2010年03月31日

なんか余裕があったなあ、、、、、

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 昨日届いた水色の封筒、「ねんきん定期便」。
 これまでの私の年金加入暦が記載されています。誤りやもれがないかどうかを確認するためのものなのですが、面白かったのが標準報酬月額状況です。つまり、私の過去の月給一覧表のようなもの。

 だいたいが忘れっぽい上に、特に数字となるとからっきし弱いものですから、実は自分の初任給など思い出したくても思い出せずにいました。こんな私にひきかえ、昨年亡くなった母親はとても几帳面で、数字記憶力もなかなかの人でしたから、生前に、「あなたが日本航空に入った最初のお給料はね、、、、」 などと聞いたこともありましたが、それもまた詳細な数字は忘れてしまいました。

 私のキャリアのスタートはJAL、日本航空。昭和47年のことですから今から37年も前。

 お給料の額は覚えていなくとも、4月1日、羽田空港への初出勤の日に自分が着ていた服はよく覚えています。母がこの日のために買ってくれたベージュのスーツでした。ブラウスには黄金色に黒の模様が施されていました。この模様を称して、亡くなった父が呟いた言葉もよく覚えています。
「女って字がたくさん書いてあるみたいだね。」

 さて、「ねんきん定期便」 によれば、私の初月給は5万2千円です。半年後には6万4千円になり、ギリシャに移り住むためにJALを辞めることになった3年3ヶ月後には11万円になっていました。

 そんな話を夫にしたら、彼がまた思い出話を語ってくれました。私とちがって、しっかりと数字を覚えています。

「最初の仕事は高校生の時、1955年だった。デパートで箱詰めをするアルバイトをしたよ。その時の時給が75セント。今ではきっと9ドルから10ドルにはなっているだろうね。」

「1966年、シカゴで弁護士としての最初の仕事は年俸7千200ドル。今ならたぶん、フルタイムで弁護士事務所に勤めたら、さだめし9万ドルぐらいがスタートじゃないかなあ。」

「1968年、最初に建てた家は3ベッドルーム、土地付きで1万4500ドルだった。それが1972年には4万ドル。今ならきっと50万ドル?」

 この何十年かの間に、私たちのお給料は10倍近くになっています。けれども物価の方も10倍あるいはそれ以上。生活の質の方はどうでしょう。

「う〜ん、もしかしたらあの時代の方が豊かだったかもしれないなあ。」
「私もそんな気がする。インターネットも携帯電話もなかったけれど、なんか余裕があったなあ。」

 今日の夜桜です。ようやくここまでになりました。
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先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:骨付きラムのハーブソース
火曜日:ロベルタちゃんの苺ショートケーキ
水曜日:ブランチマフィン謎の中味は?
木曜日:五人五様のサンデイブランチ
金曜日:料理本マニアです!
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2010年03月30日

張りのち揺み 緩みのち張り

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 時差ぼけが遅れてやってきたのか、はたまた調子に乗って動きすぎたのか、突然の睡魔に襲われて、「10分だけ。」 と床の上にまあるくなったのが甘かった。気づいてみたら3時間もたっていたのです。

 かなり焦りました。送らなければならない原稿もありましたし、何たって今日の 「グローバルキッチン」 の準備だって途中だったのですから。失われた3時間は大痛手です。慣れないお昼寝で、かえって疲れが出たように、目覚めてからも頭がぼんやりしていてすぐには使い物になりません。

 ずっと心にひっかかっている仕事がありました。目下、ある大学のGP (特色ある大学教育支援プログラム)のお手伝いを頼まれて、コミュニケーションスキルを測るための アセスメントツール作成を請け負っています。最初の打ち合わせからもうすぐ2ヶ月。幸か不幸が締切までまだ少しありますので、いつもの悪い癖から先々延ばしにしてきました。さすがに気が引けて、膨大な資料の山を鞄につっこんで、シアトルまでも持って行きましたが、なかなか集中して時間が取れません。

 さすがに 「これではいけない」 と焦り始めました。焦りは次第次第にストレスへと変わり、目覚ましが鳴るよりはるかに早く目覚めるや、つい考え始めてしまいます。ガバッと起きて資料を読み始めても、麓をグルグルとまわるばかりで登り口が見つかりません。

 この仕事は二人で行う協働作業です。思い余って相方に電話をしてみると、「実は私もなの。」 という返事。それならばいっそのこと、二人一緒に集中作業をして目処をつけちゃいましょう!ということになって、会う日と時間と場所が決まったのが昨日のこと。午前10時に開始して、とにかく頂上になるべく近い所まで、何時間かかっても一緒に登ることにしたとたん、それまでかかえていた重荷がすーっと軽くなりました。

 これが緩みのひとつでした。しかも、もう一つあります。
昨日、無事に大きな仕事を終えました。「大きな」 と言っても決して物理的な意味ではなく、きわめて心理的なものです。

1989年以来、21年近くも連綿と、家と大学の間を車で往復してきました。これが、とうとう昨日、最後を迎えたのです。在職していた16年間は自分のために、退職してからの年月は夫の送り迎えのために。けれども、今日からはそんな必要もなくなりました。夫は昨日、最後の務めを終えました。

 正直なところ、忙しい中での往復はしんどいこともありました。けれども、毎朝の車の中での夫とのコミュニケーションは貴重な情報交換の場であり、たがいを理解しあう場であり、私たちの一日の始まりの儀式でした。そして、私が喜怒哀楽の全ての感情と共に長い年月を過ごしたその仕事の場は、四季折々に様相を変える美しいキャンパスでした。特にこの季節は、様々な思いと共に、桜のトンネルの中を走り抜けました。

「これで最後だね。君ももう毎朝ここまで車を走らせなくてもよくなる。」 と、言われた時に、開放感と寂しさが同時にやってきました。わかっていたはずなのに、急にポッカリと穴が開いたようで、それが気の緩みに変わりました。

 どっと押し寄せてきた昨日の疲れは、たぶんこの2つの気の緩みから。
 
 元来がいたって丈夫で、めったに風邪すらひくこともないのに、昔からGWなどのまとまった休みになると体調が悪くなることがありました。こんなことも、もしかしたら同じことなのかもしれません。

 張りのち緩み、 緩みのち張り。そんな風にほどよくバランスを取っていくことができれば、きっと楽になるんでしょう。できるかなぁ、、、、、

 最後の桜はまだ6分咲きでした。
 今年は満開の姿を見ることもないのかと思うと、再び寂しさに包まれます。

 写真は一足先に、愛でてきたシアトルとバンクーバーの桜です。
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2010年03月29日

駄目です、今日はギブアップ

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 「ナオミさん、すごいですねえ、時差ぼけってないんですかぁ」
 などと、昨日の会で言われて、「なんかないみたい。」 などといい気になっていたら、災害は忘れた頃にやってくる、、、、いえいえ、走った後の筋肉痛もしばらくたってから来るのが加齢です、などと言われる現象? たしかに、今月に入ってから少々無理が過ぎました。「いいや、いいや、寝なきゃいいんだから。」 などと、言っていた罰があたったのでしょうか。

 いえいえ、たぶん、あれ、あれでしょう。

 ともかくどっと疲れがおし寄せてきて、立っていられないほどの眠気に襲われてダウンしました。文字通り、仕事部屋の絨毯の上にダウンです。そのまま時がたって、、、、とんでもないことになり、かなり焦っている最中です。

 とりあえず今日はここまで。
 「あれ、あれでしょう」についてはまた明日。

 お詫びのしるしに、先週の月曜日に、バンクーバー島ブッチャートガーデンで撮った花々の写真をどうぞ。(などと誤魔化しながら、冷や汗、、、、、、)
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月28日

こんなことを始めたわけ

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 今日は、1月から始めた 「グローバルキッチン」 3月の回の第二回目。今月のテーマは 「タイの台所」。甘さと辛さ、酸味としょっぱさの4つの味覚が素晴らしいハーモニーをかもしだすのがタイ料理。今日も冷たい前菜、温かい前菜、サラダ、メインディッシュ、デザートのフルコースメニューでした。

 毎月参加してくださる方々に、新しいメンバーも加わって楽しく時間が過ぎていきます。女を3つ書くだけで姦しい、10も書けば3倍以上も賑やか。せっかくの荘厳なタイの古典音楽も、あちこちから沸き起こる笑いとおしゃべりでかき消されます。

 予定ならば、庭の満開の桜を見ながら、トントンと石臼で香辛料を叩くはずだったのが、残念ながらまだ3分咲き。それでも床にペタリとすわってみなで交互にトントンすれば、木棒が石にぶつかる音の中で、つぶされていく食材からふわりと立ち上る様々な香りが心を癒してくれます。友を失った悲しみも、先々の不安も、忘れていられるひと時です。

 こんなことを始めたのには訳があります。おおぜいの人たちが気楽に集まり、共に楽しむ場を作りたかったこと、これまで色々な地を訪れ、色々なものを食べ、集めてきたレシピを何かの形にしたかったこと。そして、、、、、

 若い頃は、とにかく外へ出たくてたまらなかったのに、不思議なもので年々、日本という国が、東京という都市が、面白くなってきました。家の中に居ることが、小さな自分の仕事部屋で過ごすことが、快適になってきました。ところが、できるだけこの国で暮し、できるだけこの国で仕事をしたいと思うのに、なかなか一筋縄には行きません。母でありたいことと、仕事を続けることとの相克の中にいた時のように、この国に居たいことと、妻であることとの両立は、そうそう簡単なことではないのです。あきらめなければいけないこともたくさん出てきます。

 それならばせめて、外に出ることを、単なる旅や、単なる海外暮らしではないことにしたかった。それには、外と中を結ぶ線が必要でした。そのひとつの線が、食であり食文化であったのです。オリーブオイルの勉強をし、ソムリエの資格を取ったことも、そうした線を引くためのひとつの視点でした。

 そう気づけば世界は面白くなります。学ぶことはまだまだ山のようにあります。知りたいことも山のようにあります。ブラブラとスーパーマーケットを歩き、書店をのぞき、土地の人たちの話に真剣に耳を傾け、興味のあるレストランに片っ端から行ってみることも、全てが一本の線でつながります。それらを少しずつでも私なりの形で発信し、表現していく場があれば、私の外での時間も無為ではなくなるはずです。

 シアトルでもバンクーバーでもたくさんの仕入れができました。しばらくはこんな形で、仕入れたものを発信していきます。そしていつかは、どこにでも持ち歩ける 「ポータブルジョブ」 「ポータブルライフ」 へと繋げていくことができれば、と言うのが私の夢であり、目標です。

 あんなに華やかだったテーブルが、また元の何にもないテーブルに戻りました。
 あんなに賑やかだった部屋が、また元の静かな部屋にもどりました。
 これからもこうして繰り返されていくのでしょう。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年03月27日

年を取るのをやめてしまった友

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 「まるで春のような日」 と言いかけて、「これが当たり前。だって春なんだもの」 と気づきました。

 バンクーバーからシアトル経由で、東京に降り立った一昨日は母の誕生日でした。私と同じ干支の生まれ、本当ならば84歳にならなければいけないのに、母は私たちと一緒に年を取ることを勝手にやめてしまいました。永遠に83歳のままです。いつか私が母より年上になる時が来るかもしれないなんて、そんな理不尽なことって悲しすぎます。

 去年も同じ日にクレタ島から帰ってきました。イラクリオンの空港でアテネまでの小さな飛行機に乗ろうとしてタラップに足をかけた時に、携帯電話がなりました。それは大学時代の 『仲良し四人組』 の一人から、仲間の早すぎる死を告げるものでした。成田から家に帰り着くやいなや、喪服に着替えて友の通夜に向かいました。18の時から40年以上も友であった友は、59歳のまま年を取らなくなりました。残された3人の仲間たちは、「一人だけ年を取らない気?それってずるくない?」 と、居酒屋で泣きました。

 そして又、大切な大切な友が、この、春になろうとする時に一人とどまってしまいました。まるで昨年と同じシナリオが再演されているかのようです。成田に着いた日に友の訃報が届きました。仲間たちは、たちの悪いエイプリルフールが一足早くやってきただけだろうと、そんな知らせを信じようとしませんでした。

けれども、昨日、亡くなった本人から、私たち宛てにこんな気取ったメールが届いたのです。いつものベランメエはいったいどこへいったのでしょう。

冨谷です。
皆様におかれましては、それぞれの分野でご活躍のこととお慶び申し上げます。
さて、私儀、このたび 「末期がん」 であることが判明致しました。
生来、臆病者とて、「がんと闘う」 力など持ち合わせるべくも無く、痛みを抑えるのみにて自然の成り行きに委ねることと致しました。

やや早逝の感がありますが、それは、本質的なものだとは考えておりません。これは、強がりではなく、生あるものいつかは滅するものであり、人生の意義はいかに自分にとって充実したものであり、宇宙の素晴らしさを認識するものだと考えて来、その点については、充分達成できたものと考えているからです。

しかし、それもこれも、皆様のご指導ご支援ご協力のたまものであることは認識しており、深く深く感謝申し上げます。
決して、不幸な感じで旅立つわけではないので、くれぐれも、ご心配なきよう、お願い申し上げます。


 2月末に体調不良から病院に入院。その翌々日に末期ガンであることを知った本人が、「心配するから友人たちには知らせないように」と奥様に厳命したとのこと。最後までダンディーを貫き通した彼でした。私たち仲間は、目下、収拾がつかないぐらいに衝撃を受けて落ち込んでいます。

 昨年12月10日には10人の仲間たちで、神保町で酔っ払って大騒ぎをしたばかりです。いつだって一番たくさん飲んで、一番先に酔っ払うのが彼でした。けれどもたとえどんなに酔っても、学生時代からの、明晰でいながら、どこかシニカルに醒めた思考力は変わりませんでした。19歳の子供の私は、学生結婚をしていた東大生の彼の、大人の部分に惹かれました。奥様も素敵な大人の方でした。

 お祭好きな私たちは、桜が咲く頃になるとソワソワし始めます。そして集まっては一緒に花見をします。去年は3月28日の土曜日に、私の家にみんなが手に手に食べ物とお酒を持って集まってきました。「ビジョンスチューデント」、略して「VS」と呼ばれ、藤和不動産の学生重役だった我々です。いつの間にか「VS観桜会」と名づけられて、今年もまた、来週の日曜日、4月4日に「2010年VS観桜会」が我が家で開催されることになっていたのです。

ちょっと、トミヤ君、それってないんじゃない?
十代からの友達だよ。一緒に南の島々を放浪した仲間だよ。
そりゃ、昔から今まで会えばいつだって馬鹿騒ぎだけどさ、だからって一人で舞台降りちゃうなんてひどくない?
君のいないお花見なんて、まるで気の抜けたコーラじゃないの。
ねえ、トミヤ君、あなたまた笑いながら言うんでしょう。

「やあやあ、君たち、随分年取ったものだねえ。ぼかあ63歳3ヶ月のまんまさ、すごいアンチエージングだろ?」

彼が弟のようにかわいがっていたススム君から、悲しみにオタオタしている我々全員にこんなメールが発信されました。

「考え抜き透徹した境地に達した、冨谷さんらしい最期と感じました。バタつかず、静かに冨谷さんのことを思い、ご冥福をお祈りするのが、彼の望むところだと思います。」

 この言葉を受けて、今年の観桜会は粛々とバタつかず、静かに、桜と一緒に思い出を愛でることになりそうです。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月26日

感激の夜です!

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 「ナオミさん、3月26日の金曜日の夜ってあいてますか?」

 そう問われたのは2ヶ月以上も前のことでした。「バンクーバーから帰った翌日で、多少時差ぼけかもしれないけれど、もちろんあいてますよ。」

 何かと思えば、私の大好きな妹分であり、頼りがいのあるビジネスパートナーのユウコさんとトモミさんが、「ファン倶楽部の集い」 をするというのです。

 「ファン倶楽部? そんなのあったかしら?」
 「いえ、これから作るんです。とにかくあけておいてくださいね。」

 それからプツリとこの件についての音沙汰が途絶え、私の中では勝手に、「あれはもう立ち消えになったのでしょう。」 ぐらいに思っていたのですが、先週シアトルに居る時に、こんなメールが届きました。

「3月26日(金)、19時スタートです。場所は新宿御苑のイタリアンです。人数はナオミさんのほかに10人。気楽にお話ししてください。資料等の準備は必要ありません。」

 しかもご丁寧に、皆様にお出ししたというご案内が地図付きで添付されていたのです。

「池澤直美先生と楽しいおしゃべりの集い」

もう、衣替えをするべきかしら?そんな陽気があったと思えば、突然の雪景色・・
気候はなかなか安定しませんが、皆様におかれましてはお健やかにお過ごしのことと存知ます。
さて、2010年にスタートした 「池澤直美先生のグローバルキッチン」 は、お陰様で皆様から大変ご好評をいただいております。
「グローバルキッチンには行けないけど、ブログだけじゃなくて、本物の直美先生にお目にかかりたい」、 こんな皆様の声を受けて、「池澤直美先生と楽しくおしゃべりをしながら、美味しいお料理を食べましょう」 という集いを下記の通りに開催いたします。
いつかリアルグローバルキッチンに参加したいという皆様、是非ご参加下さいませ♪
お料理の準備の為、参加のご表明は2010年3月23日(火)正午までとさせて頂きます。
また、当日のキャンセルはレストランにお支払いが発生しますので、何卒ご了承下さいませ。 
 

 けれども、何か匂うのです。二人のいつものきめ細かな仕事ぶりからすれば、当然、出席者のお名前とか、当日の段取りが前もって知らされてきますのに、それがありません。「何か怪しいぞ」 と思いながら、だからこそはっきり聞いてはいけないような気がして、今日を迎えました。

 でも、やっぱり怪しい。
 直接会場に行こうとしたら、ユウコさんが、「駅で待ち合わせしてご一緒しましょう。」
 ぴたりと時間通りに落ち合ったのに、なにやら携帯メールのやり取りをしているユウコさん。
「会場の準備がまだ整っていないようですから、ちょっと時間をつぶしましょう。」 と、二人で隣のドラッグストアでウロウロ。

 ようやく会場のレストランに着いたら、なぜか入り口に入る前にコートを脱がされて、バッグも取り上げられて、まるで山猫軒。
 扉を開けて入ってみれば、だあれもいません。
 ???で先に進んでみれば、四方八方から突然クラッカーがパチパチと音を立て、「Happy Birthday」 の紙吹雪。

 やられました。すっかりやられました。

 10人のファン倶楽部会員とは、ユウコさんとトモミさん、カズコさんとジュンコさん、ユキちゃんにマツコ姐さん、モッテさんとゲンさんと、ノジマさんにチヨミさん。いったい私の大切な友人たちをどこでどう繋げたのでしょう。仕掛け人の手腕に驚きです。

 しかも、みんなそろいもそろって役者ぞろい。
 それぞれに何だかんだと顔を合わせたり、しょっちゅうメールのやり取りをしていたというのに、誰一人としてこんなサプライズのことをおくびにも出しませんでした。
 
 今日の今日だって、カズコさんとはメールであさってのグローバルキッチンの打ち合わせをしていましたし、マツコさんとは日銀ツアーの日取り設定のメールをやり取りしていましたのに。

 お花や、本当に素敵なエプロンのプレゼントまでいただいて、デザートに添えられた蝋燭を消す頃にはもういけません。涙で炎が揺れていました。

「みんなありがとう、本当に本当にありがとう。私の第二の人生もどうか一緒にいてください。」

 そんな言葉を言うのが精一杯でした。「年取ると涙もろくなるっていうのは本当だね。」 とすぐさま突っ込みを入れてくるモッテさんに、みんな大爆笑。

 ありがとうございました。
 幸せに慣れないように、たくさんの感謝の気持ちをしっかりと抱いて、新しい年月へと歩き始めます。みんなの優しさに応えられるように、誠実に、一生懸命生きていきます!
 もう一度、みんな、ありがとう!    

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月25日

16時間も進んでしまった夜に見る夢

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 帰ってまいりました!

 発つ前はまず修羅場です。ほとんど眠らないまま飛び立つこともしょっちゅうです。
「飛行機に乗りさえすれば、好きなだけ眠れる! 好きなだけ退屈できる! 好きなだけ本が読める! 映画だって見られる! 『あとで考えましょ』 と脇に追いやっていたことも好きなだけ考えられる!」 と思えば、多少の寝不足なんて何のそのです。

 日常から高く離れた時空の中では、やり残したことに対しても、「しょうがないじゃない。できないことはできないんだから。」 と、やけにあきらめもよくなります。

 ところが、帰りの便はちょっと違います。
 着陸までの時間がどんどんと短くなっていくにつれ、いい感じにふやけていた心が覚醒してしまい、やらなければならないもの、し残してきたことを数え始めてしまうのです。

 飛行機の中は不思議時間。たとえば、飛んでいる間は、「今何時?」 という問いに答えることはできません。こちら側の時間とあちら側の時間の間でたゆたっているだけです。でも、そんな不思議時間があるおかげで、下り立つ場所へと、心と体の周波数を合わせていくことができるのでしょう。

 荷造りを終えてまさに部屋を出ようとしたその時に、またあのカモメがやってきました。私が勝手に 「あの」 などと名づけているだけで、実際は毎日違うカモメなのかもしれませんが (笑)。

 思い切って窓を開けてバルコニーで出てみても、逃げるどころかいっそう悠然としています。そのうち手すりから下りてきて、私の足元を歩き始めました。やっぱり 「あのカモメ」 がお別れの挨拶に来てくれたんだと思います。この際、そういうことにしておきましょう。「カモメが飛んで来た」 よりは、「あのカモメが飛んできてくれた」 と思うほうが、人生、絶対に楽しいですからね(笑)。

 明日からはまた忙しい日々が始まります。
「あのカモメ」 が、早朝の私の庭に飛んできてくれる夢とともに、不思議時間の後に、いっきに16時間も進んでしまった夜を眠ります。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月24日

新しい数式への道

P3244308.JPG ここバンクーバーはまだ水曜日の朝6時。街はまだ暗く、眠りの中にいます。いよいよ最後の朝となりました。

 この旅の目的のひとつは、これからの自分の生き方についてを考えることでした。もっと、希望的に言えば、覚悟をつけるためでした。

 16年仕事をしていた大学にあのまま残っていたとしても、今月末には定年を迎えるはずです。5年早く、自らの意思でピリオドを打ち、新しく踏み出した道はそうそうたやすいものではありませんでした。けれども、自分をなだめてあのまま安易な道に残る方を選んでいたら、今頃はきっと後悔をしていたことでしょう。

 「やったことを後悔するよりも、やらなかったことを後悔する方がいつまでもくすぶるものだ。」 とはよく聞く言葉です。

 だからと言って、定年を迎えてから新しい一歩を踏み出すのではきっと遅すぎました。今から、この5年間と同じ苦労をするエネルギーはもうありません。幸か不幸か今の仕事は全てが自己裁量。定年もありません。たぶんこの先も仕事を続けていくとは思いますが、これまでのような忙しさや過剰なストレスを、もう負いたくはありません。

 ここまで歩いてきて、自己評価をするならば、「まあまあ、よくやったんじゃない?」 ぐらいの点は付けられると思います。そしてこの先5年の自己計画書を作るのならば、「少しゆっくり歩きましょうか。大切なものをもう一度見直して、引き算と足し算の新しい数式を作ってみましょうか。自分らしい数式をね。」 のようになるのではないかと思います。そして、そのぐらいの贅沢はそろそろ許されてもいいだろうと思います。

 シアトルのイツコも、バンクーバーのユミも、日本を離れてもう30年近くがたちます。それぞれに立場は違いますが、二人とも日本ではない場所を自分の居場所として、堂々と自己表現をし、日本ではない社会と関わりながら、凛として自分らしく生きています。新しい数式を作るためには、どうしても二人に会うことが必要でした。

 今年からは、ますます海外に出ることが多くなります。ほとんど毎月のように、こうして出たり入ったりを繰り返さなければなりません。「すみません、そこらへんはウイーンにいますのでお受けできません。」 「あ、その時ならばシチリアから帰ってきていますから大丈夫です。」 「それはワシントンからお送りします。」 などとつい言ってしまうと、よく、「いいですねえ。」 とうらやましがられることがあります。けれども、パートナーとの関わりの中でそうしなければならない身にとっては、これはこれで由々しき問題なのです。

「自分の居る場所はどこなのか、そこで何をしたらいいのか、何ができるのか」

 そんな根源に関わる問題の上で数式を組み立てるには、実はまだまだ覚悟が足りません。それでも、今回の旅でイツコとユミに会い、じっくりと話せたことでひとつの踏ん切りができたように思います。

 外が少し明るくなってきました。カモメの鳴き声が聞こえます。そろそろ荷造りを始めましょう。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | その他メッセージ

2010年03月22日

ホームカミングデイ〜ビクトリアへ

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 バンクーバーのダウンタウンから、だだっ広い空き地や、倉庫やコンテナーが並ぶトゥアッセンまでの1時間の道、、、、この埃っぽい道を、いったいどれだけ辿ったことでしょうか。

 トゥアッセンは、もう一足進めばアメリカとの国境です。ブリティッシュコロンビアの州都、ビクトリアに渡るためには、ここからフェリーに乗らなければなりません。船は島々の間を抜けて、鏡のような海を進みます。

 同じことがどんなに繰り返されても、いつだって一番最初の時だけは鮮明に覚えているものです。私にとっての 「一番最初」 は1995年の12月でした。それは、不安と期待が交互に押し寄せる中での、90分の船旅でした。

 当時まだ中学生の娘が、突然、留学をしたいと言いはじめました。初めは取り合わないどころか、何だかんだとネガティブな理由をつけては考えを変えさせようとしましたが、小さな娘の固い意志は変わりません。自分が中学生ならば、そんな大それたことは怖くて考えられません。そう思った時、逆に踏ん切りが付きました。

「たとえどんな困難が待ち受けていようとも、たとえ尻尾を巻いて帰ってくることになろうとも、やりたいならやらせよう。どうなるかわからない先のことをクヨクヨ心配することはない。本当に立ち行かなくなったら、その時にまたみんなで真剣に考えれがばいいんだから。」

 最後に出てくるのは、いつだってこんな私自身の楽観性です。

 けれども、楽観性の後に続くのは、やはり母としての思いであり、長い間仕事をしてきた私の一種の経験則でした。調べられる限りを調べた上で、母として、仕事人としての大人の知恵で、娘にとって一番良い場所を選びたいと思いました。

 そうして色々な方の助けを得て、最後に残った選択肢がビクトリアのハイスクールだったのです。その地にあるいくつかの学校を訪れた後、結論を出すまでに時間はかかりませんでした。私たちは、クリスマスだと言うのに、私たちのために扉を開けて待っていてくれたその学校で、迷うこともなく入学試験の願書を出してから日本に戻って来ました。

 次にビクトリアに渡ったのは、翌年夏の入学の時でした。以来、卒業式までの3年の間、何度もこの地におもむきました。娘が成長して行くスピードに比べたら、比較にならないほどのゆるやかなスピードでしたけれど、私自身も、泣いたり笑ったりしながら覚悟をつけて、一緒に成長していきました。

 最後に訪れてから10年近くの年月が流れました。ビクトリアの町は大きな変化も見せずに、昔と同じようにゆったりと穏やかに、この町ならではの懐かしい気品を漂わせています。

 町に着いてすぐに一番行きたかった場所に行きました。美しい郊外にあるあの学校です。丘の上から遠くに、その古い煉瓦の建物と広い芝生を見つけ、丘を下って校門の前を通り過ぎました。車を降りて、そこに入ることはあえてしませんでした。多すぎる思い出たちを、上塗りをせずに、そのままにしておきたかったのです。ゆっくりと 「通り過ぎる」 だけで、私にとっては十分な 「ホームカミング」 でした。

 バンクーバーとビクトリアをつなぐフェリーは随分変わりました。500台の車が載れるようになり、大型車用、普通車用の2つのデッキの上に、すわり心地の良い椅子が並ぶ乗客用のデッキが2つもできました。デッキからデッキへは、ゾーンごとに色が異なるエレベーターで移動をすることができます。

 驚いたことに、PCをつなぐブースまであって、90分の船上で勉強や仕事を続ける人たちの姿が見られます。

 夕日の最後のオレンジ色が、黒い島影の向こうに隠れました。船は、朝来た路と同じ路を、反対方向に向かって進んで行きます。たとえ忘れ物に気づいたとしても、大きな船が航路を変えることはありません。私も、また、思い出を再び大切にしまって、船と一緒に進みます。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の国ライフ

Meant to Be〜あらかじめ定まっていたこと

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 イギリスのロックバンド 「クイーン」 のアルバム 「Made in Heaven」 は、私の大好きなCDのひとつです。心に響くたくさんの名曲の中で、時折、頭の中に流れてやまなくなるのがアルバムのタイトルと同じ名前の 「Made in Heaven」 という曲です。出だしはこんなフレーズで始まります。

 I'm taking my ride with destiny
 Willing to play my part
 Living with painful memories
 Loving with all my heart

 Made in heaven, made in heaven
 It was all meant to be, yeah
 Made in heaven, made in heaven
 That's what they say

 駆け足で大雑把に日本語にしてみれば、こんな意味になるでしょうか。

 運命に乗って自分自身の役割を演じ
 心痛む思い出と共に生き、心から愛しながら、、、、、、
 みんな天国で決められていたこと、みんなそうしてあらかじめ定まっている運命

 バンクーバーは月曜日の朝が明けたところ。今は7時半です。
海がうっすらと見えてきました。その向こうの山々の影も浮かび上がってきました。朝日が今日もまたこの美しい街を照らそうと、準備を始めています。

 まだ暗いうちから、私の部屋のベランダにお客様が来ています。
もう小一時間もたつのに、ずっと同じ所にいます。私が窓の内側から近づいても、驚くこともなく、じっと同じ場所に羽を休めています。

 窓を開けてもっと近づいて、できればその羽に触れ、その暖かなからだを抱きしめたいと思いながら、私もまたずっとこの一羽のカモメと向かい合っています。

 気のせいか、時折私の目をじっと優しく見つめることがあります。
 気のせいか、私がこちら側から語りかける言葉を聞いているように思えることがあります。

 この街に無数にある部屋の、無数の窓に面した、無数のベランダの中で、この鳥はどうして私の部屋の、私の窓の、私のベランダを選んでくれたのでしょう。

 こんな小さな出来事にも、あのフレーズをつい呟きたくなってしまうのは、やっぱり私が 「旅」 という非日常のセンチメンタルな時間の中にいるからでしょうか。

 Made in heaven, made in heaven
 It was all meant to be, yeah

 シアトルでもバンクーバーでも色々な人に会い、色々な道を歩き、色々な経験をしています。
 あと1時間で準備をして、今日はフェリーに乗って遠出をします。行く先は、バンクーバーと同じように、たくさんの思い出に彩られた町、ビクトリアです。

 2010年の3月22日という日に、再びあの町に下り立つこと。
これもまた、天国で決められていたこと、あらかじめ定まっていたことなのでしょうか。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月21日

ユミの覚悟

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「いったいこれまで何カ国に行った?」

 バンクーバーのダウンタウンから、ライオンズゲートを渡った向こう岸のウエストバンクーバーの海岸で、突然ユミから聞かれました。目の前の砂浜では犬たちが走り回っています。大きな子も小さな子も一緒になって、追いかけっこをしたり、飼い主の投げた木切れを拾うために猛ダッシュで走ったり、じゃれあって遊んだり。勇敢な子は、まだ冷たい水の中で泳ぎ始めたりもしています。ここは、近隣の住人たちが、車に乗せてペットを連れてきては、リードを外して思い切り遊ばせるためのビーチです。

 犬たちの交流の場は、人間たちの交流の場でもあります。飼い主たちがあちこちで立ち話をしています。私たちも、ユミの8ヶ月の愛犬、「クマ」 の姿を眼で追いながら、おだやかな日差しと、海の匂いの中で2時間近くをゆったりと過ごしました。ユミが続けます。

「私の友人の家にはね、大きな世界地図が広げてあって、訪れた土地の上にピンがさしてあるの。旦那さんは青、奥さんは赤。だんだんピンの数が増えて行くのを見るのも楽しいわ。」

 そう言うユミは、日本を離れてもう30年。日本とカナダの間の文化交流、学生交流の仕事で忙しくしています。来週には日本の高校生68名がこの地にやってきて、コンサートを開きます。その全てのコーディネイトをし、生徒たちのホームステイ先を探すのもユミの仕事です。直前の忙しい時に、私と一緒にいる時間を取ってくれたユミの携帯電話が、時々バッグの中で着信音を発します。

 それでも、私たちは一緒に砂浜に座って、つきることのないおしゃべりに身を委ねます。こうして、私たちは会う度に、それぞれの過去を、現在を、未来を語り続けてきました。けれども、その量から言えば、明らかに過去<現在<未来。ユミはいつだって迷う私に適切なアドバイスを与えてくれました。5年前、安定していた職場を離れて自分自身の道を踏み出すべきかどうかに最後まで思い悩んでいた時も、結局ユミのこんな言葉が私を後押ししてくれました。

「ナオミさん、そりゃ自分で仕事をするってのは大変なことよ。いい時もあれば悪い時もある。仕事がある時ばかりじゃない。でもね、それが自分のやりたいことで、自分自身が選んだことなら仕方ないじゃないの。いよいよとなればじっとしていればいいのよ。じっとしていれば交通費もかからないじゃない?私も最初の頃は、そうしてひたすらじっとしながら、頭だけは一生懸命使って色々なことを考えたわ。」

 そんな彼女も、最近では上手に仕事とプライベートをコントロールできるようになって、忙しい仕事の合間合間に色々な所へ旅行をし始めました。去年の秋に東京で会った時には、日焼けした顔の上に南イタリアの太陽がまだ残っていました。来月は、ナースのお嬢さんと一緒に10日間をマウイ島で過ごします。

「私はPCは持って行かない。仕事のことは忘れて、ただビーチで過ごすの。もちろんそれまでは必死に仕事をするし、帰ってきたらまた頑張る。またどこかに行けることを楽しみにしながらね。」

 どこへ行くにもPCを持って行って、行く先々で接続し、中途半端に仕事をしては、結局はいつだって、どこにいたって、完全に頭をオフモードにできずに、小さなストレスを連れまわっている私です。たぶん覚悟さえ決めれば、ユミのようにもなれるのかもしれませんが、情けないことにまだまだその覚悟ができません。

 いったい自分が何カ国に行き、いくつの土地で過ごしたか。若い頃には指折り数えていたものでしたが、もう随分前に数えることをやめてしまいました。砂浜でのユミの質問にすぐに答えることはできませんし、世界地図の上にピンを刺すこともできません。とりわけ今年からは、ますます旅が多くなります。いつかは我が身もユミの覚悟をまとえるようになりたいと願いながら、やはり当分はPC付きになるのでしょう。

 「ナオミ、行く先だけは教えてよね。私、遊びに行くから。えっ?もちろんPCなんか持っていかないわよ。」

 イースターまであと2週間。街のチョコレート屋さんの棚に大きなチョコレートの玉子が並び始めました。道行く人たちの中にも、こんなチャーミングなウサギさんたちが見られるようになりました。
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2010年03月20日

バンクーバー〜千々の思いの中で

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 7年ぶりに帰ってきたバンクーバー最初の夜の食事は、娘がよく連れて行ってくれたロブソン通りのレストラン 「EARLS」 で。

 息を呑むように美しい夜景を臨む部屋での最初の眠りの後のモーニングコーヒーは、本を読みながら娘を待っていたあのスターバックスで。

 コーヒーの後の朝の散歩は、娘が住んでいたあのアパートへ。玄関ロビーの、アンディー・ウォーフォルのカラフルなマリリン・モンローの大きな絵が、昔と同じ位置に同じように掛かっています。

 「ただいま!」 と扉を開けて帰りたくても、セキュリティーロックのかかった扉を開けることはもうできません。

 カナダに30年も住んでいる、親友のユミが迎えにきてくれて、 「ナオミ、どこに行きたい?」

 思い出の洪水の中で考えあぐねていると、「UBCに行きましょうか。今日はこんなにお天気がいいし、きっとキャンパスは気持ちがいいでしょう?。」

 そう言って、車を走らせ始めました。ユミはいつだって黙っている私の心がわかります。UBCとはUniversity of British Columbia、ブリティッシュコロンビア大学のこと。創立以来もうすぐ100年がたとうとする、カナダ屈指の大きな大学です。

 私たちは、娘の卒業式が行われたホールの前を通り、黒いキャップとガウンに誇らしげに身を包み、手に手に花束と卒業証書を持って、広がる未来への期待に目を輝かしていた青年たちが写真を取り合っていた広場を横切り、カフェテリアで食事をし、広い構内に散在する美しい庭園や、博物館を訪れました。キラキラと輝く海と、その向こうに見える雪をかぶった山々が、よく晴れた空に映えていました。あの時とちっとも変わらずに。

 夜は、みんなで卒業祝いの食事をした 「KIRIN」 レストランに行きました。テーブルを囲むメンバーは違っても、店の雰囲気も料理もまるで同じです。

 次女は、高校から大学までの7年をカナダで過ごしました。15歳での旅立ちでした。周りに家族とていないたった一人の身で、初めのうちはほとんど英語もわからず、いったいどれだけの辛い思いを通り越してきたことでしょう。けれども、「自分で選んだ道だから」 と、母に弱音を吐くことはただの一度もありませんでした。

 それだけに、そんな娘がいじらしく、私は影でいったいどれだけの涙を流したことでしょう。そんな母の涙の向こうで、彼女は会うごとにたくましく成長し、自立していきました。そんな娘がまた健気で、私はまた涙を流しました。

 日本人もほとんどいない場所で3年間の高校生活を終え、広い選択肢の中から彼女が自ら選んだのがUBCでした。ドロップアウトする学生たちも多い厳しい場で、歯を食いしばって頑張っていることなどは微塵も見せない明るさと強さで、計量経済学という、私には皆目わからない分野の勉強を続け、4年後に卒業をしました。

 母というのは不思議なものです。東京の人ごみの中でだって、「ママ!」 という声がするたびに、振り向いてしまうのです。小さな娘たちが私の助けを求めて呼んでいることなど、決してあり得ないのに、それでも緊張と共に、本能的に振り返ってしまうのです。

 バンクーバーの街のあちこちで、ふと気づけば小さな娘の姿を探しています。今にも、通りの向こう側から、「ママぁ!」 と手を振って走ってくる娘がいるような気がします。夜の通りで、楽しそうに笑いながらおしゃべりをしているティーンエージャーの集団がいれば、無意識のうちに娘の姿を見つけようとしています。後ろから 「ママ!」 という声が聞こえれば、背筋がびくっとして、やはり振り返ってしまいます。そんなこと、決してあり得ないのに、、、、、、

 人生っていうのは本当に不思議なものです。
 何度も何度も母として過ごしたこの町を、私は今、夫と2人で歩いています。
 同じ明日を語るのは、あの頃には知りもしなかった、遠い世界にいた人、別々の人生を歩んでいた人です。
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2010年03月19日

シアトルからバンクーバーへ

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 40人乗りの小さなプロペラ機で、「ただいま!」 と呟きたくなる町、バンクーバーに到着しました。ロブソン通りに面した高層ホテルの22階の部屋は、ぐるりと大きな窓に囲まれています。
 ちょうど今、夕日が海に沈みかけて、街の明かりがキラキラと揺れ始めました。美しい街の美しい時間です。

 ブログが一日抜けたのには深いワケがあります。
(そしてもうひとつ、昨夜、これを載せたかったのに、どうしてもインターネットに接続できずに、長いこと留守をすることになってしまいました。ご心配をおかけしました。)

シアトルのシンプソン家で、バースデイディナーが始まったのが17日の夜8時。ということは、たぶん、日本時間で翌日18日のお昼ごろ?ただでさえ混乱しているところに、日曜日にサマータイムに変わってしまって、ますます混乱している私の頭です。

 男共が散歩に出たり、小難しい学者トークにうつつを抜かしている間に、私たちは特別な日の晩餐のために、大きなアイランドキッチンで長い時間を過ごしました。オードブルもサラダも、メインディッシュも、デザートのバースデーケーキも全て手作りです。

 庭から摘んできたたくさんの香草でソースを作りました。一味一味を確かめながら、「何か足りないわねえ」 「何かしら」 と一緒に考え、大きなラム肉を3人で力を合わせて骨から外し、生クリームがなかなか固くならずに必死で泡立て器を動かしているロビーに声援を送り、それぞれがそれぞれの持ち場を守りながら、同時に協働作業をしました。

 外が暗くなり、台所中が幸せな匂いで満たされて、オーブンやコンロの熱で暖房もいらないくらいになった頃、私たちのバースデイディナーが始まりました。

 これはもう何ヶ月も前に計画されていた、3月9日生まれのジムと、17日生まれの私のための 「ジョイントバースデイパーティー 」でした。加えて、私たちは、7月生まれのロビーと、8月生まれのトムと、9月生まれのイツコのお誕生日までも先取りして乾杯してしまいました。

 シャンパンに始まって、ワインが次から次へと空けられていく中で、楽しいおしゃべりは留まることを知りません。お腹がよじれるほど笑い転げたかと思えば、涙ぐんだりもしながら、気づいてみれば真夜中を過ぎ、気づいてみればまともに歩けないほどに酔っていました。とうていPCに向かう気力もありません。

ジムが最後にみんなから寄せられたカードを読み始めました。

 「特別な人の特別な日に
  お誕生日おめでとう
  そしてありがとう
  第二の人生へ踏み出す一歩に、勇気を与えてくれてありがとう
  シアトルでの日々は私の一生の宝になるでしょう」

 これは私が書いた言葉です。

 今夜からは思い出がたくさんつまったバンクーバーでの日々が始まります。しばらくこの町で暮しながら、そうしたたくさんの思い出をひとつ、またひとつとなぞっていくことになるでしょう。何だか今から胸がキュンとしています。ここは私の大好きな町です。

 シアトルを発つ直前に、ワシントン州立大学を訪れました。キャンパスが桜で満開でした。
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2010年03月17日

特別なお誕生日

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 お誕生日です!しかも特別なお誕生日です!
だって「還暦」なんですから。

 私がいなくなることを知っていた友人たちからは、出発前に、お祝いの言葉や、プレゼントが一足先に届けられました。一昨日には、ボストンの義理の弟夫婦からこんな素敵なピンクのバラとヒヤシンスが花瓶付きで届きました。「ちょっと早いけれど、お誕生日に満開になるようにと願って届けます。」 というメッセージ付きで。

 そして、日本が17日になった今日、娘たちや友人たちからたくさんの電子カードやお祝いメールが寄せられました。

 とは言え、こちらはまだ16日の深夜。あと5分で日付が変わり、シアトルでも、私の特別な日が始まります。

 亡くなった母がよく言っていました。

「60代が自分の人生で一番良かった。娘たちもすっかり大人になって何の心配もなくなったし、4人の孫にも囲まれて、まだまだ健康だった。好きな所にどこでも行けたし、好きなことも自由にできた。ナオミ、60代を楽しみにもう少し頑張りなさい。」

 娘がまだ学生だった時、留学先からこんな生意気なバースデーカードが届きました。

「ママ、人はお誕生日を迎えるごとにだんだん自分らしくなっていきます。どうかママもますますママらしく生きてください。」

 たくさんのメッセージを胸に、たくさんの感謝と共に、私は今、凛として第二の人生の第一歩を踏み出します。いえ、踏み出さねばなりません。

 けれども、私のセカンドライフは、まだまだ混沌としていて道筋が見えません。
 見えてはいるのに、一本道ではない、と言う方が正しいかもしれません。
 いくつかの分かれ道の、どちらの道に進んだらいいのか、それをずっと考え続けています。
 今回の旅は、決断をするためのヒントを求めてのことでした。
 
 そのために、「ここで一生を終える」 と迷いもなく言うシアトルのイツコと、バンクーバーのユミに会いたかったのです。彼女たちの強さの基にあるものを知りたかったのです。

 ワシントンDCからの深夜便で、私の特別なバースデーを祝うために、夫がもうすぐシアトルに飛んできます。今、真っ暗な空から聞こえてくる轟音は、もしかしたら彼の乗っている飛行機かもしれません

 明日の夜はシンプソン家で、私の「還暦パーティー」が開かれます。みんながそわそわと、前日から準備をしています。

 家族や友人たちの優しさの中で、今度こそ真剣に、私の一番大切なものについて考えてみなければなりません。いくつもの道を同時に歩くことができない以上は、覚悟を決めてそれこそ一番「ナオミライクな」選択をしなければいけません。私らしく生きること、それが愛する人たちへの恩返しです。
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<span style="color:#00FFFF;">先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:シェフのキャベツ料理〜ホイコーロー
火曜日:シェフノキャベツ料理〜蒸しキャベツ
水曜日:2010年FOODEX開催中
木曜日:FOODEXで手に入れたワクワクベスト3
金曜日:3月のグローバルキッチンは「タイの台所」
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2010年03月16日

完全バイリンガルの世界

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 マリナーズのホームグラウンド、「SAFECO FIELD」 の向かい側に、百円均一ならぬ1ドル50セントショップの 「ダイソー」 があります 。そして、同じ敷地内のすぐ隣にあるのが、日系の老人たちが暮す「Nikkei Manor」 「日系マナー」 という老人ホームです。

 入り口を入れば、いたるところに日本語と英語両方で書かれたお知らせが見られます。入居者の声を投書してもらうための箱にも、二つの言葉が書かれています。

 「Suggestion Box ご意見箱」

 レセプションデスクには感じの良い女性が、日本語でも英語でも対応をしてくれます。カウンターの上の行事予定表も、週間献立表も日本語版と英語版が並んでいます。たとえば、今日、3月16日の予定は

「9:00 宇和島屋へお買い物           Uwajima Walk
10:30 外出:ワシントン大学構内 Outing:UW Campus
11:10 体操(2階) Exercise (2F)
12:00 セントパトリックスデーランチ(1階) St.Patrick’s Day Lunch (1F)
16:00 犬のハニーベアー訪問(1階) Dog Visit (1F)
17:00 映画「ビルマの竪琴」(1階) “The Burmese Harp” (1F)

と言った具合です。朝昼晩のメニューは、日本食と洋食の両方から選ぶようになっています。もちろんこれも日本語版と英語版の2枚が用意されています。ここは完全バイリンガルの世界です。

 今晩、居住者の皆さんは、「白菜のおひたし、生姜&醤油味の焼き魚、柴漬け、ご飯、味噌汁」 か、「ミートローフのマッシュポテト添え、コーンとグリーンピースのミックス」 を召し上がったはずです。

 階段を上れば、2階にも3階にも小奇麗なサロンがあります。2階ではテレビの前でお相撲を楽しむ老人たち、3階には時代劇を夢中になって見ている方々がいます。時代劇もお相撲も英語の字幕つきです。

 居住者の皆さんはみんな明るく、楽しそうに見えます。すれ違えば、きちんと挨拶をしてくださり、中には 「あなたどこから来たの?」 と日本語で話しかけてくる人もいます。

 カズコさんもそんなお一人でした。

「もうこちらに何年いらっしゃるのですか?」 と聞けば、「どんくらいたつかしらねえ。主人が亡くなってからだからもう5年、あら10年かしら。忘れちゃったわよ、アハハハ。」

「いかがですか、住み心地は?」と聞けば、
「あんら、サイコーよ。毎日色々することがあるし、ドクターもいるし、ミールはおいしいしねえ。I don’t want to go back to Japan. もう日本帰らんでもいいわあ。あなたも年とったらいらっしゃいな。」

 昨年10月に亡くなるまで過ごしていた母のホームでは、決して見られなかったあっけらかんとした明るさでした。おそらく色々な事情があって日本を離れてこの地に住み着いた方々でしょう。あるいはニセイ、サンセイと呼ばれる方々かもしれません。きっとどこかである種の覚悟を決めて、この地で余生を送ることにしたのでしょう。あの明るさは、そんな覚悟を通り抜けた後だからこそなのでしょう。

 シアトルには他にもいくつかこんな日系老人のためのホームがあります。低所得層の日系人のためのホームや、病気や痴呆が進んだ人たちのための施設もあります。

 我が親友のイツコは、ジムと結婚してもう30年になります。ジムの仕事に合わせてフロリダに住んだり、京都に住んだりしてきました。そしてジムの退職後に、終の棲家として二人が選んだのがここシアトルでした。ずっと専業主婦としてジムを支えてきたイツコは、最近、この「Nikkei Manor」のレセプションで仕事を始めました。週に4回、ジムを置いて仕事に出かけます。

 一緒に館内を歩けば、あちこちの老人たちから声がかかる人気者です。イツコは一人一人に満面の笑顔で向き合います。

 今日、仕事から帰ってきた彼女が言いました。

「ナオミさん、ちょっと買い物一緒に行ってくれない?3月17日のセントパトリックデイに緑の服を着なければならないのよ。ハロウィンはもっとすごかったわよ。私、雪女にもなったし、花魁にもなったわよ。今年の衣装ももう用意してあるの。なんだと思う?『女忍者』!みんなすごく楽しみにしていてくれるのよ。だからね、ついはりきっちゃうの。」

 イツコがますます美しくなったわけがわかったような気がしました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカライフ

2010年03月15日

たとえ「ハチドリの一しずく」でも

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 毎週日曜日の12時から13時までの間、シアトルの町のあるコーナーにたたずむ人たちがいます。手に手に手作りのプラカードを持って、雨が降ろうと、雪が降ろうと集まってきては、プラカードをかかげます。多い時には50人もになるといいます。

 ジムもその一人です。もう5年の間、日曜日の決まった時間に決まった場所に出かけていきます。ジムのガレージには何種類かのプラカードがあります。今日、彼が持って出かけたのは、
「No More Money for Failed Wars.」(これ以上無駄な戦争にお金をつぎ込むな。) と言うものでした。

 ジムに誘われて私もその場所に行ってみました。パシフィックハイウェイと320号線の交差する地点の4つ角に、何人かの一群が自分自身のメッセージを掲げて立っています。

『Let Peace and Peace and Peace Everywhere』(全ての場所に平和を、平和を、そして平和を!)
『End All Wars』(すべての戦争を終えろ)
『Healthcare Not Warfare』(戦争よりも健康を大切に)
『Not Their Children, Not Our Children』(子供たちはみな同じ)

 時折、彼らのメッセージに共感したドライバーたちが、クラクションを鳴らして通り過ぎます。それが、「頑張れ!」「同感だ!」のサインなのです。

 80に届こうかと言う最年長のポールは、もう7年もの間、日曜日ごとにこの角に立ち続けています。歩ける限りはこの場所にやってくるといいます。

 ジムは偉大な学者です。この家の 「トロフィールーム」 と呼ばれる部屋には数え切れないほどの賞状や表彰状が飾られています。そんなジムが、日曜日になると手作りのプラカードをガレージから出して、平和を願う1時間のプロテストのために街角に立ちます。

 たとえそれが 「ハチドリの一しずく」 であろうとも、思っているだけで何にもしないよりは、ずっと意義があるのではないでしょうか。

 1時になって三々五々、それぞれの場所へと戻る人たちの後姿を見ながら、私たちも立ち去りました。街のあちこちで桜が満開です。ここ、シアトルでは東京よりも一足先に春が来ました。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカライフ

2010年03月14日

ランナーとガーデナーとスカラーと

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 「最近は朝早く目が覚めるようになっちゃってねえ。」
 そんな言葉をちょっと年上の友人たちから聞くにつけ、ついこの間までは他人事のように思っていましたのに、私も最近はすっかり彼らの仲間になりました。目覚ましをかけたって、その必要がないぐらいに目が覚めます。昔のようにお昼まで眠りをむさる喜びなどは、夢のまた夢となりました。裏を返せば、短い睡眠時間でも足りるようになったのかもしれません。

 それがどうしたことでしょう。こちらの時間で1時に眠りに就き、途中2〜3度目覚めてもまたすぐに眠りに落ち、まだまだ眠っていたい気持ちと戦いながら起き上がって時計を見れば、何と10時を回っていました。この何年かの最長睡眠記録達成です(笑)。出発前の2週間は、それこそギリギリまで睡眠を切り詰めて色々なことに取り組んでいましたので、その余波が来たのかもしれません。

 起きてみたら、イツコはもう仕事に出かけた後。
 ジムはランニング姿で、「ナオミ、ちょっと走ってくるからね。どのくらい? そうだなあ、1時間ぐらいかなあ。」
 ジュライとアーロンは、「ナオミ、ちょっとテニスに行ってくる。」

 かくして私は一人で350平米もの大きな家を占領することとなりました。たっぷり眠ったおかげもあって、出発前に何だかんだと気を病んでいたことが、みんな大したことでもないように思えてきました。いえ、眠りのせいだけではないでしょう。魚座の私は、海の近くに居る時は、いつでもこうした安らかな気持ちになれるのです。部屋のどこからでも海が見えるこの家は、私を本来の私に戻してくれるようです。

 ジムが汗びっしょりになってランニングから帰ってきたと思ったら、一息ついて今度はランナーからガーデナーへと早変わりです。大きな家を、その何倍もあるような大きな庭がとり囲んでいます。今日のジムの仕事場は、玄関前のエントランスです。砂利を敷いて水路を作りました。ここに水を流して、松ノ木を植えた一番低い所が滝になるようにする計画です。

 晴れてはいても、まだまだ風は肌寒く、半袖のままで出てしまった私は震えながら、ガーデナーのジムと話をはずませることとなりました。ジムが語ります。

「この家は2003年に見つけたんだ。日本の大学を定年退職した後にどこに住むかを考えて、長い間、車で色々な場所を見てまわった。カナダまでも行ったよ。そして、僕たちはシアトルに決めた。一番大事なことは家そのものよりも、家をとりまく環境だった。

 2つのことだけはゆずれなかった。
 家から海が見えること。
 家から電線が見えないこと。

 この家は40年前に建てられた家だったけれど、一足踏み入れて、『ココだ!』と決めるのに、ものの10分もかからなかった。

 いつだってこの家に帰ってくるとほっとする。」

 そして、また庭仕事に戻っていきました。きっともうすぐ小川ができて、松の木の下にジムの滝ができるでしょう。海が見え、電線の見えない家で、ランナー (走者) とガーデナー (庭師) とスカラー (学者) 3つの顔をバランスよく保ちながら暮すジムはうらやましいぐらいに素敵です。

 ここまで書いたら後ろからジムがやってきて言いました。

「ナオミ、今晩2時にサマータイムに変わるからね。明日の朝起きたら時計の針を動かすんだよ。」

「えっ、進めるの?戻すの?」 と、聞いたら、こんな便利なことを教えてくれました。これでもう一生迷わずにすみそうです。

「Spring Forward! スプリングは春という意味のほかに、バネという意味もあるだろう。バネは跳ねるよね。だから1時間進めるんだよ。これ、なんていったっけ、ほら、日本語で。」

 そう言ってしばらく考えてから、あきらめて辞書を取りにいきました。そして、

「うん、『ダジャレ』だ!」
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカライフ

2010年03月13日

シアトル最初の夜に

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 こちらは今、12日、金曜日の真夜中にさしかかる頃。そちらはもう土曜日の夕方ですね。
 ジムもイツコも、ジュライもアーロンも眠りに就きました。この大きな家で、私ひとりが起きてPCに向かっています。

 夜の間に太平洋を越え、シアトルにやってきました。
 昨年、農業学者のジムが東京にやってきたのを機に、我が家で、農水省の方々や、農業ジャーナリストの方々をお招きして、ジムのための歓迎会を開きました。私がせっせと台所で立ち働いているところに、のっぽさんのジムがやってきて、カウンターに肘をついて、こう言いました。

「ナオミ、いつシアトルに来る?」

 それがきっかけで本当にやってきてしまった今回のシアトルですが、実は私にとってはとても重要な目的がありました。私自身の生き方の根幹の部分について考えることです。そのためには、どうしても、ジムの美しい奥さん、日本人のイツコに会う必要がありました。

 これについては、ちょっと重い話題になりますので、今日は控えましょう。
 だって、前の晩は結局、ほとんど寝ないで飛行機に飛び乗ったのにもかかわらず、時差のせいで夜がちっとも来ないのです。もうこれで何時間寝ていないことになるでしょうか。

 ジムとイツコの一人娘のジュライが、大学院の休みの間にフィラデルフィアから帰郷していて、そこに彼女のフィアンセのアーロンも加わって、ふだんは夫婦二人の家が、3人ものゲストを迎えて賑わっています。明日はたくさんの友人たちを招いてに、ジュライとアーロンと私のウェルカムパーティーが企画されています。

 今日からしばらくは、ここが私のオフィスになります。海に面した丘の中腹に建つ家は、ぐるりと囲む大きな窓のどこからも壮大なパノラマが広がっています。PCから目をあげれば、シアトルのダウンタウンの光が海の向こうにキラキラと揺れています。

 夕食の後に、居間に移ってワインの続きを飲みながら、暖炉の前でみんなでゲームをしました。

 暖炉が時々パチパチと音を立て、ジムが薪をくべます。私たちは満腹の後の幸せと、心地よい酔いの中で、過去の思い出話と、若いカップルの未来と、時には世界を語りながら、順番にゲームの駒を進めます。ジムが立ってキッチンに行き、またワインのボトルを持ってきます。暖炉がまたパチパチと言って、ジムがまた薪をくべます。

 こんなにゆったりとした時間はいったい何ヶ月ぶりでしょうか。
 ジムにとっても、イツコにとっても、これが日常だと言います。
 私はやっぱり大きな間違いをしているような気になります。

 そんな、自分の生き方を考えるために、彼らに会いに来ました。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年03月11日

私のパワースポット

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 窓一面からさしこむおだやかな日差しの中で、トントンと心地よい音が響いてきます。窓際で素焼きの壷を囲み、女たちがペタンと床に腰を下ろして、太い棒をリズミカルに動かしています。軽口をたたきあっては楽しそうに笑うさまは、遠い遠い記憶の中の風景のようです。

 かたやキッチンでは、女たちが行き交い、ジュージュー、パシャパシャ、クツクツ、コンコンと様々な音の洪水の中で、屈託のないおしゃべりを続けています。

 高い天井の大きな部屋には、ふだんとは違うエキゾチックな香が漂っています。パクチーの香、ナンプラーの香、カピ (蝦のペースト) の香、こぶミカンの葉の香、クミンやコリアンダーの香、、、、、、

 ここはタイの台所です。

 紫を基調としたテーブルには蘭の花が飾られ、タイの食器が並べられ、シンハビールとプーケットビールが置かれています。笑い声とおしゃべりの合間を縫うように流れてくるのは、タイの古典音楽です。

 1月から開催している 「グローバルキッチン」 3月の回の第一回目が今日開催されました。ありがたいことに今日も満席です。女たちだけの贅沢な時間です。

 昨日の車の中のラジオで、「あなたのパワースポットは?」 と言うテーマで言葉が行き交っていました。水族館という人もいれば、ディズニーランド、保育園という人もいました。最後にまとめられた結論によれば、パワースポット三原則とは、水がある所、笑顔のある所、そして別世界を感じさせる所。

 私にとっては、月に3度のこの会がパワースポット。
 キッチンから水の流れる音がして、女たちが笑いさざめき、別世界になるひと時、、、、

 正気に戻って、テーブルの上を片付け、台所を片付け、実世界に戻ってみれば、すでに静かな闇に包まれる時間。先週からの過重労働と、睡眠不足でかなり疲れがたまっているはずなのに、パワースポットのおかげでしょうか。何だかまだまだ色々なことができそうな気がしています。

 とは言え、明日は旅発つ身、そうそうに眠りに就かねばなりません。
 毎度おなじみ、早朝の荷造りです。

 次は海に面したマイナス17時間の時差の町からです。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年03月10日

やっぱり私はこっちの世界

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 だいたいがあきらめが早く、怒りのエネルギーの量も人並み以下のものですから、めったに怒ることはないのですが、このところ立て続けに2回も怒ってしまいました。しかも、同じ所でです。

 めったにない分だけ、こちらもパンチをくらいます。怒ってしまった後で、その跳ね返りが来て、やたらドキドキとしてしまうのです。

 最初の一回はつい先日のこと。少しばかりまとまったお金を、別の口座に移す必要があって、通帳と印鑑を片手に銀行で順番を待ちました。金額を書き込んで、きちんと印鑑を押して、窓口に差し出すと、

「お客様、ご本人であることが確認できるものをお持ちでしょうか?」
「いえ、ありません。昼間銀行に来られない娘の代理でまいりました。」
「それではお引き出しはできません。ご本人にいらしてもらってください。」
「ええ、でもそれができないから、、、、、、、」
「そうおっしゃっても規則は規則ですから。」

 こんな押し問答の間も、カウンターの向こうの女性はきわめてビジネスライクにマニュアル通りの対応をします。そこで、つい言ってしまったのです。

「銀行という所は、自分のお金を下ろすこともできないんですか!」

 通帳を取り戻し、きびすを返して立ち去りながら、足がガクガクと震えてきました。相手に対してではなくて、怒ってしまった自分に対してです。まだ別の用件も残っていましたのに、恥ずかしくてその場に居続けることができません。

 一息ついて、別の支店に行って、続きの用件を片付けることにしました。便利なことに同じ通りをはさんでもうひとつあるのです。(これも吸収合併のおかげ)

 「何かお困りですか?」 と、声をかけてきてくれた優しそうなフロアレディーの方にことの経緯を話すと、

「そうですか、99万円までなら本人確認は不要なんですけれどねえ。」

と、気の毒そうな顔。けれども、それは、「とりあえず99万円になさったらいかがですか?」 という、私への暗黙のメッセージでした。私が出金票を書き込む姿をニコニコと見守っていてくださったのですから。

 それからしばらくたって、今日のこと。
 夫のキャッシュカードを預かって、お金を下ろそうとしても、どうしても機械が受け付けてくれません。そばにあった電話機を取って状況を説明すると、

「お客様、そのカードはお使いになることができません。先日、何度か間違った暗証番号が使われましたので無効になっております。」
「そ、それ、私が間違えたんです。」
「どなたがお間違えになろうとも規則は規則ですので、昼間のあいているお時間にご本人が再発行の手続きをなさってください。」
「それは無理です。急いでいますし、本人が来ることは当分できませんので、私が来たのです。何とか使えるようにしていただけませんか?」
「申し訳ありませんが、規則ですのでそれはできません。」

 そこで、また余計な一言を言ってしまいました。

「せめてお宅様が3時以降も開いていらっしゃればよろしいのに。土日も夜も閉まっているのでは、手続きにおうかがいすることもできませんね。」

 そして、また自分が言った言葉の揺り返しをくらって、オタオタドキドキしてしまいました。

 それにしても、これがどんな事情にも関知しない完璧なセキュリティーというものなのでしょうか。そして、こうして一分の隙もなくビジネスライクに対応することが、完璧なホスピタリティーというものなのでしょうか。

 朝には心配していた雪も溶けて、車で仕事に行くことができました。
 昨日の誓い通り、力いっぱい良い仕事をさせていただきました。
 規則もマニュアルもない仕事です。
 講義を終わって教室を出たら、私の大好きなキャンパスは、梅の花が満開でした。
 風が優しい香りを運んできます。

 やっぱり私はこっちの世界の方が向いています。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | その他メッセージ