2010年01月31日

素敵な年の取り方

Rs[ ` P1302809.JPGP1312836.JPG 
 さほど悪くもならないのですが、良くもならずに風邪が続いています。こんな中途半端な状態だとかえっていけません。キャンセルすることもなく、結局はもともとの予定通りに動いてしまうからです。それだから一層、中途半端に続くのでしょう。

 スイスのローザンヌ大学から待っていた客人が到着しました。風邪という不測事態など予想もせずに、みっちり立ててしまった予定をいまさら変更するわけにもいきません。予定通りに銀座のホテルへお迎えに行き、予定通りに銀ブラをし、予定通りの店で食事をすることになりました。予定と違うのは、ホストホステスの二人が、いつも以上に頻繁にポケットからティッシュを出しては鼻に当てていたことです。

 そしてもう一つちょっとだけ違うことは、二人ともいつもより歩くスピードが遅かったことです。特に私にいたっては、いまだに何だか雲の上を歩いているようなフワフワした感じです。

 でもそのおかげで素敵な光景を見過ごさずにすみ、素敵な会話を聞き逃さずにすんだのです。

 駅へと続く桜並木で、すぐ前を、80歳は越えていらっしゃるだろうご夫婦が手をつないで歩いていました。いつもなら急ぎ足で追い越してしまうのに、今日は何だかポカポカとした陽だまりが嬉しいせいもあって、同じようにゆっくりと歩調を合わせて後ろを歩いて行きました。

 老夫婦が立ち止まり、右手の家の庭に咲く花を指差しています。私たちも一緒に立ち止まり、指差された方を見ていると、

「あれは紅梅だろうか。」
「いえ、あなた、紅梅じゃあありませんよ。」
「じゃ、何だね、早咲きの桜かい?」
「オホホ、桜のはずがあるわけないじゃありませんか。」
「じゃ、何?」
「決まってますよ、白梅です。まったくあなたって方は若い頃から本当に植物音痴なんですから。」
「いいじゃあないか、そういうおまえだって、、、、、、、」

そんなノホホンとした会話の後に、二人はまた私たちが行くのと同じ方向に歩き出しました。今度は後ろから二人の声が聞こえてきます。

「今年の冬は暖かだねえ。」
「そうですねえ。でもあなた、私たちは良くても地球にとっては良くないらしいですよ。」
「そうらしいねえ、困ったもんだ。トオルたちが大人になる頃にはいったいどうなってるんだか。」
「心配ですねえ。二人で頑張って長生きして見届けましょうか。」
「馬鹿言いなさんな。」

 トオルと言うのはお二人のお孫さんでしょうか。いえひ孫さんと言うことだってあり得ます。

 この後にも、お二人の話は飛び飛びにいろいろな方々のことに及びましたが、必ず、「みんないい人だね。」 「ええ、皆さん言い方々ばかり。」 終わるのです。

 こんな風に年を取れたらどんなに素敵でしょう。暖かな冬の並木道の陽だまりの中を、手をつないでゆっくりと歩きながら、お互いを思い、家族を思い、友人を思い、地球を思う、そして、
「みんないい人だねえ。」 と言う、、、、、、、

 少し急ぎ足になりお二人との距離がだんだん広がって、もう声も届かなくなる所まで来て気づきました。

「みんないい人だねえ。」
「ええ、皆さんいい方々ばかり。」

と言うお二人だからこそ、こんな風に素敵に年を取っているのだろう、と。

By 池澤ショーエンバウム直美
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月30日

元気に楽しくお気楽に

P1272786.JPGWedding on June 5, 2005 069.jpg
 「この写真、ブログに載せてもいい?」 と聞いたら、間髪を入れずにスビサが答えました。

「Of course! Please, please do it! 」(もちろんよ、載せて、載せて!)

 脇から母親のモンタが付け足しました。

「Naomi, you can write an ineteresting book about her! 」
(ナオミ、この子のことを書いたら面白い本が一冊できるわよ。)

 3月の卒業式に会わせて、早くもお母さんがタイから飛んで来ました。聞けば、3月にはお父さんと弟さんもやってきて、家族全員でスビサの卒業式に出席するとのこと。そして今夜は、そんな母子のために私たちが企画した、お祝いの食事会でした。

 ビサももう31歳。2001年にバンコクの大学を卒業して日本の大学の大学院に入学しました。彼女とはいつだって英語で話してきましたから、実際スビサがどのくらい日本語を話せるかはわかりません。でも頑張り屋の彼女のこと、10年近くも日本で苦労をしてきたからには、きっと仕事にだって十分役立つぐらいの日本語ができるにちがいありません。

 それなのに、結局、日本での就職口が見つかりませんでした。英語と日本語とタイ語を話し、タイの一流大学を出た後に、日本で金融財政の修士と博士まで取得したと言いいますのに、、、一昨年はニューヨークの投資銀行で半年もの間、インターンまでしていたぐらいにモティベーションの高い学生でしたのに、、、、

 年齢のせいでしょうか、女性だからでしょうか、アジア人だからでしょうか、日本で働こうと思うからでしょうか?

 スビサは、私が大学の就職室長をしていた時に面倒を見た学生でした。小柄なくせにやたら元気で、何があろうと屈託なく楽しそうにしているところも、少々お気楽すぎるところも、どこか私自身に似ているようで、私たちは立場を越えて随分親しくなりました。

 しばらくして、新しい教授がアメリカから赴任してきて、彼女が彼のもとで助手として働きながら、論文指導を受けることになりました。それがたまたま今の私の夫なのですから、世の中、全く何がどこでどう繋がっているやらわかったものではありません。私も彼も当のスビサも、それを知った時は本当にびっくりしました。

 かくしてわれわれ二人の共通の学生となった彼女は、私たちのウェディングパーティーで一生懸命タイ舞踊を踊ってくれたのです。

「スビサ、卒業したらどうするの?」

「もう就職は考えない。会社を作って自分で仕事をすることにしたの。タイで必要としている物を日本で集めて持っていくの。私、車のことなんて何にもわからないけれど、自動車の中古部品のことで、日本の会社に10社も行ったわ。明日も一つアポがあるの。みんなきちんと対応してくれる。ねえ、これだって日本とタイの架け橋でしょ?ほかにだってやりたいことがたくさんあるし、、、、それに、いくら博士号を取ったからと言って、私、自分がアカデミックな世界で仕事をするのに向いてるとは思わない。」

 「スビサ、今日のこと私のブログに書くけれど、何か言いたいことある?」 とたずねたら、キラキラしたチャーミング目がますます輝いて、こんな言葉を残してくれました。

 「私ができることは、誰でもができることではありません。私にしかできないこと、私だからできることだと信じています。そしてそのためにはどんなチャレンジも厭いません。」

 相変わらず元気で、相変わらず屈託なく楽しそうで、相変わらずお気楽です。これこそが彼女の強みでしょう。加えて言えば、そんな彼女を支えてきた家族も彼女の大きな力なのでしょう。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月29日

懐かしのサワサワ肌感覚

P1292798.JPGP1292803.JPGP1292805.JPG 
 お客様方がようやくお帰りになって、やっと仕事部屋に戻れるようになりました。

 今日は、1月の『グローバルキッチン〜真冬のギリシャ料理』の3回目でした。同じ人数で同じことをやっているのに、たまたま同じ時間、同じ場所に集うことになった8つの個性の組み合わせ次第で、ピンクにも白にも緑にも虹色にもなります。そこがまさに「グループダイナミックス」の醍醐味でしょう。ただ一つ自信を持って言えるのは、たとえ何色であろうと、楽しいことは楽しいということです。

 ここまで書いてう〜ん、何かおかしい。寒気がする、体中が何だかサワサワしびれている感じ、そして頭を動かすとつらい、関節が何だかいやな痛さ。これだけそろえば、記憶の学習機能が働いて、 「待てよ、あれ、あれかもしれない。」 と、何年ぶりかの体温計をくわえることになりました。実は朝起きた時から何だかおかしかったのですが、測ってみて熱のあることがわかったところで、仕事の予定を変更できるわけでもありません。知らないでいた方がいいに決まってます。どうせやらなけりゃならないんですから、ネガティブな情報は要りません。

 でももういいでしょう?とばかりに、面白半分計ってみたら、案の定38.4という数字が出てきました。見かけの割に頑強な身、最後に風邪をひいたこともいつだったか思い出せません。風邪、しかも熱を出すなんて本当に珍しい、いったい何年ぶりのことでしょう。

 昨日、夫が大学から帰ってきて、「風邪ひいた。」 と一言。あわれなことに声はしわがれ、ティッシュペーパーを持って鼻水と格闘しています。薬はアスピリン以外飲まない頑固な夫に、せめて食後はコーヒーの代わりにフレッシュジュースをと、リンゴとミカンとオレンジとレモンをしぼり蜂蜜を入れました。この時までは、私も、「あらあら可愛そうに」 と人事だったのです。

 それが一日遅れで私の所にやってきました。目下夫婦そろって完全にイコールの状況です。

 先日の医学関係の新聞記事で、こんな面白いことが書かれていました。

「配偶者やパートナーと同居して暮らすことは、幸福の源泉になることもあれば、ストレスの元凶になることもある。」

「フィンランド人男女1449人の調査の結果、中年期から老年期を通して配偶者やパートナーと同居していた場合と比べ、アルツハイマーの発生率は非同居の場合は、2.89倍も多いことがわかった。」

「配偶者やパートナーと同居していれば、仲が良くても悪くても、脳への刺激が多く、認知機能は衰えにくいということかも知れない。」

 一挙両得、いえ一網打尽、誰かと暮らしをともにすることは、もちろんいいことも多いですけれど、一緒に具合が悪くなるというリスクとも紙一重。共倒れにならないうちに、早く私だけでも気合で治さなければ。。。。。それにしてもやたら寒くてストーブをつけているのにブルブル震えています。かくなる上はいつもの荒療治、プールに泳ぎに行くか、家のお風呂に飛び込むかしかないでしょう。プールに行くには、ビールを飲んでしまった後、しょうがない、ちょっとお風呂で温まってまいりましょう。

 それにしてもこのサワサワした肌感覚、何てなつかしいのでしょう。

 子供の頃、母と父が特別にアイスクリームや白桃の缶詰を食べさせてくれた頃のことを思い出します。弱かった子供時代、40度を越す高熱で寝込んだことも数知れず、そのせいか、たいそう熱に強くなりました。38度4分なんて何でもありません。とは言え、あまりに寒い、失礼してお風呂に飛び込みます。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月28日

一巡りしたと思う時

PC252246.JPGPC252247.JPG 
 昨日のブログを読んだ友からこんな感想が届きました。

「同じ国の同じ町の同じ場所にいるのに、前に一緒だった仕事仲間と、今一緒にいる仲間が全く違うことがあります。そんなことを、日本国内のみならず、世界の行く先々で経験するようになりました。そんな時に、僕の人生は十分に一巡したように感じます。そしてそろそろ卒業をしたい気持ちになります。」

 60代半ばにして、いまだに現役で要職に就いている友です。

「人は1つ年を取るたびに本当の自分に近づいていき、最後にはまた赤子に戻る。」

 そんなことを言った友もいました。昨年亡くなった母の姿を彷彿とさせます。最期は本当に赤ん坊のように無垢でした。

 私の好きな曲の一つに、バッハの 「ゴールドベルク変奏曲」 があります。美しいアリアで始まり、同じ主題が30の変奏曲によって奏でられ、また最期は始まりと同じアリアで終わります。これを聞く時、私はいつも自分の人生を重ね合わせます。

 「一巡した」 という友は、一抹の哀愁を覚えているのかもしれませんが、一巡できたのなら、それはとても恵まれた幸せなことだと思います。ワシントンのメイフラワーホテルの前に立った時、私は何だかとても感動して、心の中でこんなことを呟いたのを覚えています。

 「一回りしたなあ、結局、ここに続いていたんだなあ。」 と。

 話は変わりますが、先月の高知滞在中に、一日中居たいぐらいに素晴らしい所を訪れました。植物学者、牧野富太郎博士にちなんだ牧野植物園です。ここで不思議な木を見つけました。大ぶりの葉がみな枯れたままで枝に付いているのです。後になり先になり何となく一緒に歩いていたご婦人に、「まあ、こんなに枯れちゃって。お水が足りなかったんですかねえ。」 と言うと、植物園には毎週のように来るというその方が、こんな風に答えました。

 「この葉っぱたちはね、このままの姿で若葉が出てくるのを待っているんですよ。新しい葉を見届けたらすぐに落ちて行きます。一巡りしたと思うんですかねえ。」

 どこかに木の名前を書きとめたはずですのに、相変わらずのいい加減さ、どこに書いたのやら見つかりません。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月27日

つれづれなるまゝに、JALを思ひて 最終回

imagesCANXXQEW.jpgimagesCA9OAA48.jpgrenaissance_mayflower_hotel.jpg 
 JALに入社した翌年にオイルショックが世界中をゆるがしました。飛行機は石油という燃料がなければ飛べません。私たちは日毎に高騰する燃料価格を前に頭を悩ませていました。そしてそれ以上に苦渋していたのが、飛行機を飛ばすための燃料をいかにして調達するかでした。

 そんな折、社会人となってたかだか1年ちょっとの私に、突然恐ろしい指令が下りました。皆、自分の持ち場で手一杯の状況だったのでしょう。

「ワシントンへ飛んでくれ。そして、ミスターショートと一緒に連邦航空局へ行って燃料のアロケーション(割り当て)を確保してきてくれ! 心配はするな、君はこの書類を持って行くだけでいい。あとはミスターショートが全部やってくれる。」

 ミスターショートと言うのはJALの顧問弁護士でした。突然のミッションにあわてふためきながら、私はニューヨーク行きの自社機に乗り込みました。そしてシャトル便に乗り換えて、ワシントンに下り立ちました。

 それからが大変でした。「書類を渡すだけでいい。」 と言ったって、黙って渡すわけにもいきません。「一緒に行って」 と言ったって、黙々と後をついていくわけにもいきません。いくら大学時代に多少の海外経験があったとは言え、いくら英文科を出たとは言え、23歳の私には荷が重過ぎました。

 眠れない夜が続き、ホテルの部屋の中を毛布を持ってウロウロと寝場所を求めてさ迷い歩き、クローゼットの中までか、風呂桶の中でまで寝ようと試みました。けれども、大して眠りもしないうちに朝を迎える日が続きました。後にも先にも不眠症というのはあの時だけです。

 それでも若さがありました。寝不足の中で何とか任務を終えて、朗報と共に日本に戻るという前の晩に、ミスターショートがポトマック川の蟹を食べに連れて行ってくれました。やっとリラックスできるところまで来た私は、出された蟹をお腹いっぱい食べました。

 そしてその翌朝、、、、、、

 鏡の中に、2倍ぐらい膨らんだ顔の自分を見つけました。これまた後にも先にも、何かに当たったなどというのはあの時だけです。被っていたストレスがそれだけ大きかったのでしょう。羽田空港に迎えに出ていた夫は、私とわからずにそ知らぬ顔で脇を通り過ぎていきました。

 今、私は縁あって、その同じワシントンとの間を行き来しています。あの時、途方にくれて降り立った空港、そして膨れ上がった顔で飛び立った空港は、今思えばナショナルレーガン空港、我が家からは目と鼻の先です。14階の家のサンルームからは、ニューヨークとの間で行き交う飛行機がよく見えます。

 結婚後、初めて過ごしたワシントンで、たくさんの友人たちがお祝いをしてくれました。最初のディナーの後、車で来ていた弁護士のマークが言いました。

「ナオミ、どこか見たい所はある?」

 そして私は答えました。「あの、もしよろしければ、メイフラワーホテルを。」

 マークが怪訝そうな顔で、私をメイフラワーホテルの前まで連れて行ってくれました。それこそが不眠不休で苦しんだ32年前のあのホテルだったのです。

 人生とは実に不思議なものです。
 こうして同じ場所に戻ってくるなんて、、、、、、、
 まさか自分があの町で暮らすようになるなんて、、、、、、
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月26日

   つれづれなるまゝに、JALを思ひて その2

imagesCAA52F99.jpgN^.JPG 
 私がなぜJALを最初の働く場として選んだのかについては、こんな背景があります。

 大学生の私は、実はまるで別の業界を志望していました。けれども、どうしても最後の最後の音声テストで落ちてしまうのです。こればかりは持って生まれたもの、努力すれば何とかなるという類のものではなく、私は夢を断念せざるを得ませんでした。

 そこで、「じゃあ、あなたは何がやりたいの?」 と自分に問いかけてみましたが、すぐに答など出てくるはずもありません。仕方なく、自分への質問の形を変えてみました。「あなたは何が好き?何のそばにいるとワクワクする?」 と。

 それが飛行機でした。自分がいる 「ここ」 から、はるか水平線の向こうの 「あちら」 へと運んでくれる飛行機が大好きでした。空港でなら飛行機を見ながら何時間でも過ごすことができました。それに気づいた時、飛行機のそばで働きたいと思いました。

 挫折とそれに続く単純な動機が、結局は自分の人生を方向づけてしまったのです。なぜって、冷静に考えてみれば、今の私がいるのは、まさにあの時、あの場所から実は連綿と繋がっている道の上だからです。

 JALに入社したことで、夫と二人、世界中いろいろな所に旅をすることができました。そこでギリシャに出会い、ギリシャに住むことになりました。それを助けてくれたのは、当時、JALのアテネオフィスにいたアダでした。アダは今でも私の腹心の友です。

 日本に戻ってからは、学んだギリシャ語とギリシャ製品の知識を生かして、ギリシャの商務省の仕事をすることになりました。川上から川下まで様々なことをしながら、ここで随分とスキルがつきました。

 政権が変わったのを潮時に、10年近く在職していた職場を去った時、いちはやく声をかけてくれたのが、JAL時代の親友のご主人の大学教授でした。それが私の大学での仕事のきっかけとなったのです。

 16年にも及ぶ大学時代には、様々な部署で様々な仕事を経験することとなりました。それは自分に向いていること、向いていないこと、自分の好きなこと、好きではないことを学ぶのに十分な年月でした。そして、私は向いていること、好きなことを選択し、キャリアカウンセラーとしての道を歩み始めたのです。今の夫に出会ったのも、大学で仕事をしていたからでした。
 
 こんがらがった毛糸玉をほどいて行くように、過去へと遡ってみれば、今、私がここにいて、こんな生活をしているのも、発端はJALであることに気づきます。ギリシャ滞在中にたまたま料理本の翻訳などしていなかったら、これほど料理やオリーブオイルに興味を持つこともなかったでしょう。

 アダばかりではありません。あの時代に同じ部署で働いていたユカリさんとエツコさんも、私の生涯の友となりました。

 3人で会うたびに、誰かが決まってこんなことを言い出します。

「いい所だったよね。みんないい人だったよね。なぜかしら、悪い人が思い浮かばない。みんなどこかノホホンとしていてね、育ちのいい人たちが多かったよね。」

 もし、今、会ったら、フッとため息をつきながら、誰かがこんなことを言うかもしれません。

「だからいけなかったのかもねえ。」

 感傷にまかせて、もう一つだけお話ししたいエピソードがあります。明日、もう一度だけ、続きを書かせてください。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月25日

つれづれなるまゝに、JALを思ひて その1

1P1232737.JPGimagesCA1BZ1DU.jpgja892201.jpg 
 「日本からはるか遠く離れた異国の空港で翼を休める赤く丸い鶴マークの飛行機に、日本人は安堵し、望郷の念にひたり、日本人であることを誇らしく思い、奮起しました。かつて海外駐在の日本人の楽しみは 「JAL映画会」 で寅さんに会うことでした。不安だらけの留学や海外出張でCAの笑顔に励まされた人も多いことと思います。微力ではありますが 今後も、□□□はJALを応援します。」

 こんなメールが届きました。□□□に入るのは、JALの株を13万株保有し、約2千万円の損計上をする会社です。長い間、お客様への特典として、JALの株主優待割引券のプレゼントをしてきました。自分たちのこれまでの成長の一端は、JAL及びJALのお客様のおかげによるものと感謝を述べ、「まさかのときの友は真の友」 として、JALを応援する気持ちと、復活への期待を表しました。

 JAL=日本航空は長い間、私たちの 「ナショナル・フラッグ・キャリア」 でした。日本という国の翼は、私たちの心の翼でもありました。そして私にとっては、キャリアという長い線の、まさにスタート地点でした。

 日本航空が設立されたのはほぼ私がこの世に生まれた年と同じです。私は1972年、22歳の時に、同い年の会社に入社しました。2年前にはジャンボ機「B747」を導入し、78年の成田空港開港に向けてみなが熱気を帯びて仕事をしている時でした。そして、そんな時にあの2つの事故が起こりました。入社早々、6月のニューデリーでの事故と、11月のモスクワ空港での事故です。

 私が働いていたのは、調達部という部門でした。調達部は7つのグループに分かれていました。
 管理、航空機、リース、燃料、ワランティー(保険、保証)、地上器材、調度。こんなことをいまだに覚えている自分が不思議です。それだけあの職場は自分にとって特別な場所だったのでしょう。就職活動を一生のうちに何度しようとも、新卒者としての就活がただの一度しかないのと同じように、どれだけ転職をしようが、私にとっての最初の職場はJAL以外にはないのです。

 すべてが新鮮で、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。調達部というのは、いわば、ジャンボ機から鉛筆1本にいたるまで、およそ日本航空という会社で使われるものの全てを調達するところでした。私は、国際線の燃料を調達していました。

 ひとたび事故が起きれば、日常業務が緊急の特別業務に変わります。刻々と変わる状況に合わせて、必要とされるものも刻々と変わっていきます。大学を出たての若僧にとって、不謹慎ながらもその臨場感は手に汗握る経験でした。

 JALからはたくさんの大切なものをいただきました。仕事の礎はあそこで学びました。たくさんの暖かい思い出は、いくつかのシーンとなって35年以上を経た今でも、鮮やかによみがえります。

 「いつの間に破産をしなければならないまでに凋落していたのだろう。」 と、多くの人が思うのと同じように、私も思い、心を痛めています。私はやっぱり飛行機が好きです。鶴丸のマークに広い世界への夢を託していた頃のことを忘れません。私も□□□のように、その再建を応援するものの一人です。

 私がなぜJALで仕事をすることになったのか?
 JAL から与えられたものとは何なのか?

 それらについて、明日また、もう少しお話しさせていただければと思います。
---------------------------------------------------
先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:いよいよ開店!グローバルキッチンリアル版
火曜日:まじにおいしいスティファド
水曜日:グローバルキッチンリアル版速報 第一弾
木曜日:グローバルキッチンリアル版速報 第二弾
金曜日:タラモ タラモ タラモ!

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月24日

女ってやっぱり格好いい!

Rs[ ` P1242745.JPGP1242748.JPGP1242751.JPGRs[ ` P1242755.JPG 
 今日も柔らかい光に輝く朝から始まりました。今日は、今月から始めている 「グローバルキッチン」 という集まりの第二回目です。平日でなければ来られない人もいれば、週末でなければ駄目な人もいます。

 日曜日の8名は、全員が働く女性。昼間は男どもと互角に仕事をしている女たちが、あるいは男性の部下を率いている女たちが、エプロンをつけ、台所で笑いさんざめき、私よりもずっと上手にパイを作ったりします。

 ギリシャ風に、まな板を使わずに野菜を切る 「空中切り」 を教えれば、すぐにマスターして、器用にサラダボールにチョンチョンとトマトやキュウリを切っていきます。今日のこの場で、初めて会った人たち同士が打ち解けて、ちょっとした冗談を言い合っては笑い転げています。

 何にも言わなくても、なんとなく役割分担ができていき、料理をする人のそばで、せっせと皿や鍋を洗う人がいます。そして次にはその役割が交代します。すばらしいチームワークです。

 仕事のことは話しません。家庭のことも話しません。愚痴もこぼしません。ただ、その時、その場に合った話題をごく自然に口にし、おたがいの話に耳を傾けあいます。私の言葉をきちんと聞き、メモを取り、質問をします。けれども、仕事のことでいったん何かたずねようものなら、瞬間的にプロの仕事人に変わります。そして、すぐにまた、日曜日の午後をごく個人的な楽しみのために、ゆったりと過ごす普通の女たちに戻ります。

 ゆっくりワインを味わいながら、心地よい部屋に流れるBGMの中で、自分たちが作った料理を堪能する贅沢な休日に、誰かが言います。

「いいですねえ、こんなのって。」
「そう、すごく贅沢をしているって感じ。」
「何だかすごく楽しいですよねえ。」
「そう、作って、飲んで、食べて、聞いて、話して、学んで、笑って。。。。。」
 「ストレスがどこかへ消えちゃったみたい。」

 11時から14時までの3時間のプログラムは今日も大幅に時間超過。膨大なお皿やグラスの山をいとも自然に、いとも楽しげにみんなで洗って、片付けて、最後の最後でようやく名刺交換なんかして、、、、、、、

 そんな彼女らも、家に帰れば妻にもなり、母にもなり、明日の朝にはまた仕事の人になります。反論が来るのを承知で言わせていただければ、女って何てしなやかで、何て潔く、何て格好いいんだろうと思います。そして、何だか最近はどこに行っても、女たちの方が、既存の枠組みにとらわれずに、元気に人生を楽しむ術を心得ているように見えるのです。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月23日

滅びゆく星

imagesCAUR69O9.jpg
 澄んだ冬空に星の美しい夜でした。南天を飾るのは、一列に並んだ三ツ星のオリオン座。三ツ星をはさんで対称的に位置する2つの明るい星が、リゲルとベテルギウスです。線を結んでみれば、夜空に、ギリシャ神話の狩人、オリオンの姿が浮かびます。

 オリオンは海の神であるポセイドンと、女神エウリュウアレの子として生まれ、すぐれた狩人として育ちました。海の上をも歩くことができたと言うオリオンは、月の女神であり、狩の女神でもあったアルテミスに恋をします。けれども、自分の狩の腕前に自信を持ちすぎたことから、大地の女神の怒りをかってしまいます。大地の女神は、大きなサソリをオリオンに仕向け、オリオンは命を落としました。

 オリオン座が東から昇ってくるのは、さそり座が西の地平線に沈んでからだと言うのも、広大な夜空を舞台にしたロマンあふれるストーリーです。

 小学生の理科の時間に習って以来、冬の夜空を見上げるたびに呟く癖がつきました。

 赤い星はベテルギウス
 青い星はリゲル

 そんなオリオン座の一等星 「ベテルギウス」 が消えようとしています。寿命に近づいていると言うのです。寿命と言ってもまだ数百万歳。「まだ」 とつくところが、われわれ人間とはまるでスケールが違いますが、直径が太陽の1千倍もあるというこの美しい星は、その重さゆえに寿命も短いとのこと。

 先日の新聞では、専門家のこんな言葉が引用されていました。

「爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくない。」
「爆発がいつかはわからないが、死の直前を見ているのは間違いない。」

 600光年のかなたにある滅びゆく星の光は、ことさら美しく、ことさら哀しく私たちに届きます。ベテルギウスから見る小さな小さな点のような地球はどのように映っているのでしょう。やさしく映っていてくれるのでしょうか。

 「やさしきは地上最後の恐竜が凍えつつ見た雪片の白」 (松村由利子「鳥女」より)
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月21日

額縁の絵、描いてみませんか?

Rs[ ` P1132613.JPG50207.jpg 2006年11月と言えば、もう3年以上も前のことになります。当時、ある新聞社のウェブサイトで「Shall We Afresh?」と言うブログを書かせていただいておりました。2006年の9月から始めて、2009年の3月まで数えてみれば、65本。もっとも2年7ヶ月もの間のことですから、いかに不精なライターだったかがわかるというものです。

 11月2日には、「額縁の絵」 と題して、こんなことが書かれています。尊敬する湯浅裕子先生の 「能ドラマと聖書の響き合い」 という講座に出た時の話です。

「冒頭からドカーンと大きなパンチが飛んできました。『時間をあげますので、皆さん、自分の将来の夢を頭の中で絵にして額縁に入れてください。一人ずつ発表してもらいます。』 こんな先生の言葉に、私を含め、居並ぶ初老の生徒たちが頭をかかえました。『夢?夢?夢の絵?』 と必死に考えました。

 すると不思議や不思議、自分でも思ってもみなかった絵が少しずつできあがってきたではありませんか。初めはラフなデッサンに段々と色がついていき、なんと最後には音と匂いまで伴った動画になっていたのです。前もって宿題を出されて描いた絵と違って、こういう予想もしない変化球を投げられた時には案外と深層心理の中の思いが首をもたげるのかもしれません。

 私の絵はざっとこんなものでした。大きな台所でコトコトとシチューの鍋が湯気をたてています。開け放たれた窓からは、オリーブの林と黄色い実をつけたレモンの木々、そしてその向こうにキラキラ光る静かな海が見えます。私は心地よい風を受けながら、鍋のそばのテーブルでなにやら書き物をしています。かなり集中している様子。お昼を知らせる鐘の音に我に返ったかのごとく 『あら、もうこんな時間!』 とテーブルの上を片付け始め、できあがったシチューの火を止めます。そして、『ご飯ですよ〜!』 と誰かに呼びかけています。絵の中の私は皺も白髪もだいぶ増えてはいますが、とても穏やかな笑顔を浮かべています。」

 それから3年と1ヶ月、昨年12月に湯浅先生にお会いしたら、先生が言われました。

「ナオミさん、あなた、これから何をなさりたいの?」

 あの時と同じように、ドカーンと大きなパンチが飛んできました。しどろもどろに、けれども一生懸命、私の思いをお話ししたら、

「ああら、あの時の額縁の絵に近づいているじゃあないの。とてもいいことだわ。」

 とニコリ。それにしても、あんなに前の私が描いた絵を覚えていてくださったなんて、、、、、、またしてもやられました。先生にはかないません。

 自分の夢の絵を描いて額縁に入れてみる、それはなかなか良い羅針盤になって、岐路に立った時に、無意識のうちに私たちの歩む方向を額縁の方角に向けてくれるように思います。

「額縁の絵」、描いてみませんか?
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | その他メッセージ

2010年01月20日

受け継がれた炎を見届けて

P1182683.JPG 昨年いっぱいで恵泉銀座センターの閉鎖が決まるや、それを聞きつけた受講生の皆様方から、講座の継続を求める嘆願書を何通もいただきました。同時に、教える側の先生方からも、何とか続けたい、というご希望が多く寄せられました。

 いったん正式に決まったことを、私の力ではくつがえすことなど、できるはずもありません。けれども、私自身、4年間もの間続いてきた炎を完全に消してしまいたくなかったのも事実です。オリンピックの聖火のように、たとえ小さな炎になってもどこかで、誰かに受け継いでもらいたかった、、、、、

 閉鎖のための諸々の処理業務に加えて、昨年最後の2ヶ月は、リレーのバトンを渡す先を求めて奔走しました。何人もの方にお会いしました。その結果、ありがたいことに、事務局を引き受けて、いくつかの講座を継続して開講してくださる所が見つかりました。そして、つい一昨日は、ある都心の会社から、月に1〜2度なら無償で会議室を使ってもいい、というありがたいオファーをいただきました。

 私自身はこの先は、もう企画にも運営にも関わることはしませんが、「橋渡し」 という最後の仕事ができたことを本当に嬉しく思っています。そしてそのために努力することが、私の感謝の気持ちでもありました。

 今日は、移管後の講座の一つに、受講料を払って参加してきました。きちんと着地しただろうかと見届けるためでした。場所は銀座から京橋に変わりましたが、講師も同じ、10名の生徒さんもいつもの顔ぶれ。いつものように始まって、いつものように終わりました。まるで何事もなかったかのように。

 一つ肩の荷がおりました。これでもう私がいなくても大丈夫でしょう。
 ほっとしたのと同時に、何だかまた寂しさが押し寄せてきました。
 身軽になるというのは、反面いつだって寂しさを伴うものです。
 
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月19日

「グローバルキッチン」という広場(プラティア)

P1192690.JPGP1192689.JPGP1192703.JPGP1192719.JPG
 新しいスタートを祝福してくれるかのように、明るい光が差し込む朝を迎えました。

 テーブルクロスは深い海の色。マットは浅瀬の海の色。
 白いお皿の上の2枚のナプキンは、浅瀬から深みへと移る間の海の色。
 テーブルは懐かしいエーゲ海になりました。オリーブの葉が影を作り、短調でいてそのくせ陽気な、あの独特のギリシャ音楽が流れてきます。

 「グローバルキッチン」 の開始時刻11時を前に、次々とチャイムがなって、8名のお客様方がいらっしゃいました。

 何と言う楽しい集いだったでしょう!24歳から70歳までの女性たちがエプロンをつけ、台所に集まり、先生の言うことをよく聞く素直でまじめな生徒となりました。

 サワークリームとタラコを和え、デザートのクッキー生地を丸めてくれた人。
 キッチンの隅っこで、豆のトマト煮を仕上げてくれた人。
 手際よくパイ皮を敷いてほうれん草と山羊のチーズのフィリングを包んでくれた人。
 ミキサーでタラコとジャガイモを混ぜ合わせてくれた人も、
、タラコとパンを合わせてタラモサラタを作ってくれた人も、
 萄の葉を広げてお米を巻き込んでくれた仲良しトリオも。

 サラダ作りは全員の共同作業。メインディッシュのムサカの仕上げもみんなで行いました。

 平日に心安らぐ時間がゆっくりと流れ、影が移動をしていきました。笑いとおしゃべりと満腹が、みんなの心をひたひたと満たして、気がつけば終了予定の時間を2時間も過ぎていました。
 
 小さなプラティア(広場)ができました。小さなプラティアはどんどんと繋がって、だんだんと大きなプラティアができていくことでしょう。

 花に水をやるように、プラティアを育てるのが私の役目です。
 だって、それこそがずっと抱いていた私の夢なのですから。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月18日

しゃべりすぎない店主にならねば、、、、、

1PC292373.JPGPC282320.JPG1PC282362.JPG
 昨年暮の松山でのことです。四国滞在も最後の夜となって、「どうせなら思いっきり美味しいものを食べましょう!伊予料理の良い店が近くにないかしら?」 ということになりました。

 ガイドブックを見てもなかなか適当な所が見つかりません。こういう時は、ホテルのコンシェルジュの方に聞くに限ります。

 きっと、私たちのようなお客が他にもたくさんいるのでしょう。おたずねするやいなや、待ってました!とばかりに市内のグルメマップを広げて、

「こちらが当ホテルでございますね。裏側の出口をお出になって左手、最初の角を右に曲がった所に2つございます。1つ目の 『たにた』 さんは、おいでになったお客様が皆様、『行って良かった』 とおっしゃいます。2つ目はその少し先の 『□□□』 さんでございます。」

 お勧めに従って歩き出し、まずは 「たにた」 を覗いてみれば、時すでに遅し。満員です。それならばと次なる 「□□□」 に行ったら、こちらは広い店内がガラガラ。一瞬いやな予感がしたものの背水の陣で暖簾をくぐってみました。

 10分でその理由がわかりました。店主がしゃべりすぎるのです。じっくりメニューを見ているそばから、「これがいい、あれがいい、なぜならば」 と、薀蓄を語りだして止まりません。それらがみな、その晩に私たちが食べたいものとは全く食い違っているのにも気づかずに、延々と 「自分が食べさせたい物」 の説明が続きます。こちらの顔色を読めばわかりそうなものですのに、饒舌な店主は止まるところを知りません。しかも、一見の客に対してやけに馴れ馴れしいのです。しまいに、私たちの隣のカウンター席にすわって、まだしゃべり続けます。

 昨年まで仕事をしていた銀座のオフィスで、それはそれは寡黙な男性がおりました。ニコッと笑った後は、黙々と仕事をします。そのくせ、こちらが話を聞いて欲しい時には、きちんと耳を傾けて、短い言葉で適切な助言をくれます。私たち女性陣はいつの間にやら、彼をすっかり信頼し、頼るようになりました。

 12月いっぱいでオフィスが閉鎖されることになって、女性陣は言いました。

「○○さんがカフェバーでも開いてくれて、黙ってカウンターの向こうにいてくれたら、私たち常連さんになるよね。XXさんだったら絶対行かないけど。」

 XXさんと言うのは、話し好きで有名な人でした。ひとたび話し始めると、周囲の辟易など何のその、どこまでも話し続けます。面白いもので、立て板に水のようにとうとうと話す人がコミュニケーションの名手とは限りません。それどころか往々にして逆の場合の方が多いのです。

 いよいよ明日、「グローバルキッチン」がオープンします。
 http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/d/20100118

 店主たるもの、わが口はほどほどに、わが身は慎ましく、なるべくお客様のお話を聞き、なるべくお客様に楽しくおしゃべりをしていただかなければ、と、松山の夜を思い出しながら心しております。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月17日

まっすぐで素敵なエミカさん、行ってらっしゃい!

P1122566.JPG 今頃エミカさんは太平洋を越える飛行機の中でしょう。

 エミカさんは去年高校を卒業したばかり。在学中に1年間、アメリカの高校に留学している間に、「大学は絶対にアメリカにする!」 と言う決意を固めました。日本に戻ってからは、目標に向かってその時々になすべきこときちんと考えながら、日本の高校を卒業し、去年の秋にアメリカの州立大学に入学しました。

 出願する大学を選択する際に、そして実際に入学する大学を決める際に、エミカさんは何度か私たちのところに相談に見えました。まっすぐな視線とまっすぐな足、まっすぐな考え方、、、、、『なんてまっすぐで素敵なお嬢さんだろう。』 と言うのが、私の最初の印象でした。

 大学生になってからお会いするのは初めてでした。雨降りの寒い日に風邪をひかせたくなくて、「駅に着いたら電話してね。5分で迎えに行くから」 と言ったのに、すでに風邪をひいている身で、雨の中をコンピューターの入った重いカバンを肩にかけ、傘をさしてまっすぐに夜道を歩いて来てしまった相変わらずの 「まっすぐなお嬢さん」 です。

 帰国を控えた身で、わざわざ私たちの家までやってきたのは、進路について悩んでいたからでした。より具体的に言えば、今年の夏の過ごし方についてでした。私は、あえてカウンセリングの形はとらずに、エプロンも身に着けたまま、フリートークの形でエミカさんに話をしてもらいました。

 彼女の悩みというのはおおむねこんなものでした。

「3年生になる時にもっとレベルの高い大学にトランスファー (転校) したい。そのために、その大学のサマースクールで勉強をしたいのだけれど、良い成績が取れるかどうか自信がない。今の大学ではGPA平均4.0を取ってはいるけれど、サマースクールに参加することで平均点が落ちてしまうかもしれない。お金もかかるし、、、、、、、」

 そこで、私は彼女に、考えられる限りの夏の過ごし方をあげさせてみました。その結果、たくさんあるようでいて、たった3つの選択肢しかないことがわかりました。1つは日本に戻ってきてアルバイトをすること。 2つ目はアメリカに残ってアルバイトをすること。 そして3つ目が転校を希望するハイレベルの大学の寮に入って4週間または6週間の夏のコースを取って勉強すること、でした。

 次に、今度は、それぞれの選択肢の長所と短所を考えさせていきました。その様子を見れば、本人が3つ目を望んでいることは火を見るより明らかでした。当然、本人にもそれがわかっていました。私が言うまでもなく、エミカさんはすでに自分で答を発見していました。

 そうなれば早いものです。3つ目の選択肢を実践するための短所としてあげられた2つのことを一緒に考え、多少は経験もある大人としてのアドバイスをすることでした。

 一つ目:成績がキープできるかどうか心配。
 (答)「やってみなければわからないじゃないの。キープできるように頑張って、それでも駄目だったら、それはそれで、いい経験。そんな経験も今後の大きな力になるはず。」

 二つ目:学費が余計にかかる。
 (答)「あなたが本当にやりたいことなら、お母様だってきっと応援してくれるはず。親なんて、子供の目の輝きのためなら、自分の苦労なんてちっとも厭わぬもの。その代わり、感謝の気持ちは忘れないように。そしてあなたが将来自立したら、必ずお母様にお返しをするように。」

 そうして、パートワンの日本語での面談が終わり、私はエプロン姿のままキッチンへと戻りました。夫にバトンタッチしたパートツーでは、PCの画面を前に、英語でのよりプロフェッショナルな相談に変わっていたようです。

 まっすぐなエミカちゃんがなんだか娘のように愛おしくて、帰る前に無理やり温かいシチューを食べさせて、車で駅まで送って行きました。「ありがとうございました!ご馳走様でした!」 と花のような笑顔で挨拶をする彼女に、車の中からたずねました。「次に帰るのはいつ?」

 すると一瞬の迷いも見せずにこんな答が返ってきました。

「しばらく先になると思います。夏は残ってサマースクールに行くことに決めたので。」

 その瞳の何と美しく、何とまっすぐだったことでしょう。
 「失礼します!」 と雨の中を改札口に向かう後ろ姿の何と美しく、その背筋の何とまっすぐだったことでしょう。

--------------------------------------------------
先週のグローバルキッチンお品書き
http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku
月曜日:オリーブの実のオリーブオイルマリネー
火曜日:長〜いレモンパスタのセンチメンタルジャーニー
水曜日:ジャガトマサーディンのオーブン焼き
木曜日:鉄板焼きのシャングリ・ラ
金曜日:気絶するほどおいしい?トルコのイマム
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | その他メッセージ

2010年01月16日

オリーブでキャリアカウンセリング

P1162670.JPGP1162666.JPGP1162672.JPG 
 オリーブオイルのちょっと奥深い勉強が始まりました。前半は学術講座、後半は技術講座。加えて毎回6種類のオイルのテイスティングがついてきます。こうして2月末まで、毎週土曜日の午後は学生に戻ります。

 それにしても1時半から6時までの4時間半ほぼぶっ通しというのは、けっこう疲れます。面白くないものなら、適当に居眠りをしたり、聞いているふりをして他の事を考えてもいられるのですが、これがなかなかどうして面白いのです。一生懸命聞いて、メモを取ったりしていたら、帰りの電車の中でどっと疲れが出てきました。

 けれども、講習が終わって暗くなった後に、福岡に、小豆島に、名古屋へと戻って行く級友たちのことを思えば贅沢は言えません。

 オリーブの木や実、オイルについては当然ながらたくさんのことを新たに学びましたけれど、それと同じぐらいに面白かったのは、講師の岡井路子さんの人生哲学でした。肩書きは 『ガーデニングカウンセラー』 ですのに、まるで一流の『 キャリアカウンセラー』 のように、相手の話を良く聞いて、励まし、適切な示唆を与えてくださるのです。ユーモアに溢れる語り口で心に届く珠玉のメッセージを投げかけてきます。すっかりファンになりました。

 岡井語録です。

「かまってもらったオリーブの木と、かまってもらえなかったオリーブの木は、半年、1年たった時に確実に姿形が変わっています。」

「私は別に何でも知っているわけじゃないの。自分が知りたいから、いろいろな所に行っているだけ。わからないからわかる人の所に行くのよ。」

「苗木を売る、育てる、切る、切ったものをアレンジする、オイルを紹介する、品種の専門家になる、etc. etc. オリーブの木1本だって、いろいろな仕事があるんですからね。」

「いいことを覚えたらね、自分の中に留めておかずにワーワー言って発信するのよ。
 対等でいれば伝えたいことは伝わっていく。でもね、ニコニコした感じの良い人でなけりゃいけないの。自信がなければ、感じのいい人を仲間にしてね。」

「全ては自分。あなたたち、自分でアクションを起こしたからここに来てるんでしょ?」

「自分で動かなけりゃ何もつながっていかないのよ。『あなた、あれ取ってきて!』 じゃ駄目なの。
人と人とが繋がり始めると 『生きているって面白い!』 ってことが、年をとるほどにわかってくるのね。」

「この分厚いテキスト、全部に興味を持たなくてもいいのよ。『自分が興味を持てるページはどこだろう?』 って言うところから広がっていくんだから。」

「私はねオムツ替えが得意な主婦だったの。でも別の何かになりたくて、電話帳をかたっぱしから見たけれど、なりたいものが見つからなかった。じゃ、自分で作っちゃおうって、たぶん日本に一人しかいない 『ガーデニング カウンセラー』 になってみることにしたのね。」

 素敵なメッセージです。明日、カウンセリングのために上京する、転職に思い悩むミツコさんに、そっくりそのままお伝えしたいぐらいです。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | マイワーク

2010年01月15日

古より伝わりし神々の宝〜本日のジョブシャドウイング

P1152653.JPG11P1152655.JPG 
 とても面白い仕事をしてきました。たぶん、今、私がここで中味を話してしまったら、「機密漏洩罪」 に問われるかもしれませんので、ほんのさわりだけしかお話しできませんが、、、、、

 1月24日に正式にリリースされるということですし、2月初めにはテレビのCMが始まり、2月15日には堂々発売開始!ここまで言ってしまったら、機密の3分の1ぐらいはもらしてしまったようなものですね (笑)。

 実は、ある商品のテレビCMの録音に立ち会ってきたのです。と言うのも、これ、女神がギリシャ語で神託を述べるという設定。日本語版のセリフが送られてきて、ギリシャ語に翻訳したのが1週間前のことでした。まさか、ギリシャ語で?と半信半疑ながらも、それが正夢となって、本日はその音入れの立会いに行ってまいりました!

 文字で書かれた原稿も、映像に乗せてみればはみ出してしまったりもします。ギリシャ語に慣れた頭では、気がつかないおかしな響きの言葉もあります。

 それらを、監督さんを始めとする製作の方々と一緒に、別の単語に置き換えたり、表現そのものを変えてみたり、思い切ってバサッと切ってしまったりしながら、リアルタイムでどんどんと手を入れていきました。

 スタジオとはガラスの二枚扉で仕切られた録音室のマイクに向かう俳優さんに向かって、こちら側からマイクを通じて発音を直したりしながら、無事終了。

 3時間近くのスタジオごもりの間にいろいろなことを学ばせていただきました。

 その1:たかだか15秒のCMの裏には、これだけたくさんの専門家たちがこうして協働作業をしているということ。スタジオの中にはいつだって10人以上の人たちが出入りし、熱気に溢れていました。

 その2:ここまで来るには3ヶ月にもわたって準備がなされていたということ。、そしてそれぞれの過程で、さまざまな種類の仕事を分業していたということ。また、この先も全てが完了するまで、こうして仕事を続けて行くこと。

 その3:どなたがどなただか素人には見分けがつきませんでしたけれど、スポンサーの方も、広告代理店の方も、製作会社の方も、プロダクションの方も、俳優の方も、みんなが入り混じって1つの物を作り上げる総合ビジネスだということ。

「ジョブシャドウイング」 という職業教育があります。アメリカではかなり定着していますが、子供に大人が仕事をしている場所に立ち合わせて、仕事ぶりを観察させる中で、社会にはさまざまな仕事があることを学ばせ、働くことの意味を考えさせるものです。インターンシップと異なるのは、体験するのが就職を間近に控えた大学生ではなく、小学生から高校生までの子供たちを対象としたところです。小学生が父親と一緒に会社に行って、一日、影 (シャドウ) のように付き添うことなども教育の一環としてごく普通に行われています。2006年10月に東京にもオープンしたテーマパーク「キッザニア」なども、そうした延長線上にあるでしょう。

 今日はさだめし、私は 「ジョブシャドウイング」 をしてきたとも言えそうです。しかも、普通は子が親のシャドウイングをするものですのに、親が子のシャドウイングをしてしまったのです。こんな形で娘の仕事ぶりを見るのも新鮮な体験でした。

 ちなみに、2月に入ればきっといろいろな所で目にし、耳にするであろうこのCM、このぐらいは差し障りがないでしょうと勝手に判断して、最初の言葉を公開しちゃいます。

 古より伝わりし神々の宝  
 アポ トン パリオ ヘロ スィサブロス トン セオン

 さて何でしょう。どうぞお楽しみに!

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

また今夜!

P1132613.JPG
 戻ってきた明るい日差しが眩しい金曜日です。
 チャイムがなって出てみたらいつものクリーニング屋さん。
「寒いですねえ」 と言われて、まだ一歩も外に出ていないことに気づきました。この小さな仕事部屋にいる限り、窓から見える庭は暖かそうな陽だまりができていますし、目の前の窓は眩しいくらいにキラキラしています。デスクの前のオイルヒーターは部屋中をヌクヌクと温めてくれています。

 朝は 「グローバルキッチン」 、夜は 「ナオミライク」 というリズムが狂い始めています。その発端は、一昨日の新年会からの深夜帰り。一人暮らしなら、そのままの乗りで何時になろうがいっきに書いてしまうところ、いえ、むしろそうしたいところが、共同生活となるとそうは行きません。しかも、一人で出かけて、一人で楽しんで、一人でおいしいものを食べて帰ってきた身にとっては、同じ一人でも冷蔵庫の中から残り物を暖めて食べていた人に対しては、妙に肩身が狭いものです。帰るやいなやPCの前にすわるわけにもいきません。

 心残りながらも、あきらめて眠りに就くことにして、翌朝、したためたのが、昨日の 「超早朝ブログ」 でした。

 なんだかしっくり来ない朝書きから、やっぱり夜書きに戻します。さて、そろそろ、私もヌクヌクから寒さの中へ出て行く時間となりました。
 
 それではまた今夜!
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月14日

夏草や つわものどもが 夢のあと

1P1132627.JPG1P1132624.JPG1P1132639.JPG1P1132632.JPG 
 具体的な先の予定があれば、それがいくら先のことであっても、それまでの日々を数えながら、日を送っていくことができます。一歩進めば、一歩先へ逃げていく追いかけっこの日々と違って、「あと何日」 の日めくりカレンダーは、先へとつながる希望を与えてくれます。

 12月22日に最後の片付けを終えて解散した仲間たちは、「来年の1月13日」 という日を定めて、新年会という名目のもとに、再会を約束しました。

 私たち、苦楽を共にした7人に、仕事を通して心通わせるようになった新たな4名が外から加わって、昨夜は11名もの 「拡大仲間」 が、「拡大新年会」 に集いました。

 「18時45分 田町駅 、19時 セレーナ」 と、しっかり書かれた新しい手帳を何度も見ながら、5分早く約束の場所に駆けつけてみれば、すでにほとんどの仲間たちが顔をそろえています。改札の向こう側の大きな柱のそばで、見慣れた風景が繰り返されています。談笑している仲間たちの声は聞こえなくとも、その笑顔がなつかしくて、それなのに照れくさいぐらいに眩しくて、まるで恋の始まりの頃のようにドキドキとしてしまいました。

 実は、その場所へ急ぐ途中に、ある場所へ寄り道をしました。
 その晩、4年間持ち続けていた鍵を返却しなければいけなかったために、どうしても、もう一度だけ、その鍵を使って、その扉をあけてみたかったのです。

 同じ目的を抱いて喜怒哀楽を共にした仲間たちとの思い出の場所は、壁も天井も剥がされ、むき出しになった電線が走り、床には足の踏み場もないほどにゴミの山ができていました。一足ごとに埃が舞い立ち、一足ごとに寂しさがつのります。当たり前ながら、机もなく椅子もなく、そこで過ごした4年の日々の片鱗もありません。

 涙をこらえながら、「ありがとうございました。」 と深々と一礼をして、最後の鍵を閉めました。
 再び帰ることはできません。帰る場所もありません。

 新年の集まりは、まるで何にもなかったように、去年までのたくさんの集まりと同じに、笑いにあふれ、嬉し涙にあふれ、優しい言葉たちにあふれました。

 気がつけばかなり遅い時間。遠くから来た友たちがあわてて帰り支度を始めます。深夜の路上で、それぞれの方向に別れて、また、私たちは新らしい 「日付」 を刻んで、しばらくは別々の時間を過ごします。

 次は、3月初めの 「一泊卒業旅行」 です。その時には、またその次の 「日付」 が、みんなの手帳に記されるでしょう。

 銀座のあの場所は 「夢のあと」 になってしまっても、こうして先へとつながりながら、これからはどこであれ集まった場所が私たちの夢を共有する場となるのです。
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 06:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2010年01月12日

目に見えないものなら?〜天賞堂事件雑感

g_p01.jpg 傘をさしたのはいったい何日ぶりだったでしょうか。冷たい雨の振る連休明けとなりました。予定していた仕事がキャンセルになって、どこかでホッとしたのも正直なところです。ぬくぬくと暖かい仕事部屋にとじこもって一日を過ごしました。

 「壁に穴 銀座で時計盗 高級品200点 3億円被害」
 こんな物騒な見出しの記事が朝刊に載ったのは、三が日もまだあけやらぬ3日のことでした。銀座という文字に引かれて読んでみればなんと 「天賞堂」 さんのことではありませんか。

 前日の午前中に、ビルの壁に開けられた穴から窃盗団が侵入し、地下一階のケースから高級腕時計が盗まれたという記事は皆様もよくご存知のことでしょう。そして、実行犯と見られる男3人が香港で逮捕されたという、その後の顛末についても。

 天賞堂の五代目社長、新本秀章社長にはご縁をいただいて、随分とお世話になりました。今はなき恵泉銀座センターで、銀座老舗の社長さん方を講師に迎えてお話を聞く 「銀座学」 という講座を始めた時、第6回目に来ていただいたのが新本社長でした。2007年4月のことでした。物静かにひとつひとつ言葉を選びながらお話しになられる新本社長だからこそ、その言葉のいくつかが今でも深く心に残っています。

 その4ヶ月後に、またしても新本社長のお話をうかがう機会がありました。私がインタビュアーをつとめていたフジサンケイビジネスアイ紙の連載記事にご登場いただいたのです。

 そして、つい一月前、私も編集委員の一人として出版に携わった 「新銀座学」 という本でも、13名の銀座を代表する方々の5番目に、新本社長がお話をされています。

 新本社長が語る天賞堂の創業以来の歴史、天賞堂の将来は、新本さん自身の銀座への思いと一緒に、「新銀座学 」で読み知ることができます。ですからここでは触れません。

 けれども、何度もお会いしてお話をお聞きする中で、特に私が感動した言葉を少しだけお伝えしたいと思います。とても新本さんらしくて、私の大好きな言葉です。

「しいて言えば、人間の生き方や、人生、本質などに興味があります。目に見えないものに興味があると言うのでしょうか。小学校4、5年生の時には、虫が大好きで自然科学にとても興味がありましたが、中学に入る頃にはすっかり忘れてしまいました。でも、またここ10年ほどで、自然科学に対する気持ちが復活しています。」

「今後、人間はどうなっていくのだろうか?ということに興味があるんです。人間の持つDNAの進化と科学の進化の速度の違いに関しては、素人の私でも科学は進みすぎていると感じます。人間の幸せに結びついていないと。『徳の起源〜他人をおもいやる遺伝子』 という本があります。私の愛読書です。人間の社会は単なる弱肉強食ではなく、他人や社会に良いことをすれば結局自分に戻ってくるということを、この本から学びました。」

 高級時計や宝石、鉄道模型と言う 「形」 のある物を扱うプロフェッショナルな方が、「目に見えないものに興味がある」 とさらりとおっしゃる、、、、、とても素敵です。

 そしてもうひとつ、こんな淡々とした仕事感も私は大好きです。

「私が今仕事をしているのは、ひとつは義務感です。130年続いたこの店を私の代で辞めてしまうのは、非常にもったいないと思いますし、100人足らずですが社員を雇用する義務があるとも思っています。リレー競争のランナーの気持ちと一緒で、自分に課せられた責任はできれば果たしたいという義務感を、かなりのプレッシャーとしてもっています。」

 天賞堂さんの時計は買えなくても、新本ファンの一人である私です。今回の事件には心を痛めて成り行きを見守っていました。たぶん次にお会いしたら、社長はいつもの哲学者風な面持ちでこんな風におっしゃるかもしれません。

「目に見えないものなら盗られずにすんだのに。」
 
(新銀座学:さんこう社発行)
(インタビューのWEB版:http://afresh.business-i.jp/taidan/2007/08/post_3c68.html
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀座

2010年01月11日

今生のいまが倖せ衣被〜二十歳の君に

PA130444.JPGPA130446.JPGimages.jpg404884136X.jpg 
 小学校低学年の社会科で、一生懸命、国民の祝日一覧を覚えたというのに、もはやいくつかの祝日は移動祝祭日。成人の日=1月15日の時代は11年も前に消え去って、いまやカレンダーを見なければ何日かもわかりません。そんな今年の成人の日に晴れて新成人となったのは127万人。私の生まれ年の成人仲間は246万人もいたことを思えば、今や、走っている電車の車内が、朝のラッシュアワーから一転して、昼間の空いた時間になったよう。

 けれども、時代や人数に関わらず、「はたち」という年はやはり特別な年です。やたら勢いがあるくせに、やたら脆くて危なっかしく、自分の前に広がっている煌々とした未来の大海原を思うかと思えば、自分の未熟さの前に自信を失って殻の中に丸くなって閉じこもってしまいたい。。。。。

 二十歳の頃から今にいたる長い長い年月を振り返る時、二十代には二十代の、三十代には三十代の、四十代には四十代の、そしてもうじき終えようとしている五十代には五十代の悲しみと喜びがありました。これから迎える年月だってきっとそうでしょう。

 けれども、もし神様が 「好きな時に戻してあげるよ。」 と言ってくれても、私は 「いいえ、このままで結構です。今でいいんです。」 と答えることでしょう。だって、たとえ再び二十歳に戻ったとしても、ここまで歩いてきた道のりを再び歩かなければならないのだとしたら、それはいくら何でも疲れます。でも一つだけ神様にお願いをするとしたら、「このままずっと今の所に居させてください。」 と言うかもしれません。年を重ねながらどこまで続くかわからない人生の海を航海するのも大変そうだと思うからです。

 要するに怠け者の私は、今が一番いいのです。

 鈴木真砂女さんと言う素敵な俳人がいます。平成15年に96歳でお亡くなりになるまで、40年以上もの間、銀座で「卯波」と言う小さな料理屋を切り盛りしていました。それは、私がついこの間まで仕事をしていたオフィスの目と鼻の先にありました。小柄な真砂女さんは、いつも並木通りに面した幸稲荷に10円のお賽銭を入れてから店に出ていたといいます。「卯波」 は、お稲荷様の角を曲がってすぐの路地にありました。

 真砂女さんが亡くなられたあとしばらくは、お孫さんが受け継いで店をやっていました。私も何回か、昭和の文人が足繁く通ったという、9席のカウンターと4畳と3畳の小上がりが二つだけの小さな店に通いました。けれども、もう 「卯波」 はありません。ちょうど2年前の1月に、銀座開発の波を受けて閉店してしまったのです。それから2年、今でもあの路地は開発もされぬまま、ただ閉ざされた店々が並んでいます。

 私が真砂女さんに心魅かれたのは、

「女としてたしかに人並以上にいろいろな道を歩んで来た。嘆き、悲しみ、苦しみ、笑い、そして今八十歳をこえたこの安らぎである。」

「私は女としては思い切りのよい方かも知れない。過去の生活のことをふり返ってみても、それが戻ってくる筈もない。まして己れが選んだ道ならなおさらである。」

という言葉に表れているような 「潔さ」 ではないだろうかと思います。そして 「現在が一番幸せ」 と言える年の取り方だと思います。

 今日大人の仲間入りをした若き後輩たちに、真砂女さんのこんな句を贈ります。どうか、たとえ何歳になろうとも、「今が幸せ」 と言う生き方をしてください。

  今生のいまが倖せ衣被 (こんじょうの いまがしあわせ きぬかつぎ)
posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | その他メッセージ