2010年05月31日

5月最後の日に

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 月が変わろうとする度に、性懲りもなく溜息と共に呟く言葉、「ああ、早いもので今月も終わり、、、、」。

 5月最後の日が、最終月曜日と重なって、アメリカでは今日がメモリアルデーとなりました。夏を前にした美しい季節のロングウィークエンド、連休です。

 メモリアルデーとは、戦没者を追悼する国民の祝日。もともとは戦死した人たちに敬意を表すこの5月最後の月曜日は、同時に暦の上では夏の始まり、日本で言えばさだめし「立夏」です。

 ふだんは別々に暮す家族が集まって、初夏の日にピクニックを楽しむ姿もあちこちで見られます。戦死した人たちへの思いが、今、この時を共に生きている大切な人たちへのいとしさへと繋がっていくからでしょうか。

 アメリカに居る夫から電話があって、
「これからセシリア(娘)を連れて、ジェオフ(息子)の家に行くよ。庭でみんな一緒にランチを食べるのさ。君も居たらいいのに。」

 5月最後の日に、桜の青葉が窓を覆い、オリーブの木はこんな可憐な花をつけました。
 共に生きているのは、人間だけではありません。

 明日からはまた美しい季節が始まります。
 それはまた、新しい自分へと向かい合う季節です。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:37| Comment(0) | 日記

2010年05月30日

大人の道楽

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 5月最後の日曜日、今月のグローバルキッチンが終わりました。
 皆さんが洗い物まで済ませてくれて、また何にもなくなった台所に、夜がしんしんと更けていきます。

 移動を繰り返す日々の中で、今私にできることを始めて5ヶ月、人が人を呼び、漣が広がっていきます。そして私はまた、明日から始まる私の新しい季節の中で、次の移動に向けて準備を始めます。
そんなリズムが、やっとからだに馴染み始めました。

 夏の初めには、いくつかの楽しい目論見があります。
 その一つが、「ギリシャ神話と天の川〜夏空のロマン」というものです。
 男たちにも、子供たちにも扉を開いて、週末の夜に遠い世界で遊びます。

 今夜、ナビゲーターのイシモト先生が、プロジェクターをかついでやってきました。

「お部屋に星空ができたらいいなあ」 という私の戯言を真に受けて、試行錯誤を繰り返すために。

 戯言は本当になり、白い壁いっぱいに夏の星座が広がりました。

 企画人も、講師も、スタッフも、
 集まってくれるたくさんのお客さまたちも、
 選りすぐりのギリシャワインを届けてくれる人たちも、
 料理人も、
 みんなが一緒になって、その日のためにワイワイと動き始めました。

 素敵な「大人の道楽」です。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:59| Comment(0) | マイワーク

2010年05月29日

1編ずつの幸福を束ねて

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 「私はもう70歳だから、朝11時半に悲しい気分でも、午後の3時半には幸せな気分に戻れる、そんな小さな1編ずつの幸福を束ねて生きている。」

 これは最近見つけた素敵な言葉です。
 言葉の主は、「イパネマの娘」 を作詞したブラジルの詩人、ビニシウスの娘、スザーナさん。

 父親のビニシウスは、そんな彼女とは対照的に、66歳で亡くなるまで、たくさんの恋をし、その都度真剣に夢中になり、9回の結婚をし、奔放に、情熱的に行き続けた芸術家でした。

 スザーナさんと同じ年まで生きていたとしたって、決して、「そんな小さな1編ずつの幸せを束ねて生きている。」 などとは言いやしないでしょう。

 どちらの生き方も素敵です。
 どちらが格好良い、格好悪いというようなものでもなく、ただ単に、どちらが自分にとって快適かどうかだと思います。

 猛烈な受験勉強の後に大学に入学して、「さあ、思いっきりぐれてやる(笑)」 とばかりに、何となく文学青年に憧れて、最初のボーイフレンドはエリートが集まるある大学の文学サークルの、通称 「詩人さん」。

 いつとはなしに私もそのサークルに出入りするようになったある日のこと、やけにアンニュイな (こんな言葉も当時は格好よく思えたものです。)、年上の美人の女子学生が、タバコをくゆらせながらの一言に、びっくり仰天すると共に、何だか大人の世界を垣間見てしまったようにドギマギしました。

「私は快か不快かで生きてるの。」

 あれから早40年以上たって、ようやくそんな言葉を受け入れられるようになってきた気がします。もちろん20代そこそこの詩人女学生が意味したこと同じはずはありませんが、小さな1編ずつの幸せを束ねることが快ならばそれはそれでいいことですし、生涯、より新しい幸せを情熱的に追い求めるのが快ならばそれはそれでいい、ということ。定規はいくつもあるのですから、自分の定規で人を測ることはできません。

 傘をさしたり、ささなかったりの一日。
「面倒くさいな」 などと思いながら会合のためにしぶしぶ足を運んだ浅草。
 行ったら行ったで、人力車が走り、小さな店が軒を並べる別世界は面白く、
 大好きな友に会えたことが嬉しくて、
 帰り道で見つけた雨に濡れた花々は美しく、、、、、
 
 昨夜、友からもらったギリシャのオペラ歌手、アグネス・バルツァのCDを聞きながら更けていく夜は静かで、
 耳になつかしいその国の言葉は遠い思い出を呼び起こし、、、、

 こうして小さな1編ずつの幸福を束ねた私の一日がもうすぐ終わろうとしています。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:43| Comment(0) | その他メッセージ

芋づるしていく喜び

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 「静」 の昨日とは打って変わって、今日は早朝から深夜まで 「動」 の一日でした。
 当然ながら今は眠気と戦っています。それでも、決して重い疲れではなく、心地良い疲れです。
 
 グローバルキッチン2回目の今日も、笑い声のよく似合う素晴らしい天気となりました。
 8名のお客様のために、8つの包丁をそろえ、8つのまな板をそろえ、8品の料理別に材料を用意するところから一日が始まります。

 初めて会った方々も、一緒に包丁を握れば、せまいキッチンに心が通い、まるで女学校の同窓会のような華やぎの中で、おしゃべりの花が咲きます。カウンターごしにそんな風景を見ていると、「女って何て素敵かしら」 と思います。

 最後のお客様を見送り、急いで駆けつけた先は、一駅となりの行きつけの居酒屋です。
 大学で仕事をしていた時代に恵まれたたくさんの交友の中でも、とりわけ強い絆で結ばれている友が、夫人と一緒に待っている場所です。

 楽しい時間にはいつだって、時計を見たくはありません。
 ちょっと知的で、ちょっとノスタルジックな会話はどうしてこんなに心地よいのでしょうか。気付いてみたら何と5時間も同じ場所に座っていました。

 たくさんの話題が飛び交った中でも、今、ちょっとばかり飲みすぎた頭の中でグルグルと渦をまいているのが、彼の言った 「芋づるしていく喜び」 という言葉でした。

 掘っていって、お芋が見つかった時の喜び。
 それまで関連もなかったものが、繋がっていく、そんな繋がりのワクワクする面白さ。
 結局はそんな発見が一番面白いのではないか、という彼の言葉に触発されて、私たちは夜がふけるのも忘れて、「芋づるしていく喜び」 について語り合いました。

 リベラルアーツというのはまさにそんなことではないだろうか、という結論にまで行き着いたのも、また、「芋づるしていく喜び」 です。

 昼間の 「グローバルキッチン」 でもたくさんの繋がりができました。それまで出会ったこともない人たちが、共通の体験を通して繋がっていく様を見ることも、また私の 「芋づるしていく喜び」 です。

 それにしても、さすがに疲れました。
 良い夢とともに、ぐっすりと眠れそうです。
 おやすみなさい。

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グローバルキッチンお品書き
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27日(木):ウィーンの食卓1〜ザウワークラウトのキャラメル煮
28日(金):ウィーンの食卓2〜ソーセージのクネーデル
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 01:47| Comment(0) | マイワーク

2010年05月27日

Peace of Mind

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 賑わいと賑わいの合い間の静かな一日の終わりです。
 バンクーバーは木曜日の朝が始まった頃。ゆみさんはクマちゃんと一緒に木々に囲まれた小道を散歩している頃でしょうか。

 3月のバンクーバーでたくさんの時間を一緒に過ごし、いつものように涙目になって別れた後に、今度はゆみさんが仕事で東京にやってきました。忙しく動き回る短い滞在の間でも、私たちはいつだって、たとえほんの少しの時間でも、東京のどこかで会って、山のように積もった話を早口でしゃべりまくります。

 都心とは思えぬ新緑に囲まれたシンガポールレストランの外テーブルで、さわやかな風を受けながら、いつもの弾丸トークをしたのが先週の月曜日。どんな短い時間でも、ゆみさんはいつも心に残る言葉を置いていってくれます。迷路にはまりこんだ私に、そんな言葉で出口の方向を指し示してくれます。

「大切なものは年とともに変わっていくけれど、今の私にとって一番大切なのは『Peace of Mind』。
 『これができない』 ではなくて、『ここまでできた』、そう思うようにしているの。
 人は人、自分は自分だもの。人と比べようと思うから心が波打つの。
 ようやく 『身勝手ではない勝手』 な人生を送れるようになった気がする。」

 そんなゆみさんからメールが届きました。

「先日は、お忙しいところを私の予定に合わせて、品川までお出かけくださり本当にありがとうございました。緑に囲まれたレストランで、美味しいお食事をしながらのおしゃべり、本当に楽しい時間となりました。

ふと思いました。もし私が日本にいたら、私達、どうなっていたかな?と。毎日、電話でおしゃべりをしたり、一週間に一回は会っての近況報告????(相談?)

なんでも話せる友として、100%信頼し合える友として、お互いにより輝くために、かけがえのないお付き合いをしたことでしょう。

でも、電話でのおしゃべりもなければ、毎週会うことなどできるはずがなくたって、私たちの思いは、だんだんと近くなってきているような気がします。いつ会っても、時の流れを感じることなく、二人のスポットにすんなりと入ることができるように感じています。

ナオミさんに出会えたことは神様からのプレゼントです。
次回、お会いできるのはいつ?そしてどこ?
その時を楽しみに、私は与えられた場所で、与えられた時間を大切に、『Peace of Mind』 と共に生きていきます。」

 ゆみさんと出会えたことは私にとっても神様からの大きなプレゼントです。

「ゆみさん、今日はいい一日でした。全然華やかでも、全然賑やかでもない地味な静かな日でしたけれど、ゆったりと流れる時間が嬉しくて、ゆみさんの言葉を噛みしめていましたよ。
『人は人、自分は自分。』

できなかったことはたくさんあるけれど、それら全部をひっくるめてそれが私。そう思ったら何だかふっと心が軽くなって、今こうして生きていることが愛おしくててたまらなくなりました。

去年の5月にハワイから持ち帰って植えたジンジャーの球根が、ようやく双葉を出した1年前から、今ではこんなに大きくなりました。まだまだ花は咲きそうにありませんけれど、少しずつ少しずつ大きくなっています。玄関前のオリーブの小さな木も、若葉をたくさんつけ始めました。

真夜中の部屋に百合が咲いています。7つの蕾がもう3つも開きました。暗闇に香が漂っています。

そうそう、閉館まぎわのプールに飛び込んで、無心で泳いできましたよ。1キロぐらいは泳いだかしら。水から上がったら心も体も随分軽くなっていました。

ゆみさんに出会えたことに感謝をしながら、そんな小さなことのひとつひとつにも感謝をしています。
これがゆみさんの言う『Peace of Mind』ということなのでしょうか。

またお会いできる日を楽しみにしています!」
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:55| Comment(0) | 日記

2010年05月26日

スミレの花の砂糖漬け

1P3200320.JPG1P5274696.JPG1P5274694.JPG1P5274695.JPG 今から170年近く前のクリスマスイブのこと、南ドイツのババリアで、一人の女の子が生まれました。自然に囲まれた湖畔の宮殿で、兄弟姉妹たちとのびのびと育った少女の名は、エリーザベト。「Sisi(シシ)」 と言う愛称で呼ばれる丸顔の愛らしい娘でした。

 シシが15歳になった頃、隣国オーストリアでは、若い皇帝が花嫁を探していました。その第一候補にあがったのが、シシの姉、ゾフィーでした。裏には、バイエルン王国から皇后を迎えることで、両国の関係を深めようという、大人たちの策略がありました。

 ところが、花嫁候補に会いに行った皇帝は、ゾフィーの妹、たかだか15才の天真爛漫な少女、シシの魔法に一目でとらわれてしまうのです。そして出会った2日後には、婚約をすることとなりました。

 9ヶ月後の4月20日、シシは故郷ババリアを後に、ダニューブ川を船でウィーンへと下りました。船は3日後にウィーンへ到着し、翌日の夕方7時には、1万5千本もの蝋燭の光が揺れる大聖堂で、若き皇帝と、さらに若い皇后の盛大な結婚式がとりおこなわれました。

 堅苦しい宮廷生活は、シシにとってはまるで牢獄でした。
 
 目覚めてみれば、私がいるのは暗い牢獄の中
 両手を鎖に繋がれて、もはや逃れる道もない
 ただ憧れだけが、日ごとに強まり私を苦しめる
 自由よ、私を見捨ててどこへ消え去ったのか


 その後のシシの人生をたどる時、私たちはその深い孤独と、それゆえにこそ、狂信的なほどに自身に向かい合う彼女の姿に心打たれます。

 長女ソフィーは2歳で病死し、ハプスブルク家の跡継ぎ、長男のルドルフは、31歳で自らの命を絶ちます。

 写真や肖像画から見られるように、シシの美貌はきわだっていました。当時のヨーロッパで最も美しい女性の一人とされ、自らもそれを充分に自覚してからは、日常生活の大半の時間はその美貌を守るために費やされました。心に開いた深く暗い穴を埋めるには、そうするしかなかったのでしょう。

 173センチ、45キロ、ウエスト50センチという体型と、踝まで伸びる豊かな髪を保つために、シシはあらゆる努力を惜しみませんでした。暑さ、寒さにかかわらず、たとえどんなに悪天候であろうとも、毎日数時間も早足で散歩をし、日に3回も体重計に乗り、断食をし、いくつもの独特のダイエットで我が身をさいなみます。たとえば、生の仔牛肉や苺の美顔パック、オリーブオイル浴、塩入りの卵白ジュース、、、、まっすぐな姿勢を保つためには、枕は一切使いませんでした。

 その美貌に衰えが見られ始めると、さらに運動を強化し、過酷な絶食療法を続けました。けれども、当然のことながら、これらは逆に働いて、シシの外出の必需品は、顔を隠すための扇子とヴェールと日傘になってしまったのです。

 悲しみを紛らわせるために、シシはしばしば長い旅に出るようになります。そんな避難場所のひとつが、イオニア海に浮かぶギリシャのコルフ島でした。

 一作年の春に私はシシのコルフ島の別荘、「アキレイオン」 を訪れました。彼女が愛したギリシャ神話の英雄、アキレスにちなんだ館です。海を見下ろす人里離れた高台の屋敷は、訪れる人とてまばらに、シシ自らがデザインしたその洗練された風情をいまなお漂わせています。それは洗練さと同時に、凍りつくように孤独な風情でもありました。

 けれどもシシはこの美しい地にすら安住することができませんでした。

 地球の上をただひとり、私はひたすら放浪する
 快楽や人生に背を向けたのも、すでに遠い昔のこと
 心を分かち合う道連れはひとりもなく
 相通ずる魂とも、ついにめぐり合うことはなかった


 1898年、シシは友人を訪ねるために保養先のモントルーからジュネーブに向かいます。そこで、イタリアのアナーキストの手によって暗殺されます。シシの亡骸はウィーンに運ばれ、カプツィーナ墓地に安置されました。エリーザベト、61歳の時のことです。

 その悲劇的な最期によってシシは不滅の人となりました。「シシ伝説」 は今もなおウィーンの町のあちこちで語り継がれています。

 后妃エリーザベト、シシが愛したものはスミレの花の砂糖漬けでした。今でも、当時と同じ製法で作られたものが、「ゲルストナー」 と 「デーメル」 の2つのカフェで手に入ります。

 今日のグローバルキッチンでは、そんなエリーザベトの生涯を皆さんとたどりながら、お食事の後に、先月 「デーメル」 で買ってきた 「スミレの花の砂糖漬け」 を口に含みました。砂糖がとけ出す頃に、えもいわれぬ香が広がります。

 江國 香織さんの詩集、「すみれの花の砂糖づけ」の最初の詩はこんな三行で始まっています。 

「すみれの花の砂糖づけをたべると
 わたしはたちまち少女にもどる
 だれのものでもなかったあたし」

 シシも同じ思いで、この美しいお菓子を一粒ずつ口に運んでいたのでしょうか。

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グローバルキッチンお品書き
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26日(水):本日開店!「ウィーンの食卓」
25日(木):ウィーンの食卓1〜ザウワークラウトのキャラメル煮
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | マイワーク

2010年05月25日

揺ら揺らと歩き続けて

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 今週はお料理週間。明日から一日おきに3回、「グローバルキッチン」 という集まり=広場を開催します。初日の前はいつもてんやわんや。今日も朝から、何度となく出たり入ったりしては準備に大忙しでした。

 食材を揃えたり、テーブルコーディネイトをしたり、花をいけたり、もちろん大掃除も。
 そんな 「動」 の仕事と平行して、レシピを書いたり、本を読んで調べたり、テーマ関連の資料を作ったりという 「静」 の作業があります。

 5月のテーマは、「ウィーンの食卓〜后妃エリーザベトの物語」 です。
 先月のウィーン滞在が、火山灰騒動のせいで予定よりも長くなった分、しっかり食べ、しっかりレシピを集めてきました。まさに塞翁が馬。

 人様の前でしゃべるからには、いいかげんなことはできません。
 今回もハプスブルク家やエリーザベトについて書かれた本を読みながら、物語を組み立てていきました。

 初めは、めんどうくさかったのが、気付いてみればけっこう夢中になっていて、今まで知らなかったことを随分と学びました。いつも思うことですが、教えるということは、実は学ぶこと。
1月から始めたこの会のおかげで、私の世界も少しずつ広がっています

 とはいえ、直前はいつだって不安です。
 おずおずと始めた1月から、2月、3月、4月と、次第に流れも掴みどころもわかり始め、終わった後には達成感と満足感を得られるようにもなりました。

 けれども、だからこそ不安なのです。
「今度もうまくいくだろうか。いえ、そうとは限らない。先回はたまたまうまくいっただけ。」
 そんなマイナス思考にとらわれて不安がますます増すかと思えば、

「大丈夫。この前あれだけうまくできたのだから、今度だってできるはず。」
という成功体験をなぞりながらのプラス思考に救われる、そんな揺らぎの中にいます。

 まあ、やるしかありません。
 自信や慢心で突っ走るよりは、こうして揺ら揺ら揺れながら歩いていくほうが、案外良い所に行き着いたりするものです。

 揺らぎながらもやっぱり思います。
 失敗体験をなぞるよりは成功体験の思い出を!
 つらい思い出を引っ張り出すよりは、幸せな思い出を!

 そうして私はまた揺ら揺らと歩き続けます。

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グローバルキッチンお品書き
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24日(月):初夏の週末〜土曜日の昼はバーベキュー!
25日(火):初夏の週末〜日曜日の朝は、、、(涙)
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2010年05月24日

放牧の距離感

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「こんばんは。遅くに失礼いたします。
今日■■の内定を頂きました。どうかな?と思うところはありますが、働ける会社があることは幸せですよね。人事の方にはこれまでの面接を省みて、コミュニケーション能力が高いと言われたそうです。いろいろご心配をおかけいたしました。ありがとうございました。ほっとしました。取り急ぎご報告まで。」

 先日、深夜にこんなメールが届きました。
 就職活動中の学生からではありません。そのお母様からです。

 その翌日、今度はその娘さんから、やはり深夜にメールが届きました。出だしの一行がよく似ています。

「夜分遅くにすいません。母からお聞きのこととは思いますが、■■から内定をいただきました。
6次まで面接があり、なかなかハードな部分もありましたし、5月半ばでとても焦り、精神的に辛い中、内定を得ることができ安心感が一気にこみ上げてきました。
就活と真剣に向き合いはじめてから8ヶ月、行き詰まった時はもちろんのこと、精神的につらい時も励ましていただき、本当にありがとうございました。ここまで来ることができたのも回りの方々に恵まれたおかげ。辛かったけれども良い就活ができたと感謝しています。」

 学生の就職に関わる仕事をしていると、往々にして、保護者の方々と話す機会があります。このお嬢さんの就職ガイダンスを頼まれたのも、お母様からでした。遠く地方の都市から突然電話があり、「娘を東京に行かせますので会ってやってくれますか。」 などと、父親が言ってくることもあります。

 親であれば子供の将来が気になるのは当然のことです。東京都内のある私立大学で、3年生の保護者を対象に就職説明会を開催したら、学生対象に行った説明会よりも、ご父母の参加者の方が多かった、などという話だってあるぐらいです。

 大雑把に言って、親にも2つのタイプがあるように思います。一つは、橋渡しだけをしてあとは子供に任せるタイプ。そしてもう一つは、逐一子供の状況を把握していたいタイプ。あるいは自分の価値観を子供に押し付けるタイプ。

 極端な例をあげれば、「うちの子はA社が第一志望なのですが、一部上場の会社の方がいいに決まっています。先生からB社を受けるように説得してください。」 などと言ってくる親御さんもいらっしゃいます。

 さらに大雑把を承知で言えば、実は、良い就職活動ができ、良い着地ができるのは、おおかたの場合、前者のケースです。就職活動に限らず、親子の間で大切なのは、適度な間の取り方=距離感です。放牧状態にしているように見えて、決して無関心ではなく、壊れた柵の隙間からとんでもない方向に行こうとする羊に道を聞かれれば、その時だけは、大人の智恵と優しさで真摯に誘導してあげる、、、、、、そんな 「介入はしないけれど、見守っている」 間の取り方ができるかどうかが、とても大切なことだと思います。

 相次いで深夜の報告をしてきたミチコさん親子は、まさにそんな素敵な関係でした。昨年秋に娘さんの就職指導を頼みにきて以来、ミチコさんとは何度もお会いしましたが、お母様とはほとんど交信もありませんでした。けれども、一度だけこんなご連絡をいただいたことがあります。

「今日は△△銀行と○○の最終だったようです。△△は1次に受かり明日2次面接に行くと言ってます。昨日はひどく落ち込み泣いていたようでどうしたらよいかわかりませんでしたので、ほっときました。つくづくO型の母親だと実感しました。」

 このメールを拝見して、私は本当に嬉しくなりました。まさに 「介入せずに見守る」 という姿勢だったからです。

 もう一人、ユキコさんのお母様も本当に素敵な方です。これもつい先日、お母様からいただいたメールです。

「娘の友人たちが、就活で落ちまくって、かなり追い詰められた状況にいます。そんな折に、親から心ない事を言われて本当に落ち込んでしまっている子もいたりして、、、、
『それじゃ、みんな我が家へいらっしゃい!!』 と、タイ料理パーティをしました。
久しぶりに、美味しいものを食べた〜と皆、大ハシャギで、コスコで買った馬鹿でかいケーキまで平らげてくれました。」

 ユキコさんも、最終面接で何度も駄目になり、泣きじゃくる晩もあったと言いますが、お母様はたった一言。

「あなた、特別に私の隣で寝てもいいわよ。」 と、おたがい就職のことなど何にも話さずに、枕を持ってやって来た娘さんと一緒に眠ったそうです。

 ユキコさんから嬉しい報告が来る日も近いことでしょう。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:49| Comment(0) | マイワーク

2010年05月23日

宝物時間にありがとう!

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 朝から土砂降りの一日。
 あんなにくっきり見えていた富士山の姿も隠れ、まだ5時だというのに、パッチリ目覚めて活動を開始した2歳のリトルボーイに安眠を破られ、車はぬかるみにはまって動かなくなるし、はしゃぎすぎた主役のリトルボーイはそのうち咳をコンコン、鼻水だらだら、おまけに熱まで出してしまう騒ぎ。

 盛りだくさんのはずだった2日目の予定も全て中止して、雨の中、3台の車が東京へと向けて戻ることとなりました。

 昨日の大バーベキュー大会の後、すぐにいったん仕事で東京に向かい、また電車を乗り継いで2日目のために深夜に帰ってきた 「11分の1」 の長女にいたっては、「ご苦労様!」 と気の毒になるぐらい。

 それでも、私たちの大集合は幸せな時間でした。
 「念のために」 という貧乏性から、車に積んで行ったPCも、ついに最後まで日の目を見ることもありませんでした。

 大切なのはみんなで一緒に過ごすこと。大きくなった家族の輪の中の一員として過ごすこと。
 一緒に食べ、一緒に話し、一緒に笑い、一緒に憂い、一緒に明日を語ること。
 たとえ小さな世界でも、今しかないそれは、かけがえのない私の宝物時間です。

 そんな時間があるからこそ、私はまた優しく生きていけます。
 大きな世界を思うことができます。

 ありがとう。
 リトルボーイと拡大家族たち。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 21:41| Comment(0) | 日記

2010年05月22日

11分の1で行ってきます!

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 昨日の夕方あたりから、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、ソワソワと出たり入ったり、上ったり下りたりしています。きっとこういうのを 「遠足の前の子供みたい」 と言うのでしょう。

 でも、実際、そうなのです。
 2月の半ばに立てられた計画がいよいよ今日実行されるのですから。

 それぞれにけっこう忙しくしている大家族は、なかなか全員がそろうことはありません。それでも今日は、大人が8人、ワンコが2人(ごめんなさい、どうしても2匹と言えなくて)、2歳になりたてのリトルボーイが1人、総勢11人が大集合です。そして、この集団のど真ん中に君臨するのが私たちのリトルボーイです。

 お肉班、野菜班、焼きソバ班、ケーキ班、飲み物班、その他班と、大人たちに役割をあてがい「Happy Birthday大バーべキューパーティー」 へと、一致団結させました。

 その他班の私は、昨夜は遅くまで台所でソワソワ、ドキドキ、ウキウキと、持ち込み料理をたくさん作りました。そんな私の足元で、11分の1の黒い子も、一緒になってソワソワと落ち着きません。私の手がすべって、何かおいしいものが落ちてきやしないかという魂胆が見え見えです。

 嬉しいことにお天気も上々。
 お昼前にはこんな所にいるはずです。
 仕事の顔は引き出しにしまって、11分の1の顔で出発します!
 P5214580.JPG年を取ったことが嬉しいのは、こんな時でしょうか。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:34| Comment(0) | 日記

2010年05月21日

高く、もっと高く?

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 昨日とはうってかわって、初夏のような一日が始まりました。
 昨日、靴の中まで雨で濡らして、銀座の街を歩きました。
 つま先が濡れる感覚も、ぶらぶらと銀座を歩く感覚も、久しぶりのことでした。

 銀座で仕事をしていた日々に、毎朝毎晩、足を留めては眺めていた場所があります。
 中央通りに面した 「ミキモトの庭」 です。春には桜が咲き、初夏には紫陽花、夏にはいくつもの風鈴が涼しい音を運び、秋にはコスモスが風に揺れました。11月に入れば、毎年大きな樅の木が植えられて、イルミネーションの灯りが道行く人たちを照らします。

 真珠が彩るウインドーを通して、傘をさす人々と行き来する車が見えます。銀座はやはり大人の町、美しい町です。

 昨年末に最後の仕事を終えるまでの4年間、そんな銀座で大人たちのための講座が開講されていました。延べにして数えれば250を越えます。企画をし、交渉をし、作り上げたものたちです。蕾のままで終わってしまったものもあれば、可憐な花を咲かせてくれたもの、驚くほどに大輪の花を開き、実を結んだものもあります。そんな花々のひとつひとつを手に載せて、こんな初夏の日には思い出をなぞっていきたいぐらいです。

 それらの中には、場所の閉鎖とともに終わりにしてしまうには、惜しいものがたくさんありました。いくつかは運営をある社団法人が受け継いでくださいました。そしていくつかは、受講生主導という形に変わって、今でも場所を変えて継続されています。私の最後の役目は、それらのスムーズな橋渡しと、その後の滑り出しを見届けることでした。

 昨日、銀座教会で開講された講座は、後者のタイプです。もっと学びたいという受講生たちが月に1度、自主的に集まり、部屋を探し、連絡をしあい、資料をそろえ、お金の出入りの管理をしています。3月も4月もたまたま外に出ていたものですから、昨日、5月の回に、1受講生として、初めて皆さんと一緒に勉強をさせていただきました。

 先生は毎月京都からおいでくださる、敬愛する湯浅裕子先生。
 講座の主題は、「能と聖書の響き合い」

 驚いたことに、いつのまにやら新しい方々の顔も増え、昨日の出席者は男性3人、女性8人。

「今日はたまたま来られなかった人たちもいるんですよ。」 というお世話役の方の言葉に、蒔かれた種が、芽生え、葉をつけ、蕾を抱き、小さな花を開き、移植された後もまた、大きく成長し続けていることを知り、心の奥が熱くなりました。

 昨日の対話のテーマは 「バベルの塔」。
 他を圧するような天まで届く塔を建てよう、という、人間の自己顕示欲や権力欲、権威欲についてです。これを同じテーマを持つ能の 「善界」 と交差させ、響き合わせます。

 それにしても、驚きました。
 現在、世界一高い建物は、昨年完成したドバイの 「ブルジュ・ドバイ」 の829メートル!
 話題のスカイツリー、634メートルよりもまだ200メートル近く高いのです。

 しかも、もっと驚いたことには、何と、同じくドバイに計画中の高層ビルは2500メートルの予定だそうですから、こうなるともうあまりの高さに想像もできません。

 高く、もっと高く、、、、
 これがバベルの塔の時代から変わらぬ人間の 「願望」 なのでしょうか。

 私、閉所恐怖症に加えて、実は軽度の高所恐怖症でもあります。
 フィレンツェのドゥオモの螺旋階段を上ったてっぺんで、足がすくんでからだが凍りつきました。イスタンブールのガラタ塔でも、眼下に開けた風景にふるえました。性懲りもなく、先月ウイーンの教会の上の上までエレベーターで昇ってみたら、やっぱり真っ青になりました。

 以来、高いところには上るまい、と心を決めました。
 ですからバベルの塔も、ドバイの塔も、絶対に上りません。
 ましてや建てようなどとは夢にも思いません(笑)。

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今週のグローバルキッチンお品書き
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17日(月):香味屋ふたたび
18日(火):超特急デザート〜リンゴとクルミのタルト 
19日(水):もっとレモンを!
20日(木):北海道 野菜のディップ
21日(金):オーストリアの打合せはベトナムで
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2010年05月20日

特別な特別な日

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 太陽が顔をのぞかせなくても、何だか暖房が恋しくなるぐらいに肌寒くても、今日はやっぱり特別な日。私から娘へ、娘から息子へと、繋がった小さな命の2回目のお誕生日だからです。

 1年前の今日は、初めてのお誕生日と、遅くなった結婚式の両方を祝うために、常夏の島に家族たちが集まりました。その日のブログには、こんな感動を記しています。

「300のプルメリアの花が散りばめられたガゼボへと続くヴァージンロードを、花嫁が父親と腕を組んで歩き始めるのを待っていたかのように、太陽の輝きが増し、海が光の中で揺れ、風はより優しく吹き始めました。私のスカートをつかんで世の中を恐々とのぞき見ていた小さな娘が、私よりもずっと大きくなり、まっすぐ前を向いて毅然として一歩ずつ歩いて行く姿は、私の目には世界で一番美しい花嫁に見えました。
今日この日に満一歳のお誕生日を迎えた花嫁と花婿の息子は、小さなアロハを着込み、首にレイをかけてパパとママの結婚式を見守りました。」 
http://blog.platies.co.jp/archives/20090522-1.html

 2年前の今日は、よく晴れた暖かい日でした。夜には澄んだ空に大きな満月が輝きました。

 まだ、このブログを始める前のことです。
 ちょっと感傷的にこの2年を振り返りながら、あの夜に書いたものを探してみました。
 恥ずかしながら公開させていただきます。
 なぜって、思いは今もちっとも変わらないからです。


満月がつれてきたベビーへ

 5月の満月が ベビーを連れて来た
10ヶ月もの間 今の今まで 
羊水という 小さな宇宙の 海のお魚だった子が
大きな宇宙の空気を 初めて小さな肺に吸い込んで
ぬれたからだで 私たちの世界の仲間になった
2936グラムという重さを与えられて
一人前に小さな爪を持った5本の指で 空をつかんで
世界の大きさを実感した
まだ見えるはずもない目を 精一杯に開いて
キョロキョロと 世界を見まわした
やわらかな肌は 泣き声をあげるほどに
薄桃色に染まった

こうしている今も 世界ではたくさんの命が生まれている
生まれながらに 困難を背負っていたり
歓迎されずに生まれてくる命もある
けれども 君はたくさんの たくさんの人たちから
祝福を受けて この世に生まれ出てきた
それを感謝する心を 忘れないでほしい

私は見てしまったよ
君のママが 長く伸ばして いつもきれいに飾っていた自慢の爪を
短く切って 君を迎え入れる 準備をしていたことを
口数少なく いつも冷静な 君のパパが
生まれたばかりの君の 小さな額と頬に たくさんのキスをしていたことを

レーチェル・カーソンという作家が言っている
この世界は ワンダーに満ちている、と
この世界、君の生まれてきたこの地球は
人間だけではない たくさんの生命が織りなす 
蜘蛛の糸のようなネットで覆われている、と

たとえば鳥の渡り 潮の満ち干
自然が繰返す リフレイン
夜の次に朝が来て 冬が去れば春になるという 確かさ
君にはそんな地球のワンダーを感じる心を 
いつまでも持ち続けてほしい
この地球に生まれたことを 誇りに思ってほしい

そして レイチェルが 友人への最後の手紙に書いたように
君への願いがあるとしたら
私がいなくなった後
美しく 愛すべきものを見た時に
私を 思い出してほしい
私のパパとママと 君のママが
最後の時まで 私の心の中に やさしく生き続けるように
私も いつまでも 君の記憶の中で 生き続けたいと思うよ
それが命を繋ぐということ

君の住み始めた地球が
いつまでも いつまでも 美しくあるように!
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2010年05月19日

いつかまた温泉に行きましょう!

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 アキコさん、あなたが早足で行ってしまってから、早いもので1年と2ヶ月が過ぎました。

私たち、昨日の夜、横浜で集まりましたよ。
4人分の席を取りました。あなたがいつ来てもいいように。

 いろいろ大変なこともありますけれど、みんな何とか頑張ってます。

 ケイコさんは、この3月で長い間の教員生活にピリオドを打ちました。ようやく部屋を片付ける余裕ができて、今では本棚も机も、床の上もすっきりした、と喜んでいました。来月は一人イギリスに旅行をするそうです。まだまだ退屈とは縁遠いようです。

 ミツコさんは、毎日、病院に通ってご主人のお世話をしています。ドナーの方も見つかって、骨髄の移植も終えたとのこと。
匿名の誰かが提供してくれたありがたいギフトです。
その匿名の誰かに、匿名で2通だけ、感謝の手紙を書くことができるのだそうです。

 そんな話につい涙もろくなって、「私たちもドナーになれるのかしら?」 と聞いたら、ミツコさんが笑って答えました。「ちょっと遅すぎたわね。55歳までなの。」
 大学時代は深窓の令嬢だったミツコさんが、驚くほどに強くなりました。

 昨年の3月24日の朝、クレタ島、イラクリオンの空港で、アテネへ向かうオリンピック航空の小さな飛行機のタラップに足をかけた時、私の携帯が鳴りました。日本時間で言えば、同じ日の夕方でした。

 突然の信じられない報せでした。あの時の、飛行機に乗り込むまでの呆然とした一段一段を思う時、チャップリンの映画のように、後ろ向きにタラップを下りてみたら、全てが元通りになるような気になることがあります。

 あの朝、あなたは病室からご主人に電話をして、「私、死ぬのかなあ。」 と呟いたことを昨夜初めて知りました。いつだってクールだったあなたにしては全然似合わないセリフです。

 ミツコさんのご主人の病気が治ったら、私たちはまた、恒例の温泉旅行を始めます。
 あなたにも声をかけますから、気が向いたら付き合ってください。
「私、早寝早起きだから先に寝るわ。みんな勝手にやってね。」
 と言って、布団の中にまるくなってすぐに軽い鼾を立て始めるあなたを、揺り起こしたりすることはもうしませんから。

 1年たって、何だかみんな肩の力が抜けたようで、いい感じになりました。
 別れ際にケイコさんが言いました。

「60になっても一緒にいるなんてすごいことだよね。
これからは、もう少しひんぱんに会う?」

 すごいってことがわかったのも、明子さん、あなたのおかげです。
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2010年05月18日

黒い子からの贈り物?

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 黒い子との朝晩の散歩は、一人で歩いている時には決して起こらないような、たくさんのミラクルをくれます。ゆっくり歩けば、見過ごしていたたくさんの物たちに出会います。この子といれば、多少、キョロキョロしていたって、立ち止まって何かを観察していたって、素敵なお家の庭を覗き込んでいたって、誰も挙動不審とは思いません。黒い子とのお散歩は、発見と出会いの旅です。

 こんなことだって起こります。
 2つ目の、まるで心霊写真のようなものは、目の前に突然現れた青虫君です。桜の木から透明な糸で吊られて、あっちへ揺ら揺らこっちへ揺ら揺ら。小さな風にもブランコのように揺れるものですから、私の腕ではこんな写真しか撮れませんでした。

 急いでいる時には、絶対に目に入らないもの。あるいは、目に入ってもよけて歩いて行ってしまったことでしょう。

 クレマチスの花があまりに見事なので、足を留めていたら、通りを竹箒で掃いていたおばあさんが話しかけてきました。最初はいつだって、「あら、かわいい?何ていうお名前?」とか、「男の子?女の子?」 「何歳ですか?」 、果ては「ブルドッグ?」 (いえ、違います!!!パグです!!!) などという言葉から始まるのですから、やっぱり黒い子からの贈り物?

 一通りアイスブレーキングの会話が済むと、次第に本題にはいります。ここらへんが本当に面白いのです。耳を傾ければ、次から次へとまるでメモをとりたくなるぐらいに興味深い話が展開されていきます。

 おばあさんは大正9年の生まれということがわかりました。ということはもうすぐ90歳。とてもそんな風には見えず、姿勢の良い立ち姿で、箒を持ったまま、突然現れた聞き手に向けて、この町の歴史とご自身の歴史を話し始めます。

 短い間の立ち話で、いろいろなことを教えていただきました。この町は大正3年生まれのООさんが最年長だということ、昔はどこからどこまでがこの町の区画であったかということ、大地主さんたちのこと、今、学園のあるあたりはまるで葦が原のようであったこと、、、、、

「アルハイの丘っていうのがあったのよ。ほら、あなた、ごぞんじじゃない?アルト・ハイデルベルクってお話。あれからアルハイの丘っていうロマンチックな名前がついたのね。そこでね、あなた、ある時、東大生が自殺したの。失恋という噂だったけれど、きっと思い出がたくさんあった場所だったんでしょうねえ。」

「運動会の時はね、6時に大砲のような音がなって、学園の幼稚園から高校までみんなが集まるのよ。わたし達住民もね、一生懸命応援して。」

「今は立派になったあの病院はもとは傷痍軍人用の施設だったの。全国から見舞いや慰問がくるのよ。だからなのよ、あの病院の前の通りには小さなお土産屋のような店が今でも残っているでしょう?みんな来たついでに東京のお土産を買っていくから。」

 何だか、もっともっと聞いていたい気持でしたが、さすがに時間が気になって失礼をしましたが、最後に一つ質問をさせていただきました。

「どうしてそんなにお若く、お元気でいらっしゃるのですか?いろいろなことを本当によく覚えていらっしゃいますし。。。。」

 すると、この素敵な89歳の女性が、一瞬キリリとした目になって、私にこんなことを言ったのです。

「あなたがご不快に思われたらごめんなさい。
 私は独身なの。これまで一度も結婚をしたことがないの。」

 お別れの挨拶をしての帰り道、一生懸命、この答の意味を考えました。

 けれども、この哲学的な問題はまだ解けません。
明日の朝、もう一度、同じコースをたどって散歩をしてみるつもりです。もしかしたら、またお会いできるかもしれないと思いながら。
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2010年05月17日

食べていただく? 食べさせてやる?

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 早速昨日の続きです。

 お気に入りのレストランの方は、当然ながら何度も足を運んでいます。この何年かは、何だかんだと理由をつけては 「記念日ディナー」 や 「お祝いディナー」 や 「元気付けディナー」 に出かけます。

 小さなレストランですから、当然、顔も名前も覚えていてくれます。けれども、だからと言って、決して馴れ馴れしい態度は取りません。

 昨日のデパートの話にたとえれば、

「『いらっしゃいませ』 と心温かくお迎えしたあとは、邪魔にならない所で控えていて、お客が何かを聞きたそうにしている時には、さりげなく近づいて耳を傾ける。」

 まさにそんな感じです。それなのにちゃんと、私がチョコレートを食べられないことを覚えていてくれて、何にも言わずに、私のデザートのお皿にだけはチョコレートケーキではなくてチーズケーキを載せてきたりします。

 味覚も視覚も嗅覚も満足させてくれる上質のお料理を作るシェフにいたっては、決して食事の場には姿を見せません。ましてや客のテーブルの前で薀蓄(うんちく)を語ることなどありません。

 それなのに、食事が終わって席を立つ頃を見計らって、厨房から出てきては、少ない言葉と笑顔で挨拶をし、出口で見送ってくれるのです。その様子からはいつだって、「来てくださってありがとうございました。」 「食べてくださってありがとうございました。」 という気持ちが読み取れます。

 かたや、二度と行くまいと固く決意をした都心のレストランは、、、、、、、
 シェフが台所から出てきて、私たちが食べる前から過剰な説明をするのです。いえ、「するのです」 と言うよりは、まさに 「したがる」 のです。

 私たちは、まがりなりにも礼儀を心得た大人ですから、料理が冷めるのを気にしながらも、長い講釈をさえぎる勇気はありません。ちょっとでも場を読むことができるなら、客が辟易しているのがわかりそうなものですのに、シェフはいっこうに気付く様子もありません。しかも、その話の内容はさして耳を傾けるほどのこともなく、ちょっと突っ込んだ質問を丁寧にしたとしても、満足のいく答は返ってきません。

 こうなると、私たちお客の方は、逆にサービスをしてあげているような気になります。しかもお金を払ってです。

 ますます悪いことに、シェフの長話は、いかにも 「あなた方に食べさせてやってるんですよ。」 とばかりに、こちらを萎縮させるのです。こんな状態が愉快なはずもありません。

 友人たちとのせっかくの食事に、ネガティブな話題を持ち出すことも無粋ですし、会食の場を選んでくれた幹事に対しても失礼です。黙って我慢していたら、後になって、「ところであそこはひどかったよね。二度と行きたくないね。」 と言う話で盛り上がるほど、全員が同じ印象を持っていたことがわかりました。

 「食べていただく」 と 「食べさせてやっている」 とは、同じ 「食べる」 でも大違いです。
 そして私たち人間の繊細な心は、目に見えないアンテナでそんな周波数を無意識のうちにとらえてしまうのです。

 料理を仕事の一部にしている私は、毎日のように台所という実験室でさまざまな実験をしています。それを食べてくれる家族や友がいて、手厳しい感想まで言ってくれるというのはどんなにありがたいことでしょうか。

 そして不思議なことに、「食べさせてやっている」 という気持ちで作った料理は一度もおいしくできたためしがありません。いえ、もしかしたらおいしい料理のはずなのに、何だか自分自身の中でも盛り上がりに欠けるのです。

 もしかしたら、「食べてくれてありがとう」 のお握りは、「食べさせてやっている」 極上のステーキよりもおいしいのかもしれません。

 こんなことだって、きっと、とても大切な非言語コミュニケーションなのでしょう。

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2010年05月16日

居心地の良いのはやっぱり、、、、、

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 歩いていける所にお気に入りの場所があるというのは嬉しいことです。
 特にそれが、レストランやカフェや居酒屋だったりすれば、なおの事。

 3月に1週間ほど居候をしていたシアトルの友人宅は、手入れの行き届いた広く美しい庭に囲まれた素敵な家でした。部屋からは海が見え、山が見え、空が見えます。
しかも視界をさえぎる電線がないのです。

 家を買おうと決めた時、夫妻にはいくつかの譲れない条件がありました。その一つが、「電線が見えないこと」 だったのです。二人は、アメリカからカナダまでの色々な土地を見て回り、結局、このシアトル郊外の丘の上に建つ見晴らしの良い静かな家に決めました。

 快適な1週間でした。一歩外に出れば、海からの風と、木々や花の息吹を感じます。新鮮な空気を吸いながら、ゆったりと散歩をする間でさえ、めったに人に会うこともありません。

 「ナオミたちもここに住んだら?」
 と言う誘惑に心動かされながら、同時に馬鹿なことを考えてしまいました。
「どこに歩いて食べに行ったらいいのかしら?」

 私の住む町には、お気に入りのレストランが2軒と、居酒屋が1件あります。もちろん歩いて行ける所ですから、気楽に酔っ払えます。

 この3軒に共通して言えるのは、お料理はもちろんのこと、とにかく気持ちよく時間を過ごせることです。何て言うのでしょうか、差し出がましさや、押し付けがましさが、全くないのです。どんなに常連さんになったって、きちんと適度な距離感を保ってくれます。

 先日の新聞の投書欄に、40代の女性の方からのこんな言葉がありました。浮き浮きとデパートに買い物に出かけた時の話です。目に留まった花柄のエプロンに、立ち止まって眺めようとするやいなや、店員が急いで近寄ってきて、大きく華やかな声で延々と説明を始めたと言うのです。

「母の日のプレゼントですか?これは有名デザイナーのもので、、、、、、、生地は、、、、、、」

 その結果、この女性は一礼をして早々に売り場を立ち去ったのですが、その際に、「ああ、あのエプロン、もう少しゆっくり見ていたかった」とつくづく思ったとのこと。

 とりとめのない話になりましたけれど、立て板に水で朗々とし話まくるのがコミュニケーションの極意でないことだけは事実です。コミュニケーションとは、適切な距離感を取れるかどうかでしょう。家庭でも仕事の場でも、デパートでたとえるなら、「いらっしゃいませ」 と心温かくお迎えしたあとは、邪魔にならない所で控えていること。そしてお客が何かを聞きたそうにしている時には、さりげなく近づいて耳を傾けること。

 実は今日は、私のお気に入りのレストラン 「アシェット」 と、先日、招かれて出かけた都心のあるレストランとのあまりの違いに触れるつもりでした。「お客様に食べていただいている」 のか、「客に食べさせてやっている」 なのか、そんなシェフの心がよくわかる面白い対比になるはずでした。

 長くなりますので、これはまた明日にまわしましょう。
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2010年05月15日

教えることは学ぶこと

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 薫風という言葉がぴったりな5月半ばの週末です。
 ブラブラと歩いているだけで、たくさんの素敵な発見があります。
 空は青く、雲は白く、若葉は輝き、咲き始めたバラが家々のフェンスを美しく飾ります。梅雨に入る前の、短いけれども美しい季節です。

 昨日は、昼間と夜にそれぞれ、大好きな方々にお会いしました。
 年齢も背景も仕事も異なる人たちですが、共通することは、2人とも私の大切な友であること、2人とも一緒にいてとても楽しいこと、そして、2人とも私がかつて銀座で社会人向けの講座の企画と運営をしていた時代に、無理やり講師をお願いしたこと。しかも、公私混同で、私自身が勉強したくてたまらなかったテーマで開講していただきました(笑)。

 昼間の友は、もう20年来の水泳仲間にして、わが人生の尊敬する師です。私が16年間在職していた大学の学長でもいらっしゃいました。この先生に、今にして思えば、何とまあ大胆不敵なことをしたというのでしょう。

「先生、リベラル・アーツについての講座をお願いできませんか?
 リベラル・アーツってどんなものなのか、どんな歴史があってここまで来たのか、、、ほら、先生、今、ご本を書く準備をなさっているって言ってたじゃありませんか。」

「だって君、まだ途中だし、第一、5回や6回の講座で語りきれるもんじゃないよ。」

「途中ならなおさらのこと、先生自身の研究の整理をなさる意味でもお役に立つと思いますよ。」

 と、かなり食い下がり、ご一緒に流れを組み立てた上で、昨年の9月から12月までの間に全6回をご開講いただくことに成功しました。その結果、一見地味な内容にたくさんの受講生が集まり、熱心にペンを走らせる、馥郁とした香りを放つ講座となりました。

 かたや、夜の友も、「この人にこのテーマで思う存分語ってもらいたい!」 と、その機会を待ち続けていた人です。彼もまた、ギリシャやギリシャ語でわからない時にはすぐにヘルプコールをしてしまう、頼りがいある私の若い師です。

 ギリシャ政府観光局の彼には、無理を承知で土曜日に働かせてしまいました(笑)。
 初めは、ギリシャの世界遺産について、次に神話と星座について。そして最後にはトロイ戦争とギリシャの英雄、オデュッセウスの物語 「イーリアス」 「オッデュセイア」 について。こちらもまた、手に汗にぎり、神話と英雄伝説のロマンに胸を躍らす期待通りの講座となりました。

 驚いたことには、このお二人が全然異なる話題の中で、昨日、全く同じ言葉を言われたことです。口調は違えども、要するにこういうことでした。

「できるかな?と思いながら人に教えるには、自分も勉強をして準備をしなければならない。
 随分色々な気づきと発見があった。随分色々なことを学んだ。
 教えることっていうのは、学ぶことだね。やってみるもんだ。」

 そんな言葉を聞いて、仕掛け人の喜びに浸ると共に、お二人のお人柄の謙虚さにますます惚れ込んでしまいました。そんな謙虚さがあったからこそ、あれほど私たちの心に響く名講義となったのでしょう。

 つくづく、いい仕事をさせてもらったものと思います。
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13日(木):ロベルタちゃんのオートミールクッキー
14日(金):クレタ島のオリーブオイルで、南イタリアのアクア・パッツァ
 
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2010年05月14日

つくづく能天気な性分です。

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 こんな真っ黒ツヤツヤの子が来て、いつも私にくっついています。
 もちろん、今だって一緒にPCを叩きます。

 昨夜は、この子のイビキを聞きながら眠ったら、どうやら最高の子守唄になったようです。ぐっすり眠りすぎて、珍しいことに大寝坊しました。自分の意思とは関係なく、目覚めが早くて困っている私には、この大寝坊は久方ぶりの快挙です。黒い子はストレス解消にも、運動不足解消にも、不眠解消にも絶大な効果があります!

 先週金曜日に受けた取材が文字になりました。
「緊急取材!!”欧州危機”が日本に与える影響は。。。」 という、今週発売のある女性誌なのですが、私がたくさんしゃべった言葉の一部が何箇所かに載っています

 たとえば、冒頭の

「ギリシャでは空港施設や、鉄道、バスなどの交通機関はほとんど国営です。ストの影響で交通機関が止まり、最悪、病院まで閉まる可能性がありますから、今、ギリシャ旅行はお勧めできません。」 (元ギリシャ大使館勤務・池澤直美さん)  とか、

 中ほどの、

「ギリシャのことがあって、ユーロ通貨の暴落が問題になっています。EUのなかでも、ユーロを使っている国は16カ国ありますから、もうギリシャだけの問題ではなくなっています。」

 おかしなもので、いつも活字になったものを見ると、「本当に自分はこんなこと言ったのかしら」 「なんてつまらないコメントかしら」 「言いたいことは別にあったのに」 と言ったように、何だか居心地悪い不具合さを感じます。特に電話取材の場合は、おたがい顔が見えないやりとりであるだけに、なおさら真意が伝わりにくくなります。

 しかも、今回はとんだアクシデントがありました。
 出版の最終工程で取材をした記者の方から連絡がありました。
 のっけから、「申し訳ありません。おわびにおうかがいしたいのですが。」

 一瞬身構えると、私が言ったはずの言葉が、手違いで、もうお一人の経済評論家の男性の言葉となって掲載されることになってしまった、と言うのです。

 私は、良いことと悪いことの2つがあれば、できるだけ悪いことを先に話し、良いことでくくることを心がけています。たとえ、良いことがなくても、最後の言葉はできるだけ希望へと繋がるものにしたい、と思っています。これは、子育てでも、学生の指導でも、大人のキャリアカウンセリングでも、日常生活の会話でも同じことです。

 ですから、今回の取材も、ギリシャの財政危機のデメリットだけではなく、メリットの方も話したつもりでした。それが、別の方の言葉になってしまったというのは、やはり残念なことでした。
 
 けれども、文句を言ってみたところでどうにかなるものでもありません。
 一生懸命取材した記者の方をよけい困らせるだけです。

「いえいえ、全然気にしないでください。起こってしまったことは仕方ないですよ。私の方は全くかまいませんけれど、どうぞお相手の方にお上手に話してください。大変でしたねえ。」

 これは私の本心です。
 だいたいが大雑把であきらめが早いのです。
 だって起こってしまったことはしょうがないではないですか。
 変えられることならまだしも、変えられないことなんですから。

 それに、誰か別の人の言葉を、私が言ったように書かれることの方がずっとずっと困ったことです。と思えば、「何てラッキーだったのかしら」 と感謝したくなるのですから、つくづく能天気な性分です。

 そんな私に輪をかけて能天気なのが、この黒い子です。
 何たって、食べて、寝て、お散歩して、くっついて、、、、、の毎日なのですから(笑)。
 

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2010年05月13日

共に働いた長い一日

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 「9時20分に駅に着きます。」 というメールに合わせて、明るい5月の陽射しの中を駅まで迎えに行き、私たちの長い時間が始まりました。仕事を終えて、真っ暗になった同じ道を逆方向に辿って友を駅前で下ろした時は、すでに10時をまわっていました。

 指折り数えてみれば、延々12時間半の缶詰時間。
 大きなテーブルを書類で埋め尽くし、2台のコンピュータで向かい合ってひたすら作業を進めました。

 それでも、積年の気心知れた友との協働作業は楽しくて、
 合い間合い間の気が置けないおしゃべりは心躍らせ、
 窓一面に広がる桜の青葉は美しく、
 大きく開いたカサブランカが運ぶそこはかとない香りは、私たちを充分幸せにしてくれました。

 ある私大のコミュニケーション検定プログラムを請け負うことになって、友と2人で郊外の大学に初めてお邪魔したのが2月の初め。以来、何回かの打合せや途中経過報告などを経て、ようやく昨日、ファイナルの書類の作成を終えました。広範囲にわたり学生のコミュニケーション力を測る、なかなか面白い試験問題ができました。

 どんな仕事も、正直、ストレスです。
 やることに決めた時は、意欲と希望にあふれていたのが、進めていくうちに 「これでいいのだろうか」 「できるだろうか」と言う不安にもまれます。思うように時間が取れずに、あるいは時間は取れてもちっともはかどらない焦燥感にとらわれながら、始めたことを後悔することすらあります。

 けれども、何とか一仕事を終えた後には、いつだって、今日の5月の日のような爽快感に満たされます。ストレスがあってこそ得られる開放感です。

 それにしても、「一人ではないこと」 とは、どんなに嬉しく、どんなに楽しいことだったでしょうか。同じ目的のために助け合いながら共に働くというのは、こんなにワクワクすることだったでしょうか。私ひとりでは、とうていこの仕事はなしえませんでした。

 いつも誰かとつながっているとは言え、今日からはまた、一人で考え、一人で決める、一人仕事。いつも誰かがそばにいて、チームで一緒に苦楽を共にすることが当たり前だった日々の感覚を、センチメンタルに、懐かしくなぞりながら、薫風に揺れる木々を眺める朝です。
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2010年05月12日

「山猫」 という長い映画

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 昨日、尻切れトンボになってしまった186分の 「長い映画」 のことをちょっと。

 好きな映画はたくさんありますが、手元にDVDを持っていたいと思うほどのものはそうそうありません。その一つがルキーノ・ヴィスコンティ芸術の最高峰と称されるほどの 「山猫」 です。

 ところが、手元にあるというのが曲者で、いつでも見られると思うと、これがなかなか見ないのです。アマゾンで思い切って6000円も払って取り寄せて以来、恥ずかしながら1年も放置されたままでした。

 それをなぜ今頃?
正直に言えば、消去法の結果なのです。
 おたがい何日か在宅仕事に没頭していましたので、そろそろ気晴らしをしたくなって、色々考えました。美術館とか映画館とかドライブとか、、、、、

 でも、結局はまたしても最近の出不精癖がたたって、「『山猫』 上映会」 に落ち着いてしまいました。開演時間を夕方の5時と決めて、約束事を二つ。時間になったら集合することと、上映の間は席を立たぬこと。

 「山猫」 は、DVDのカバーに書かれた言葉をそのまま引用すれば、「シチリアの大地に最後の輝きを放つ、貴族たちの壮麗な落日。滅びゆく者の美学を豪華絢爛に描く一大叙事詩」です。原作は自らもシチリア貴族であったランベドゥーサ。彼が1957年に亡くなる直前に書き上げた生涯唯一の長編小説です。これだけの大作が、彼の生前は日の目を見ず、亡くなってからの出版となりました。それを映画化したのが、同じくイタリアの名門貴族ヴィスコンティ家の末裔ルキーノ・ヴィスコンティです。日本初公開は1964年です。

 同じ映画を何度も見続けることの面白さは、映画自体の魅力もさることながら、それを見る自分自身の感じ方の変化です。好きな部分や、共感をする部分が変わっていきます。たとえば、この 「山猫」、若い頃はひたすら、時代の変化に機敏に適応し、眼差しを常に輝かしい未来へと向け続ける、アラン・ドロン演じる美しい野心家のタンクレディに魅せられていました。

 けれども、今は違うのです。私が心底惚れているのは、自分が属してきた世界の終焉に自らの生を重ね合わせるシチリアの貴族、サリーナ公爵を演じるバート・ランカスターの底知れぬ寂しさの中にある美しさと品格と色気です。

 心にひっかかってくる言葉が変わるのも、今の自分を知るようで面白いところです。たとえば一昨日の「上映会」では、、、、、

「500ヘクタールのブドウ畑とオリーブの林」 とか、「シチリア人はマカロニを毎日食べるからミラノの生活に慣れるには時間がかかるね。」 とか、、、、、

 今まで気にも留めなかった何てことのないセリフですけれど、今の自分の興味の方向がわかって苦笑してしまいました。

 手元にイタリア語の原作 「IL GATTOPARDO」 と、英語に翻訳された 「THE LEOPARD」 の2冊の美しい装丁の本があります。イタリア語はもちろん読めませんし、英語も面倒くさい。早速、アマゾンで日本語の翻訳を注文しました。こんな風に興味が繋がっていくのも面白いところです。

 6月は 「山猫」 のシチリア島でしばらく過ごします。
 そして秋からは、ちょっと長いミラノ暮らしになります。
 次に見る時には、感動する部分も、共感する部分も、惚れる人も、心に届く言葉も、また変化していることでしょう。
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