩という所です。こんな辺鄙な村に居る理由と、ここがどんな所なのかについてはまた先に譲るとして、、、、、

 まずはご心配をおかけしました。使えるはずと聞いたインターネットが全く接続できません。みんなが寄ってたかって2日間も私のPCをいじくりまわしてくれたのですが、それでもダメです。「古い屋敷で壁が厚いからねえ。」 と言われ、涙ながらにあきらめていたところに、もしかしたら、という朗報が届きました。教えられた通りにこれからやってみます。さてさてうまく繋がりますかどうか、、、、、

 写真の方は、カードリーダーを売っている所を見つけて何とかPCに取り込めるようになりました。こちらもご心配をおかけしました。

 まずはたまっているものから載せていきます。こちらの時間の火曜日に載せるつもりで書いたものです。賞味期限切れですが、ご容赦ください(笑)。うまく行っても行かなくても、昨日に引き続いてこれからまたシラキュースに出かけます。昔、世界史の授業に出てきましたよね、シラクサ。あそこです。
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何て気持ちがいいのだろう
優しくそよぐ風が影を揺らし
揺れた影の隙間をぬって
初夏の若い光が差し込んでくる
風は髪を揺らし 揺らした髪が頬をくすぐる

隣のテーブルの4人の男女は
小さな声で何かをささやき
その向こうの台所からは
共鳴箱のように 言葉の応酬が響き合う

わからない言葉たちは耳をそばだてる必要もなく
わからないからBGMのように心地よい

安っぽいプラスチックの 真っ赤な椅子とテーブルは
そんな場所に不思議に似合って
見かけよりもずっと快適で
ゆらゆら揺れる光と 鳥たちの歌声が
まどろみを誘う

ここは山に囲まれて眠る遺跡
古代ローマの貴族たちの別荘 ヴィッラ ロマーナカサーレ
40の部屋と3つの浴場
大狩猟の廊下と10人の娘の間
日ごと饗宴の舞台となった大きな食堂
噴水の後にはバシリカ
 
いけない、いけない、眠ってはいけない
眠ったらきっとあの時代に連れて行かれてしまう
でも、この人と一緒ならそれもいいかな、と
隣でずっと本を読んでいる人を見ながら思う

このままずっとこうしていたい
3時になんてならなければいいのに


小山に囲まれたピアッツァ・アルメリーナの旧市街から西へと5キロ。標識がわかりにくくて、途中で何人もに道をたずね、それなのに、あるいはそれだから?ますますウロウロと迷いながら走り回ってしまって、ようやっと探り当てた「カサーレの古代ローマの別荘」。古代ローマ時代、4世紀の遺跡です。

日本語のガイドブックにも英語のガイドブックにも、そんなことは全然書いてありませんでしたのに、かんかん照りの中、ようやくたどり着いてみれば、

「6月1日から9月30日までは
 月〜金 3時から8時
 土日・祭日は 9時から8時」

 私たちのように知らずに行った人たちが、山の中から帰るにも帰れずに3時になるのを待っています。誰一人文句を言うでもなく、とてもおだやかに、むしろ幸せそうに、突然与えられた予定外の時間を、木陰のカフェで過ごしています。静かにおしゃべりをしたり、本を読んだり、居眠りをしたりしながら。4世紀に建てられたこのヴィラで、古代ローマの貴族たちもこんな風に過ごしていたのでしょうか。

 シチリアはレンタカーで動き回るのがやはり便利です。私たちのフィアットは、朝8時半にパレルモを出発して、エンナ→ピアッツア・アルメリーナ→カルタジローネとそれぞれに個性の異なる美しい町々に寄りながら、西空が赤く染まり始めた9時前にカシビレという静かな村に着きました。ここでしばらく過ごします。レモン林の中の、驚くことばかりの古く美しい館です。致命的な大問題とも遭遇。これらについてはまた後日。(6月8日記)
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:15| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年06月08日

取り出せない一瞬たち

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 この小さな軽い箱の中に、たくさんの一瞬が入っているのに、
 美しいピースも、楽しいピースも、優しいピースも、哀しいピースも、光も影もたくさんたくさん入っているのに、
 今の私には出すこともできません。
 閉じ込められて、まるで世界と繋がっていないように孤独です。

 ドジ大賞があったらいつだって栄冠を獲得できそうな私は、また大ドジをしてしまいました。

 4月のウイーンでカメラのケーブルを忘れたことに気付いて、慌ててカメラ屋さんを走り回り、やっとピッタリ合う最後の1本を探し当て、難なきを得た苦い経験を繰り返してはならじと、移動用にスペアのケーブルを旅行鞄の奥底に眠らせておいたのです。あわただしい出発前にだって何度となく自らの手で確認したのです。誓っていいます、本当です。

 それがないのです。ありえないことに、どこにもないのです。
 そして、パレルモの町のカメラ屋さんにもPCショップにも私のカメラに合うケーブルがないのです。

 外に出たくてウズウズしていた「一瞬たち」は行き場を失ったままです。
 たくさんの写真を載せたかったのに、それもできません。
 写真なし、あるいは過去のフォルダーからイメージ写真を引っ張り出してきて、何とかしのぐことはできますが、問題はもう一つのお料理&食文化のブログです。こちらばかりはリアルな写真がなくてはお手上げです。

 やっぱり新しいカメラを買うしかなさそうです。

 と言っても今日は大移動の日。夜が長い分、すでに5時を過ぎたというのに外はまだ真っ暗です。もうしばらくしたら、すでにまとめた荷物を積んで南東の村へと車を走らせます。

 島と言ったってここシチリアは地中海最大の島。九州の約3分の2の大きさです。走ってみなければわからない、という相変わらずの大雑把さ、しかも途中で寄りたい場所がたくさんあると来ていますから、おそらく目的地のピアッツァアルゲリーナの宿にたどりつく頃は、すでに日も落ちていることでしょう。そこでしばらく過ごします。

 途中の風景を写真でお伝えできないのは残念です。
 途中で出会う人たちや、出会った物たちを見ていただけないのは残念です。
 カメラを買う機会は今日はないでしょう。

 昨日、電車で1時間半のCEFALU(チェハル)という小さな美しい町へ行きました。たった2つのものを見、たった1つのことをするために、、、、、

 ノルマン時代の傑作とも言われる大聖堂と、路地の途中にある小さな小さなマンドラリスカ博物館のアントネッロ・ダ・メッシーナ作の 「男の肖像」 を見るために。

 そして、この最高の季節に、大聖堂の下のリストランテの緑の木陰で、野菜とオリーブオイルがたっぷりのシチリア料理をゆっくり楽しむために。

 パレルモからチェハルまでは、左は海、右はオリーブの林と山々。

 海の色はと問われれば、「シチリアの色」 と答えるほかはなく、どんな山かと問われれば、「シチリアの山、山猫の映画に出てきたあの山」 と答えるほかはありません。67キロの電車の旅は、目的地で過ごした時間と同じぐらいに、洗われた心に爽やかな初夏の風がふきわたる素晴らしい時間でした。

 どんな風かと問われれば、「シチリアの風」 と答えるほかはありません。
 写真で残すことはできないものです。
 とは言うものの、やっぱりドジが悔やまれます。

 外がちょっと明るくなってきました。
 ダイニングルームで軽く朝食をしたら、いよいよ出発です。

 写真はシチリアではありません。同じ地中海ですがギリシャのケルキラです。しばらくはこんな風にイメージ写真で失礼します(笑)。
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グローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
7日(月):スミレの花の砂糖づけ
8日(火):パーティーの盛りたて役 ネスプレッソ
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:22| Comment(0) | その他の国ライフ

2010年06月07日

パレルモで迎える初めての朝

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 シチリア島、パレルモで迎える初めての朝です。
 昨日は成田からローマへ向かうフライトの出発が遅れて、予定の乗り継ぎ便に乗ることができず、深夜にパレルモに着きました。

 何回飛行機に乗ったとか、何度離陸して、いくつの国、いくつの町や島に降り立ったか、などということを数えていた若い頃もありましたが、面倒くさくなってもうとっくの昔にやめてしまいました。
 
「ナオミさんはそういう 『星まわり』 なのよ。」 と友に言われ、たしかにこの数年はとりわけ出たり入ったり、ひたすら飛行機に乗ってきたような気がします。

「面倒くさくない?」
「苦ではない?」
「疲れない?」

 などと聞かれても、飛行機に乗ること自体は全然そうではありません。「ローマまでの飛行時間は12時間半を予定しています。」 という機内のアナウンスに、「えっ。たった12時間半?」 とがっかりするぐらいに、実は、私、飛行機に乗っている時間が大好きです。

 それは、「今何時?」 と聞かれても、「ここどこ?」 と聞かれても答えようのない非日常の時空間だからです。飛行機の中の私は、どこにも属さず、誰にも属さず、毛布にくるまって何を考えようと、何をしようと限りなく自由です。

 出発前に計画的に鞄につめこんだ本たちに加えて、空港の本屋さんで買い込んだ思ってもみなかった本たちから、何冊かを選んで、座席のポケットに入れ、かわるがわる読んだりしています。
たとえば昨日は、「山猫」 と 「グレート・ギャツビー」 と 「働くママが日本を救う!」。何と言う脈略のなさ(笑)!

 画面は小さくても、私のいる場所は映画館にだってなります。昨日も新しい映画、古い映画、見そこなった映画を3本見ました。

 機内の食事は、まだ飛行機が特別な乗り物であった頃から比べたら随分コンビニ化してしまいましたけれど、それでも私はワインと一緒にそれなりに楽しんでいます。

 お腹が満たされて、ほろほろとしてきたら、もう一度毛布をしっかり首までひっぱり上げて、うたた寝をする幸せ。「何時?」 がない所です、朝寝かもしれませんし、昼寝あるいは夕寝かもしれません。

 ふんわりと目が覚めて、ちょっと仕事をしようかなどと思えば、そこは小さな書斎にもなります。常に響いている飛行機のエンジン音が、かえって頭を集中させてくれます。

 こんなにたくさんのことをしたって、飛行機はまだ飛んでいます。後に残してきた地での思い煩いやストレスはもうどうでもよくなって、先の地で待っている不安やストレスもいまだなく、後と先の間で揺ら揺らたゆたう不思議快適時間です。

 そんな時間は、歩き回ることはできなくたって、
 小さなシートは、じっと身を沈めていることしかできなくたって、
 私にとっては広い世界の、最高の贅沢になります。

 とは言え、実はわかっているのです。これは一時のシェルターでしかないこと。一時の安全地帯、サンクチュアリでしかないことも。

 現に、飛行機から降り立ったとたん、迷い、心配し、オロオロし、一つ一つを判断していかねばならない道が待っていました。成田で積まれた荷物はいつまでたっても出てきませんし、深夜に着いたせいで、もうホテルのレストランもバーも閉まっています。朝起きてみたら、ウィーンでの失敗に懲りて、あんなに何度も確かめて鞄にしまったはずの予備のカメラケーブルが見つかりません。
 
 朝食が終わったら、光の中で、新しいこの町に出ていかなければなりません。道を覚え、町を使えるようになるまでには、何度も失敗をし、ストレスをかかえ、オドオドとしながら、時間をかけていかねばなりません。

 現実の世界がまた始まってしまいました。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:35| Comment(0) | 日記

2010年06月06日

思い出して、呼びかけて、また一緒に、、、、、

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 旅立ちを目前にして、どうしても書いておきたいことがあります。

 あの時、どうして突然そんな気持ちになったのかは、今考えてもわかりません。でも、往々にしてそんなものではないでしょうか。後から思えば、何か大いなるものに動かされたような気すらします。

 あれは、三が日が開けてすぐのことでした。私と娘は何だか突然猫が見たくなり、ふだんはめったに行きもしない新宿のデパートに行ったのです。そこで、一匹の美しく気品のある子猫と出会いました。出会ったということは、すでにその先の運命も決められているということがわかるまでには、大して時間もかかりませんでした。

 私たちは、それまで飼ったこともない子猫を家に連れて帰り、フィリという名をつけました。フィリとはギリシャ語で 「友達」 そして、「キス」 を意味します。私たちは、おおかたの場合は、フィリのことを 「フィー」 とか 「フィーちゃん」 と呼んでいました。

 フィーはそれはそれは毅然として美しいロシアンブルーの子でした。私たちはこの子をどんなに愛したことでしょうか。突然やってきた一匹の子猫は、それまでの私たちの暮らしを大きく変えました。

 ところがほどなくして、フィーの食が細くなりました。それなのに、お腹ばかりはどんどんと膨らんでいくのです。お腹に水がたまる腹水炎という病気でした。私たちのところに来る前に、すでにブリーダーの所で感染していたこともわかりました。

 家での看病も限界となり、フィーは病院に入院することになりました。私が仕事を終えて飛んでいくと、ヨロヨロとした足で立ち上がろうとします。体力がもう最後のところまで来て、私を見ても立ち上がれなくなったフィーは、一生懸命首だけをこちらに向けようとしました。娘の声を受話器で聞かせると、わかったようにフーッと息をしました。そして小さなフィーは私の手の下で天使になって天国へと旅立ちました。

 その後、涙を流さずにすむようになるまでにいったいどれだけの月日がかかったでしょうか。
 あの頃、どんなに待ち遠しい思いで、プールに飛んでいけるお昼休みを待ったことでしょうか。
 水の中で泳いでいれば、いくら涙を流したって、誰にもわからないからです。

 あれからもう10年以上がたち、フィーは遠い思い出となりました。
 ところが、つい先日、びっくりすることが起こりました。

 5月最後の日曜日に、私のグローバルキッチンに来てくださった方から、翌朝こんなメールが届いたのです。

「ナオミさんのお家には亡くなられた猫ちゃんが、とても楽しそうに暮らしていますね〜。
実は今日、エリーザベトのレクチャーを受けている最中、テーブルの足に身体をこすりつけながらグレーの猫ちゃんが歩いているので・・・
あ、ナオミさんのお宅にも猫ちゃんいるんだっけ??
え・・??いないよね??と目をこすると・・・
いなくなってました〜(*^_^*)
でも、とても幸せそうに歩いていましたよ。」

 フィーはまだこのウチの子なんですね。こうしている今も私の部屋のどこかに居るのかもしれません。あるいはすばしこく階段を上り、お気に入りの場所で丸くなって眠っているのかもしれません。

 私たち凡人にはその姿を見ることはできません。でも、フィーを思い出し、フィーに呼びかけることならできます。そうすることでフィーはいつまでも私たちと一緒に生き続けます。
 
 天使になったフィーは、あの時、私たちがあの子を精一杯守ろうとしたように、きっと私たちを守ってくれることでしょう。

 明日、初めての地に飛び立ちます。ローマ乗り継ぎのロングフライトです。
 どうしても一度は行かねばならぬ土地でした。
 フィーも一緒に連れて行こうかと思います。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 00:49| Comment(0) | 日記