2010年04月30日

袖すりあうも多少の縁

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 ご無沙汰しました。と言っても一日あいてしまっただけなのですけれど、「毎日読んでます。」 などと言うお言葉を頂戴すると、やっぱり後ろめたいです(笑)。すみません。

 ゴールデンウイークの幕開けの昨日は、5月を先取りしたような素晴らしい陽気に恵まれました。ついこの間までピンク一色に覆われていた居間の窓が、すっかり新緑の緑に変わりました。東京は、嬉しいことに、この先もGWの間、ずっとこんなお天気が続きそうです。

 昨日は 「グローバルキッチン4月の会〜春の地中海のハーブ料理」 の二回目でした。1月以来これで4ヶ月目。だいぶ慣れてきて、手抜きのポイントなどもわかってきたとは言え、それでも前日と当日は大忙しです。

 とりわけ今月は、ウイーンから帰ってすぐの開催ですから、たまった別口の仕事をにらみながら、合間合間に仕事サーフィンをしています。

 しかも昨日は嬉しいトラブル、いえ、嬉しい誤算がありました。
 台所とテーブルのサイズを考えれば、当然ながら 「適正数」 というものがあります。
 それが、昨日はそんな適正数を3人も上回る皆様がおいでになったのです。

 お二人は別のお日にちを予約なさっていたものの、どうしても昨日でなければ駄目になってしまわれた方々。
もうお一人は完全に私のウッカリ。ご予約をいただいていたのに私のリストから完全に抜け落ちていたのです。

「二人でお申込しましたが。」
「あ、あ、そ、そうでしたよね、す、す、すみません。」

と、かなりシドロモドロ状態です。急いで別コーナーにお席をご用意しましたが、どうしてもテーブル組の8名とソファー組の3名のコミュニケーションが成り立ちません。これではまずい!とますますあわてて一計を案じ、結局、デザートに移る前に、くじ引きで席のシャッフルをさせていただきました。

 これを機に、それぞれのエリアが新しい顔合わせとなり、また新たなおしゃべりの花が咲き始めました。これまたグループダイナミックスの面白さです。そんなきっかけを作るのも仕掛け人の醍醐味、そしてそんな様子を見るのもひそかな喜びです。

 調子に乗って、一皿ごとに席替えをしてみたら?などと考えています。

 まさかそんな回転寿司みたいなこと、できるわけもありませんが、「袖ふり合うも多生の縁」、いえ「袖すりあうも多少の縁」。人と人との組み合わせから多少、どころか、大きな素敵な何かが生まれることだってあります。

 札幌出身の38年来の親友が来てくれました。彼女のためにライラックを飾りたくなりました。
 部屋中花の香が漂う4月最後の日です。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年04月28日

引き寄せとコミュニケーションの広場

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 おかげさまで、4月のグローバルキッチン 「春の地中海のハーブ料理」 第一回も、昨日、楽しく賑やかに終了しました。

 今にして思えば、何があんなにおかしかったのかしら?と思うぐらいに、みんなでお腹の皮がよじれるぐらいに笑い転げたり、はたまたペットを亡くされた方のお話に涙ぐんだりしながら、それでもしっかりと数々の料理をご一緒に味わいました。

 この集まり、毎回必ず同じメンバーになるとは限りません。その時々の組み合わせで、盛り上がり方も異なるのは、同じお料理でも人参の代わりに大根を使えばまた味わいも変わるのと同じ。それこそが 「グループダイナミックス」 の面白さ。メンバー同士が意識的であろうが無意識であろうが影響を与え合い、全体の空気が作られていきます。けれども、もともとが同じことに興味を抱き、自らの意思でその場に居ることを選んだ人たちです。どんな組み合わせになろうとも、楽しく、面白く、快適です。

 そして、びっくりするぐらいに、初対面の人同士の間に何かしらの 「繋がり」 が見つかります。そんな発見で、またみんな盛り上がります。

 昨日もいくつもの発見がありました。

 その一つ、一番驚いたのは、たまたまお隣同士に座ったお二人が、食事の途中のふとした会話から、実は同郷の出であることがわかった時でした。年齢は若干開きがあるものの、小学校も中学校も、そして高校までもが同じ。長野県伊那市にあるその学校は、一学年が 「春、夏、秋、冬、天」 という5クラスに分かれていたそうなのですが、何と、お二方とも 「天組」 だったのです!住んでいた所も目と鼻の先。それなのに、おたがい全く知らないままに何十年かが過ぎて、東京の、世田谷区の一角で、偶然に隣り合わせに座ったのです。

 そんなお二人の一人、私が応援する若きキャリアカウンセラーのサツキさんが、早速、昨夜のブログに書かれています。

「本当にビックリ!これが引き寄せの法則?シンクロニシティというものなのでしょうか!」

 そして嬉しいことには、こんなことまで書いてくださいました。

「私、、、実は、、お料理は苦手だと思い込んでいました。つい先日までは。。。。
直美先生のグローバルキッチンに通う様になって、ちょっと、私という人間の見方も変わりました。コツコツとお野菜を刻む私、、この時間、無心になれて何だかとっても満たされた思いとなります。“今、ここ”に居る充実感を味わう事ができます。春のお野菜、色鮮やかで五感を通して、“今、ここ”を感じます。普段使っていない機能を使い、新たな発見と嫌なことも忘れ夢中になるひと時・・・・お集まりになった8名の皆さまと協働し、こんな素敵な場所でお料理を味合うひと時・・・・毎月1回お邪魔させて頂いているのですが、私のストレス発散の場所なのです。」

 さらに嬉しいことには。。。。。

「『コミュニケーション』 の語源を調べてみると、、、
 ラテン語で、『分かち合う』 『食卓を伴にする』 『役割を分担する』 とありました。 
ココには、そのすべてが存在します。
生きる方向=キャリアという軸を持ちながら、自分自身にあらためて気付いていくという過程。今まで気付かなかった自分自身と出逢う場所。すると、今までは見えなかった周りの様子が見えてきて、感動や驚きを発見できる場所。そんな 「広場」 をご用意して下さる直美先生に今夜も感謝」

 これこそが私がやりたかったこと、コミュニケーションの場、「プラティエス」 (広場) を作ることです。
 ありがとう、サツキさん、また明日も頑張って「広場」を作りますからね。
(サツキさんのHPは、http://ameblo.jp/work-t/
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年04月27日

今日は何の日? ハーブの日

 早朝から階段を上ったり下りたり、かと思えばあわてて本のページをめくったり、さらにはもっとあわてて資料を印刷したり、、、、、

 ああ、あと2時間を切りました。
 大丈夫かしら、、、、、、
 初回はいつも準備不足の気がしてなりません。

 すみません、台所に戻ります。
 理由はこれです。http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | グローバルキッチン

2010年04月26日

ジグソーパズルのもう一つのピース〜言語コミュニケーション

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 早いもので、今週半ばからはもうゴールデンウイークのスタートです。組織の中で、カレンダー通りに仕事をしていた時代と違って、今では平日も休日も祭日もさしたる変わりない身となりました。それでも、やはりこの季節の、この長い祭日を前にしては心も躍ります。

 おだやかで明るい日差しと共に新しい1週間が始まりました。
 光に映える新緑の美しい朝です。

 予定よりも長引いたウイーン滞在の最後に感じた、「いくつかのピースが見つからずにジグソーパズルを完成できないような気持ち」 については金曜日のブログでお話ししましたが、そんなもどかしさは、たぶん 「言語」 にもあるような気がします。

 ごぞんじのようにオーストリアはドイツ語です。ほとんどは英語と同じ文字が使われていますから、ちょっとした読み方の原則さえ覚えれば、音にすることはそれほど難しいことではありません。大学時代の一般教養で習ったことを必死に思い出せば、少しは意味のわかることもあります。けれども、文章で会話ができるか、と聞かれれば、答は 「Nein(ナイン)」 です。

 そして、信じられないぐらいに英語が通じない場が多いのです。

 たとえば、街角のお菓子屋さんで、棚の上から2番目の、右から3番目にあるチョコレートボックスが欲しいとしても、私はお店のおばさんに、「Welche?」 と聞かれて、小さな子供のように指でそれを指し示すことしかできません。

 ある時、お昼に立ち寄った居酒屋風レストランに忘れ物をしてきたことに気付きました。あわてて電話をしても電話口に出たお兄さんには私の言葉が伝わりません。「誰か英語で話せる人はいませんか?」 と言えば、何やら店内でゴソゴソしている雰囲気が伝わってきます。しばらくたって 「ハロー」 と語尾上がりの英語で出てきたのは、とんでもなく酔っ払ったお客。こちらが言いたいことに一切耳を貸さずに、とてつもなく下品なことをしゃべりまくります。情けなくなって電話を切りました。まるで自分が役立たずのお使いさんのようでした。

 結局、忘れ物はドイツ語を話す夫に付き添ってもらって取りに行きました。

 最小限の言語コミュニケーションができる土地かどうか、と言うのも、ジグソーパズルの重要なピースです。それができない場合は、何だか自分が卑小に思えて、小さなからだの私はますますオドオドとしてしまいます。そんな状況が心地よいはずもありません。

 そんないくつかのできごとの後で、粛々と、いえ縮々と町を歩いていたら、ようやく救いの場が見つかりました。ギリシャ正教の教会があったのです。中に入れば小さな礼拝堂の扉の前で、懐かしい響きの言葉で話している人たちがいます。階段を上れば、そこは子供たちとが賑やかに出入りをするお教室。

「何をおやりになっていらしゃるんですか?」
「ここはウイーンに住むギリシャ人の子供たちのための学校なんですよ。」
「何を教えていらっしゃるんですか?」
「ギリシャ語も歴史も地理も、、、、、250人の子供たちが週に2回通ってきます。」

「ウイーンはいかがですか?」
「そりゃギリシャとは何もかも違いますからねえ(笑)。ところであなたはどちらから?」
「東京からです。」
「ウイーンはいかが?」
「そりゃ東京とは何もかも違いますからねえ(笑)。」

 拙くとも、こんなさりげない会話をし、一緒に笑えることが嬉しくて、ふと思いました。

 1993年に6カ国で発足したEU(欧州連合)も、いまや27カ国。
 連合と言っても公用語は23言語。
通貨だってユーロばかりではありません。ポンドもあればクローネもあって、使われている通貨は12種類。ユーロを使うのは16の国だけです。

 文化はたぶん27通り。もしかしたら価値観だって27通り。歴史は確実に27通り。
 気候も違えば、咲く花も違うでしょう。当然味覚も違います。

 EUという大きなジグソーパズルのピースはいったいどのようにはめ込まれ、いったいどのように完成されるのかと、小さなパズルをはめそこなった私は妙に気になっています。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月25日

別の日常から元の日常へ

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 昨日、予定通りに帰ってきました。ソメイヨシノの季節もすっかり終わって、並木にはひときわ艶やかな八重桜が春を謳歌するように咲き誇っていました。

 玄関前では、まだ固い蕾だった花が、満開で私たちの帰宅を迎えてくれました。

この花、「これ、いいわよ、春らしくて」 (と言っても言葉の主は男です。) と友人の花屋さんが持ってきてくれたものなのですが、どうしても名前を思い出せません。たしか彼が「何とかちゃん」と呼んでいたピンクの花が、今、3度目の春をもたらしてくれています。

 庭では、今年初めに苗木を買って植えた小さなハナミズキが、可憐な花を咲かせ始めました。あれほど一面に桜の花びらに覆われていた小さな庭も、再び土が顔を出し、花々が春の風に揺れています。

 時は、私たちが不在の間にも同じように流れていきます。
 風景は、私たちが不在の間にも同じようにそこにあります。

 珍しく朝までぐっすりと眠り、また日常生活が始まりました。いえ、別の日常から元の日常へと戻ったという方が正しいかもしれません。しばらくは、この場所で、この日常生活を送れることが嬉しくてなりません。

 ウイーン空港が閉鎖されていた何日かの間に、考えまい、考えまいとしていても、つい頭をよぎってしまう大きな不安がありました。「もし、今、残してきた家族に何かあったらどうしよう。」ということでした。飛行機が飛ばない限りは戻ることもできません。ひたすら、何ごともないように祈り続けるばかりでした。

 アテネに住んでいた時に、一本の電話で、父が仕事先で倒れ入院をしたことを知りました。しかも、母は私に余計な心配をかけさせたくなくて、最後の最後まで黙っていたのです。電話があったのは、まさに父の様態が急変した時でした。

 スーパーから帰ってすぐに電話を受けた私は、そのままの姿で、とりあえず身近にあるものを鞄につめ、9ヶ月の娘を抱いて空港に駆けつけました。そこで日本に飛ぶ最初の飛行機に乗りました。それでも、長い南回りのフライトは、私を最後の父に会わせてくれなかったばかりか、父が最後の最後までその名を呼んでいた孫娘を会わせることも叶えてくれませんでした。

 そんな、今も心の奥底に眠る、飛行中の不安と、その後に続く大きな慟哭、後悔の思い出が、ウィーンで再び水面に浮上してきました。飛行機が飛ばないこと、繋がることができない事実、は、思っていた以上に精神的につらいものでした。

 不思議なものです。こんな風に出入りの多い 「たくさんの日常」 の中で暮すようになって、家族への思いが次第に深まってきました。会えない時が多くなったからこそ、もっと会いたい、共に時を過ごしたい、という願いが強くなってきました。遠くどこの空の下にいても、思いは残してきた家族のことです。

 そして、不思議なものです。こんな生活をせざるを得なくなってから、日本への思いもだんだんと深まってきました。やたら突っ張って、「海外で勉強したい!」 「海外で暮したい!」 「日本なんていやだ!」 と思っていた若い頃もあったというのに、今では、日本は世界で一番、東京は世界で一番エキサイティングな国であり、町だと思うようになりました。

 当然ながら、この国、この場所での日常生活が愛おしく、一日一日がとても大切になりました。たとえ世界のどこかの町の最高級のホテルで過ごしていたとしても、この国の、この町の、この家の、この小さな部屋でこうして暮す暮らしの方がありがたくすら思えるようになりました。

 これからの人生、この場所で、この日常を過ごす時間がますます短くなっていくにつれて、家族への思い、この場所への思いもますます深まっていくのでしょう。

 そんな思いと共に、またあわただしい日々が始まります。
 ありがたいことです。
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先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
19日(月):決して高くはないと思わせる「KORSO」レストラン
20日(火):ウイーンの市場より
21日(水):ホワイトアスパラガス三昧
22日(木):ヴィーナーシュニッツェル
23日(金):ウイーンのデザートあれこれ

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月23日

アウフ ヴィーダーゼーエン!

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 空港が閉鎖を解かれて、毎日少しずつ平常に近づいています。
昨日は、何日ぶりかでドイツからの便が到着し、私たちがハンブルグで会うはずだった方々が、飛んできました。ハンブルグ会議がウイーン会議に転じたわけです。

思いのほか長逗留になったウイーンの町ともいよいよお別れです。
飛行機の出発時間までにはまだ5時間もあるのですが、いまだに混乱が続いている中で、安全を期するには早めに 「飛ぶ意思」 を表明しなければなりません。

 特に、我々のように、成田→ウイーン→ハンブルグ→ウイーン→成田 と、帰路をウイーンで乗り継ぎするはずだった乗客は、たとえ、すでにハンブルグ往復のキャンセル手続きをしたとは言え出発地のハンブルグから乗らなかったというだけで、その先の成田までの予約も取り消されてしまうリスクがあるのです。

 こうして、航空会社時代に覚えたことと、旅なれた夫の知恵を持ち寄って、今朝は朝食前の早朝に、荷物を持ってシティーターミナルに行き、早々とチェックインを済ませてきました。もう大きなスーツケースはありません。着替える服もありません。身軽になってこれから最後の町歩きに出かけます。

 バレーにもコンサートにも行きましたし、数え切れないぐらいたくさんの美術館にも足を運びました。土地の料理もたくさん食べました。美しいものもたくさん見ましたし、靴の底が随分減ったのではないかと思うぐらいにたくさん歩きました。ドナウ川の船旅もしましたし、遠く田舎の村にまで足を伸ばしました。予定していた取材もおおかた終えて、会うべき人にも会い、資料もたくさん手に入れました。

 こんなにたくさんの 「たくさん」 があると言うのに、それでも、いくつかのピースが見つからずにジグソーパズルを完成できないような気持ちが残るのはなぜでしょう。

 身軽になった身でそんなことを考えながら歩いていたら、突然、あることに気付きました。

「そうか、この国は海がないんだ!」

 閉所恐怖症転じて内陸不安症!

「長い坂道駆け上ったら 今も海が見えるでしょうか。ここは〜〜」 の土地で生まれ育った私には、やはり海に繋がっているかどうか、ということが大切なパズルのピースのようです。
しかも、それが南の海ならなおさらです。

 とは言え、贅沢は言いますまい。
 いい思い出、貴重な体験をありがとう。
 Auf Wiedersehen!
 さようなら、ウイーンの町!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月22日

幸せの形〜市民公園の光と風の中で

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 ウイーンの町は、中心部の旧市街が、「リンク」 と呼ばれる環状道路で囲まれています。銀座の1丁目から8丁目までを歩くのと同じように、雨さえ降っていなければ、東西にも南北にも、歩いてまわることはちっとも苦にならないくらいのサイズです。

 幸い、このところずっとお天気に恵まれて、リンクの内から外へと、外から内へと歩き回っています。まだ観光シーズンには早く、観光客らしき姿もさほど多くは見られません。それでも、いわゆる名所旧跡などで、ドドドッとバスから降りてきて、駆け足で見て回った後に、急かされるように再びドドドッとバスに乗り込む姿などに出会うたびに、時には退屈すら覚える、こんな日常的な過ごし方ができることを幸せに思います。

 南東のリンクを横切ってすぐの所に、市立公園があります。
 お昼休みにオフィスから抜け出してきた人たちがベンチでサンドイッチを食べていたり、芝生で大の字になって昼寝をしていたり、リードを解かれた犬が走り回っていたり、木陰で語らう恋人たちがいたり、池のアヒルにパンくずを投げ与える老人がいたり、はたまた 「考える人」 のようなポーズでじっと動かぬままの人がいたり、、、、、

 まさに日常風景のコラージュのような場所です。
 決して大きくはないごく普通の公園なのですが、木々の間にいくつもの像が散在しています。
 シューベルトも居れば、ヨハン・シュトラウスも居ます。公園入り口のすぐそばの小さな緑地帯では、工事現場のクレーンを背景にベートーベンに会うこともできます。少し歩いた別の場所には、モーツァルトも居れば、ゲーテもシラーも居ます。

 像だけではありません。彼らが住んでいた家、数々の傑作を書いた場所、演奏をした場所、眠る墓地、などの足跡が数多く残っています。

 驚くことには、これら楽聖と呼ばれる音楽家や詩人たちの生涯は、今の私たちの平均寿命と比べればとても短いのです。たとえば、ベートーベンは37歳、モーツァルトは35歳、シューベルトは31歳で亡くなっています。77歳のハイドン、72歳のシュトラウスが大長寿と思えるほどです。

 さらに驚くことは、なぜそんな短い人生の間に、時を経てもなお私たちの心を揺り動かすたくさんの曲を作ることができたのか、ということです。コンピュータも、コピー機もない時代です。

 我が身の人生になぞらえてみれば、30代などまだほんの青二才、今だってまだまだ未熟者です。業績というほどのものもなく、一生懸命積み重ねてきたことも、みな風の前の塵のようです。

 これは音楽家に限ったことではありません。ハプスブルク家の歴史の中に登場する皇帝や皇后たちも本当に短命です。最初の皇帝となったルドルフ1世はわずか18歳で夭逝していますし、16人の子供の母でありながら国政を支配した女帝、マリア・テレジアも40歳でその命を終えました。

 数々の伝説で人々の心をいまだに捉えてやまない美貌の后妃、エリーザベトは61歳にして、旅先のジュネーブでイタリア人のアナーキストに暗殺されました。彼女と夫、フランツ=ヨーゼフ1世の間には4人の子供が生まれましたが、長女は2歳で亡くなり、長男で帝位継承者のルドルフは30歳で自らの命を絶ちました。

 巨万の富も、権力も、およそ我々凡人が憧れるものを全て所有していたかのような彼らの人生を思う時、それが決して 「幸せの形」 に繋がることにはならないことにも、気付かされます。

 長くなった人生を、自分らしい幸せの形で織りなしていくこと。
無理をせず、満足を知り、優しく、感謝と共に生きていくこと。
偉大な音楽家たちのように生きた証を残せなくとも、ハプスブルク王朝の人たちのように所有するものはなくとも、公園の緑と風と光と、一杯のビールで充分に幸せになれることを知る、、、、、

 市民公園の野外カフェの光と風の中で、ビールとスープの軽い昼食を取りながら、再び 「幸せの形」 について考えるひと時でした。
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グローバルキッチンお品書き
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16日(金):ウイーン最初の夜は300年のビアレストランで
19日(月):決して高くはないと思わせる「KORSO」レストラン
20日(火):ウイーンの市場より
21日(水):ホワイトアスパラガス三昧
22日(木):ヴィーナーシュニッツェル
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月21日

火山灰疲れを吹き飛ばす「スミレの花の砂糖漬け」

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 3日間の欠航のあと、ようやく成田を飛び発ったオーストリア航空の飛行機が、昨日、こちらの時間の17時21分に無事ウイーン空港に着陸しました。同様に、昨日、東京へとウイーン空港を飛び発った飛行機も、ちょうど今頃成田に到着したはずです。

 私たちが乗るはずだったハンブルグ便は昨日も欠航。本日も欠航が発表されました。

 何しろ、ヨーロッパの国々は陸続きです。その気になれば陸路で移動できないわけではありません。たとえば鉄道を乗り継いでハンブルグに行くならば、ウイーンからチェコのプラハ経由でベルリンまで約9時間、そこからまたハンブルグまでが1時間半。乗り継ぎにかかる時間などを加えて、12時間あれば何とか到着できそうです。あるいはレンタカーという手だってあります。

 そんな陸路の旅もまた一興かもしれませんが、往路があれば復路もあることを考えると、短い間にそれだけの時間を取られることはできません。たとえ一日がかりでたどり着いたとしても、すでに予定の一部はキャンセルされていることになるでしょうし、、、

 こちらに来て、あちこちを動き回っている間に、久しぶりに世界史を勉強したくなりました。町の中心部にある王宮も、諸々の博物館や美術館も、昨日訪れた郊外のシェーンブルン宮殿も、650年にもわたるハプスブルク家の栄華と衰退の歴史をたどりながら歩を進めれば、壮大な物語が少しずつ繋がっていきます。

 点でしか知らなかった、マリア・テレジアや、マリー・アントワネット、后妃エリーザベト、ナポレオンなどの名前の間に線が引かれて行き、陸路の旅のように、少しずつ景色が見えてきます。
この町にいると、そんなことが面白くてなりません。

 15歳でオーストリア皇帝に嫁がされ、61歳で暗殺された美貌の王妃、エリーザベト(通称シシ)の物語は、誇張され、歪曲されているとは言え、まるで壮大な絵巻物を読むようです。きちんと知りたくなって、だいぶ本を買い込んでしまいました。

 ページをめくりながらしばしシシの世界に入り込んでいたら、娘からこんなメールが届きました。これまで、ハプスブルク家のことも、皇帝や后妃たちのこともただの一度だって一緒に話したことがないのに、いったい何と言う偶然でしょう!

 ウィーンにあるデメルというチョコレート屋さん
 もし前を通りかかったら「スミレの花の砂糖漬け」を買ってくれる?
 皇妃エリーザベトの好物だったんですって。
 ママも食べると良いかも
 スミレの花の効用は「完璧に幸せな気分」だそうです。
 火山灰なんてなんのその、よ。

 
 すぐさま走って買いに行きました。
 娘たちの分と、私自身の分と、大切な友の分。
 火山灰疲れも吹き飛ぶようなロマンチックな美しい円形の小箱!
 ドキドキしながらそっとリボンを外して、フタをあければ、中には小さなスミレたち。

 もったいなくて一花を口にしただけでしたけれど、完璧とは言わないまでも、フンワリ幸せな気分に包まれました。「スミレの花の砂糖漬け」 そのものの 「幸せ効果」 よりも、たぶん、こうして時空を超えて、大切なモノたちが私の中で繋がっていくことによる 「幸せ効果」 なんだろうと思います。

 決めました!5月の 「グローバルキッチン」 のテーマ。
 エリーザベトの物語と一緒に、ウイーンの料理を組み立てて見ます。
 ちなみに、4月の 「グローバルキッチン」 は、帰国後すぐに3回開催します。
 テーマは、「地中海のハーブ料理」。
 どちらも面白いですよお。などと、当事者本人が一番ワクワクしています(笑)。

 今日はウイーン大学の、ハプスブルク家ゆかりの教授とランチをします。教授も昨日、ロンドン行きをあきらめました。
 火山灰のおかげでです。
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グローバルキッチンお品書き
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16日(金):ウイーン最初の夜は300年のビアレストランで
19日(月):決して高くはないと思わせる「KORSO」レストラン
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21日(水):ホワイトアスパラガス三昧
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2010年04月20日

抗えないものを穏やかに受け入れるのも勇気のひとつ

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 昨日はこちらに来てから初めてマフラーをせずに歩ける暖かい日となりました。身に着けるものがひとつ少なくなるだけで、心も一緒に軽くなるようです。空は青く、雲は白く、飛行機が飛ぶにはうってつけの日和ですのに、、、、、

 朝早く、エアターミナルに駆けつけました。チェックインカウンターの前にはほとんど人もいないのに、「ティケット」 と書かれたカウンターには長蛇の列。情報を求める人たち、予定通りに飛ぶことをあきらめて払い戻し手続きをする人たち、、、、、

 それらをたった一人の航空会社のスタッフが、疲れた顔で事務的にさばいています。もう少し大騒ぎ状態かと思っていたのが、なんだか拍子抜けするぐらいの素っ気なさです。出発便を案内する電光掲示板では、ほとんどの便が 「Ausfall(欠航)」 と書かれています。8時台、9時台で何とか飛べそうなのは、3時間遅れのイスタンブール行きとキエフ行き、ベロナ行きぐらい。お昼過ぎの東京行きはすでに欠航が決まりました。

 私たちの翌朝のハンブルグ行きについても、皆目状況がつかめません。
 まさに 「状況がつかめない」 ことを確認に行ったようなものです。

 とりあえずは夜まで忘れることにして、気温の上がった町を歩き回り、まだ見ていない美術館を訪れ、カフェだらけの町で何度もコーヒーを飲み、それでも残る 「先の見えない不安」 を取り除くために青空の下のテーブルでビールを飲みました。

 そして、遅い夕食の前に、再び 「状況がつかめない」 ことを確認するために、エアターミナルに足を運びました。

 電光掲示板の 「Ausfall」 の数は、朝に比べれば多少は減ってはいるものの、19時台に予定されていたフライトのうち3分の2はまだ欠航です。それでも国際便がボチボチ運航を始め、モスクワ、イスタンブール、アテネ、マドリッド、リスボン、カイロ、テルアビブなどに、時間通りではないにしても出発案内が出されました。

 これだって翌日になればどうなるかわかるものではありません。運よく運航が決まったとしても、予約を持っていない乗客が乗れる保証もありません。

 あと3時間もしたら乗るはずだった今日のハンブルグ便は、「おそらく欠航」 とのこと。私たちは、ハンブルグで予定されていた全てのことをあきらめて、ホテルをキャンセルし、ここウイーンで日本へ帰る飛行機を待つことに決めました。もう 「おそらく」 に振り回される時間はありませんでした。

 一昔前までは、出発前72時間以内に 「リコンファメーション」 をすることが常識でしたが、航空券すらも 「e-ticket」 という紙切れ一枚に変わってしまってからは、空の旅は驚くぐらいに簡素化されました。けれども、こうした不測の事態が起こった時には、初心に戻って 「リコンファメーション」 をすることがとにかく大事です。

 昨晩、椅子ひとつないエアターミナルで、足を棒にして1時間半も並びながら、とにかく日本へ帰る便の 「リコンファメーション」 をしたことは正解でした。

「あなた方の東京行きの便は予約の確認がされました。もし運航できる場合は、とにかく早めにチェックインをすませてください。たくさんのキャンセル待ちのお客様がいることをお忘れなく。」

 こんな言葉の裏には、「予約確認もせずに、いつもと同じような時間に行って、さあチェックインをしようとしたら席がなかった、と言う危険だってあるんですよ。」 という警告が含まれています。

 昼間、迷い込んだ小さな教会の誰もいない礼拝堂に、モーツァルトのミサ曲が流れていました。祭壇に向かって並んで座り、薄暗い中でただ黙って目を閉じているうちに、何だか覚悟ができました。

 いったん腹をくくれば、これもまた、おまけの時間が与えられたようなものです。やり残していたことだってできます。後になればこんな経験も、「あの時は」 の枕詞で始まる貴重な思い出に変わるでしょう。そして、共にあきらめ、共に決断しながら一緒に時を過ごした経験は、パートナーとの連帯感を深めることにもなるでしょう。

 抗えないものを穏やかに受け入れるのも、勇気のひとつです。
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先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:フレンチキッチンの日焼けブランチ
火曜日:山うどの変身
水曜日:男のこだわり〜トムの場合
木曜日:男のこだわり〜ジムの場合
金曜日:ウイーン最初の夜は300年のビアレストランで
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:28| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月19日

風の向くまま 灰向くままに〜オペラ座の夜

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 こちらは日本との時差がマイナス7時間。ただいま朝の8時ですから、日本は7を足して午後の3時、ほっと一息をついていらっしゃる頃でしょうか。

 さきほど、オーストリア航空が次のような告知文を出しました。

「オーストリア時間06:00AM現在、ヨーロッパ内で火山灰の影響下にない一部のオーストリア航空の便の運航を再開します。就航路線は主にヨーロッパ東方と南方方面路線になります。火山灰の影響が大きいヨーロッパの西方・北方方面の運航の可否については、今後も注意深く分析してまいります。長距離路線は午後以降の運航の可否を判断いたします。」

 ほっとしていいものやら悪いものやら。
 何しろ 「風の向くまま 灰向くままに」 状態ですから、たとえ明日の朝、予定通りにハンブルグに飛べたとしても、今度はハンブルグで動きが取れなくなる可能性があります。または、大荷物と共にウイーン空港に行ったところで、突然、フライトキャンセル、ということだってあります。

 夫は昨日からハンブルグの講演先と連絡を取り合っていますが、先方にしても、「大丈夫、予定通り来てください。」 とも、「今回は残念ながら中止しましょう。」 とも決断できる状態ではありません。

 昨日、ホテルのカウンタで、中年の女性がレンタカーの手配をしていました。このはっきりしない状況に痺れを切らして、ウイーンからローマまで一人で運転して帰るとのこと。ヨーロッパが陸地で繋がっていることをあらためて実感しながら、それもできない我々はますます 「風の向くまま」 であることも同時に実感しました。

 さて、不穏な話題ばかりではありません。昨夜の感動をどうしてもお伝えしなければ。

 1869年にモーツァルトのオペラ 「ドン・ジョヴァンニ」 でその歴史の幕を開けたという国立オペラ座。昨夜は7時半からバレエ 「真夏の夜の夢」 最終回がありました。中に一歩足を踏み入れれば外からは見ただけではわからない圧倒的な存在感です。壁も床も天井も階段も、すべてが洗練されています。

 正装をしたカップルが腕を組んで静かに螺旋階段を上がっていく姿、音楽や芸術を日常的に身ににまとった人たちがかもしだすある種の雰囲気、気品。

 私も黒のフォーマルドレスを着て、9列3席のチケットを握り締めて席に着こうとすると、そこにはすでに7〜8歳ぐらいの小さな男の子が2人座っています。私がチケットを見せると、実に丁寧な子供らしくない物腰で、自分もチケットを見せます。たしかにどちらのチケットにも9と3という同じ数字が書かれています。詰襟型の白いジャケットをきちんと着こなした坊やが、私のチケットを見て、「マダム、(この後はドイツ語でしたのでわかりません)」、そして反対側を指差すのです。なるほど、同じ9−3でも右側と左側があるようで、私の席は舞台に向かって右側でした。この白い正装の少年の横には、やはり同じような年格好の坊やが座っていました。そして、こちらも黒の上下のスーツに赤い蝶ネクタイをして、きちんと背筋を伸ばして席に座っているのです。

 この少年たちばかりではありません。幕間には、ロングドレスを着た小さな少女たちもあちこちに見られます。こうして小さい時から、きちんとした場で、大人と同じ体験をさせて、空気を上手に身にまとわせていくのでしょう。

 バレエはただ一言感激でした。メンデルスゾーンを奏でるオーケストラの技量、見事に演出された 「真夏の夜の夢」 の幻想世界、ため息が出るほど美しいダンサーたちの羽のような身のこなしと表現力、、、、、、、人間のからだがこんなにしなやかで、こんなにたくさんのことを表現できるものだとは、、、、、、、、

 幕が下りたあと、再び姿を現したダンサーたちに湧き上がる 「ブラボー」 の洪水。
 慣れた手つきで 「ロージェ」 と呼ばれるボックス席から、身を乗り出して眼下の踊り手たちに花束を投げかけるタキシード姿の紳士たち。そしてそれを、また、慣れた手つきでキャッチする舞台の上の踊り手たち。

 気がつけば、頭上に高く覆いかぶさる火山灰のことを完璧に忘れていた2時間半でした。

 とはいえ、いつまでも夢の世界にたゆたっていることはできません。これから情報収集に空港へと行ってまいります。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月18日

春の日の幸せ〜ドナウ川の流れと共に

11P4173766.JPG2P4173771.JPG3P4173786.JPG4P4173791.JPG5P4173804.JPG6P4173826.JPG7P4173819.JPG8P4173811.JPG 空はこんなに青く澄み渡っているというのに、アイスランドの火山灰はさらに高く空を覆っているのでしょうか。空港が閉鎖されたまま、先の見通しが立ちません。飛行機での移動をあきらめた人たちが、大きなスーツケースを持って、ウイーン西駅の国際列車の切符売り場に長い列を作っています。春の光も届かぬ駅舎の中で、この一角だけは閉塞感で息が詰まるようです。

 どうしようもできないことを案じるよりは、成り行きにまかせようと、ドナウ川流域のヴァッハウ渓谷の小さな町を訪ねることにしました。まずは混雑するウイーン西駅から、電車で1時間半、丘の上にそびえる壮大な修道院が中世の家並みを守るように君臨するメルクの町です。

 絢爛な装飾を施されたまばゆいばかりの教会内部よりも、心魅かれるのは、誰も足をとめないような静かな部屋が織りなす光と影のコントラスト、テラスから見晴らす川と町の眺望、そして足元に咲き始めた小さな野の花です。それらのものに、より一層、人々の喜怒哀楽と共に流れてきた、悠久の時の広がりを感じます。

 メルクの船着場から、午後の船に乗ってまた1時間半、降り立ったのは、イギリスのリチャード獅子心王が、十字軍遠征からの帰り道に幽閉されてしまったという、伝説の古城がそびえるデュルンシュタインの町です。町を囲むブドウ畑はタンポポに覆われ、陽だまりの中で飲んだビールの魔法も手伝って、石畳の狭い路地を歩く一足ごとに心が解き放たれていくようです。

 川沿いの道で、結婚式に向かう新郎新婦に出会いました。
 歴史の重みを受け継いだ小さな中世の町でも、人々はごく普通に生きています。

 ウイーンへの戻りは、デュルンシュタインからクレムスで特急列車に乗り換えて。

 点と点の飛行機の旅と違って、2つの点を線で引くような列車の旅や、船の旅は心が躍ります。ドナウ川は、苔のような深い緑の水をたたえて、空高い火山灰などには目もくれぬかのように、ゆったりとゆったりと流れていきます。

 川岸を走る自転車が、1、2、3、4、5、6台。
 そう言えば、メルクの町で借りた自転車をデュルンシュタインで返却することができると聞きました。川の流れと一緒に春の川岸を走るのは、また格別なことでしょう。

「次は自転車にしよう。」
「ええ、そうしましょうか。」

 こんな風にさりげなく「次」を口にできるのも、春の日の幸せです。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月17日

大人の町でオロオロと

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 着いた日も、その次の日も、傘を手放せなかったのが、3日目にようやく太陽が顔を出しました。風は冷たいものの、お日様の光があるというだけで、こんなに心が伸びやかになるものでしょうか。人も花も鳥も、町でさえも、春への期待の中で浮き足立っているように見えます。

 顔を上げ、あたりを見回しながら、明るい光の中でゆっくりと歩いてみれば、雨の中を震えながら足早に歩いていた時には見えなかったものたちに出会います。公園ではチューリップが花開き、満開の木蓮の下のベンチでは本を読む人がいて、街角では鳩が羽を休めています。

 にわかに外に出始めた人たちを迎えて、町はソワソワとした活気を見せ始めました。寒さも厭わぬウイーン子たちは、外の光の中でお茶を飲み、食事をし、明日はまた隠れてしまうかもしれない太陽を目一杯いつくしんでいるようです。

 風船売りのピエロがいるかと思えば、ストリートダンスを披露する男の子たちがいます。どこにいてもどこからか音楽が聞こえてくるようなこの町で、前の日には雨をよけて軒下で歌を歌い、楽器を奏でていたストリートミュージシャンたちも、通りに出てきました。

 町のメインストリートに車の乗り入れが禁止されたのは、もう30数年前だと言います。摩天楼のようにそびえたつ高いビルもなければ、まっすぐに区画整理された道もありません。古い建物は古いままに町を作っています。「たたずまい」 という、そこはかとなく美しい言葉が似合い、栄華を経たものだけに許される、残り香をまとった大人の町です。

 どこに行っても、「この町に住んだらどうだろう?」 と考える癖のある私にとって、たったの3日で答を出すことはできませんが、この町は私にとっては大人すぎるような気もします。

 お日様のおかげでようやく軽やかな一日を過ごせたと言いますのに、昨夜、困ったニュースが飛び込んできました。アイスランドで起きた火山の噴火で、いよいよウイーンの空港も閉鎖されたというのです。3日後にはハンブルグに移らなければなりませんのに、全く先の見通しがつかなくなりました。

 アイスランド気象庁の専門官によれば、「前回から2世紀もたって起こったこの噴火活動は、数日から数週間続きそうだ」 とのこと。火山灰が風で流された地域は航空機の飛行が再開できますが、逆に、火山灰の移動とともに飛行ができなくなる地域も移動します。

 私たち人間の力ではどうにもできないこの大きな自然現象にまきこまれて、私はもうすでにオロオロと心配をしています。かたや、大きな仕事を控えているはずの夫は、相変わらず泰然自若として、

「クヨクヨしたってしょうがないよ、どうにもならないんだから。
 いよいよとなったらオリエント急行でイスタンブールまで行って、そこから飛んで帰るって手もあるだろう?それも面白い経験かもしれないよ。」

 日常生活でも、旅の途中でもこんな不測の事態が起きるたびに、つくづく二人一緒にオロオロ、クヨクヨせずによかった、と、この取り合わせに感謝をします。それにしても、いったいどうなってしまうのでしょう?

 「しょうがないよ。」 と言われても、「あれはどうしよう、これはどうしよう。」 と、公私にわたって、いろいろなことが気になってきて仕方のない小心者の私です。やっぱりこの大人の町には合わないのかもしれません(笑)。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月15日

トウの立ったパレアナのピンチ

C~1.JPG ちょっとピンチに陥っています。

 思いっきり怠け者でいられる快適な空の旅のはずが、着陸30分前のアナウンスを聞きながら、突然、致命的な失態に気が付いてしまいました。大切なものを机の上に置いてきてしまったのです。

 デジカメとPCをつなぐケーブル。
 これがなければ、いくら写真を撮ったってPCに取り込めません。
 と言うことは、、、、、、

 そうなんです。いくらせっせと 「ウイーンの日常生活」 を綴ったところで、写真なし。
 かなり切羽詰って、暗い顔で考えました。
 飛行機を降りてからもずっと。

 もしも小さな救いがあるならば、携帯電話で撮ったピンボケ写真をPCに送って使うこと。
 でも駄目でした。なぜか送信不能。
 こういうハプニングが起こると、いきおい私のメカ音痴が露呈して、なすすべもありません。

 結果、久しぶりに 「パレアナ思考」 にすがることになりました。

 子供の頃の愛読書に 「少女パレアナ」 という本がありました。両親が亡くなり叔母に引き取られたパレアナが、数多の困難に陥りながらも、「喜びの遊び」 で元気を取り戻すというお話です。

 たとえば叔母さんにあてがわれた何にもない屋根裏部屋。

「片付けが早くすむからいいわ」
「鏡がないのも嬉しいわ。そばかすが見えないもの。」
「こんな素敵な風景が窓から見えるのですもの。絵なんかかけなくてもすむわ。」
「おばさんがこの部屋をくだすって嬉しいわ。」

 雨が降って楽しみにしていた外出ができなくなれば、「よかったわ。家にいればやりかけのことが片付きますもの。それに、次の晴れた日がよけい素敵に思えるでしょう?」。

 こんな具合です。要するに、どうにもコントロールできないことならば、「いっそ楽しんでしまった方が楽」 という圧倒的な楽観主義です。イソップの 「酸っぱい葡萄」 のキツネさんの心理にも通じるものがありそうです。

 だいぶトウが立ったパレアナが至った結論は、

 まあ、カメラそのものを忘れたのでなくてよかった。
 まあ、コンピュータが動いてくれるのだからよかった。
 まあ、ネットにも接続できるのだからよかった。
 まあ、たまには写真抜きも、手間要らずでいいかもしれない。

 とは言え、やっぱり 「○○のないコーヒーなんて」 状態。パレアナはまだまだへこんでいます。しょうがない、しばらくはウイーンとは関係のないお気に入り写真を貼ってみたり、無料のサイトからお借りしてきたり、で、しのぐと致しましょう。

 その代わり、戻りましたら、東京とはおよそ関係ないウイーンの写真ばかりが載ったりして(笑)。

 飛行機を降りると冷たい雨が降っていました。雨は夜中まで降り続き、晴れていたらさぞ美しいだろう街を歩きながら、靴の中までが冷たく濡れてきます。荷を下ろして、直行したのは国立オペラ座。オペラは完売でしたけれど、運よく、日曜日夜のバレー「真夏の夜の夢」が取れました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

2010年04月14日

次の「日常生活」の場へと

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 「華のウイーンに仕事(資料)持参でいらっしゃるナオミさんの海外旅行は、日常生活の一部になっているのですね。凄いことだと思います。」

 締切を前に、共にあるプロジェクトで仕事をしているパートナーであり、積年の友からの、こんなこんな餞(はなむけ)の言葉に送り出されて、また移動します。

 あまりに早く目覚ましをかけたら、やっぱり失敗。
 大慌てで、『必要になりそうなもの』 をとにかく、ポンポンと大きなスーツケースに放り込んでいます。

 次の 「日常生活」 の場ウイーンから、また、いろいろなおしゃべりをさせていただきます。

 それでは失礼します。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月13日

なんて素敵な春の日!

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 降り続いた昨日の雨の後にやってきたこんな美しい日!
 塗れた地面に桜の花がしっとりと貼り付いています。
 あまりに気持ちがいいので、私の部屋の窓を開け放ちました。
 窓を開ければ、静かな住宅街のはずなのに、色々な音が聞こえてきます。
 ホーホケキョという鶯の鳴き声、高い空を行くかすかな飛行機の音、誰かが何かを叩いている音、犬のお散歩都中に出会った人たちが挨拶を交わす声、、、、、
 みんな春の日を生きています。

 一日が終わりに近づくにつれて、ますます時間の余裕がなくなって、夕刊を広げるのはたいてい翌日になります。朝にはコーヒーを飲みながら朝刊の紙面に目を通し、夜には夕飯のくつろぎの後で夕刊のページを繰る、そんな規則的な生活と、そんなちょっとした余裕が、心身のリズムをきっと心地よく保ってくれるのだろうと、わかってはいながらも、まだまだ私の生活は、そんな憧れからは程遠く流れていきます。

 これは、忙しいか忙しくないか、ではなく、たぶん自分の意思の弱さとだらしなさのせい。
 それもわかっています。だって、やることの順番を潔く変えるだけの話なのですから。「潔く」 などという言葉がおこがましいくらいに、簡単なことのはずです。

 などと今朝も反省しながら、一仕事を終えてようやく昨日の夕刊を開いたら、、、
 13面、つまり最後のテレビ面の裏側にあたる紙面が訃報で一杯でした。

 井上ひさしさんも、ばばこういちさんも、福田陽一郎さんも亡くなりました。75歳だったり、77歳だったり。

 血気盛んな青年時代や、子育てや仕事に忙殺されていた時代には、まず流し読みしていた小さな訃報に目を留めてしまうのは、やはり自分に割り当てられた時間のことを考える年代になったからでしょうか。

 「自分の死が視野に入ってきたのかもしれない。父が亡くなった歳はとっくに超えたし、友人たちにも欠けた者が少なくない。平均寿命の表によればぼくはあと十八年ほど生きるらしい。それを前提として残りの日々を組み立てなければならない。」

 「十年後の幸福な自分を想像しよう。そうやって絶対に無になるはずがない未来へ向けて自分を鼓舞しよう。たぶんそれが生きるということだ。」

 これは、ごく最近、やはり後読みの夕刊で目にした私の好きな作家の言葉です。

 先週の金曜日の夜、長嶺ヤス子さんのフラメンコの舞台を見ました。6時半に幕を開けたステージは、途中15分の休憩をはさんで、終演となったのは予定を大幅に超過したほとんど9時半に届く頃。

 何度も衣装を着替えては、激しいステップを踏み、射抜くような挑戦的な眼差しで共に踊るスペイン男たちを見据え、全身からほとばしり出る強烈なオーラで男たちを眩惑し、ひたすら踊り続けます。 

 カーテンコールの後、再び舞台に立った彼女が言いました。

「わたし、74歳になりました。この男の子たちはみんな30代。かわいい息子みたいなもんですよ。」

 どうせ年を取るなら格好よく取りたいものです。十年後の幸福な自分を想像しながら、謙虚に残りの日々をを組み立てて、未来へ向けて自分を鼓舞したい。

 それにはまず、朝には朝刊を、夜には夕刊を読むようにしなければなりません(笑)。

 風もないのに花びらがひっきりなしに降り続いています。わずかに見えている土も、もうすぐピンクの花弁におおわれることでしょう。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月12日

心配させてくれてありがとう!

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 小雨模様で始まった月曜日。昨日のまるで初夏のような陽射しが夢を見ていたようです。

 昨日は特別な日でした。
 横浜の海のそばの病院で、朝8時15分に産声をあげた2800グラムにも届かない小さな赤ん坊が、30歳のお誕生日を迎えたのです。

 特別な日に明るい日差しに恵まれて、まだ桜花も残る中、三家族がそろって特別な場所で祝福の時を持ちました。ふと足を留めてみれば、いつの間にやら家族の輪が広がって、大切な人たちが増えました。これからも、もっと増えていくことでしょう。

 六本木ヒルズのホテルの 「フレンチキッチン」 は、孫息子が生まれる直前の5月の日に、お腹の大きな娘と食事をした場所です。2年前のあの日も昨日のように美しい初夏の日差しにあふれていました。

 同じ場所に集った中には、あの時にはまだこの世界に出てきていなかった小さなイタズラ者が一人。あちこちと歩き回って探検をしたり、私のカメラを奪い取って写真を撮りまくったりしています。後で見たら、こんなシュールな写真が30枚もありました(笑)。

 大切な人が増えていけばいくほど、愛する人たちが増えていけばいくほど、葛藤や、心配や、悩みの種も一緒に増えていきます。

 母として、妻として、祖母として、、、、、家族の輪の中で担うたくさんの役割の中で、そんな時、いつも呟くのは、「心配する人がいて良かった!」

 そして、年と共にだんだんと家族の大切さが身に染みてきます。一緒にいても、離れていても、いつも願うのは大切な人たちが無事に、優しく、強く生きていくことです。

 そんな気付きが、踏み出したばかりの私の第二の人生の選択肢に大きな影響を与える価値観のひとつになりそうです。

 桜は人知れず山の中に咲いていようと、こうして都会の真ん中でたくさんの人たちに愛でられようと、変わらずに美しい。
 どこにいようと春には同じように咲いて、同じように散っていく。

 帰りの道が、花びらで敷き詰められていました。

 ママの大切な娘、お誕生日おめでとう。
 いてくれてありがとう。
 心配させてくれてありがとう。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月11日

みんな、もう少し

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 まだ大学3年生だった去年の秋から就職活動を続けている学生たち。
 電車に乗れば、必ず一人や二人はいわゆる 「リクルートスーツ」 に身を固めた姿に出会います。
 やけに緊張している様子が伝わってきたり、自身を喪失した暗い表情が見られたり、かと思えば、足を組んでガムをくちゃくちゃ携帯メールを打っていたり、鏡を取り出して眉描き作業に熱中していたり、、、、、、

 緊張組には心ひそかに呼びかけています。
「大丈夫、大丈夫、ほうら深呼吸をして、気負わずに君らしくやってきなさい。」

 暗い顔組には心ひそかに励ましています。
「辛いのは君だけじゃないよ。歩いていることだけでも君は成長しているんだよ。」

 そして、リラックス組には心ひそかに警鐘を鳴らしています。
「ちょっと君たち、電車の中は公の場。しかも君たちは今、誰から見ても一目でわかるシューカツ(就職活動)生という特別な存在。スーツを着ている時ぐらいはシューカツマナーでいましょうよ。」

 正直なところ、この時期は学生たちにとって本当に辛い時です。ゴールデンウィークに近づいていくにつれ、内々定の報せに踊り立つ友を見ながら、先の見えない不安に飲まれそうになります。とりわけ、最終面接まで進みながら、最後の最後で不採用だった学生たちは、いったんは大きな期待を持たされただけに、その落ち込み具合もひとしおではありません。

 私のところにもこの1週間で、思い悩む学生たちからたくさんのメールが寄せられています。

「最近ではテレビ制作系がほとんど全滅し、幅広く業種を見ているのですがどうしても面接を突破できず、もどかしさでいっぱいです。」

「目標を切り替えてみたのですが、どうしても志望動機が書けません。このままでは先に進めるか心配です。どこの企業でも私が見ている会社は競合が多く勝ち残れる自身がないなど不安要素がたくさんあり苦しんでいます。」

「福岡まで社長面接に行きました。『君みたいな人が来てくれると我々も嬉しいよ。』などと言われたのに、翌日不採用通知が来ました。もう何を信じていいのかわかりません。」

「明日提出の○○生命のエントリーシートです。ギリギリで申し訳ありませんが、ちょっと読んでいただけますでしょうか。突然自信がなくなってしまいました。」

「先日まで手の上に8社もあったのに、みんななくなってしまいました。自分のような者でもいったい就職できる会社があるのでしょうか。」

 今の時代のこんな就職活動はやっぱり間違っています。これほど長い間、心身をささげ、翻弄され続けている間に、去年のスタートの時点では、理想に燃えて夢を語っていた青年たちが、無理やり自分を相手が求める形に合わせようとしていきます。素晴らしい個性を埋没させて、だんだんとこじんまりしていく彼らを見るのは辛いことです。

 そんな中、昨夜、嬉しい第一報が届きました。
 
「□□社に総合職として内定をいただきましたことを報告させていただきます。
現在も就職活動は続けています。(やめるように言われましたが・・・)
これから受けようと思っている所が2社、結果待ちが3社あります。
とりあえず無職になることはないと思ったら安心して、ようやく伸び伸びと自分らしさを発揮できそうです。」

 みんな、もう少し。
 しょうがないね、変えることができない仕組みなら、せめて楽しいことを見つけてほしい、
 たとえば、こんなにたくさんの会社の中に堂々と入れるなんて、今しかないかもしれない。
「落ち込むな」 とは言わないけれど、ひとしきり落ち込んだら、また歩き出してほしい。
 聞き飽きた言葉だろうけれど、歩いていれば違う景色も見えてくる。
 歩き続ければきっと抜けられる。
 出口からは光にあふれた広い世界が見えるかもしれないよ。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年04月10日

空気をまとう

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 起き抜けの早朝に、スーパーへ車を走らせお昼のお客様のための食材を買い足し、郵便局へ寄って手紙を出してきました。24時間開いているスーパーや郵便局があるというのはつくづく便利なものですが、トマトも苺も一年中食べられるようになってしまったのと同じで、時間のメリハリが付かなくなりました。開いていて当たり前、食べられて当たり前、に慣れてしまうと、そのありがたみも薄れます。

 フレッシュハーブをたっぷり使った料理を作ろうと、買い物をすませ、まだ家人も起きてこないうちにトントンとハーブの葉を刻みました。ローズマリー、タイム、オレガノ、スペアミント、レモンバーム、ディル、スイートバジル、、、、、、、新鮮な香の中で、白ワインと一緒にお肉用のマリネー液を作って写真に撮ったら、まるで春の陽の中でキラキラ光るステンドグラスのようになりました。

 朝の台所の空気をまとうのが好きです。
 ようやくそんな余裕が持てるようになりました。
 台所が戦場から、癒しの場に変わりました。

 4月6日の火曜日、東京に新しい美術館がオープンしました。東京のど真ん中、丸の内です。1894年に原設計されたという明治の趣を残す煉瓦造りの重厚な建物は、決して空に向かってそびえ立つこともなく、緑の木々によく似合います。一歩入れば、優しくほのかな光の中で、磨きぬかれた木の床が美しく、真鍮のドアノブが懐かしい思い出を誘います。時折仕事で訪れる横浜山の手のミッションスクールの、床とドアと空気に似ています。この学校も1871年に創立されました。

 これが、三菱一号館美術館。7月25日まで「マネとモダン・パリ」展を開催しています。

 マネのいくつかの絵にも、パリにも心惹かれますけれど、行って良かった、と思うのは、あの空気の中を歩いたこと。

 かたや、こちらは15年前にオープンした東京都現代美術館。
 マネを見た後で、友人の絵を見に寄ってみました。

 眩しい光が作る影までが全て計算された、その名の通り、まさに 「現代」 美術館です。1階にも2階にもいくつもの展示室が並び、広い廊下はカフェとなり、外のベランダからは桜の木々と共に高層ビルが見渡せます。3階にはその名も知れたフランス料理のレストランがあります。ここに行き交う人を見ていると、まるで小さな街にいるようです。

 三菱一号館美術館とは対照的な美術館ですが、私はこの「街」を歩くのも大好きです。特に何を見に行くのではなくとも、ただ歩き、カフェでコーヒーを飲み、天気がよければ外テラスで本を読みます。空気の中を歩くのが好きなのです。

 空気をまとった後は、たとえ裸の王様であろうとも、何だかとても素敵な装いに着替えたように、心がはずみます。
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先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:青いパパイヤのサラダ
火曜日:タイの芋汁粉
水曜日:グリーンカレーその1
木曜日:グリーンカレーその2
金曜日:お皿の上は華麗な花園〜カービング
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月09日

まさかのオウム?

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 まだ残る花々の間に、明るい緑の葉が見られるようになった桜です。そんな折に、びっくりするような素敵なお客様が来ました。

 庭の桜の枝が風もないのに動いています。花の間から何か動くものが見えます。
 それが時折、姿の一部を覗かせます。
 とうとう全体がわかる時が来ました。
 大きな鳥です。頭から尻尾の先まで50センチもありそうなぐらい。
 しかも、美しい緑色です!

 まるであれです、あれ。
 素人のバードウォッチャーにはそれ以外のことは思いつきません。
 オウム?

 まさか、オウムが庭の木に飛んでくるなんて。
 ここはニューギニア?
 籠の中から逃げてきたのでしょうか。
 
 もっと不思議なことは、驚くような偶然。
 オウムのことなんて日常生活ではほとんど考えたこともないのに、たまたま、昨日の朝、「グローバルキッチン」 のブログの中で、南太平洋の島の市場の思い出に触れたのです。
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/d/20100408

「南太平洋の島では、本物のオウムと、木彫りのオウムを並べて売っているオジサンが、『お嬢さん、どっち持ってく?』」

 この2行を書き終えて、コーヒーができたという夫の呼び声に二階の居間に上がって行ったら、突然、桜の木の来訪者に遭遇してしまったのです。

 その昔、少年時代には親に見つからないように早朝に抜け出しては、近くの川岸まで野鳥の観察に行っていたという夫。アメリカの家の書庫には、今ではまるで想像も出来ないような几帳面な字と、丁寧な絵で書かれた 野鳥観察日記」 が残っています。そんな彼も、首をかしげながら、「オウムかなあ。事典を調べてみなければ、、、」

 またしてもうっかり癖で、時間を1時間間違えました。
 急いで出かけなければなりません。

 庭に面した窓のそばに、こんな桜もどきの花をいけました。窓を開け放っておけば、オウムがまたやってきてくれるかしら。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年04月08日

一人足りない、、、隠れん坊でもあるまいに

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 4日の日曜日に、私の家で予定されていた恒例の 「観桜会」 が、友のあまりに突然な急逝の知らせにいったんは見送られたものの、やはりこのままでは腑に落ちないと、昨夜、仲間たちが集いました。

 場所は、亡くなった友と最後に杯を重ねた神保町の店。
 階段を上がって一番奥の、あの同じ個室の座敷で円卓を囲むのは8名。
 12月10日にはたしか9名だったはずなのに。

 18歳の時から、着かず離れず、けれどもいつだって私の原点のひとつであり続けている仲間たちです。バンクーバーから戻ってすぐに届いたのは、すでに亡くなった友からの私たちへのメッセージでした。「みんなに心配をかけるな」 と固く口止めされていた夫人が、彼の死後に私たちに送ってくれたものでした。

「やや早逝の感がありますが、それは本質的なものだとは考えておりません。
 これは、強がりではなく、生あるものがいつかは滅するものであり、
 人生の意義はいかに自分にとって充実したものであり、
 宇宙の素晴らしさを認識するものだと考えて来、
 その点については充分達成できたものと考えているからです。
 決して不幸な感じで旅立つわけではないので、くれぐれもご心配なきよう。」

 その後、いくつかのことがわかりました。昨年の秋に人間ドックを受けた時には何の異常も見つからなかったこと、2月に病院へ行く直前も夫婦で旅行に行っていたこと、お腹が痛くて軽い気持ちで診察を受けたら、すでに膵臓癌の末期だったこと、そして、余命1ヶ月を宣告されたこと。

 その1ヶ月さえも全うせずに、友は逝きました。
 こんな理不尽で不合理で不条理なことを、いったいどう受け止めたらいいのでしょう。

 一人では決してできなくとも、みんな一緒ならきっとそれができるだろう、と思っての集まりでしたが、結局、最後まで私たちは狐につままれたままでした。隠れん坊で一番最後に押入れの奥から出てくる一人のように、今にもどこからか顔を出しそうで、酸いも辛いも充分にかぎ分けて来たはずの私たちが、迷路をさまよいました。

 そんな中でも友の死は、残された私たちにたくさんのことを考えさせました。
 当然のことのように生きていても、実は明日のこともわからない、というこの世に生まれた命のはかなさ。
 それなら今、何をするべきかという真摯な思い。
 自分にとって何が一番大切なのかという問いかけ。

 「さあ、そろそろお開きに」 と言うと、また誰からともなく話が始まって、なかなか本当のお開きにはなりませんでしたが、最後の最後にこんな言葉が出されました。

 「これからはさあ、もう少し頻繁に集まらない?1年に4回ぐらいは。」

 そして、みんなが手帳を取り出し、7月の集まりの日が決まりました。場所はもちろん昨夜と同じ所。亡くなった友も一緒に出られるように。

 そしてもうひとつ、こんな悪い冗談が出たのです。

「一人ずつ数が減っていくんだろうね。でも最後の一人は決まってるね。ナオミさん、僕たちのこと頼んだよ。」

 冗談じゃあありません。まっぴら御免です、そんなこと。
 
 写真は12月10日に撮ったものと、昨晩撮ったもの。
 同じ場所の同じ部屋のおそらく同じ時間。
 何度数えてみても一人足りません。
http://blog.platies.co.jp/archives/20091213-1.html

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記